もしも願い事が一つ、必ず叶うとしたら。
今の貴方は……何を願ってくれますか?
今の貴方は……何を願ってくれますか?
◇
――主が倒れた。
彼がそれを伝えられたのは、屋敷を出る前日の事だった。
「年齢には敵わないという事かな。もう長くないらしい」
「そう、ですか……」
主の自室。主は大きなベッドの上で横たわっている。
ベッドに対し小さすぎるように見える主。彼はまるで世間話のように、自分の死期を告げる。
未練の一つでもあるだろう。それなのに、その口調に絶望はない。
それが、悲しかった。自分が無理をさせている、そう感じさせるせいで。
「君とは違い、私は人を悲しませる事しか出来ないようだ。残念な事だよ」
「……人間、誰しもそういうものですから。自分だっていつかは」
「確かに、そうだな」
主の浅い溜め息。
「ホープは、どうしている?」
「今は自室に。相当ショックだったみたいです」
「そうか……せっかくあの子の笑顔が見られたのに、悲しませてしまっては本末転倒、か」
もう一つ、今度は深い溜め息。
彼は、主にホープの笑顔という最高のプレゼントを贈る事が出来た。
自分が生きているうちは見る事もないだろう、そう告げていた笑顔。
どんな宝石よりも美しく輝いた、あの笑顔。
……主が、何を考えているのかは分からない。
だが、たった一つ、主は彼に告げる。
「ホープの、新しい契約者になってくれないか?」
「え?」
思わず耳を疑う一言。
出会って一ヶ月ほどしか経たない彼に告げられた、重い使命だった。
「私が死んだ後、あの子の笑顔を取り戻すのは容易な事ではないかも知れない。だが、君なら……君ならそれを全うしてくれる、
そう思うんだ」
その言葉にお世辞はない。
主は、真剣に自分の思いの丈を告げている。
目を見れば、一目瞭然だ。
「し、しかし……自分は旅をして生計を立てています。あの子に満足な生活を与えてあげられるかどうか……」
「私の財産の一部も譲る。私に付き添ってくれた家族にも分けたいから、全てとはいかないが」
「そんな……いえ」
遠慮の言葉を、喉で止める。
彼の財産がホープに与えられるのは至極普通の事だから。
「……少しだけ、考えさせてください」
それでも、彼には答えを出す事が出来なかった。
ホープのマスターになることの重荷に、自分が耐えられるのか。
自分自身の事なのに、それが分からなかった。
「そう、だな。私も結論を急いでしまったようだ。すまない」
「いえ……こちらこそ、はっきりした答えを出せずに」
「いいんだ。あの子の事をそれだけ真剣に考えてくれている、そうだろ?」
主の笑顔。
「……ありがとうございます」
その笑顔で、彼の気も少しだけ楽になった。
だが少しだけだ。目の前に立つ大きな問題は、今も突きつけられている。
――人生の分かれ道。
そんな言葉が、彼の頭を過ぎる。
「失礼します」
ノックの音と声。
執事が、一礼の後部屋に入ってくる。
「ホープ様が、貴方に会いたいと」
彼がそれを伝えられたのは、屋敷を出る前日の事だった。
「年齢には敵わないという事かな。もう長くないらしい」
「そう、ですか……」
主の自室。主は大きなベッドの上で横たわっている。
ベッドに対し小さすぎるように見える主。彼はまるで世間話のように、自分の死期を告げる。
未練の一つでもあるだろう。それなのに、その口調に絶望はない。
それが、悲しかった。自分が無理をさせている、そう感じさせるせいで。
「君とは違い、私は人を悲しませる事しか出来ないようだ。残念な事だよ」
「……人間、誰しもそういうものですから。自分だっていつかは」
「確かに、そうだな」
主の浅い溜め息。
「ホープは、どうしている?」
「今は自室に。相当ショックだったみたいです」
「そうか……せっかくあの子の笑顔が見られたのに、悲しませてしまっては本末転倒、か」
もう一つ、今度は深い溜め息。
彼は、主にホープの笑顔という最高のプレゼントを贈る事が出来た。
自分が生きているうちは見る事もないだろう、そう告げていた笑顔。
どんな宝石よりも美しく輝いた、あの笑顔。
……主が、何を考えているのかは分からない。
だが、たった一つ、主は彼に告げる。
「ホープの、新しい契約者になってくれないか?」
「え?」
思わず耳を疑う一言。
出会って一ヶ月ほどしか経たない彼に告げられた、重い使命だった。
「私が死んだ後、あの子の笑顔を取り戻すのは容易な事ではないかも知れない。だが、君なら……君ならそれを全うしてくれる、
そう思うんだ」
その言葉にお世辞はない。
主は、真剣に自分の思いの丈を告げている。
目を見れば、一目瞭然だ。
「し、しかし……自分は旅をして生計を立てています。あの子に満足な生活を与えてあげられるかどうか……」
