目次
歴史
武帝が置く。
光武帝建武九年、
青巾左校尉を置く。
同十五年、改めて越騎校尉とする。
以後、漢魏晋ともに置き続ける。
位
(前漢)
一人、秩二千石。
(後漢)
一人、秩比二千石。
(魏・西晋)
一人。
秩比二千石、四品官か。(宋志より)
職掌
(魏・西晋)
営兵を領す。
属吏
(後漢)
一人、秩千石。
百二十七人
七百人。
(魏・西晋)
所属項目(タグ)
関連項目・人物
詳説
前漢に於いては、
胡越騎が個別に出征する例が複数あるにも関わらず、越騎校尉が出征した記録はないようである。一方で「
三輔の
胡越騎」が個別に動員されたり、
騎都尉に領されたりしていることを踏まえると、直接の指揮官よりも監督官の性質が強いものだったかもしれない。
後漢に於いては
宿衛兵を掌り、しかも精鋭の騎兵を領したことからか、外戚や、宦官の与党、皇帝や皇太子に
経学を授けるなどした
儒士など多様な人材が就任し、史書の記述の多い官となった。また、洛陽内の政変に関わったり、その席が争奪の対象になるなど、規定の領士数を越えて重要な地位を得ていたことが窺える。
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最終更新:2015年02月11日 23:46