夏の風物詩。
スイカ、花火、セミの鳴き声、人によっては黒くて気持ち悪い虫だったりもするだろう。
そんな数多の風物詩がある中で、いわゆる甲子園――全国高等学校野球選手権大会を
挙げる者も多い。
スイカ、花火、セミの鳴き声、人によっては黒くて気持ち悪い虫だったりもするだろう。
そんな数多の風物詩がある中で、いわゆる甲子園――全国高等学校野球選手権大会を
挙げる者も多い。
「あ~つ~い~」
そんなわけで、こなたもその夏の風物詩を味わっていた。満喫していた、ではない。
埼玉県内のとある野球場にて甲子園の地区大会が行われており、真夏の太陽が照りつける
中、文字通りの熱戦が繰り広げられていた。
「こら泉、しっかりせんか!」
「でも~」
しかしこなたはそれを楽しんではおらず、ななこに叱責されていた。
いくら野球が国民的な人気を誇るスポーツだからと言って誰もが好きなわけではないし、
ましてや強制的に球場に連れて来られたところで応援する気など起きるはずもない。
この年も例年と同じように、自身が大会に出る身分でもない限りは野球の地区大会の
応援に駆り出されるよう強制されていた。このことはよく問題視され取り沙汰されているが
その議論はひとまず置いておくとして、とにかくこなたは完全に不貞腐れていた。
野球が好きではないのに応援させられるだけならまだしも、七月の日差しに晒され続け
なければならないというこの理不尽さだけはどうしても我慢できなかった。球場には日除け
が一切なく、冷房はもちろん扇風機さえない。甲子園球場と違ってやたらと風が吹いてくれる
わけでもなく、太陽に熱された空気は逃げ場所もなくその場に留まっている。いくらお盆に
なる度にビッグサイト前の炎天下で長蛇の列を並ぶこなたとはいえ、その状況に好き好んで
飛び込んでいるわけではない。あれはあくまで同人誌のためである。
一言で言えば地獄のような暑さだった。選手のためにもドーム球場の一つくらい貸して
やればいいだろうになどと考え――もちろん本音は自分自身が暑いのが嫌いだからである。
「みんな頑張ってんねやぞ! 応援ぐらいしてもええやろ」
「勝手に頑張ってればいいじゃないですか~。テレビ越しなら私だって応援しますよ」
野球好きのななことそうでないこなたのテンションは対照的だった。
「あいつらと同い年のお前がそんなにダレてて恥ずかしい思わんのか!?」
「思わないですよ~」
ななこが思わず手を上げそうになったところで球場がざわついた。二人がグラウンドの
方を見ると、陵桜が先制点をあげたところだった。
「やったで!」
「ちっ」
前者はななこ、後者はこなたの声である。
「泉、今の舌打ちはなんや?」
「な、なんでもないですよ?」
ななこの迫力に押されて思わず首を振るこなた。
ここで陵桜が勝ってしまったら次の試合も応援させられることになるので、できれば
勝って欲しくなかった。それを態度に出すとななこが怖いのでこれ以上はやめておいたが。
「頑張れ~」
「お、やっとやる気になったか」
本音は『相手選手が』『頑張れ』なのだが、それは口に出さない。
「行けー! やったれー! そのまま追加点や!」
「あ、これファミスタの音楽だ」
心から燃え上がっているななことテンションの上がらないこなた。もちろん誰もがこの
二人のように極端なわけではなく――
そんなわけで、こなたもその夏の風物詩を味わっていた。満喫していた、ではない。
埼玉県内のとある野球場にて甲子園の地区大会が行われており、真夏の太陽が照りつける
中、文字通りの熱戦が繰り広げられていた。
「こら泉、しっかりせんか!」
「でも~」
しかしこなたはそれを楽しんではおらず、ななこに叱責されていた。
