大学に入学して1か月。
ノートを開いて、定年間近と思われる教授の、ひどく退屈な講義を受ける。
お
昼休みは食堂にいって、美味しくも不味くもない食事を食べる。
高校と違って単位制なので、講義によって出席する者が違う。よって、隣の者と会話をすることはほとんどない。
「あー 退屈ね」
窓から外を眺めると、運動場で網がついたスティックのようなものを持って駆け回っている集団がいる。
(確か、ラクロスって言っていたわね…… )
大学に入学した当初は、様々なサークルや部活が、新入生の熱心に勧誘活動をしていた。
私も誘われるまま、いくつかのサークルを覗いてみたけれどどれもしっくりこなかった。
ナンパ目的のテニスサークルも嫌だったし、かといって高校まで帰宅部の私にとって、ガチの体育会系も遠慮したかった。
どことなく浮ついた雰囲気に包まれた4月が過ぎ、ゴールデンウイーク明けになると、あらかた新入生は
部活やサークル入ったり、バイトや学外活動にいそしんだりして、自分たちの
居場所をみつけていったが、
私は、未だにそれを見つけることができないでいた。
弁護士資格をとるために、一生懸命法律の勉強をする、というのも一つの生き方ではある。
しかし、4年間を学業だけに費やすにはあまりにも一日の時間は長かった。
6時間目まで講義が詰まっている日でも、午後4時には授業が終わってしまう。
入学当初からめっきり減った受講生が、三々五々と散っていくのを横目にみながら、
私の右手は半ば無意識に携帯のメールを打ち込んでいた。
『こなた。今日会えない? 』
泉こなた…… 高校の時に知り合った友達で、いつも、一緒に過ごしていた女の子。
彼女は、同じく高校の同窓生だった日下部と一緒の大学に進学している。
オタクで、ゲーマーで、だらしなくて、宿題を見せてと頼んでくることが多くて、手のかかる子供みたいな奴
だったけれど、別の
大学に入ってからは会っていない。
こなたにはこなたの大学生活があるから会う事を躊躇っていたのだが、周りに誰も知り合いがいないと酷く寂しい。
西の空が茜色に染まりゆく夕暮れ時だから、人が恋しくなってしまうのかもしれないけれど、
一人でいることに耐えられそうになかった。
メールを送信した後、生協で購入したラノベの新作を眺めていると、ポケットに入れていた携帯が震えた。
(こなたからだ! )
こなたの笑顔が脳裏に浮かんで心が踊り、頬がだらしなく緩む。
震える指先を抑えながら、ボタンを押してメモを読む。
『かがみごめん。今日は日下部と一緒に入ったサークルの歓迎会なのだよ。また今度誘ってね♪』
(そう…… ダメなの…… )
私は、拒絶の文面を眺めながら、深いため息をついた。
こなたはもう居場所を見つけたんだと思うと、涙がでそうになる。
心が締め付けられるような思いを堪えながら電源を消して、周囲を見渡すと……
教室には既に誰もいなくなっていた。
「ただいま~ 」
夜の帳がすっかりと下りた頃に私は帰宅すた。玄関の扉を開けると、少なくとも見た目は若々しい母の声が返ってきた。
「ねえ。母さん。つかさは? 」
「帰っていないわよ。確か、学校の友達の家に遊びに行くっていってたかしら」
「そう…… 」
私は小さくため息をつきながら、部屋に入った。
つかさは進学先の子と溶け込んでいるのに、それに比べて私は…… と少し落ち込む。
高校時代の良き習慣は未だ残っていて机に向かうが、大学では宿題を出す講師はあまりない。
出された課題に加えて、予習復習を終え、夕食と風呂を済ませても、9時にもなっていない。
「暇だ」
私は、ベッドに寝転んだまま天井を見上げた。せっかく懸命に勉強して志望した大学に入ったのに、ちっとも楽しくない。
ただ機械的に学校まで足を運んで、授業を受けて帰るだけだ。味もそっけもない、つまらなくて単調な日々が過ぎる。
後ろ向きな思考から離れられないまま横を向くと、こなた達と映っている写真が視界に入った。
「高校の方がずっと楽しかったわ…… こなたもいたし」
こなたの顔が鮮明に浮かんでくる。ちいさな口元が猫みたいにとても可愛くて、抱きしめたくなってしまう。
「こなた…… 寂しい」
ベッドをごろんと転がって、掛け布団をくるめて抱きつく。スカートが激しく皺になりそうだけど気にするもんか。
「こなた、会いたいよう」
面と向かってはとても言えない台詞を連発する。しかし、当然ながら布団は答えてくれないし、15分もやっていれば空しくなる。
しばらくベッドで悶々とした後、私は起き上がってPCの電源を入れて、某巨大掲示板にアクセスした。
「あのスレどうなっているかしら…… 」
呟きながら、マウスをいじる。先週、専ブラを導入したのでスレの閲覧はかなりしやすくなっている。
「おっ、レスあるわね」
