第一章 ニューヨーク日記:2001年3月
CLAC(反資本主義連合)のキャラバンが通り抜けた頃、ニューヨークにいる私たちの多くは、ケベックに向かうべきかどうかをめぐって長い議論を続けていました。当時、ニューヨークの「直接行動ネットワーク(NYC Direct Action Network)」は、バーリントンで活動家たちの大規模な「集結」を組織することに集中していました。この集結は抗議行動の数日前から数日にわたり行われる予定で、そこで参加者全員が「スポークスカウンシル」(集団意思決定会議)を開き、次に取るべき行動を決めるという計画でした。
行動シナリオの策定については、主に「ヤ・バスタ!(Ya Basta!)」に委ねられていました。しかし、問題は明白でした。ガスマスク、ヘルメット、防護パッド、化学防護服を抱えた数十人の活動家たちが国境を越えることが許される可能性はほとんどなかったのです。つまり、装備を完全に諦めるか、かなり前もって装備をカナダに送るかのどちらかを選ばなければならない状況でした。しかし、このどちらの選択肢も、さまざまな理由から現実的ではありませんでした。
以前、ジュネーブでの世界経済フォーラム(WEF)抗議行動において、イタリアのヤ・バスタ!は、同様のジレンマに直面した際、国境そのものを行動の場とするという戦術を選択しました。この戦術は、大規模な抗議行動の現場である都市中心部に向かうのではなく、国境の近くで活動を行うという大胆なものでした。
ニューヨークでの議論は、ケベックに向かうことの利点とリスクを比較する形で続きました。一部のメンバーは、カナダ政府による国境警備の強化を強く警戒しており、特に既にリストに載っている活動家が入国を拒否される可能性を懸念していました。そのため、抗議行動に向けた準備は進められていたものの、装備をどうするか、国境をどう越えるかという問題は依然として解決されていなかったのです。
ニューヨークの活動家たちは、行動に必要な装備を整えることと、それをカナダへどうやって持ち込むかの問題に悩まされていました。これは単なる物理的な問題ではなく、国境を越えること自体が政治的行動の一環であり、同時に大きなリスクを伴うものでした。私たちは、国境を越える際にガスマスクやヘルメットといった装備が没収されることを避けるため、装備を事前にカナダに送る案を検討しましたが、それも簡単ではありませんでした。送る場合、その受け取りを確実にする必要があり、相手が監視下に置かれている可能性もありました。
このような状況の中、活動家たちは現実的な妥協点を模索していました。一部のメンバーは、装備を最小限にし、目立たない形で持ち込むことを提案しました。一方で、「装備がなければ抗議行動の安全を守ることができない」と強く主張する声もありました。このようにして、装備に関する議論が行動計画全体を支配する形になりました。
抗議行動の背景と意義
私たちがケベックを目指した理由は、アメリカ大陸自由貿易地域(FTAA)の会議がそこで開催されるからでした。この会議は、北米、中央アメリカ、南米全体を対象とする自由貿易協定を策定するためのものです。活動家たちにとって、この協定は、企業利益を優先し、労働者の権利や環境保護を無視する象徴として見られていました。私たちの目的は、この会議を妨害し、その背後にある不平等な権力構造を暴露することでした。
私たちがケベックを目指した理由は、アメリカ大陸自由貿易地域(FTAA)の会議がそこで開催されるからでした。この会議は、北米、中央アメリカ、南米全体を対象とする自由貿易協定を策定するためのものです。活動家たちにとって、この協定は、企業利益を優先し、労働者の権利や環境保護を無視する象徴として見られていました。私たちの目的は、この会議を妨害し、その背後にある不平等な権力構造を暴露することでした。
ケベックでの行動は、単なる抗議ではなく、直接行動の哲学を実践する場でもありました。直接行動とは、既存の制度に頼るのではなく、自ら行動を起こし、変化を促す手段です。これは、会議場の周辺での封鎖や、象徴的なパフォーマンス、さらには代替的な経済モデルを提案するワークショップなど、多様な形で表現されるものでした。
