あらまし
鄭衆は、永元四年(92年)、
和帝が
竇氏から政権を奪回する計画を首謀し、その功績で
大長秋を拜した。
永元十四年(102年)、封じられて鄛郷侯(
南陽郡棘陽県)、食邑千五百戸となった。
安帝の永初元年(107年)、
臨朝する
鄧太后が封を三百戸益して千八百戸とした。
元初元年(114年)、鄭衆卒し、養子の
鄭閎が爵位を嗣いだ。鄭閎が卒し、子の
鄭安が嗣いだ。後に国は絶えた。
桓帝の延熹二年(159年)、鄭衆の曾孫の
鄭石讎を紹封して
関内侯とした。
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最終更新:2016年01月10日 01:23