「私の財産の一部も譲る。私に付き添ってくれた家族にも分けたいから、全てとはいかないが」
「そんな……いえ」
遠慮の言葉を、喉で止める。
彼の財産がホープに与えられるのは至極普通の事だから。
「……少しだけ、考えさせてください」
それでも、彼には答えを出す事が出来なかった。
ホープのマスターになることの重荷に、自分が耐えられるのか。
自分自身の事なのに、それが分からなかった。
「そう、だな。私も結論を急いでしまったようだ。すまない」
「いえ……こちらこそ、はっきりした答えを出せずに」
「いいんだ。あの子の事をそれだけ真剣に考えてくれている、そうだろ?」
主の笑顔。
「……ありがとうございます」
その笑顔で、彼の気も少しだけ楽になった。
だが少しだけだ。目の前に立つ大きな問題は、今も突きつけられている。
――人生の分かれ道。
そんな言葉が、彼の頭を過ぎる。
「失礼します」
ノックの音と声。
執事が、一礼の後部屋に入ってくる。
「ホープ様が、貴方に会いたいと」
彼は、この手の暗い話が苦手だ。
だが向き合わなければならない事実。主だけではなく、自分にもやがて訪れる事なのだから。
それでも、ホープの顔を見るのが辛かった。
「失礼します」
ドアをノック。
「……どうぞ」
ドア越しから聞こえるホープの声を確認し、室内へ。
部屋は暗かった。明かりが灯っていないだけではなく、空気自体が暗い。
ホープは、椅子に座っていた。ただそれだけ。
月明かりで見える表情は、涙を堪えているようにも伺える。
胸が締め付けられる気分に襲われる。わずかに目を逸らす彼。
「あー……どうした?」
黙っていても始まらない。まず一言声をかける。
わずかな沈黙……ホープが静かに口を開く。
「こちらに、来て頂けませんか?」
黙ってホープの傍に寄る。彼女を見下ろすぐらいの距離まで。
「ありがとうございます……」
袖を引かれる感触。
彼の腕に、ホープが顔を埋める。
「他の人には、どうしても甘えられなくて……ごめんなさい」
「いや……」
その先の言葉が出てこない。
「急すぎます、よね」
「……ああ」
「せっっかく、あんなに喜んでくれたのに……まだ、お父様に色んな事、してあげたいのに……」
親孝行、そんな言葉が頭を過ぎる。
今まで笑顔を向けてあげる事が出来なかった。それでも主を、父として愛していたホープ。
言葉として聞いた事実ではない。だが、それには確信が持てる。
服に染みこむ暖かい涙。こんな涙を流せる相手を、愛していないはずはないのだから。
袖を握る手に、力がこもる。
そんな彼女の頭に、手を添える。今の彼に、出来る事。
「してあげればいいんだよ、色んな事。出来る限り。全部は無理だとしても、な?」
「でも……お父様の顔を見たら、涙が……」
「なら、今のうちに泣いておくんだ」
空色の髪を、ゆっくりと撫でる。
「せめて、最期は笑顔で……な」
容易な事ではないけれど、それが彼に出来る精一杯の誠意。
「……はい」
最期の離別を、笑顔で。それはあまりにも難しい事。
それでも、彼はやるつもりだった。ホープが出来る限りの事をするのなら、自分もやらなければならない、と。
――月が明るい。
やたらと冷たい光で、夜空を照らしている。
わずかに開いたドア。
人影を、月が照らしていた。
だが向き合わなければならない事実。主だけではなく、自分にもやがて訪れる事なのだから。
それでも、ホープの顔を見るのが辛かった。
「失礼します」
ドアをノック。
「……どうぞ」
ドア越しから聞こえるホープの声を確認し、室内へ。
部屋は暗かった。明かりが灯っていないだけではなく、空気自体が暗い。
ホープは、椅子に座っていた。ただそれだけ。
月明かりで見える表情は、涙を堪えているようにも伺える。
胸が締め付けられる気分に襲われる。わずかに目を逸らす彼。
「あー……どうした?」
黙っていても始まらない。まず一言声をかける。
わずかな沈黙……ホープが静かに口を開く。
「こちらに、来て頂けませんか?」
黙ってホープの傍に寄る。彼女を見下ろすぐらいの距離まで。
「ありがとうございます……」
袖を引かれる感触。
彼の腕に、ホープが顔を埋める。
「他の人には、どうしても甘えられなくて……ごめんなさい」
「いや……」
その先の言葉が出てこない。
「急すぎます、よね」
「……ああ」
「せっっかく、あんなに喜んでくれたのに……まだ、お父様に色んな事、してあげたいのに……」
親孝行、そんな言葉が頭を過ぎる。
今まで笑顔を向けてあげる事が出来なかった。それでも主を、父として愛していたホープ。
言葉として聞いた事実ではない。だが、それには確信が持てる。
