袁忠は、後漢後期の人物。沛国相。朱儁の誅董卓の決起に名を連ねた。
「曹瞞伝」に拠れば、かつて曹操を法に基づいて収監しようとしたため恨みを買い、後に曹操が中原で勢力を伸ばす桓邵と共に交州へ避難したが曹操の意を受けた大守士燮に族滅されたという。

 党錮によって獄に繋がれ、范滂と共に病人を庇って掠考(拷問)を受けた「汝南郡の袁忠」と同一人物か。尹勳の上書によって釈放されている。


情報

袁忠
本貫地 汝南郡
死去 太祖(曹操)は使を遣わし太守士燮に就かせこれを尽く族す。


事跡



年表




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最終更新:2016年04月27日 21:54