行動の計画と内部の議論
ニューヨークでの準備会議では、多くの課題が話し合われました。まず、ケベック市内での行動戦術が検討されました。参加者は、大きく二つのアプローチに分かれていました。一方は、非暴力的な座り込みやデモを中心とする戦術を支持するグループで、もう一方は、より積極的で対立を含む戦術を主張するグループでした。
ニューヨークでの準備会議では、多くの課題が話し合われました。まず、ケベック市内での行動戦術が検討されました。参加者は、大きく二つのアプローチに分かれていました。一方は、非暴力的な座り込みやデモを中心とする戦術を支持するグループで、もう一方は、より積極的で対立を含む戦術を主張するグループでした。
スポークスカウンシルの場では、これらの意見が交わされ、全体としての方針が決められる予定でしたが、議論はなかなかまとまりませんでした。特に、リスクの取り方に対する意見の違いが大きな壁となっていました。たとえば、「警察との直接的な対立を避けるべきだ」と主張する人々と、「体を張ってでも会議を妨害すべきだ」と主張する人々の間には、根本的な戦術観の違いがありました。
さらに、抗議行動のために必要な資金や物資の調達も課題の一つでした。多くの活動家が自主的に費用を負担していましたが、それだけでは足りず、地域コミュニティや支援者からの寄付が必要でした。また、カナダ側の活動家との連携も重要であり、彼らの支援が行動の成否を分けることになると考えられていました。
ケベックへの旅立ち
ニューヨークからケベックへの移動は、単なる移動ではなく、運動そのものの一部でした。いくつかのグループに分かれた活動家たちは、車やバス、さらには徒歩で国境を越える計画を立てました。移動中の活動家たちは、リハーサルを行い、万が一の事態に備える訓練を繰り返しました。特に、催涙ガスや警察の弾圧に対応する方法については、念入りに確認されました。
ニューヨークからケベックへの移動は、単なる移動ではなく、運動そのものの一部でした。いくつかのグループに分かれた活動家たちは、車やバス、さらには徒歩で国境を越える計画を立てました。移動中の活動家たちは、リハーサルを行い、万が一の事態に備える訓練を繰り返しました。特に、催涙ガスや警察の弾圧に対応する方法については、念入りに確認されました。
国境を越える際のリスクは依然として大きな懸念事項でした。一部の活動家は、偽名を使って移動することを提案しましたが、それが見つかった場合のリスクも考慮しなければなりませんでした。結局、多くのメンバーは、最低限の装備を持ち、目立たない服装で国境を越えることを選択しました。
国境での緊張感
国境に近づくにつれ、私たちの間には緊張感が高まっていました。カナダ政府はすでに抗議行動の情報を把握しており、国境検問所では入国者への審査が厳しく行われていました。特に、活動家として知られている人物は、国境で拘束されたり、装備を没収されたりするリスクがありました。そのため、多くのメンバーが目立たない服装を心がけ、装備も最低限に抑えるようにしていました。
国境に近づくにつれ、私たちの間には緊張感が高まっていました。カナダ政府はすでに抗議行動の情報を把握しており、国境検問所では入国者への審査が厳しく行われていました。特に、活動家として知られている人物は、国境で拘束されたり、装備を没収されたりするリスクがありました。そのため、多くのメンバーが目立たない服装を心がけ、装備も最低限に抑えるようにしていました。
国境検問所では、警備官からの質問が続きました。「目的地はどこか?」「カナダで何をするのか?」これらの質問に対して、メンバーは事前に用意した答えを繰り返しました。たとえば、「友人を訪ねるため」といった返答をすることで、抗議行動の参加者であることを隠そうとしました。しかし、何人かのメンバーはより詳しい質問を受け、場合によっては別室に連れて行かれることもありました。こうした状況は、私たち全員に心理的なプレッシャーを与えました。