いくら野球が国民的な人気を誇るスポーツだからと言って誰もが好きなわけではないし、
ましてや強制的に球場に連れて来られたところで応援する気など起きるはずもない。
この年も例年と同じように、自身が大会に出る身分でもない限りは野球の地区大会の
応援に駆り出されるよう強制されていた。このことはよく問題視され取り沙汰されているが
その議論はひとまず置いておくとして、とにかくこなたは完全に不貞腐れていた。
野球が好きではないのに応援させられるだけならまだしも、七月の日差しに晒され続け
なければならないというこの理不尽さだけはどうしても我慢できなかった。球場には日除け
が一切なく、冷房はもちろん扇風機さえない。甲子園球場と違ってやたらと風が吹いてくれる
わけでもなく、太陽に熱された空気は逃げ場所もなくその場に留まっている。いくらお盆に
なる度にビッグサイト前の炎天下で長蛇の列を並ぶこなたとはいえ、その状況に好き好んで
飛び込んでいるわけではない。あれはあくまで同人誌のためである。
一言で言えば地獄のような暑さだった。選手のためにもドーム球場の一つくらい貸して
やればいいだろうになどと考え――もちろん本音は自分自身が暑いのが嫌いだからである。
「みんな頑張ってんねやぞ! 応援ぐらいしてもええやろ」
「勝手に頑張ってればいいじゃないですか~。テレビ越しなら私だって応援しますよ」
野球好きのななことそうでないこなたのテンションは対照的だった。
「あいつらと同い年のお前がそんなにダレてて恥ずかしい思わんのか!?」
「思わないですよ~」
ななこが思わず手を上げそうになったところで球場がざわついた。二人がグラウンドの
方を見ると、陵桜が先制点をあげたところだった。
「やったで!」
「ちっ」
前者はななこ、後者はこなたの声である。
「泉、今の舌打ちはなんや?」
「な、なんでもないですよ?」
ななこの迫力に押されて思わず首を振るこなた。
ここで陵桜が勝ってしまったら次の試合も応援させられることになるので、できれば
勝って欲しくなかった。それを態度に出すとななこが怖いのでこれ以上はやめておいたが。
「頑張れ~」
「お、やっとやる気になったか」
本音は『相手選手が』『頑張れ』なのだが、それは口に出さない。
「行けー! やったれー! そのまま追加点や!」
「あ、これファミスタの音楽だ」
心から燃え上がっているななことテンションの上がらないこなた。もちろん誰もがこの
二人のように極端なわけではなく――
「暑いね、ゆきちゃん」
「そうですね、つかささん」
学校側から支給されたパックのジュースを一口啜り、のんびりと呟いた。周囲の盛り
上がりなど全く意に介さず、席に座りながら穏やかな表情で観戦している。
「先に点を取ったから、このまま勝てるかな」
「どうでしょう。野球はいつ何が起こるかわかりませんから。野球は後攻の方が有利と
言われていますし」
「そうなの?」
この試合では陵桜が先攻となっている。みゆきはそのことを言っているのだ。
「もちろん回数はどちらも平等なのですが、心理的な問題で後に攻める機会が残っている
方が楽になれるんです。実際、後攻の方が勝利数が多いという統計がありまして……完全に
信頼できるデータとは言えませんが」
勝敗には様々な要因が絡んでくるため、攻めの後先がその理由になることを示す信頼できる
データはどこにもないのが実情である。後攻が有利というのは今のところ迷信にすぎない。
「まだ、どっちが勝つかはわからないんだね」
「陵桜と相手校の公式での戦歴は2勝1敗ですが今回勝てるという保証にはなりません」
「よく調べたね。3回しか試合したことないんだ?」
「埼玉は大阪、神奈川、愛知、千葉、兵庫に次いで参加校が多いですからね。特定の相手と
