「『キング・クリムゾン・ザ・ワールド』!」
装い新たに、魔神の真価を発揮する
ディアボロ。
全周取り巻く物質が崩落し、光無き黒の世界が場を支配する。
切り離された時の中、荒木はにへらにへらとした顔で、徐倫に対し嫌味か何かを言っているようだが、大した問題ではない。
(俺が一番遠い位置になるように、奴は立っていた)
ディアボロのスタンドの射程距離は、近距離型という特色を考慮に入れても圧倒的に短い。
本来ならばある程度接近してから時を飛ばすのだが、そうも言っていられない。
挑発に専念し、動きを止めている今がチャンスなのだから。
この好機を逃したら、おそらく次はない。
何より『時の加速』――同じく時を支配下に置くディアボロは、その言葉を誰より不安視していた。
近付きながら人差し指の先端を噛み切り、拳を振るって血飛沫を荒木の眼球に浴びせる。
体感ではまだ猶予がある。思い切り詰め寄り、存分に猛攻を仕掛け――
「うっ!」
「!?」
――ようとした頃には既に、世界は元の様相を取り戻していた。
(時を飛ばせる時間が短い! 加速のせいか!)
ディアボロが取り戻した、いや、新たに得た異能に問題はない。
荒木の力の余波は、天地万物全てに及ぶ。
そう、万物。荒木の視界を奪った血液が乾くのもすぐだ。
全く無防備と言うわけでもなし、今すぐ致命傷を与えるのは難しいだろう。
血を拭う隙に蹴り飛ばし、出来る限り離れようとする。
「徐倫! 全員を糸で結びつけろ!」
リゾットが叫ぶが、その意図が分からないほど、徐倫は怒りに身を任せてはいなかった。
戻ってくるディアボロ含め、ぐるぐる巻きにする。
人間の視覚は前方にしか働かない、背後を取られれば蹂躙される。
荒木の能力は、その基本的で初歩的な必勝法を難なくこなせてしまえる。日はとっくに昇っているが、朝飯前だ。
背中を守り、視界を広げる。
同時に行うには、リゾットの言うとおり全員を束ねるのが最適。
出来るならヴィジョンを顕わにし荒木を殴りつけてやりたいが、徐倫はぐっとこらえる。
ダメージのフィールドバックを考慮に入れても、花京院より適しているのは確か。
「飛べ!」
『キング・クリムゾン』と『ホワイトスネイク』の脚力を利用した跳躍。
民家の屋根に影が映る――のを確認する前に、5人は屋根に乗っていた。
「スタンドの動きは通常通り……」
荒木はアナスイらの最期は犬死だと侮辱したが、かなりの収穫があった。
『メイド・イン・ヘブン』の有する俊敏性は認めざるをえまい。
しかしながら、見切れないほど速いのは、なにも荒木だけではなかった。
誰一人として、アナスイの、
F・Fの肉片が大地に降りかかる『過程』を見ることが出来なかったのだ。
もちろん、徐倫が拾い上げたDISCとて例外ではない。
「だが、物理現象なら『時の加速』に対応するッ!」
加速は、生物のみが例外なのだろう、と判断するにふさわしい材料。
人が重力に従い落下する分には、荒木と同等の早さを得られるということだ。
ならば山なりの軌道を描き続ければ、落下の際、移動するスピードは互角。パワー型が2、3人いてこそ出来る力づくの策。
ただし、スタンドの動きそのものは人間同様、加速に対応できていない。
その分、飛び上がる動き、初動は刻み刻み、荒木との差を縮めていく。
「一先ず時間を稼げ! 時間さえ稼げば、策はあるッ!」
考案者のリゾットも、時間稼ぎと割り切っている。
第一、逃げるだけでは根本の解決にはならない。
再度の慣れない着地、落下の早さに足をくじかせそうになりながら、ディオが尋ねる。
ディオに耳打ちするリゾット。
顔色は、酸素欠乏もあるのだろうが、決して優れたものではなかった。
頭を下げるのを厭うからでもない。
「なるほど。……時間がかかる。だが、必ずやり遂げてやろう」
