突然だけどクイズだ。人を殺す『もの』、あるいは殺せる『もの』、これってなーんだ?
……はい、タイムアップ。解答時間が短すぎる、だなんて苦情は受け付けないよ。
君たちにとってはこんなありふれた問題、問いかけることすら、はばかれるぐらいのものだろうからね。
正解は『凶器』さ。
銃殺、刺殺、撲殺、絞殺、エトセトラ、エトセトラ……。やり方は色々あるさ。ただ方法は変わっても結局行きつく先は一つ。
『凶器(エモノ)は何だ?』なんて刑事がドラマの中でも言うじゃない。
……なに? 引っかけ問題? 挙げ足取り?
おいおい、まさか君たちにそうやって言われるとは思わなかったよ。四六時中頭ん中は殺すことばかり考えてる癖にさァ。
ま、でも一つ俺から言わせてもらうと……モノが人を殺すわけなんてないさ。人を殺すのはいつだって人、人の意志が人を殺すんだよ。
もう少し詳しく見てこうか。
ブタを食う時、牛を食らう時、鳥を食べる時、魚を食する時……常日頃から、あまりに人は殺すことに『慣れすぎている』。
だからいざこうやって『ハイ、どうぞ殺しあって下さい』なんて言われると俺たちは困ってしまう。
その時、最後に俺たちを突き動かすのはなんなのさ? 何が最後の最後で、俺たちの背中をポンッと後押しし、俺らは殺しに手を染めるのかな?
今回の話はまさにそれ。
殺し、その深遠なる淵に俺らをつき落とすのは『狂気』だ。今回はその『狂気』についてまつわるお話を紹介しよう……―――
◆
深夜、街。まるで幽霊のように、どこからともなく姿を表した一つの影。
それは女性と言うにはあまりに幼く、少女と呼ぶにはあまりに刺々しい空気を纏っていた。
アイリン・ラポーナは闇に紛れ、音もなくあたりを伺う。暗闇に溶け込んでしまいそうな真黒な髪が風に煽られ、ふわりと揺れた。
足音は聞こえない。固く頑丈な石畳を歩く彼女の足取りは悠然としていながら、一切の気配を絶っていた。
突然、彼女は石像のようにその場に立ち止まる。何秒か動くことなく、鋭い視線をあたりに放ち、自分以外の気配を探っていくアイリン。
微かに、しかし次第にはっきりと話声が聞こえてきた。男だ、それも二人組。
緊張感が感じられない男の声とそれを叱咤激励する初老の男の声は、まさにアイリンが姿を現したその場所から聞こえてきた。
「アイリンは立派に活躍してるってのに俺は役に立つどころか足を引っ張るばかり……死にたくなってきた…………」
「ほら、まただぞ、マックイィーン君! 今ので五回目だ!」
アイリンは眉をひそめると後ろを振り返った。これでは自分が先立って歩く意味がほとんどない。
自分たちの置かれている状況をよくわかってないのか、わかっていてあえてそういう態度をとっているのか。
どちらにしろ、あまり気のいいことでない。そうアイリンは思った。長く美しい髪の毛を指先に巻きつけ、それでも彼女は辺りを警戒しながら同行者を待った。
ほとんど隣の男を抱きかかえるように歩いているのがジョージ・ジョースターⅠ世。そして頭を抱え、ぶつぶつ呟き続ける男がサンダ―・マックイイーン。
彼らがアイリンの同行者、この殺し合いという奇妙な舞台で彼女と行動を共にしている男たちだ。
今のところ周りに人の気配はない、そうジョージに伝えると、彼はありがとう、と言葉を返した。能面のように無表情だったアイリンが初めて表情を崩し、柔らかな微笑を浮かべる。
それを見たジョージはにっこり笑う。そして今度は隣に並んだ卑屈な男に向き合うと、口うるさく説教を始めた。
やかましいと言いたくなるような熱いお説教が道路に響く。熱っぽく愛情に溢れるその声を聞いていると、とてもでないが『静かにしてください』とは言えなかった。
可笑しいような、困ったような、何とも言えない状況に、どうしたものかしらとアイリンは考える。
しかし可笑しさが勝った。自分一人だけ神経を張っているのが少し馬鹿らしくなった彼女は、素行を崩すと、二人に並びだって歩き始めた。
なんて甘ッたれなのだろうとアイリンは思う。マックイイーンもそうだが、ジョージもそうだ。
いい年した男が父親にあやされているかのような光景は、ある意味ではほほえましくもあるが、馬鹿らしくもある。
