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名も無き乙女の昔話7

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「お姉ちゃ~ん」

幼いマスターが駆け寄ってくる。私の至福の瞬間。
誰かに必要とされているということ。誰かを必要としていること。
それを実感できる瞬間。
生まれたときから一緒に生きてきた。
生活の全てをともに過ごしてきた。
私の全てと言える存在。
彼の母親には、実は申し訳なく思っている……。

「すっかり貴女に夢中ね……」
「ごめんなさい……。私ばっかり……」
「いい子に育っているから……よろしいのではなくて? それに……貴女の元のマスターを私が奪ってしまったわけだし……」

宝石乙女と人が共に生きていく時に、マスターとその伴侶との軋轢は避けられない話として伝わっている……。
私たちは、人間の女性から見れば嫉妬の対象となりやすい。
長い寿命。その容姿は色褪せることなく。初めて会った時の姿のまま。立ち居振る舞いもそのまま。
マスターだけを見て、マスターだけに忠誠と愛情を傾ける。
それは……多くの男性が望む理想だから……。

事実、貴族と呼ばれる家庭では
『男子たるもの、宝石乙女に人形以上の興味をもつことを禁じる』
などという家訓を遺す家も多く。そういう家に嫁いだ姉妹はその家の男性との関わりを禁じられ
女性たちの話し相手や、子供の躾、教育の係りとして【家】に属していることが多く。
男性と関わりを持つ場合は、まれに慰み者として扱われている場合もある。
私たち宝石乙女は嫁ぎ先を自ら決めることが出来ない場合が多く。
決して、全ての姉妹が幸せに生きているわけではない。

私とて、元のマスターは【家】を存続させる為に遠縁の女性を娶り。子を成し、先祖から受け継いだものを未来へと繋いだ。
愛を交わしていても、彼の隣に立つことは私には許されなかった……。
時々、私を造った創造主を恨むことがある……。
なぜ、私たちをただの人形としてくれなかったのか。
なぜ、心を持たせたのか。

考えても答えの出ないことを悩む……。
こんなに辛い思いをするなら……わたし……心なんていらなかった……。

涙で視界がぼやける。が、胸に飛び込むマスターの重さに現実に引き戻される。

「お姉ちゃん、早かったでしょ。頑張って走ったんだよ」
「はい。早くなりましたね。とっても上手でしたよ」
「うん。いつか、父様より早く走れるようになるんだ。剣も馬も父様より上手になるんだよ」
「そうですね。いっぱい稽古しましょうね。マスターは強い子ですから、父様より上手になれますよ」
「うん! そうしたら、お姉ちゃんは僕のお嫁さんになってくれる?」
「お嫁さん……ですか?」
「うん、そうだよ。僕、一生懸命 頑張るから。たくさん稽古するから。父様より強い男になってお姉ちゃんと結婚するんだ」
「そうですか……私をお嫁さんにしてくれるんですか……。 はい。 では、私はマスターが立派になって迎えに来てくれる日を楽しみにしていますね」

不意に視界がぼやけた。同じ涙でも、なんと甘美な……。

「お姉ちゃん? どうしたの? 痛い? おなか痛いの?」
「大丈夫ですよ。お姉ちゃんも強いですから。ちょっと、目にゴミが入りました……」
「僕が直してあげる。痛いの痛いの飛んでケー! ね、大丈夫? まだ痛い?」
「はい。直りました。ありがとう、マスターは良い子ですね」
「えへへ。 ね、お姉ちゃん。指きりしようよ」
「指きりですか?」
「うん。お姉ちゃんは僕のお嫁さんになってくれるっていう約束。絶対だよ」
「はい。約束しましょう……」

守られることの無い約束と知りながら……私は幼いマスターの夢を壊さないように指きりの誓いを交わした……。
その姿が、元のマスターと彼の伴侶の目にどう映っているかも知らずに……。


数日後、久しぶりに元のマスターから呼び出された。はて……? 奥方との関係から考えても
私を必要とはしていないはずだけど……。私から『お情け』をせがんだ覚えはないし……。