「僕たちにも、説明してください」
「駄目だ。こればかりは悟られたら負ける」
最善尽くしても、運否天賦の要素を切り離せないからだろう。
だが、仮にも各々の命が懸っているのに、天に全てを任せられるものか。
「だが、失敗の可能性はどうあがいても拭えん」
従えば勝てる、と誤解されかねないリゾットの発言にディオが補足を加える。
自尊心が高いディオが、作戦に欠かせないと頼みこまれてなお、この反応。
戦いとは、常に二手、三手先を読んで行うものだ。
しかし、だからこそと言うべきか、相手の行動原理があやふやならば戦術も戦略もあったものではない。
皆、荒木のそもそもの目的や、理念を一切知らぬまま。
息をするように陰険なことをしでかす荒木に、急ごしらえの戦術がどこまで通用するだろうか。
「決して、気を取られるな。この先何があろうと……」
戦意を高揚させるのは、リゾットにはあまり向いていない。
それに、荒木に憤怒の炎を持つのは良いが、芯は冷静でなければ自分を焼く。
信頼、誠実、慈悲、情熱、絆、友情、愛――それらを互いに持ち合わせられるほど、関係は出来ちゃいない。
おろか、個人の主義主張も、ろくに知らないままなのだ。
たった一つの策を拠り所とするよりは、自衛の精神を持った方がいい。
自然とそうするだろうし、リゾットとしてもそうであってほしかった。
3回目の着地の頃には、落陽の兆しが見えていた。
落下時間が長い方が、より加速に対応できる。
いざという時のため、高所へ、高所へと移りたい。
4回目の飛躍で、息を合わせるのにもようやく慣れる。
反復しているうち、日が沈んだ。
荒木を探すのに月の光では心もとない。
5回、6回、7回……。
階段を昇るように、とはいかないが、順当に高層住宅の屋上階に上り詰めた。
「……整ったか?」
ディオの質問に首肯するリゾット。
肝心要のディオも、質問するからには、ということなのだろう。
安堵もつかの間。
――肉を切る、小気味いい音が耳に響く。
「うおぉっ!」
『キング・クリムゾン』の手首に一閃、白刃が駆けたかのような傷が出来る。
次いで、赤黒い液体が流れ落ちる――かと思いきや、地面を濡らす結果しか認識できず。
噴き出た量がどの程度か把握できないが、頸動脈を裂かれたのだ、このままでは失血する。
「ちぃっ!」
リゾットが手のひらに傷をつけ、そこから滴る体液をディアボロに浴びせる。
「『
フー・ファイターズ』のスタンドDISC……。同じ群体型のスタンド使いなだけあって、やっぱり君に素質があったか、リゾット・ネェロ」
その意味ぐらい荒木にも汲み取れている。
わざわざ動きを止め、解説しだすほどに、厄介な問題。
付け加えるなら、リゾットの素質には、荒木の考察以上の理由が存在している。
ヴィジョンの特性が似ていることもあるが、リゾットの血中の鉄分濃度が減っている分、リゾットの血液は水に近づいた。
その点を言えば、適合性は融合を果たしたアナスイ以上だ。
ここまで酷似しているなら、アナスイに出来なかった、自らの体液を接着剤として用いることだって。
「完璧に使いこなしたわけではないだろうけど、いちいち肉体を修復されては泥仕合だ」
どの程度馴染んでいるか、というのはあまり問題ではない。
スタンドは精神力、ならば追い詰めるほどに性能が増すこと請け合いだ。
じわじわ追い詰めていくようでは、イタチごっこも加速する。
「ならば僕は、リゾット……君を最初に殺すと宣言しよう」
それを踏まえれば、荒木のこの判断は、至極順当だったろう。
「エメラルド・スプラッシュ!」
花京院が発する碧玉の衝撃波を躱したのち、再び煙に巻かれたように消える荒木。
時の加速の中では、これさえも追いつけない。
