◇ ◇ ◇
【1】
「なになに、いきなりどうしたのよ、またいきなり“愛”についてだなんて。どうかしてんじゃねーの、アンタ?
悪いもんでも食べたンじゃないのォ? それかあれね、どうせエルメェスになんか茶化されたんでしょ?
そんな気にしないでいいじゃないのォー。アンタが好奇心旺盛だってのはわかってるけどさー、何も無理して全部知ろうっとしたって無理があるってもんよ?
「そんなことないわよー、面倒だからって、言いくるめようだなんて、アンタねェ……。
ちょっとはあたしを信用しなさいよ、まったく。仕方ないわ、ちょうど暇だったし、付き合ってやってもいいわよォー、しょうがないから。
「にしてもアンタも厄介な事知りたがるわねェー。よりによって“愛”だなんて!
おェ、ビートルズだとか、ローリングストーンズでも聞いてれば? アタシなんかと話してるより何倍もアイツらのほうがお利口さんなんだから。
そもそもアタシなんかより、エルメェスとか、エンポリオにでも聞いたほうがいいと思うけど。
アイツらの知識凄いわよー。ほんとたいしたモンよ、アイツらはねェー。
「――あの二人ったら、今度会ったらタダじゃおかねェぞ……。
人の逆鱗平気でほじくり返しやがって……こっちは冗談にできないつーのに。まったく、やれやれだわ。
まぁいいわ、とりあえずはそうね……まずは“愛”、そのものの意味から調べてみましょうか。
アンタ、なんかもってないの? 辞書とか、百科事典とかさ。
「準備がいいわね……、じゃあさっそく索引、索引で……ちょっと読み上げてみなさいよ。
『愛(あい、英: Love、仏: Amour)とは、崇高なものから、恋愛、そして欲望に至るまで様々な意味で用いられる概念である』。
はん、お偉いさんも意外にイイことというじゃない。けど明らかに説明不足よね。“様々な意味で用いられる”……じゃあ様々って何よ、って話。
結局アンタが知りたいのって、まさにその“様々”って何さ、ってことだからねェ。
「うーん、具体的にいろんな“愛”を見てみましょ。
ほら、ここ。そこじゃなくて下の、そう……。
愛国、愛称、愛想、愛憎、愛着、愛用、慈愛、母性愛……。こうやってみると結構あるもんね。
でももっとほかにもあるのよ? 友愛とか、兄弟愛とか、親子愛とか。
まぁ、アンタには関係ないか……でも友愛ならわかるんじゃない? “友人”との“愛情”。ね、わかるでしょ?
「そうねェ……それこそどんなくだらないことでもいいけど、例えば前アンタの足の形が変だ、って笑ったじゃない。あれも一種の愛じゃないかしら。
別に笑ったことが愛じゃないのよ? ただなんていうか……ようはアンタもゲスくさいヤツらの足なんか知ったこっちゃねェーって感じでしょ?
アタシもエルメェスもエンポリオも、ようはアンタに興味があるのよね。
F・Fって一体どんなやつなのよ、ってね。
「ただ興味があるから全部愛かっていうと……うーん、なんか全面的にはYESじゃないのよね……。
他になんか例はないかしら。他に他に……そうね…………。
そうだ、アンタ、キャッチボール、好きよね? あれも一つの愛だと思うのよ。ボールとかスポーツへの愛。
興味がなければボールになんて執着しないわけだし、自分が進んで投げようとも思わないわけだし……ごめん、これはなんか違うかも。
でもシンプルに言っちゃえばそれはそれで通じるし、一つのアイディアではあると思うのよね。
“好き”=“愛”! これも一つの考え方としては立派にありだと思うけど。
「正直人間にも難しいのよ。 だって考えてみなさいよ? 周りを見てみなさいよ?
この図書室にある書物の内、どれだけ愛を語った内容があると思う? どれだけ愛を歌った詩があると思う?
人間が何百年、何千年かけて探求し続けてるのに、まったくと言っていいほど形となった答えなんて発見されてない。
それがアンタが探してるものなんだから、これはもう、無理難題、なんて言葉じゃ表しきれないわ。
だからアンタはアンタの答えを探すべき、ってのがアタシの答えかなー。実際ちょっと興味はあるわね。
アンタは人間とは違うし、そこらへんの“生物”とも一線を画してるじゃない?