当たる前にどちらかが負けてしまうことが多いんです」
「激戦区なんだねぇ」
「ただ、埼玉県の代表校が全国大会で優勝したことはありません。陵桜の準優勝が最高です」
「うちってそんなすごいところだったんだ。今年はどうなんだろう」
「わかりません。甲子園は強いところが順当に勝つわけではありませんから」
「甲子園には魔物がいる、だっけ? よく言うよね」
「浜風と土が原因ですね。浜風のせいで打球が上空で予期しない動きをして守備を乱れさせ
たりしますし、甲子園の土は日本国内のいくつかの黒土と中国福建省の白砂をブレンドして
独自に作ったもので、ボールの跳ね方が独特なので不慣れな選手がよくエラーを起こしたり
するそうです」
「そういえば甲子園で負けた人が土を持って帰ったりするよね。あれって何でだろう?」
「1937年に川上哲治さん――今では打撃の神様と呼ばれている人なんですが、その人が決勝
戦で敗れた後、土を持ち帰って母校のグラウンドに撒いたのが最初だと言われています。
1958年に当時はアメリカの占領下にあった沖縄代表の首里高等学校が検疫のために土を
持ち帰ることができず、それが沖縄返還運動を加速させたとも言われて――」
――肝心の試合を、二人は全く見ていなかった。
「そうですね、つかささん」
学校側から支給されたパックのジュースを一口啜り、のんびりと呟いた。周囲の盛り
上がりなど全く意に介さず、席に座りながら穏やかな表情で観戦している。
「先に点を取ったから、このまま勝てるかな」
「どうでしょう。野球はいつ何が起こるかわかりませんから。野球は後攻の方が有利と
言われていますし」
「そうなの?」
この試合では陵桜が先攻となっている。みゆきはそのことを言っているのだ。
「もちろん回数はどちらも平等なのですが、心理的な問題で後に攻める機会が残っている
方が楽になれるんです。実際、後攻の方が勝利数が多いという統計がありまして……完全に
信頼できるデータとは言えませんが」
勝敗には様々な要因が絡んでくるため、攻めの後先がその理由になることを示す信頼できる
データはどこにもないのが実情である。後攻が有利というのは今のところ迷信にすぎない。
「まだ、どっちが勝つかはわからないんだね」
「陵桜と相手校の公式での戦歴は2勝1敗ですが今回勝てるという保証にはなりません」
「よく調べたね。3回しか試合したことないんだ?」
「埼玉は大阪、神奈川、愛知、千葉、兵庫に次いで参加校が多いですからね。特定の相手と
当たる前にどちらかが負けてしまうことが多いんです」
「激戦区なんだねぇ」
「ただ、埼玉県の代表校が全国大会で優勝したことはありません。陵桜の準優勝が最高です」
「うちってそんなすごいところだったんだ。今年はどうなんだろう」
「わかりません。甲子園は強いところが順当に勝つわけではありませんから」
「甲子園には魔物がいる、だっけ? よく言うよね」
「浜風と土が原因ですね。浜風のせいで打球が上空で予期しない動きをして守備を乱れさせ
たりしますし、甲子園の土は日本国内のいくつかの黒土と中国福建省の白砂をブレンドして
独自に作ったもので、ボールの跳ね方が独特なので不慣れな選手がよくエラーを起こしたり
するそうです」
「そういえば甲子園で負けた人が土を持って帰ったりするよね。あれって何でだろう?」
「1937年に川上哲治さん――今では打撃の神様と呼ばれている人なんですが、その人が決勝
戦で敗れた後、土を持ち帰って母校のグラウンドに撒いたのが最初だと言われています。
1958年に当時はアメリカの占領下にあった沖縄代表の首里高等学校が検疫のために土を
持ち帰ることができず、それが沖縄返還運動を加速させたとも言われて――」
――肝心の試合を、二人は全く見ていなかった。
