大波が呉市に到達して約2時間が経過。
深海棲艦の群体の一つが本格的に内陸部へと雪崩れ込んだ。その船体に触れるもの全てが溶解する。天然物も人工物も、有象無象の区別なく一切が溶解されてヘドロの濁流に加わる。その様たるや嵐の後に荒れ狂う河に等しい。陸の物質すら喰らって数を増やし続ける軍勢は進行速度を加速させる。
このまま町まで侵入……というところで立ちはだかる者がいた。
「目標確認。殲滅する」
ランサーのサーヴァント。
アレクサンドル・ラスコーリニコフである。
たった一騎で何ができるものかとナメているのか、それとも路傍の石程度にしか認識していないのか。深海棲艦達は怒涛の勢いを緩めることなく直進する。
何の捻りもなく軍団と軍人は衝突する。
二つの拳が深海棲艦達を砕いた。
一振りの足蹴が数艦纏めて引き裂いた。
だか、それだけだった。無数の兵と怒濤の勢いを止めるにはあまりにも小さく、砂の城が洪水に飲み込まれるかの如く一瞬でランサーの姿が黒い軍勢に飲み込まれて見えなくなる。しかし──
『展開(エヴォルブ)』
重厚さを感じさせるランサーの声と共に深海棲艦達が内側から爆散する。
振動。破砕。分解。最期には塵も残さず消滅する深海棲艦達。
木端微塵に砕け散ったところにランサーが立っていた。飲み込まれる前と違うのは僅かにヘドロを被っていることと鎧を着ていることである。
『影装』
この鎧こそが刻鋼人機(イマジネーター)たる彼の本領であり、宝具(フルパワー)である。その名は────
『絶戒刑刀(アブソリュート・パニッシュメント)』
真名と共に発せられる振動波が次々と周囲を破砕していく。深海棲艦にしてみれば大気の鉄槌……あるいは見えざる城壁が高速で衝突しているのに等しいダメージを受けている。放たれる砲弾も銃弾も超級の激震を前に用を為すことなく粉砕されて無に還る。
このままでは駄目だ。進軍を止めなければならない。だが後続は次々と押し寄せており、前にいる雑魚たちを震動の処刑場へと送りこんでいく。
怒涛の勢いが完全に裏目に出ている。まるで断崖へと墜ちる獣の群れだ。
「マスターと同じ存在でありながら知能の欠片も感じぬな。所詮は切れ端程度ということか」
射程内に入れば破壊されるという事象を学習せずただ叫んで突貫する深海棲艦達を哀れみとも嘲りとも取れる声で評した。
この宝具を展開している限り、深海棲艦達はここを突破できない。五十、百、百五十……と火に飛び込む蛾のように壊されていく。
さらにアレクサンドルは歩み出し、深海棲艦の数は加速度的に減っていった。
◆
レオニダス一世と望月は学生寮から出て深海棲艦の侵攻を止めるために夜の町へと踊り出した。
「マスターの守りはいいの?」
「『一人』つけます故、問題ありません」
「一人?」
「ええ、一人です」
そう言うとサーヴァント、いやサーヴァントらしきものが現れた。
レオニダス一世の宝具『炎門の守護者』はかつてテルモピュライの戦いで共に戦った仲間を召喚できる。
彼等は臆すことも屈することも無い、ランサーが全幅の信頼を置く仲間だ。マスターを守るのに適している。
突如現れた軍団と先ほどの学生寮にて会話した内容に望月は合点がいく。
「あー。ランサーもアイツと同じような宝具持ってんのねー。だからアサシンが消えたときの話に食いついたんだ」
「ええ。如何せん、他人事には思えなくてですね。
それでシップ殿、我等は大軍故に鈍足だ。あなたのスキルで誘導をお願いできますか?」
「んじゃああたしが『輸送』スキルで先導するからついてきてね」
望月の言葉に二百を超える益荒男の返事が続いた。
◆
望月でーす。
今、夜道をダッシュしてまーす。
後ろにはムサい半裸のオッサン300人が追いかけてきてまーす。
陸上では艤装も使えないから自力で走ってんだけど、結構つらいわー。
耐久値Eランクだから、すぐ息がきれるけど『輸送』スキルがあるからまだマシな方かなー。
つーかこの絵面ヤバイって! 犯罪的すぎだって!
