なになにどうして
2005/ 6/ 2 6:11 [ No.32289 / 39216 ]
投稿者 :
ja2047
ja2047
「政治的な思惑」は中国側だと思うんですけどね・・・
中国は相変わらず「政治の国」ですので、政治的なタテマエで発言する人が多いと思います。
日本人はいろいろです。
いくらか政治から自由になっていますが、それでも政治的立場優先の人がいます。
日本人はいろいろです。
いくらか政治から自由になっていますが、それでも政治的立場優先の人がいます。
「日本軍が犯した過ちを真摯に受け止め云々」という具合に・・・
そういう時期は過ぎちゃったのですね。
1980年代の半ばに。
1980年代の半ばに。
旧陸軍将校の親睦組織の機関誌である「偕行」が、
「重ねて言う。一万三千人はもちろん、少なくとも三千人とは途方もなく大きな数である。
日本軍が「シロ」ではないのだと覚悟しつつも、この戦史の修史作業を始めてきたわれわれだが、この膨大な数字を前にしては暗然たらざるを得ない。戦場の実相がいかようであれ、戦場心理がどうであろうが、この大量の不法処理には弁解の言葉はない。
旧日本軍の縁につながる者として、中国人民に深く詫びるしかない。まことに相すまぬ、むごいことであった。」
(「証言による南京戦史」(最終回) <その総括的考察> 「偕行」1985年3月号 P18)
という記事を載せ、
保守派の戦史家であるはずの秦郁彦氏が、
「数字の幅に諸論があるとはいえ、南京で日本軍による大量の「虐殺」と各種の非行事件が起きたことは動かせぬ事実であり、筆者も同じ日本人の一人として、中国国民に心からお詫びしたい。」
(「南京事件 中公新書 1986」
と、書いた段階で、日本のまともな保守派層は一つの結論に達していたはずなのです。
すなわち、
「南京で虐殺はあった。 これは事実として認め、真摯に反省しなくてはならない。だが、30万、40万という数字は事実ではないので認めることは出来ない。」
ここでまとまるのが、一つの道だったのです。
-もちろん、日本国内にも、20万説の学者もいたのですが、日本国内では「1万か、5万か、20万か」で議論して、
30万、40万は学問的には問題にしない、というのでもよかったかもしれません。-
-もちろん、日本国内にも、20万説の学者もいたのですが、日本国内では「1万か、5万か、20万か」で議論して、
30万、40万は学問的には問題にしない、というのでもよかったかもしれません。-
ところが、この時期に、田中正明氏あたりが「活躍」を始めて、「何もなかった」路線を展開してしまうのですね。
偕行記事掲載当時、文部省の検定官が
偕行記事掲載当時、文部省の検定官が
「『偕行』はまことによいものを出してくれた。・・今までのシロだシロだという言い方は、百害あって一利もありません。」(『偕行』1985年 5月号)
と言った、その「百害あって一利もない」路線が、さらに、ネットの時代になって爆発的に広がってしまった。
いまは、こうやってネットに広がってしまったトンデモ論に対する「モグラ叩き」の時代だと認識しています。
つまり不正を糾そうとする使命感やら正義感がある、ということですね。
私がやってるのは 「不正義を糾す」 というような大層なものではなく、「不正確を嗤う」という程度ですので、「使命感」などというものはありません。
解釈、思想は人それぞれなので、そこはあまり問題にしていない。
ただ、真実が事実に優先しちゃってる人には「違うぞ」と言って指摘する。 基本スタンスはその辺です。
ただ、真実が事実に優先しちゃってる人には「違うぞ」と言って指摘する。 基本スタンスはその辺です。
これは メッセージ 32280 babydog1015 さんに対する返信です