李咸は、後漢後期の人物。
情報
事跡
若くして父を亡くしたようで、孤特(孤児として援助もなく)にして自立したという。家は貧しく母は老いていたため、常にみずから田地を耕して母に奉養した。
魯詩、
春秋公羊伝、
三礼を学んだ。
三府が並んで
辟した。結局は
司徒胡広が
茂才に推挙し、
高密県令に除(任命)された。政は奇異(稀で優れて)が多く、
青州はその状を朝廷に表した。
建寧三年、
大鴻臚から太尉を拜した(或いは建寧四年、
太僕からの昇進ともいう)。相(大臣)の位にあってから、身をひきしめて下を率い、常に脱粟の飯と醬菜のみを食べ、州郡と交通せず、
刺史、二千石(
郡太守)の牋記(文書)は、公の事でなければ開いて省ることがなかった。老を以って骸骨(退官)を乞い、許しを見て、これまでの賜りものを悉く還して、牛車にぼろの牛車に乗って、息子に御者をさせて、夜明けに
京師を発った,百僚が追って送ろうとして道に満ち溢れたが、とうとうまみえることができなかった。西平県の実家は古く貧しく狹いものだったので、草廬(草葺きの家)をたよることになった。
年表
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最終更新:2016年01月12日 06:47