「あの、ジャイロさん……」
「……あんだよ、阿求。」
ポルナレフさん達が談笑している間、私はジャイロさんに声をかけました。
「……差し出がましいとは思うんですけど、その、気を落とさないで下さい。」
「あぁ!? どういうこったよ、それは…?」
ジャイロさんはぶっきらぼうにすっ呆けるだけ。
私は神子さんではありませんが、声の端々から感じます。やりきれない思いが。
「貴方は自分で決着を付けたがっていたはずです。……あの敵との。」
「……だったら、どうする?」
ジロリとこちらを見る眼には、これ以上踏み込むな、と警戒しているような雰囲気を醸し出していました。
「あいつを掘り起こして見るか? そしていっちょ思い知らせてやるか? 『尊厳』を踏みにじった落とし前を付けるために?」
「……ッ」
ドスの入った声が私へと突き立てられます。怖い。身長差も相まって上から、もの凄い力で押さえ付けられるような感覚を覚えました。
「仮に生きてたところで、できやしねぇのにな…! 結局俺は、野郎を潰すことに何一つこの力を使えなかったって言うのに!
その癖、俺はケリを付けたがっている…! これじゃあ餓鬼のワガママと変わりゃしねぇ…!!」
静かですけど、本当に悔しさが滲み出た彼の姿がありました。
ギリリと噛み締める歯は、本来なら金色の輝きを見せるのでしょうけど、今はとても影っているように感じます。
「私たちは、確かにあの場では何もできませんでした、でもそれを次に生か―――「俺は『納得』がしたいだけだ!!」―――
ジャイロさんは私の言葉を遮って声高に主張します。でも、私だって…
「あの時、あの場所で俺のできる『納得』はその一回キリだ! それを逃したら次はねえんだよ!
それを塗り替えられるのは本当の『選ばれた』『奇跡』しかない!!
次に生かすなんてねえんだよ、と彼はもう一言ダメ押しに付け加えます。
「いいえ! 貴方には『納得』してもらわないといけません!」
「『納得』を強要して『納得』足り得ると思ってんのか?」
うぅ、勇み足で返した結果、言い包められちゃってます。彼の言う通りではあるんですが、だったら、そう……
「『妥協』してもらえますか? ジャイロさん。いや、してもらいます…! この結果で十分じゃあないですか!」
これしかありません。彼をこれ以上思い詰めさせないためには。
「ナメてんのか…!? てめぇ…!!」
胸ぐらをグイッと掴まれ、あっさりと持ち上げられます。くるしい…
「男には『地図』が必要だ…! 荒野を渡り切る心の中の『地図』がなぁ…!! そして『納得』は俺の中の『地図』なんだよ…!!」
押し殺したような声ですが、却って威圧的な印象を受けます。
「てめえなんかがよぉ…! 勝手に捻じ曲げようとするんじゃあねぇ!!」
「うぅっ…… !? つぅあッ!」
ジャイロさんが言い終えると一緒に呼吸が急に楽になりました。その代わりに、お尻を強かに打ち付けちゃいましたけど……
「げほっ、うぅっ……で、ですけど… いつだって『納得』できるわけないですよね? それだったら亡くなった神子さんのことは『納得』いくんですか!?」
「てめええええぇぇぇえええええええーーッッ!!! くっだらなぇ揚げ足取りに神子を持ち出すな!! 汚らわしいぞッ!」
再び私は宙に吊るされちゃいました。息苦しい、でも私が言わないと…
「いいえ!! 下らな…いことじゃあ、ありません…! 貴方の生き方……は、ここではあまりに…も自分に厳しすぎます……」
「それがどうしたッ! てめえなんかに心配される謂れはねぇッ!」
一瞬、彼と目が合ってしまい、鬼のような形相で私を睨み付けているのが良く見えました。本当に怒らせちゃっています。それでも…
「私の生き方は、もっと、もっっと弱い…!『納得』なんって、どこにも、ありません……」
「……知るか…!お前自身が『納得』の生き方をするかどうかなんて興味ねえ。」
私は何とかそのまま離そうとするジャイロさんの腕を掴みます。まだ、言い終えてませんから…!
「私は戦う力なんて、ありません…! 幻想郷の住人なのにッ…! ……弾幕さえ私はッ…撃てない………!」
「だったら、すっこんでりゃあいい…! 俺の生き方に口を挟むんじゃあねぇ…!」
「能力も役、には立ちません。スタンドもぉ…ありません。回転や波紋っの技術もない。役立たず……っ役立たずなんです!……っわた、しっは…!」
「だから、すっこんでろって「でも、それでも、まだ生かされています。『妥協』し続けて……」
私は弱く賢い。だからこそ、出来ることと出来ないことなんてすぐにわかってしまいます。
努力とかそういったちっぽけなモノでは超えようのない壁があることなんて、すぐに…
「『納得』をっ…目指せる貴方が羨ましいのだと思います。貴方に『妥協』して……ほしいのは私が、息苦しいから、
惨めなっ気持、ちを分かち合ってほしい…からなのかもしれません。ですけど…!」
「これが私の『指針』なんです… 荒野を渡り切る心の中の『地図』を進むための標。惨めなコンパスです。
でも『納得』だけでは貴方の『地図』は、いつかそれに載っていないところまで進んでしまう気がしたから…
『妥協』という『指針』を忘れないでくださ―――」
あっ… またしても浮遊感が。落ち―――
「けっ! 余計なお世話だぜ… おい、平気か?」
―――るっと思ったけど、降ろしてくれたんですね。
「はっい、大丈夫、です。それよりも「あーあー! 聞こえない聞こえないね! てめえの話なんざ聞いていねぇよ~だっ!」
うわぁ… 子供みたいな態度。いや、私も子供なんですけど…
「俺のことが心配だって言うんなら、最初に一言、そー言ってりゃいいんだよ。子供らしくわかりやすくな。」
「最初に気を落とさないでくださいって言ったじゃあないですか!? それに子供って貴方のその態度も大概子供ですよっ!!」
「あー? 俺は24歳なのよん。おたくと違ってちゃーんと酒を飲めんだよ。」
「なっ! バカにしないでください! 幻想郷のお酒はいくつからでも、誰でもウェルカムなんですよっ! 私だって飲めます!!」
うーん、私の言ったこと理解してもらえたのでしょうか…… 何か私も相手のペースに乗せられちゃった気がします。
結局、しばらくの間あーだこーだ言い合っちゃいましたし…
でも、これで良かったのかも。彼の生き方にこれ以上ケチをつけるわけにはいかなかったし。
その生き方を捻じ曲げるかどうかは結局のところ彼次第なのだ、少なくとも今の私じゃあ立ち入れない。
神子さんなら、私なんかよりも、もっと上手に出来るんだろうなぁ…なんて思わずにはいられない。
貴方が亡くなったことが未だに信じられません。唐突過ぎて、涙も流れないくらいに。
貴方と違って、戦う力のない私ではきっと彼を支えることはままならないでしょう。
貴方に救われたように、私には人一人、言葉で支えることもままならないでしょう。
でも、せめて後者だけは残された私でも、やっていこうと思います。
隣に立って、戦う力はなくても、それだけは。
たとえ、それが口先だけの奴だと罵られても。
雑談もそこそこにして、私たちはそろそろ幽々子さんとメリーを追うべくここを発とうとしました。
「ポルナレフ、そろそろ行くぞ。っと、早苗はどこに行っちまったんだ?」
「ああ、分かってる。ほら、あそこにいるだろ?」
ポルナレフさんは早苗さんのいる位置を指差します。あっ、いました、いました。―――ってあれ?
「一言礼を言ったら行くとしよう。俺たちがこうしていられるのも早苗ちゃんのおかげだしな。」
何でしょう、この違和感は?
「ジャイロさん。ちょっといいですか?」
「何だ?」
「何でここにある血の海があっちに引いていくんでしょうか?」
「は?」
私はすぐ近くまでにじり寄って来ていた血の海を指差します。
早苗さんが奇跡を起こした地点から大量に噴き出したあの悪魔の血は、確かにこちらへとじわじわと広がっていました。
ですが、今は月の引力に引き寄せられるように、元の場所へと戻ろうとしています。
「知るかよ、んなもん。地面にドでかい穴でも開いたんじゃあねえのか?」
もう! 少しは真面目に考えてもいいんじゃあないでしょうか!?