荒木も一度姿を見せた故、真っ直ぐ一直線に向かうはずもなく、攪乱させようとランダムに動き回る。
宣告受けたリゾットとて、このまま熟れた作物のように刈り取られるのを待つわけではない。
「空中だ!」
荒木とて羽無き身、蝶のように舞ったり蜂のように刺したりは出来ない。
悪あがきだが、加速に対応しない、荒木からすればスローモーションで浮き続ければ攻め手が減ると判断してのこと。
ビルから飛び降り、星々煌びやかな宙へとその身を委ねる――
「糸が……!」
――のと、ほとんど同時に糸がちぎられ、空中分解、5人の結束が散っていく。
ギリギリで間に合わなかったのだろう、地上には荒木と思しき、壁を駆け上がる影があった。
徐倫が再び、己が細躯を繊維に変えんとするも。
花京院も、己が半身を引き伸ばさんとするも。
「うあっ!」
「ぐっ!」
追いついた荒木が両者を踏み台にして、引き離す。
「これで決まりッ!」
リゾットとの距離を詰め、真っ向する荒木。
ディアボロは射程距離の関係上、攻め込めない。
ディオも、届きはするがパワーががた落ちするだろう。
各々が孤立、孤立、孤立。
(以前と……一緒か?)
誰も、助けてくれやしない。
誰も、救ってはくれない。
荒木も、リスクを最小限にする術は、心得ていたようだ。
(今の俺は、失ったことを嘆くだけの俺か?)
荒木と真っ直ぐに対峙し、向かってくると分かっていても。
リゾットは、何もしない。
為すがまま、落ちるがまま。
(今の俺は、考えるのを止めるのを良しとする俺か?)
『メイド・イン・ヘブン』の腕が、研ぎ澄まされた槍と化し、
正確に、
残酷に、
無慈悲に、
リゾットの心臓を貫く。
えも言えぬ、おぞましい黄色の液体が噴き出した。
「どうした……荒木? それで終わりか?」
リゾットは予見していた。
荒木は、気紛れで予告通り動かない可能性もあるかもしれない。
だが、拾える勝利を捨てるほどマヌケではないし、何より勝利が拾えるという事実は荒木を調子づかせる。
更に『フー・ファイターズ』のことを考慮に入れれば、単純にリゾットでない誰かを狙う理由も乏しい。
「心臓、直撃コースだ……腕を引き抜けば、出血多量で、間違いなく死ぬぞ?」
となれば、自分以外に狙う人物はいないと、リゾットは予見していた。
とは言え荒木はただ、何の考えもなしに殺しにいくだろうか。
頭部に一撃食らわせようものなら、『フー・ファイターズのDISC』が抜け落ちるかもしれない。
流用されるようなことがあれば、無駄骨だ。
首に一撃食らわせたとしたら、備え付けられた爆弾が起爆するかもしれない。
物理現象は通常通り加速についてくる。手痛いしっぺ返しを食らうだろう。
「いいか、『ブッ殺す』って言葉はな……」
「リゾットオオオオオオオオオ! 貴様あああああああああ!」
「弱い考えの奴が、言うことだ……!」
となれば、心の臓腑以外に狙う個所はないと、リゾットは予見していた。
『リゾットの』『心臓を』狙う――リゾットがそれらを予見していたからこそ、ディオは。
花京院の射撃後、『フー・ファイターズのスタンドDISC』を抜いたうえで。
『荒木に攻撃を加えられたら、全ての金属を攻撃された部位に集中させろ』という命令DISCをリゾットに挿した。
あらかじめ、体内や周囲の鉄分を刃物に変えておくことも忘れずに。
磁力はあくまで物理現象、時の加速に対応する。自分に引き寄せても、悟られることはない。
ディオにとっても、リゾットの指示に従うのは気を悪くするほどのことではなかった。
おそらく、プッチ神父さえも出来るか怪しい複雑な命令――『自分の心臓を爆弾に変えて起爆しろ』を作成してのけるディオならば。
命令DISCの強制力、拘束力――それらをプッチ以上に飛躍してみせるのは、必然と言えるだろう。
