dal /// / 助ける:2 \ 13:seren:klel:sid:alkdaji(助ける)。にはdajiが消されてalkが書かれている。その際、品詞欄には形容詞が消されて動詞が書かれている。つまりdajiは形容詞として元々使われていたもので、「親切」に近い。だからこそdajがその意味を持った。恐らく動詞としても使える「親切」即ち「助ける」がdajiだったと思われる。ところが元々「助ける」という動詞性を帯びたalkが台頭したせいでdajiが御役御免になったものと考えられる \ [ yuo ] \ ontotの内容で助ける、救助する、救う、手伝う、力を貸す、協力する \ [ iyuan ] \ ontotの内容で助けた、救助した、救った、手伝った、力を貸した、協力した \ [ ansiel ] \ ライフセーバー、監視員 \ [ ova ] \ an dal-a la tot mold-i lep 私は彼女を助けて荷物を運んだ \ an dal-a lan leks [ leksan ] 溺れている人を助けた \ soln-e kol 記憶を助ける \ soln-e simp 消化を助ける \



 非onaul有生。on抽具。完了相は助けた瞬間(
dal-e/dil-e
 dal-eは「ontotという内容で助ける」。dil-eは「ontotという内容で邪魔する」
ponz-e/penz-e
 ponz-eは「ulonilからalへどける」。penz-eは「ulonkaで通せんぼする」
vons-e/vens-e
 vons-eは「ontotという内容で協力する」。vens-eは「totについてonと競争する」
daj-e/dij-e
 daj-eは「onを親切にする」。dij-eは「onを不親切にする」)
atte-e
 「ontotという内容で励ます」

 非onaul有生。on抽具。完了相は助けた瞬間。相手が助けられてもう大丈夫になり始めた時点

 dal-eは「ontotという内容で助ける」ことである。onには人を取ることが多い。totが書かれない場合、漠然とonの手伝いをしたとかonを救助したという意味になる
 dal-eonが何かをなしとげたり無事に生きたりすることを手助けすることである。たとえば本来onが自力でできたであろう達成度の割合を80%だとすると、それを何%でも良いから上げてやることである。dal-ekは割合を上げた時点を意味するが、その量は定かではない。100%まで上げても良いし、たとえ1%上げただけでもdal-eといえる
 dil-eは「ontotという内容で邪魔する」ことである。totがなければ漠然と邪魔をするとか助かろうとするのを阻止する、邪魔立てするといった意味になる。これも相手の達成度を1%でも落とせばdil-eといえる

 ponz-eは「ulonilからalへどける」である。邪魔なonの場所を変えることを表わす。onは人や物で、ふつう物理的な移動を表わす。だが、職場での係りから人をどかせるなど、抽象的な意味も持つ
 「どく」という意味では再帰形を使う。an ponz-aのように。ゆえに「どいて」はponz-al (fina an)になる
 penz-eは「ulonkaで通せんぼする」である。構文がponz-eと違うので注意。ponz-eulonをどけようとすることで、その行為には動きと方向がある。ゆえにalがくる。だがpenz-eulonを通さないように道を固めることである。ulponz-eと違って道を塞ぐだけなので動きと方向がない。ゆえにalは取れずにkaを取る。(1)はponz-epenz-eを使った例である

(1) la penz-a an ka pon. son an ponz-a la il pon(彼は道で私を通せんぼした。だから私は彼を道からどけた)

 また、penz-eして通せんぼしている者が、やってきた別の人を邪魔なので突き飛ばしてどけた場合、その人はpenz-eしつつponz-eも行ったことになる

 vons-edal-eと似ていて、協力するという意味である。つまり「ontotという内容で協力する」である。onには人を取り、totに内容を取る点でdal-eと同じである。それもそのはず、これらの意味は良く似ている
 vons-eも相手の達成度を上げようとすることである。dal-eの場合ulはあくまでサブ要素でonがメイン要素であったが、vons-eの場合、ulonと同じくらいメイン要素である。dal-eonが行為をしているところにその補助としてulが付く。だがvons-eonと協力する形でulonとともに行為をする。行為への干渉度の違いがdal-evons-eの違いである
 一方、vens-eは「totについてonと競争する」であり、協力するの反対である(2)。競う、対抗するなどと訳しても良い。競走ではないので走ることではない。単にonと協力関係でなく敵対関係でtotに臨むという意味である

(2) an vens-a la tot wo tian-el mana la(私は彼とどちらがあの少女を彼女にできるか競争した)

 dajは親切の意味で、これは気持ちではない。性質である。よってjoなど、感情を表わす語と一線を画す。daj-eはむしろ性質を表わすsor(高い)などの仲間である。よって構文もsor-eと同じである。よってdaj-eは「onを親切にする」という意味である。daj-eは動詞で使われることは少ない。ふつう形容詞か繋詞である。dij-eに関しても同様で、「onを不親切にする」という意味である
 ではdajdalの違いは何か。dajは弱い立場の者に優しくしてやる態度のことである。優しい態度で接してやることや、あれこれと便宜を図ってやることである。だがdalは態度が優しいかどうかということには頓着しない。また、あれこれ便宜を図るというのとも違う。なぜならdalは相手がしようとしている行為の達成度を上げるが、dajは行為の達成度にかんしては頓着しないからである
 dalは相手が何を達成したいのかはっきりしているときに具体的にその達成度を上げてやる行為である。より目的が具体的な行為である。比べてdajは漠然としていて目的はない。単に相手に優しい態度であれこれ便宜を図ることである。その意味でより抽象的である。どちらも助力の意味を持つことは確かだが、意味はこのように異なる。尚、dijdilに関しても同様である

 一方、atte-eは「ontotという内容で励ます」ことである。励ます内容なら何でも良い。ここでの励ますとは相手の元気ややる気がでるように落ち込んだ相手を言葉や行為で慰めることである。慰めるのtiakと違うのは言葉だけでなく動作も取れるという点と、優しく宥めるようにではなくむしろ奮い立たせるように元気良くという点である。つまりatteulの態度も元気が良くなければ成立しない
最終更新:2008年01月08日 22:25