一部のメンバーは、国境を越えることができませんでした。彼らはニューヨークに留まることを余儀なくされましたが、後方支援や情報共有を通じて行動に関与し続けました。カナダに入国できたメンバーたちは、装備の不足を補うため、現地の活動家たちと協力し合いました。
ケベック市での準備
ケベック市に到着した私たちは、現地の活動家と合流しました。街中にはすでに抗議行動の雰囲気が漂っており、壁にはポスターやスローガンが貼られ、通りには警察の車両が巡回していました。市内には複数の拠点が設けられ、それぞれが異なる役割を果たしていました。一部の拠点では、参加者の食事や宿泊場所が提供され、他の拠点ではワークショップや戦術訓練が行われていました。
ケベック市に到着した私たちは、現地の活動家と合流しました。街中にはすでに抗議行動の雰囲気が漂っており、壁にはポスターやスローガンが貼られ、通りには警察の車両が巡回していました。市内には複数の拠点が設けられ、それぞれが異なる役割を果たしていました。一部の拠点では、参加者の食事や宿泊場所が提供され、他の拠点ではワークショップや戦術訓練が行われていました。
私たちはまず、スポークスカウンシルの会議に参加しました。ここでは、各グループの代表が集まり、行動の具体的な計画が話し合われました。議題には、警察の配置に関する情報共有、行動のタイムライン、そして各グループの役割分担が含まれていました。これらの会議では、全員が平等に発言できるようにするため、ファシリテーターが議論を進めました。
スポークスカウンシルの一つの特徴は、合意形成のプロセスでした。多数決ではなく、全員が納得する形での決定が求められました。これには時間がかかることもありましたが、参加者全員が意思決定に関与しているという感覚を得ることができました。このプロセスそのものが、直接行動運動の哲学を象徴していました。
警察との対立
抗議行動が始まると、街中には緊張感がさらに高まりました。会議場の周辺にはバリケードが設置され、警察は装甲車や騎馬隊を動員していました。私たちの目標は、会議場へのアクセスを封鎖し、交渉が行われることを妨害することでした。しかし、警察は私たちを押し返すために、催涙ガスや警棒を使用しました。
抗議行動が始まると、街中には緊張感がさらに高まりました。会議場の周辺にはバリケードが設置され、警察は装甲車や騎馬隊を動員していました。私たちの目標は、会議場へのアクセスを封鎖し、交渉が行われることを妨害することでした。しかし、警察は私たちを押し返すために、催涙ガスや警棒を使用しました。
最初の衝突は、会議場近くの主要な交差点で発生しました。一部のメンバーは、手をつないで座り込み、非暴力的な方法でバリケードを形成しました。しかし、警察が催涙ガスを発射すると、多くの人々が後退を余儀なくされました。その中で、メディック(救護班)が負傷者を迅速に救護し、必要な支援を提供しました。
一方、別のグループは、より積極的な戦術を採用しました。彼らはバリケードを突破しようと試み、会議場に向かって進みました。この行動は、警察とのさらなる衝突を引き起こしました。ガスや閃光弾が飛び交う中、私たちはお互いを支え合いながら、目標地点に向かって進みました。
成功と課題
ケベックでの抗議行動は、多くの面で成功を収めました。私たちの行動により、FTAA会議が予定通りに進行することは困難になりました。また、メディアはこの抗議行動を大きく取り上げ、多国籍企業や政府の不平等な政策に対する批判が広く知られるようになりました。
ケベックでの抗議行動は、多くの面で成功を収めました。私たちの行動により、FTAA会議が予定通りに進行することは困難になりました。また、メディアはこの抗議行動を大きく取り上げ、多国籍企業や政府の不平等な政策に対する批判が広く知られるようになりました。
しかし、課題も多く残りました。一部のグループ間では、戦術の違いによる対立が顕在化しました。非暴力を重視するグループと、より対立的な戦術を採用するグループの間には、意見の相違がありました。また、警察の弾圧により、多くのメンバーが逮捕され、一部の参加者はトラウマを抱えることになりました。
