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北海道の歴史

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https://takiji-library.jp/march151928/
「一九二八年三月十五日」の多喜二のノート原稿には、「我がプロレタリアート前衛の闘志に捧ぐ。」という献辞があり、原稿の末尾には執筆の経過が以下の ように書かれています。
 「一九二八――五、二六から七、一七夜迄。にて完了。『一刀一拝』的に ! 約五十日間。東京から帰って、すぐ筆をとる。七、二一(第一回訂正ヲナス。)八、一七に清書終了。」とある。

 ノートには、作中人物のモデルになった人々の氏名が、小樽警察の留置場周辺の見取図とともに書きのこされている。「龍吉―古川、渡―渡辺、鈴本―鈴木、 阪西―大西、斉藤―鮒田、高橋、石田―X(理想的な人物に、伊藤信二)、柴田―新米、工藤―__ 、佐多―寺田」。「理想的人物に」のところには、「渡―渡辺」と線で結ばれている。以上の人々は、小樽の三・一五事件で検挙された人たちで、当時、作者と も近い関係にあった人々が多い。
 龍吉の古川友一は、一九二七年の秋、小林多喜二が加わった社会科学研究会の主宰者で、労働農民党員、小樽の労働運動にも関係の深い理論家。鈴木源重は、 小樽合同労働組合の委員長であり、また渡のモデルといわれている渡辺利右衛門は、小樽合同の組織部長で、組合の中心的な働き手でした。

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