「……誰だ、お前」
つっけんどんなその言葉、恐怖心を与える類のものではないが状況が状況である。
磯崎泉はかけられたそれに対し、思わず肩を震わせた。
月の光に照らされた男の面影、何の表情も浮かべていないクールな眼差しに射られ泉はごくりと息を飲む。
「……」
晒された端正な顔立ちには切れ長の瞳と高い作りの鼻があしらわれており、男の高い容姿を一目で分かる具合に表していた。
泉とて、女の子だ。このような異性を相手に全くときめかない、ということもないだろう。
だがやはりこの緊張に包まれた舞台が、それらの感情を泉に沸かさぬよう補正をかけていた。
(! スタンガンは……っ)
自衛できる唯一の武器、咄嗟にそれを思い出すもののそれは先ほど泉が手落としたままだった。
何処に行ったか、慌てて周囲に目をやる泉。
転がっているスタンガンを発見すること自体はすぐにできた、安堵の息を漏らす泉だがそれは長くは続かない。
男の存在が、泉の行動範囲を狭めてしまっている。
そう、スタンガンは距離的に、ちょうど男と泉の真ん中辺りにまで転がっていってしまっていた。
取りに行くには男との距離を縮めなければいけない、男は尚も泉を見やるままである。
男の様子が不気味で仕方なく、泉は足を前に踏み出すことができなかった。
不意に男の腕が上げられる、と同時にひっと小さい悲鳴を上げ泉は一歩後退した。
(嘘ヤダ! どうし、どうし……え?)
男はそのまま、泉から目線を外すと自分の頭をポリポリと掻いた。
それだけだった。
そして再び泉の方を見やることもなく、男はぼーっと虚空を見つめるようにしながらゆっくりとした動きで目を細めていく。
男が泉に対し声かけ以上のアクションを取ってくることも、以来一切なかった。
ただ刻々と時間だけが過ぎていくという場、その間で泉も大分精神的に余裕を取り戻すことができているようだった。
男は相変わらずの様子である、まだ距離を縮めることに対し躊躇を持つ泉であるが初期に感じた恐怖心というのはほぼ拭えてしまっていると言っていいだろう。
泉は黙って、自分の取るべき行動を考えていた。
この島に放られた泉が生き残るには、力ある者から庇護を受けるぐらいしか術はない。
では、その相手というのはどうやって探すのか。
勿論本当は誰よりも信頼を置いている
瀬戸一貴が傍についていてくれることが、泉にとってはベストであったろう。
特別能力がある訳ではない、しかしそれでも一貴は泉の恋焦がれる存在である。
それだけで、一貴という存在は泉にとって特別以外の何物ではない。
しかし、今この場に一貴はいない。
島に投げ込まれた泉を守ってくれる可能性のある人物は見当たらない、そう、目の前のこの男以外。
明らかに非力にしか見えない自分に対し、攻撃性を一切見せてこない男の様子に泉は可能性を見出した。
助けて欲しい、守って欲しい、一緒に一貴を探すのを手伝って欲しい……緊張により塞き止められていた泉の欲望が、ここぞとばかりに溢れ出す。
次の機会を考える余裕などない、チャンスは一度きりかもしれないという考えも泉の心を焦らせた。
「あ、あの!」
一度瞼を閉じ決意を新たにし、泉は男に向かって話しかける……が。
「え?! ちょ、ちょっと何してるのよっ」
それは、本当に一瞬のことであった。
先ほどまで起き上がっていた男の体、それは泉が瞼を開けたと同時に再びゴロリと床に横たわっていた。
男は、再び惰眠を貪ろうとしていた。
「ね、ねえ! 人の話を聞きなさいよ」
慌てて男へと近づこうとする泉、道中思いついたように転がっているスタンガンを拾い上げながらも真っ直ぐに駆けて行く。
そんな、混乱しかけた泉の思考の中に浮かび上がる数々の疑問符に対し、男が突きつける言葉はただ一つ。
「寝る」
「は、はあ?!!」
男、
流川楓の優先した欲望はあまりにも呑気であり、泉もそれをすぐには信じられなかった。
そう、しばらく経ってから漏れてきた流川の寝息を聞くまでは。