服に染みこむ暖かい涙。こんな涙を流せる相手を、愛していないはずはないのだから。
袖を握る手に、力がこもる。
そんな彼女の頭に、手を添える。今の彼に、出来る事。
「してあげればいいんだよ、色んな事。出来る限り。全部は無理だとしても、な?」
「でも……お父様の顔を見たら、涙が……」
「なら、今のうちに泣いておくんだ」
空色の髪を、ゆっくりと撫でる。
「せめて、最期は笑顔で……な」
容易な事ではないけれど、それが彼に出来る精一杯の誠意。
「……はい」
最期の離別を、笑顔で。それはあまりにも難しい事。
それでも、彼はやるつもりだった。ホープが出来る限りの事をするのなら、自分もやらなければならない、と。
――月が明るい。
やたらと冷たい光で、夜空を照らしている。
わずかに開いたドア。
人影を、月が照らしていた。
◆
運命という奴は、どうにも人の都合を考えていない。
ホープとの約束すらも、無理矢理に無かったものにしてしまう。
――誰が想像したか。医者が長くないと言ったら、次の日に永眠などと。
答えすら告げられなかった……廊下の壁に、彼の脚がぶつかる。
自分は今、きっと怖い顔をしている。そう思うと、ホープに会う事が出来なかった。
どうすればいい、何をすればいい……もう、自分の役目も見えてこない。
「笑顔が、遠ざかってゆく。そんなところでしょうか」
突然の声。
振り返ってみると、先ほどまでホープの世話をしていた執事の姿。
同様に、彼の顔も暗い。
「どうもここ数年は良い年ではありません。悪い事ばかりが、続いています」
「そう、ですね……」
表情を隠すように俯く彼。
「……今日は雷雨が酷いですね」
窓から見える風景。
灰色の雲が空を覆い尽くし、水滴が窓を叩く。
時折聞こえる雷鳴。先ほどより、音は近づいてきている。
何もかもが、薄暗い日だ。
「……フランスの青を、ご存じでしょうか?」
執事の口から出た言葉。
「王族に伝わる、青色のダイヤモンドだそうです。一度見てみたいものですね」
「それが……どうかしましたか?」
「いえ。ただホープ様の傍にいて、それを思い出しただけです。あまり暗い事ばかりですと、私も仕事に支障が出てしまうので……
気晴らしに」
それだけを告げると、執事は彼に背を向けた。
ホープとの約束すらも、無理矢理に無かったものにしてしまう。
――誰が想像したか。医者が長くないと言ったら、次の日に永眠などと。
答えすら告げられなかった……廊下の壁に、彼の脚がぶつかる。
自分は今、きっと怖い顔をしている。そう思うと、ホープに会う事が出来なかった。
どうすればいい、何をすればいい……もう、自分の役目も見えてこない。
「笑顔が、遠ざかってゆく。そんなところでしょうか」
突然の声。
振り返ってみると、先ほどまでホープの世話をしていた執事の姿。
同様に、彼の顔も暗い。
「どうもここ数年は良い年ではありません。悪い事ばかりが、続いています」
「そう、ですね……」
表情を隠すように俯く彼。
「……今日は雷雨が酷いですね」
窓から見える風景。
灰色の雲が空を覆い尽くし、水滴が窓を叩く。
時折聞こえる雷鳴。先ほどより、音は近づいてきている。
何もかもが、薄暗い日だ。
「……フランスの青を、ご存じでしょうか?」
執事の口から出た言葉。
「王族に伝わる、青色のダイヤモンドだそうです。一度見てみたいものですね」
「それが……どうかしましたか?」
「いえ。ただホープ様の傍にいて、それを思い出しただけです。あまり暗い事ばかりですと、私も仕事に支障が出てしまうので……
気晴らしに」
それだけを告げると、執事は彼に背を向けた。
◆
静まりかえった屋敷。
時折響く雷鳴が、やたらとうるさく耳に入る。
雷はかなり近い。閃光と音が、ほとんど同時に伝わってくるほどだ。
――窓に映る自分の顔。
笑顔など、浮かべられるはずもなかった。
あまりにも悲しくて、彼にすがった。なのにまた涙が溢れてきてしまう。
止められなかった。降りしきる雨と同じように、止む気配はない。
手に握りしめた小さな物……彼が初めて教えてくれた、手品の小道具。
主に見せてあげたかったのに、結局彼のように上手くできる事はなく……。
……彼に、会いたい。また、彼の腕にすがりたい。
知り合って間もない彼に、心を委ねたい。
そう、願っていた……願っていたのに。
――雷が、見えた。
時折響く雷鳴が、やたらとうるさく耳に入る。
雷はかなり近い。閃光と音が、ほとんど同時に伝わってくるほどだ。
――窓に映る自分の顔。
笑顔など、浮かべられるはずもなかった。
あまりにも悲しくて、彼にすがった。なのにまた涙が溢れてきてしまう。