まとめ
ケベックでの抗議行動は、直接行動運動の力を示す重要な出来事となりました。この行動を通じて、私たちは不平等な経済政策に対する抵抗の声を世界に届けることができました。同時に、この運動は、内部の団結や戦術の多様性をどのように調整するかという課題も浮き彫りにしました。
ケベックでの抗議行動は、直接行動運動の力を示す重要な出来事となりました。この行動を通じて、私たちは不平等な経済政策に対する抵抗の声を世界に届けることができました。同時に、この運動は、内部の団結や戦術の多様性をどのように調整するかという課題も浮き彫りにしました。
直接行動運動は、単なる抗議ではなく、新しい社会のビジョンを示す実践でもあります。ケベックでの経験は、このビジョンを実現するための重要な一歩となりました。
〈中断〉
第一章: ニューヨーク日記(続き)
2001年3月13日 火曜日
夜8時、全米法律家協会(National Lawyer’s Guild)でのAUTODAWG会議。
これは、直接行動作業グループ(Direct Action Working Group)の会議に初めて参加したときのことでした。グループ内では不満が募っていた様子でしたが、この会議は「報告会」から始まりました。
夜8時、全米法律家協会(National Lawyer’s Guild)でのAUTODAWG会議。
これは、直接行動作業グループ(Direct Action Working Group)の会議に初めて参加したときのことでした。グループ内では不満が募っていた様子でしたが、この会議は「報告会」から始まりました。
ブルックリンから戻った2人の活動家が、ケベック市の美しさ、古い塔やアナーキストの落書きに心を奪われたと興奮気味に話していました。その後、マックが最新情報を共有しました。彼はピザ屋で行われた会議の最後まで残り、ISO(国際社会主義者機構)との対立を修復しようと最善を尽くしていました。その結果、ISO側は、金曜日の直接行動だけでなく、その翌日に行われる労働者のデモ行進にも人々を送り込むことを約束してきました。
また、アクウィサスネからの最新情報も前向きなものでした。カナダ郵便労働者組合や自動車労働者たちが支援に興味を示しており、モホーク族のヒップホップバンド「ウォークラブ」も何らかの形で関わりたいと表明していました。さらに、カナダ側のモホーク族の戦士たちは、アメリカ側の「ブーツ家族」と連絡を取り合っており、彼らも協力する意向を示しているようでした。
議題と行動計画
この日の会議では、主に2つの議題が議論されました。1つ目は、CLAC(反資本主義連合)の「コンスルタ(計画協議)」で、私はその調整役に任命されました。交通手段については、列車、バス、車といった選択肢が検討されました。
この日の会議では、主に2つの議題が議論されました。1つ目は、CLAC(反資本主義連合)の「コンスルタ(計画協議)」で、私はその調整役に任命されました。交通手段については、列車、バス、車といった選択肢が検討されました。
もう1つは、4月1日に計画されている行動でした。地元のアンダーグラウンド漫画家であるエノスが、この計画を友人のニッキーとともに進めていました。彼らはさらに、タイ系の若い女性活動家「トゥインキー」を引き込むことにも成功しました。トゥインキーは、劇的なパンクヘアスタイルと抜群の肺活量で知られる19~20歳の若者でした。彼女はその場で即興で歌やスローガンを作り出す能力に優れ、抗議行動において非常に頼りになる存在でした。また、彼女はグラフィックデザインの経験も豊富で、FTAA(アメリカ大陸自由貿易地域)抗議行動に積極的に参加する決意を示していました。
エイプリルフールに向けた計画