だがアイリンの目には口酸っぱく励まし続けるジョージが輝いて見えた。あの手この手で沈んだ男を盛り上げようと、熱弁を振るうジョージは素敵だった。
それはアイリンが優しさや甘さから無縁の世界で生き続けた代償なのかもしれない。
暗殺、殺し。これ以上なくドライで厳しい世界の住人である彼女は、ジョージのような人物を知らない。
だからこそ、彼は太陽のように眩しく、暖かい。希望に溢れ、何が起きようとも 『ドン!』 と構えている彼は、とても頼もしい男だった。
アイリンは少し前のことを思い出す。ジョージが自己紹介にと、自分の生い立ちについて話した時のことだ。
すぐにわかったのはジョージ、マックイイーン、アイリンがそれぞれ別の世界に住んでいるという矛盾。
年代が違う、住んでいる場所が違う。奇妙では済まされない、とんでもない事実だった。自分たちがいかに大きな事件に巻き込まれているかわかった時、アイリンの腕にはうっすらと鳥肌が立っていた。
だがジョージは平然としていた。なってしまったことは仕方ない、事実なのだから受け入れるしかない。
そう言って落ち着きはらう彼の態度を見て、やがてアイリンとマックイイーンも平静さを取り戻した。そして、ジョージと同じようにそれも仕方ないな、と考えるようになった。
この舞台には未知なる能力が数多く潜んでいるだろう。マックイイーンの不可思議な能力もそうだが、アイリン自身、暗殺という変わった特技を持っている。
自分がジョージを守らなければいけない。戦えるのは自分しかいない。
不思議と、恐怖や重荷は感じなかった。頭を下げるジョージの姿がアイリンの脳裏をよぎる。
自分のこの能力が役に立つと言ってくれた。それは不思議な気持ちだった。だけどそれは心地よく、アイリンは必ずジョージを守ろうと固く決意した。
「アイリン君、マックイイーン君、少し止まってくれないか。現在位置を確認したいんだ」
しばらく歩いた後、ジョージが二人を呼びとめる。三人は鍾乳洞から地上に出た今、誰かと会うことを目的に杜王町を目指している。
三人が先ほどまでいた鍾乳洞は、怪しげな研究所に繋がっていた。研究所内を調べまわった三人は、人がいたであろう痕跡は見つけたものの、他の参加者たちに会うことはできなかったのだ。
ジョージが薄明かりの元、デイパックより地図を取り出した。三人で顔を突き合わせるように地図を覗きこみ、自分たちのいる場所を探す。
ああだこうだと、少しばかりの問答の末、だいたいの位置をつきとめた。現在位置はC-6、杜王町に着くにはもう少し時間がかかりそうだ。
それを知ったマックイイーン、ほとんど反射的にぼやく。それを聞いたジョージ、躊躇することなく指導にはいる。
まるで漫才だ。二人が真剣なだけに、余計に滑稽だった。アイリンは笑いをかみ殺し、二人よりほんの少しだけ先を歩いていく。
杜王町に続いているであろう道路は広く、どこまでも続いているかのようだ。
後ろから聞こえる騒々しい漫才に耳を傾けながら、アイリンの心は穏やかだった。一時の平穏を彼女は噛みしめるように、楽しんでいた。
―――カツン、カツン……
アイリンの目つきが変わる。片手をあげ、二人の注意をひきつけると、音をたてないように合図を送る。アイリン自身も闇に融けていくかのように、気配を消していく。
数メートル先の十字路、左の角を曲がった先から音は近づいてくる。
カラン、コロン……ガリ、ギリ……。無神経に立てられる足音に紛れて刃物を研ぐような音が聞こえた。
ガリガリ……ブツブツ……。無警戒に近づいてくる何者かは様々な音を連れ、ゆっくりとこちらに向かってくる。
電燈が照らし出し、大きく伸びた影が見えた。ヒョコヒョコと人影が左右に揺れ、まるで地面の上でダンスを踊っているかのようだ。
張りつめた緊張感、息詰まる一瞬。だが来訪者は意外なほど、呆気なく姿を現した。
十字路にヌッと姿を現したのは小柄な人影。とても大きく、ぎょろりと剥き出しの目、顔中カサブタだらけの奇妙な風貌が暗がりの街並みにマッチしていた。
