一面に草が生い茂る中、近藤勇との約束の地を目指して歩いていた土方歳三は、いきなり剣を抜いた。
剣を抜く特段の理由があった訳ではなく、己の中にふと生じた漠たる欲求に従ってみただけだったのだが……
「お見事」
声を掛けられた土方は、驚愕を面に出さないよう勉めつつ振り向くが、果たして成功したかどうか。
いきなり現れた男……いや、この言い方は適当ではないだろう。
その男は今まで隠れていた訳でも気配を隠していた訳でもなく、最前からそこに立っていたのだから。
ただ、男は動きを周囲の風景に溶け込ませ、気配を土方が無意識に発していた殺気に紛れさせていたのだ。
その為に、土方は男の姿を見、気配を感じていながら、それを意識する事ができなかった。
ただ人斬りとしての直感が危険を察知して土方に剣を抜かせ、結果として不意打ちだけは免れた事になる。
だが、形の上では対等でも、気持ちの面で後れを取っているのは否めない。
「で、あんたは誰だ?」
「私は白井亨と申します」
気を取り直す時間を稼ぐ為にした問い掛けへの答えが、更に土方の心を揺らがせる。
白井亨と言えば、土方にとっては伝説的な剣士。
まあ、この御前試合では伝説級の剣豪など珍しくもないが、その中でもやはり白井亨の名は格別だ。
時代がごく近いだけに、土方は白井の超人的な剣技の伝説を、直接の目撃者から聞かされた経験が幾度もある。
一方で、白井は土方が少年だった頃に死に、その後継に相応しい弟子も遺さなかった為に、実際にその技を見た事はない。
名高い剣士と戦う気負いと、その虚名のみしか知らない事への戸惑いが、僅かに土方の剣を鈍らせる。
その為、また先程の近藤戦の疲れが残っているのか、土方の構えが定まらぬ内に白井の足は間境を越えようとし……
「ちっ!」
土方は舌打ちと共に白井の足元に剣を叩き付けた。
試衛館時代、他流派との抗争の中で盗み取った柳剛流の一手。
江戸を席巻して名を上げ、様々な受け手が考案された柳剛流だが、それは白井が活躍した時代よりも後の事。
相手にとって未知である筈の技で惑わせ、気を取り直す時間を稼ごうとしたのだが……
「くっ」
白井は足元への剣を簡単に受け流しつつ柄で顔面を突き、土方は咄嗟に転がってかわすが避けきれずに刃で肩を掠られる。
後代ほどに有名ではなかったが、白井の生前から柳剛流は存在しそれなりには広まっていた。
研究熱心な白井が柳剛流も学んで対応策を考えていたのか……いや、そうでなくとも白井が脛切りへの受け手を持つのは当然。
脛打ちは江戸後期の剣術界でこそ奇手だったが、戦国の頃の足軽剣術や、槍術薙刀術では一般的な攻め手。
だから戦国期の剣術には足を守る技が含まれており、過去の剣術を深く学んでいた白井なら修得していない方が不思議だ。

「はあっ!」
素早く立ち上がって仕掛ける土方。
この時点で、土方にもわかっていた。
白井は土方と比べて剣士としての積み重ねが遥かに大きく、その為に死角が少ない、より完全に近い剣士だという事を。
そのような剣客と戦うとなれば、相手の隙を探すのではなく、己の得意の技と策をぶつけるしかない。
土方は渾身の力と気合を込めて激しく打ち込み、白井を僅かに退かせると、漸く息を付く。
「天然理心流ですか」
その言葉と同時に白井は気合いを発し、それを浴びた土方は猛然と斬り込んでいた。
土方が白井から浴びせられた今の気合は、先刻、近藤から浴びせられたのと同質……つまり、これは天然理心流の気合術なのだ。
開祖近藤内蔵之助に直接会って学んだのか、それとも内蔵之助の死後に研究して気合術を再現したのか……
どちらにせよ、天然理心流の師範達が学ぶ事も再現する事も出来ずにいた気合術を他流の白井が使って見せた。
もっとも、白井の気合術は質は近藤の物と同一だが、気合の絶対量では劣り、これでは多少の心得がある剣士には通用すまい。
そして、素人や初心の剣士を気迫で圧倒して動けなくする程度は、それなりの兵法者なら気合術など使わずとも容易い事。
故に、白井の気合術は実用面から見れば無意味なものなのだが、天然理心流に強い思い入れを持つ土方には最高の挑発。
土方の性格ではそんな挑発を見過ごす事など出来る筈もなく、全力で白井に襲い掛かるしかない。
当然、使う技は天然理心流のものであり、白井は気合術を使ってみせた事からもわかるように、天然理心の剣を良く知っている。
打ち合い始めてすぐ、土方は自分が白井の術中に嵌った事を知った。