「よしっ! このまま追加点いけるゼ!」
「よくそのテンションが続くわね」
1点差のまま迎えた9回表、陵桜の攻撃。先頭バッターが出塁して今まさに追加点の
チャンスだった。なぜか9イニング目は一人は走者が出て、点が入るかどうかの瀬戸際に
なることがよくある。
そんなものだからみさおが盛り上がるのも当たり前なのだが、みさおに限っては1回表
からずっとこのテンションであった。かがみはそんなみさおを呆れ顔で見ているのだが、
当のみさおは全く気にしていない。
「日下部、ちょっとは落ち着、こら、暴れるな」
みさおとしては気合の入りどころらしく身振り手振りを交えて全身で興奮を表現している
が、かがみにはこれがそこまでの場面とは思えなかった。
「どうせ次のバッターはバントなんだし」
かがみの予言通り、次の打者はバントでランナーを進める。一死二塁。
「柊は冷静だなぁ。そんなんじゃつまんねーじゃん」
「私あんまりスポーツ観戦しないんだからしょうがないじゃない」
たまにプロ野球にチャンネルを合わせるとか、甲子園シーズンはたまにNHKにチャンネル
を合わせるとか、そんな人並み程度にしか野球を見ていなかった。
「でもどっちかを応援するときって普段より見入っちゃうよねー」
あやのが指摘したように、どちらかに肩入れすることは、観戦を面白くする一つの方法で
ある。陵桜の生徒は自分たちなりに自分のチームを応援していた。
「あー、私もワールドカップのときだけはサッカー見てたなー」
「よくいるわよね、そういうミーハーなファンって」
「あやのー、柊が、柊がぁ」
みさおがあやのに泣きついている間に、四番バッターが三振に倒れた。次に出てくる五番
バッターは陵桜のエースピッチャーでもある選手だった。
9回表二死二塁、得点圏にランナーがいるこの局面で、観客席は弥が上にも沸き返る。緊迫
したムードの球場にバットの快音が響いて観客たちは歓声をあげ、みさおもすぐに立ち直って
打球の行方を見守った。
「いけ、いけ、もっと、伸び、あー!」
上空を高く舞った打球は僅かにスタンドに届かず、フェンスの最上部にぶつかった。ツー
アウトだったこの状況が幸いし、選手たちは躊躇いもなく全力で走る。
「やった、点入ったぜ!」
二塁走者が生還、打者もバックホームの取り遅れに乗じて、三塁まで進塁した。この局面
での追加点と、さらなる得点のチャンスに、陵桜サイドの観客席の興奮は最高潮に達した。
「ちょっとまずいわね……」
そんな中で初めからやる気のないこなたを除いて、かがみだけが冷静だった。
「なんで?」
「もし次のバッターがすぐにアウトになっちゃうとまずいのよ」
6番打者もこの流れに続こうとしたものの、芯をわずかに外した打撃は、ライトフライに
討ち取られた。そこでスリーアウトチェンジとなり、陵桜メンバーがそれぞれの守備位置に
走って向かっていった。高校野球の精神ゆえか、歩いて時間を稼ぐようなことは許されない。
「ついさっき三塁まで全力疾走したのよ。もう9回だしこのまますぐに登板するのは体力的
にもきついわよ。何もなければいいんだけど……」
身を乗り出して深刻な顔つきになるかがみ。それはまるで……
「柊って、なんだかんだで一番熱心に見てんじゃね?」
「そ、そんなことないわよ!」
――否定したみせたものの、全くその通りだった。
「よくそのテンションが続くわね」
1点差のまま迎えた9回表、陵桜の攻撃。先頭バッターが出塁して今まさに追加点の
チャンスだった。なぜか9イニング目は一人は走者が出て、点が入るかどうかの瀬戸際に
なることがよくある。
そんなものだからみさおが盛り上がるのも当たり前なのだが、みさおに限っては1回表