アンタの答えが気になるっちゃ、気にはなるわよ! それはもう、ね!
「アンタそれをあたしに聞く?
考えてみなさいよ、なんでわざわざあたしがこのションベン臭い刑務所にいると思ってんのよ。
親子愛よ、親子愛! もうそれっきゃないじゃない、どー考えても。
父親と娘の愛情、なんか自分で口にすると相当恥ずかしいけど、あたしが話せるとしたらこれぐらいしかないしね。
◇ ◇ ◇
入口のドアを開けるとチリンチリン……と陽気な鈴の音が店内に響く。
いらっしゃいませ、いつもならすぐさま飛んでくるであろうそんな挨拶。だが店員の朗らかな声は帰ってこなかった。
控えめなBGMが静々と流れるフロアを一瞥して、
空条承太郎はその大きな体を店内に滑り込ませる。
後ろ手にドアを閉めると、彼は大きく息を吐き慎重に、こう囁いた。
「川尻さん?」
すぐに返事は帰ってきた。
「空条さん、ですか……?」
少し離れた机の下から青い顔がのぞいていた。承太郎の指示通り机の下に隠れていたのは、
川尻しのぶ。
その不安げな様子はまるで飼い主の帰りを待っていた子犬のようだった。
恐怖と緊張でうまく立ち上がれない彼女に、承太郎は黙って手を貸した。
互いに席に着き、彼女が話を聞ける状態まで落ち着いたのを待って、承太郎は口を開いた。
自分が何を見たのか、誰がその場にいたのか。淡々と感情を交えず、ただ述べていく。結局のところ、彼はただありのままの事実を伝えることにしたのだった。
コンテナと大男、
川尻早人と一人の少女。これ聞いてどうするのか。選択権はしのぶに、そう思い承太郎は話し続けた。
話は10分とかからずに終わった。承太郎の低く、落ち着いた声が宙に消えていき、二人の間に沈黙が流れる。
しのぶは話を聞き終えても、しばらくの間、黙り込んでいた。
神経質そうに唇の輪郭をなぞり、何か遠いものに目を凝らすかのように、その両目は細められていた。承太郎の予想以上に沈黙は続いた。
そのことを意外に思いながらも、決して表情には出さない。彼は黙って、しのぶの返事を待った。
遅々と流れる時間を前に承太郎は無意識のうちに、ポケットへと手を伸ばす。
煙草を咥え、ライターで火を灯しかけたところでしのぶの視線に気づいた。承太郎は、目で話すように促した。
「空条さん、ここ、禁煙席ですよ」
「……失礼した」
それに私タバコの煙が苦手なんです、臭いもなんですけど喉にまとわりつくあの感覚がどうもダメなんです。
しのぶの言葉に承太郎はそうですか、と返し灰皿にタバコを押し付けた。ジュッ、という音を響かせて灯っていた火がかき消された。
意外だった。ほんの少し前、激情に駆られ、感情をむき出しにしていた川尻しのぶ。
そんな彼女が今、冷静な眼差しで承太郎の目を見返していた。
「貴女は……」
その表情にちらりと目線を向けると、彼は言った。
承太郎は自ら話を切り出した。話が本題に入ってくるのを合図としたかのように、しのぶは背筋を伸ばすと、顔付きを鋭いものにする。
不安げな表情の中にも気高さがあった。恐怖に打ち勝とうと、しのぶは自らを奮い立たせている。
承太郎は強い女(ひと)だ、と思った。
「早人君に会いたいのではなかったのですか」
癇に障るような言い方ですみません、承太郎はそう素早く付け加える。
しのぶは合わせていた視線をそらすと、疲れたように目を閉じる。唇をかみしめ、そんなことありません、そう小さくつぶやいた。
悩ましげな様子で眉間にはしわが寄せられ、机におかれていた手で両ほほを包む。
ほんのさっき、それこそたった今、といってもいい。
川尻しのぶは息子と夫の安否を気遣っていた。あんなに二人の無事を祈っていた。
ならば、何を悩む必要があるのだろうか。何をそんなに気を揉むことがあるのだろうか。
灰皿から漂っていた煙がすっかり消え去ったころ、しのぶが口を開いた。微かな疲れがその声には混じっていた。