「久しぶりだな……。奥の手前、以前のように振舞うわけにはいかなくてな。すまない……」
「変ったわね……。以前は、そんなことで頭を下げる貴方ではなかったでしょうに……。
 仕方の無いことよ……私は……宝石乙女……。人の願望が造りあげし幻……。
 幻を相手にしていては……血が途絶えるわ……【家】を護る事を良しとすることを否定するつもりも無いし
 それを基に貴方を責めるつもりも無いわ……仕方の無いことなのよ……貴方も私も……」
「そうか……。しかし、これから私が言う言葉を聞けば……私を恨むことになるのだろうな……」
「本当に変ったわね……もったいぶって言葉を濁す人じゃなかったのに……」
「では、単刀直入に言おう。当家からお前を放逐する。とは言え、長年 当家に対して尽くしてくれたお前に対して僅かでも報いたい。
 当家の親戚筋に受け入れてくれる家がある。そこに行ってもらう……。
 すまない……それが私に出来る精一杯なんだ……」
「それが……私に対する仕打ちなのね……。あの時、私に囁いた言葉は嘘だったのかしら?」
「あの時の気持ちに嘘は無い! 私を責めないでくれ……【家】を守る為には仕方の無いことなんだ……」
「【家】ね……。これ以上の嘘はいらないわ。奥様が怖いのでしょう? 私から……あの子まで奪うのね……」
「お前が、誓いを立てるからだ……。それが奥の機嫌を損ねた……。【家】をタテに言われては……私に、それを断る言葉は無い」
「私のかつてのマスターは確かにいなくなったのね……新しいマスターにも……もう会えないのね……。
 出立はいつかしら?」
「迎えの馬車は、もう来ている。荷物も、すでに積み込んだ。あとは、お前が乗るだけだ」
「手回しが良いこと……。さようなら……可愛そうな人……しがらみの中で不自由な人生を送るのね……」

元のマスターにも この家にも未練は無かった。ただ、誓いを交わした幼いマスターの行く末だけが案じられた。

「さよならを言うことすら出来ないなんてね……」

長く過ごした城を見つめていた……。その姿が見えなくなるまで……。



新しい【家】は存外に居心地が良かった。新しいマスターは初めから私に興味を示さなかった。
私は子供たちと遊び、奥方と世間話に興じ、使用人からは可愛がられ、
ある意味、宝石乙女としてあるべき扱いを受けていた。
お人形として……。

穏やかな城の中での生活を送る。世間の出来事など関係の無い世界。
胸を熱くすることも無い、平穏で退屈な日々……このまま、ここで朽ちていくのだろうか……。

数年が経ち、ここの暮らしにも慣れた頃。奥方との世間話で世間の不穏な動きがあることが分かった。
国王が崩御され、新しい国王を即位させるに当り。貴族の間で互いに擁立する候補が分かれたそうな。
国を二分する戦いに発展しそうな動きがあることを奥方は嘆いていた……。
私が、かつて身を寄せていた家とも敵味方に分かれてしまうとのこと。
まったく、男たちというものは主義・思想が異なれば家族でさえも斬るというのか……。
私を愛してくれたあの子も……剣を取って戦うのだろうか……。
久しぶりに胸の奥が疼いた……。

国王候補の暗殺未遂が起こり、戦端が開かれるまでに、時間はかからなかった。


マスターは戦場へ出向いた。連日、前線から戦況の報告とマスターの生存が伝えられる。
その手紙の中には、親戚の新しい当主がめざましい活躍をしてマスターの勢力が圧されていることが書かれていた。
『いまいましいやつ』
マスターの手紙にはそう書かれていた。
そう……あの子が戦場に出ているの……。マスターや家族には内緒で無事を祈らずにはいられなかった。

戦況はこちらにとって悪くなっているようだった。このまま負けることがあれば、城に居る私たちも無事では済まないと手紙は告げていた。
ある日の手紙に、私にとっては不幸な出来事が書かれていた。
『いまいましいやつが行方不明となった。いまこそ反抗の時。』
あの子が行方不明……戦場でのそれは……死を意味する。
私は、湧き上がる悲しみの感情を抑え切れなかった……。


部屋に引篭もり、悲しみにくれる日々を過ごす。いつものドレスの下に黒衣を重ねていることは、気心の知れた奥方と私の秘密になっていた。
マスターからの手紙には華々しい戦況が書かれており、あの子のその後は記されていなかった。


ある日、来客の訪れに城が賑わっていた。いったい、誰が来たというのか。まあ、なにがあっても私の悲しみを癒してくれることは無いだろう。
私は祈りを捧げたあと、いつもと同じように昔を思い出しては涙にくれる時を過ごした。
静かな時を打ち破る音が聞こえてきたのは、そのときだった。

