第014話 降板するピッチャー ◆SzP3LHozsw


クヌギやコナラの原生林を抜けると、そこだけぽっかりと穴を開けたように月明かりが降っていた。
源五郎池は静かに水を湛えている。
湿り気を帯びた空気が池の周りを覆っていて、少し肌寒いくらいだ。

「ちくしょう……わけがわからねえ」
安仁屋恵壹は足元の小石を拾うと、それを苛立たしげに池に向かって放り投げた。
小石はポチャンと音を立てて真っ黒な池に沈んでいく。静かだった池に丸い波紋が広がった。
それはまるで安仁屋の心みたいだった。安仁屋の心も、池に広がる波紋同様に激しく波打っている。

安仁屋があの体育館で見たものは、恩師・川藤幸一の姿だった。
太ったじいさんとおっさんに続いて入ってきた川藤。言われるがままに死体を運び、請われるがままに短い演説もしていた。
あんな状況なら身を呈してでも守ってくれるだろう川藤が、何もしてくれなかった。これらはいったい何を意味しているのだろうか――。
『川藤の裏切り』
安仁屋はさっきからずっとこの疑念にとり憑かれている。
常に前を向くことを教えてくれ、夢を持つことの楽しさを思い出させてくれた熱血教師を信じたいのだが、一度頭にこびりついた疑いは中々消えなかった。

(川藤は本当に俺達を売ったのか、それとも別に理由によるものか――?
 川藤のことを考えると、後者のような気もする。けどそんな器用なことができる奴じゃない。だとしたら……)

結局はこの堂々巡りを繰り返す。
今のままでは何を信じていいかわからなかった。
安仁屋は川藤を信じようとする気持ちと、信じてはいけないという気持ちとの間で揺れていた。

「――ったく、ふざけやがって!」

安仁屋はもう一度小石を拾うと、その場をマウンドに見立て足で軽く地面をならした。
それから「ふぅ」と息を吐き、無心になって投球姿勢に入る。考えているのが馬鹿らしくなってきた。
要するに川藤に裏切られようとなんだろうと、今が命の危険にあるということに変わりはない。
まずは生き残る――それを第一に考えなければならない。
御子柴や新庄、それに塔子と合流して今後の作戦を練る必要があるだろう(平塚はバカだからどうでもいいが)。
大きく振りかぶり、池の中央にキャッチャーの若菜が居るつもりでオーバスローから肘をしならせて自慢の速球を投げた。
MAX150km/hを叩き出す安仁屋の肩は、見事に小石を若菜のグローブのど真ん中に叩き込んだ。
文句の付けようもない投球のはずだったが、気持ちは釈然としないままだった。

「――誰だ!?」

急に人の気配を感じて、安仁屋は振り返った。背後の森に誰かが居たような気がする。
しかし黒洞々たる闇を孕んだ森は厚い枝葉によって月明かりが入り込むのを阻まれており、そこから人影を探すことなぞできやしなかった。
それでも誰かが闇に潜んでいるのは確実に思えた。殺気――上手く言えないが、敢えて言うならそれだった。殺気を感じたのだ。
安仁屋はできるだけ大きな石を数個拾うと、左手に抱えた。

「誰だって訊いてんだろ?隠れてんじゃねーよパキ野郎。返事しないってんなら石投げるぞ。俺は今腹立ってんだよ」
暗い森に向かって安仁屋は言う。
森から帰ってくる言葉は何もなかった。

「……ナメんなよ……殺すぞコラァ!!」
当たると幸いに、安仁屋は持っていた石を森へ投げた。
抱えていた分を投げきると、また石をかき集めて投げつけた。
それは川藤の裏切りへの八つ当たりであるように、また川藤を信じきれないでいる自分への苛立ちのように、安仁屋は夢中で石を投げ続けたのだった。

「はぁ、はぁ、はぁ……」
投げ疲れると、噴き出した汗を拭って息をついた。
スタミナにはそこそこ自信をつけたつもりだったが、無茶苦茶な投球ですっかり息は上がっていた。
辺りの石は綺麗に無くなっている。
これだけ投げても出て来ないんだから気のせいだったのかもしれないと、安仁屋は思った。
「はぁ、はぁ、ダッセー……。ビビってんのは俺の方じゃねーか」
さもくだらないといった風に放心すると、安仁屋はデイパックを担ぎ上げた。
背負いながら歩き出す。


ガオォン!!


