安衆宗氏は、南陽郡安衆県の一族。代々、漢の将相名臣であった。
あらまし
宗伯は、光武帝の下で五官中郎将となった。
その子の
宗均は父の高位を以って
任子されて
郎官となり、経書に通じ、
県令や
郡大守として大きな治績を挙げた。また、
謁者として
武陵蛮を撃つ軍の
監軍を務め、
伏波将軍馬援の陣没の危機を救って蛮夷を降し、
尚書令、
司隷校尉を務めた。
宗均の族子(同族の子の世代)の
宗意も司隷校尉を務め、当時勢威を誇った
竇憲の与党を避けることなく弾劾した。
宗意の孫の
宗倶は霊帝期に司空となった。
また、宗均の孫の
宗資は桓帝期に
汝南太守を務め、
功曹の
范滂に政事を委任して治績を挙げて名声を博した。同時期には
宗慈が
脩武県令となったが、当時の大守が多額の賄賂を要求することから官を棄てて去った。南陽郡の群士はその義行を重んじた。後に
八顧の一人に数えられる。
後漢末の戦乱の中、同族の一人
宗預は
張飛に随って入蜀し、呉との外交などでの活躍を経て長老として重んじられ、鎮軍大将軍まで昇った。
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最終更新:2015年12月29日 23:00