逆光の中、アイリンは目を細めて少年の顔を見る。そう、少年と言っていいほどに、彼は幼かった。
後ろに隠れていたジョージがホッと息を吐くのがわかった。身を縮めていたマックイイーンも緊張が緩んだのか、大きく空を仰ぐ。
「アイリン君?」
「おじさま……下がっていてください…………」
しかし、アイリンは少年に声をかけようとしたジョージの前に立ちふさがった。
不審そうに問いかける彼のほうを一瞥もせずに、アイリンはジョージを庇うように両手を広げる。
震えが止まらない。まるで吹雪の中に裸で放り出されたかのように、アイリンの身体が細かく揺れる。
ジョージもマックイイーンも知らぬことであった。彼らの目にはマヌケそうな少年がただ突っ立てるように見えたのだろう。
だがアイリンは確かに感じた。緊張でカラカラになった喉、カサカサに乾いた唇。迫りくる怖気はアイリンが今まで体験したものの中でも飛びぬけている。
十字路に姿を現し、動くことのなかった少年がゆっくりとこちらを向く。半眼に閉じられた少年の目が、はっきりとアイリン達を捕えた。
闇の世界に生きるアイリンにはわかったのだ。ジョージもマックイイーンもわからない、『こちら側』の世界の住人だけがもつ、ほの暗さ。そして少年が持つほの暗さはどこまでも深く、誰よりも濃いものであった。
少年の持つナイフがギラリと煌めく。薄明かりに照らし出された四人の影が、陽炎のようにゆらりと揺れた。
◆
「止まりなさいッ」
「…………」
「……アイリン君?」
アイリンの鋭い警告、意外にもビットリオは素直に従い、その場に立ち止まる。
魂が抜けたような虚ろな表情は何を考えているのか。ぼんやりと立ちすくむビットリオをアイリンは睨みつける。
険しい目つきのアイリン、突然の登場にも関わらず言葉を発さない無表情のビットリオ。ジョージはそんな二人を見比べる。不穏な空気を感じつつも、何も知らない彼には二人の無言の会話がわからない。
口を開こうとしたジョージを押し黙らせ、二人を少年からどんどん遠ざけて行くアイリン。
そんな彼女の鬼気迫る様子に、ジョージもマックイイーンも思わず圧倒されてしまう。口を開こうにも、そうすることもできず、ゆっくりと下がっていく三人たち。
少年はそれを眺めていた。ゆっくりと遠ざかっていく三人をぼんやりと見つめていた。
そして彼はなんでもないように……、常日頃からそうしているように、手軽な感じで…………ナイフを自らの脚に突き立てた!
「「「えッ?!」」」
何度も、何度も! 振り上げては自分の脚へと叩き下ろされる切っ先!
真っ赤な血しぶきが舞う。頸動脈を傷けられたのか、吹き上がる大量の血液が噴水のようなアーチを描く。
ぐりぐりと骨まで削るような痛みが電流となり、頭のてっぺんから足元まで痛みが貫いて行く。
脚の力が抜けていく。剥き出しの筋肉、チラリと見えた白い骨。過激な自傷行為は加速していく。
足腰は立たず、絶えぬ激痛に脳が耐えきれなくなる。何が起きているのか考えられなくなるほどに、痛みが、傷が増えていく。
真っ赤に染まった脚はもはや形が変わっていた。歪なアートに白い骨のキャンバス、真っ赤な絵の具のトッピング。
倒れ込んだのは……刃物を振りかざし、狂気に魅せられたビットリオではなかった。
突然自分の身におきた謎の出来事。一瞬の合間に脚が無惨な形に。倒れ込んでしまったのは、離れて立っていたはずのアイリンだった!
「アイリン君ッ!!」
屈むジョージの心配そうな顔、恐怖に震えるマックイイーンの身体。そんな三人目掛けてビットリオが猛烈に走り出したのがアイリンには見えた。
刀を振り下ろしたのと同じぐらい唐突で、そして素早く接近する敵。狙われたのは動けないアイリン!
庇うようにジョージが飛び出した! アイリンを傷つけさせまいと、ビットリオを突き飛ばし、二人は道路上でもみくちゃの掴みあい。
石畳の上で転がりあう二つの影、加勢に入ろうとアイリンは立ち上がりかけるが、脚の出血と痛みがそれを許さない。
ナイフを取りあげようと腕にかじりつくジョージ。唸り声をあげ、ビットリオが力で老人を振り切る。次の瞬間、地面に投げ伏せられたジョージの胸に、刃物の一閃が走った!