公道、畦道、獣道、路地裏、時には通り抜け禁止と書かれている私有地の中も通って海岸へと急ぐ。
街は静かだ。不自然なほどに。
そう思った矢先に守護者のオッサンの一人がしゃべった。
「我が王よ、アレを!」
オッサンの指差す先、サラリーマンが道端に倒れていた。よく見てみればサラリーマンだけではなく手を繋いだ親子、ヘルメットを被った土木業者、更にはカラスまでもが道端に倒れている。
「シップ殿、これは……」
「寝てる、みたいだね」
道端で誰もが寝ているなど普通に考えてあり得ないだろう。
いくら揺すっても(レオニダスが熱いビンタをしても)起きずにすやすやと眠っている。
「サーヴァントの仕業かな?」
「NPCの彼等を眠らせるメリットがある者といえばルーラーでしょうな」
「神秘の秘匿ってこと?」
「私の計算が正しければそれが目的と思われます。
しかし、ここであの大群を迎撃すれば一般人に被害が出てしまいます。もう少し海岸まで寄りましょう」
「あい了解」
再び進軍を開始する望月と筋肉隆々の男達、約300人(スリー・ハンドレッド)。
そして孤児院を抜けたあたりで、NPC達の睡眠とは全く異なる光景に出くわした。
深海棲艦の残骸が転がっていた。大半の骸はバラバラだ。
それら肉片は道の真ん中を空けるようにして積み上げられており、まるで塀や塹壕のようでもある。
「ほう、これは……」
ランサーが感嘆の息を洩らす。
他の守護者達も同じく道を見て、積まれた死骸を見て、ランサーと同じ反応をした。
「シップ殿、先に行かせてもらいます」
そう言ってランサーが走った。
◆
孤児院よりさらに海岸に行けば、まだ未開発の小さな山がある。
夜の山は一種の異界である。明かり一つない暗黒の森が生けるものを包み込み盲目へと変えてしまう。
その中でも唯一開発が進んだ土地。なだらかになるように山の斜面が削られた開発途上の道路で戦いの音を立てる男がいた。
「終わりか」
アレクサンドルの宝具『影装・絶戒刑刀(アブソリュート・パニッシュメント)』 が終了する。
魔力によって編まれた鋼鉄の刻鋼が解れて消えた。
アレクサンドルのステータスが著しく低下するも、彼を脅かす敵は未だに健在。
されど彼は絶望などしていない。その総身を滾らせ拳を握る。
逆に深海棲艦達もこれだけの損害を出す敵に対して慎重になっていた。
アレクサンドルの戦意の源は希望的観測でも自暴自棄でもない。相手の行動を予測・対応・撃破。幾度となくやってきたプロセスをここでも実行に移すだけ。イマジネーターになる前からやってきた事だ。イマジネーターになり、英霊となった今でもその妙技は健在である。
そんな彼に声をかけるものがいた。
「もし、そこの素晴らしい筋肉の方」
男は仮面を被り、頭頂部から炎を噴出させていた。
肉体の大半が露出しており持っている武器は槍と盾。
おそらくはランサーのサーヴァントだろう。露出が多いのは服の文明が発達していなかった古代人かはたまた本人の趣味か。
「ここに積まれた屍の山は御身が?」
「そうだ」
頭の炎がさらに雄々しく噴き上がる。興奮している、のか。
暗い山ではむしろ目立つ。格好の的だ。草木が生い茂る以上、山火事の危険性もある。
だが、孤児院を守るアレクサンドルにはむしろ良い。
「カエセ」
「カエセ、カエセ」
「シズメ」
誘蛾灯の如く深海棲艦達が引き寄せられている。
素手で打ち壊し、蹴りで薙ぎ払う。ヘドロによって金属が侵されるが、影響が出るより早く敵を倒すため未だに戦闘続行可能。
一方で半裸のランサーはアレクサンドルをじっくりと観察していた。
