当時の軍の理解
2005/ 4/ 6 21:04 [ No.31795 / 39216 ]
投稿者 :
ja2047
ja2047
歩兵第七連隊『戦闘詳報』
自十二月十三日 至十二月二十四日 南京城内掃蕩成果表 歩兵第七連隊
自十二月十三日 至十二月二十四日 南京城内掃蕩成果表 歩兵第七連隊
一、 | 射耗弾 | 小銃 | 五,〇〇〇発 |
重機関銃 | 二、〇〇〇発 | ||
二、 | 刺射殺数(敗残兵) | 六、六七○ | |
三、 | 鹵獲品 | (略) |
(『南京戦史資料集Ⅰ』P524)
日本軍の公式書類では「敗残兵」と書いていますね?
もう一つ、これより前の命令。
六旅団作命甲第138号
12月13日午後4寺30分
南京城内掃蕩要領
12月13日午後4寺30分
南京城内掃蕩要領
- (略)
- (略)
- 遁走する敵は大部分、便衣に化すると判断せられるをもって、その疑いがある者はことごとく検挙し適宜の位置に監禁す。
掃蕩実施に関する注意
- 軍司令官注意事項を一兵に至るまで徹底せしめたる上、掃蕩を実施すべし。
- 外国権益の建物を敵がこれを利用しある場合の外、立ち入りを厳禁す。重要なる箇所には歩哨を配置すべし。
- 掃蕩隊は残敵を掃蕩を任とし必ず将校(准尉を含む)の指揮する部隊をもって実施し、下士官兵以下、各個の行動を絶対に禁ず。
- 青壮年は全て敗残兵または便衣兵とみなし、全てこれを逮捕監禁すべし。青壮年以外の敵意の無い支那人民、とくに老幼婦女子に対しては寛容の心をもって接し、彼らをして皇軍の威風に敬迎させよ。
「敗残兵または便衣兵」と書いてあるので、この二つは別と思う人もあるかもしれないが、全体をよく読めば、「遁走する敵は大部分、便衣に化すると判断せられるをもって」と言うところからも、「遁走して便衣と化した敵」とは「敗残兵」のことであると言うことは理解してもらえると思います。
「便衣と化した敵」を摘出して、処分した記録には「敗残兵」と書いてありましたね?
さらにその後の命令
第9師団 歩兵第6旅団 歩兵第7連隊
歩七作命甲第一一一号
歩兵第七連隊命令
十二月十五日午後八時三〇分
於 南京東部連隊本部
歩七作命甲第一一一号
歩兵第七連隊命令
十二月十五日午後八時三〇分
於 南京東部連隊本部
- 本十五日迄捕獲したる俘虜を調査せし所に依れは殆と下士官兵のみにて将校は認められさる状況なり
将校は便衣に更へ難民地区に滞在しあるか加し - 連隊は明十六日全力を難民地区に指向し徹底的に敗残兵を捕捉殲滅せんとす
憲兵隊は連隊に協力する筈 - 各大隊は明十六日早朝より其担当する掃蕩地区内の掃蕩特に難民地区掃蕩を続行すへし
第三大隊は部下各中隊より各一小隊を出し第一大隊長の区署を受けしむへし - 戦車第一中隊及軽装甲車第七中隊は待機すへし
- 予は十六日午後以降最高法院西方約一粁赤壁路連隊本部に在り
連隊長 伊佐大佐
下達法 命令受領者に印刷交付す
(『南京戦史資料集1』 P516)
下達法 命令受領者に印刷交付す
(『南京戦史資料集1』 P516)
見ての通り、安全区に潜んでいた中国兵を、当時の日本軍は「敗残兵」と定義しています。
これは メッセージ 31794 ja2047 さんに対する返信です