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  • 研究発表レジュメ

ベルギー研究会

研究発表レジュメ

最終更新:2013年01月09日 10:21

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・第42回研究会:小田藍生「フランスにおけるヴィクトール・オルタの受容」
・第42回研究会:杉山美耶子「ヤン・ファン・エイクのブルッヘにおける人的交流及び制作環境に関する一考察--シント・ドナティアヌス聖堂を中心に-」
・第42回研究会:三田順「ワロニーにおける象徴主義絵画─ヴェルヴィエ派とアンティミスム─」
・第41回研究会:吹田映子「ルネ・マグリットの講演「生命線」と油彩画《彼岸》―陰を経て光の下に見出す〈生〉のイメージ」
・第41回研究会:三田順「ベルギーにおけるドイツ語文学─〈境界地〉におけるアイデンティティーの探求─」
・第37回研究会:野崎次郎「ベルギーと言語戦争 La Guerre des Langues en Belgique」
・第37回研究会:中條健志「「フランコフォニー」としてのベルギー―OIF(フランコフォニー国際機関)における活動からの考察―」
・第36回研究会:大迫知佳子「ベルギー王立図書館「F. -J. フェティスコレクション」所蔵の資料について」
・第36回研究会:今中舞衣子「ポール・オトレの思想とムンダネウム」
・第36回研究会:正躰朝香「ヨーロッパにおける多様性の『尊重』と『管理』」
・第35回研究会:三田順「カーレル・ヴァン・デ・ウーステイネとヴラーンデレン・アイデンティティ」
・第35回研究会:井内千紗「19世紀後半ブリュッセルにおけるフランデレン文化の振興―王立フランデレン劇場設立をめぐって―」
・第35回研究会:ハネ・オステイン「現代ベルギーにおける〈tussentaal〉について」
・第34回研究会:中筋朋「メーテルランクの一幕劇にみる19世紀末の<劇>の質的変化―「日常の悲劇」と筋の内面化をめぐって―」
・第34回研究会:的場寿光「ラウール・セルヴェ『タクサンドリア』―「偽りのイメージ」から「運動=イメージ」へ」
・第33回研究会:加来奈奈「16世紀平和条約における南ネーデルランドが担う“仲介国家“についての考察—1529年カンブレ平和条約施行における交渉人ジャン・ド・ル・ソーの機能—」
・第32回研究会:木戸紗織「多言語社会ルクセンブルクにおける言語使用 ―領域を手がかりとして―」
・第32回研究会:石部尚登「ベルギーにおける言語政策と言語の領域性認識の関係」
・第32回研究会:大場茂明「ハンブルク・ザンクトパウリにおける地区再生 ―衰退地区からトレンディ・エリアへ―」
・第31回研究会:野崎次郎「Lara Fabianとベルギー的なるもの」
・第30回研究会:鈴木義孝「「ベルギー」についてー辞書での表記を中心に」
・第30回研究会:井内千紗「修辞家集団(rederijkerskamer)について」

:: 第42回研究会〔2012年12月27日(木)〕 ::

小田藍生「フランスにおけるヴィ クトール・オルタの受容」

 ベルギーの建築家ヴィクトール・オルタ(1861~1947年)は、人生の大半をブリュッセルで過ごし、作品の多くはベルギーに建造された。しか し、彼の評価は国内に限定されず、むしろ初期の評価の確立において重要な役割を果たしたのは、隣国のフランスであった。
 本発表は、フランスにおけるオルタの受容を、当時、フランスで刊行された雑誌や本を中心に検証するものである。オルタの受容史を扱った先行 研究は主立った批評をまとめた概論的な内容に留まり、細かな考察は行われていない。そこでこの研究では、より詳細に多くの批評をみていくことで、フランスにおけるオルタ受容の一連の流れを提示するとともに、その背景を明らかにしたい。