ヘドラの味方には見えないが、かといって未知のサーヴァントである以上は味方ともいえまい。
アレクサンドルは宝具を使用し消耗したばかりだ。相手の出方次第では苦戦を強いられることになる。
2秒間、深海棲艦達のバシャバシャという音をBGMに睨み合いが続いた。
そして────。
「見事! 単騎で拠点を防衛するとは、このランサー感動致しました!」
◆
レオニダス一世はスパルタで名を馳せた英雄だ。
味方は三百人、敵は数十万。味方が少しでも軍備を整える時間を稼ぐためには狭い路に誘い込み、そこで持ちこたえる必要があった。
今、正にここはその状況に近い。
本来の呉市と異なり、K市ではメガロポリスの如く山中に街が築かれている。そのせいで地形が大きく歪んでいる。
例えば東海岸から街を攻める場合、海岸沿いを迂回するか急な斜面に作られた道路、つまり此処を通る必要がある。
必然的に単騎で迎え撃つならばこの場所を拠点にして敵を突き落とすなり正面から打ち砕くなりの戦術が取れる。
かつてスパルタがそうであったように。
「聖杯戦争である故、御身とも戦う運命にあれど、今この時は共闘を申し出たい」
「いつか殺すと告げてから共闘を持ちかけるのか?」
「いつか殺し合うとわかっているからこそ、今は共に戦いたいのです」
「その話にいーれーてー!!」
どこからともなく幼い少女の声と共に山の斜面から降ってきた塊に深海棲艦達が薙ぎ払われる。
現れたのは一人の少女とそれに従う青年のサーヴァント。
美少女がポーズを決める。
そして────
「ちょっとランサーのおじさん。待っ……げっ!」
「君は……」
「あれ、ここにいたの?」
美少女とランサーとシップが目を合わす。
硬直すること数秒、先にランサーが気まずそうに目を逸らした。
それもそのはず。シップは知る由も無いが、一度ランサー、
櫻井戒はシップのマスターを殺そうとしたのだ。
一松の兄が直前に替え玉となって知らない間に難を逃れたものの殺そうとしたランサーの気分は決して良いものではない。
予めシップから関係を聞いていたレオニダス一世は察し、されど状況を複雑にさせないために叫んだ。
「色々と言いたいことがあるでしょうが、とりあえず今は後です!」
レオニダス達、炎門の守護者が砲弾をラウンドシールドで防ぎながら叫んだ。
嵐の荒波、蝗害のイナゴのように周囲を破壊して進む軍勢はまだいるのだ。
軽巡と重巡が放った魚雷が投げ槍を迎撃し、迫る駆逐艦を盾の殴打で叩き潰す。
我に返ったシップとランサーもまた戦線に加わり、次々と深海棲艦達を破壊する。
さらにそこへ緑色の線が空間に引かれ、深海棲艦達を輪切りに変えた。
「勇者部勇者……ブレイバー参上……」
登場のタイミングを逃してずっと待機していたブレイバーも合流した。
サーヴァント五騎+三百人の守護者がこの山道に集ったことになる。
ならばここは不落の鉄壁か───否と答えるように突如として山が震える。
「これは? ペルシャ軍の襲来ですかな」
「地震じゃないの?」
「違う! 山崩れだ!」
櫻井戒が指差すとそこには地盤が液状化したことで山崩れが発生していた。
無論、偶然などではない。元より水源までヘドラが浸食していたため地盤が緩んでいたところに戦いの振動と深海棲艦達が大量に押し寄せたことで一気に崩壊したのだ。
霊体化は間に合わない。このままでは全員飲み込まれる。
ならば大軍宝具で吹き飛ばすか、それとも全力で避けるか。
各サーヴァントが思考する刹那、誰よりも早く決断したのは一人。行動したのは三百人。
「ウオオオオオオオオオ」
「オオオオオオオ」
「うおおおおおおお」
「おおおおおたおおおお」
