公孫瓚は、後漢後期の人物。鮮卑烏桓張純らを討伐して功績を挙げた。
 幽州劉虞節度を受け、誅董卓の起兵以後は協力して幽州に割拠する形となって袁紹と戦った。しかし烏桓への態度や統治方針の違いからやがて劉虞と対立し、遂には兵を交えて劉虞を殺すこととなった。
 幽州の全権を握ることに成功するが、その頃から袁紹に押されはじめて易京に立て籠もることとなり、敗れて自焚した。

 騎射を善くする士を皆白馬に乗せ、以って左右の翼として率いて白馬義従と号させたことで有名。


情報

公孫瓚
公孫
伯珪
本貫地 遼西郡令支県
家柄 令支公孫氏 家世二千石
劉氏
幼年評 為人は姿貌美しく、大音声、言事は辯慧。
起家 郡小吏
官歴 上計吏 孝廉 遼東属国長史 烏桓突騎 騎都尉 
降虜校尉兼領属国長史 奮武将軍 前将軍仮節冀州
爵位 都亭侯  
死去


事跡




年表




所属項目(タグ)


関連項目・人物

「公孫瓚」をタグに含むページは1つもありません。



-
最終更新:2016年04月19日 01:56