止められなかった。降りしきる雨と同じように、止む気配はない。
手に握りしめた小さな物……彼が初めて教えてくれた、手品の小道具。
主に見せてあげたかったのに、結局彼のように上手くできる事はなく……。
……彼に、会いたい。また、彼の腕にすがりたい。
知り合って間もない彼に、心を委ねたい。
そう、願っていた……願っていたのに。
――雷が、見えた。
◆
森に落ちた雷。
しかも場所は近い。すでに煙が窓の外から見える。この酷い雨の中で、火の手が上がっているのだ。
静かだった屋敷は途端に慌ただしくなる。柩を乗せた馬車が、屋敷を離れてゆく。
それを窓から見送る彼。のんびりしている余裕などない。
――二度目の落雷。
彼は、雷を初めて間近で見た。
近くの木が火を放ちながら砕け、屋敷に倒れ込む。
『どうもここ数年は良い年ではありません。悪い事ばかりが、続いています』
執事の言葉に、彼は同意した。
魔女狩りなどという下らない風習で、一時期は仕事をやめていた。
重税で、手持ちの金もすぐ逃げていった。
この前入った店では虫入りのスープを出され、店長と小一時間喧嘩をした。
とにかくロクでもない数年間。それ故に、ここでのひとときは本当に幸せだった。
それが何かに壊されていくような、そんな不安が、彼の心に渦巻く。
――感傷に浸っている暇はない。
すでに、屋敷に火の手が回っているのだから。
しかも場所は近い。すでに煙が窓の外から見える。この酷い雨の中で、火の手が上がっているのだ。
静かだった屋敷は途端に慌ただしくなる。柩を乗せた馬車が、屋敷を離れてゆく。
それを窓から見送る彼。のんびりしている余裕などない。
――二度目の落雷。
彼は、雷を初めて間近で見た。
近くの木が火を放ちながら砕け、屋敷に倒れ込む。
『どうもここ数年は良い年ではありません。悪い事ばかりが、続いています』
執事の言葉に、彼は同意した。
魔女狩りなどという下らない風習で、一時期は仕事をやめていた。
重税で、手持ちの金もすぐ逃げていった。
この前入った店では虫入りのスープを出され、店長と小一時間喧嘩をした。
とにかくロクでもない数年間。それ故に、ここでのひとときは本当に幸せだった。
それが何かに壊されていくような、そんな不安が、彼の心に渦巻く。
――感傷に浸っている暇はない。
すでに、屋敷に火の手が回っているのだから。
先の落雷で、使用人のほとんどは避難していた。
だが人のいない屋敷なのに、やたらと賑やかだ。赤い光が、窓から差し込む。
煙の臭いも酷い。目に見えずとも、こちらに火が近づいているのは明らかだ。
そして、古い屋敷故だろう、先ほどから建物全体に軋む音が響いている。
崩れるか……彼の頭を過ぎる不安。
そして一人の少女の顔。
「……ホープっ」
彼女はすでに逃げているかも知れない。
それでも、不安が拭えなかった。嫌な冷たさが、彼の身体を襲う。
彼女の部屋だけでも確認を……しかしそれは、一度来た道を戻る事。
火の回っている方へ、自分から向かうという事……。
――彼女は人形。平気だろう。
雑念を、すぐに振り払う。
こんな事を考えた自分を、殴りたくなった。
その戒めも込めた行動。来た道を振り返り、また戻る。
ホープがいるかも知れない、彼女の部屋へ。
案の定、煙が廊下を包み込んでいる。息苦しい。
それでも足を止める訳にはいかない。手で口を押さえ、時折咳き込みながら、窓から差し込む光を頼りに進む。
彼女と初めて出会ったときの顔。儚げでいて、そして寂しそうな顔。
彼女に手品を見せたときの顔。まるで子供のように驚き、仕掛けを必死に考えようと悩む顔。
彼女に手品を教えたときの顔。自分の不器用さに落ち込みながらも、こちらの言葉を必死に理解しようとした、真剣な顔。
……そして、あのときの笑顔。人を幸せな気持ちにする、優しい笑顔。
たった数週間の出会いで、ホープは彼に色々な顔を見せてくれた。
そんな事ばかりが、頭を巡る。どうしても離れない、ホープの表情。
煙が目に染みる。目が潤む。視界もまともに確保出来ない。
「……フランスの青。ブルーダイヤモンドは、呪われているんです」
声。
常に冷静で、やや冷たい印象すら持つ、あの声。
振り返ると、いつも通りの表情を浮かべた執事が、こちらを見据えていた。
「持ち主に、次々と厄災を与える呪い。きっとこの国にも、近々厄災が訪れるでしょう」
これだけ煙の酷い中で、彼は平然と喋っている。
……妙な胸騒ぎが、彼を襲う。
「ホープ様は、その宝石をモチーフに作られたのですよ。希望という、全く逆の名前を付けて」
「何を……言ってるんですか」
「……彼女に課すのは、真の絶望。それは幸福を知らなければ得られぬ事なのです」
宝石、絶望、幸福。