あんまり役に立ってくれないジャイロさんは置いといて、私は早苗さんがいる地点をじーっと見ます。
「……地面がせり上がっている?」
やっぱり、おかしい…! 最初に『覚えた』景色と違う…!
今この瞬間『覚えた』景色ともズレが出ている。要は……今も地面が盛り上がっている…?
「でも、何でそんなことが…?」
地面の中に何かいる? ここに生き物がいるなんて思えな……
「!!!」
全身に凄まじい寒気が走りました。恐るべき事実がこの大地に眠っていることに。
い……る。生き物じゃない、アイツが……!?
私はゆっくりと腕を動かしジャイロさんのマントをギュッと掴みます。
声を大にしてみんなに伝えたいですが、そうもいきません。
ちょっと!? 早く気付いて下さいよ! ああ、もう…じれったい、それ!
「うおッ!? 何すんだよ、阿求! つまらねえ仕返しの仕方だなぁ、オイ! 構ってほしけりゃ他にもやり方があるだろ?」
構ってほしいとか、そういう次元の話じゃあないですよッ! いやまあその、確かに構ってほしかったのは本当ですけど……
…って、いやいや! 深い意味じゃあなくって!? ……って話が逸れてるゥゥッ!!
私は一旦深呼吸をします。こんなことしている場合じゃないのに…
(それどころじゃありませんッ! 真面目に話を聞いて下さい!)
小声ですが、緊張感をもってジャイロさんに話しかけます。最初からこうしてれば良かった…
「わーったよ。んで? どうしたんだ?」
(小声で話してくださいッ! 地中にいます。アイツが……)
「オイオイ。冗談言うにしたって、もっとマシなものがあるだろ?
……ったく仕方ねえ、じゃあここで一つ俺が愉快なジョークを―――(冗談じゃあありませんッ! そんなの聞きたくないです!!)―――
あっ、流石に今のは効いたみたいですね。へこんでる。かわいそうとは……思わないけど、うん。
…だ・か・ら! こうしている場合じゃないですって!
「…ったくよぉ……ジョニィも神子もちゃ~んと聞いてくれたってのに、お前はよぉ…なんっか冷てぇなぁ…」
(お願いですから、私の言うことを信じてください。それと、ショック受けてないで立ち直って下さい!)
「ジョニィはバンド組むかって言ってくれたのに、神子は大声あげて喜んでくれたのに、お前はよぉ……」
あっ、だめだ……この人。今まで自分の冗談を否定されたことないみたい……
思った以上に深刻そう。もう! 遊んでる場合じゃあないのにッ!
(歌もジョークも後で死ぬほど聴いてあげますからッ!)
「…へんっ、どうせ嘘なんだろ……そうやって持ち上げようとしたって…」
(そうだ! 貴方の歌とかジョークとか、どうにかレコーディングして持ち帰りたいな~! 私の家には立派な蓄音機があるから、それでみんなに聴かせたいな~!)
「マジっすか!!?? よっし決まりだ!!! 約束は守れよ!! 今度こそは、なッ!!!」
チョロいですよ、この人!? もっとねちっこく来るかと思ったんですけど…… それに、今度こそって一体何の?
(んで、阿求? 話ってのは何なんだ? 手短に頼むぜ…)
切り替え早いなぁ… まさか、さっきの全部わかっていて、私をからかっていた…? いやいや、流石に考え過ぎか……
(えっと、さっきから周りの景色が刻々と変わっています。地中に何かいるとしか考えられませんッ!)
(地中って言うと、あの化物がかよ?)
(それしか考えられません。)
(…わかった。ちょいと待ってろ。)
ジャイロさんはそう言うと、腰に取り付けたポーチから鉄球を取り出します。
二回りほど小さくなっていますが、その代わりに歪な不定形から球形のそれへと直されています。
ポルナレフさんが鮮やかにカットしてくれたんです。
(ちょっと待って下さい! 回転なんかしたら察知されるんじゃあ!?)
(安心しろ、回転速度はギリッギリまで落とす。まず、敵がいるかどうか、見極めてからな!)
掌の中心に乗った鉄球はどういう原理なのか、ジャイロさんが動かした様子もないのに、いつの間にか回り出していました。本当に不思議。
そして地面へ片膝を付ける感じにしゃがむとそのまま回っている鉄球を地面に押し当てます。
何をしているのでしょう? 鉄球の振動波を通してソナーでしたっけ? そういう用途も使えるんですかね?
ほんの数秒そうしていると、彼はやがて鉄球の回転を止めて立ち上がりました。
「マジかよ…! いやがった…… しかもさっきと違って相っ当でけぇし……何より、近い…!!」
(そんな……)
「ポルナレフ、花京院! 奴はまだいやがるぞ!」
「ジャイロ、いきなりどうし―――「ノトーリアス・B・I・Gだ…!! まだくたばっちゃいねぇ、早苗の足元すぐそこまで迫ってやがる!!!」―――
「何だとォ!!??」「本当なのか、ジャイロ!!??」
「鉄球の振動波を利用して確認は取った。間違いねぇ…… 断言できる!!」
「時間がない…!即刻、敵の意識をこっちに向けさせる、じゃなきゃ早苗は引きずり込まれてお終いだ!
ポルナレフ、お前は全開速度でチャリオッツを動かせ!花京―――「わかってます、東風谷さんとやったようにやるんですね?」
物分かりが良くて結構だ、と一言付け足してジャイロさんは二人に目を配ります。
「ポルナレフ、頼みましたよッ!!」「くっそぉッ! 任せやがれってんだ!!」
信じられません。ポルナレフさんも花京院さんもあっという間に事態を飲み込みんだようです。
それ以上の言及もなしに、二人は即座に地面の様子をうかがいながら、急ぎながらもゆっくりと距離取ります。
本当は聞きたいことが沢山あったでしょうに…
特に、花京院さんは口調こそ落ち着いていますが、顔には多くの汗を浮かべているのが良く見えました。
どういった経緯なのかは知りませんけど、早苗さんとはとても息が合っていたのは先の戦いでも目の当りにして記憶に新しいです。
きっとここに来て親しくなった、貴重な間柄なのでしょう… 私とメリー、あるいはジャイロさんのように。
まだ、間に合うはずです。幸いなことに、さっきから早苗さんはほとんど動いていません。
あれなら、敵に察知されることはないですし。こちらに引き付けるのが先になるはず。
……ちょっと待って。
どうして? 早苗さんは動いていない? こっちの意図を一切知らない彼女がどうして?
まさか、動かないのではなくて、既に―――
「―――ッ待って!ポルナレフさん!! 今すぐスタンドを使って、敵を引きずり出してください!! 花京院さんは走って下さい!!早くッ!!!」
「阿求、落ち着け! まだ敵は地中にいる。今の内に距離を―――「彼女は既に捕まっていますッ!!今すぐしないと間に合いませんッ!!信じてッ!!!」―――
ほんの数瞬の静寂が私たちを包んだ時、ジャリっとした砂が擦れる音が静けさを引き裂きました。
音の方に反応すると、花京院さんが脇目もふらずに駆け出していました。
ポルナレフさんがチャリオッツを傍らに出します。あの時見せたように、鈍く光る鎧を外して。
二人とも私の意図を汲んでくれるみたいです。
「やるぞ、ジャイロ、阿求ちゃん…! 下がってろ…! 始めるぞォ…!!」
「お願いします!」「…ったく、任せるぜ、ポルナレフ!」
その瞬間でした。
「ゥウウぁぁぁあああぁあああぁぁあぁあああああぁああああ゛ぁ゛ぁあ゛あぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああ゛あ゛あ゛あ゛゛ア゛ァ゛あ゛ア゛あ゛ぁア゛ア゛゛あ゛゛あ゛あ゛ぁア゛゛ッッッ!!!!!」
人の声とは思えないような悲鳴が聞こえたのは。
「くっそおおおおおお、間に合いやがえぇええええええええッッ!!! チャリォオォオォォオオオッッツ!!!!」
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド
チャリオッツが目にも止まらぬ速さで動き出します。残像が1体、2体と思ったら既に8体も!
ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド
それに呼応するかのように、地面はビシっと音を立てて私たちと早苗さんがいた場所を繋ぐように一筋の細い地割れが出来上がりました。
ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド
そして、そのラインに沿ってある場所は隆起を起こし、またある場所は沈下し出します。
原因はそこを通る一つの影。急速に地表を這い上がりながら、こちらに急接近しています。もう間違いありません。
┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨
ついにその姿を地表へと完全に曝け出しました。加速十分のままこちらに飛びかかるその様は何度も見た怨敵、ノトーリアス・B・I・G!
「ジャイロォ!! 阿求ちゃんッ!! 早苗ちゃんの元まで行ってくれ! 頼むぜぇッ!!!」
「言わずもがなだッ!」「は、はいッ!」
私とジャイロさんは飛び出します。目標はポルナレフさんの言った通り、早苗さんがいるであろう地点。
迫り来るノトーリアスのことなどお構いなしの全力疾走です。そのまますれ違うように一気に駆け抜けます。
もちろん、スケープゴートを用意していなければこんな真似はできません。
「エメラルドスプラッシュッ!!」
そんな身代わりの一人、花京院さんは3名から大きく離れた位置にいました。当然、ポルナレフさんと共にノトーリアスの足止めをしてもらいます。
「おい、早苗ッ!平気なんだろうなぁ!?てめえはよぉ!!」
私たちは今、斜面を下っています。
地中から這い上がったノトーリアス・B・I・Gが先ほどまで潜伏していた場所は巨大なクレーターと化していました。
そして、早苗さんは下っている坂の真下に横たわっています。
「くっそッ!! おい! 返事の一つぐらいしねぇかァッ!!」
ジャイロさんは怒鳴り散らしながら、斜面を一気に駆け下りて行ってます。
生憎と運動音痴な私はゆっくりと下っていくしかありませんでしたが。
「くぅ…こんなところでも足を引っ張って…私は…って、うわわわ!」
引っかけていた片手の指が浅かったのか、思わず態勢を崩しかけ、後ろから転げ落ちそうになりました。
私は斜面にうつ伏せの姿勢の身体を預けるようにして、何とかずり落ちながらも進んでいます。
ただ、地面を触りながら進んで行ったおかげであることが分かりました。
地表の地面の触感は湿っている。そして……少しでも指をひっかけると……うん、乾いた触感だわ。
そう、斜面の表面は湿り気があるのに、中の土は乾いた触感になっていたのです。
さらに、表面の土を触ると手には薄くなった赤黒い液体が付着していました。
これはノトーリアス・B・I・Gの血、なんでしょうね…… そしてここの地面の状態からするに、おそらくは………
何故、二つに隔てた大地に挟まれてもなお、復活を果たしたのか、私は一人納得をしていた。
いや、納得などいくものか。こんな理由で生き延びていられるなど、捏ね繰り回した屁理屈のように見苦しい。理解に苦しむ。
だが、敵は今も我が物顔で大地を闊歩しているのだ。なんという不条理だろう。理不尽だろうか。
本当に私たちはこの化物を退けることができるの?
彼らが戦っている間、何度も頭を掠めた疑問がより確かなモノになって、私にのしかかる。
いや、戦うのは私じゃあないか。それなのに、何がのしかかるだ…… ホントに呆れる。呆れ果てる。
………やめよう。自嘲めいた言動も思考も面構えも、今は抜きにしないと。
私でも何かできることはあるかもしれないから。早く、降りよう。
「おい、バカ野郎!! 早苗! 動くな!! 余計なことするんじゃあねぇッ!!」
私は思わず後ろを振り向きます。
ジャイロさんは既に早苗さんの元にまでたどり着いており、早速治療している姿が見えた瞬間。
ゴ オ オ オ ォ オ オ ォ オ ォ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ ! ! !
私の頭上スレスレを巨大な物体が掠めていきました。物体が過ぎ去って行った方に髪の毛がぶわっとなびきます。
「今のってまさか!」
もちろん、ノトーリアス・B・I・Gではありません。でも、それ以外で超高速で飛翔する物体となると一つしかありません。
すぐさま見上げると、山なりに飛んでクレーターを脱出する御柱がチラリと見えて、すぐにクレーターのが視界を遮りました。
反射的にもっと良く見ようと、私はそのまま手を伸ばして身体を支え………切れない…
……って、ちょっと! 手を放したら落ち………!!
咄嗟に手を戻そうとするも時すでに遅く、そのまま後ろ返りの要領で斜面を転げ落ちました…
幸い、底に近かったので大事なく済みましたが…
私はふら付きながらも泥をはたきつつ、ジャイロさんに駆け寄りながら尋ねます。
「ジャイロさんッ! 今のは一体!?」
「俺も知るかよ! 早苗、一体なんであんな真似をした!? 安静にしてれば助かるって言っただろうが!!」
駆け寄っていた足が止まりました。
「ヒドい…なんで……こんな…………」
スカートから覗かせている部分は既に無く、代わりにあるのは大きな血溜り。
そう、彼女の両脚はありませんでした。
―――
――――――
―――――――――
「あれ、何か足が動かな、い?」
両足首まで地中に埋まってしまった早苗は、御柱を仕舞う直前にその異常に気付いた。
ぬかるみに嵌ったというレベルを超えて、両足が動かせないことに。
何!? 足元に……何かが絡みついている!!??
疑問の氷塊を求めた彼女は、そのまま反射的に下を見た。
「な、何なんですか…これは!? いや……こいつは、まさかッ!!??」
地の色は赤茶色。
茶色の土と赤い血から成る、泥のような『ナニカ』がそこにはいた。
早苗のくるぶし辺りに無数の触手となって纏わりついているのが見て取れた。
その醜悪さに思わず視線を逸らすと、彼女の更に奇異なるモノを目にする。
大地の至る所から蛆が蠢めき出すかのように、徐々に徐々に赤黒く変色を始めていた。
まるで地面の下に『ナニカ』がいるかのように、ズブズブと大地を引き込んでいく。
もう、既に大地の一部となって……
地の底の深淵に封じられた『ナニカ』は今一度、地表へと舞い戻った。
自ら滴らせた大量の血を標とし、染み渡りゆく大地をその液状の体躯を活かし、ただただ動き続けた。
さらに、この大地はあまりにも肥沃だった。夏には一帯を覆う大量の日輪が咲き乱れる、太陽の畑。
その養分を喰らいに喰らった。『エネルギー』なら何でも良かった。自ら流した血が染みる『動き』を捉えて。
『太陽』の『大地』そして赤い血が『水』とするなら、なるほど『生命』の息吹が吹き付けるのも頷けるというものだ。
尤も、この『ナニカ』は不帰なるモノで『生命』もクソもない化物なのだが。
そう、ついに大地に芽吹いたのだ。
巨大な絶望の大輪の新芽が。
「ノ…トーリ、ア…ス…・B…・I・G………!!!」
早苗は声を詰まらせ、震わせ、その忌むべき名を呼んだ。信じられなかった。
もう、目の当りにすることなどないと思っていた。
自らが語るであろう誇らしい武勇伝になる、とさえ思っていた。
粉微塵にされて打ち砕かれた。どこにでもある掃いて捨てる程度の幻想へと取って代わられたのだ。
「そんな………」
それ以上、二の句も告げることもできず、茫然とする。
だが、早苗が絶望に打ちひしがれようと関係などない。
既に彼女は敵の手中にあるのだから。
ギ シ リ リ リ … ギ シ … …
「えっ!? ちょっと!?」
右足首に小さな痛みを感じた。恐ろしいまでの圧迫感。
早苗は直感的に嫌な予感がし、歯を噛み締め合わせる。
だが、動くことはできない。逃げることはできない。
ギュ リ リ ギリ ギシ ッ …グリギシ ッ … ギュ シ コ ン ッ… … !