ハリネズミみたいに、或いはサボテンみたいに、リゾットの腹部から背中に至るまで刃物が貫通している。
更に、体内のことなのでリゾットと荒木以外知る由もないが、心臓付近にも釘や針が突き刺さり、荒木の腕を縫い留める。
引き抜くには難儀することだろう。
重力に従い、皆、大地に叩きつけられる。
時の加速の先導者たる荒木とて例外でなく、万有の法則を覆すには至らない。
「腕を切断すれば、この程度はッ!」
「『法皇の緑』!」
「『ストーン・フリー』!」
離脱、退却、緊急避難。
花京院はどれもさせない、徐倫だってさせるはずがない。
踏み台にしたがゆえ、二人とも先に着地、先手を撃つのに好都合だった。
「何ィッ!」
紐状になった両スタンドが、二重に絡み合い、荒木を拘束する。
一本の糸なら、『ストーン・フリー』に対してやったように切り裂き抜けるのはそう難しいことではない。だが、二本なら。
『メイド・イン・ヘブン』の攻撃パワーは並の上といったところ。一瞬とはいかないだろう。
時の加速が味方しようと、腕力に補正がかかることはない。
「片手だから出来ないとは言わせないぞ、ディオ!」
「フン、軽く見られたものだな!」
すかさず並び立つは、神をも畏れぬ二人の王。
ここから先は、ただの挟み撃ちで、ただの武力行使で、とっておきのダメ出しだ。
「バルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバル」
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄」
憤怒を、激昂を、気迫を雄叫びに乗せ繰り出す拳。
意味がないわけでもない。彼らの痛みは、この地に立つことなかった者たちの痛みは、これでも形容しきれない。
腕が一つなら突きは弱まり、腕が二つなら一面的にしか攻撃できない。
三本ならば、死角なし。
「バルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバル」
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄」
断罪を下す時。
両サイドから攻められ、身動きとれないのなら、時の加速に対応していない乱打でも。
為されるがまま打たれるがまま、見切れるということが逆に恐怖に変貌する。
恐れ慄こうが、身悶える苦痛を味わおうが、あらゆる表情は殴打によって歪にへこむ。
「バルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバル」
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄」
誰もが自分の役割を、ほとんど言葉なしで、意志疎通なしでやりおおす。
並大抵のことではないが、打ち合わせをしたリゾットとディオ以外は、個人個人が思うベストを尽くしただけだ。
花京院がエメラルド・スプラッシュを外したのさえ、荒木に対する無策をアピールするため。
『悟られたら負ける』の逆を行く、『悟られなければ負けない』の体現。
「バルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバルバル」
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄」
一方荒木はかつてのプッチ神父のように、血縁という弱点を付けなかった。
彼らは所詮寄せ集め、縁がないに等しいのだし、そもそも血縁も存在しない。
皆、各々の目的のために荒木と対峙し立ち向かう。
言い換えれば誰一人として、『この場にいる他人』のために戦った者はいなかった。
「ヴァオールインフェルノ!(地獄に行け!)」