それらの繋がらない単語に、彼は混乱する。
「……幸福の時間は終わりです。私の作品は、絶望を以て完成する。それが彼女の、ブルーダイヤモンドの呪い」
怒りが、込み上げる。
「ホープは、全ての人から忘れ去られなければならない。それが絶望へ繋がるのだから……だから、君も」
我慢が出来なかった。
気付いたときには、力の限りを振り絞って、彼に殴りかかっていた。
拳が、彼の胸を打つ。
――妙な重み。そして湿った感触。胸に突き立てられたナイフ。
「なっ……」
執事は、すでにこの世の人ではなかった。
「いいか、忘れるんだ。私は自分の手を汚したくないのだから……」
声が響く。人影は見えない。
だが、確かに気配は感じる。彼の近くに、男が一人。
――屋敷の軋む音。
ホープの顔が、また頭を過ぎる。
「……あんた」
言いたい事はあった。多すぎて、何から言えばいいのか分からないほどに。
だがそれは重要じゃない。ホープに出会う事が、今の目的なのだから。
呪いなど関係ない。早く、彼女の安否を確認したかった。
再び火の手の方へ歩き出す彼。
気配は一つ、彼自身のもの……。
だが人のいない屋敷なのに、やたらと賑やかだ。赤い光が、窓から差し込む。
煙の臭いも酷い。目に見えずとも、こちらに火が近づいているのは明らかだ。
そして、古い屋敷故だろう、先ほどから建物全体に軋む音が響いている。
崩れるか……彼の頭を過ぎる不安。
そして一人の少女の顔。
「……ホープっ」
彼女はすでに逃げているかも知れない。
それでも、不安が拭えなかった。嫌な冷たさが、彼の身体を襲う。
彼女の部屋だけでも確認を……しかしそれは、一度来た道を戻る事。
火の回っている方へ、自分から向かうという事……。
――彼女は人形。平気だろう。
雑念を、すぐに振り払う。
こんな事を考えた自分を、殴りたくなった。
その戒めも込めた行動。来た道を振り返り、また戻る。
ホープがいるかも知れない、彼女の部屋へ。
案の定、煙が廊下を包み込んでいる。息苦しい。
それでも足を止める訳にはいかない。手で口を押さえ、時折咳き込みながら、窓から差し込む光を頼りに進む。
彼女と初めて出会ったときの顔。儚げでいて、そして寂しそうな顔。
彼女に手品を見せたときの顔。まるで子供のように驚き、仕掛けを必死に考えようと悩む顔。
彼女に手品を教えたときの顔。自分の不器用さに落ち込みながらも、こちらの言葉を必死に理解しようとした、真剣な顔。
……そして、あのときの笑顔。人を幸せな気持ちにする、優しい笑顔。
たった数週間の出会いで、ホープは彼に色々な顔を見せてくれた。
そんな事ばかりが、頭を巡る。どうしても離れない、ホープの表情。
煙が目に染みる。目が潤む。視界もまともに確保出来ない。
「……フランスの青。ブルーダイヤモンドは、呪われているんです」
声。
常に冷静で、やや冷たい印象すら持つ、あの声。
振り返ると、いつも通りの表情を浮かべた執事が、こちらを見据えていた。
「持ち主に、次々と厄災を与える呪い。きっとこの国にも、近々厄災が訪れるでしょう」
これだけ煙の酷い中で、彼は平然と喋っている。
……妙な胸騒ぎが、彼を襲う。
「ホープ様は、その宝石をモチーフに作られたのですよ。希望という、全く逆の名前を付けて」
「何を……言ってるんですか」
「……彼女に課すのは、真の絶望。それは幸福を知らなければ得られぬ事なのです」
宝石、絶望、幸福。
それらの繋がらない単語に、彼は混乱する。
「……幸福の時間は終わりです。私の作品は、絶望を以て完成する。それが彼女の、ブルーダイヤモンドの呪い」
怒りが、込み上げる。
「ホープは、全ての人から忘れ去られなければならない。それが絶望へ繋がるのだから……だから、君も」
我慢が出来なかった。
気付いたときには、力の限りを振り絞って、彼に殴りかかっていた。
拳が、彼の胸を打つ。
――妙な重み。そして湿った感触。胸に突き立てられたナイフ。
「なっ……」
執事は、すでにこの世の人ではなかった。
「いいか、忘れるんだ。私は自分の手を汚したくないのだから……」
声が響く。人影は見えない。
だが、確かに気配は感じる。彼の近くに、男が一人。
――屋敷の軋む音。
ホープの顔が、また頭を過ぎる。
「……あんた」
言いたい事はあった。多すぎて、何から言えばいいのか分からないほどに。
だがそれは重要じゃない。ホープに出会う事が、今の目的なのだから。
呪いなど関係ない。早く、彼女の安否を確認したかった。
再び火の手の方へ歩き出す彼。
気配は一つ、彼自身のもの……。
不思議な現象だった。
煙で噎せ返りながら辿り着いたホープの部屋には、全く火の手が上がっていなかった。
古びた屋敷に似合わぬ、新調された内装。