からずっとこのテンションであった。かがみはそんなみさおを呆れ顔で見ているのだが、
当のみさおは全く気にしていない。
「日下部、ちょっとは落ち着、こら、暴れるな」
みさおとしては気合の入りどころらしく身振り手振りを交えて全身で興奮を表現している
が、かがみにはこれがそこまでの場面とは思えなかった。
「どうせ次のバッターはバントなんだし」
かがみの予言通り、次の打者はバントでランナーを進める。一死二塁。
「柊は冷静だなぁ。そんなんじゃつまんねーじゃん」
「私あんまりスポーツ観戦しないんだからしょうがないじゃない」
たまにプロ野球にチャンネルを合わせるとか、甲子園シーズンはたまにNHKにチャンネル
を合わせるとか、そんな人並み程度にしか野球を見ていなかった。
「でもどっちかを応援するときって普段より見入っちゃうよねー」
あやのが指摘したように、どちらかに肩入れすることは、観戦を面白くする一つの方法で
ある。陵桜の生徒は自分たちなりに自分のチームを応援していた。
「あー、私もワールドカップのときだけはサッカー見てたなー」
「よくいるわよね、そういうミーハーなファンって」
「あやのー、柊が、柊がぁ」
みさおがあやのに泣きついている間に、四番バッターが三振に倒れた。次に出てくる五番
バッターは陵桜のエースピッチャーでもある選手だった。
9回表二死二塁、得点圏にランナーがいるこの局面で、観客席は弥が上にも沸き返る。緊迫
したムードの球場にバットの快音が響いて観客たちは歓声をあげ、みさおもすぐに立ち直って
打球の行方を見守った。
「いけ、いけ、もっと、伸び、あー!」
上空を高く舞った打球は僅かにスタンドに届かず、フェンスの最上部にぶつかった。ツー
アウトだったこの状況が幸いし、選手たちは躊躇いもなく全力で走る。
「やった、点入ったぜ!」
二塁走者が生還、打者もバックホームの取り遅れに乗じて、三塁まで進塁した。この局面
での追加点と、さらなる得点のチャンスに、陵桜サイドの観客席の興奮は最高潮に達した。
「ちょっとまずいわね……」
そんな中で初めからやる気のないこなたを除いて、かがみだけが冷静だった。
「なんで?」
「もし次のバッターがすぐにアウトになっちゃうとまずいのよ」
6番打者もこの流れに続こうとしたものの、芯をわずかに外した打撃は、ライトフライに
討ち取られた。そこでスリーアウトチェンジとなり、陵桜メンバーがそれぞれの守備位置に
走って向かっていった。高校野球の精神ゆえか、歩いて時間を稼ぐようなことは許されない。
「ついさっき三塁まで全力疾走したのよ。もう9回だしこのまますぐに登板するのは体力的
にもきついわよ。何もなければいいんだけど……」
身を乗り出して深刻な顔つきになるかがみ。それはまるで……
「柊って、なんだかんだで一番熱心に見てんじゃね?」
「そ、そんなことないわよ!」
――否定したみせたものの、全くその通りだった。
「ゆたか、もういいから休もう」
「だめだよ……もうすぐ終わるから最後まで見ないと」
真夏の日光と熱気は容赦なく体力を奪う。9回裏になるまで約二時間半の激闘、ゆたかの
限界はもうすぐそこだった。
「あの人たちの方が何倍も辛いのに頑張ってるんだよ」
「でも……」
ゆたかからは遠すぎて投球がストライクかボールかはわからなかったが、この回の最初の
打者がバットを振ってないのに一塁に歩いて行ったことは確認できた。
もちろん観客席の全員がその様子を見ている。次の打者も四球で歩かせてしまい、球場
全体がざわめいてきた。まさかこのまま逆転されてしまうのではないか。陵桜の生徒たちに
そんな思いがよぎる。皆が皆手に汗握り固唾を呑んで試合を見守っていた。
次に敵の四番打者を迎える。ここでホームランを打たれれば、逆転サヨナラ負けである。