「無駄ァッ!」
非情に映るかもしれないが、それ故、付け入る隙がない。
だからこそ、荒木飛呂彦はここで負ける。
『黄金の精神』の元に成り立つ『漆黒の意志』――それこそが荒木飛呂彦を討つ力。
「ブッガアアアアアアア!」
荒木が勢いのまま大地を滑るも、花京院と徐倫は捕縛を緩めず、つられて引きずられる。
燦々と照りつける太陽眩しい中、何人をも天国に導くはずだった男は力尽きた。
それを証明するように、天に昇りつめた火輪も、その流動を止める。
「勝った、な……」
ディオは膝をつきそうになるも、疲労困憊の体に鞭打ち荒木の元へ向かう。
不敵な笑みを浮かべつつ、まだ終わっちゃあいないがな、と、自分に言い聞かせながら。
一方でディアボロは立ち止まり、リゾットの様子を窺う。
およそ生物が流すものとは思えぬ黄色の液体が各所から流れ出るまま、一向に収まらない。
再びDISCを挿し『フー・ファイターズ』に必死の抵抗をさせているが、決壊したダムをせき止めるように無謀な事。
為す術なくリゾットが大の字――左腕がないから語弊があるが――で寝転がっているところ、ディアボロが助言を呈する。
「無理をするな。早くお前の体に鉄分を戻せ」
『メタリカ』で失った鉄分を回収するのが先か。『フー・ファイターズ』で裂けた肉体を修復するのが先か。
ディアボロは前者を優先すべしとした。
DISCを挿していようと、同時に二つのスタンドを行使することは出来ない。
『フー・ファイターズ』のDISCを取り出さないままでは、『メタリカ』を発現できない。
そして、完全なプランクトンの集合体になれない以上、このままでは酸欠で死に至る。
「ひ、と……では……」
「何だ? 良く聞こえないぞ」
朝日を浴びつつ、掠れる声で、リゾットが呟く。
声量は芳しくなく、蚊の羽ばたき程でしかなかった。
まだ遺言を残すべき場面ではない、ディアボロがそんなことを言う前に。
「ひとりでは…死なねえっ……」
かろうじて、絞り出した言葉。
リゾットの人差し指が、ディアボロの左胸を指し示す。
その科白が、リゾットに力を与えたかのように。
「これ、で……『ブッ、殺し、た』、ぜ……」
ピチャリと、血飛沫がディアボロの胸元にかかる。
それとほとんど同時に、ぜんまいが切れたみたいに、リゾットの右腕が重力に従い地に落ちた。
聞くまでもない、言われるまでもない。血痕は、位置的に心臓ジャストミートだ。
『フー・ファイターズ』が完全ならば、本来の推進力であれば、死んでいた。
リゾットは本来そういう男。公私の分別ぐらい付く男だ。
だから、全てが終わった後でなら。
全てを私事で済ませられる、今なら。
「リゾット・ネェロ……!」
ここにいるのは所詮、『全てが終わった後』のボスであり、殺したところで地位を手に出来るわけではない。
だが、何もしないで終わっては、散っていった部下たちに申し訳が立たないだろう。
ならば、と、リゾットは満足感を抱いたまま死ぬことにした。
『自分なしで荒木には勝てなかったという事実』と、『憎むべきボスを『暗殺した』事実』、その二つを抱えて。
リゾット・ネェロは勝ち抜けた。復讐も報復も届かぬ世界へ。
「認めるぞ、リゾット・ネェロ。お前は、お前たちチームは『誇り』を失わなかった。誰にも笑わせるものか」
リゾット・ネェロは、命尽き果てる最期の一瞬まで、職務を全うした。
彼には、その生き方しかできない。だがそれだけに、ひたすら真っ直ぐだった。
一人では険しく、辿り着くことのなかった道程だろう。
荒木に勝利したことさえ利用し、誰よりディアボロの死に近づいた彼は、暗殺者の鑑。
「本来なら、胸を空けられていたんだ。背中ぐらい、くれてやる」
荒木とリゾットの血に浸されたコートをディアボロは剥ぎ取り、袖を通さず羽織う。
