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認知的不協和「信じたものと矛盾することを信じたくない」
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心理:認知的不協和、信じたものと矛盾することを信じたくない心理。
放射能リスクは分からないというか見えない部分もあるので不安があるでしょう。人間というのは知らなければリスクを感じることはできません。リスクの存在を知ってしまうがその程度や確率が分からないと不安になりリスクを大きく感じます。逆に慣れているリスクは小さく感じます。
Todo: リスク認知について考える
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認知的不協和とは
ちょっと難しいですが、、、。自分や他人のココロの動きを理解しやすくなります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%9A%84%E4%B8%8D%E5%8D%94%E5%92%8C
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%9A%84%E4%B8%8D%E5%8D%94%E5%92%8C
認知的不協和(にんちてきふきょうわ、英: cognitive dissonance)は、人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。 人はこれを解消するために、自身の態度や行動を変更すると考えられている。有名な例として、イソップ物語のキツネとすっぱい葡萄の逸話が知られる。
二つの矛盾する事実がある場合不快なので、それを解消する行動をとるということです。
矛盾があると不快なので自分に都合よく考える
終末予言をする教祖を信じている。しかし、この世の終わりは来なかったという事実がある。ここに認知的不協和が生まれます。
人は、変えやすいほうを変えます。たいした信仰も活動もしてこなかった信者は、教祖はペテン師だと考え、脱会します。脱会することで、不協和を下げます。
しかし、すべてを捨ててしたがってきた信者は、そんなふうに簡単には思えません。
そこで、むしろ逆に、信仰を強め、教祖様のお力でこの世の終わりは来なかったなどと考え、ますます熱心に活動し始めるのです。
事実はちょっと視点を変えるだけでいくらでも都合よく解釈することができるということです。
「デマですよ」と言っても無視するか的外れな理屈を持ち出す人たち
Twitterで放射能デマでひどかった頃、デマを流している人に「デマなのでやめましょう」というとどんな行動をとったかというと、、
A:無視する
B:咬み合わない反論をする
B:咬み合わない反論をする
の大抵どちらかです。
A:無視して認めない人
Aの場合は、Twitterで話しかけても無視してブロックされます。ブロックするとデマという指摘が見えなくなります。つまり「自分が信じている事実がある」と「その事実がデマである」ということが不快なので「デマなわけがない」「デマだと指摘するやつが間違っている」と思いたくなります。
次から次へと「それはデマですよ」と指摘されてしまいます。福島ではデマで悩んでいる人たちが多いので当然です。
デマを流している人は、さらに指摘され続けることになります。
デマを流している人は、さらに指摘され続けることになります。
ここで彼らは「こいつらは誰かに雇われてた工作員」などと言い始めます。
B:咬み合わない反論をする人
BもAと認知的不協和という点では同じなので、似たような行動(思考)を始めます。ただ反論する人なのである程度話し合う気持ちがある人です。しかし相手の理屈が正しく理解できればできるほど、自分の信じていたことに「都合が悪い」ので、納得できません。自分が信じてきたことが間違っていると人間は認めたくありませんから当然です。
そこで、持論が崩壊してしまうのが怖いので、別の理屈を持ち出すことになります。持ち出す理屈は「なぜ政府や東電、御用学者の言うことを鵜呑みにするのだ」などです。こうやって論点をずらされても、会話に付き合って間違いを指摘していくと、延々と会話が長くなって、多くの人は悪態をつきはじめます。