杉山美耶子「ヤン・ファン・エイクのブルッヘにおける人的交流及び制作環境に関する一考察--シント・ドナティアヌス聖堂を中心に-」

初期ネーデルラント絵画を代表する画家ヤン・ファン・エイク(1390年頃-1441年)は、ブルゴーニュ公フィリップ善良公の 宮廷画家兼侍従として、絵画制作および外交活動など諸種の任務にあたったと考えられる。しかしながら、彼の手に帰される現存作品中、制作 年が判明している宗教画・肖像画は全て《ヘントの祭壇画》(1432年、ヘント、シント・バーフ大聖堂)を完成し、フランドルの一大都市・ブルッヘに居を定めたとされる1432年から、同地で没する1441年 の間に位置付けられる。この事実を踏まえるならば、未だ謎多き画家像に迫るためには、従来強調されてきた宮廷画家としての側面のみならず、その対概念として、都市における彼の足跡にも目を向ける必要があるだろう。本発表では宮廷画家としてのファン・エイクの活動を概観し た後、ブルッヘ移住後の活動を考える ひとつの切り口として、彼が接触を持っていたシント・ドナティアヌス聖堂に注目する。都市の中心部に位置していた本聖堂は、社会的地位の 高いメンバーによって管理運営され、知的環境・芸術パトロネージという点でも注目すべき特徴を帯びていた。先行研究において看過されてき たヤン・ファン・エイクとシン ト・ドナティアヌス聖堂との関係を見直すことにより、都市における画家の人的交流・制作環境に新たな光を当てることが本発表の目的である。

「ワロニーにおける象徴主義絵画─ヴェルヴィエ派とアンティミスム─」

 本発表では、ベルギーのフランス語圏、ワロニー地方における象徴主義絵画の受容、展開に注目する。1830年 に誕生した若き国家ベルギーにおいて、首都ブリュッセルの文芸シーンをリードしていたのはフランス語話者化したゲルマン系ヴラーンデレン人で あった。文化アイデンティティーを模索する中、ベルギー文化の独自性は、フランスに対する「ゲルマン性」に求められて行くが、ラテン系民族で あるワロニー人にとって、このアイデンティティーは当然のことながら受け入れ難いものであった。
 後に「ベルギー象徴派」として知られる作家、画家の大部分はブリュッセルを中心に活動した「ヴラーンデレン系フランス語話者」であったが、 象徴主義はブリュッセルの文壇に対抗する手段として、まずワロニーで受容されている。本発表では、ブリュッセルに対してアイデンティティーを 獲得するにあたり、ワロニーにおいて象徴主義がどのように受容されたかを概観し、ワロニーで展開した象徴主義絵画の見逃された側面といえる 「ヴェルヴィエ派」に光を当て、そこで「ワロニー的」とされた要素を探る。

:: 第41回研究会〔2012年11月11日(日)〕 ::

吹田映子「ルネ・マグリットの講演「生命線」と油彩画《彼岸》―陰を経て光の下に見出す〈生〉のイメージ」

ルネ・マグリットが1938年に行なった講演「生命線」は、問答形式を備えた新たなイメージの探究方針がその中で表明されたという点において重要視されている。先行研究の多くはこの探究方針を取り上げてきたが、講演そのものが総体的にアプローチされることはなかった。しかし近年ミシェル・ドラゲにより、「生命線」における〈光と陰〉の主題の存在が着目され、以後の創作をとおしたこの主題の展開を考慮に入れることによって「生命線」の重要性を捉える視点が示されている。本発表はこの視点を踏まえ、より包括的かつ詳細に講演原稿の内容を考察することで、原稿を執筆する過程においてマグリットがいかに〈光と陰〉を主題化し、これを自らの創作の根本に位置づけようとしていたかを明らかにするものである。そのなかで浮かび上がるのは執筆と同時期に制作された油彩画《彼岸》の存在であり、そこに描き出された〈生(=光)〉の空間は「生命線」の基調をなすヴィジョンとして理解される。

:: 第41回研究会〔2012年11月11日(日)〕 ::