ああぁぁあぁあぁあぁああああぁあぁぁああああああぁぁああああッ!?
右足首が折れた。
軋むような不快な音は上げることのできない少女の断末魔の第一声を担った。
荒い息を吐き出しながらも、なんとか口を真一文字にして耐える早苗であった。
本当は声を大にして叫びたかった。
だが敵と密着している今、大声など上げてしまえば確実に反応されると判断したが故だった。
早苗は自身の冷静さに有難さと恨めしさを感じた。
「うぅあぁああ… 痛ぁ………」
小さく呻くように痛みを訴えることしか、彼女にはできない。
誰か…! 気付いて…! この、ままじゃ…ぁあぁぁああああああああああぁああああぁあ!! いや! やめてっやめてぇえッ!!
ギュ リ リ ギリ ギシ ッ …ギリギシ ッ … ギュ シ コ ン ッ… … !
「~~~~~~ッッ!!!!」
もう片方をダメにされた。ゆっくりと万力の様な力を込められて。
骨が折れる時こんなにも音が耳に届くのか、などどうでもいいことなど考える余裕もない。
痛みを口から吐き出すこともできず、身体を動かして痛みを紛らわせることもできない。
ないないづくしの八方塞がり。彼女はいつまで『持つ』のだろうか。
ああぁあああァァアアッ!! もう嫌ぁ… 痛い、よぉ……
早苗は視線だけを下に向ける。記憶通りならば、確か脛の辺りまでしか触手は伸びていなかったはずだ。
「うそよぉ……な、んでぇ…?」
痛みで回らなくなってきた舌足らずな口で疑問を吐き出す。
触手は膝にまで浸食していた。
鉄球使いはかく語りき。『筋肉とは強く掴めば掴むほど、反応してしまうものだ。』
声を押し殺そうが、身体を動かすまいが、筋肉の動きをどうこうできるわけではない。
距離を少しだけでも取れていれば、このような微細な動きに反応されることはないだろう。
だが、生憎と早苗とノトーリアス・B・I・Gの距離はゼロ。逃げ場はない。
触手は早苗の筋肉の反応を察知し、這い寄っていたのだ。
少女の儚い抵抗など無意味に等しい。
ギシィ
ピシッ
ギ ュ リ …
グ シ … ギ ュ リ リ …
ボキリッ
ギュ リ リ ギリ ギシ ッ
ベキッ
うぁぁあああああぁああああああ!! 止めてやめてヤメテェ!!! そんなに一気にやられたらぁあああああああああぁああああ!!!!!
ボギンッ
ギリリリ
メ シ … グ チ ャ …
ギ ュ ル リ … グ リ ン…… カ ッ コン
グ シ … ド グ チ ャ ア
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッッッッ!!!!!!!」
ホんトっほ、んどうに、もうやめでぇッ! っこのままじゃ死んじゃう…ハヤく… 誰かぁっ…!!
そして、彼女の筋肉の反応に合わせて、またも触手が上へと這い寄るのを目撃する。
そう、この先に待つのは無限ループしかないのだ。一度捕らえられれば逃げることは罷り通らぬ蛇の道。
その事実を目の当たりにして、早苗はどうしようもない失意に駆られる。
ぜんっしんを、くだ、かれれって死ぬ…? 生きたっまま、くっくわれる…? からだをっ溶か、されってしし死ぬ…?あぁっぁあああああぁぁああああああああああああああああああああああああ!!!!
ヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダイヤダイヤダイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤ!!!もうヤダ!!これ以上は!!!!これ以上は苦しみたくないよォ!!!!!
許しを請うことは許されず、ただ苦痛を許容し続けるしかない。
一瞬で腕や脚を失くすような痛み以上に厄介な責め具。
初めて体験するそれは彼女の精神を蝕ませるのには十分だった。
ギ シ ィ … … ピ シ ッ ギ ュ リ …
「んんんんぶっふぅッッ…うぁあ…」
口を塞いでいた両手に力はもう入っていない。自ら外した。放棄した。
だらりとぶら下がった手には堪えに堪えた唾液や唾が付着し、それが地面だったモノへと滴となって一筋落ちた。
グ リ … ギ ュ リ リ … ボキリッ
「……ぁああぁあ……ああああああ…ぁあああああああああああ」
だらしなく開いた口は痛みと呼応するように声を漏らすだけだ。
ギュ リ リ ギリ ギシ ッ ベキッ
「っうぅぅぁああああぁあああああああぁあああああああああああぁあああぁああああああああああああああああああああああ」
次第に大きくなっていく声と共に触手の締め付けは苛烈さを極めた。
グ チ ッ
ギ ュ リ リ リ … グ シ … ボギンッ
ギ ュ ル リ … グ リ ン…… カ ッ コン …
メ シ … グ チ ャ …
ベキンッ
グ シ … ミ チ リ … … ド グ チ ャ ア ッ ! …
「ゥウウぁぁぁあああぁあああぁぁあぁあああああぁああああ゛ぁ゛ぁあ゛あぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああ゛あ゛あ゛あ゛゛ア゛ァ゛あ゛ア゛あ゛ぁア゛ア゛゛あ゛゛あ゛あ゛ぁア゛゛ッッッ!!!!!」
あらん限りの声を吐き出した。
もう、この後どうなるかなど知ったことか、と思わせる思慮も理性も何も無い本能の叫びだった。
だがしかし、これで終わりではない。
痛ましすぎる悲鳴は更なる責め具の呼び水となって、その身に降りかかった。
グ ジ ュ ル … … ブ チ リ … … グ チュ ァ… メ キシ、グチ… … ブ ヂ ン ッ … …!
「!!!???ああ゛あ゛???ア゛ァ゛あ゛ア゛あ゛ぁア゛あ゛あ゛゛ア゛ァ゛あ゛ア゛あ゛ァア゛ァ゛ア゛あア゛ァぁア゛ア゛゛あ゛゛あ゛あ゛ぁア゛゛あ゛゛゛ッッッッ!!!!!!」
脚を絞り千切られた。ゾーキンの水気を切るように。
いともたやすく、えげつなく、肉を、骨を、神経を、まとめて捩じ切ってみせた。
早苗は二度と声が出なくなるかと思わせるほど、更に声を張り上げる。
もう、何が起こっているのか、分からなかった。
両脚の大腿の中ごろから下全てを失った彼女は、ほんのわずかな間、重力に従って落下する。
だがしかし再び触手に捕縛されることはなかった。
早苗をキャッチしようとした触手群は瞬きをする間にそこから姿を消していた。
新たなる標的が、生きの良い獲物が現れたからだ。地中から這い上がり爆走していた。
8体の残像を引っ提げる『銀の戦車(シルバーチャリオッツ)』の元へと。
凄まじい地響きを引き連れて、蹂躙した大地には地割れの後を残して。
早苗はボロゾーキンのように打ち捨てられ、ノトーリアス・B・I・Gの巣へと転げ落ちた。
今、ジャイロさんは鉄球を回して押し当てることで止血を行っています。
鉄球が回っている箇所は早苗さんの太ももの部分。
そう、そこが彼女にとって一番下の体の部位になります。
当然骨と肉が露出しており、骨に至ってはささくれた小枝のようになっていました。
早苗さんはどうやら意識があるらしく、治療が続いている最中も意味の成さない言葉をぼそぼそと呟いていました。
治療の様を見ていましたが、出血の量は治まってきたものの、未だ肉の断面は塞がり切る気配がなく、今も体外へと血が抜けていっています。
ジャイロさんはしきりに悪態をつきます。きっと本来なら治せるのでしょう。ですが、制限を受けたこの場所においてはそうもいかないのでしょうか。
ですが、治療の甲斐あって、早苗さんが眼をはっきりと開けてくれました。
「うっあぁあ、みな…さん。にげ、てくだ。さい……逃げってぇ。」
狂ったように叫んだせいで声はすっかり潰れてしまったのでしょう。上手くしゃべれない姿が本当に痛ましい。
「……お前はあいつから俺らを逃がすために、御柱を飛ばしたって言うのか?」
「私っにはあい、、つを、倒せる、なんって思えなくって……それで…………ごえんなあ、い」
表情も以前の快活さは影はすっかりと鳴りを潜め、今はもう弱々しく大人しい。
「安心しろ、上は静かになっている。お前の目論見通りに御柱を追跡した。」
「よかっったぁ。」
「だから、今は黙ってろ。」
ジャイロさんはぶっきらぼうにピシャリと言い切ります。余計な体力を使わせない気遣いゆえでしょう。
荒い呼吸と鉄球の旋回音だけが周囲を一旦包み込みます。