※このサイトは、こういう会話で何度も同じ事を説明していたため、その説明を繰り返さなくてもいいように情報をまとめたのがキッカケです。
結局、デマを指摘しても認めてもらえない。でも意味があった。
デマを指摘して認められることは殆ど皆無でした。しかしコレには意味があります。この会話や議論の過程を記録して公表することで、多くの人にTogetterというサイトで「無茶苦茶な理屈」を見てもらうのが目的だったのです。
「認知的不協和」になり、後戻りできない状態になって「全く耳をかさない人」の姿を見ることによって、そういう意味では「晒し者にした」という批判もあり、その点は申し訳ないことをしたという気持ちもあります。彼ら全員が悪意でデマを流したとも思えません。彼らは「信じたいことを信じた」と思っています。人間は少なからず「信じたいことしか信じない」動物ですから。つまり誰もが「認知的不協和」を持っているということです。
ある事実ではなく、ある人を信じてしまう
放射能への不安を煽る人と煽られる人達の関係を、多くの傍観者が「カルト宗教に似ている」と感じています。
元々科学は「XXさんの言っていることだから信じる」ということはありません。もちろん専門家や研究者、例えば大学教授と一般人では知識の差があるために「一般的に」より高い知識を持っている人が正しいと思ってしまいます。むしろ、科学は他人だけでなく自分さえも疑い「検証」することが含まれています。これを科学の反証可能性と言います。興味があったら「ホパー,科学」などで検索してみてください。
元々科学は「XXさんの言っていることだから信じる」ということはありません。もちろん専門家や研究者、例えば大学教授と一般人では知識の差があるために「一般的に」より高い知識を持っている人が正しいと思ってしまいます。むしろ、科学は他人だけでなく自分さえも疑い「検証」することが含まれています。これを科学の反証可能性と言います。興味があったら「ホパー,科学」などで検索してみてください。
放射線防護を理解するには一般人だけでなく理系の学者でさえ知るべき範囲が広いので厄介だと思います。放射線という物理の分野から、人間の体という医学や生物の分野まで広い知識が必要です。実際には理系の学者でも「まったく放射能について理解してないのに自身を持って間違ったことを言っている」ことが多いのです。
※例としては、群馬大学教育学部 早川由紀夫や、中部大学教授 武田邦彦
※例としては、群馬大学教育学部 早川由紀夫や、中部大学教授 武田邦彦
結局、放射線防護を考えるとき余りに広い分野の知識が必要なので、自分で判断出来ない人は「人」に依存するしかなくなることになるのでしょう。「XXさんが言ってたから大丈夫」と思ってしまう。これは詐欺ビジネスのCMに芸能人やタレントなどが出ていて、人々が信頼してしまい、被害が大きくなったことに似ています。
放射線防護という分野は難しい
科学的な素養がある程度あれば、気づくような矛盾に気付けないままデマを流してしまうことが多いのですが、これが中々厄介です。科学といっても放射能とくに放射線防護は専門家が少なく学ぶべき範囲が広いので、近い分野の人(例えば医師・物理学者)などでも部分的には間違ってはいないが、全体(結論)として間違っていることを言ってしまう人がいるほどです。
ただしある程度科学の基本がわかっていれば、間違った情報・知識については気づくことができるのですが、中々難しい。
原発に対しての嫌悪感などのバイアスがあれば、同じ情報・知識から別の思考が生まれてしまうこともあります。
原発に対しての嫌悪感などのバイアスがあれば、同じ情報・知識から別の思考が生まれてしまうこともあります。
カルト宗教との共通点
終末思想「予言が外れても信仰してしまう信者」
カルト宗教でよくあるのが「終末思想」。これは「世界が滅びる」という予測です。しかし今までその予測(というか予言)は当たった試しがない。しかし予測が外れても信者は教祖や教団への信頼を失うことはない。これはまさに「認知的不協和」によるものです。
選民思想