三田順「ベルギーにおけるドイツ語文学─〈境界地〉におけるアイデンティティーの探求─」

ベ ルギーのドイツ語話者は総人口の一パーセント以下を占めるに過ぎないが、オランダ語、フランス語と並ぶ公用語の一つであり、戦後ベルギーが連 邦制へ移行するに当たって「ドイツ語話者共同体」が設立されたことで文化的にかなりの自治権を得ている。本発表ではベルギーとドイツの境界地 にあって20世紀に複雑な歴史を辿ったドイツ語地域の背景を紹介しながら、ベルギー・ドイツ語 文学がどのように文化的アイデンティティーを獲得しようとしてきたか、その変遷を概観する。

:: 第37回研究会〔2012年5月27日(日)〕 ::

野崎次郎「ベルギーと言語戦争 La Guerre des Langues en Belgique」

「現在のベルギー」では北部のオランダ語地域と南部のフランス語地域との間で「言語戦争」が起きていると一般には説明されている。しかしその実態はどのようなものなのだろうか。そこにいたる歴史的経緯はいかなるものだったのか。その再確認を踏まえながら、そもそも「一国」における「公用語」「国語」とはなんであるのか、さらに「一国」とは言語にとってどのような制度であるのか、言語との関係で「一国」の存在を考えることの有効性はどのような限りでなのか、などについてアプローチしたい。
 「一国に一国語」という考えが近代の「国民=国家」の時代では一般的とされているが、ここには陥穽はないのか。多言語・多文化社会状況が進展しつつある「地球規模での人的移動の時代」「移民の時代」ともいうべき21世紀において、それはどのような問題として提起し直されるであろうか。EU統合。東アジア共同体。そのような時代において言語教育はどのように進められねばならないのだろうか。このような視点からは複言語・複文化の個人の育成が目指されるべきであろうか。
 フランス語が他の言語と並ぶ一言語 (une langue parmi d’autres) であるという視点とともに、他方で、フランス語は特権的言語 (une langue privilégiée) としての役割を歴史的に果たしてきた。フランス革命、「歴史的ベルギー」、「フランス現代思想」などなど。
 以上のように一見矛盾して見えるかもしれない言語のもつ両面的な性格を尊重した言語教育が求められている、そのことをベルギーの事例が示唆しているように思える。

中條健志「「フランコフォニー」としてのベルギー―OIF(フランコフォニー国際機関)における活動からの考察―」

本報告の目的は、OIF加盟国(1970年~)としてのベルギーのこれまでの活動を、連邦議会でなされた議論を資料として分析し、「民主主義や人権などの普遍的な思想とフランス語を分かち合う、世界中のあらゆる文化圏に属する国・地域の総体」として設立されたOIFにおいて、「フランス語圏」の地域であることがどのように主張され、「フランコフォニー」の組織化がどのように重要視されてきたのかについて考察することである。とりわけ、1986年から開催されているフランス語圏サミットへの参加をめぐる議論を事例とすることで、フランス語圏アフリカに対する、ベルギーの政治的な立場を明らかにする。



:: 第36回研究会〔2012年4月29日(日)〕 ::

大迫知佳子「ベルギー王立図書館「F. -J. フェティスコレクション」所蔵の資料について」

フランソワ=ジョゼフ・フェティス(François-Joseph Fétis 1784-1871)は、19世紀に活躍したベルギー出身の音楽家である。フェティスは、1832年に設立されたブリュッセル音楽院の初代院長として、体系的な音楽教育の確立に尽力する傍ら、宮廷礼拝堂楽団の楽長、音楽理論家、作曲家、音楽学者、歴史研究家、批評家として独立後のベルギーの音楽文化再興をほとんど独裁的に成し遂げた。彼が生涯、自身の研究のために収集した蔵書は、彼の死後ベルギー政府によって購入され、ベルギー王立図書館音楽部門に「F. -J. フェティスコレクション」として整理・保存されている。
本発表は、フェティスが著した理論教科書を巡ってなされたパリ・ブリュッセルにおける理論家達の対立の要因を解明するために、2012年2月に実施した王立図書館への調査報告である。中でもとりわけ、フェティスの手稿譜と、ルイジ・ケルビーニ著『対位法とフーガ教程』(1835年)内に複数添付された筆者不明のメモとの関係について、検討を行う。

