とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

Part07

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好きの先にあるもの


 時は三月、季節は春。世の中はちらほらと桜も咲き始め、まさに春真っ盛りといった様相を呈し始めていた。
 もちろんそんな春は学園都市にもやってくるわけで、毎度おなじみの常盤台中学の制服を身に纏った彼女、御坂美琴はようやく暖かくなり始めた春の空気を楽しみながら目的地である公園へ向かっていた。
「ふーん、ふんふん……」
 気持ちの良い風に誘われるかのように自然と鼻歌まで奏でてしまう。
 そして時折こぼれる、あふれんばかりの美しい笑顔。
 男性なら十人中、八、九人は見蕩れてしまうだろう、そんな笑顔だ。
 事実、女性連れであるにもかかわらず美琴に見蕩れてしまい、同伴者に腕をつねられている男性も何人かいる。
 それ程までに今の美琴は魅力的だ。さらに全身から喜びや幸せといったオーラを放っているため、その魅力も三割増し。
 それもそのはず、美琴は今から恋人である上条当麻との二ヶ月ぶりのデートなのである。これが嬉しくないはずがない。

 数ヶ月前のことだ、紆余曲折を経て御坂美琴は上条当麻と清く正しいお付き合いを始めた。惹かれ合う一組の男女が結ばれる、非常に素晴らしいことである。
 もちろんだからといって、彼らの関係が皆から祝福されているわけではない。
 各々が対外的に人気のある二人、彼らの交際に異を唱える者だって若干名だがいる。その数、確認できるだけで世界中におよそ一万人強。
 とはいえ、それだって愛し合う二人の前では些細な問題でしかない。
 その問題が解決する兆しがなかなか見られないのが若干気がかりではあるものの、とにかく、今の美琴と上条は絶対無敵な恋人同士なのである。

 そう、二人は恋人同士。
 しかし現実は非情であった。
 二人の想いが通じ合ってすぐ、二人の新しい人生のスタートにある問題が立ちはだかった。それは上条が留年確実という事実であった。

 上条当麻は頭が悪い、というより勉強が不得手である。また世界中を飛び回って人助けをやっている関係上、出席日数も不足しがちだ。
 これでは上条の通う学校側としても彼を進級させるわけにはいかない。ごく当然の判断だろう。
 けれど留年者を出すということは、学校のイメージ低下を招きかねない。そのため学校側としては、留年そのものは正直なところあまり歓迎したくない。
 というわけで学校から上条へ、留年にならないための条件が提示された。
 それは高校一年間の全授業内容に関する課題提出、および学年末試験における全教科の学年平均点超えだった。与えられた期間はおよそ二ヶ月。
 はっきり言って無茶である。そもそも上条は授業にすらまともに出ていない上に、授業の合間にある小テストですら合格点が取れていないのだ。学校側から出された条件がクリアできるくらいなら留年などするはずもない。
 上条当麻の留年は決定した。
 誰もがそう思った。上条の担任である月詠小萌先生ですらそう思ったのだ。
 しかし上条は条件をクリアしてしまった。
 課題も全て提出し、学年末試験も全教科において平均点どころか80点を超えるという、奇跡を成し遂げてしまったのだ。
 結果として上条は無事に進級し、二年生になることが決まった。

 それはもちろん、上条の恋人である美琴の徹底した教育の賜、要するに美琴の内助の功である。
 美琴は夜となく昼となく上条の勉強を見、課題を手伝い、徹底して上条を鍛え上げた。
 もちろんその間、デートや遊びなどといった勉強に関係のない行為は問答無用で却下。
 さらに美琴は上条から携帯を取り上げ、上条と他人との接触を全て自分の管理下に置くことによって、上条に彼のライフワークである人助けすら行わせなかった。
 付け加えると美琴はこの際、上条の財布や通帳も預かっている。上条の不幸から上条家の財政を守るにはそれが一番良いという判断からだ。
 このように普段の食事や生活態度、果ては財務状況にまで及んだ美琴の管理は、正に厳格そのものであった。
 ちなみにその間インデックスはというと、勉強漬けの上条をあっさりと見捨てて一人小萌先生の家に居候していたりする。
 ただ意外なことに、普通の劣等生なら発狂しかねないこのような環境に置かれた上条本人は、勉強の辛さを除けばあまり不満は感じていなかったようなのである。上条曰く、心の底からベタ惚れしている美琴と常にいっしょにいられる状況になんの不満があろうか、ということらしい。
 げに素晴らしきは愛の力。
 とにかく二ヶ月に及ぶ美琴の教育のおかけで、上条は無事に進級できることになったのである。

