射に工みな者なり。冥冥中、声を聞き則ちこれに中てる、因り以って名とすなり。
須く詔の命ずる所、而して射る。故に曰く待詔射なり。
射声校尉(射聲校尉)は、
前漢武帝期以降に置かれた
朝廷の
職官。
待詔射声士を掌る。
後漢に到ると
光武帝が再び置き、
北軍に組み込まれた。
後漢以降は宮中に宿直する
宿衛兵を掌ったため、外征に出る官ではないが、後漢ではしばしば
外戚諸氏の有力者が任官した。
目次
歴史
武帝が置く。
中興して再び置く。
光武帝建武七年、省く。
光武帝建武十五年、再び置く。
以後、漢魏晋ともに置き続ける。
位
(前漢)
一人、秩二千石。
(後漢)
一人、秩比二千石。
(魏・西晋)
一人。
秩比二千石、四品官か。(宋志より)
職掌
(魏・西晋)
営兵を領す。
属吏
(後漢)
一人、秩千石。
百二十九人。
七百人。
(魏・西晋)
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関連項目・人物
詳説
前漢においては
待詔射声士を掌るとされる。待詔とは諸々の材技を以って
徴召され、未だ正官に有らぬ者、とされるが、
漢書の用法を見ると必ずしも無為徒食の身分ではなく、皇帝の召し出しに応じて下問に応えたり、微行に随行している。このことからすると「待詔射声士」とは、一般の
徴兵や
胡騎の従軍とは異なり、射撃に長じているということで朝廷に召されて有事のために待機する者達、ということになるのだろう。或いは、
胡越騎や
長水胡騎のような部隊として統制された集団ではなかったかもしれない。
後漢では、
宿衛兵を掌る地位から、外戚の与党が就任して皇帝を守護したり、儒士が宮中に出入りするための官として多く記録に残る。
外戚としては
竇彪や郭舉、来歴。
[儒士]]としては章帝の元で後漢の礼制を定めた
曹襃、
白虎観議奏に参加した
丁鴻、
東観漢記や
霊帝期の六経正定に携わった
馬日磾がこの官を経験している。
他に有力者としては、西域で活躍した
班超が朝廷に復命後に就任した。
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最終更新:2015年02月12日 22:00