今中舞衣子「ポール・オトレの思想とムンダネウム」

国際十進分類法の考案者のひとりであり、情報科学の父とよばれるポール・オトレの思想は、ながらくのあいだ不当に無視されてきた。知識そのものの編纂ともいえる彼の壮大な実験は、ル・コルビュジェら複数の建築家が関わり構想された世界都市計画を例として、衰退の歴史を辿ってきた。
ところが最近になって、関連資料のアーカイヴ・展示室としてベルギーのモンスに現存するムンダネウムがグーグルと協力関係を結ぶなど、インターネットの予言者としてのオトレの思想が注目されはじめている。
本発表では、オトレの先見的な思想と多岐にわたる活動を、ムンダネウムで入手した資料および参考文献をもとに概観する。そして、オトレの20世紀前半の「衰退」の理由と21世紀インターネット時代における「注目」の理由を、知識の共有と情報のハイパーメディア化という視点から考察する。

正躰朝香「ヨーロッパにおける多様性の『尊重』と『管理』」

「多様性の中の統合」(united in diversity)を標榜し、法の支配のもと自由で平等な共同体の構築を目指してきたヨーロッパは、域内に抱える様々な次元の文化的多様性の問題にどのように対処しようとしてきたのか。最近のヨーロッパでみられる明らかに不寛容な異文化への姿勢は、その理念を放棄したことを表すのだろうか。
本報告では、ヨーロッパが抱える多様性の問題を整理し、近年深刻な問題となりつつある領域的背景をもたない文化に対する欧州の扱いを、これまでの領域に根ざした文化の多様性の扱いと比較検討する。EUで進む移民政策の共通化が、現実には入域管理政策の共通化にほぼ限定されている現状と、社会統合政策の不備がもたらす各国における移民への不寛容な動きの連鎖に焦点をあて、ヨーロッパにおける多様性の尊重と拒絶の相克を明らかにしようと試みる。



:: 第35回研究会〔2012年3月7日(水)〕 ::

三田順「カーレル・ヴァン・デ・ウーステイネとヴラーンデレン・アイデンティティ」

ベルギーにおいて象徴主義はフランス語話者の間で積極的に受容され、象徴主義の生まれたフランス以上の盛り上がりを見せるが、そこで大きな役割を果たしたのがフランス人にとっての「北国」であるベルギーの作家の作品が醸し出す「北方性」であり、これはフランス文学に対するベルギー・フランス語話者文学のアイデンティティーの重要な拠り所となっていた。他方、フランス語話者に十年余り遅れて登場したオランダ語圏の象徴主義を代表するカーレル・ヴァン・デ・ウーステイネはそうした地域性に否定的な見解を示し、ベルギー象徴派を高く評価していない。本発表ではこのヴァン・デ・ウーステイネの作品に、ベルギーにおけるオランダ語話者としてのアイデンティティーと結びついた地域性が指摘できないのかを探る。

井内 千紗「19世紀後半ブリュッセルにおけるフランデレン文化の振興―王立フランデレン劇場設立をめぐって―」

王立フランデレン劇場(Koninklijke Vlaamse Schouwburg)は1887年に設立された、ベルギー独立後初めてオランダ語の専用劇団をもつブリュッセルの劇場である。この劇場は当時の国王レオポルト二世が王室史上初めてオランダ語で演説を行った場所でもあり、ブリュッセルにおけるフランデレン運動の一つの成果を示している。ブリュッセルでは1850年代以降、カッツ、ヴァンデ・サンデおよびミュルダースの主導によって、オランダ語の作品を上演する劇場に対し公的援助を求める運動が次々と起こった。3人の運動はいずれも失敗に終わったが、1860年にブリュッセル市長の要請で始まった二言語併用を原則とする「国民劇場(Nationaal Theater)」構想に、1869年以降大きな影響をあたえることとなる。そして最終的には1887年にブリュッセルの助成を受けて「フランデレン劇場」が、その完成型として誕生する。本発表ではブリュッセル市がベルギー国民のための劇場創設を目指した結果、フランデレン劇場を設立するに至ったその過程に注目することで、当時のブリュッセルにおけるフランデレン文化振興の一側面を見ていく。