エノスは、この行動をエイプリルフール(4月1日)に設定した理由を説明しました。「31日にバーリントンでNEGAN(北東グローバル行動ネットワーク)の会議が開かれるので、そこから国境へ向かう計画です。これは、主に宣伝を目的としたメディア向けのアクションで、カナダが政治活動家の入国を妨げているという問題に注意を喚起するものです。」彼は続けて、最近の事例を挙げました。「例えば、先週、ロレンゾ・コンボア・アーヴィンは30年前の逮捕歴を理由に入国を拒否されました。」さらに、警察が抗議者を大量逮捕し、そのデータを国際データベースに登録する習慣の背景も説明されました。
エノスは、この行動をエイプリルフール(4月1日)に設定した理由を説明しました。「31日にバーリントンでNEGAN(北東グローバル行動ネットワーク)の会議が開かれるので、そこから国境へ向かう計画です。これは、主に宣伝を目的としたメディア向けのアクションで、カナダが政治活動家の入国を妨げているという問題に注意を喚起するものです。」彼は続けて、最近の事例を挙げました。「例えば、先週、ロレンゾ・コンボア・アーヴィンは30年前の逮捕歴を理由に入国を拒否されました。」さらに、警察が抗議者を大量逮捕し、そのデータを国際データベースに登録する習慣の背景も説明されました。
この行動では、参加者が「通過を許される製品」に扮して国境を越えようとするという趣向が計画されていました。たとえば、ニッキーはドル紙幣に、別の参加者は遺伝子組み換えトマトに扮する予定でした。これにより、「製品として偽装しないと国境を越えられない」と皮肉を込めて訴えるのです。トゥインキーは健康保険機関(HMO)に扮することを提案しましたが、具体的な衣装のアイデアについてはまだ模索中でした。
議論の広がり
会議が進むにつれて、話題は広範な議論に発展しました。一部の参加者は、モホーク族の戦士たちを美化しすぎているのではないかと指摘し、性差別や同性愛嫌悪といった課題についても懸念を示しました。それに対して他のメンバーは、モホーク社会における女性評議会の歴史や、六国同盟の憲法上の仕組みを詳細に説明し、彼らの文化的背景を強調しました。
会議が進むにつれて、話題は広範な議論に発展しました。一部の参加者は、モホーク族の戦士たちを美化しすぎているのではないかと指摘し、性差別や同性愛嫌悪といった課題についても懸念を示しました。それに対して他のメンバーは、モホーク社会における女性評議会の歴史や、六国同盟の憲法上の仕組みを詳細に説明し、彼らの文化的背景を強調しました。
その日の夜、私たちはセント・マークス・プレイスにある「グラスルーツ・タバーン」に立ち寄り、飲みながら話を続けました。トゥインキーが消えたと思ったら、15分後にラディカル・チアリーダーの仲間とともに、大量の「ダンプスター寿司」(廃棄予定の寿司)を抱えて戻ってきました。その寿司は、店が法的な理由で廃棄する必要があったもので、活動家たちがそれを受け取って再利用していたものです。
2001年3月15日 木曜日
トロント・グローブ・アンド・メールの記事に反応
この日、トロント・グローブ・アンド・メール紙に衝撃的な記事が掲載されました。その記事では、「アクウィサスネのモホーク族が犯罪歴のある活動家を国境を越えてカナダに密輸している」という噂が取り上げられていました。アクウィサスネは、カナダでは主に酒やタバコの密輸地として悪名高い地域とされており、記事はこの「密輸ルート」に新たな「輸出品」、つまりアナーキストが加わるという趣旨でした。これに対し、私たちは即座に電子メールや電話で連絡を取り合い、どのように対応すべきかを議論しました。
トロント・グローブ・アンド・メールの記事に反応
この日、トロント・グローブ・アンド・メール紙に衝撃的な記事が掲載されました。その記事では、「アクウィサスネのモホーク族が犯罪歴のある活動家を国境を越えてカナダに密輸している」という噂が取り上げられていました。アクウィサスネは、カナダでは主に酒やタバコの密輸地として悪名高い地域とされており、記事はこの「密輸ルート」に新たな「輸出品」、つまりアナーキストが加わるという趣旨でした。これに対し、私たちは即座に電子メールや電話で連絡を取り合い、どのように対応すべきかを議論しました。
ヤ・バスタ!(Ya Basta!)の訓練