私は少し嬉しくなって、せっせとキーボードを叩き始めた。
この掲示板は、誰かの紹介がなくても、会話に加わることができることが、自分にはあっているようだ。
長い過去ログを読み通すのはかなり手間がかかるし、常駐スレで煽り煽られたりしていると、あっという間に夜中になってしまう。
「そろそろ、お風呂入って寝ようかしら」
私はひとりごちると、電源を消した。時計を見上げると、既に日付は変わっている。
「ふう…… 今日も何事もなく終わったわね」
ベッドにもぐりこみ、部屋の明かりも消すと、カーテンを閉めた部屋は闇に包まれる。
「明日はこなた暇かな…… 」
私は、思い出したように高校時代の友人の名前を口にした後、心地よいかどうかは分からない眠気に誘われて、
ゆっくりと夢の世界に落ちていった。
「かがみー 起きなさい」
下から母さんの声が聞こえる。とても眠いし、今日は講義はお昼からだから寝かせてほしいわ。
「うーん」
母さんを無視して、お布団でぬくぬくしていたら、扉があいた。
「かがみ、もう10時よ。起きなさい! 」
手が伸びて、布団がはぎ取られる。ああん。もう。
「うーん。分かったわよ~ 」
「まったく、もう。だらしないんだから」
母さんは腕に手をあてながら、眉をしかめた。
「いつまで寝ているの! つかさは、もうとっくに学校に行ったわよ」
「今日は午後からだから、いいの…… 」
瞼を擦りながら身体を起こす。春眠暁を覚えずなんだから、もう少し寝かせてくれればいいのに。
ふらふらと歩いて台所にたどり着くと、まつり姉さんが朝ごはんを食べていた。
「まつり姉さんおはよ~ 」
「ふふ。かがみ、おはようさん」
「何、笑ってるのよ」
顔をみるなり失礼な含み笑いを漏らす、まつり姉さんを睨みつけた。
「かがみが、どんどん堕ちていくのを眺めるのは、結構愉しくてね」
「何いってるのよ? 」
「目的のない大学生活とは、かくも残酷なものよのう…… 」
まつり姉さんは、いささか憐れむような顔をみせてから、下手な鼻歌をうたいながら去って行った。
「なんなのよ。一体」
頬を膨らませながら机の上のパンをかじる。まったく、年中ぐうたらのまつり姉さんに堕落なんて言われたくないわ、
と呟いてから、食事を終えて洗面所に向かう。
「あ…… 」
髪の毛が爆発していた。
お昼前、学校に向かう電車の中で、こなたにメールを打っておいた。今日こそは会いたいなあ。
講義室にはいってノートを開くと、2人の女の子が近寄ってきた。何度か見た子だが会話をしたことはない。
「ねえ。柊さん」
「な、何? 」
「明日、おひまかしら。 」
「え、ええ」
特に予定はいれていない。こなたを誘ったのは今日だし。もとより大学に入ってから忙しい日など数える程だ。
「ちょっと付き合ってほしいのよ」
「どこ、というか、何に? 」
「あのね…… 合コンなんだけど、どうしても女の子が足らなくって」
「はあ…… 」
面識がない人間をいきなり合コンに誘うとは、大学とは怖いところだ。用事はないから承諾したら、異様に喜んでいた。
「とりあえず、明日の予定はつぶれたわね」
こなた以外の女の子、ましては男なんぞに興味はないが、気分転換くらいにはなるだろう。
ぼんやりと考えながら、退屈な授業を受けていたら、5時間目が終わるころに携帯が震えた。
「もしもし、柊ですけど」
「かがみ。久しぶりだね! 」
懐かしいこなたの声が聞こえる。思わず嬉しくて泣きたくなる。
「そ、そうね。ところで、今日は会えるかしら」
「うん。いいよ。とりあえず、19時に渋谷まで出てくれるかな」
「う、うん」
「じゃねー 」
電話が切れた。嬉しくなってにやにやしていると、いきなり丸めたノートで頭をはたかれた。
「な、なによ! 」
憤然として見上げると、講義を妨害された助教授が睨んでおり、周りの学生達はくすくすと笑っていた。
講義が終わってから、電車で渋谷まで乗り継ぐ。待ち合わせの15分前に駅の改札口の近くでこなたを待つ。
あと10分、5分……
腕時計を何度も見ながら、行き交う乗客の流れを目線で追う。まだ来ていないようだ。
「まったく、こなたの奴、いつも遅いんだから」
口では文句を言うけれど、心は躍る。こなたの笑顔を見ることができると思うと、こみあげてくる嬉しさを抑えられない。
午後7時の待ち合わせ時刻になった時、ポケットに入れた携帯が鳴った。こなたからだ。
「もしもし、こなた? 」
『かがみ…… あのさ 』
こなたが言いづらそうに、黙り込む。
「な、何? 」
何か、猛烈に嫌な予感がする。
『悪いけれど、いけなくなっちゃった』
「ど、どうして? 」
最悪の予想が当たり、目の前が真っ暗になる。
『ゆーちゃんが急に身体の具合が悪くなってね。お父さんも今日はいないから…… 』