「空条さん、私すごく怖かったです。空条さんが出て行って、一人残されたとき、ものすごく不安になったんです」
話の行く先が見えなかったが、承太郎は黙って彼女の話を聞いた。
うなずき、話を続けるように訴える。しのぶはポツリポツリ、つぶやいた。
「机の下で一人、膝を抱えて震えていました。
情けないと思われるかもしれませけど、その時初めて、本当に殺されるかもしれない、死ぬかもしれないってことに現実感がわいたんです。
そして早人が今、こうやっている時にも……自分と同じように震えているかもしれない、自分と同じ気持ちを味わっているのかもしれない。
そう知った時……なんとしてでも、何をしてでも。あの子を守ってあげたい、そう思ったんです」
話すうちにしのぶの声は大きくなっていった。
自信なさげに伏せられていた目は承太郎の目をしっかりと見つめ、震えていた体は止まっていた。
空条さん、承太郎の名を呼ぶとしのぶは大きく息を吐き、言葉を重ねる。
「私は母親です。母親ならば例えどんな時だろうと、どんな状況だろうと息子のことを思い、息子のために行動すべきだと私は思っています。
息子のためならば、それこそ……私はもしかしたら殺人者になるかもしれません。
反対に、息子のためならば……息子を救うためなら、私は殺人者にも立ち向かっていけるでしょう」
川尻しのぶの目は覚悟のある目だった。気弱さ、頼りなさを押し殺し虚勢を張る姿を、誰が馬鹿に出来ようか。
子のためならば自ら手を汚すことも、自ら命を投げ捨てることも厭わない。親ならば当然だ、そう簡単に口にできようか。
承太郎はその澄んだ目に耐え切れず、視線をそらす。
彼にもしのぶの気持ちが痛いほどわかった。彼も父親であり、一人の娘を持つものなのだから。
彼の心臓がギュッと締め付けられるように痛んだ。しのぶの気丈で誇り高い姿に、自らの娘が重なって見えたから。
「わかりました」
平静を取り戻した承太郎が言う。かき乱された心を抑え込むように、拳を強く握りしめ彼は立ち上がった。
結論が出た今、これ以上時間を無駄にするわけにはいかない。すぐにでも早人の元へ向かおう、承太郎はそのつもりであった。
しかしそんなかれの行動を遮ったのはしのぶ、その人。
待ってください、慌てるように彼に投げかけられた言葉。承太郎は訝しげに彼女を見返した。
男の目線を受け止め、しのぶは俯き、目を泳がせる。
歯切れ悪く、言いづらそうな表情で川尻しのぶは承太郎へと問いかけた。
「空条さん……あなたは不安じゃないんですか? 怖くないんですか?」
「何が……ですか」
強く唇をかみしめて、彼女は意を決したように話し始めた。
決して承太郎のほうを見ず、お節介とはわかっています、失礼になったらすみません。
そんな前置きを繰り返し、しのぶは絞り出すように早口で言った。
「空条さんにお子さんはいないのですか? 空条さんは、怖くないんですか?」
「――――――ッ」
「お母様だと、先ほど……そう言われてましたよね。私にはわかりません。
どうしてあなたはそんなにも私にやさしくしてくださるんですか?
なぜ早人のことや私のことを、そんなにも気にかけてくださるんですか?
スタンド、さっき見せて下さったあれ、あんな超能力があるなら尚更でしょう。
その力を使って家族を守る、家族を見つける。普通の方ならそう思われるんじゃないでしょうか。
見知らぬ超能力で息子が、娘が、奥様が……。この瞬間にでも危ない目に合っているかもしれないのですよ?
……ごめんなさい、言いすぎました。あまりに不躾で、本当に失礼なことを。申し訳ありません……。
私も何が言いたいのか、もうわからないんです……。
ただ……貴方は私を守ってくれました。だから、今度は私が空条さんの助けになりたいんです」
「……………………」
「変ですよね、可笑しいですよね。
早人がそこにいた、母親ならそれを聞いたらすぐにでもここを飛び出しているはずですよね?
