# 人類の幼年期と決別する
人類の歴史は大部分が闇に閉ざされています。ホモ・サピエンスは約20万年前から存在していますが、私たちが知っているのはほんの一部の期間に過ぎません。例えば、アルタミラ洞窟では紀元前25000年から15000年の間、少なくとも1万年以上にわたって芸術作品が制作されていましたが、その時代に何が起きていたのかはほとんど分かりません。
このような人類史の空白について考える機会は日常生活では少ないものです。しかし、世界の混乱や人間の残酷さ、戦争や搾取、無関心などの問題に直面したとき、私たちは「人間は太古から今のようだったのか、それともどこかで間違ってしまったのか」という問いを持つことがあります。
これは本質的に神学的な議論であり、「人間は生まれながらに善か悪か」を問うています。しかし、「善」と「悪」は人間同士を比較するための概念であり、人間の本性がそもそも善か悪かを議論することには意味がありません。それは人間が本来太っているか痩せているかを議論するのと同様です。
それにもかかわらず、先史時代から教訓を得ようとするとき、人々はこうした問いに戻ってきます。キリスト教の解釈では、かつて無垢だった人間が原罪によって汚染されたという考えがあります。同様に、ジャン=ジャック・ルソーの『人間不平等起源論』も現代に広く影響を与えています。
このルソー的な見方によれば、人類は狩猟採集民として小さな平等な集団で無邪気に暮らしていたが、「農業革命」と都市の出現によって「文明」と「国家」が生まれ、それと同時に家父長制、奴隷制、軍、大量殺戮、官僚制など、あらゆる悪が現れたとされています。この見解は単純化されているものの、現代の多くの議論の基礎となっています。
一方、トマス・ホッブズの『リヴァイアサン』は、人間の自然状態を「孤独で貧しく、つらく残酷で短い」ものと描写しています。ホッブズ主義的な考え方では、この悲惨な状態から抜け出せたのは、まさにルソーが不満を持っていた政府や裁判所、官僚機構、警察といった抑圧的機構のおかげだと主張します。「政治」「礼儀正しい」「警察」などの言葉がギリシャ語の「ポリス」(都市)に由来しているように、都市生活には人間の本能を抑制する仕組みが必要だという考え方です。
現代のホッブズ主義者によれば、人間社会は常にヒエラルキーと支配、利己主義を基礎としており、集団は短期的な本能よりも長期的利益を優先することを学んできたと主張します。
本書ではこの二者択一を乗り越えることを目指します。これらの議論は人類史の一般的な流れを説明するものとしては、1)真実ではなく、2)不吉な政治的含意を持ち、3)過去を必要以上に退屈なものにしています。
このように、本書は過去数十年の考古学、人類学などの研究に基づいて、より希望に満ちた興味深い人類史の説明を試みるものです。これまでとは全く新しい視点から、過去3万年の間に人類社会がどのように発展してきたかを照らし出そうとしています。
# 本書の試み:新しい人類史の探求
本書は、従来の人類史の語りとは一線を画した、希望に満ちた新しいストーリーを提示しようとする試みです。過去数十年間の考古学、人類学、その他関連分野の研究成果に基づき、人類社会の発展に関して全く新しい視点を提供します。
## 従来の歴史観との違い
従来の定説では、農耕以前の人類社会は単純な平等主義的小集団だとされてきました。しかし現在の研究では、狩猟採集民の世界は実際には多様な社会的実験の場であり、様々な政治形態が存在していたことが明らかになっています。
また、農耕の開始も必ずしも私有財産の誕生や不平等への不可逆的なステップではありませんでした。初期の農耕共同体の多くは、階級やヒエラルキーから比較的自由だったのです。さらに驚くべきことに、最古の都市の多くも強固な平等主義に基づいて組織され、権威主義的統治者や官僚制を必要としていませんでした。
こうした新たな知見が世界中から集まってきており、研究者たちは民族誌や歴史資料を新たな視点から再検証するようになっています。これらの情報は、全く異なる世界史像を描き出す可能性を秘めていますが、現在のところ一部の専門家以外には知られていません。
## 本書の目的
本書の目的は、これらの断片的な知見を組み合わせ、新たな歴史像の構築を始めることにあります。すべてのピースが揃っているわけではなく、この作業は膨大で重要な意味を持ちます。このプロセスを開始することで、すぐに明らかになるのは、一般的に「常識」とされている歴史観(ホッブズやルソーの流れを汲むもの)が、実際の事実とほとんど関係がないということです。
新たな情報を理解するためには、データの整理だけでなく、概念的な転換も必要です。そのためには、社会進化の観念(人類社会が狩猟採集→農耕→都市・産業社会という段階を経て発展するという考え)の起源に立ち返る必要があります。
## 先住民による批判の再評価
社会進化論的な考え方は、18世紀初頭に生まれたヨーロッパ文明批判への保守的反動に根ざしています。しかし、この批判の源流は啓蒙思想家ではなく、ネイティブアメリカンの政治家カンディアロンクのようなヨーロッパ社会を観察した先住民にあります。