柳生宗矩の構えを見た倉間鉄山の視線が鋭くなる。
その構えは、相討ちを厭わぬ……いや、むしろ積極的に相討ちを狙う類のものと、鉄山には読めた。
確かに、負傷して不利な状況に追い込まれた剣士の選択としては、相討ち狙いはそう奇異なものではない。
しかし、柳生但馬守宗矩という人物について伝わる事蹟と照らし合わせると、目の前の老人の行為は腑に落ちぬものとなるのだ。
穏やかで無益な争いを避け、周囲に気を遣い、禅など精神修養と剣の融合を目指した……それが柳生宗矩の筈。
その通りの人物ならば、相討ちを狙うどころか、このような状況では自ら剣を引いても良さそうなもの。
無論、歴史上の人物に関する伝承の真偽は見極めがたく、この宗矩の人格が伝えられるものと全く異なってもおかしくはない。
だが、明楽との勝負で見せた剣から推察される人格も、相討ちを好む過激さよりも、伝承にある穏やかさに近かったのだが……

宗矩が相討ちの構えを選択した事を訝しむ鉄山だが、実は宗矩の側は、これ以外に選べる選択肢を持っていなかったのだ。
そもそも、宗矩はこの御前試合の参加者の中でも、特に剣客としての経験が乏しいという弱みを持っていた。
確かに、合戦場で鎧武者を斬り伏せた経験はあるし、将軍の戯れでその近習と試合した事もありはする。
しかし、それらの対戦相手はいずれも専門的に武芸を学んだ兵法者ではない。
武芸者との勝負という点では宗矩の経験は皆無に近く、その点では真剣勝負の経験がない少女剣士にすら宗矩は遥かに劣るのだ。
柳生家を背負い、その興隆を父から託された宗矩にとって、武芸試合における敗北は決して許されぬ事。
そして、不敗を求めるならばその最良の手段は、はじめから戦わぬ事、となる。
故に、宗矩は御留流と称して他流との勝負を避け、更には同じ新陰流、また甥や、息子とすら本格的な試合はしていない。
その宗矩が経験した、一流の武芸者との数少ない勝負で用いたのが、これから宗矩が行おうとしている戦法。
負傷し、不利な状況で己の同等の剣客と闘うとなれば、やはり試合で使った事のある技を使うべきだと宗矩は考えた。
特に、この技を使った時……金沢一宇斎との勝負の瞬間だけは、宗矩は己が一端の剣士として闘えたと自負しているのだし。

自身と同等の剣客と立ち合い、打ち込めば相討ちという状況になった時、どうするか。
かつて宗矩が子息十兵衛にこれを問うた所、返って来た答えは、「互いに武器を置き、礼を交わして下がる」というもの。
宗矩には、十兵衛のこの答えが不快であった。
何故ならば、十兵衛の性格からして、実際に強敵に出会ったとして、退く事など決してないと思えるからだ。
そもそも、敵が強いから剣を引くというのなら、初めから剣を抜かないに如くはない。
そして、宗矩は実際に剣を抜かない事で不敗を保ち、将軍家指南役としての柳生家の体面を保って来た。
だから、宗矩には十兵衛の答えが、父である己に対する阿り、或いは憐れみの発露だと思ったのだ。
……兵法者としての父への尊敬の表れとは思い付きもしなかった事が、今の宗矩の立ち位置に繋がったと言えるかもしれない。
とすると、一宇斎に勝負を挑まれて気軽に受けてしまったのも、同様の蟠りから現れた、いわぱ破綻の兆しと言えるだろうか。
だが、客観的に見てどうあれ、宗矩にとって一宇斎との勝負は、立場を捨てて一介の剣士として虚心に戦えた満足の行く物。
故に、宗矩は今回も、大事を為さぬ内の死を前にして迷う事のないように、あの時と同じ構えを取ったのだ。
気合いと共に、宗矩は鉄山の肩を目掛けて切り込んで行った。