「グ、うッ…………!」
「おじさまッ!」
何を切ったか、わかっているのかわかってないのか。あるいは一切興味がないのかもしれない。
ビットリオは倒れ伏したジョージを、無感動で、無表情な目で見降ろしていた。
両手の指、その隙間から絶え間なく流れ続ける真っ赤な濁流。ジョージの手が、胸が、あっとういまに朱色に染まっていく!
倒れ伏した老人の胴体に、ビットリオが慈悲もなく蹴りを叩きこんだ!
呻く老人、アイリンの悲鳴。ビットリオは淡々と、まるで作業でもこなすように、ジョージの体を痛み付ける。蹴りあげ、殴りつけ、切りつける。
その一発が、一動作が行われるたびにアイリンは自分自身が傷つけられているかのような錯覚に陥る。
まるで自分が殴られているかのような痛みが襲いかかってくる。まるで自分の胃が蹴りあげられているかのように吐き気がこみ上げてくる。
横たわっているのはジョージのはず、傷つけられているのはジョージのはず。だがその痛みはアイリンの痛みだ。傷つけられているのはアイリンだ。
やめて! やめなさい!
そう思っている。なんとかしてやりたいと思う。だが身体は言うことを聞いてくれない。
脚の出血が激しいせいか、一気に血を失ったせいか。次第にアイリンは頭に激しい痛みを感じ始めた。まるでレンガであまたを殴られているかのような、鈍い断続的な痛み。
ジョージを守れるのは自分しかいない。アイリン、マックイイーン、そしてジョージ。
さっき誓ったばかりでないか。鍾乳洞で、ジョージがプライドを投げ捨ててまで頼みこんでくれたのは、この自分だったではないか。
無力だなんて嫌だ。助けたい、ジョージを。痛みなんかに……負けてたまるかッ!
しかしそんな熱情も霞むほどの痛み。いまや痛みは錯覚ではなく、確かな事実としてアイリンの身に襲いかかる。
額が割れるようだ。いや、実際に割れているのではないか。じゃなかったらこの垂れ流れる血液は何だ。鼻筋、瞼に覆いかぶさるこの真っ赤な液体は何だ?
ぐちゃぐちゃになってしまった脚、留まることのない額からの出血と痛み。アイリンの意識が次第に薄れていく。疑惑と憂いも、痛みが吹き飛ばしていく。安息と安らぎが彼女を遠ざけていく。
少し、また少し、霞み、消えていく世界……。痛みが走る、だがそれも薄らいでいく。沈んでいく……アイリンの意識が闇の中へと沈んでいく……。
「……ハッ!?」
「なんだァー、こりゃーーーッ!?」
跳びかけた意識を何とかつなぎとめ、アイリンは痛みに抗い身体を起こそうとする。ビットリオの間の抜けた声が彼女の意識を鮮明にした。
彼女は数時間前のことを思い出す。ジョージと出会ったあの鍾乳洞での出来事を思い出す!
彼女は知っているッ ジョージとマックイイーン、彼ら二人の会話が彼女の記憶を揺り起こすッ!
なんとか起き上がった彼女の目にうつったのは謎のプロペラ群。身体にまとわりつくように浮遊するプロペラ群が、アイリンだけでなく、ジョージにも、そしてビットリオにも現れていた!
―――ガス、ガス、ガスッ…………!
「アイリンが倒れこんでる……ジョージさんが傷つけられてる……。
なのに俺は何もできない。怖くなって脚が竦んで、ただ突っ立てるだけだ…………」
そう、これはマックイイーンの不思議な能力ッ アイリンにダメージを与えていたのはビットリオでもなく、ジョージでもないッ
純粋なる邪悪、敵意なき悪意ッ サンダ―・マックイイーンの『ハイウェイ・トゥ・ヘル』ッ!
鈍い打撃音が路上にこだまする。リズムよく金槌で釘を打つかのように、一定の間隔を刻んでマックイイーは自らの頭部を民家の壁に叩きつけていた。
民家の漆喰が剥がれおちるほどの勢いで、繰り返しマックイイーンは頭を打ちつける。ブツブツ、誰に向けられたのかもわからぬ言葉をつぶやき、虚ろな瞳で壁を見続ける。
そしてマックイイーンがダメージを受けるたびに、アイリンの頭部にも鈍い痛みが走る。まるで実際に壁に頭を打ち付けているかのような、鈍痛が一発一発襲いかかるッ
「ジョージさんの言った通りだ。俺は死にたい、死にたいとか言いながら、全然そんなことは思ってねェんだ。自分の命が惜しいんだ。
だってよォー……ほんとに死にたいなら、死ぬ気で誰かを守ってやるって思えるはずだろ?