ですが、それもわずかな間だけ。地面を駆け足で下る足音が背後から聞こえ出します。
「ジャイロ! 今のは一体何なんだよォッ!! あのド腐れ野郎、御柱向かって素っ飛んで行ったぞ!!」
「東風谷さん! 大丈夫ですか!?」
ポルナレフさんと花京院さん、彼らもどうやら無事にすんだようです。
本当に早苗さんのおかげです。後は彼女のことが本当に気がかりで。
「こ、東風谷さんッ!? 一体何があったんだ、ジャイロ!!」
「ガタガタ抜かすな。気が散っちまう。」
ジャイロさんは同じように素っ気なく返すだけです。実際に相当気を遣っているのでしょう。
「すみません。私たちも早苗さんに何をされたのか、まだ聞けていなくて、見当もつかないんです……」
彼の代わりに、説明したいところですが、私も早苗さんがどのような目にあったのか、私だって想像できません。
…いや、想像はできるか。ただ、それを伝えたところで、何になるだろう。彼の怒りが増長するだけで何の解決にも至らない。
だから、私は伏せておくことにした。吐き気のするような絵面を思い浮かべるのは私だけでいい。
「畜生がッ!! どうしてだ! 普段ならとっくに治せている怪我だってのに、どうして塞がんねぇんだよッ!!」
ジャイロさんは回していた鉄球を手中に収め、地面を思いっきり殴りました。よほど悔しいのでしょう。
早苗さんの足元を見れば、見えていた肉と骨の断面を覆うように新しい皮膚が出来上がっていました。
「皮膚を伸ばしきれねぇ。これ以上やれば全身から血が噴き出る……限界だ………」
よく見ると、包まれた肉の断面の一部から未だに出血が続いているのがわかります。
「ジャイロ、早苗ちゃんは止血剤持ってたんじゃねえのかよ!?」
「デイパックがねえんだよッ!! どっかに落としたか、あるいは……」
「あの化物に奪われたか、ですね…… 他に手立てはないんですか!?」
「………………『俺』にできることは、ない。」
驚くほどあっさりとジャイロさんは匙を投げました。
「…そうだ! 東風谷さん、スタンドを、ナット・キング・コールを出してください!
脚のほんの先端だけを切り離せば、出血は抑えられる! さあ、早くッ!!」
脚を切り離して出血を防ぐ? 何だかよくわかりませんが、花京院さんの口振りからして、そんなことができるようです。でも、今の早苗さんは…
「東風谷さん?」
「ごめんなっさい…何だっか、今ぁスタンドッ出せなくって……その、ホントにすみ、ません。」
「なっ、何を言っているんだ!? スタンドが出せない、だと!?」
「御柱、飛ばした後、スタンド出そうと思っても、出なくって、あっ、はは。や……やっちゃいましたぁ………」
霊力を酷使し過ぎたのでしょう。先の戦いでのスタンドをフル回転させていましたし。
何より、両脚をほとんど失ってしまった状態で御柱を動かすような真似をしたら……
「だったら、どうして!! 御柱を飛ばしたりなんかしたんだ!!! もう少し待ってさえくれれば…!」
花京院さんの言葉尻は窄んでいきます。失礼ながら、逃げる手段はなかったのでしょう。
ジャイロさんが鉄球を回し続ける以上、引き付ける相手は必要でした。
あの化物は本当に質が悪い。陽動の途中で、二人が思わぬ事態に巻き込まれていたかもしれません。
「一刻も早く、逃げて…ほしかったんです。」
「何だって?」
「あっ、あいつ…に、は、勝ててません……無理っです。」
声を、身体を、大いに震わせて、眼には涙を浮かべて、早苗さんは言い切ります。
「あ、ああっんな目に合うのなんかぁあ………、わた、し一人で十分ですよぉ……」
「東風谷さん………」
言い終えるとえっぐえっぐと嗚咽し出す早苗さん。私はどうすればいいのでしょうか。こんなときに。
手酷く痛めつけられた彼女を。これから死に逝くかもしれない彼女を。
助けられる手段なんて、見つからない。掛ける言葉なんて、見つからない。
それはここにいる全員も同じだったのでしょう。早苗さんがむせび泣く音だけが周囲を包みます。
結局、そんな状態を破るのも、泣き止んだ彼女でした。
「もう、いいんです。このまま楽に逝けるなら、もう。」
沈黙は諦めの混じった無念の肯定。
私はもちろん誰も、彼女の言葉を否定できません。賛成できません。
せめて彼女の気持ちを楽にさせるような言葉をかけられないのでしょうか、私は。
数百年に及ぶ知識の巻物である私は、沈黙を堅守するしかない。
「最後に、花京院君………そのっ、いいですか?」
「……」
花京院さんは黙ったまま早苗さんに近寄ると両膝を地に付けます。
「あのっやっぱり、あの時のぉ…分の、お礼、言わせてっくれっますか?」
「……」
「お願い、します…!」
「……」
尚も花京院さんは黙っています。答えてあげてほしい。一番彼女のことを理解している彼に。
「イジワルしないでくださいよぉ……こんな時までぇっ……!」
「……」
早苗さんは泣いているのに、どこか嬉しそうで、それが余計に儚く見えてしまいます。
「もうっ……! かっ、勝手にぃ、言っちゃいっっますからっ…! 一緒に来てくれてっありが……ブぶっふ!?」
吐血!? 一瞬驚いてしまいましたが…
「東風谷さん。よ~く考えた結果、やっぱりお礼は受け取れませんよ。」
なんてことはなく。花京院さんが早苗さんの口を塞いだだけです。紛らわしいですね。
「僕がこれから、貴方を救って見せますからね…!」
「ぶぇっ…!?」
私はもちろん、全員が花京院さんに視線を送ります。そっと、早苗さんの口元から手を放す彼の様子には余裕さえ感じます。
「マジかよ…本当に出来るのかッ!? なぁ、花京院ッ!?」
「できます。やらなきゃあいけないんですからね…! ただ……」
協力が必要になりますが、ね。と付け足しながら、早苗さんとポルナレフさん、ジャイロさんに目を配らせます。
要は、はい。私以外、です……
「助かるんですか…わたし、は……」
「できます。」
力強く頷きつつ、短く答える彼の姿は意固地になっている様にも見えます。
「でも……わわ、わたし、は、その、あ、あの……」
「どうしたんです?」
どこか強迫的で、圧力を与えるような印象を受けます。
「うぁっ、あっ、も、もういいんです! 私はもう、ここまでで! ここまでっで、いいんです!!」
早苗さんは花京院さんの服の袖をギュッと掴み取るどころか、腕に飛び付きます。
そして、彼女の身体は泣きじゃくっていた時と同じように震えていました。
「やはり、東風谷さん。貴方はスタンドが使えないのはそこが原因ですね。」
「ひっぇ…」
心象を見抜かれたのか、早苗さんは震えとは違うビクリといった感じの筋肉の反応を見せました。
「だ、だだって!! 何度も!何度も!!何度もぉ!!! 骨を折られてっ砕かれて!!! 最後には引き千切られてぇッ!!! それなのに意識はあって………!!!」
文字通り、口角泡を飛ばす勢いで、早苗さんは捲し立てます。
「あんなことされるなんて思ってなかった!!!! あんな痛い思いなんてもうッしたくない!!!! あんなにされるぐらいならぁッ!!!!!」
「私はっ風祝でなくたってぇ………なくたってぇ……………くても……うぅあぁ……! 死んじゃっあ…… 死んじゃってもォおおおおッ!! うぁっあぁあああああああ!!」
それより先に続く言葉を彼女は言えませんでした。きっと本当は、違うはずですから。
「死にたくはない… 風祝で在りたい… でも、あんな思いは、もうイヤなんです…… ワガママですよね、わたし…… 『弱い』くせに… 耐えることもできないなんて……」
「どうしたらいいのか、わからないよぉ……… 花京院っ君… 」
家路へと帰れなくなった幼子のように、彼女は尋ねます。最も親しい相手に。
ちょっとした優しさに触れれば溶けてしまいそうな、どんな言葉でも鵜呑みにしてしまいそうなほど、今の彼女は危ういものでした。
「東風谷さん。そんなことは誰だって一緒だ。逃げちゃあいけない。」
ですが花京院さんはあくまで、突き放した感じに言葉を並べます。甘えは許さない断固とした構え。
腕に絡みついた早苗さんをゆっくりと寝かせながら。
「『立ち上がって』『乗り越える』それしかないんだ。君には
八坂神奈子を止めるという目的があるだろう?」
「わかってます、わかってるんです……私か諏訪子様しかできない、やらなきゃあいけない。
