師宜官は、後漢後期の人物。楷書の名人。当時、霊帝が書を好んだことから、これを能くする者が世に多くいたが、師宜官が最も優れていたという。
 梁鵠は彼の書いた木簡を盗んで書法を研究し、霊帝のもとで昇進することに成功した。
 師宜官は後に袁術の将となった。
 袁術は鉅鹿郡宋子県耿球宋子耿氏)の碑を立てたが、その書は甚だ(たく)みであり、これは師宜官の手になるものだったという。



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師宜官
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最終更新:2016年05月09日 23:03