ハネ・オステイン「現代ベルギーにおける〈tussentaal〉について」

ベルギーのオランダ語は転機を迎えている。オランダ語でも立場や出身地によって言葉遣いは 当然異なるが、ベルギーでは現在この使用域に大きな変化が認められる。オランダとベルギーではもともと同じ標準オランダ語が使用されてい るが、口語レベルではオランダのオランダ語とベルギーのオランダ語の差違が広がってきている。
本発表では、まずベルギーにおけるオランダ語の標準語化の歴史とその際影響を与えた要素に ついて概説する。その後、現在のベルギーで広く使用されている「tussentaal」 という現象を取り上げ、この言語の有する新しい使用域の特徴を解説する。そしてテレビの字幕を例に、「tussentaal」の発展が実際にどのように反映されているのかを考察し、この現象を 巡るオランダ語学者の様々な見解、および今後の展望を紹介する。



:: 第34回研究会〔2012年1月29日(日)〕 ::

中筋朋「メーテルランクの一幕劇にみる19世紀末の<劇>の質的変化―「日常の悲劇」と筋の内面化をめぐって―」

モーリス・メーテルランクが1890年代に発表した一幕劇は、現代演劇を考えるうえでも非常に示唆的である。これらの短い戯曲は20世紀後半になってからあらためて注目されるようになり、2002年にはテクノロジーを駆使した生身の役者を用いない上演もおこなわれ話題になった。メーテルランクの初期の劇作品は、イプセン、ストリンドベリらの戯曲とともに19世紀末の「ドラマの危機」を体現した作品として再読されてきた。本発表では、メーテルランクの作品のみを対象とすることでより精緻な分析をおこない、一幕劇が単なる劇の長さの変更ではなく、劇の筋の質的な変化であることを明らかにしていく。それを通じて、19世紀末の演劇の変化を「ドラマの危機」——ひいては終焉——ではなく、「ドラマの変容」として捉えなおす。具体的な作品としては『忍び入るもの』、『群盲』(ともに1890年)、『室内』(1894年)をあつかい、「静劇」と称されるこれらの作品から、逆説的な動性をひきだしていく。

的場寿光「ラウール・セルヴェ『タクサンドリア』―「偽りのイメージ」から「運動=イメージ」へ」

1832年、ベルギーの物理学者ジョゼフ・プラトーによって発明された「フェナキストスコープ」は、網膜残像とストロボ効果によって静止画があたかも動いているようなアニメーション効果を生じさせるものであった。映画及びアニメーションの原理とも見なされるこの装置は、そのギリシア語の語源(« fausse image »「偽りの映像」)が示すように、観るものを大いなる驚異をもって幻惑した。ベルギーを代表する現代アニメーション作家ラウル・セルヴェを魅了し、創作の原動力となっているもの、この「不動のもの」によって生み出される「運動」への単純な驚きであるといえよう。アラン・ロブ=グリエとの共同シナリオによる『タクサンドリア』で、主人公の少年が描き出す幻想的な世界には時間が存在しない。この「永遠の現在」の単調さを逃れようという少年の欲望は、不動のイメージから運動=イメージへと向かうアニメーションの原理そのものと重なり合っていると言えるだろう。

:: 第33回研究会〔2011年12月25日(日)〕 ::