例え見つからなくても、血眼になってでもあの子を見つけてやるべきだとはわかっているはずなのに。
けど……けど、本当にわからないんですッ! 何が正しいのか、それでいいのか、もうなにもかも、ぐちゃぐちゃで……ッ
ただ…………あの子に怒られる気がするんです。
あの子は優しい子だから、もし目の前で困ってる人がいるのに、その人をほったらかしにしたらあの子は怒るんじゃないかって……」
両手を組むと、その手に額を押し当てて、しのぶは一言、一言、捻りだすようにつぶやいた。
承太郎は黙って話を聞いた。心臓をわしづかみされたように、彼は動くことができなかった。激しい運動今しがた終えたかのように、心臓が音を立てて鼓動を繰り返していた。
承太郎は徐倫と同じような目で見てくるしのぶから、いつのまにか目が離せなくなっていた。
「私は息子を愛しています」
しのぶのハッキリとした声が承太郎の心をかき乱す。
繰り返し、繰り返し自らに言い聞かせ平静を保っていた。最大限の努力を払い静めてきた心が、精神が、揺れ動くのを確かに感じた。
水面に波を起こした言葉が、打ち寄せては彼の心を削りとっていく。
投げかけられた言葉が鋭い刃物のように、凍りつかせていたはずの承太郎の心を砕いて行く。
「そう、息子を愛しているはずなのに、息子のことを大切と思っているはずなのに。
なのに、なのに私は、こうやってただ座って、どうすればいいかわからず迷っている」
しのぶははっきりとそう言いきった。
青ざめてはいるが、決してうろたえているわけでもない。
言葉とは反対に、凛としているその姿はまるで彼女が迷いなく、固い意志を持っているかのようだった。
だが承太郎はそんな彼女を見ることができなかった。見るに堪えなかった。
彼にはしのぶが脆く、今にも崩れ落ちてしまいそうに見えたから。
今にも消えてしまいそうなほどに、儚く、頼りなさげに見えたのだから。
優しく抱きしめたら砕け散ってしまいそう。両手で包めば霞み吹き飛んでしまいそう。
しのぶの姿が窓ガラスに薄く浮かび上がる。承太郎は、そこに浮かび上がった彼女の横顔を見つめ続けていた。
「空条さん、たったひとつでいいんです。たったひとつ、質問に答えてください。
それだけで私は勇気がわいてくるんです。確信を持って、誇りを持って行動できるんです」
闇に浮かび上がった女の顔は青白い。
頭の後ろで乱雑に束ねられた髪が、席から立ち上がった彼女の動きに合わせゆらりと揺れた。
ふと承太郎は思い出す。娘の髪型に口出ししなくなったのはいつごろだったのだろうか、と。
いや、そもそも、もう娘と会わなくなってどれぐらいたったのだろうか。最後に顔を見合わせたのはいつだろうか。
娘の未来のため、妻の安全のため。
そう言って興味のないふりをして彼女たちに背を向けたのはいつからだ。
もう何年、彼は目を逸らし、一人の道を歩き続けていたのだろう。
「空条さん、アナタは家族を愛していますか……? 」
ガラス越しに見ると東の空がうっすらと明るくなっている。
もう、夜明けが近い。
承太郎はいつまでも、じっと地平線を眺め続けていた。
【E-7 北部 レストラン・ジョニーズ/一日目 早朝】
【空条承太郎】
[時間軸]:六部。面会室にて徐倫と対面する直前。
[スタンド]:『星の白金(スタープラチナ)』
[状態]:精神疲労(中)
[装備]:煙草、ライター
[道具]:
基本支給品、ランダム支給品1~2(確認済)
[思考・状況]
基本行動方針:バトルロワイアルの破壊&娘の保護
0.???
1.
川尻浩作の偽物を警戒。
2.お袋――すまねえ……
3.空条承太郎は砕けない――今はまだ
【川尻しのぶ】
[時間軸]:四部ラストから半年程度。The Book開始前
[スタンド]:なし
[状態]:疲労(中)、精神疲労(中)
[装備]:なし
[道具]:基本支給品、ランダム支給品1~2(未確認)
[思考・状況]
基本行動方針:家族に会いたい。
0.???