自分たちだけは正しいことに気づいたのだ。という心理が働きます。カルト宗教によくある「自分たちは選ばれた集団」という心理です。こういう集団心理にもっていくのが「教祖」の腕だと言えます。
放射能についても同じ事がカルトの手口が横行。
原発事故後、多くのデマを流した自称専門家は「福島では病気や死者が増える」と脅してきました。根拠を提示しないか、提示しても反論に耐えられるものは無かった。論破されてしまうと「安全デマ」と呼びました。しかし自称専門家たちが予言したことはどこにも起こってません。
予測が外れた教祖と信者はどうなるのか。
まさに今、信者を繋ぎとめるために一生懸命誤魔化すしかありません。すでにカルト化した集団は、信者の眼や耳に入る情報をコントロールしています。そのために「それは間違ってますよ」という意見を封殺します。だからカルトの洗脳が解けてしまうような情報は「遮断」することになる。それがTwitterで「工作員の相手をするな。ブロックしろ」という策にでます。
都合悪いことを言われるすでに信者となっていて、「認知的不協和」という「精神的に囚われの身」になっているので印象を植え付けることはたやすい。
そのためにはワザワザ関係性の少ないものを関係が大きいかのように印象操作をすることになる。
あまり意味のない「早川塗り絵地図」は教典
例えば早川由紀夫の「放射能汚染マップ」これは放射能汚染や健康被害を考えるうえで余り意味がない。
なぜなら外部被曝はフィルムバッジ、積算計、そして内部被曝はホールボディカウンターで直接人体の放射能被曝を測ることができるのだから。さらに甲状腺については直接の調査が始まっている。
その他にも印象操作は続く
せっかく外部被曝も内部被曝を測ろうという動きがあるのに、わざわざ遠回りして自分たちで予想するのか」といえば、信者を繋ぎとめるための「工作」になる。教祖側の人間も大変なのだ。教祖側の人間は信者が離れることは負けだから。
「低線量での被曝の影響は見えないほど小さい」をねじ曲げて伝える人たち
「低線量の被曝はわからない」と言うと「わからないから危険」という人たちがいる。この理屈確かに分からないわけではない。人間は小さいリスクでも未知のリスクを大きく感じてしまうので、言い方一つで恐怖で心を縛ることができる。
実際には「低線量での被曝の影響は見えないほど小さい」だ。そして「低線量域での影響は見えないほど小さくてわからない」のだから、「影響があったにせよ小さいし、影響がないかもしれない」
しかし言い方一つで印象は変わってしまう。特に恐怖を感じている人には。
教祖と信者になる人々
教祖側になる人の特徴を幾つか挙げてみる。
- 自分の能力が高いにも関わらず、社会的に認められてないと感じている・不満を持っている。
つまり、この原発事故は相対的な立場を逆転することがチャンスと考えている。社会が認めてくれない原因をすべて原発や政府や東電などのせいにできる。世論も自分たちを後押しすると感じる。(実際に原発事故後は共感する人も多かったのは事実)
- 過去に政府や権力、権威、学者などに精神的なトラウマを持つような経験を持っている。
簡単に言えば権力などに対しての恨み・嫉妬を持っているということ。例えば病院で医療ミスを受けると「医師は信用できない」トラウマを持つことになり、医師に対して猜疑心を持つようになる。これらのような経験をすると似た対象にも同じような感情や思考で接することになる。
紛れも無い加害者、そして第一義的な責任は、東京電力にある。これは間違いもない。※私はもともと少年時代から脱原発志向
しかし加害者だからといって「何を言ってもいい」というわけでもない。例えて言うなら「加害者にも人権はあるし、言い分はある」ということ。これが感情が昂ぶり意識出来ない人たちが教祖や信者になってしまった。
しかし加害者だからといって「何を言ってもいい」というわけでもない。例えて言うなら「加害者にも人権はあるし、言い分はある」ということ。これが感情が昂ぶり意識出来ない人たちが教祖や信者になってしまった。
つまり陰謀論者が多い
「自分のあずかり知らないところで、政府とか権力が何か良からぬことをしているのだが、自分は知ってしまった」と思い込んでいる思考のバイアス(偏り)を作られている人が放射能を根拠なく不安がる人に圧倒的に多いと感じています。