加来奈奈「16世紀平和条約における南ネーデルランドが担う“仲介国家“についての考察—1529年カンブレ平和条約施行における交渉人ジャン・ド・ル・ソーの機能—」

16世紀前半のネーデルランドは神聖ローマ皇帝カール5世の支配のもと、その中央機関から派遣された使節は、フランスやイングランドとの外交交渉で重要な役割を果たした。近年では、彼らについて神聖ローマ帝国大使やスペイン大使といった視点からでなく、ネーデルランド大使といった視点で彼らの活動や帰属問題についての研究がなされている。外交の定義が不明瞭な時代であるということや、ネーデルランドの領域的立場の曖昧さから、ネーデルランドからの使節を外交官としての職務を厳密に論ずるより、“仲介人”または“交渉人”としての機能に注目したい。1529年神聖ローマ皇帝とフランス王との間にカンブレ平和条約が結ばれた。その施行のために派遣されたネーデルランド使節ジャン・ド・ル・ソーの任務を検討することで、彼がネーデルランド中央機関の代表者として、皇帝とフランス王との間を仲介した一つの役割をみることができる。

:: 第32回研究会〔2011年10月23日(日)〕 ::

木戸紗織「多言語社会ルクセンブルクにおける言語使用 ―領域を手がかりとして―」

ルクセンブルク研究は歴史の浅い分野だが、一昨年ワルシャワで開かれた世界ゲルマニスト会議において「ルクセンブルク学」として一つのセクションが設けられるほど体系化されてきた。日本には少なくとも5名の研究者がおり、言語学的にはルクセンブルク語の正書法および語の屈折に関する研究、教育面では移民的背景を持つ児童の教育に関する研究、そして社会言語学的な側面から言語法と国民意識に関する研究など、その対象は多岐にわたっている。こういった研究は、まず『ルクセンブルクは多言語社会だ』という認識の上に成り立っている。確かにルクセンブルクは三言語を話すという点で多言語国家ではあるが、しかし逆にヨーロッパで多言語国家といえば、ルクセンブルクではなく、多くの場合スイスやベルギーが挙げられる。そこで、本発表の目的は、第一に、多言語国家としてしばしば言及されるスイスやベルギーと比べて、ルクセンブルクの多言語性にはどのような特徴があるのか、そして第二に、従来の多言語社会に関する研究と比べてルクセンブルクの研究はどのような意義があるのか、を検討することである。

石部尚登「ベルギーにおける言語政策と言語の領域性認識の関係」

ヨーロッパで人々の言語観を長らく支配してきた言語の領域性認識は、古くは国民国家建設のための国民統合政策、多言語国家では言語対立を調停するための政策、また近年では地域語や少数言語の復興政策など、様々な形で、多くの国々で政策に取り込まれてきた。なかでもベルギーは、20世紀の前半より言語政策で言語の領域性に中心的な役割を与えてきた。現在では国家制度の基礎となっているほどに、両者の結び付きが強い国家である。 本報告では、そのベルギーの言語政策を事例として、両者の関係が、単に言語の領域性認識が政策利用されるだけのものではなく、それが政策的な実体とされることで、その認識の構造自体に変化がもたらされる相互作用的な関係であることを示す。具体的には、言語の領域を確定する際に必然的に生じる言語境界線に着目し、ベルギーの言語政策における言語境界線の政策的利用の歴史、およびそれに伴う言語領域性の認識の変遷を考察する。

大場茂明「ハンブルク・ザンクトパウリにおける地区再生 ―衰退地区からトレンディ・エリアへ―」

人口総数の減少、高齢化率の上昇にともなう都市の縮退(Shrinking City)現象への対応は、欧米の先進工業国における共通の政策課題として近年注目されている。ドイツにおける都市縮退問題の認識は、「東の縮退」から「西の縮退」へ、さらには「成長地域での地区縮退」へと、その焦点が今日では徐々に移行しつつある。しかも、ミクロレベルで見れば成長と縮退は隣り合わせであり、衰退コミュニティが市内の特定地域にモザイク状に出現する一方で、かつての衰退地区がそのイメージを一新し、再び活き活きとした街の賑わいを取り戻したケースも、少数ながら存在している。本報告では、そうした事例の一つであるハンブルク市、ザンクト・パウリ(St. Pauli)地区を対象にして、典型的なインナーシティの衰退現象がみられたこの地区が、広告業・IT産業従事者、芸術家、ジャーナリストといったクリエィティヴで所得の安定した若者や学生層に人気のトレンディな地域(ドイツ語では"Szenenviertel")として再発見・活性化されていく過程の中で、行政や地元関係者(アクター)が行った取り組みを考察していくことを通じて、都市縮退時代におけるコミュニティ再生のあり方を改めて検討するものである。