1.『教えて』ください……『教えて』くれれば、勇気がわいてくるんです
2.空条さん、あなたはいったい、何を……
【備考】
スタンドという概念を知りました。
吉良吉影の事件について、自分の周りの事に関して知りました(例えば他の『吉良吉廣』のことや『じゃんけん小僧』等の事件はまだ知りません)
承太郎以外のスタンドについては聞いていません。
◇ ◇ ◇
【2】
「具体的に、なんて言われると困るけど……そうねェ、強いて言えばあの時のことかしらねェ。
随分前になるから記憶もあいまいだし、あの時はあたしも、ぐれる前だったからなー。そう考えると懐かしいな。
そんなたいしたことじゃないのよ、ほんと。ただ珍しく父さんと海外電話したってだけのことなんだけど。
「いつだったかな……多分夏に入る前の春、ぐらいだった気がするわ。
さっきも言ったけど随分前のことだからはっきりは覚えてないのよ、ほんとに。
ただ、あの父さんが電話してきた、ってこと自体が相当珍しいことで、だから曖昧な割に印象に残ってんだろうなァー。
そう言えばママが電話の後でやけに上機嫌になってたもんな。そうだ、そうだ、段々思い出してきた。
「ほんとまた内容がくだらなくてさ。当時のあたしって6歳だったのよね。
まず父さんのいる日本がどこにあるのかわからなくて、質問攻めにして困らせたっけ。
実際6歳のガキに電話越しにアメリカと日本の距離感覚教えるって今考えたら相当難問よね。
父さんには悪いことしたなー。そのあともくだらない質問連発で、話す時間より父さんが悩んでる時間のほうが多かったぐらいなんだもん。
「しかもわざわざ日本に言った理由がヒトデの研究だって言うんだからもう爆笑。マジ笑える。
当然あたしはわからないわけよ。大の男がそれでも必死で理解させようとするのよ。
ヒトデっていうのはだな、なんて言って。最終的には『お父さんの話、面白くない』って一蹴よ。
可愛くないわね、あの時のあたしも。
「まぁ、結局何が言いたいかって言うとね、F・F。
親子とか血縁関係って不思議なもんで、好きです、はいそーですか、みたいにうまくいかないのよ。
というかほとんどうまくいかない、うまくいったためしがない。特にあたしの場合は。
「アンタがどれぐらい知ってるかはわからないけど、愛があれば全て、だなんて幻想もいいところだわ。
実際のところ一番近いはずの家族でもうまくいかない。アンタから見たらすっげー変な行動とったりすると思うの。
合理性、だとか、冷静に考えて。そう言うのが一番働かないのが家族だと思うの。
「だからこそだろうけど、悪くもあればよくもある。結局のところ、損得勘定じゃないのよね。
理屈じゃなくて、なんていうのかしら……こういっちゃ安っぽいかもしれないけど魂、っていうのを感じるのよね。
一族っていうのかしら。やっぱり自分の体を構成する半分は父親、半分は母親から引き継いでるわけだしね。
「こんな私が言うのも何だけど、F・F。
家族っていうものは生まれてくるものは選べないわけ。子供は父親と母親を選べない。
だからこそ固く強く結ばれてるし、そのくせ脆く弱い絆でしか繋がってない。
わからないかもしれないけど、そういうもんじゃないかしら、親子とか家族って。
◇ ◇ ◇
ジョセフの見開かれた目から、ポタリポタリ……と涙が零れ落ちる。
ぐっ、と噛みしめられた歯の隙間から、チクショウ……という言葉が思わず漏れ出た。
ジョセフは知った。怒りと悔しさで涙を流すことができることを。
憎悪と憎しみ、そんなどす黒い感情をこの自分が持つことができるということを、今、初めて知った。
もしもこれがあの眼鏡ジジイの計算だというのなら……。
もしも俺が、おばあちゃんがここにいて、こうなることをわかってこんなことをしたっていうなら……。
怒髪、天を衝く。
彼の体から発せられたエネルギーが熱となり、纏わりつくように彼の周りを漂っている。
暗く淀んだ怒りが、ジョセフを近寄りがたい存在にしていた。
感情の高ぶり、かき乱された怒りの思考を遮るように無垢な声が洞窟に響いた。
「ジョナサン……?」
背中越しに投げかけられた言葉に我を取り戻す。
