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人口は「増えた」のか?

2005/11/26 6:48 [ No.34968 / 39216 ]

投稿者 :
ja2047


でりちゃんが「人口が増えているではないか説」を持ち出したとき
「またか」 と思った人も多いのではないかと思います。
いろいろな人が何度もきちんとした説明を書いているのですが、
いまだに↓こういう主張をする人が跡を絶ちません。
  • 南京の人口は陥落後1ヶ月で20万から25万に増えた。
  • ひどい虐殺が行われていたのなら、これはあり得ない。
  • 彼らは日本軍の保護を求めて帰ってきたというのが事実だ。


言うまでもないことですが、このお話が成立する前提には
1) ラーベ達は実際に人口が増えたと言っている。
2) ラーベ達は難民救済のため、人口を正確に把握していた。
3) 安全区以外の城内は無人であった。
4) 虐殺は、ほとんどが南京城内で行われた。
5) 大規模な城内への流入が可能であった。
という背景が必要です。


実際には、これらの主張はすべて、資料のごく一部を恣意的に解釈したもので、全く根拠がありません。
以下、一つずつ確認していきましょう。

1) ラーベは人口が増えたと言っているのか?

ジョン=ラーベの日記 38年 1月17日
「昨日の午後、ローゼンと一緒にかなり長い間市内をまわった。すっかり気が滅入ってしまった。日本軍はなんというひどい破壊のしかたをしたのだろう。あまりのことに言葉もない。(中略) 難民の数は今や二十五万人と見積もられている。増えた五万人は廃墟になったところに住んでいた人たちだ。かれらは、どこに行ったらいいのかわからない。」
(南京の真実 講談社文庫 P216)

ラーベ日記によれば、
「日本軍の保護を求めて城外から帰ってきた」のではなく、南京城内の安全区以外のところに隠れていた人たちが、「日本軍による破壊から逃れて逃げ込んできた」のです。


2) ラーベは人口を正確に把握していたのか?

上記1月17日の日記に25万人の数字が出てくる3日前、1月14日付の手紙に
ラーベは次のように書いています。
W・マイアー社長の1月3日の手紙への1月14日付の返事
「・・今まで、給食所や食糧の配給所などを設置して、安全区にひしめいている20万の市民をどうにか養ってこられました。・・・」(南京の真実 講談社文庫 P208)
これが、1月17日の日記では、下記のように25万になっているわけです。
「今や二十五万人と見積もられている。増えた五万人は廃墟になったところに住んでいた人たちだ。」

ラーベが常に人口を正確に把握していたのなら、3日で5万の人が増えたことになります。後述するように日本軍が城門の通行を制限している中で、このようなことはあり得ません。

だいいち、次に示すように、ラーベは「予想が間違っていた」と明確に書いています。
「ついに安全区がいっぱいになったとき、私たちはなんと二十五万人の難民という「人間の蜂の巣」に住むことになりました。最悪の場合として想定した数より、さらに五万人も多かったのです。」
(ヒトラーへの上申書 ジョン=ラーベ 1938年6月8日 「南京の真実」 講談社文庫 P342)

ラーベは人口を正確に把握していたわけではない。 自分でも見込みが間違っていたと書いています。


これは メッセージ 34967 ja2047 さんに対する返信です

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