「先住民による批判」を再検討することは、西洋哲学の枠組みの外から来る社会思想を真剣に受け止めることを意味します。西洋の哲学者たちは先住民を「高貴な野蛮人」か「未開人」のどちらかに分類する傾向がありますが、いずれの見方も真の対話を妨げています。本書では先史時代の人々を、現在も生きていて会話できるかのように扱い、歴史の法則を演じる駒としてではなく、主体性を持った存在として描きます。
## ホッブズとルソーの歴史モデルの政治的問題点
ホッブズのモデル(人間は本質的に利己的で競争的だとする見方)は現在の経済システムの基本的前提となっています。この見方では、人間の「生得的な」蓄積や自己顕示の衝動に対する統制を強化することしかできません。
一方、ルソーの物語(無垢な平等主義的原初状態から不平等へと堕落したとする見方)は、一見より楽観的に見えますが、現在のシステムの問題点を認めつつも、実質的な変革は不可能だとする議論に利用されています。
## 「不平等」という問題設定の限界
2008年の金融危機以降、「不平等」の問題が大きな議論となっています。社会的不平等のレベルが受け入れがたいほど上昇し、世界の多くの問題が富める者と貧しい者の間の格差拡大に起因しているという認識は、知識人や政治家の間でコンセンサスとなりつつあります。
しかし、「不平等」という問題設定自体が、既存の権力構造にとって脅威とならない方法で議論を枠づけています。以前のように「資本の集中」や「階級権力」の枠組みで問題を捉えるのではなく、「不平等」という言葉は中途半端な対策や妥協を促します。資本主義の打倒や国家権力の変革は具体的にイメージできても、「不平等の解消」が何を意味するのかはあいまいなままです。
「不平等」という用語は、テクノクラート的改良主義の時代に適応した問題の枠組み方であり、真に変革的なビジョンが不在であることを前提としています。この枠組みでは、ジニ係数などの数値を操作し、税制や社会福祉の仕組みを微調整することはできますが、不平等社会の本質的な問題—一部の人間が富を権力に変換すること、特定の人間の必要が無視されること、誰かの人生に価値がないとされることなど—には触れません。これらは大規模で複雑な社会の必然的な帰結とみなされ、程度の問題にすり替えられるのです。
## 新たな視点の必要性
世界史をより正確に、そして希望を持って描くための第一歩は、「エデンの園」のような原初の平等社会というイメージを捨て去ることです。人類が何万年もの間、同じような社会組織を共有していたという考えは非現実的です。
人間が自己創造の能力、自由の能力を持った存在であるならば、様々な社会組織の形態を実験してきたことこそが人間らしさの源泉ではないでしょうか。人類史の究極の問題は、物質的資源への平等なアクセスだけでなく、どのように共に生きるかという決定に貢献する平等な能力にあります。
本書は、人類を想像力に富み、知的で、遊び心のある生き物として扱い、集団的自己創造のプロジェクトとして人類史にアプローチします。なぜ私たちは自らを再創造する可能性を想像することさえできないほど、思考の枠組みに囚われてしまったのでしょうか。この問いから出発し、新たな人類史の探求を始めます。
# 人類の幼年期と決別する:学習会レジュメ
## 1. 従来の人類史観の限界
- 人類の歴史は20万年以上あるが、我々が知るのはごく一部
- 「人間本来の性質」について、主に2つの伝統的見解がある:
- ルソー的見方--:狩猟採集時代は平等で無垢→農業・都市で不平等や抑圧が生まれた
- ホッブズ的見方--:自然状態は「孤独で貧しく残酷」→統治機構により秩序が生まれた
## 2. 新しい人類史観の必要性
- 最新の考古学・人類学研究は上記の二項対立を覆している
- 初期の人類社会は多様で創造的な社会実験の場だった
- 農耕の開始は必ずしも不平等への一方通行ではなかった
- 最古の都市の多くは平等主義的な組織形態を持っていた
## 3. 「不平等」という問題設定の限界
- 2008年以降、「不平等」が主要な社会問題として議論されている
- しかし「不平等」という枠組み自体が変革を阻む:
- 数値的な調整や技術的解決策のみを促す
- 構造的問題(富の権力への変換、一部の人々の排除)に触れない
- 不平等を大規模社会の「不可避な帰結」と見なし諦めを促す
## 4. 本書の目的と視点
- 人類史を「集団的自己創造のプロジェクト」として捉え直す
- 先住民による西洋文明批判を再評価する
- 先史時代の人々を主体性を持った存在として描く
- 真の問題は物質的資源だけでなく「共に生きる方法を決定する平等な能力」
## 5. 新しい人類史への道筋
- 原初の「エデンの園」的な平等社会という神話を捨てる
- 人間を想像力豊かで実験的な存在として理解する
- 過去の多様な社会形態から学び、新たな可能性を探る
- なぜ現代人は自らを再創造する可能性を想像できなくなったのかを問う
## 討論テーマ
1. 現代社会の問題を考える際、「不平等」という枠組みの限界とは何か
2. 先史時代の社会組織から学べることは現代にどう活かせるか
3. 「人間本来の性質」という考え方自体に問題はないか
1. 現代社会の問題を考える際、「不平等」という枠組みの限界とは何か
2. 先史時代の社会組織から学べることは現代にどう活かせるか
3. 「人間本来の性質」という考え方自体に問題はないか
〈中断〉