でりちゃん、それループだ
2005/ 5/25 6:16 [ No.32166 / 39216 ]
投稿者 :
ja2047
ja2047
だからさ、そもそも、殺した背景や理由の記載がない日記の殺した部分だけを投稿して、
「しかし、ひどいね」
というタイトルを付けたことに問題があったということだ。
だからー、
mk9630jp氏の投稿は、堀越日記の
「 [10月6日]
帰家宅東方にいたる。支那人女子供のとりこあり、銃殺す。むごたらしきかな、これ戦いなり。
[11月9日]
捕虜をひき来る、油座氏これを切る。夜に近く女二人、子供ひとり、これも突かれたり。」
を引用して、 「ひどいね」 というコメントを付けただけだ。
mk9630jp氏の投稿は、堀越日記の
「 [10月6日]
帰家宅東方にいたる。支那人女子供のとりこあり、銃殺す。むごたらしきかな、これ戦いなり。
[11月9日]
捕虜をひき来る、油座氏これを切る。夜に近く女二人、子供ひとり、これも突かれたり。」
を引用して、 「ひどいね」 というコメントを付けただけだ。
日記には捕虜と女子供数人を殺害した事実が書かれているだけであり、なぜ殺したのかについては全く触れていない。
「ひどいね」というコメントにしても、記録者自身が「むごたらしきかな」と書いているものを繰り返しただけだよ。
別におかしな付け加えをしたとも言えまい。
「ひどいね」というコメントにしても、記録者自身が「むごたらしきかな」と書いているものを繰り返しただけだよ。
別におかしな付け加えをしたとも言えまい。
殺されたということは、そいつらが敵対行為をした何よりの根拠と考えるのが自然だ。
日本兵に殺そうとする理由があったことまでは理解できるがね、実際に殺したのだから。それが、どこに出しても問題がないだけの理由だったかどうかは、また別なのだよ。
当時は日本軍の中でさえ、捕虜、住民の取扱の基準は、相当混乱していたというのが事実なのだから。
平松鷹史「郷土部隊奮戦史1」(大分合同新聞社) P405~P406
第六師団が抗洲湾に上陸、崑山に直進中、第六師団司令部に
「女、こどもにかかわらずシナ人はみな殺せ。家は全部焼け」という無茶苦茶な命令が届いた。
当時第六師団高級副官であった中佐平岡力(のち少将、鹿児島県護国神社奉賛会常務理事)は「こんなバカな命令があるか」の一言のもとにケ飛ばしてこの命令は宙に消えたままだったが、このデタラメな命令に出所について平岡氏は「柳川兵団からそんなバカな命令が出るはずはない。出所について確認はしていないが、おそらく上海戦で苦戦中の軍司令部あたりが血迷って出した命令だろう」といっている。
第六師団が抗洲湾に上陸、崑山に直進中、第六師団司令部に
「女、こどもにかかわらずシナ人はみな殺せ。家は全部焼け」という無茶苦茶な命令が届いた。
当時第六師団高級副官であった中佐平岡力(のち少将、鹿児島県護国神社奉賛会常務理事)は「こんなバカな命令があるか」の一言のもとにケ飛ばしてこの命令は宙に消えたままだったが、このデタラメな命令に出所について平岡氏は「柳川兵団からそんなバカな命令が出るはずはない。出所について確認はしていないが、おそらく上海戦で苦戦中の軍司令部あたりが血迷って出した命令だろう」といっている。
梶村止「観測小隊長の日記 大陸を戦う」 P38 (野戦重砲兵第十四聯隊所属)
11月29日 晴(待機)
思ふに国民党の徹底抗日の教育充実し、ここ江南地区がもっとも抗日思想激しき処と聞く。
この附近不審の土民は射殺すべしとの内命すらありゐたり。
11月29日 晴(待機)
思ふに国民党の徹底抗日の教育充実し、ここ江南地区がもっとも抗日思想激しき処と聞く。
この附近不審の土民は射殺すべしとの内命すらありゐたり。
山田栴二 日記 歩兵第103旅団・陸軍少将
◇十二月十五日 晴
『南京戦史資料集2』
捕虜の仕末其他にて本間騎兵少尉を南京に派遣し連絡す
皆殺せとのことなり
◇十二月十五日 晴
『南京戦史資料集2』
捕虜の仕末其他にて本間騎兵少尉を南京に派遣し連絡す
皆殺せとのことなり
よほどの敵対行為の現行犯でない限り、住民を殺害すれば虐殺だよ。
よほどの敵対行為の現行犯かもしれないだろ。
よほどの敵対行為だったかどうか、
少なくとも、国際法上の正当性などはあまり気にせずに殺したのではなかろうか。
少なくとも、国際法上の正当性などはあまり気にせずに殺したのではなかろうか。
これは メッセージ 32160deliciousicecoffeeさんに対する返信です