「さあ、出ていらっしゃい。涙で曇った瞳では未来を見ることが出来ないわよ。変わらぬ友情をくれた貴女に私からのプレゼント。さあ、出ていらっしゃい」

奥方が興奮した様子で、瞳を輝かせて静寂を打ち破った。いまの私に何を与えてくれるというのだろうか……。


部屋から出て、身なりを整えさせられる。宝石乙女らしく、美しくきらびやかに飾られる。いまの私には不似合いだ……。
通された部屋には、奥方の他にもう一人いた。入口に背を向けて、たくましい男性がソファーでくつろいでいた。
おもむろに男性が立ち上がり、私を振り返った。
ああ……その瞳には見覚えがある……まっすぐに私を見つめて……私の言葉を疑うことも無く……私だけを見つめてくれる瞳……
ああ……なんてこと……なんということでしょう……生きていたのね……

「何をためらっているのかしら? そこに居るのは間違いなく貴女が会いたかった人よ。もう黒衣は要らないの。
 貴女はこの家に充分に尽くしてくれたわ。もういいの。もういいのよ。これから先、どう生きていくのかは二人で決めなさい。
 誰にも遠慮はいらないのよ。男は戦死。女は悲しみのあまりに世を儚んだのよ。誰も、貴方達を責めることは無いし、追いかけることも無いわ。
 もう、自由にしていいのよ」
「いいのですか? 私は宝石乙女……必要とされる家に嫁ぎ、愛玩される存在……そんな私が……幸せになってもいいのですか?」
「誰も、宝石乙女の生き方を決めることなんて出来やしないんだよ。昔も今も。僕が家も身分も捨てる為には死ぬしかなかったんだ……。
 ちょっと、はりきりすぎて有名になっちゃったものだから、偽装は大変だったよ。でも、やっと自由になれた……。
 お姉ちゃん、迎えに来たよ。僕は……大人になって、貴女を迎えに来たんだ。さあ、一緒に行こう。
 あの時の約束を守ってよ。僕は、約束を果たす為に来たんだ」
「ああ……あの時の幼子が……こんなに大きくなって……」
「僕のお嫁さんになってくれる?」
「I do」

言葉が終わらないうちに抱きついていた。離さない、何があっても。これから先、死が二人を別つとも。私は彼を離さない。

「領地も身分も無くした風来坊でごめんね。それでも、一緒に生きてほしい」
「Yes,My Lord!」

「さあさあ、馬車と当面の生活に必要なものは用意したわ。急ぎなさい。この城も安全では無いのよ。城を出たら東の隣国へ向かいなさい。
 この手紙を持っていって。私の実家だから、協力してくれるわ。私に出来ることはここまで。あとは二人で頑張るのね」
「ありがとう、奥様。私は、ご恩に報いることが出来ません……」
「何を言ってるの? 貴女は私の友達じゃない! 幸せになってね、きっとよ!」
「はいっ! きっと……必ず!」
「お世話になりました。きっと、二人で幸せになります」
「ええ! もちろんよ。この国のことは忘れなさい。不幸な過去も、戦場の辛さも。全部置いて行きなさい。
 しっかし、あの無邪気な子がしたたかな男に育ったこと! 嬉しいじゃないの。 20年も想いを忘れないなんてさ。
 手紙を貰った時は驚いたけど。いい男になったわね。あんたの父親や、うちの旦那みたくならないでね。さあ、急ぎなさい」

城の裏手から馬車を走らせた。かつて、こうして離れる城を見つめた時は悲壮感に押しつぶされそうになったものだけど、
今は、爽やかな風に髪をなびかせて心地好い揺れに身を任せている。

「落ち着いたら、畑を耕して暮らしていこうと思う。貧しい暮らしになって、贅沢はさせられないけれど……」
「きらびやかなドレスも、美しい髪飾りも私には必要がありません。私は、私を必要としてくれる人と共に生きていくことが最高の贅沢なんです。
 それに、私は宝石乙女。大地の祝福を受けた存在です。二人で耕す畑は実り豊かになるでしょう」

私の伴侶はにっこりと笑った。無邪気な頃の面影もそのままに。
私は宝石乙女。本当に私を求めてくれるマスターに全てを捧げる。
私は宝石乙女。人生なんて、どう転ぶか分からないものね。

願わくは、全ての姉妹がマスターと幸せな出会いを果たして、幸せな思い出を積み重ねることができますように……。





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