反逆者の決して覆せない勝利の証を、自身にとっては敗北の汚点を、ディアボロは背負うこととなる。
ディアボロが立ち去った後、残された勝利者が仰ぐ空は、どこまでも青く、広いものだった。
【リゾット・ネェロ 死亡】
【残り 4名】
【F・F 完全消滅】
★
「さて……聞きたいことがあるんだ、山ほどな」
4人が一堂に会し、荒木飛呂彦を取り囲む。
ディオは何も、躯に語りかけるほど耄碌しているわけではない。
ディオもディアボロも、足して千は下らぬ数ほど殴っても、荒木飛呂彦を殺すことはしなかった。
ここで殺しても、根本の解決にはならないからだ。
「だがまあ、まずは一番大切な事を聞こう。ここを出るにはどうしたらいい?」
実は、ディオの花京院に対しての『脱出のため』という言葉はある種、事実だった。
流石に『荒木をブッ殺したら会場が消え去って脱出できたぞ、やったバンザーイ』と単純には考え難い。
出来たとしても、この場にいる4人は、場所はまだしも時代さえ違う境遇にある。
可能なら、個々が望む形で帰還を果たしたいと思うのは至極当然のこと。
天の邪鬼、というより悪鬼と呼称する方がそれらしい荒木に、拷問ならまだしも尋問が通用するか、等との心配は無用。
「自力じゃ無理だ。『メイド・イン・ヘブン』で時を加速させ、この空間を壊すしかない」
ディオが荒木の額を踏みつけつつ差し込んだ、『全ての質問に正直に答えろ』とのDISCの命令は絶対遵守。
舌を噛み切ろうにも、『ストーン・フリー』で猿ぐつわを付けられたのでは不可能だ。
スタンドを用いて、返答していくしかない。
荒木本人が動けないのだから、危害を加えられる心配もいらない。
「待ってください。つまりそれは……僕たちそれぞれが、元の時代に戻る手段がないということですか?」
「そんなとこだね。どこぞのロボットみたく、タイムマシンを持ってるわけじゃあないし」
追い詰められているにもかかわらず、回答には皮肉を含ませる。
それもそうだ、脱出には自分の能力が必要という前提があるのだから。
徐倫が睨みを利かせても、荒木はおお、怖い怖いとおちゃらける。
「では仮に時を加速させ、会場を壊した場合、行き着くのはどの時代だ?」
「時代……さあね。確かなのは、君たちがいた世界ではないということだけだ」
「意味が分からないわね。私たちに分かるよう、詳しい説明をしてちょうだい」
時が加速するから、いつの時代に帰れるか分からないというのならまだ分かる。
だが、世界が違うという言い回しは引っかかるものがある。
国や地域が異なるとか、狭義の意味合いではなさそうだった。
その程度なら、DISCに操られる荒木に答えられない道理はない。
「『メイド・イン・ヘブン』の加速の先には『宇宙の一巡』がある。宇宙を終わらせ、更に誕生させるのさ。
2012年、プッチ神父は、一時は宇宙の再編に成功したと思われたが、完全な一巡を達成することなく死んだんだ」
供述の最中に徐倫の良く知る名前が挙がるも、聞き慣れぬ単語が行き交い、脳細胞を混雑させる。
本当に分かるように説明しているのか怪しいところだが、これが精一杯なのだろう。
既知と無知との間にはどうしようもなく開きがある。
「だから、更に宇宙の再編がなされた。宇宙規模で君たちのいた世界とは違う世界――そこが、ここを破壊した時に辿り着ける場所だ」
あくまで、それぞれが知る正規の歴史ではない世界。
プッチ神父の死によって、創り直された世界。
このまま脱出したところで、歴史から取り残された君たちは外様扱いだ、と言いたげに。
だが、話を広げ過ぎたがために皆の把握が追い付いていなかった。
「よくわかんないけど……プッチ神父が宇宙を……その、『一巡』、だったかしら? それが、奴の目的だったっていうの?