ジョージさんみたいに、アイリンを庇って死ぬのは俺だったはずだろ?」
―――ガス、ガス、ガスッ…………! ガス、ガス、ガスッ…………!
額が割れ、顔中が真っ赤に染まっても彼は作業をやめようとはしなかった。
彼の頭部が激しく血を噴けば噴くほど、地べたに横たわるアイリンの頭部も同様に染まっていく。彼はそれを意に介さない。
いや、自分一人ではない、という道連れの悪意がこそが彼の原動力!
三人を巻き込みながら、彼はそれでも一切気を払うことなく狂ったように頭を打ちつけ続けていた。
民家の壁がキャンバスかのように紅で染まり上がっても、マックイイーンはやめようとしなかった。
「だってのに結局このざまだ。情けねェなァ~~、俺はよォ~~~……。
ああ、死にてェ……こんな俺なんて生きてても価値ねェよな? 意味ないよな?
死ぬ気でなんかやろうだなんて結局俺に出来るわけがなかったんだよ。俺はジョージさんみたいにカッコよくなれねェんだ……。
ああ、何勘違いしてたんだろな、俺はよォ~~。死にたくなってきた…………。
こんな俺がいてもジョージさんにも迷惑かけるだけだ。アイリンの足を引っ張って邪魔するだけだ。だったらいっそのこと……」
アイリンにはどうにでもできなかった。朦朧とした意識を何とかつなぎとめ、目の前の光景を呆然と見つめるだけでも彼女は精一杯。
故にマックイイーンの次の行動に彼女は叫ぶしかできなかった。デイパックへとゆっくり手を伸ばしていくマックイイーン、彼が中から取り出したのは一丁の拳銃。
支給品、ワルサーP99。
「ばッ……!」
「死んだほうがマシだろうなァ…………」
アイリンは血の気が引くのを感じた。自分の顔から、わずかに残っていた赤みすら消えたのが、確かに、彼女にはわかった。
マックイイーンはやるだろう……彼は本気だ。彼には『何にもない』。空っぽの虚無感、底知れない理解不能の情熱が彼を突き動かしているッ
アイリンにミスがあるとしたら、マックイイーンを軽んじていた事。ジョージのお人好し具合に押し切られる形で、彼への警戒心を緩めていた事。
「死んでやるゥゥゥウウ―――ッ! 独りぼっちで逝くのは寂しいからよォオオ、皆も一緒に逝ってくれよォオオ―――ッ!」
マックイイーンがトリガーに指をかける。銃口はこめかみに向かって一直線、あとほんのすこし指を動かすだけで、彼は脳髄をまきちらしあの世に『逝ける』だろう。
それは即ち、死。それも奇妙な自傷願望を持つ男一人が勝手に死ぬだけでなく、アイリンも、ジョージも、周りの三人を巻きこんで起きる自殺と言う名の殺人行為。
マックイイーンの絶叫が響いた。アイリンは何もできない。すぐそこまで迫った死を前に、彼女は何も考えられず、だが、目をつぶりその時が来るのを待った。
――銃声は響かなかった。
かわりに響いたのはスカッと、気持ち良くなるぐらいの鮮やかな張り手音。
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をするマックイイーン。けたたましい音を立て、地面で拳銃が跳ねまわる。反射的に、彼ははたかれた自分自身の頬をなでていた。
息も絶え絶え、肩で出呼吸をしながら、残された生命力を燃やすように、ジョージは生きていた。血だらけになりながら、気力だけで立ち上がったジョージがマックイイーンの前にいた。
やつあたりのように、転がる拳銃を蹴飛ばしたジョージ。彼を支えているのは情熱、そして……怒りだ。
温厚で、紳士的。そんなジョージ・ジョースターⅠ世が怒っていた。怒りに体全身を揺らし、その声は怒りのあまり、わなわなと震えていた。
「君は、心底、馬鹿ものだ、マックイイーン君ッッッ!」
呆然のアイリン、唖然とするマックイイーン。少し離れた場所でけだるそうに立ち上がったビットリオが、不思議なものを見た様に首を傾げていた。
「どうして皆殺したがるッ?! どうして皆死にたがるッ!? そんなに世界が憎いのか、そんなに世の中が怖いのかッ
誰もかれもがそうやって命を投げ捨てるッ 簡単に、見切りをつけて、諦めて死のうとするッ
何故だッ そうやって君たちが生きている世界は、誰かが望んでも生きられなった世界なんだぞッ!