夜7時、活動家ベティのスタジオで、ヤ・バスタ!のメンバーたちが再び集まりました。この日の訓練では、スモーキーが空のプラスチック製コーラボトルで作ったスーツを披露しました。これが驚くほど耐久性に優れており、パッド入り警棒での強打にも耐えられることが確認されました。
夜7時、活動家ベティのスタジオで、ヤ・バスタ!のメンバーたちが再び集まりました。この日の訓練では、スモーキーが空のプラスチック製コーラボトルで作ったスーツを披露しました。これが驚くほど耐久性に優れており、パッド入り警棒での強打にも耐えられることが確認されました。
訓練の内容は、以下のような場面を想定したものでした:
• 警察がバリケードを突破しようとした場合の防御戦術。
• 特定のメンバーが逮捕されそうになったときの守り方。
• 警察がバリケードを突破しようとした場合の防御戦術。
• 特定のメンバーが逮捕されそうになったときの守り方。
これらのシナリオを繰り返し練習し、実際の抗議行動に備えました。しかし、装備をすべて整えるには、行動開始前に最低20分の準備時間が必要であることもわかりました。
装備のカスタマイズ
さらに、私たちは装備の見た目をどうするかについても議論しました。イギリスの暴動警察用ヘルメットが大量に手に入り、それをオレンジ色にスプレー塗装していました。一部のメンバーは、これに個性を加えるため、ペンギンのぬいぐるみや風車などの装飾を追加する案を提案しました。しかし、スモーキーが「装飾を加えると警察に個別に認識されやすくなり、逮捕されるリスクが高まる」と指摘したため、この案は見送られることになりました。
さらに、私たちは装備の見た目をどうするかについても議論しました。イギリスの暴動警察用ヘルメットが大量に手に入り、それをオレンジ色にスプレー塗装していました。一部のメンバーは、これに個性を加えるため、ペンギンのぬいぐるみや風車などの装飾を追加する案を提案しました。しかし、スモーキーが「装飾を加えると警察に個別に認識されやすくなり、逮捕されるリスクが高まる」と指摘したため、この案は見送られることになりました。
お知らせ
その夜、いくつかの重要な発表がありました:
• バーリントンで3月31日に法的訓練が行われる予定で、ヤ・バスタ!メンバー向けの特別訓練も含まれる。
• エマとムースは現在、ストリートトレーニング(路上行動訓練)に従事している。
その夜、いくつかの重要な発表がありました:
• バーリントンで3月31日に法的訓練が行われる予定で、ヤ・バスタ!メンバー向けの特別訓練も含まれる。
• エマとムースは現在、ストリートトレーニング(路上行動訓練)に従事している。
さらに、過去の行動から得られた戦術的教訓も共有されました。例えば、ある反搾取労働集会では、わずか6人のメンバーが化学防護服を着用するだけで警察の注目を引き、抗議行動全体を妨害しようとする警察のリソースを大量に引きつけることができたというエピソードです。このように、少人数の戦術的行動がいかに効果的であるかを確認しました。
2001年3月16日 金曜日
トロント・グローブ・アンド・メール紙への対応
前日の会議で決まったことの一つは、私がヤ・バスタ!の「情報大臣」として、この新聞記事に対するプレスリリースを作成することでした。夜遅く、私は部屋にこもり、ラップトップを使ってリリース文を執筆しました。深夜2時か3時ごろ、初稿をヤ・バスタ!のリストに送信し、フィードバックを求めました。
トロント・グローブ・アンド・メール紙への対応
前日の会議で決まったことの一つは、私がヤ・バスタ!の「情報大臣」として、この新聞記事に対するプレスリリースを作成することでした。夜遅く、私は部屋にこもり、ラップトップを使ってリリース文を執筆しました。深夜2時か3時ごろ、初稿をヤ・バスタ!のリストに送信し、フィードバックを求めました。
プレスリリースの冒頭は次のようなものでした:
プレスリリース
ニューヨーク市ヤ・バスタ!コレクティブ & ニューヨーク市直接行動ネットワークより
ニューヨーク市ヤ・バスタ!コレクティブ & ニューヨーク市直接行動ネットワークより