そしてそれが上手くいかなかった、ってこと?」
「そうだ。証拠をこの場では出せないが、
エンポリオ・アルニーニョとディアボロはその世界の出身だ」
視線を一身に浴びたディアボロが戸惑う。
常に死に瀕していたために、どれほどの時が経ったかなど記憶になく。
悪いが自覚がない、と答えた後、荒木が補足の説明を入れる。
「もっとも、ディアボロはスタンド能力のせいで死に続けていたから、今ここにいるのはスタンドで作ったコピーでしかないんだけれども。
『スタンドを超えたスタンド』は『スタンド』では再現しきれないのは都合がよかった」
「……レクイエムのことか」
ポルナレフが偶然にも知り得た『進化の行き着く先』を知っていたのは、ディアボロにとって興味深いことではあった。
だがそれが分かったところで、会場からの脱出に繋がる事でもない。
自分がコピーでしかないと言われても、クローンのようなものだろうと解釈。
別に木偶人形というわけでもなし、レクイエムが解除された謎の解と認識するのみだった。
ディアボロは、自分個人の興味本位に手間をかけている余裕がなかった。
嫌というほど味わったレクイエム以上の脅威を、荒木の述懐から感じ取れたのだから。
荒木のスタンドパワーは宇宙にまで及ぶ――個体が持つ力としては、壮大すぎる。
論点が逸れてきた、質問を続けよう、とディアボロが言ったことで、皆この件を流すこととした。
「いまいち重要な事が分からないな。宇宙の一巡とはなんだ?……いや、それをしたらどうなるというんだ?
その言い草だと、プッチが出来なかったことをお前が狙っていたように思えるが」
「運命の固定」
あまりに抽象的で、なお且つスケールの大きい目標。
ディオが荒木の頭部に乗せていた足を退け、姿勢を正すほどに、無茶苦茶な。
「宇宙が一巡すれば、新しい地球が誕生し、新しい生物が、人類が誕生する。だが、運命は繰り返される。
それらは絶対に覆すことが出来ない。『日記』が繰り返す世界を証明している。
『メイド・イン・ヘブン』が宇宙を一巡させれば、全人類が運命を把握したうえで、本体だけその例外となるんだ」
DIOが求めた、天国の時。
精神が行き着く終着点は、プッチ神父にとっての理想郷。
あくまで全体の幸福を願った神父に対し、荒木は実に身勝手な目的のため、それを利用した。
「『日記』? そうだ、結局あの日記は何だったんです?」
「何のことだ、花京院?」
「
グェスさんが荒木の日記を盗んだことがあるんです。読むことも出来ずに、取り返されましたが」
「……フフッ、ハハハッ……」
突然噴き出した荒木の意を理解できず、花京院が目を丸くする。
「あれに重要な意味があるとでも思ってたのかい?
ただの日記だよ、あれは。並行世界の僕が記したバトル・ロワイアルと、その前後の観察日誌でしかない」
花京院が、自ら進んでその怪に挑んだわけでもなかったものの。
それにしてもひどく肩透かしで、興冷めな回答だった。
「残念だったねえ、あの日記が死者の魂を回収して魔神を生みだすとでも思ってたのかい? それとも、別の世界との扉を開くカギとか?
そんなわけないだろ? ファンタジーやメルヘンじゃああるまいし」
皆の神経を逆撫でるように、憎たらしい冗談を並べたてる。
いや、苛立たせる語り口は荒木の本分であるものの、そこに若干の呆れも見せている。
普通、日記にそこまでの作用を期待するのは、それこそ御伽話のようなもの。
「馬鹿な、じゃあなんでわざわざ取り返しに来たんだ! 自ら出向いて!」
「そうやっていろいろと不毛な希望を持つのが嫌だったんだよ、単に。
バトル・ロワイアルの中でかすかな希望にすがるのは見ていて楽しいけど、あれは完全に範疇外だ。
取り返さないまま進行して、日記を読むのに夢中になられてたら困る。ただの記録でしかないもの」
白紙のページを開かせたのも、日記から興味を削がせるためのものだった。
しかし極限まで追い詰められた人間は分からないもので、あれこれと妄想じみた推測を重ねていく。
すがる藁がないから、糸がそこらにあると勘違いし始める。
花京院典明はそうだった。
「とは言え、日記そのものは興味深くはあったよ。
日記では敵対していた人物同士が、この世界では肩を並べ、協力していた。