:: 第31回研究会〔2011年9月25日(日)〕 ::

野崎次郎「Lara Fabianとベルギー的なるもの」

0) ララ・ファビアンはベルギー出身で、カナダでデビューし、その後フランス語圏、英語圏で支持されている歌手である。最初、フランスでデビューしようとしたが果たされず、カナダに渡り、デビューを果たし、支持層をヨーロッパから、ロシア、アフリカへと広げていった。
1) ララ・ファビアンの生い立ち。経歴が興味深い。ベルギー人の父(フランドル系)とイタリア人の母(シチリア系)とのあいだにベルギーで生まれ(1970)、5歳までシチリアで過ごし、8歳の時から10年間、ベルギー王立音楽学校で音楽を学び、1991年からケベックに渡り、そこで市民権を得、自分自身のレーベルを立ち上げた。マルチ・リンガルな状況に育った、複言語・複文化の人のといえる。
1-1) ララ・ファビアンはSerge Lama (1943- , Bordeaux) の曲 ‘Je suis malade’(1973)(私は病気)をカバーしている。この曲は Dalida がカバーすることで有名になったが、 ララ・ファビアンのカバーで圧倒的に人気が出た。この3人の歌を聞き比べ、ララ・ファビアンのイメージをまずつかんでもらいたい。
1-2) ‘Je suis malade’ を YouTube で聞き比べる。Dalida, Serge Lama.
1-3) デビューの頃。フランスでデビューしようとしたがかなわなかった。なぜなのか? そこにベルギー性が見られるか?
2) 世界的なデビューのきっかけとなった’La différence’(違い)と「文化多様性条約」(2005) マイノリティーへの敬愛。
2-1) 多言語・多文化主義 ある社会にいくつもの言語・文化が並存。
 複言語・複文化主義 ある社会にすむ個人がいくつかの言語・文化を理解。

:: 第30回研究会〔2011年8月20日(土)~8月23日(火)〕 ::

鈴木義孝「「ベルギー」についてー辞書での表記を中心に」

「ベルギー」という日本語での国名は、オランダ語、フランス語、英語、ドイツ語などのヨーロッパの言語での発音と異なっている。本発表では、日本語において、カタカナ表記「ベルギー」と漢字表記「白耳義」が、いつどのようにして使われ始めたのかということとその表記の変遷を18世紀後半以降、日本で出版された辞書での表記を中心に見ていく。時代をさかのぼる形で、明治期の国語、英語辞書の表記を確認し、江戸時代に出されたオランダ語、フランス語、英語の辞書での表記へとさかのぼりつつ、「ベルギー」がどのように表記され、いつ使われ始めたのかということを考察する。また、漢字表記「白耳義」に関しては、19世紀半ばから20世紀にかけて中国で出版された英華辞書の表記の考察もあわせておこなう。

井内千紗「修辞家集団(rederijkerskamer)について」

修辞家集団(rederijkerskamer)とは、中世後期(15世紀~)ネーデルラント地方の各都市で活動した文芸サークルである。16世紀が最盛期といわれ、その時期にはネーデルラントのほぼ全都市に少なくとも一つの修辞家集団があったとされる。修辞家集団は戯曲や詩を創作し、祝祭の場などで演劇を披露したり、その都市に来訪する高官を歓迎する行列や宗教行列、オメガングにも参加した。さらに3年に1度は各地の修辞家集団が集まり、ラントユウェール(landjuweel[地の宝])と呼ばれる演劇コンクールを開催していた。本発表では彼らの活動を当時の修辞家集団の様子を描いた絵画、版画等を参照しながら紹介し、当時の社会的影響力について考える。また、今日まで活動が継承されているブリュッセルの修辞家集団に触れ、フランデレンの文化政策における修辞家集団の現在の位置づけも紹介する。
「研究発表レジュメ」をウィキ内検索
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