父親の愛が伝わる、そんな部屋……全て、そのままの状態で残っている。
廊下はすでに炎が見え隠している。だが、彼女の部屋には煙すら侵入していない。
ホープの創造主の力なのだろう……怒りが、胸の中で渦巻く。
「ホープ!」
そして、彼女はそこにいた。
ただ静かに佇み、涙が絨毯を濡らすのも気にせず、ただ涙をこぼして。
「……来ないで」
彼に告げられた、拒絶の言葉。
「全部……わたしが、いけなっ……いけないんです……」
「……呪いの事、か?」
ゆっくりと頷く。
「お父、様が……そう……言って……わたし、は……不幸の……」
違う……そう言ってあげたかった。
だが、どんな言葉も、彼女の創造主が告げた事実の前では無意味だ。
言わずとも、それははっきりと分かる。分かるから、あまりにも悔しい。
「だから……早く、逃げて……貴方は……」
懇願。
彼女は、創造主が下した運命を、華奢な身体で受け止めようとしていた。
――こんなにも強い悲しみを受けたのは、いつぶりだろうか。
「……君の父親は、この屋敷の主だろ」
言葉が見つからなかった。
「俺、君のお父さんに言われたんだ。ホープの新しい契約者になって欲しい、って」
もう自分に出来る事ではないのも分かっていた。
「最初は、迷ったさ。今の生活を維持してあげる事なんて出来る訳ないし、何より俺は旅芸人だ。ホープの面倒をまともに見られる自信、無かったよ」
それ以上の問題が、すでに彼を襲っていた。
「でもさ……君のお父さん、俺なら笑顔を取り戻せるって、そう言ってくれた」
それも、出来る事ではないだろう。
偽りの言葉にしかならない。その偽りの言葉を告げる事が、彼に出来る唯一の事だった。
「……呪いから、解放してやる」
出来るのか? 出来ないだろう。
出来る訳がないのだ、そんな事。
「それが、ホープの笑顔を取り戻す方法だと、思うから……」
一緒にいたら、きっと彼女を不幸にさせる。
いや、それは言い訳なのかも知れない。彼女の傍にいたくない、自分への。
……雑念を、振り払う。
必死になって、振り払う。
「……どうして、優しく……してくれるんですか?」
わずかな沈黙の後、彼女が呟く。
「わたし達……まだ……何も……知らない、のに」
涙は、止まらない。
いや、この先一生止まる事はないのかも知れない。
……彼女の手。握られた、小さなコイン。
互いを知らぬ者同士を繋ぐ、唯一の絆。
「ホープは、俺の……初めての、教え子だから」
出来る限りの作り笑いで、そう答えた。
それが、精一杯だった。
「で、でも、俺はまだまだ未熟だ。だから呪いを解く方法探しながら、もっと、すごい手品考えるから」
ホープの顔。涙は止まらない。
「ポケットから城だって、いつか出してやるさ。そしたらいつでも王様になれる。俺としても万々歳だ」
せめて、今この一瞬だけでも、彼女涙を止めたい。
思いを込めた、言葉。
「そのときに……見て欲しいんだよ、君に」
声が上ずる。
目頭が熱い。
煙で目が染みたのとは違うのに、視界がぼやける。
悲しくはない。悲しみなんて、自分には似合わない物だから。
ただ、悔しかった。それだけのこと。
――激しく降る、雨の音。
――屋敷の倒壊する、破壊音。
それでも、この部屋は静かだった。
この部屋だけ、時が止まっていた。
「……ポケットに、色々詰め込んでくる。だから……」
煙で噎せ返りながら辿り着いたホープの部屋には、全く火の手が上がっていなかった。
古びた屋敷に似合わぬ、新調された内装。
父親の愛が伝わる、そんな部屋……全て、そのままの状態で残っている。
廊下はすでに炎が見え隠している。だが、彼女の部屋には煙すら侵入していない。
ホープの創造主の力なのだろう……怒りが、胸の中で渦巻く。
「ホープ!」
そして、彼女はそこにいた。
ただ静かに佇み、涙が絨毯を濡らすのも気にせず、ただ涙をこぼして。
「……来ないで」
彼に告げられた、拒絶の言葉。
「全部……わたしが、いけなっ……いけないんです……」
「……呪いの事、か?」
ゆっくりと頷く。
「お父、様が……そう……言って……わたし、は……不幸の……」
違う……そう言ってあげたかった。
だが、どんな言葉も、彼女の創造主が告げた事実の前では無意味だ。
言わずとも、それははっきりと分かる。分かるから、あまりにも悔しい。
「だから……早く、逃げて……貴方は……」
懇願。
彼女は、創造主が下した運命を、華奢な身体で受け止めようとしていた。
――こんなにも強い悲しみを受けたのは、いつぶりだろうか。
「……君の父親は、この屋敷の主だろ」
言葉が見つからなかった。
「俺、君のお父さんに言われたんだ。ホープの新しい契約者になって欲しい、って」