2001年3月15日、トロント・グローブ・アンド・メール紙に、今月初めにアメリカとカナダの活動家およびアクウィサスネの伝統的モホーク族との間で行われた歴史的な会合についての事実を歪めた記事が掲載されました。記事が主張するような「活動家(ましてや犯罪者)の密輸計画」は一切存在しません。私たちの意図は、初めから公然かつ透明でした。この件に関する声明は、ニューヨーク市インディペンデント・メディア・センター(www.nyc.indymedia.org)やインターネット上で公表されています。警察や記者たちがこの情報を確認しなかったことは私たちの責任ではありません。
その後、私たちはFTAA(アメリカ大陸自由貿易地域)会議に反対する理由を説明し、国境管理がいかに市民の自由を抑圧しているかを訴えました。さらに、以下のような主張を展開しました:
• 国境の非合理性
国境管理が政治的反対意見を抑え込むために利用されている現状は、「グローバリゼーション」の名の下に行われる矛盾の象徴です。グローバリゼーションが本来意味するべきは、人、モノ、アイデアの自由な移動であるはずです。しかし、現実には、企業が利益を得る一方で、貧しい人々は国境の壁によって締め出されています。
• 地域自治とモホーク族の主権の支持
私たちは、アクウィサスネのモホーク族の主権を認め、その闘争に連帯するため、彼らの領土を通過するルートを選択しました。モホーク族の政治的伝統は、分権的な合議制や資源の共同管理、女性の政治的役割を重視する点で、未来の社会モデルとしての可能性を示しています。
• 国境の非合理性
国境管理が政治的反対意見を抑え込むために利用されている現状は、「グローバリゼーション」の名の下に行われる矛盾の象徴です。グローバリゼーションが本来意味するべきは、人、モノ、アイデアの自由な移動であるはずです。しかし、現実には、企業が利益を得る一方で、貧しい人々は国境の壁によって締め出されています。
• 地域自治とモホーク族の主権の支持
私たちは、アクウィサスネのモホーク族の主権を認め、その闘争に連帯するため、彼らの領土を通過するルートを選択しました。モホーク族の政治的伝統は、分権的な合議制や資源の共同管理、女性の政治的役割を重視する点で、未来の社会モデルとしての可能性を示しています。
これに連絡先を添えて、プレスリリースは完成しました。この文書がどれほどの影響を与えたのかは不明ですが、それでも私たちは自分たちの意見を広める努力を続けました。
2001年3月17日 土曜日
ザパティスタに関するイベント
土曜の夜、ニューヨーク市でザパティスタに関する大規模なイベントが開催されました。このイベントでは、映画の上映や、現地に滞在した活動家からの報告が行われました。メキシコシティでの先住民自治権に関する運動について語られた内容は、多くの参加者にとって刺激的なものでした。
ザパティスタに関するイベント
土曜の夜、ニューヨーク市でザパティスタに関する大規模なイベントが開催されました。このイベントでは、映画の上映や、現地に滞在した活動家からの報告が行われました。メキシコシティでの先住民自治権に関する運動について語られた内容は、多くの参加者にとって刺激的なものでした。
その後、いくつかのパーティーが開催され、活動家たちは意見交換を続けました。
2001年3月18日 日曜日
DAN(直接行動ネットワーク)の会議@Charas
DAN(直接行動ネットワーク)の会議@Charas
この日は長時間の会議が行われました。主な議題は、シャーンやOCAP(オンタリオ反貧困センター)との交渉の進捗状況についてでした。
マックは、DANがコーンウォールでの行動を正式に支持することを提案しました。彼は次のように主張しました。「NEGAN(北東グローバル行動ネットワーク)の次回会議が3月31日に開催される前に、この行動を支持すると決定すべきです。そうすることで、参加者が直接行動に向かうことを確実にし、翌日の労働者バスに参加しようとする動きを防ぐことができます。」最終的にDANは、コーンウォールでの行動を正式に支持することを決定しました。
