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極めて平凡・努めて平常

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「う~むむむむ……」
 アニ研部室の椅子に座って腕を組み、ひよりは大きく胸をそらして眉間にしわを寄せている。
 放課後。原稿を控えたひよりにとっては、昼休みと並んでもはやネタ出しのためにあるような時間だ。
 ひよりは呻き声を上げながら、ネタ帳を開いたり閉じたり、天井を眺めたり地面を眺めたりと、落ち着かないこと極まりない。よっぽど悩んでいるようだ。
 そろそろ頭から煙を上げそうなひよりの肩を、誰かが軽く叩いた。
「おっすひよりん」
「あ、こうちゃん先輩。〆切伸ばしてくれなきゃ死にます」
「挨拶代わりに捨て身の攻撃してくるなよ」
 決死のバンザイアタックも軽くいなされ、ひよりは力なく机に突っ伏した。
「何をそんなに悩んでるの。部誌以外の〆切が迫ってるとか?」
「いえ、そうじゃなくて……その部誌の方が問題で」
「何で? まだ日にちに余裕あるし、ページ数もいつも通りでしょ」
「スケジュールとかではなく、内容の方っス。テーマが……」
「どう問題なの?」
 ひよりは渋い表情を浮かべた。
「……苦手なんスよ。自分自身のこと描くのって」
 今回、アニ研の部誌において、こうが執筆陣に出したテーマは「自分のことを書く(描く)」である。つまりエッセイだ。
「急にエッセイ漫画描けって言われても、今までやったことないから、ネタが思いつかないんスよ!」
 がなるひよりに、こうは指先でこめかみを抑えながらため息をついた。
「あのね……エッセイってのは自分の体験や感想で成り立つんだから、うんうん唸ってネタをひねり出すもんじゃないでしょ。ありのままのひよりんのことを描けばいいんだよ。クラスメイトとの昼休みのやり取りで四コマ漫画が二ページ分は出来るでしょうが」
「何スかその具体的な数字。日常系の四コマでいいなら、いくつかネタのストックはありますけど」
「それはダメ。創作じゃなくて、今回はあくまでひよりん自身のことを描いてくれなきゃ」
「私ほど漫画にならない人間はいませんよ」
「お前は十三階段ベムか。何言ってもテーマの変更はしないからね」
「じゃあ〆切を――」
「ダメ」
「うう……」
 恨めしげな目を向けるひよりに対し、こうは肩をすくめて涼しい笑みを浮かべている。
「頑張るんだね。苦手だから描けない、なんて言うようじゃ進歩が無いよ」
「そんなこと言って、先輩だって苦手なこととかあるでしょう?」
「私は別に無いよ」
「本当ですか? 何かあるんじゃないですか。嫌いなものとか怖いものとか」
「うーん、そうねぇ……あ」
 こうは手をポンと打つと、人差し指を立てて言った。
「ひよりんが〆切守ってくれるのが怖い」
「……饅頭のようにいきませんから、こればっかりは」
「それじゃあひよりんが怖い」
「何を求めてるんスか私に」
「じゃもうお茶でいいよ。お茶が怖い」
「はいはい……」
 小さくため息をついて、部室備え付けの電気ポット(実際はOBの残した私物)のスイッチを入れるひよりだった。
「ま、時間のある今のうちなら、色々試行錯誤してみるのもいいかもね」
 こうは温い煎茶を啜りながら、一応先輩らしく、後輩にアドバイスなど施す。
「描くことが何も思いつかないのなら、他の人の意見も聞いてみたりとか」
「エッセイなのに、人の意見スか?」
「自分が人からどう見られてるか、ってのを参考にするんだよ。つまり客観を調べるわけ。自分で普通だと思ってたことが人と違ってたりしたら、それだけでも一つネタになるでしょ」
「なるほど……」
 こうの言葉に頷き、ひよりはネタ帳を閉じた。
「でももう放課後だし、学校にはほとんど人残ってないっスね」
「だね。暇だし将棋でもやるか」
「いいスよ。ところで角と飛車はどっちが攻めだと思いますか?」
「どっちも受けっぽいけど、飛車がへたれ攻めかな」
「そのへんはまあ同意っスかね。桂馬と香車では?」
「香車が強気攻めだね」
 一般人にはわけの分からない会話をしながら、ブラスチックの将棋盤に駒を並べていく二人だった。