乱暴に顔をこすると怒りと涙を振り払い、男はゆっくりと振り返り、声の主に笑いかけた。
膝から崩れ、地に伏していた女性はゆっくりと立ち上がると、よたよたとよろける脚で男の元へと向かっていく。
子が初めて歩くことを知ったような頼りなさげな様子だった。彼女のドレスは泥で汚れ、顔や髪も汚れで黒ずんでいる有様だった。
広げた両腕に飛び込んできた女性をしっかりと抱きしめながら、ジョセフはまた溢れだしそうになった感情をぐっとこらえる。
あのエリナおばあちゃんが、こんなにも弱り切っている……
あのいつも気丈で、誇り高く、どんな時でも頼りになる、あのおばあちゃんが……ッ
折れてしまいそうなほどに細い身体、恐怖と不安に歪んだ表情。
クソッたれ、一段と祖母の体を強く抱きしめるとジョセフは口に出さず、そう毒づいた。
憎しみというどす黒い感情が彼の中で膨れ上がる。それはまるで毒のように、身体中を駆け巡り、暴れ出す衝動を彼は必死で押さえつけた。
おばあちゃんをこんなにも追い込んだクソッたれゲーム。
おばあちゃんをこんなにも悲しませやがる、あのクソッたれの腐れ外道の眼鏡ジジイ。
そして……おばあちゃんを励ますこともできず、騙し続ける、この俺、
ジョセフ・ジョースター。
全てが憎かった。全てが許せなかった。
泣き言なんて言ってられねェ、文句を言っても仕方ねェ。
そんなことはわかり切っている、百も承知でわかっている。それでも怒りは収まらない。
身体の中で、まるで獣が暴れまわっているようだった。
「ジョナサン……」
「ああ、ここにいるよ」
「ああ、ジョナサン……! 本当に、怖かった……本当に、本当に…………」
「もう大丈夫だよ……大丈夫だから…………」
落ち着かせるように、なだめるように背中をさすり続ける。
もたれかかってきた身体をしっかりと支え、ただただ、ジョセフはエリナをなだめ続けた。
無理もないだろう。たった今起きた出来事は、エリナでなくても目を覆いたくなるような惨劇だった。
あまりのむごたらしさ、そして悪趣味具合に吐き気がするほどだ。
洞窟の地面に転がる首輪とカバンに、ジョセフはゆっくりと目を向けた。
ほんの少し前の出来事だ。二人が歩いていると、暗闇にうずくまる一人の女性がいた。
警戒するジョセフを押しとどめ、エリナは後ろから声をかけた。
看護師である彼女は女性が怪我をしていると思ったから。慈愛にみち溢れる彼女は女性を放っておくことができなかったから。
すすり泣く彼女に、エリナはこう言った。
『もしもし? あの、すみません』
『…………―――の赤ちゃん、私の、私の……………………』
『どこか怪我をされているんですか? 大丈夫ですか?』
『……私の赤ちゃんはどこ? 私の赤ちゃんが、アタシの赤ちゃんが…………』
呟きがピタリとやんだ。不穏な雰囲気にジョセフが前に出ようとした、その時だった。
『あたしィィィの赤ちゃあァァァ―――――ンッッッ!』
『危ない、エリナッ!!』
知らず知らずのうちに、ジョセフは拳を固く握りしめていた。
耳の奥がジンと痺れ、胸のあたりに込み上げて来る不快な感触から、必死で目をそむける。
だが、掌に伝わった確かな感触、それだけは誤魔化しようがなかった。
波紋が的確に流れたことは一瞬のうちに融け消えたゾンビと、残された首輪が確かな事実として物語っていた。
残酷すぎる事実として、はっきりと。
ジョセフは乱れた呼吸を整えるように、ゆっくり呼吸を繰り返す。
揺れ動く感情を沈め、内なる獣をあやし続ける。けれどもうまくいかなかった。
ほんの少しの間に、あまりに多くのことが起きすぎた。
ジョセフ・ジョースターがどれほどの楽天家であろうと、どれほどのおちゃらけものであろうと。
彼はまだ19歳の青年だ。彼は、重荷を背負うには余りに若すぎた。
祖母を守る決意、同時に祖母に自分の正体がばれてはいけない。
生粋のおばあちゃんッ子であるジョセフは彼女のほっとした笑顔を見るたびに胸が張り裂けそうな罪悪感に苛まれる。
俺は、おばあちゃんを騙している。こんなにも、おじいちゃんのことを愛し、信じ切っている、おばあちゃんを……。
殺したゾンビの最期の言葉が、耳の奥で鳴り響き続けている。