もう自分に出来る事ではないのも分かっていた。
「最初は、迷ったさ。今の生活を維持してあげる事なんて出来る訳ないし、何より俺は旅芸人だ。ホープの面倒をまともに見られる自信、無かったよ」
それ以上の問題が、すでに彼を襲っていた。
「でもさ……君のお父さん、俺なら笑顔を取り戻せるって、そう言ってくれた」
それも、出来る事ではないだろう。
偽りの言葉にしかならない。その偽りの言葉を告げる事が、彼に出来る唯一の事だった。
「……呪いから、解放してやる」
出来るのか? 出来ないだろう。
出来る訳がないのだ、そんな事。
「それが、ホープの笑顔を取り戻す方法だと、思うから……」
一緒にいたら、きっと彼女を不幸にさせる。
いや、それは言い訳なのかも知れない。彼女の傍にいたくない、自分への。
……雑念を、振り払う。
必死になって、振り払う。
「……どうして、優しく……してくれるんですか?」
わずかな沈黙の後、彼女が呟く。
「わたし達……まだ……何も……知らない、のに」
涙は、止まらない。
いや、この先一生止まる事はないのかも知れない。
……彼女の手。握られた、小さなコイン。
互いを知らぬ者同士を繋ぐ、唯一の絆。
「ホープは、俺の……初めての、教え子だから」
出来る限りの作り笑いで、そう答えた。
それが、精一杯だった。
「で、でも、俺はまだまだ未熟だ。だから呪いを解く方法探しながら、もっと、すごい手品考えるから」
ホープの顔。涙は止まらない。
「ポケットから城だって、いつか出してやるさ。そしたらいつでも王様になれる。俺としても万々歳だ」
せめて、今この一瞬だけでも、彼女涙を止めたい。
思いを込めた、言葉。
「そのときに……見て欲しいんだよ、君に」
声が上ずる。
目頭が熱い。
煙で目が染みたのとは違うのに、視界がぼやける。
悲しくはない。悲しみなんて、自分には似合わない物だから。
ただ、悔しかった。それだけのこと。
――激しく降る、雨の音。
――屋敷の倒壊する、破壊音。
それでも、この部屋は静かだった。
この部屋だけ、時が止まっていた。
「……ポケットに、色々詰め込んでくる。だから……」
――待っていてくれ。
その言葉の意味……今は、何も出来ない。
ポケットの中に、何も詰まっていないから。
花も、コインも、お城も……呪いを解く術も。
ホープの涙を止める術は、何もない。
ホープの笑顔を取り戻す術も、持っていない。
「……待っています」
それなのに、ホープは笑ってくれた。
偽りの言葉ばかりを並べた、彼に向けて。
涙が止まる事はなかった。それでも……。
……ありがとう。
その一言が、嗚咽で消えてしまう。
その一言が、告げられなかった……。
ポケットの中に、何も詰まっていないから。
花も、コインも、お城も……呪いを解く術も。
ホープの涙を止める術は、何もない。
ホープの笑顔を取り戻す術も、持っていない。
「……待っています」
それなのに、ホープは笑ってくれた。
偽りの言葉ばかりを並べた、彼に向けて。
涙が止まる事はなかった。それでも……。
……ありがとう。
その一言が、嗚咽で消えてしまう。
その一言が、告げられなかった……。
もしも願い事が一つ、必ず叶うとしたら。
その願いは、ひとつ……。
その願いは、ひとつ……。
小さな町に、大道芸人が来た。
革命の騒ぎで娯楽の欠けていたところにきた知らせは、わずかながらでも周りを明るくさせた。
「じゃあ、ここで一つとっておきのをやってみましょう」
人集りの中で芸を披露する男が一人。
「そこのあなた、手のひらを拝借してもよろしいでしょうか。出来れば両手を」
子供の両手が、彼に差し出される。
「ありがとうございます。さて、この少年の手のひらに僕の手のひらを載せると、みんなが喜ぶある物が出てきます。君、ちょっと
目を瞑ってくれるかな?」
彼の言う通りに目を瞑る少年。
「それじゃあ早速……ワン、ツー、スリー!」
自分の両手を1回叩く。
同時に頭からこぼれるコイン。
……苦笑が、周りから漏れる。
「さぁ、目を開けてみてください」
トリックを知らない少年は、彼の手に現れたコインを見て驚いている。
しかし周りの苦笑は止まらない。
「いかがだったでしょうか。では次、あなたです。さぁお手を拝借」
コインを子供に手渡し、苦笑を浮かべていた女性の一人を指名。
彼女も素直に手を差し出す。
「じゃあ、次は皆さん目を開けたままでどうぞ。それじゃあ……ワン、ツー、スリー!」
同じように手を叩く。
頭からコインはこぼれない。
……何もなかった彼の手に、3枚のコインが現れている。
今度は苦笑じゃない、拍手が周りから漏れる。
「ありがとうございます。それじゃあ次は……」