でも………『弱い』私よりも、諏訪子様の方がきっと上手くやってくれそうで…」
花京院さんはすっかり変わってしまった早苗さんを見て、何を思ったのでしょうか。こんなにも頼りない姿の彼女を見て。
「それじゃあ一つ、君にお願いだ。僕が勝手に来るんじゃあなく『君』が僕を連れて行ってほしい。八坂神奈子の元へと。」
「え……!?」
「君の目的に僕も巻き込めと言っているんだ。キッチリとした形でね。二人でなら諏訪子様以上の力だって出せる。
僕の力で君の『弱さ』を補ってあげられる。だから君が逃げていい理由にはならないはずだぞ?」
「うぅ……」
「君の目的は、僕と一緒に八坂神奈子を止めることだ。これで君だけの問題じゃあなくなった。勝手に投げ出すことは僕が許さないぞ。
それに、君のせいでこんな場所に飛ばされたんだ。責任は取ってもらわないとね。」
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい…! ……ごうぇ!?」
本当に申し訳なさそうに謝る早苗さんは、上唇と下唇を摘ままれてアヒルのような顔にされます。すぐに放しましたけど。
花京院さんは責を求めているわけではない、ということでしょう。
「私は『弱い』ままでいて、いいんですか? 貴方がその、私を………支えてくれる、から……」
「違うぞ、東風谷さん。」
短い拒絶。彼女の表情に思わずヒビが入ります。
「君は変われる。そして、そのことを僕自身、本当によーく分かっているつもりだ。」
ちょっとだけ天を仰ぐ、花京院さん。一体その視線の先に幾つもの情景が映ったのでしょうか。
「僕がかつて『恐怖』を『仲間』と共に『乗り越えた』ように、君の『弱さ』だって『仲間』の僕と共に『乗り越えられる』ことを僕は知っているからね。」
きっと、それは今の彼足り得る日々を見ていたお天道様なのかもしれません。
「『弱さ』を『乗り越える』… 花京院君と…?」
「そうだ。だから、まだ諦めないでほしい。一緒に着いて行かせてほしい。僕の願いも糧に『立ち上がって』『乗り越えて』ほしい。」
切望。彼自身の心からの願いに、私は聞こえました。
「どうして…?どうして、貴方は……わ、私なんかを、その、き、気遣ってくれるんですか?」
早苗さんは戸惑います。なぜこんなにも、自分へと向き合ってくれるのか、分からないのでしょう。
「………」
花京院さんは、何かを言おうとしますが代わりに出てきたのは……
「さあね、そこんところだが僕にも良くわからない、かな。」
そこをはぐらかすなんて、かなりのイケズですね。いや、ホント。
まぁ、何かしら意図があるとは思いますけど。だけど、それ早苗さんにはわからないですよ。
「へ? な、何ですか、それは!?」
「続きは後で話すそう。君の状態は一刻を争う。東風谷さん、選んでほしい、僕を八坂神奈子の元へと連れていってくれますか?」
ジッと彼女を見据える目線は放すつもりなどない、と言っているようでした。
「……本当なら、あの後…私が、先に言うつもりだったのに…………」
「どっち何ですかッ! 東風谷さん!」
花京院さんは答えを催促します。先ほどとは打って変わった、確信のある声色で。
「私なんかを、こんなにも必要とされているなんて思いませんでした………」
静かに、彼女は語り出します。
「…わかりました。私の導きの元に貴方を連れて行きましょう。風祝の元にこそ、八坂の神風は常に吹き征くものですから。」
先ほどのしおらしさはもう見えません。厳かに言の葉を紡ぐその様は、祀られる風の人間、
東風谷早苗です。
「何より『弱さ』を『乗り越える』ヒントを貴方に教えていただけました。『仲間』と共に越えるという標を。だ、だから、そのォ……」
ですが、その格式ある姿はこの言葉を境に崩れていきます。でも、そんな『弱さ』を持っているのもまた、東風谷早苗なのです。
「助けてくださいッ! まだ、まだっ、死ねない!! 私が死ぬには残していくものが多すぎます!!
神奈子様に諏訪子様、そして
プロシュートさんの教えがまだ残っているんです!!! 花京院君、お願い、します。たっ、助けてぇ……」
再び起き上がって、花京院さんの腕にしがみ付く早苗さん。涙をボロボロ流しながら訴えます。
確かに全てを投げ出すにはまだ早すぎる。彼女の背にはまだ多くのモノが乗っかっているのですから。
「もちろんです。そのために僕がいるんですから。」
花京院さんは、それが当たり前だといった感じに答えます。あくまでも余裕がある態度を大きくは崩さないというか、何というか。
「ですが、東風谷さん。貴方は少なくとも弱くはないと僕は思っている。本当に本当に良く耐えて、頑張ったんですからね。」
花京院さんは右腕に張り付いた早苗さんの頭をポンポンと軽く叩き、撫で上げます。
すると彼女は頭の上にスイッチでもあったかのように、涙をくみ上げ声を上げ出しました。
「うううぅうっあああぁあぁあっあぁああぁあぁぁあああぁああああ!! …あ……うぁっ、あっぁあああ…… そぉあんでぅよおお、わたぁしは、わた、あああああ!!」
きっと今この瞬間、彼女は彼の優しさを一身に感じたのでしょう。ようやく、認めて貰えた。自分の苦しみを、どうしようもない状況の中それでも戦っていた自分を。
「えぐっ、ああううあああぁあぁあっ……うぅ…すみまぁせっん、ごぇ、ごめんっなぁさいっ! うぅうぅううっ…!ホぉンッットに。ああああ、あぁ、ありがとっう…!」
「では、当て身」
「ございうぇぇッ!?」
ええ!!??ちょ、ちょっと。酷くないですか!? 折角黙って、茶々入れるのは控えてたのに、描写だけに専念してたのに、雰囲気台無し。ちゃぶ台返し。
あ~あ、早苗さん気絶してるし。
「ジャイロ、ポルナレフ! 彼女の命を救いたい! 協力してください。」
「いいけどよォ…花京院、おめえ、流石に今のはねえと思うぜ…俺は……」「まったくだ。こりゃあ、起きたらおかんむり間違いなしだぜ…」
ほらほら、ポルナレフさんに続いてジャイロさんまで、こんなに言ってるんですからねぇ…
「僕だって好きでやってるわけじゃあありません。それに時間がない…! もう一つ了承を得る必要があるんですから…! ジャイロ、貴方にです!」
すっくと立ち上がり、ジャイロさんに向かって歩きながら、言葉をかける花京院さん。その表情はどこか固く、厳しい。
「…………まあ、大方予想はついてる。ただ、おめえの今の行動でもっと怪しくなってきたんだがなぁ…? どうやるつもりだ…?」
「? 意外ですね。暖簾に腕押しになるかと踏んだのですが…?」
「ただじゃあ寄越せねぇのは変わりねえぞ。俺はあらゆる観点から見て、今、この態度で臨んでいることを…決して! 忘れんな。いいな?」
「だったら大丈夫です。相応の成果と可能性を提示してやりますよ。」
「けっ、なら、見せてもらうぜ。」
お互いどこか剣呑な雰囲気を漂わせています。何が始まるのでしょうか。
「ポルナレフ! 僕が指示した通りに剣を振ってくれ。正確さが命だ。頼んだぞ!」
「お、おう! 何だかよくわかんねえが俺に任せろ!!」
ポルナレフさんに一声かけると、花京院さんは再び早苗さんの元に戻り片膝を付きます。
「東風谷さん。苦しいでしょうが、やりますよ…! 『法王の緑(ハイエロファントグリーン)』ッ!!」
スタンド名の宣言と同時に、少々不気味な全身煌めく緑色の人型が傍に立ちます。一体何をするのでしょうか。
そう思った矢先、彼のスタンドの肉体に一本の長い長い螺旋を描かれます。
そして、足先から螺旋のラインに沿うように、肉体が帯のように剥がれていってます。
ここで花京院さんは徐に、仰向けになっている早苗さんの口を開けさせます。まさか…
一本の薄っぺらい帯となったスタンドはなんと、彼女の口内に次々と殺到します。ちょっと、怖い光景ですね。
「まさか、花京院の奴。スタンドを使って、早苗ちゃんの身体を操るつもりか?」
ポルナレフさんは何やら知っている口振り。でも、気絶した彼女を操って何を……
「違うぞ、ポルナレフ。操るのは彼女じゃあない。操るのは―――
その時です。早苗さんの身体の傍に何やら見覚えのある影が見えます。あれは……
―――彼女のスタンドだ…!!」
『ナット・キング・コール』です! 花京院さん、スタンドを通してスタンドを呼び出して見せました!