山崩れの音すら掻き消す男達の雄叫び。
そして盾を構えた戦士団が隊列(ファランクス)を成す。
彼等はこの山崩れを受け止める気なのだ。
────曰く。スパルタの軍勢三百人は敵軍に対して決して退くことは無く、戦士や戦獣の突撃もその円盾で受け止めたという。
スパルタ人に撤退は許されないという鉄の掟が彼等の老骨を鋼に変えた。
弓兵達の矢の雨にも耐えた。
魔術師達の魔術にも耐えた。
数えることすら馬鹿らしい大軍を相手に三日三晩、彼等は防衛した。
その伝承は偽りではないと今、此処に証明される。
「来たりて取れ、我等は退かぬ」
崩山の濁流はスパルタ兵達と激突する。
集落一つが消滅しうる猛威を前にスパルタ兵は屈しない。
流れてきた大木や岩石が衝突しようと彼等は折れない。
「まだまだァ!」
衝突で後ろへずれることはあっても退くことは無い。
一人でも諦めれば総崩れのこの状況で諦める者など一人たりとも居ない。
山が吐き出した濁流は数十分の時間を経て終わった。
サーヴァント達は全員が健在。土で汚れてはいるが負傷したものはいなかった。
◆
何てサーヴァントだ。
ランサー、櫻井戒はこの盾の軍団を見てそう思った。
精神力に裏打ちされた圧倒的防衛力。防衛戦においてこれほど厄介な相手はおるまい。
しかし、相手が白兵戦特化である以上、ランサーの敵ではない。
(ヘドラの軍勢は叩いた。令呪は貰えるはずだ。ならば、今ここで倒すべきか……)
「ぺっぺっ! 口に土が入っちゃったよ」
害意はマスターの声で霧散する。
そうだ。この子には見せられ無い。
◆
ブレイバーは彼等に敬意を覚えた。
その姿に、かつて無数の敵軍を相手に一歩も退かず、諦めもしなかった仲間を思い出す。
勇者部の、勇者の在り方は古来から現代に至るまで語り継がれたもの。
その姿は確かに在ったもの。
ならば、勇者の称号を継ぐものとして彼等に後れは取れない。
意気込んだその時、ブレイバーの耳が何かの声を捕らえた。
◆
ランサー、アレクサンドルはこの盾の軍団の正体を看破する。
すなわち炎門の守護者。スパルタ王『レオニダス一世』。
ペルシャの遠征軍に三百人で挑んだ大英雄である。
幼少時より兵士となるために鍛えられた三百の兵士達。今倒すのは難しいだろう。
その時、アレクサンドルの耳もある声を捕らえる。
海底からの反響音か、はたまた地獄から溢れる亡者の声の如く聞こえてくるのだ。
────カエリタイ、カエシテ、カエセ
◆
「む!」
レオニダス一世は手足に痛みを感じたから見てみれば、赤黒く変色していた。
槍の穂先も盾の表面も溶けており、ならば手足も同じように溶けたのだと理解する。
痛い。とても痛い。だが手足の指はまだ動く。ならば戦うのに委細問題なし。
スパルタの王はそう断ずると目の前の敵に集中した。
……ゴボ、ゴボゴボ……カエセ……カエリタイ……
目の前の土塊が溶解してヘドロに変わる。
みるみるうちにそれは沼ほどの広さとなり、足にかからないように英霊たちは下がった。
如何なる原理か、それはヘドロの沼は低地へと流れ込むことはなく、この崩壊した道路の上で土壁を喰らって広がっていく。
半径がおよそ4,50メートルほどに広がった沼の中央から人影が浮かび上がってくる。
少女、だった。
無機質な瞳がサーヴァント達に向けられる。
◆
白騎士。ホワイトライダー。
その役割は征服し、勝利する
集積地棲姫(レッドライダー)が軍需集積と戦争。
北方棲姫(ブラックライダー)が武装剥奪と濁雨。
この白騎士の場合は版図拡大と勝利である。
ならば深海棲艦にとっての勝利とは何か。その答えは────