 そして今日は上条の学年末試験の翌日、美琴にとっては上条との実に二ヶ月ぶりのデートの日である。



 美琴は待ち合わせ時間の十分ほど前に公園の噴水前に到着した。そこにはもちろん、上条が待ってくれているはずである。
 美琴はきょろきょろと辺りを見回した。
 なぜか上条の姿が見えない。
 いつもなら一時間前には来ているはずなのに、そう教育してきたはずなのに。
 首を傾げた美琴はもう一度辺りを見回してみる。
 すると先ほどは気がつかなかったが、噴水から少し離れたベンチに見慣れたツンツン頭を発見することができた。

 何やってんのよ、とぼやきながら美琴はベンチに近づいていった。
「アンタね、いったい何やってんの、よ……。どうしたの、いったい?」
 上条の姿を見た美琴は我が目を疑った。
 美琴の目に映った上条はやつれた様子でベンチに仰向けになっていたからだ。
 表情にも生気がなく、ただごとではないように見える。少なくとも朝、家を出る時の様子とは明らかに違う。
「よ、早かったな」
 上条はベンチに横たわったまま、弱々しく右手を挙げた。
「早かったな、じゃないわよ。いったいどうしたの? こんなになっちゃって」
 美琴は上条の頬に手を当てながら心配そうな声を出した。
「朝、家を出る時は普通だったじゃない。どうしてこんなことになってるのよ。……まさか、またどこかの妙な奴らに襲われたの?」
 美琴の顔が一瞬にして険しい物に変わった。
 しかし上条はのんびりした様子で手をパタパタと振る。
「いやいや違う、むしろ非常に穏やかな一日だったから」
「じゃあなんで?」
 いまだに険しい表情を崩そうとしない美琴を見ながら、上条はぽりぽりと頬をかいた。
「さあ?」
「さあって……。今日あったことを順番に思い出してみたら?」
「そうだな。朝、お前が飯作りに来てくれたろ? それ食ってる時は問題なかったし、学校行ってからも別にこれといって何もなかったんだけどな」
「本当に?」
「ああ。試験の結果返してもらって、放課後職員室で小萌先生から進級の許可が下りたこと聞いて、お前にメールしてデートの約束した」
「ふんふん」
「それでもって、ほっとして学校を出ようとしたくらいから急にいろんなことがめんどくさくなって、だるくなってきた」
「ちょっと、どう考えてもそこに問題があるでしょ」
「そうか? でも約束したし、とりあえず待ち合わせ場所には行かなきゃと思ってここまで来たんだけど――」
「完全に力が抜けた、と」
「そういうことだな」
 上条の話をここまで聞いた美琴は顎に指を当てて首を傾げる。
「アンタの場合、右手があるから誰かに何かの能力を使われたって事もないだろうし」
「だよな」
「うーん」
 美琴はぺたぺたと上条の体を触りながら、どこかに麻酔銃で撃たれた痕など妙なところがないか調べだした。
 十分ほどそうした後、美琴は再び首を傾げた。
「どこもおかしいところはないわね」
「だろ?」
 美琴は上条の額に手を当てて呟く。
「熱も、ないし……」
 美琴はぽんと手を打った。
「うん、たぶん燃え尽き症候群みたいな精神的なものね。この二ヶ月間、アンタそれだけ必死で気を張って頑張ったってことよ。それから解放されて気が抜けたんでしょ」
「は、はあ。じゃあしばらくしたら治るってことか。それじゃあ、どうする? 俺の体が楽になったらデート行くか?」
 そう言ってゆっくりと起き上がろうとした上条だったが、美琴に手で制された。
 美琴はため息をつきながら上条をにらみつける。
「アンタ何馬鹿なこと言ってんの。まあ確かに私はアンタのお馬鹿のせいで、せっかく恋人同士になれたのに二ヶ月もデートのお預け食らったわけだけど」
「面目ありません」
「だからってこんな風になったアンタを振り回すほど鬼じゃないわよ、私だって。今日は帰りましょ。看病してあげるわよ」
 先ほどのにらみから一転、優しい笑みを浮かべた美琴を見て上条は苦笑いを浮かべた。
「何から何まで面倒かけるな。ほんと、すまん」
「いいわよ別に。また今度、ちゃんと埋め合わせはしてもらうから。ほら、肩貸してあげるから帰るわよ。家で休んだ方がいいわ」
「すまん」
 上条は美琴に肩を貸してもらいながら帰宅の途についた。