革命の騒ぎで娯楽の欠けていたところにきた知らせは、わずかながらでも周りを明るくさせた。
「じゃあ、ここで一つとっておきのをやってみましょう」
人集りの中で芸を披露する男が一人。
「そこのあなた、手のひらを拝借してもよろしいでしょうか。出来れば両手を」
子供の両手が、彼に差し出される。
「ありがとうございます。さて、この少年の手のひらに僕の手のひらを載せると、みんなが喜ぶある物が出てきます。君、ちょっと
目を瞑ってくれるかな?」
彼の言う通りに目を瞑る少年。
「それじゃあ早速……ワン、ツー、スリー!」
自分の両手を1回叩く。
同時に頭からこぼれるコイン。
……苦笑が、周りから漏れる。
「さぁ、目を開けてみてください」
トリックを知らない少年は、彼の手に現れたコインを見て驚いている。
しかし周りの苦笑は止まらない。
「いかがだったでしょうか。では次、あなたです。さぁお手を拝借」
コインを子供に手渡し、苦笑を浮かべていた女性の一人を指名。
彼女も素直に手を差し出す。
「じゃあ、次は皆さん目を開けたままでどうぞ。それじゃあ……ワン、ツー、スリー!」
同じように手を叩く。
頭からコインはこぼれない。
……何もなかった彼の手に、3枚のコインが現れている。
今度は苦笑じゃない、拍手が周りから漏れる。
「ありがとうございます。それじゃあ次は……」
夕暮れの路地で、道具を片づける彼。
彼の手品は大盛況だったし、お金もそれなりに儲けた。今日の彼は少しだけ贅沢が出来そうだ。
「なかなか面白い物を見せてもらったよ」
そう語りかけてきたのは、男物の服装に身を包んだ女性。
風貌からして、良い家の出なのだろう。
「まぁ、これが仕事ですから」
疲れた表情一つ見せず、彼は笑う。
「それだけの腕を持って、一人旅とは。この時勢じゃ色々と危険だろう?」
「確かに、身ぐるみ剥がされてもおかしくないかも知れませんね。そのときはまた手のひらからお金出しますけど」
軽い冗談を一つ。
「便利な物だ……だが、弟子の一人でも持ってみようとは思った事ないのかい?」
その言葉に、彼はどこか悲しげな表情を浮かべた。
「……んー、まだ未熟ですから、僕」
「それは謙遜かな?」
「ま、そんなところです。あぁ、一つお尋ねしたいことが」
先ほどと変わらぬ笑顔。
「この町で、図書館とかありますか? 魔術とか、そういうのを調べたいんですけど」
「魔術……そんなのが調べられたら苦労しないと思うのだが」
そんな本が、この国に存在して良い訳がない。
女性は困ったような笑みを浮かべる。
「ま、そうですよね。あぁ、今のは他言無用で。それじゃあ今日の宿を探さないとけないので、これで」
図書館の事を尋ねた後、彼は足早にその場を去ってしまう。
「変わった男だな」
自分が魔術のような事をやっているのに、何故今更調べるのか。
本当に変わった男だと、溜息をつく。
「アメジストー、何してるの?」
空から颯爽と現れる少女。
「……いや、別に」
彼女に向ける微笑み。
――また、変わった人間と出会った。
彼の手品は大盛況だったし、お金もそれなりに儲けた。今日の彼は少しだけ贅沢が出来そうだ。
「なかなか面白い物を見せてもらったよ」
そう語りかけてきたのは、男物の服装に身を包んだ女性。
風貌からして、良い家の出なのだろう。
「まぁ、これが仕事ですから」
疲れた表情一つ見せず、彼は笑う。
「それだけの腕を持って、一人旅とは。この時勢じゃ色々と危険だろう?」
「確かに、身ぐるみ剥がされてもおかしくないかも知れませんね。そのときはまた手のひらからお金出しますけど」
軽い冗談を一つ。
「便利な物だ……だが、弟子の一人でも持ってみようとは思った事ないのかい?」
その言葉に、彼はどこか悲しげな表情を浮かべた。
「……んー、まだ未熟ですから、僕」
「それは謙遜かな?」
「ま、そんなところです。あぁ、一つお尋ねしたいことが」
先ほどと変わらぬ笑顔。
「この町で、図書館とかありますか? 魔術とか、そういうのを調べたいんですけど」
「魔術……そんなのが調べられたら苦労しないと思うのだが」
そんな本が、この国に存在して良い訳がない。
女性は困ったような笑みを浮かべる。
「ま、そうですよね。あぁ、今のは他言無用で。それじゃあ今日の宿を探さないとけないので、これで」
図書館の事を尋ねた後、彼は足早にその場を去ってしまう。
「変わった男だな」
自分が魔術のような事をやっているのに、何故今更調べるのか。
本当に変わった男だと、溜息をつく。
「アメジストー、何してるの?」
空から颯爽と現れる少女。
「……いや、別に」
彼女に向ける微笑み。
――また、変わった人間と出会った。
……誰もいない路地。
了