非
ona。
ul有生。
on抽具。完了相は助けた瞬間。相手が助けられてもう大丈夫になり始めた時点
dal-eは「
onを
totという内容で助ける」ことである。
onには人を取ることが多い。
totが書かれない場合、漠然と
onの手伝いをしたとか
onを救助したという意味になる
dal-eは
onが何かをなしとげたり無事に生きたりすることを手助けすることである。たとえば本来
onが自力でできたであろう達成度の割合を80%だとすると、それを何%でも良いから上げてやることである。
dal-ekは割合を上げた時点を意味するが、その量は定かではない。100%まで上げても良いし、たとえ1%上げただけでも
dal-eといえる
dil-eは「
onを
totという内容で邪魔する」ことである。
totがなければ漠然と邪魔をするとか助かろうとするのを阻止する、邪魔立てするといった意味になる。これも相手の達成度を1%でも落とせば
dil-eといえる
dajは親切の意味で、これは気持ちではない。性質である。よって
joなど、感情を表わす語と一線を画す。
daj-eはむしろ性質を表わす
sor(高い)などの仲間である。よって構文も
sor-eと同じである。よって
daj-eは「
onを親切にする」という意味である。
daj-eは動詞で使われることは少ない。ふつう形容詞か繋詞である。
dij-eに関しても同様で、「
onを不親切にする」という意味である
では
dajと
dalの違いは何か。
dajは弱い立場の者に優しくしてやる態度のことである。優しい態度で接してやることや、あれこれと便宜を図ってやることである。だが
dalは態度が優しいかどうかということには頓着しない。また、あれこれ便宜を図るというのとも違う。なぜなら
dalは相手がしようとしている行為の達成度を上げるが、
dajは行為の達成度にかんしては頓着しないからである
dalは相手が何を達成したいのかはっきりしているときに具体的にその達成度を上げてやる行為である。より目的が具体的な行為である。比べて
dajは漠然としていて目的はない。単に相手に優しい態度であれこれ便宜を図ることである。その意味でより抽象的である。どちらも助力の意味を持つことは確かだが、意味はこのように異なる。尚、
dijと
dilに関しても同様である
一方、
atte-eは「
onを
totという内容で励ます」ことである。励ます内容なら何でも良い。ここでの励ますとは相手の元気ややる気がでるように落ち込んだ相手を言葉や行為で慰めることである。慰めるの
tiakと違うのは言葉だけでなく動作も取れるという点と、優しく宥めるようにではなくむしろ奮い立たせるように元気良くという点である。つまり
atteは
ulの態度も元気が良くなければ成立しない
最終更新:2008年01月08日 22:25