彼女も一人の母親だったのだろう。どうしてゾンビなんかになってしまったのか。
生を呪ってでも彼女は子を守ろうとしたのかもしれない。悲しみのあまり、彼女は呪われた道を選んでしまったのかもしれない。
(―――考えるな)
落ち着いたエリナに向かって笑いかける。強張った表情がゆっくりとほどけ、彼女も笑顔を浮かべていた。
くすんだ瞳は未だ輝きを取り戻していない。祖母の精神状態はまだ、不安定だ。
自分がしっかりしなければ一体誰が彼女を守るというのだろうか。
足元に気をつけて、そう声をかけると腕を組んで歩きだす。
僅かな光を頼りに二つの影が道なき道を進んでいく。右に左に、ゆらりゆらり。
寄り添い歩くその姿は、まるで夫婦のようだった。
「ジョナサン」
「なんだい?」
見るとエリナはどこか夢見心地の表情でジョセフを見つめている。
ジョセフが視線を向けると、彼女はにっこり笑い、もう片方の腕を伸ばした。
自由なほうの手で、エリナがそっと自らのおなかを触る。愛する何かを撫でるように、何か守るべきものがそこにいるかのように。
「愛しているわ、ジョナサン……」
その時ジョセフは自分がどんな表情をしていたのか、想像もつかなかった。
もはや精神の限界、感情の決壊。思考は白濁にのまれ、視界は暗転。
果たして壊れているのはエリナなのだろうか。壊れてしまっているのが世界ならば、まともなままの自分こそが壊れているのではないか。
隣にいるのは祖母であり、彼女のおなかの中には自分の父がいる。
それはパニックにも近い衝動だったのかもしれない、恐怖と言い換えてもいいだろう。
考えれば考えるほど、気が狂ってしまいそうだ。もうなにがなんだかわからなくなってしまった。
ただひとつ、わかっていること。
こんな狂った世界だろうとジョセフは祖母を守ってやりたい。隣を歩く女性の笑顔を守りたい。彼は顔をあげ笑顔を祖母に振りまくと、改めて共に歩こうと固く誓った。
無論ぐしゃぐしゃになった感情は、到底整理しきれるものでない。
大声をあげて吠え狂いたい。手当たりしだいやつあたり、怒鳴り散らし暴れ狂いたい。全てを放り投げて逃げ出せたらどれだけ楽だろうか。
けれども……けれどもジョセフは、そうしなかった。横にいる女性を支え、荷物を背負い、彼は歩いて行く。
より一層固く腕をからめ、祖母の存在をしっかりと確かめる。エリナの青ざめていた頬にさっと赤みがさした。
愛する祖母のためならば。大切なエリナおばあちゃんを守るためならば。
暗闇はいまだ濃く、辺りははっきりしない。はたしてこの洞窟から抜け出すことはできるのか。
よぎる不安を押さえつけ、ジョセフはゆっくりと歩を進めていく。底の見えない闇の中へ、彼とエリナは今、歩み出した。
【D-4中央 地下通路/1日目 早朝】
【ジョセフ・ジョースター】
[スタンド]:なし
[時間軸]:ニューヨークでスージーQとの結婚を報告しようとした直前。
[状態]:精神疲労(大)
[装備]:なし
[道具]:首輪、基本支給品×3、不明支給品3~6(全未確認/
アダムス、ジョセフ、
母ゾンビ)
[思考・状況]
基本行動方針:エリナと共にゲームから脱出する
0.とりあえず地上を目指す。洞窟から出たい。
1.『ジョナサン』をよそおいながら、エリナおばあちゃんを守る
2.いったいこりゃどういうことだ?
3.殺し合いに乗る気はサラサラない。
【
エリナ・ジョースター】
[時間軸]:ジョナサンとの新婚旅行の船に乗った瞬間
[状態]:精神摩耗(中)、疲労(中)
[装備]:なし
[道具]:基本支給品、不明支給品1~2 (未確認)
[思考・状況]
基本行動方針:ジョナサン(ジョセフ)について行く
1.何もかもが分からない……けれど夫を信じています
【備考】
エリナはジョセフ・ジョースターの事を
ジョナサン・ジョースターだと勘違いしています
ジョセフはエリナが「何らかの能力で身体も精神も若返っている」と考えています
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最終更新:2012年07月19日 23:06