もちろん、そこには矛盾があるのです。たとえば私のような人間を「工作員」として雇うより、「真実を語る人」のTwitterのアカウントを消してしまったり別件逮捕したほうが早いわけです。安全デマを流す工作員がいたと仮定します。しかしそんな彼らはどこで求人するのでしょうか。そんな求人をして賃金を払っていたら証拠が残り告発すればまさに「原発ムラ」にとっては大きな痛手です。そんなリスクを冒すわけがない。
つまり素人が考えだす陰謀というのは、矛盾だらけの物語なので、簡単に論破されてしまうものなのです。この矛盾に気づかないことこそが「陰謀論者」「信者」を増やしてしまう原因の一つだということです。
持論の矛盾には目を瞑る 早川由紀夫。指摘しない信者たち
早川由紀夫の有名な発言があります。「福島の農家は殺人者」という発言です。彼の意図は「セシウムという毒を含む農産物を今作っている福島の農家は、人を殺している」ということです。この発言にはツッコミどころ満載なのですが、あえて一つの矛盾に絞って彼、早川由紀夫に問うてみました。
それがこちら http://togetter.com/li/220540 "早川由紀夫氏が「毒の入った米を作った農家は殺人者」というので、「風評被害で農家が死んだら、デマや誤解を流した人も殺人者ですか?」と聞いたらブロックされた件。"
早川由紀夫の発言「6万戸のコメ農家が生産した何百万袋のひとつにでも毒が入っていたら、それを流通させた行為は殺人行為なの。それを生産した農家は殺人者なの。まだ未遂だけどね。」
そこで私が聞いてみました。「
「 万が一、誰かの思い込みによるデマによって、農家が風評被害に苦しみ死に至った場合は、デマや誤解を流した人は「殺人者」。と考えてよいのですか?」
「 万が一、誰かの思い込みによるデマによって、農家が風評被害に苦しみ死に至った場合は、デマや誤解を流した人は「殺人者」。と考えてよいのですか?」
直後、早川由紀夫は私をブロックしました。ここでも持論の矛盾を指摘されたことにより「なかったことにする」行動にでたと推測できます。まさに認知的不協和による行動です。
悪と正義の(妄想上の)二項対立
危険を叫ぶものは「正義の使者」
原発事故によってもたらされた放射能に対する不安は人によって感度が違う。
疫学的な研究に基づけば「今回の事故による健康の影響は無い。もしくは、大したことはない」とするのは当然。
疫学的な研究に基づけば「今回の事故による健康の影響は無い。もしくは、大したことはない」とするのは当然。
並列して「いや憂慮すべき事態」とする人もいる。彼らの多くが反原発側の学者。といってもマイノリティ。
「マイノリティになったのは、(正しい)反原発運動をしていたため」という思い込み。
→実際には反原発かどうかは、科学では関係ない。もちろんバイアスにはなるだが。そのバイアスも科学的な検証によって否定されてしまう。
「純粋な思考」方程式
A:原発は事故を起こすと放射性物質を漏れさせる
→その通り
B:放射性物質・放射線は健康に影響を与える可能性がある
→その通り
※ただし、健康に影響があるかどうかは、その量が関係する
→その通り
B:放射性物質・放射線は健康に影響を与える可能性がある
→その通り
※ただし、健康に影響があるかどうかは、その量が関係する
結論:AとBから、やはり原発は危険
→条件によるし比較する対象にもよるが、まあそういう面もある。
※CO2出しまくる火力が安全なのか。化石燃料が高騰して貧しい国の人たちが餓死するとかそういうのを無視すれば「火力のほうが安全」とも言える。
電力コスト、電力不安で産業が壊滅的になり自殺者が増えることを無視すれば「火力も安全」
※CO2出しまくる火力が安全なのか。化石燃料が高騰して貧しい国の人たちが餓死するとかそういうのを無視すれば「火力のほうが安全」とも言える。
電力コスト、電力不安で産業が壊滅的になり自殺者が増えることを無視すれば「火力も安全」
放射能デマ拡散の背景「認知的不協和理論」の心理あると識者
2012年2月27日(月)16時0分配信 NEWSポストセブン