この試合のクライマックスに、両校の応援席はこれまで以上に気合が入っていた。
「大変だよ。ちゃんと応援しないと……」
周りが総立ちになって声援を送っている中、ゆたかもそれに合わせて立ち上がる。その
様子は今にも倒れてしまいそうなほど弱々しく、健気であり悲壮でもあった。
見守るしかできないというのはある意味辛いものだ。あまりに現実離れして馬鹿げた考え
だけれども、もし魔法か何かでゆたかの疲労を肩代わりしてやれる方法があるなら今すぐ
それをしてやりたい。みなみは本気でそう考えていた。
「まだ立たなくていい。タイムをとってる」
キャッチャーがマウンドまで歩き、ピッチャーに顔を寄せて何かを囁いている。その声
はもちろん観客席の誰にも届きはしない。
生徒たちはそんな二人を見守るしかないのだが……
「な、何を言ってるんスか!? もしかして愛の囁きを……ハァハァ」
完全に場違いな妄想をしながら見守る腐女子が一人いた。
「いけ、いくっス! そのままキスするっス!」
全国中継されていた選抜高等学校野球大会、通称春のセンバツにて、ピンチの場面で投球
が乱れていたピッチャーにキャッチャーが駆け寄ってキスをして、それをきっかけに投球が
調子を取り戻し、ピンチを脱したという出来事が実際にあった。ひよりの脳内ではその場面
が何度もリピートされていた。
「よし……これで……こうして……」
ひよりはこの数十秒でBL同人誌のネタを作り上げていた。今から頑張ればコミケまでに
コピー本の一冊くらい作れるかもしれないと、スケジュールを組み立てる。
当たり前のことだがここではひよりの期待通りのことは何も起きずに、キャッチャーは
所定の位置まで戻る。
相手は四番打者の実力を信頼しているのか、二点差という状況が幸いしたのか、バントを
せずに真っ向勝負に来た。マウンドで何があったか、調子を取り戻したピッチャーが鋭い球
を投げ、相手を空振りさせる。
「頑張ってー!」
小さい頃から身体が弱く、全力を出すことさえ許されないゆたかにとって、それができる
人は憧れだった。自分ができないなら、できる人には頑張って欲しかった。自分がここで
全力を出して応援したなら、彼らに少しだけ近づけるような気がしていた。ほんの少しで
いいから、闘っている人たちのために何かをしてあげたかった。
「ゆたか!」
その無理がたたって、ゆたかはついに力尽きてしまう。不意によろめいたその身体を、
みなみが咄嗟に支えた。
「今すぐ救護室に行こう。お願いだから無理はしないで」
「お願い、もう少し……あと一人だから」
二人が自分の『お願い』を聞いてもらおうと見詰め合う。少したって、折れたのはみなみ
の方だった。
「私が支えるから……終わったらすぐに行こう」
試合が進んで状況は9回裏二死、走者は二、三塁、点差は二点。ただし次が最後の打者に
なるという保証はどこにもない。
もし延長戦になったら……それだけはあってほしくなかった。
勝ってください。ゆたかの真剣な眼差しを目の当たりにして、心の底からそう祈った。
「うおおお……BLと百合……コミケまでに二冊は間に合わないっス」
もう一つの夏の風物詩に思いを馳せながら、苦悩する腐女子。最後の打者を三振に討ち
取ったチームと応援席の歓喜の叫びは、ひよりの耳には入っていなかった。
「だめだよ……もうすぐ終わるから最後まで見ないと」
真夏の日光と熱気は容赦なく体力を奪う。9回裏になるまで約二時間半の激闘、ゆたかの
限界はもうすぐそこだった。
「あの人たちの方が何倍も辛いのに頑張ってるんだよ」
「でも……」
ゆたかからは遠すぎて投球がストライクかボールかはわからなかったが、この回の最初の
打者がバットを振ってないのに一塁に歩いて行ったことは確認できた。