誰かが生きたい生きたい、そう望んでやまなかった一日なんだぞッ!
命を投げ捨てるな、若造たちがッ 君たちが生きている今は、私が、私の妻が、どうあがいても手に入れることができなかった一瞬なのだぞッ……
ふざけるな、侮辱するな……くそ、くそ、クソォ…………ッ!」
マックイイーンの肩を揺さぶり、唾を吐きかけない勢いでジョージは叫んだ。
面と面を合わせて、至近距離で、一切眼を逸らすことなく、彼は叫んだ。
魂の咆哮だった。叫び終わったジョージが、マックイイーンの足元で、唸るように地面を拳で叩く。
アイリンは何が起きたかわからない。マックイイーンもおろおろとその場でジョージの背に手を置き、途方に暮れている。どうやら自殺願望は吹っ飛んでしまったようだ。
悔しかったのだろう、ジョージは。アイリンは思う。
鍾乳洞でジョージはマックイイーンに頭を下げ、心をこめて頼み込んだのだ。そして道中も、なんとか彼の歪んだ精神を前向きにしてやろうと、懸命に励まし続けてきた。
それがこのざまだ。だが決して、ジョージはマックイイーンが憎いのではない。マックイイーンを怨んでいるわけでもない。
(おじさま……貴方は、貴方と言う人はお人好しすぎますッ)
ジョージ・ジョースターⅠ世はその事に気付けなかった自分を戒めているッ! そんなマックイイーンのことを理解できなかったことを悔やんでいるのだッ!
自分はマックイイーン君をおだて、誤魔化し、先送りにしてきただけだったのではないか。どこか楽観視して、惰性で問題を後回しにしていただけはないか。
マックイイーン君の事を考えて自分は本当に彼と向き合っていたのか?
本当に彼のためを思っていた、そう自分は胸を張って誇りを抱いて宣誓できるだろうか? 百パーセント、全力全開で努力をした、そう言えるだろうか?
悔しがっているのは伝えきれなかった自分の力量。マックイイーンの自殺願望を覆すほどに、忘れさせるほどに導けなかった自分の度量のなさ。
もっと話しておけばよかった。もっと必死に伝えるべきだった。
呆れを通り越し、アイリンはもはや嘆息するほかなかった。自分たちが少年に襲われていることすら忘れ、こんな状況ですら彼は心底悔んでいるのだ。
狂気! アイリンの底に沸き上がった感情はまさにそれ! ジョージ・ジョースターは誰よりも、普通で、無力なものにみえる。
しかし、実態は違うッ! この場にいる誰よりも……アイリンよりも、マックイイーンよりも、底知れない少年よりも!
ジョージのお人好し具合は群を抜き、天を貫き、狂気というのに相応しいッ!
もし彼が持っているという能力があるとするならば、正気の沙汰ではないその能力ッ まさに『狂気』というほかないだろうッ!