 部屋に戻ってきた上条は学ランをハンガーに掛けると、そのままベッドに倒れ込んだ。
「だあー、疲れたー。なあ美琴、これ本当に精神的なもんなのか? 俺やっぱり病気とかじゃねーのか?」
 ベッドの上の上条は弱々しく顔を上げて美琴を見た。
 その美琴はアイスノンを冷凍庫から出していた。
「心配なら後で病院に行けばいいと思うけど、大丈夫よたぶん」
「そうか?」
「そうよ。あのね、この二ヶ月間、学校と寝る時以外はずっと私がアンタを管理してたのよ、普段の生活態度含めて。変な病気になったりするわけないでしょ」
「そう言えばそうか」
 上条は美琴が勉強を見てくれていたこの二ヶ月間の様子を思い出した。

 まず朝。起床後すぐに勉強する癖を身につけるためということで、美琴は朝六時きっかりに上条の部屋を訪問していた。
 そのまま一時間勉強し、美琴の作った朝食を食べて学校へ。
 変な物を食べて体を壊してはいけないということで、昼食は美琴の作った弁当。
 学校が終わると寄り道せずまっすぐ家に帰り、夕食までひたすら勉強。その際、美琴が自身の都合で上条の部屋にいない時でも課題は山のようにあるので問題ない。
 その美琴も夕食時までには上条の部屋にやってきて、上条の勉強の進み具合のチェックをし、その後夕食。これももちろん美琴の手作り。
 ちなみに食事の材料は美琴が買ってきている。上条が買いに行くと材料を台無しにしてしまう可能性が高いためである。
 夕食後門限が迫る美琴を寮まで送り、上条は再び勉強、そして就寝。
 そして翌朝再び美琴の訪問。
 これが週末ともなると一日中美琴は上条に付きっきりとなる。部屋の掃除や洗濯などもこのときまとめて済まされる。

 上条は思った。
 病気になれる要素がまるでないと。面白みこそないものの、健康的かつ模範的な高校生の生活そのものだ。
 さらに思った。
 さすがに勉強期間が終わったためこれまでのような管理された生活は終わりを告げるわけだが、はたしてこの後自分は普通に生きていけるのだろうかと。
 これほどまでに美琴に依存した生活を送り続けた自分が、元の怠惰な生活に耐えられるのだろうかと。
 よく考えなくても病気になるならこれからだろう。
 ただとりあえず、今から自分がやるべき行動だけは決まった。
 恩人には感謝の意を表さなければならない。
 上条はゆっくりと起き上がるとベッドの上で美琴に向かって土下座した。
 美琴は上条の枕とアイスノンを交換しながら首を傾げた。
「……何やってんの、アンタ?」
「今まで、上条さんのお世話をしていただき、誠にありがとうございます」
「はい?」
「勉強を含め、上条さんがここまで学生らしい生活を送ったのは生まれて初めてでした、本当に美琴さんには感謝しております。これからは美琴さんの教えを守り、少しでも真っ当な学生生活を送れるよう頑張っていきたいと決意する所存であります」
「えっと、お礼を言ってくれるのは別にいいけど、なんでそういう挨拶になるわけ? 別に私、もうアンタの世話しないなんて言ってないじゃない」
「え、でも悪いだろ。どう考えたってそれじゃまるでお手伝いみたいじゃないか。お前は俺の彼女であって、お手伝いじゃない。第一俺はそういう目的でお前と付き合ってるわけじゃない。好きになったから付き合ってるんだ」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど。でもやっぱりアンタの世話はするわよ、私」
「なんで」
「私がしたいんだもん、アンタの世話。なんて言うか、アンタってほっとけないのよね。特にあのだらしない生活を見てると」
「う……」
 上条は思わず胸に手を当てて仰け反った。
「それに私のためでもあるのよ。補習や追試で全然二人の時間が取れなくなるのは絶対嫌だし、ただでさえ怪我ばっかりしてるアンタがだらしない生活で病気にでもなったら、私の心労がどれほどのものになるか。考えただけでぞっとするわ」
「ううう……」
 上条の仰け反りがさらに酷くなった。
「どう? これでも私がアンタの世話することに反対?」
 上条は再び土下座をした。それはもう、深く深く。
「何も言うことはありません、もう美琴様の仰ることに従いますです、はい。ですが、美琴様も女子中学生ですし、もう少しご自分の自由な時間を取られた方がいいのではないかと、わたくし上条当麻は思うのですが。具体的には後輩やご学友との憩いの時間なども取られた方が」
 上条の言葉に美琴は頬に指を当てる。
「確かに。それも一理あるわね。まあ、今日までのような付きっきりってのはしばらくないでしょうね。黒子達と遊んだりもしたいし」
「そうか」
 上条はほうっと息をついた。
「だ、け、ど」
 美琴はじろりと上条をにらみつける。
「また成績落としたり、だらしない生活送ったりしたらすぐにまた私の全面管理に戻るからね、アンタの生活は。覚えておきなさい」
「は、はい。上条さんは頑張ります!」
 上条はこくこくと激しくうなずいた。