激しく切り結ぶ白井亨と土方歳三。
位置を変え、様々な技を用い、千変万化の様相を見せる斬り合いだが、土方には先の展開があらかじめ読めていた。
と言って、土方に予知能力がある訳でも、白井の動きを読みきったという訳でもない。
ただ、若き日に諸方の同情を巡っていた頃、これと全く同じ展開の形稽古を見たのだ。
ちなみに、その時の仕太刀の動きが今の白井の動きと一致し、土方は打太刀、つまりこのまま型通りに進めば斬られる事になる。
だからと言って、型に定められた打太刀の動きを外しても、この場合は無意味。
古流においては、型で上級者が仕太刀を務める場合、打太刀は如何様に動いても自由とされていた、という。
それでも形稽古が成り立っていたのは、型における打太刀の動きがその状況における最善の動きを再現しているからこそ。
例えるなら詰将棋のようなもので、受け手が想定されているのと違う動きをしても、それは詰む手数を減らす事にしかならない。
つまり、型の流れに取り込まれた時点で、土方の死は定まったと言えるのだ。
だが、土方は嘗て、この型に一つの瑕疵を見出していた。それは、仕太刀と打太刀の生死を逆転させる程のものではないが……

土方の剣を押し流した白井は、素早く己の剣を正眼に構えると、対手の鳩尾を目掛けて突き出す。
当然、相手は退く以外になく、それによって可動域を狭め、白井必勝の状況を作れる筈だったのだが。
「ぐっ!」
土方は下がらない。退こうという欲求を意志力で抑え込み、その場にとどまって白井を剣撃で迎撃する。
この状況では土方が如何に速く剣を振ろうとも、白井の剣が先に届くのは動かせない。
だが、突きによって土方の命が奪われる前にその剣が白井に届き、相討ちに持ち込まれる恐れはそれなりにあった。
このままでは己の必敗だと悟った土方が、相討ち狙いに出たという事か。
そして、相討ち・両者死亡……これこそが、白井の最も恐れていた展開であった。

昔、白井亨は剣術に絶望し、剣を学んだ事そのものが全て無駄であったとまで思い詰めた事がある。
それは、廻国修行から江戸に戻り、元の兄弟子達を訪ねて、彼等が老いによって嘗ての剣技を失っているのを知った時の事。
漸く修めてもごく短い期間しか保てず、老境に至れば消えてしまうような術に意味はあるのかと、白井は懊悩した。
そんな白井を救ったのは、兄弟子でありその時から師と仰いだ寺田宗有。
寺田に老いてなお進歩し続ける技を見せられ、剣には老いなど問題としない境地がある事を知り、白井は救われたのだ。
だが、老いは人生の終着点ではなく、その先にあるのは死。
死んで屍になれば、如何な剣客も無力。こればかりは如何ともし難い。
これを克服する法としては、生き残る者に己が剣を伝える事で、身が滅んでも術だけは生き残れるようにするくらいか。
現に、寺田は、白井という弟子を得、全ての技を伝え得た事により、心安らかに逝った。
しかし、白井には寺田にとっての白井のような優れた弟子は居ないし、何よりここで死んではこの島で悟った事は伝えられない。
まだ、敗れて死ぬのであれば、勝者が己の剣を盗み取ってくれる事を期待できるが、相討ちではそれも適わぬ。
そして、前の細谷戦でもそうだったが、白井は相討ちを狙って来る相手に対する対応法を確立できていないのだ。
相討ち必至の状況において、相ヌケなどと称し、互いの精神を共鳴させて剣を引く流派も学んだが、この島ではそれも無意味。
この土方のように、土壇場で相手を殺す事を全てに優先させるような剣士に、どう対処すべきか。
無論、細谷に後れを取った反省もあり、何も対策を考えていなかった訳ではない。
白井は、手の内で剣を操り、切っ先を跳ね上げて土方の顔に向かわせる。
如何に心で死を決しようと、生存本能や生理反応を完全に打ち消す事は不可能。
いきなり顔に刃先が向かう事で土方の防衛本能を刺激し、毛一筋程でも仰け反らせる事が出来れば、白井必勝の状況は不変。
土方の決死の心を鍛え上げた技で打ち破る為、白井は剣を握る手に力を籠め……