もちろん観客席の全員がその様子を見ている。次の打者も四球で歩かせてしまい、球場
全体がざわめいてきた。まさかこのまま逆転されてしまうのではないか。陵桜の生徒たちに
そんな思いがよぎる。皆が皆手に汗握り固唾を呑んで試合を見守っていた。
次に敵の四番打者を迎える。ここでホームランを打たれれば、逆転サヨナラ負けである。
この試合のクライマックスに、両校の応援席はこれまで以上に気合が入っていた。
「大変だよ。ちゃんと応援しないと……」
周りが総立ちになって声援を送っている中、ゆたかもそれに合わせて立ち上がる。その
様子は今にも倒れてしまいそうなほど弱々しく、健気であり悲壮でもあった。
見守るしかできないというのはある意味辛いものだ。あまりに現実離れして馬鹿げた考え
だけれども、もし魔法か何かでゆたかの疲労を肩代わりしてやれる方法があるなら今すぐ
それをしてやりたい。みなみは本気でそう考えていた。
「まだ立たなくていい。タイムをとってる」
キャッチャーがマウンドまで歩き、ピッチャーに顔を寄せて何かを囁いている。その声
はもちろん観客席の誰にも届きはしない。
生徒たちはそんな二人を見守るしかないのだが……
「な、何を言ってるんスか!? もしかして愛の囁きを……ハァハァ」
完全に場違いな妄想をしながら見守る腐女子が一人いた。
「いけ、いくっス! そのままキスするっス!」
全国中継されていた選抜高等学校野球大会、通称春のセンバツにて、ピンチの場面で投球
が乱れていたピッチャーにキャッチャーが駆け寄ってキスをして、それをきっかけに投球が
調子を取り戻し、ピンチを脱したという出来事が実際にあった。ひよりの脳内ではその場面
が何度もリピートされていた。
「よし……これで……こうして……」
ひよりはこの数十秒でBL同人誌のネタを作り上げていた。今から頑張ればコミケまでに
コピー本の一冊くらい作れるかもしれないと、スケジュールを組み立てる。
当たり前のことだがここではひよりの期待通りのことは何も起きずに、キャッチャーは
所定の位置まで戻る。
相手は四番打者の実力を信頼しているのか、二点差という状況が幸いしたのか、バントを
せずに真っ向勝負に来た。マウンドで何があったか、調子を取り戻したピッチャーが鋭い球
を投げ、相手を空振りさせる。
「頑張ってー!」
小さい頃から身体が弱く、全力を出すことさえ許されないゆたかにとって、それができる
人は憧れだった。自分ができないなら、できる人には頑張って欲しかった。自分がここで
全力を出して応援したなら、彼らに少しだけ近づけるような気がしていた。ほんの少しで
いいから、闘っている人たちのために何かをしてあげたかった。
「ゆたか!」
その無理がたたって、ゆたかはついに力尽きてしまう。不意によろめいたその身体を、
みなみが咄嗟に支えた。
「今すぐ救護室に行こう。お願いだから無理はしないで」
「お願い、もう少し……あと一人だから」
二人が自分の『お願い』を聞いてもらおうと見詰め合う。少したって、折れたのはみなみ
の方だった。
「私が支えるから……終わったらすぐに行こう」
試合が進んで状況は9回裏二死、走者は二、三塁、点差は二点。ただし次が最後の打者に
なるという保証はどこにもない。
もし延長戦になったら……それだけはあってほしくなかった。
勝ってください。ゆたかの真剣な眼差しを目の当たりにして、心の底からそう祈った。
「うおおお……BLと百合……コミケまでに二冊は間に合わないっス」
もう一つの夏の風物詩に思いを馳せながら、苦悩する腐女子。最後の打者を三振に討ち
取ったチームと応援席の歓喜の叫びは、ひよりの耳には入っていなかった。
そんなこんなの、夏の風物詩の十人十色。