「君もだ、少年……」
しばらく経った後、悔し涙を拭ったジョージが問いかける。
ナイフを持った殺人鬼は地べたにしゃがみ込む三人を前に困惑しているのか、何も考えてないのか、ついさっきまで襲いかかってきたこと忘れたかの様に、その場に突っ立っていた。ただ黙ってジョージの姿をじーっと見つめていた。
マックイイーンの手を借り、ジョージが立ち上がる。しゃがれ声で彼は少年へと問いかける。
「殺すだの、死ぬだの……もう沢山なんだ。見ての通り、私は弱い。誰よりも……なによりも。無力すぎるぐらいだ。
目の前の彼の苦しみすら理解できてやれない、アイリン君が怪我を負ったのも私のせい。
大人としての責務を果たすどころか、足を引っ張るばかりだ。私は何もできない、ただの無力な田舎者の紳士だ。
しかし、君は違う。ナイフ一本で我々に立ち向かったのはものすごい勇気が必要だったろう。殺し合いに巻き込まれ、ものすごい葛藤の末に、君は武器をとったのだろう。
その勇気を私に分けてくれはしないか。そもそも私たち三人は殺し合いなんぞに乗っていやしない。
あらぬ誤解から生まれた戦いなんだ、これは。我々は本来手を取り合える仲なんだ……」
一歩、一歩。さきほどまで凶器を振り上げていた少年に馬鹿正直に手を差し伸べ、近づいて行く。
純粋無垢、天真爛漫、馬鹿正直。ジョージの目に輝く希望や望みというものはあまりに眩しすぎる、美しすぎる。
人殺しの舞台で人を疑わずにはいられない自分がおかしいのだろうか、そうアイリンに思わせるほどであった。
少年も同じように感じたのだろか、きまりが悪いようにナイフを持った手で鼻頭を軽くかく。
少しもごもごと口を動かした後、ポツリポツリと言葉をこぼす。決して大きな声ではなかったが、静まり返った道路で、その声はよく響いた。
「なんッてかよォー、おっさん、相当ぶっトンデやがんぜェ……。
マゾヒストってか? にしても流石の俺もどんビクぐらいだ。いくら俺でも他人に蹴られ殴られしたらプッツンくるっつーのにさ。
勇気だの、無力だのよォ……お花畑かァ、あんたの中身は? 頭、ヤクでもやってるんじゃねェのかって思いたくなるぐらいだ、アンタのおつむの中はさァ。
にしてもおかしーつの? とんでもねーつーの? ヤクやっててもここまでトんだやつはいねーよな。
ましてこれがシラフ? さぞかしオッサンはよォ、生きてるっつー感覚に溢れかえってんじゃねーの。
ただなァ……ただァ…………」
言葉の最中、なんどか痰を吐くような苦しそうに咳をする。心配そうにジョージが少年の目を覗きこむ。それをわかっていて少年は敢えて、空中をぼうっと見つめる。
ジョージに対する答えは喉に絡み付き、言葉として出てこないかのようだ。何度か、うなり声のような意味の成さない言葉を発し、つまりだなァ、とか、そうだなァ、と少年は繰り返した。
なかなか言うべきことが見つからないようで、彼はうろうろと歩きまわり、苛立ち気にナイフを何度か素振りする。
心配そうな顔でマックイイーンがジョージをちらちら見るのがアイリンの視界に映った。
そしてそんなマックイイーンを落ち着かせるように、優しく微笑むジョージがいた。太陽のように眩しく、春の日差しのようにその笑顔は暖かかった。
ジョージは待つ。どこまでも真っすぐな目で、自分の信念を貫き、少年へと手を差し伸べる。
友好の一歩は自らの一歩。あとはそんなジョージの狂気に少年が魅せられるかどうかだ。
「ただ一言、俺から言わせてもらうとよォ……」
不意に、少年が言葉を口にした。食堂で級友にソースをとって、というかのような気軽な口調だった。
思わぬところから言葉が舞い降りてきたかのように、ポンと少年は言葉を吐きだした。視線はジョージに向いておらず、バツが悪いかのように自らの足元へと向けられていた。
並び立つ三つの影、訪れた静寂。アイリンはゴクリと唾を飲み込んだ。
誰も動かず、少年の次の言葉を、今か今かと待ち望んでいる。マックイイーンの能力によって割れた額が疼きだした。
たらァ……と一筋の血が流れ、アイリンは目に入りそうになったそれを拭おうと下を向いた。
―――次の瞬間
胃が縮むような肉を切り裂く音と、何か重さを持ったものが地面で弾む音をアイリンは聞いた。
そして幼い少年の声。その声にはカラカラに乾ききった達観が込められていた。
「なァに言ってんだ、お前」
カランカラン、とジョージの首から外れた首輪が地面に落ち派手な音を立てた。
糸を無造作にちぎられたマリオネットかのように、ジョージの身体が地べたに崩れ落ちる。
「えっ?」
マックイイーンの間抜けな声。そしてその呟きが彼の最後の言葉になった。