この結果は道理に合わない。
土方歳三は、白井亨の屍を見てそう思考する。
本来であれば生死は逆か、良くても共に死亡していた筈。なのに何故こうなったのか。
無論、理由を捻り出す事は出来るだろう。
白井が土方の防衛本能を刺激したのに対し、近藤の気合を受け続けた土方の本能が麻痺し、刺激を感じにくくなっていたとか。
或いは、既に一度、敗北し友や仲間の殆どを失った中での無惨な死を体験し、それを悪くないと思っていた土方の方が、
剣客として功成り名を遂げた生しか知らぬ白井に比べて、死の覚悟という点で勝っていたとも。
だが、そんなものは後付けの理屈でしかない。
白井は剣客としての積み重ねに於いて土方より優っており、土方はその挑発に乗って正面からの技の競い合いを挑んでしまった。
この状況では土方が死に、白井が生きるのが道理であり、結果が逆になったのは完全に理不尽。
……それが真剣での戦いだ、というのが、土方の出した結論だ。
真剣での斬り合いでは、素人が滅茶苦茶に振り回した刀に掠られ、熟練者が致命傷を負ったというのもよくある話。
だから実戦では腕の優劣などあてにならないと、土方自身も常々部下に言っていた事。
だが、心の何処かで、それは二流以下の剣士の話で、達人同士の勝負となれば話は別だと思っていなかったか。
「……それか」
土方は今回の白井との戦い、そして近藤との死闘でも、それを勝負と捉え、技の優劣を競い合うという意識を持っていた。
近藤と相討ちになるのを避けようとしたのも、真剣勝負の結果に何らかの意味があると考えたからこそ。
だが、実戦では弱肉強食も優勝劣敗も幻想に過ぎない、と土方は白井との勝負で学んだ。
強者が咎なく死に、弱者が功なく生き残るのならば、実戦では生死勝敗など気にするに足らぬものと言える。
ただ己の全てを剣に籠めて叩き付けさえすれば、結果として勝とうが負けようが、また相討ちだったとしても、瑣末な事だ。
次に近藤と戦ったとして、結果がどうなるかはわからない。
或いは、近藤と会う前に別の誰かによって斬られて果てる可能性もあるだろう。
だが、結果はどうあれ、自分が自ら剣を止める事は決してない……土方は、それだけは確信を持って断言する事が出来た。

【白井亨@史実 死亡】
【残り四十名】

【とノ伍/草原/一日目/昼】

【土方歳三@史実】
【状態】肩、顔に軽傷
【装備】 香坂しぐれの刀@史上最強の弟子ケンイチ
【道具】支給品一式
【思考】基本:全力で戦い続ける。
1:正午に呂仁村址で近藤と戦う。
2:強者を捜す。
3:志々雄と再会できたら、改めて戦う。
※死亡後からの参戦です。
※この世界を、死者の世界かも知れないと思っています。

防御を忘れ、渾身の力で倉間鉄山に切り掛かる柳生宗矩。
だが、鉄山に接敵する直前、その勢いが急速に弱まり、あっさりと受け流される。
宗矩の相討ちの剣を止めたのは、鉄山の動き。
その剣舞を思わせる動きが、宗矩に短兵急な攻撃を躊躇わせたのだ。
元々、柳生新陰流は舞踊と縁が深い。
柳生石舟斎は猿楽師の金春七郎を弟子として愛育した上に、新陰流の奥義と交換に金春流の秘奥を学んだという。
また宗矩自身も猿楽を愛好し、その執着ぶりは諸大名の間で噂になった程に度を越していた。
それは全て舞踊の奥義に剣術に通じるものがあり、柳生家がそれを取り込む事で剣の冴えを増そうとしたからこそ。
舞いの名手が流れるような動きで人を魅了するように、舞うような動きで敵を流れに乗せ、死へ導こうというのだ。
そして、自身が舞踊の剣術への応用を深く考えていただけに、宗矩は鉄山の同様の思想に基づく仕掛けを無視できなかった。