 翌日の朝。一晩かけてもネーム一枚できなかったひよりは、重い気分のまま校門をくぐった。
(ここはやはりこうちゃん先輩の言う通り、人の意見を参考にしてみるか……)
「Good morning!」
 考え事をしていたひよりに、昇降口で元気よく挨拶してきたのはクラスメイトのパティだ。
「おはようパティ」
「何だか浮かない顔ですネー。また漫画のことで悩んでますカ?」
「うん、そう」
 パティと並んで廊下を歩きながら、ひよりは昨日こうが言っていたことを実行してみようと決めた。咳払いを一つ。
(何か改めてこういう話するのって恥ずかしいけど……)
 微妙に顔を赤らめながら、ひよりは口を開く。
「あのさパティ……唐突だけど、私のこと、どう思う?」
「何イ! いつのまに告白イベント突入!? あっ、もしかして先週二人で買い物行ったときにフラグが立ってしまったのカ!?」
「パティさん、現実の人間にイベントスイッチはないんですよ。……ってそんなパロネタはいいから」
 よく考えれば、自分と非常に近しい部分を持つパティは、客観を調べるのに不適当な人選ではなかろうか。ひよりはそう思い、この際事情を打ち明けることにした。
「エッセイ漫画ですカ。デ、それと私への告白に何の関係ガ?」
「いやだからさっきのは告白とかじゃないからね? 客観的に自分が人からどう見られてるかってのを知りたかっただけで」
「そうでしたカ……」
 何故かしょんぼりしているパティについては深く考えず、ひよりは話を続ける。
「今までそういうの描いたこと無いし、どうも自分のことを描くっていうのに抵抗があって……」
 話すうちにまた段々と気分が重くなってした。そんなひよりに、パティは小さく笑みを浮かべる。
「ヒヨリは意外とシャイなのですネ」
「意外かな? 自分ではそれほど活発なつもりは無いんだけど」
「またまたご冗談ヲ。いつもアグレッシブに漫画のネタを求めてるじゃないですカ」
「まあ、それなりに貪欲なのは自覚してるけどさ……」
「内気で恥ずかしがりなヒヨリというのモ、それはそれでギャップがあって萌えですガ」
「ちょ……さっきからやたらとすり寄らないでよ」
「オンナノコは定期的に百合分を摂取しつづけないと干からびて死ぬ生物なのでス」
「嫌な具合にバイオ怪物ですねオンナノコ。私の国の女の子とはだいぶ違う生物のようです」
 パロネタを交えながらゆるゆる会話をしつつ、二人は教室に入っていった。


 特筆するような出来事もなく、お昼休みに至る。お弁当の包みを広げながら、ひよりは聞こえない程度のため息をついた。目の前ではクラスメイトのゆたか、みなみ、パティが同じように昼食の準備をしている。
(こんなにもまったりした日常……とても良いものだけど、それをただ漫然と描いたって、何の面白みもないしなぁ……)
「田村さん、どうかした?」
 先程から元気の無い様子のひよりに、ゆたかが心配そうに声をかけた。
「いや、何でも。ちょっと寝不足気味で」
 慌てて言い繕い、ひよりは箸を手に取った。気を取り直して、お弁当を食べることにする。
(ま、やれるだけのことはやってみよう。もしかしたらお昼休みに何か変わったことがあるかもしれないし…………でもなぁ、降って湧いたように面白いことなんてそうそう――)
 ふと、箸を止めた。気がつくと机を挟んで向かい合う三人とも、何やらじっとひよりのことを見つめていたのだ。
「あれ? どうかした?」
「あ、ううん……その、熱心に考え事してるなぁと思って」
 ゆたかの言葉に、みなみとパティも同意と頷く。
「ヒヨリは考えてることが顔に出やすいタイプですネー」
「え……マジで……!?」
 パティの一言に尋常でなく動揺するひより。普段の妄想――主に百合方面――が顔になど出ていたら色んな意味で危なすぎる。
「そ、そんなに読みやすい? 私の考えてること……」
 やたら狼狽したひよりに、ゆたかはちょっと戸惑いながらも答える。
「そんなに細かく分かるわけじゃないけど、漫画のネタとか考えてる時は結構分かりやすいかな」
「……そっか。その程度の話か」
 ホッと息をつくひより。だが、
(――待てよ?)
 思うところがあり、ひよりは身を再び質問する。
「具体的に、ネタ出ししてる時の私ってどんな様子かな?」
「え? んーと……そうだなぁ……腕組みして宙を睨んでたり、ペンのお尻を噛んでたり、頭抱えながらメモ帳と睨めっこしてたり……とにかく落ち着かない感じかな。あと切羽詰まってる時かな、オーラっていうか、雰囲気が違ってるよね。ちょっと声掛けづらいかも」
「そんなに、はっきり分かるぐらい雰囲気違うの?」
 ひよりの言葉に、ゆたかとみなみがコクコクと頷く。
「へー……そうなんだ」
 ひよりにとってほとんど無意識のことなので、言われてみれば何となくそんな動きをしていたような……という程度にしか覚えていない。
(これは使える気がする……自分では気がつかないところで、端から見るとちょっと奇怪なことしてるってのは、恥ずかしいけどネタとしてはなかなかいいし――)
「フフ。早速これは使えると踏みましたカ」
「う……」
 またしても考えていることが顔に出ていたらしい。
 それはさておき。ひよりは思いついたことをメモっておこうと、愛用のネタ帳をポケットから――
「あれ?」
 思わず間の抜けた声を上げる。いつもなら入っているネタ帳がそこに無い。
(家に忘れた? いや、昨日から今朝まで家でネタ帳には触れてない……最後に触ったのは……昨日、アニ研部室でだ)
 ひよりはお弁当に残ったおかずを素早くかき込むと、すぐ席を立った。
「ちょっと部室に忘れ物してたから、取りに行ってくるね」
 そう言い残して、慌ただしく廊下に出る。
 漫画のネタは水物だ。ふと頭に浮かんだそれは、時間が経てば次第に鮮度を失い、場合によっては元の形が思い出せないまでになる。だから思いついたネタは出来る限り素早く、書き留めておかなければならない。
(またいつネタが思い浮かぶかわからないし、ネタ帳は常に携帯しておかないと……)
 そんなわけでひよりは、昼休みの校舎をダッシュで駆け抜けていった。