「そ、そう…… 」
『ごめんね。かがみ。とても楽しみにしてたんだけど…… 』
「う、ううん。気にしないで」
「それじゃあ」
通話が無情に切られる。私は、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
「ゆたかちゃんのせいよ! 」
家に帰りながら、道路に転がっていた空き缶をけとばす。
そして、会えなかった原因となったゆたかちゃんに矛先を向ける。
「どれだけ病弱なのよ! こなたに迷惑ばっかりかけて、ほんと最低! 」
怒りをぶつければぶつけるほど、自分自身が惨めになるけれど、やめられない。
「あー もう、やってらんないわ」
コンビニで酒をしこたま買い込む。家に戻って部屋に駆け込み、ぐびぐびと飲み干す。
「あー にがっ 」
瞬く間に缶ビールを4、5本あけると、酔いがいい塩梅に回ってくる。
「まったく、何をやってるのかしらねえ? 」
鏡に映った、顔が真っ赤になった自分を見て、自嘲めいた笑みを浮かべた時に扉がノックされた。
「お、お姉ちゃん」
つかさだ。久しぶりに顔を見た気がする。
「なんだ。つかさか。なに不景気な面してんのよう? 」
不安げに顔をしかめている妹の顔を、ねめつけるように見上げる。
「お姉ちゃん。あんまりお酒を飲んじゃ駄目だよ」
言われた途端に猛烈に怒りがわく。
「うるさいわね。余計なお世話よ! 」
「ご、ごめんね」
つかさは、悲しそうな顔をしてから、背中を向けて去ってしまった。
「なんなのよう」
おせっかいなつかさにも腹がたつ。
「まったく、どいつもこいつも…… 」
いらだちを紛らわすためか、無意識に電源に手を伸ばし、PCを立ち上げる。
お気に入りにしたスレを覗いてから、煽りAAをいくつか貼って、草をさかんにはやしていると、日付がかわった。
「ねむくなったわ」
ひとりごちると、スカートを穿いたままベッドに転がりこむ。
「お風呂? めんどくさい…… 」
何もかもに疲れきった私は、部屋の電気をつけっぱなしのまま、ゆっくりと意識を失っていった。
夜中に目が覚めた。
ひたすらねむい。目覚まし時計を見るとまだ午前4時だ。瞼をこすりながらパソコンの前に座って、立ち上げる。
「とりあえず、ニコニコでもみるか」
適当にランキング上位の画像をあさっていると、女子高生がハレバレを踊っている。
(私だって、2か月前までは女子高生よ! )
妙な対抗意識が芽生えて、ぼんやりとした頭のまま、洋服ダンスを開けて、防虫剤の臭いが残るセーラー服を取り出す。
(まだまだ、現役で通用するはず…… )
今は懐かしい陵桜高校の制服を眺めてから、スカートに足を通す。
腰まで引き上げて、チャックを閉めようとして…… つっかえる。
「うそっ! 」
そ、そんなはずはない。これは何かの陰謀に決まっているわ。
「大丈夫、絶対にはけるわ! 」
ひどく焦りながらも、自分に言い聞かせて、力を込めてチャックを引き上げる。
「ん、ぐ、ちょ、ちょいやー 」
お腹を限界までひっこめて、無理矢理ホックを閉じる。
「ぐえっ」
何とか閉じることに成功した瞬間、余分な脂肪のついたお腹が強烈に締めあげられて、潰された蛙のような呻き声がでる。
(これはやばいわ…… )
卒業式の時は平気だったのに、2か月でこんなに太っていたとは、信じられない。フリーメイソンの仕業かも。
他の場所も気になって身体を眺めまわしてみるけれど、何故か、足まわりや腕回りは以前と変わらない。
お腹だけがぷくっと、膨らんでいる。
「これがメタボって奴なのかしら? 」
私は、顔を青くしながら呟いた。18歳にして成人病予備軍なんて洒落になんない。
大学に入ってからの自分の行動を振り返ってみれば、家と学校の往復以外、身体をほとんど動かしていない。
それでいて、生協や駅で買い食いをしまくっていたから、太るのも当然かもしれない。
「ちょっとダイエットしなくちゃ」
とりあえず、買い食いをやめれば、膨らんだおなかも引っ込むであろう。
窮屈さに耐えきれなくなってホックを外し、ファスナーを下ろすとようやく楽になり、眠気がもどってくる。
時刻はまだ4時半で、外は暗い。
私は大きなあくびをすると、もつれるようにベッドに倒れこんだ。
「かがみ。朝よ。起きて! 」
母さんが部屋に乱入してくる。
「んー もう30分」
「いい加減に起きなさい。毎日、夜更かしばっかりして! 」
「お願い、もう10分、いえ5分でいいから~ 」
「ダメよ。つかさを見習いなさい! 」
強引に布団をはぎ取られる。なんなのよー。
「かがみ、あなた…… 」
しかし、布団をめくった瞬間、母さんは絶句してしまった。
「な、なによ? 」
「どうして高校の制服なんか着ているの? 」
「あっ…… 」
最終更新:2009年01月09日 01:05