嘗て、金春八郎の舞を鑑賞した宗矩が、将軍に八郎を斬れるか戯れに下問され、なかなか隙を見出せなかったという。
実際には八郎に特段の武芸の心得がある訳でなく、如何に舞に武に通じるものがあるとはいえ、宗矩なら容易く斬れた筈。
なのに切り込む機を見出せなかったのは、宗矩が舞の妙と美を深く理解できてしまい、それを壊すのに躊躇いを覚えてしまう為。
つまり、宗矩の内にある心理的要因が、舞踊の妙技を披露する者に切り掛かる事を阻害しているのだ。
八郎ならともかく、仮に舞い手が七郎であれば、実際にその舞いの最中に斬り付けても、勝負は危うかったやも知れぬ。
そして、目の前に居る倉間鉄山は、少なくとも剣術に関しては明らかに金春七郎を上回っている。
剣舞の二人舞のような状況に持ち込まれた今、その流れを無理に打ち破れば心に動揺が生じ、動揺は剣の隙を生む。
ただでさえ負傷し不利な現状で、更に隙を見せれば、鉄山に殺されるまでもなく戦闘力を奪われてしまうだろう。
已む無く、宗矩は鉄山に付き合って舞い続けるのだった。

図らずも……いや、鉄山が宗矩より四百年近く後の人物である事を考えれば、八郎の話を聞き知っていて図ったのかもしれぬが、
ともかく、金春八郎を斬る隙を探して見付けられずにいた時と似た状況に追い込まれた宗矩。
だがあの時、宗矩は八郎に隙を見付けられぬまま終わった訳ではない。
ひとしきり舞った八郎が、脇に退いて息を付いた瞬間、宗矩は仮想的にだが確かに八郎を斬った。
今回も同様。鉄山とて永遠に舞い続ける事が出来る筈もなく、何時かは動きを止めざるを得ない筈。
しかし、あの時と違うのは、今回は宗矩も共に舞っており、体力勝負となれば先に力尽きるのは負傷した宗矩の方であろう事。
となれば宗矩としては、疲労以外の要因で鉄山の気息を乱し、その動きを先に破綻させるしかない。
その為の手段はある。鉄山が求めているものをくれてやれば良いのだ。
「事の始まりは、大御所秀忠公の病死と、同日の将軍家光様の急死。
 ……いや、正確にはそれは始まりではなく、その時になって漸く儂が異常に気付いたというだけの事。
 実際にはそれより以前、少なくとも、寛永六年、駿河城にて御前試合が開催された時には既に始まっていたのであろう」
思惑通り、鉄山の呼吸が僅かに荒くなったのを確かめ、宗矩は語る。己の知る、この御前試合開催までの経緯を。

【へノ壱/森/一日目/昼】

【倉間鉄山@バトルフィーバーJ】
【状態】健康
【装備】 刀(銘等は不明)
【所持品】支給品一式
【思考】基本:主催者を打倒、或いは捕縛する。そのために同志を募る。弱者は保護。
一、柳生宗矩の思惑を見極め、倒す。
二、にノ参の道祖神から主催を目指す。
三、十兵衛、緋村を優先的に探し、ついで斎藤(どの斎藤かは知らない)を探す。志々雄は警戒。
四、どうしても止むを得ない場合を除き、人命は取らない。ただ、改造人間等は別。

【柳生宗矩@史実?】
【状態】腕に重傷、胸に打撲
【装備】三日月宗近@史実
【所持品】「礼」の霊珠
【思考】
基本:?????
一:倉間鉄山を斬る
二:?????

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技比べ 白井亨 【死亡】
三剣士、復活を志す 土方歳三 決戦の刻、来たる
選んだ道 柳生宗矩 駿河大納言散る
選んだ道 倉間鉄山 駿河大納言散る

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最終更新:2014年04月03日 13:26