……あれ、でも、何だか今にも消えてしまいそう、すごく透けて見えます。
「ぐぅううぅううッ!! な、慣れないことをするもんじゃあないですね…!! 思った以上に、こいつはッ!!」
「やれそうなのかッ? おい、花京院!?」
花京院さん自身、初めてやることなのでしょう。精神的な負担が大きいのか、苦悶の表情を隠せずにいます。
「やるに決まっているでしょうッ!! これは僕にしかできない!! 僕だけが彼女を救ってやれるんですから!!!」
「『ナット・キング・コール』!! 君が拒もうと、もはや無駄なことだ!! この
花京院典明!
君を操るイメージしか持ちえていないということを、そして東風谷さんを救ってやれる人間なのだということを、見せてやろうッ!!!」
花京院さんが力強く命令した瞬間、『ナット・キング・コール』はそれに呼応するように、ビジョンをより明確なモノへと昇華していきます。
「さあ!! 出し惜しみはなしだッ!!! ありったけのナットとボルトを寄越してもらうぞ、『ナット・キング・コール』!!」
『ナット・キング・コール』はゆっくりとですが、棒立ちの状態から解放されます。錆びついた機械に油が差されるように。
両手を握り締め開かれると、まるで手品か、時を止めたかのように、そこにはナット付きのボルトが沢山溢れていました。
「さあ、ジャイロ! これが彼女を救う可能性です! 協力してほし―――「丁重に扱えよ。一応、そいつも女なんだしな。」―――
ジャイロさんいつの間にやら、花京院さんの元へ近づいて……って!!
それは!? 東風谷さんの隣に置いてあるのは!! どうしてここに!!??
「すまない。そして礼を言わせてほ―――「やめとけ。俺は今、お前と話す気はねえ、既に先約が入っているからな。」―――
上半身にこそ損傷の激しいそれとは対照的に、下半身には大きな傷は見受けられません。まさか……
「ポルナレフ、君の出番だ…! 東風谷さんの足の長さに見合うように…! 両脚を切り落としてくれ…!! 頼む……!!!」
やはり、そうですか。正確な剣捌きを誇るチャリオッツで、早苗さんに合った『脚』を用意すると。
「くそったれ……! やるしか、ねえなあ…… 任せやがれ…! 寸分違わず、綺麗に切り落としてやらぁッ!! 花京院!! すぐに繋ぎ止めろよォッ!!」
細く鋭い風切り音が一回。追うように、もう一回。
私には音を感じ取ることしかできないほど早く、気付いた時には、早苗さんの足元に神子さんの両脚が並べてありました。
「ぐぅううううっ、うおおおおお!! 『ナット・キング・コール』ッ!! 行けえッ!!!」
スタンドの両手の指に挟まれた8つの螺子が投げ放たれます。片脚に4つずつそれぞれ、飛んでいきます。
吸い込まれているかと見間違うほど正確に、螺子は早苗さんの大腿と神子さんの大腿の繋ぎ目へと突き刺さります。
そのまま脚を貫通し、螺子の頭とナット付きの先端が小さく顔を見せるところで停止。
ナットが螺子の頭を目指し、早苗さんの脚へと侵入を果たした時。
全ての螺子は最初からなかったかのように、消え去りました。
そこにジャイロさんが鉄球を取り出して、早苗さんに近づき屈みます。旋回を繰り返す鉄球を彼女の脚へと押し当てるために。
「ジャイロ…! どうなんだ!? 早苗さんの脚は繋がったのか!?」
「…………………」
ジャイロさんは花京院さんの方を見ることなく、鉄球を早苗さんに押し当てたまま黙っています。
「どうなんだ!? できなかったら、もう一度やらなければいけない!! 頼む、教えてくれ!!」
「『聖人の遺体』は二度、奇跡をもたらす、か……」
花京院さんを見ないで無関心そうに一言ぼやくと、立ち上がります。
「当たり前か。『聖人』様のご遺体を使っておいて、失敗なんかありえねえよな、神子。後一回きっと何かを起こしてくれるんだろ?」
そのまま鉄球を掴み取ると、何事もなかったかのように歩き出します。
「そ、それじゃあ!! 東風谷さんは!?」
「みなまで言うかよ…てめえで確認してやれってんだ。」
ジャイロさんは用が済んだと言わんばかりに、サッサとその場から離れます。
「すまない。ジャイロッ!! 本当に助かった、ありがとう!!」
背を向けた彼に対して、ふらつきながらも立ち上がり、深々と頭を下げる花京院さん。
「けっ、とっと寝てろってんだ。おめえに使う鉄球の分はねえからな。」
「…うっ、はい。そ、そうさせて、もらいます。」
言い終えるが否や、花京院さんのところの重力が一気に増したかのように、べたりと尻餅を着けるとそのまま横になってしまいました。
相当、消耗したのでしょう。横になると即座に寝息が聞こえてきました。しかも体の良いことに早苗さんの隣で眠ってます。
まさか、狙ってあの位置に移動したんですかね? 朴訥と見せかけて中々の手練れ…
何はともあれ。一件落着ですね。
一時はどうなるかと思っていましたが、今この時全員が無事でいられるなんて、思いもしなかった。
本当に、本当に良かった…
「さてと、阿求、ポルナレフ。準備したらそろそろ出ていくぞ。」
「はい?」
「おい、ジャイロ。まだここを離れるには早すぎるぜ。二人が眼を覚ますまで、一旦ここで待つのが先決だろ?」
ポルナレフさんの言う通りです。私たちは急がないといけないことは確かですが、それが原因で倒れたらお話になりません。
そんなこと、彼だってわかっているはずですが。
「ああ、言い方が悪かったな。訂正するぜ。俺一人で少し出ていく。お前らはここで待ってればいい。」
「はいぃ!?」
「お前一人でメリーたちの救出に行くつもりか? それこそ無茶だぜ! 敵は青娥ってババアだけじゃあねえんだぞ!
メリーを人質に取っているのは親友の蓮子だ。それにスタンドを全部で合わせて3つ相手は使える。勝負になんねえぞ!」
逸る気持ちもあるのでしょうが、ここは抑えてほしいです。
ジャイロさん何やらこっちを見て驚いています。いや、どちらかと言うと呆れているって感じの。
「あのなぁ… お前らこそ、忘れてねえか? 敵はもう一人いんだろ。ああ、一人じゃねえか。一体ね、一体。」
人じゃない時点でかなり限定されると思うんですけど。……って、この人、まさか…!!