「はぁ……はぁ……あった……!」
 思った通り、ネタ帳は部室の棚の上に置きっぱなしになっていた。ひよりは呼吸を整えながら、ネタ帳とペンを手に取る。
「よし、早速さっきの書いとこ」
 さらさらとメモを終え、一息ついた。
「ヒヨリー、忘れ物は見つかりましたカー?」
 パティが部室に入ってきた。歩いて追いかけてきたらしい。
「うん。ちゃんとあったよ」
「それはよかったでス。ところデ……」
 パティはさりげなくひよりの背後に歩み寄ると、その肩に手を置いた。
「人気の無い部室に二人きりというシチュはなかなか萌えますネ」
 確かに昼休みにこのあたりまで来る生徒は少ないだろう。校庭の喧噪も、ここの窓からでは遠い。
「危ない冗談はやめてよ……」
「冗談だと思いますカ?」
「思いますよ! 頼むからこんなとこで変なことしないでよ!」
「それはダチョウ倶楽部でいうところの『押すなよ! 絶対押すなよ!』と取ってよろしいですカ?」
「よろしくないよ! ……早く教室戻ろ」
 色々と不安なものを感じ、ひよりは急いで踵を返す。
「ちょっと待って下さイ」
「何? ……って、うわっ!?」
 パティは突然ひよりの首に腕を回し、痛くない程度にゆるく力を込めた。
「ちょっ、なっ、何してんの!?」
「チョークスリーパーをかけてまス」
「何でいきなりそんなのかけるの!?」
「さきほど『変なことするな』と言われましたかラ、合法的な手段としテ……」
「いきなりプロレス技かけるのは十分変なことだよ!」
「じゃあもう普通に抱きついてるでいいでス」
「よくない!」
 背中に当たるパティの胸の感触に焦りつつ、ひよりは何とか逃れようともがく。が、パティはがっちりホールドしたまま放さない。
「せっかくのシチュエーションなのニ、何もイベントが無いのはもったいないですヨ……」
「そんなイベントわざわざ起こさなくていいから……パティ、気が済んだらもう……ひゃうっ!?」
 パティがひよりのうなじに舌を這わせた。途端にひよりの力が抜ける。
「ンフフ……結構この辺も感じるみたいですネ」
 ひよりの反応を見て、パティは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ちょっとパティ……お願いだから、その、舌とかそういうのは、勘弁……」
「だが断ル」
「いやだから、マジで……もう……昼休みも、終わる、し……ちょっ……やっ……ぅ、ぁ」
 あわやひより貞操の危機。
 とその時。
「誰かな? 昼間からアニ研で騒がしくしてるのは――」
 唐突に部室の戸を開けたアニ研部長こと八坂こうが目にしたのは、ひよりとそれに絡むパティの図。
 動揺するかと思いきや、こうは平静を保ったまま、後ろ手に戸を閉めた。
(た、助かった……)
 心の底からホッとするひより。だが、
「……私は前からいかしてもらおうか」
「何を言ってるんスか何を言ってるんスかこうちゃん先輩ーっ!?」
 あやうく性的な意味で挟み撃ちになりそうなひよりだったが、もちろんこうのは冗談だった。

 そんなこんなで放課後のアニ研部室。
「いやー、お昼は助かりました先輩。パティは何というか、冗談が冗談に見えない時ありますからねー」
「ふーん……」
(あれは冗談じゃなくてガチじゃないのか)
 とこうは思ったが、口に出すのはやめておいた。
「ところで部誌の原稿は目星付いたの?」
 聞かれた途端、ひよりはばつが悪そうに視線をそらす。
「いえ、それがまだあんまり……漫画になるような出来事なんて、私には滅多にありませんから……平凡な日々ってのは幸せなことなんでしょうけどねぇ」
「……」
「? 先輩、どうしました?」
「いや、なんでもないよ……」
 自覚が無いのは幸せなことかもしれない。そう思い、こうは深々とため息をついた。


おわり











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