黒豹のように飛び跳ねた少年が、マックイイーンの懐に、たったの一歩で潜り込む。
ジョージの首を跳ね飛ばしたナイフが、返しの一刺しでマックイイーンの首を貫いていた。
ぴちょん、という音が静まり返った町に響き渡った。
それはジョージの首からドクドクと流れ続ける血が跳ねた音なのか、マックイイーンの首筋から噴き上がる見事な血のシャワーの音なのか、その時のアイリンにはわからなかった。
最後にアイリンが聞いたのは誰かの悲鳴。喉が、肺が焼けるように熱い。甲高い女性の声が鼓膜を振るわしていた。
二人の血を全身で浴び、額から垂れ落ちる血と涙で視界が真っ赤に染まった。もう何も見えない……、もうなにもみたくない。
ゆっくりと小柄な少年のような影が近づいてきて、右手に持った何かを振りかぶる。
そして―――
【ジョージ・ジョースターⅠ世 死亡】
【サンダ―・マックイイーン 死亡】
【アイリン・ラポーナ 死亡】
【残り 101人】
◆
と、このへんでやめておくか。これ以上話してもつまらないし、なにより、『いささか不適切』なんでね……。
『殺す』ことが得意のアイリン・ラポーナ。『自殺』することの達人、サンダ―・マックイィーン。逆に考えるが勝ち、『説得』のプロフェッショナル、ジョージ・ジョースターⅠ世。
そんな奇妙な三人組が行きついた先は仲良くそろってあの世行き。皮肉だねェ、なんとも。
今回の話しで言えばあまりに相性が悪すぎた。
ビットリオを『殺す』ことはとっても難しいし、『道連れ』しようたってなかなかうまくいかない。ましてや『説得』だなんて……元々会話の通じない相手なんだから、それは無理ってもんだよ。
それぞれの狂気が暴走した結果がこのざまだよッ……って感じかな?
ただ、補足と言っちゃなんだけど、一つだけ紹介しておきたいことがあるんだ。俺の好きな言葉にね、こんな一節がある。
作者はたしか……フリードリヒ・ニーチェだったかな?
『怪物と戦う者は自らも怪物とならないように気を付けねばならない。
汝が深淵を覗き込むとき、深淵もまた汝を覗き込んでいるのだ』
今回の話で言えば一体誰が怪物だったんだろうね?
狂気に魅入られ、怪物になれ果てたのはジョージ? マックイイーン? ビットリオ?
それとも……知らず知らずのうちにアイリン・ラポーナこそが狂気に魅入られ、怪物となっていたのかな?
一つわかっているのは……ここではマトモな神経してるやつこそ、どんどん死んでいくことになるだろう。
皆も狂人、全員狂人。タガが外れてるやつこそが強靭だったりするもんだ。イカれてるのさ、この状況で。
この話はまた今度の機会に話そうか。狂気、そしてそれが生み出す『怪物』。
これについてはまたの機会に…………―――
【C-6 中央/1日目 黎明】
【
ビットリオ・カタルディ】
[スタンド]:『ドリー・ダガー』
[時間軸]:追手の存在に気付いた直後(恥知らず 第二章『塔を立てよう』の終わりから)
[状態]:体力消耗(中)、貧血気味、肩にダメージ(小)、片脚にダメージ(中)、額から出血(小)
[装備]:ドリー・ダガー、ワルサーP99(20/20)、予備弾薬40発
[道具]:
基本支給品×6(自分、ポルナレフ、アヴドゥル、アイリン、マックイイーン、ジョージ)、不明支給品×四人分(未確認)
[思考・状況]
基本行動方針:とにかく殺し合いゲームを楽しむ。
1.荷物を整理したい。いらないものは捨てる。
2.少し休みたい。さすがに傷つきすぎた。
[参考]
ビットリオは殺し合いについて深く考えていません。
マッシモ・ヴォルペが参戦している可能性も考えていません。
マックイイーンの支給品はワルサーP99と予備弾薬でした。
不明支給品の内訳はビットリオ自身、ポルナレフ、ジョージ、アイリンの四人のものです。
脚へのダメージは歩ける、走れるものの治療なしで長時間の酷使はできない、ような状態です。脚を含め傷の状態の詳細は次回以降の書き手さんにお任せします。
C-6中央にジョージの頭部、首なしのジョージの死体、マックイイーンとアイリンの死体が放置されています。
【支給品紹介】
【ワルサーP99 と その予備弾薬@現実】
サンダ―・マックイイーンに支給された。
全長180mm、重量750g、装弾数20発、9mm口径の軍用・警察用自動拳銃。
漫画版『バトル・ロワイアル』では沼井充に支給され、沼井の死亡後は桐山和雄が、桐山死亡後は中川典子が使用した。
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最終更新:2012年12月09日 02:22