「いやいやジャイロさん!! ッちょ、ちょっと待ってください!!貴方、この期に及んでまだ戦うつもりなんですか!?」
「何がこの期に及んでだ。この期に及んだからこそ、余計逃げるわけにはいかなくなったんだろ。」
「おい、阿求ちゃん。ひょっとして俺が想像している通りの相手なのか…? まさかな~、それはないよな~ なあ、ジャイロ。
おめえも心臓を悪くするようなジョーク言うんじゃあねえよ、な?」
ポルナレフさんも額に一筋の汗を滲ませつつも、肘でジャイロさんを突っつきます。このこの。
「ジョークじゃあない。俺は今からノトーリアス・B・I・Gを殺しに行く。お前ら二人はここで待ってろ。」
い、言っちゃいました…この人……。目を見れば分かります。本気も本気、所謂マジって奴ですか。
でも、あまりにも絶望的すぎます。これじゃあ死にに行くようなものです。
「無謀にもほどがあるぞ、ジャイロ! 早苗ちゃんの決死の覚悟で俺たちは今、生き延びれているんだぞッ!?
命を棄てる様な真似は俺が認めねえぞッ!!」
ポルナレフさんはさっきとは打って変わって、激昂します。
「ポルナレフ、勘違いすんな。俺は断じて、命を棄てるような真似はしねえ。あいつを倒して、もちろん生き延びる。ただのそれだけだ。」
「あっさり言ってくれるじゃあねえか…! オメーの鉄球も俺のチャリオッツもどれだけ不甲斐なかったのか、もう忘れちまったのかよ。
オメーの頭は鳥頭なのかよ、アーン!?」
「俺よりお前の頭の方が鳥が寄って来そうだがなぁ…?」
「あんだとぉ…!?」
ああもう、二人そろって一言余計ですよ。
彼のダサい帽子だって鳥の巣みたいな代物に見えますし、って、ダメだダメだ。
これじゃあ、ミイラ取りがミイラになっちゃう。
「ちょっと二人とも落ち着いて下さいッ! つまらない言い争いは控えて貰いますよ! ジャイロさんも、もっとこっちが分かるように説明してください。」
何とか睨み合う二人の間に割って入って言い聞かせます。
「まあ、構わねえよ。どの道お前ら二人の協力も少なからず必要だからな。」
「私とポルナレフさんに、ですか?」
「何だよ、結局俺の力がいるんじゃねえかよ…」
「だが、行くのは俺だけだ。お前らまで来なくていい。」
あくまで自分の力だけで倒す気概の表れでしょうか。
できれば、いえ、行くのは止めてほしい。あまりにも危険すぎます。
「それじゃあ、話すとするか。あいつをどうやって殺すのか、その方法をな。」
ジャイロさんは話し終えると、彼の言う準備とやらを済ませ、ヴァルキリーに騎乗して南西へと向かって行きました。
早苗さんが安全を考慮したのでしょう。この殺し合いの地の隅の隅、E-6。
一体の化物と一人の人間以外は、その場には誰もいないはずです。
結局止めることのできない私は、ただ彼の帰りを待ち続けます。
久しぶりだな。こうして、一人で走るのは…
ジャイロはぼんやりと思う。思えばSBRも1stステージ以降は相棒
ジョニィ・ジョースターと共にゴールを目指していた。
大地を踏みしめる蹄の音が愛馬ヴァルキリーのみということもあってか、いつになく新鮮に感じたのだろう。
しかし、草原を駆け抜ける視界に相方がいないのは、どうにもしっくりこないジャイロであった。
まあ、ジョニィのことなら、ほっといても平気だろ。心配するなら、あいつを殺しに行った奴の方が心配するぐらいだぜ。
相棒ジョニィはSBRを経て、劇的なまでの生長を果たした。
スタンドを会得し、『聖人の遺体』を巡る争いを通じ、過酷なレースを駆け抜け、生来持っていたと思われる全ての側面が曝け出された。
それはある意味で生長と呼ぶよりは、下手をすれば歪んでしまったと言ってもいいほどに、やるときはトコトン最後まで殺る人間となった。
それについての是非はここでは問わない。ジャイロが思うのは、彼のそんなやるときは殺るという姿勢だった。
俺はあいつみたいに、きっとあそこまでは踏み込めねえんだろう。あれはあいつだからこそできる、飢えた者が手にできる姿勢。だが、見習うべきところは確かにある。
凶暴にして時に横暴な彼の側面を思い出しつつ、愛馬を走らせる。
ノトーリアス・B・I・Gは実を言うとクレーターを出てからとっくに視界の中に入っていた。
E-6の南西の隅にこいつはいるのだが、南西に向かいながらだと、ぶっちゃけてデカすぎて視界に入らざるを得ないのだ。
あまりにも巨大に膨れ上がったそいつも見据えながら、ジャイロはさらに思う。
そもそもあの敵に一切の情けなんかはない。だが、だからと言って、そこで止まっていては届かないかもしれねえ。あのクソッタレを確実に消し去るためにも…
E-6の中央ほどまで走っただろうか、ノトーリアスもついにヴァルキリーの動きに反応を示し、走り出した。
馬の走る速さはおおよそ時速60kmと言われているが、敵はそれを明らかに追い越して余りある超スピード。
両者の距離は一気に縮まり始める。
ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド … … …
地鳴りを上げてこちらに突っ込んで様は、まるで小さな山のようだ。
だが、ヴァルキリーは速度を落とさない。怖い者知らずなのか、それとも無知なのか、主の命令に忠実に、ただただ大地を踏みしめ突き進む。
ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド … … …
さて、いよいよだな…… もう、こうなったら、信じるしかねえ。俺の回転の『技術』を、ジョニィの『在り方』を。コイツにブチ撒け、道を開く!
右手の手綱を握り締め、左手には鉄球を旋回させる。回転するそれは重力から逆らうように、掌の上に張り付くようにして回り続ける。
一球限りの一発勝負。回りゆく鉄球のなんと小さいことか。正にゾウとアリが対峙するかのように絶望的な力の差が見える。
それでも、ジャイロの眼には確かな光が煌めいて―――いや、違う。灯る光はどこまでも暗い炎。
敵が倒れ逝くその時まで、決して消えることのない『漆黒の意志』。
┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨
けたたましい地鳴りを取り巻きに突っ込んで来るノトーリアス・B・I・G。
対象的な両名は今、最後の激突を果たす。
中空に走る小さき影。
それは黄金律に定められし円旋を描き、天へ昇る。
その軌跡は龍の子供が空の彼方へ、雲の向こう側へと帰るかのようだった。
龍が現れし時、幻想の地は決まって篠津く雨に見舞われる。
博麗大結界の時然り、仙人に遣わされた時然り。
尤も今回はそうじゃあない。荒天とは程遠い晴天だ。
快晴の空はどこまでも澄み渡る。
―――影が灯した白熱は、そのまま膨れ上がるように、世界を果てしなき白へと染め上げた―――
光彩。光輝。閃光。閃耀。煌めき。輝き。
光を捉えた言葉は数あれど、いずれも似つかわしく、霞んでしまう。
いっそ、そんな言葉の全てを呑み込んでしまうような、『ナニカ』がそこにあった。
それはまさしく、その名に相応しい光彩を、光輝を、閃光を、閃耀を、煌めきを、輝きを放ち、且つそれらに属さないモノ。
原初の光、太陽。
「技術『日出ずる処の処刑人』」
誰から聞いたのか、やんごとなき女の子たちのお遊び『命名決闘法』
誰かが時折見せた、自らの人間性すら捧げ対象の殺害を誓う『漆黒の殺意』
祖先から受け継がれる、人を生かすべく磨いた『黄金の回転』
悪魔を『塵に還す』べく閃いたジャイロ・ツェペリの最後の切り札。
それは、全方位、全角度に向けてのレーザー照射によって、ノトーリアス・B・I・Gを溶殺するというものであった。
最終更新:2015年01月11日 20:24