「『罪を討ち、罪人を愛せ(ホワイトライダー・スラッジ)』」
一面の“赤い海”となって顕れた。
◆
ヘドロが総て赤い液体へと変わる。
ブレイバーの足元からも次々と赤い海水が滲み出て五秒もかからずに膝まで浸かる。
途端、盾を持つ勇者達の武装にピシッとひび割れるような音がした。
「これって……」
謎の被害に会っているのは勇者達だけではない。
白人のランサーの鋼鉄外装、東洋人のランサーの剣、シップの艤装、ブレイバーのワイヤー射出機構の花輪にも同様にピシッピシッと音が鳴る。
言うまでもなく、目の前の少女が展開した赤い海が原因だろう。
「僕が行こう」
そういって同盟を組んだランサーが前に突貫した。
海面上を走り抜け、白騎士に接近する。ランサーの間合いまであと20メートルほどとなったその時、水中から鎖が数本飛び出てきた。
まるで触手のようにランサーを絡め捕ろうとするも、ランサーは振り上げた剣を薙ぐことで鎖を弾き飛ばした。
「これは……」
連続で何本も鎖が、芽のように生えてサーヴァント達へ迫る。
各自迎撃するも盾持ちの一人が痛みで槍を落とし、その隙を突いて鎖が何本も絡み付いた。
「■■■■──!」
戦士団の何名かが指を差して叫ぶ。
捕まった男の足元がバックリと割れ、奈落が姿を現したのだ。まるで地獄へと飲み込む口のように開いたそこからも鎖が伸びていよいよ拘束を強める。
男達の投槍も空しく、男はそのまま奈落へと飲み込まれ、口が閉ざされた。
鎖に捕まればどうなるかを全員が理解した。
武器を持つ手に力が入る。
逆境ゆえに、窮地ゆえに英雄とは力が湧き出るのだ。
しかし、ここでどうしようもない悪意が牙を剥いた。
「武器が……」
皹割れる。錆び付く。枯れていく。
樹の花輪が思ったように使えない。魔力で編んだワイヤーも1,2秒で切れて霧散する。
樹だけではない、各自の持つ武装、それらが皹割れてゆく。
◆
息が詰まる。絶叫したいほどの痛みが走る。
魂が肉体から離れかかっているとイメージするほど全身から力が抜けていく。
櫻井戒は最低でも鎖に捕らわれないように意識を保つも戦闘自体が困難な状況に陥った。
理由は聖遺物の破損。聖遺物と魂が繋がっている黒円卓の者共は聖遺物が壊されれば死ぬ。
半壊であってもただでは済まない。現に戒は激痛に加え、所々に裂傷を負い、血を流している。
何が起きたのか。周りを見回せば盾がひび割れたもの、花輪に目を向けるもの。武器を捨てて素手で鎖と格闘するもの。
肉体的損傷を受けているのは自分だけ。
故に敵の能力を理解した。
「範囲武器破壊能力……これほど厄介とは……」
加えてステータスの低下効果もあるらしい。鎖が絡み付いたら最後、今の自分では鎖を引きちぎれないだろう。
◆
アレクサンドル・ラスコーリニコフも同じくして苦悶に苛まされている。
心臓代わりの永久機関が機能不全に陥っているのだから当然だろう。
血流が不規則に流れ、視界の明度も安定しない。
輝装もひび割れ、力がろくに発揮できない。
戦略的撤退の文字が脳髄を掠める。
決して間違いではないが、退いた後に対策が立てられなければ広がった赤い海の中央にいる敵には二度と近寄れないだろう。
レオニダスの戦士達はステータス上昇スキルでもあるのか、各々鎖を引きちぎっては前進している。
とはいえ、槍を持っている者は既に少なく、決め手にかける。
青年のランサーはほとんど動けていない。
ブレイバーという少女サーヴァントも鎖を切ってはいるが、ワイヤーの強度が保てず青年ランサーの防衛にかかりきりだ。
ふと、ランサーは一人だけ姿が見えないことに気付いた。
そう、あれは、シップといったか。どこだ?
