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あした天気になあれ

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「天気になぁれっ……あ」

 蟻の巣の隣にサンダルは表を向けて着地した。ガリガリくん(ソーダ味)の欠片をもった働き蟻の行列がピクリと立ち止まるが、すぐに何事もなかったかのように障害物を迂回し始める。
 片足でケンケンしながら危うくバランスをとったつかさは、縁側へと振り返った。

「お姉ちゃん、あした晴れだってー」
「あ、そう」

 卓袱台に受験対策用の問題集を広げていたかがみは、ぶっきらぼうに答えた。姉妹とちょうど同い年の年老いた扇風機が困ったように首を振り、ご機嫌斜めな姉の長髪を弱々しくそよがせる。
 去年までは遊びの宝石箱であったはずの夏休みは、窮屈な受験勉強によって過ぎ去ろうとしていた。
 開け放たれたガラス戸の向こうに聳える高度2000メートルの積乱雲も、手入れしたばかりのはずなのにすぐさま庭への侵略を再開した雑草も、そこを寝床とするアブラゼミの一世一代の自己主張も、今年ばかりは他人事だ。本当なら嬉しいはずの、日焼けのない真っ白な素肌が、なぜだか恨めしい。
 子ども達に平等に夢を配り歩く夏休みは、高校三年生に限っては、室内にまで忍び寄り集中力を奪い去る不快指数しか与えてくれないのだ。

 だから昨日、久しぶりに顔を合わせたかがみとこなたが些細な事で仲違いしてしまったのも、たぶんその内容よりもこうした高校三年の夏に付き纏う特有の“苛立たしさ”が原因だったのだろう(もちろんかがみはこなたが悪いのだと信じて疑わなかったけれども)。
 一晩経ってもかがみは一向に機嫌を直す様子がなく、朝から柊家の誰もがたじろくイライラオーラを発していた。

「これなら明日のこなちゃんちでの勉強会も大丈夫だね」
「……別に、雨なら傘さして行くだけの話よ。それよりつかさ、気分転換もいいけど、ちゃんと勉強しなさいよね。その問題集終わってないんでしょ?」
「えへへ……ごめんなさい」

 さっきまではつかさもかがみの隣で問題集に唸り声をあげていたのだが、台所でスイカを切る母親に打ち水という大義名分を与えられると、あっさりと学業を放棄して庭に飛び出していた。
 そしてホースを片手に庭を水浸しにした後も、こうして童心に返りサンダルと戯れている。

「お姉ちゃんも『あした天気になあれ』やらない? 気分転換も必要だと思うな」
「やんないわよもう子どもじゃないんだし。天気っていうのはサンダルの裏表じゃなくて気象庁の天気図で決まるのよ。だいたい天気なら今つかさが占ったんでしょ? 私がやって正反対の結果が出たらどうなるのよ」
「えーと……じゃあ他の事を占うのはどうかな」
「やらない」
「じゃあ私がやっちゃうよ?」
「何占うんだか知らないけど、勝手にすればいいでしょ」
「じゃあ」

 くるりとつかさは縁側に背を向け、庭に仁王立ちになった。夏らしい薄手のワンピースを纏ったつかさの背中は、強い陽光の下では微かにブラが透けて見える。身体からすらりと伸びて地面を踏みしめる華奢な両脚の踝には、水溜りで跳ねた砂利が張り付いている。
 その姿を見ていると、ずっと一緒に勉強してきたはずの妹は自分とは違い夏を満喫しているかのように思えて、ちょっと口惜しかった。
 そんな姉の視線に気付いているのかいないのか、うんうんと何事か思い悩んでいたつかさは、やがて何事か意を決したように「よし」と頷いた。

「うん決めた。お姉ちゃんとこなちゃんの空模様っ! 表だったら明日こなちゃんとちゃんと仲直りして、いつもどおりになるっ」
「な、なによそれっ!?」

 ガタリ、慌てて立ち上がったかがみは机の端に向こう脛をぶつけてしばし悶絶した。
 その間にも、つかさはワンピースから伸びた右足をぶるんぶるんと前後に振るい、蹴飛ばす体勢に入っている。

「そんなの勝手に占うな! それにそれ、裏だったら、裏がでたらどうなるのよ? つかさ、待ちなさいって」
「あ~したっ、天気にっ」
「ちょっとつかさってばっ!」

 縁側まで駆け寄るとつかさが振り返って、上目遣いにかがみを覗き込んだ。サラリと汗で重くなったショートカットが零れ落ちる。

「じゃあお姉ちゃんやる?」
「……やる」

 かがみはばつの悪さを覚えながらも、サンダルを突っかけると放置されたホースを踏み越えてつかさの隣に立った。
 たしかに大人気ないとは思っていたのだ。
 こなたの事を許せるかは別にしても(だってあれは絶対、間違いなくこなたが悪いんだから!)、それを一晩かけて引き摺ってつかさや姉さん達にまでキツくあたったのは反省している。
 その方法は……まぁともかくとして、つかさもきっと私を気遣ってくれているのだ。

 何故だか期待の眼差しで見るつかさを横目に、かがみは右足を踏み出した。
 泥水で汚れたハローキティのビーチサンダルは、もともと長女のいのりが購入して姉妹代々に受け継がれたものだ。今ではすっかり古ぼけ、海水浴という本来の目的で使われる事もない。
 そこからにょっきりと顔を出す、綺麗に爪が切り揃えられた自分の指先を睨みつけ、かがみは深呼吸をする。大腿に自然と力が籠もる。