会議ではまた、フライングパン(Frying Pan)という会場で計画されている資金集めのパーティーや、トロント・グローブ・アンド・メールの記事についても議論されました。さらに、4月1日のメディアイベントに関する詳細な計画が発表されました。このイベントは、エイプリルフールの日を利用してユーモアを交えた直接行動を行い、メディアに自分たちのメッセージを伝えるというものでした。
エイプリルフールの行動計画
エノスが計画の概要を次のように説明しました:
「最近のトロント・グローブ・アンド・メールの記事は、私たちが受けている報道の典型例です。それは、私たちを暴力的で、破壊的で、誰も代表していない無法者の集団として描いています。そのため、私たちは、自分たちがどのような存在で、何を目指しているのかを示すために、このようなユーモアを交えた行動を思いつきました。この行動は、単に無害なジョークではなく、メディアに注意を引きつけるための重要な手段です。」
エノスが計画の概要を次のように説明しました:
「最近のトロント・グローブ・アンド・メールの記事は、私たちが受けている報道の典型例です。それは、私たちを暴力的で、破壊的で、誰も代表していない無法者の集団として描いています。そのため、私たちは、自分たちがどのような存在で、何を目指しているのかを示すために、このようなユーモアを交えた行動を思いつきました。この行動は、単に無害なジョークではなく、メディアに注意を引きつけるための重要な手段です。」
この計画には、複数のメンバーが参加を表明しました:
• エノスはジョージ・ブッシュ大統領に扮する。
• ニッキーはドル紙幣の衣装を着る。
• ジュリー(Urban Justice Leagueのメンバー)は遺伝子組み換えトマトになる予定。
• エノスはジョージ・ブッシュ大統領に扮する。
• ニッキーはドル紙幣の衣装を着る。
• ジュリー(Urban Justice Leagueのメンバー)は遺伝子組み換えトマトになる予定。
準備の進行
私自身は、その週のほとんどを、ケベック行きの準備に費やしました。車をレンタルする方法を調べたり、同乗者を探したりしました。何人かが興味を示しましたが、最終的に参加することになったのは、フリーCUNYコレクティブのドワイゼルを含む4人だけでした。
私自身は、その週のほとんどを、ケベック行きの準備に費やしました。車をレンタルする方法を調べたり、同乗者を探したりしました。何人かが興味を示しましたが、最終的に参加することになったのは、フリーCUNYコレクティブのドワイゼルを含む4人だけでした。
ヤ・バスタ!の次回の会議には参加せず、翌週末のケベック行きに備えました。
章のまとめ
「Chapter 1: New York Diary」では、ニューヨークを拠点とする活動家たちが、FTAA(アメリカ大陸自由貿易地域)に反対する抗議行動に向けた計画を練り、準備を進める様子が詳細に描かれています。ケベック行きの議論や国境を越える際の困難、地元のコミュニティや他の活動家との連携、さらにはユーモアを取り入れた創造的な抗議行動の計画など、多岐にわたる課題に取り組む彼らの姿勢は、直接行動運動の多様性と実践的な哲学を示しています。
「Chapter 1: New York Diary」では、ニューヨークを拠点とする活動家たちが、FTAA(アメリカ大陸自由貿易地域)に反対する抗議行動に向けた計画を練り、準備を進める様子が詳細に描かれています。ケベック行きの議論や国境を越える際の困難、地元のコミュニティや他の活動家との連携、さらにはユーモアを取り入れた創造的な抗議行動の計画など、多岐にわたる課題に取り組む彼らの姿勢は、直接行動運動の多様性と実践的な哲学を示しています。
この章はまた、内部の議論や調整のプロセス、メディア対応の試み、さらには活動家たちの個性と人間味にも焦点を当てています。それにより、直接行動運動が単なる抗議の枠を超えて、文化的・政治的な創造性の場であることが強調されています。