そのとき湿った空気を裂いて、一発の銃声が谺した。
ヒュンっという音を立てて弾丸が安仁屋の真横を掠めていく。
驚いた安仁屋の足が止まった。
動けと頭では命令するのだけれど、固まってしまった身体はどうやっても反応してくれなかった。
今のは一体なんだったんだ――? そう考えた刹那、二発目の銃弾が安仁屋を襲う。
どんな強力なピッチャー返しでもこれほど強烈ではないだろうという衝撃を喰らい、安仁屋は数歩前によろめいてガックリと膝を着いた。
腰から腹にかけて焼けるような痛みが突き抜ける。耐え切れず、そのまま仰向けに倒れた。

「……ってぇーな……」

灼熱の痛みに身を捩ると、傷口を強く押さえた。ヌルリとした生暖かい感触が指の間から溢れ出る。
この様子では、腰から入った弾は内臓をズタズタに破って腹へと抜けていることだろう。致命傷かもしれない。

「……くそ……シャレんなんねーぞ……」

ザッ、ザッ、ザッ

誰かが歩いて来る。
翳みだす視界の端に、金髪の女が見えた。
『お前か、撃ったのは!? ふざけんじゃねーぞクソアマぁ!!』
そう怒鳴ったつもりなのに、安仁屋の口は池の鯉のようにパクパクと開いただけだった。

「待っててネ、マコトくん。全部片付けたら、すぐ逢いに行くから」
近づいて来た女は、ウットリと言ってから安仁屋を冷たい醒めた眼で見下ろした。
その手にはやはり拳銃が握られている。
女は静かに、だが躊躇いを感じさせない手つきで銃口を安仁屋に向けた。


――こんなところで降板させられんのかよ……。まだ俺、1回も投げきってねーぞ。


もう痛みはあまり感じなかった。
その代わり、走馬灯というやつなのか、今となっては懐かしい顔が次々と浮かんできた。
塔子……御子柴……若菜……関川……桧山……岡田……新庄……湯船……関川……今岡……赤星……。
一緒に野球をやってきた仲間だった。甲子園を目指したチームだった。


――悪いな……どうやら甲子園、行けないみたいだな。


川藤の顔も浮かんだ。
恩師だった。
自分を含め、ニコガクナインはみんな川藤に救われたようなものだ。
川藤に出逢わなかったらどうなっていたかわからない。その点では感謝してもしきれない。


――何が『夢にときめけ! 明日にきらめけ!』だよ。死んじまったら、ときめきようもきらめきようもねーだろうが。


それでもきっと川藤のことだから止むに止まれぬ事情があったのだろう。
川藤は何の事情も無しにこんなひどいことをする人間ではないのだから。
(そうだろ川藤? ……俺は……俺はまだお前を信じてるぜ)
薄れ往く意識の下で、安仁屋は川藤に語りかけた。
川藤が何も答えてくれなかったのが、少し寂しかった。


ドォオン!!


三度目の銃声が、森の静けさと一人の野球少年の命をあっけなく奪い去った。
銃口から出た煙が、風に乗って揺れていた。

     * * *

「なんだよ、ロクなもん入ってないじゃない」
伊部麗子は、たった今殺したばかりの安仁屋のデイパックを漁りながらぼやいた。
それでも食料と水、それから安仁屋の支給品だった『バンテージ』を見つけると、ちゃっかり自分のバッグへ移し入れている。

「まずは一人か……。アタシが頑張ればマコトくんも楽できるもんネ」
イブは不適に言った。
一人でも多く殺せばそれだけ一条の安全が確保される――。イブは全ての迷いを断ち切っていた。
優勝が目的ではない。ただ愛する人のため、イブは戦おうと思った。

「例えこれが間違った選択だったとしても、マコトくんのためにやらなくちゃね……」
イブの歪んだ愛情は、イブ自身を狂気へと駆り立てた。

「フフ……マコトくん、アタシが行くまで死んじゃ駄目よ」
安仁屋の死体を残して、イブは真っ暗な森へ姿を消した。


【H-06/源五郎池/1日目・午前2時ごろ】

【女子03番 伊部麗子@BOY】
状態:健康
装備:コルト ガバメント(弾数7発/予備弾20発)@こち亀
道具:支給品一式×2、バンテージ@ろくでなしBLUES
思考:1.一条誠と帰る
   2.そのために、一人でも多く殺す

【男子01番 安仁屋恵壹@ROOKIES 死亡確認】
【残り 58人】

※近くに居た人間は、銃声を聞いた可能性があります。


投下順
Back:爪を隠して Next:ボス猿、始動

時間順
Back:爪を隠して Next:孤高の傭兵

初登場 伊部麗子 BLUE SKY COMPLEX
初登場 安仁屋恵壹 死亡

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最終更新:2008年02月13日 13:14