周囲を見回して、ようやく気付く。あの少女は、敵に肉薄していた。
◆
望月の艤装に皹が入るも破損箇所から光の粒子が生まれ、みるみるうちに修復される。
望月のスキル『自己修復』は鋼材と燃料を消費して回復する能力である。無論、使える資源には限りがある。
ニートである一松に彼女のスキルを支えられる資金はない。望月自身の打たれ弱さも相極まって今までは完全な死にスキルだった。
自身を消費して限界が来るまで艤装を修復し戦い続けるなんて裏技もあるが、この命は今はマスターの命を担保する唯一のものだ。命を賭けて戦うような安上がりな戦術をするわけにはいかない。
ならば自分を修復に使えないのであれば別のものを用意すればいい。
「あー、重いわコレ」
破壊された鎖、ランサーの喚んだ戦士達が落とした盾や槍をかき集めて望月は征く。
地面が海になったため艤装が使えるようになった彼女は自身の為すべきことを理解していた。
あたしは自身が弱者であると自覚がある。あの鎖が絡まれば問答無用で即終了だ。
アレはあたしじゃあ……というか艦娘では絶対に振り解けない。
だってアレは錨の鎖。触れたら『投錨』されて、艦娘は一切行動不能になる……と思う。
『好きに行動していい』っていう令呪で強化されている今ならば弾き落とすことも可能なんだろうけど、振りほどくことは無理。
だって私、非力だし。
正直にいうなら働きたくないのだ。自分は前線ではなく後方支援向きのスキル構成だから強敵とタイマンなどしたくない。
だが戦わないで下がるという甘えは戦況的に許されなかった。今の状況は自分にしか打破できないことを望月は見抜いている。
これでも駆逐艦の中では戦闘経験豊富だ。旗艦だって務めたこともある──三日だけだったけど。
「こりゃああたしがやらないとなー」
このまま膠着状態が続けば全滅する────ならば行くしかないでしょ。
目指すは一ヵ所、狙いは一点。魔弾を装填して前へ出る。
艤装にまた皹が入り、荷が軽くなる。
望月の進行を支援するように望月へ迫る鎖をブレイバーの鋼線が切り刻み支援する。
ブレイバーでも処理しきれない鎖はスピンで避け、あるいは単装砲で退ける。
そうして鋼材が費える瀬戸際、遂に白騎士を射程内に捉えた。
「カエセ、カエシテ」
「んなに欲しいならあげるよ。61㎝三連装魚雷発射ぁー」
号令と共に望月の最大火力、三連の魚雷が発射される。赤い海に潜り「八年式」と呼ばれた魚雷が獲物へと泳ぐ。
白騎士を射程に収めている今、ここで奴を倒せねば全滅は必至。
だが三本の魚雷より早く赤い海の中を移動する黒い影があった。ランサー達に襲い掛かった錨の鎖だ。それらが転身して魚雷に絡みつかんと向かってきたのだ。
「うーわ、最悪だぁ」
今まさに魚雷の1本が搦め捕られ爆発した。
それでも二本の魚雷は鎖に追いつかれることなく白騎士へと迫る。
直撃する。倒せる。倒せるだろう。直撃すれば。
望月の希望は裏切られ、魚雷は白騎士の前に壁となるように現れた無数の鎖によって阻まれる。
赤い水柱がそそり立ち、砕けた鎖の鉄片が飛び散る。爆轟が蒸気を作り出し、爆音が耳を聾する。しかし、白騎士は無傷で望月の攻撃は失敗した。
否、水蒸気の帳を掻き分けて、白騎士の顔の手前に12㎝単装砲の砲口が現れる。勿論、望月のものだ。
鉄片で傷ついたのか制服はズタズタで肌にも多くの裂傷が刻まれている。暗闇で表情は見えず眼鏡のレンズだけが月光を反射して光っていた。
「そっかー、あんただったか。……まー、こういうこともあるんだろうね」
興味がないというより何もかも受け入れているような、常日頃と変わらない気だるい声が出る。
月光が夜の闇を裂いて白騎士を照らせば、そこに見えたのはいつか見た顔。彼女の姿から暗黒の運命を察せずにはいられない。
自分はサーヴァント……既に幽霊だ。自分は沈んだあと〝そうなった〟かは知ることはない。
だから今は気にしている場合ではない。早く倒さないと。
そう意を決して単装砲を発射────されない。
「あ、やば……」
放とうとした瞬間、このタイミングで艤装に動作不良が起こる。
僅かな一瞬、刹那の時間だけ白騎士の正体に望月は動揺した。結果がこの様だ。
最後の鉄屑を使って修理するより早く、白騎士の鎖が望月の手足を縛った。
駆逐艦望月、『投錨』。動け……ない。詰んだ。
「あーあ、終わった」
「いいえ、貴女の勝ちですよ、シップ殿」
いつの間にやら望月の背後からやって来たランサーが望月の鎖をたたっ切り、槍の穂先で白騎士の胸を貫いた。
ゴフっと白騎士が黒い液体を吐いた。
最終更新:2017年05月14日 11:55