 待て、力むんじゃない。所詮こんなのは占いで、これで未来が決まったりはしない。だいたいこなたとの事がどうなったって私には関係ない。
 向こうから謝りに来たならまぁ許してあげない事もないケド、あくまで私にはどっちだっていいんだ。
 だからもっとリラックスして、ちゃっちゃと終えて、つかさに迷惑かけてごめんねって謝って全部おしまいにしちゃおう。うん、つかさのためだ。こなたは断じて関係ない。

 リラックス、リラックス。

 かがみは一度軽く息を吐いて、蹴りだした。ふわりと軽く宙に投げ出されたかに見えたサンダルは、予想外に軌跡を伸ばす。天高く舞うその影を見上げ、隣のつかさが声をあげた。

「あ」

 ふたりが呆然とする中、ハローキティのサンダルは隣家とのブロック壁の向こうに消えた。






 ふたりが隣家を出る頃には、夕暮れは鷹宮の町並みをすっぽりと覆っていた。サンダルを取り戻したかがみとつかさはどちらから提案するでもなく、そのまま散歩に出ていた。
 ぺたりぺたりとふたりが歩くアスファルトは昼間に溜め込んだ熱でサンダルの裏を焼く。いつまにかヒグラシの合唱が大気を満たしていた。

「まったく、つかさのおかげでエライ目にあっちゃったわよ」
「あはは、ごめんねお姉ちゃん」

 幼い頃、お説教おじさんとして四姉妹に恐れ慄かれていたお隣の氷屋さんは、意外にも優しかった。必死に頭を下げるふたりに苦笑いながら、むら山の栗羊羹までご馳走してくれたのだ。
 スーパーから帰ってきた奥さんも含めて昔話に花が咲き、かがみとつかさは小さな頃には見えなかったいろいろなものに気が付いた。

「……まぁいいわ。なんだかあんな事で腹立ててたのがばかばかしくなっちゃった。それでこの場合あの占いはどうなるのよ。表か裏かなんてわかんないわよ」

 結局、「あした天気になあれ」は晴れでも雨でもなかった。サンダルは柿の木に引っかかっていたのだ(地上約3メートル地点のサンダルを回収するには剪定用の梯子を物置から出してもらう必要があり、それがまたかがみを赤面させた)。
 しかしもともとつかさの言い出した遊びなのだ。かがみは軽い気持ちで、数歩先を歩く審判の判断を仰いだ。

「えっとこの場合、うーん、カクリツテキに表より凄いんだから、やっぱりもっと素敵なコトが起こるんじゃないかなぁ」
「素敵なコト……ってずいぶんと曖昧ね。この場合具体的になんなのよ?」
「例えば……」

 答えようと振り返ったつかさは、かがみに浮かんだ表情を覗いて何を思ったのかどうか。
 その時たしかに、つかさらしかぬ小悪魔めいた輝きが瞳に宿った気がして、かがみは動揺した。
 もしかすれば、いつもしっかり者で頼りになる姉がどうしても素直にならない今日一日の様子を見て、ちょっとだけ悪戯しちゃおうなんてコトを考えたのかもしれない。
 カーブミラーに反射する夕陽に全身を染めたつかさは、微笑みながら言葉を続けた。

「お姉ちゃんとこなちゃんの仲が一歩前進……とか」
「は、はぁ!? ちょっとつかさなによそれ! いいかげんな事言わないでよ」
「だってお姉ちゃん凄く気合入ってたもん。あんな遠くまで飛ばしちゃうんだからやっぱりこなちゃんの事大好きなんだよね」
「あれは違っ、ただ力の加減を間違えただけでっ。ほ、ほら人間関係を『あした天気になあれ』で占うっていうのがやっぱり無理があるのよ!」
「そう? でもそういうの私は素敵だと思うな。あっ、ちょっと待ってお姉ちゃん……もしもし」

 後ろ向きの歩みでかがみの猛烈な抗議をかわしていたつかさは、着信を告げる軽やかな「バレンタイン・キッス」を止めて携帯電話に出た。
 そして朗らかに話し始める妹の様子に、かがみはドキリと警戒する。
 え、まさか。

「あ、こなちゃん? こんにちはー。うんお姉ちゃんなら隣にいるよ、直接かければいいのに……あはは、もう怒ってないよ。うん、うんお姉ちゃんに代わるね」

 おろおろとうろたえる姉の様子を全く意に介さず、「はい」と線路脇で背伸びする向日葵みたいな笑顔でつかさは携帯電話を差し出した。
 ケロロ軍曹のストラップがそんなかがみの様子を嘲笑うように揺れる。
 つかさの手からむしりとるように携帯電話を奪い、「泉こなた」と表示されたディスプレイを睨みつけた。ああもう、つかさってば。

 あんな事言われた後で、どんな顔して電話に出ろっていうのよ!

 電信柱には針金で磔刑にされた看板、放置されて久しい「子ども飛び出し注意」。止まれの道路標識の上で寄り添う姉妹の影は沈みゆく太陽に合わせてゆらゆらと揺れている。 
 内心の葛藤を押し隠し、かがみは携帯電話を耳に押し当てる。スピーカーから緊張して息を呑むこなたの声を聞いた時、かがみはもう自分がこなたを許している事に気がついた。
 仲直りに明日まで待つ必要はなかったのだ。

「もしもし」

 今日あったいろいろな出来事を思い返しながら、かがみはそっと声を電波に乗せた。



〈 了 〉










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  • 読んでて気持ち良かったです 受験やだなーww -- 名無しさん (2009-10-12 19:52:41)
  • 一見遠まわしな状況描写という印象を受けるけど、
    このまったりでゆるく流れる時間を感じさせてくれる、あなたの作品が大好きです。 -- 名無しさん (2007-11-03 22:21:17)

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