日記では自分勝手な解釈で参加者を殺戮していた人物が、この世界では正義のまま行動したものの、悪意に利用された。
日記では正義を貫こうとした人物が、この世界では私欲に呑まれ、外道に堕ちた。
日記では子殺しをした親が、この世界では子に殺されるという運命を辿った。
まったく質の異なる参加者を集めたバトル・ロワイアルもあったらしい。
それでも、どの世界においても主催者は決して勝つことが出来なかった。大元の運命は不変だったのさ」
伝記を語るようにつらつらと述べていく様は、誰も彼も虫唾が走ったことだろう。
別世界で起きたことだから、とすぐに割り切れればどれほどいいものか。
どこか類似した体験なら、憶えがあった。荒木の運命理論を証明するかのように。
記録に罪はない。それでも、荒木の論調は憶えあるがゆえ、不愉快極まりないもの。
「つまり、お前は自分に不利な運命を撥ね退けたかったということか」
「そういう解釈で問題ない。その結果、僕は運命になるつもりだった」
「知識を得ておきながら運命になれなかったとは、とんだ無能だな」
ディオの嘲るような非難は、いたたまれない空気を打破するかと思われた。
「まあ、そう捉えるよね、普通は。だけど、それこそが運命なのさ」
「皮肉だな」
「君たちにとってもね」
荒木が、すべてお見通しとばかりに核心を突きに来る。
拳の跡で膨れ上がる顔はひどく惨めなはずなのに、怖気を振り撒く様は衰えていないように感じた。
荷い背負うからこその負荷、ストレスは、払拭しきれないわだかまりが生む。
「君たちは見事僕に勝利した。殺し合いの運命を打破する――きっと、とてつもない達成感を味わっていることだろうね。
でも、運命を切り開く、それさえも運命だったとしたら? いや、運命なんだろう。僕ら人間は、決められたレールを走るだけ」
『僕ら人間』と、一括りにすることに不快感をあらわにする徐倫。
だが、荒木は日に当たって灰になることもなければ、血を吸って永遠の若さを保つこともない。
荒木飛呂彦は所詮、人間。ただ、個人のエゴを形にし過ぎただけの。
ならば、今残された人々も、同等に見るべきか。
正義だの悪だのの二元論は、大いなる意志が未来を選定した結果に過ぎず、両者に大した差異はないのか。
「さあ、どうするんだい? このまま感情任せに僕を弄るか? 脱出するには僕の力が必要なのに。
もっとも、時を一巡させないという保証は出来ないけどね」
『お前は時を一巡させるつもりか?』――誰も、口に出そうとはしなかった。
愚問だ。聞くまでもない。その質問に何の意味がある。
奴は『する』。その認識に一点の疑いも挟む余地がない。
今までの減らず口は、『自分なしでは脱出できない』ということが確定済みだからこそ。
では現実問題として、どうすべきか。
能力の行使だけなら身動きが取れなくても出来るし、無理に止めさせるのも難しい。
しかし、荒木が時を一巡させたがっても、『ホワイトスネイク』による支配の力を借りれば、脱出は造作もないだろう。
「一番の問題としては――『舞台を破壊した先に世界がある』ことですね」
それでも、空間を壊せば脱出できるというのなら、この世界は完全に隔絶された空間ではないはずだ。
ならば、『外の世界も『時の加速』の影響を受ける』というのも同時に言える。
10人に満たない人口しかない空間でなら、『時の加速』による弊害はなかった。
では、億単位の人間社会で『時の加速』が執り行われたなら?
全く影響がないはずなかろう。物理現象は加速に対応すると、既に分かっている。それに伴う事故なんか容易く想像できる。
殺し合いに参加していない者まで巻き込んで、犠牲を伴った脱出をして、荒木に勝ったと胸を張って言えるのか?
ジレンマはキリがない。
「仕方ないな、お前の望み通りにしてやるよ」
しかしディオ、これを了承。
「だが、一巡させるのは貴様ではない」
荒木の頭部に『ホワイトスネイク』の右手を突っ込む。
「このディオだッ!」
そして引き抜いた。
因果を塗り替え、太極に至る力を。
『メイド・イン・ヘブンのスタンドDISC』を。
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最終更新:2011年11月26日 20:49