 余談だがこの発言から二ヶ月後、上条の生活は再び美琴の管理下に置かれることになる。
 人間の性格、生活習慣はそう簡単には変わらないのである。

「うん。まあとりあえず、明日までにその体はちゃんと治しておいてね」
 上条の返事ににっこり微笑んだ美琴は台所に行き、何かを作り始めた。
 美琴の言葉を頭で反芻しながら、上条はうーんとうなり声を上げた。
「明日……? 明日? うーん。ああそうか、明日は俺もお前も修了式だもんな。よし、今日のお詫びもかねて二、三日、上条さんの身柄を美琴さんにレンタルしますよ。もう、とことんまで好きに使って下さいませ」
「ん? 二、三日じゃ済まないわよ、アンタの身柄預かるの。最低五日間」
「へ? そ、それはいったい……」
「うん、五日間、私とアンタは実家に帰ることになってるから。もう学園都市側の外出許可も下りてるし、今更変更きかないわよ」
「……え? え? え――――!!」
 学生寮中に上条の大声が響いた。



「絶対なんか間違ってるだろ、こんなの」
「アンタもしつっこいわね、いい加減諦めたら?」
「んなこと言ったって俺だって当事者なんだぞ。なのになんで出発寸前になるまでまったく話を聞いてないんだよ」
「……アンタ、そんな話聞く暇あったの? 勉強だけで死にそうになってたのに」
「……なかった」
「でしょ」
 二日後、上条と美琴は実家へ向かう電車に乗っていた。

 美琴が言った通り確かに上条と美琴、二人が学園都市を離れる許可は下りており、二人は春休み中の五日間、里帰りすることになった。
 しかし自身のあずかり知らぬ所で話が進んでいたことに対しての上条の不満は、美琴の報告から二日経っても未だ収まっておらず、上条はぶちぶちと愚痴り続けていた。

「だいたいなんで俺の分の申請まで美琴ができるんだよ。そこの時点でおかしいだろ」
「当麻の携帯といっしょにIDカードやらなんやら、身分証明に使える物は全て私が預かってたからでしょうね」
「だからといって本人いないのに外出申請通るって、どんなセキュリティだよ、学園都市……」
「もちろん普通じゃ通らないんだけどね、申請理由に私といっしょに里帰りって書いておいたのよ。そうしたらあっさりと」
「……は? なんだそれ」
「そのまんまの意味よ、私の申請理由は『里帰り』。アンタの申請理由も『里帰り、ただし同伴者は御坂美琴で目的地も同じ』。ほら、私達の実家って近所でしょ、だからそう書いておいたのよ」
「はあ」
「レベルの関係で私の申請の方が通るのに時間かかるから、先に私の方を出したのよ。でもって私の方が通った後でアンタの方の申請を出したら、一瞬で通っちゃった。手間取ったときのためにハッキングの準備までしてたから、正直拍子抜けしちゃったわよ」
「なんでそんなあっさりと……?」
 他にも突っ込みを入れたい美琴の発言だったが、上条はあえて無視して会話を続けた。
「そこでさっき言った申請理由がポイントになるわけね」
「えーと悪い、さっぱりわからない」
「だからさ、学園都市って能力者の誘拐を防ぐために発信機を付けたりするほど、私達の所在を把握するのに神経尖らせてるじゃない」
「まあな」
「けど裏を返せば所在さえ把握できれば、なんの問題もないってことでもあるわけよ。なら今回のように、私達が同じ目的地にいっしょに外出するってケースならどう? その場合は私かアンタ、どちらかの所在がわかれば学園都市はもう片方の所在も把握できてしまう。だったら私の申請を通すと同時にアンタの分の申請を通したって、何も問題はないでしょう。つまり私と、特にアンタの申請は、二人いっしょにっていう条件で通ったってこと。これがアンタの申請がすぐに通ったカラクリ。わかった?」
「え、えっと……」
 上条は視線をさまよわせた。どうも上手く理解が進まないらしい。
 美琴は軽くため息をついた。
「だから、ぶっちゃけた話、私達はこの旅行中ずっといっしょにいればいい。ううん、むしろずっといっしょじゃなきゃいけないってこと。これでわかった? どう、嬉しいでしょ」
「えっと、それはわかった。けど、他にも聞きたいことが――」
「嬉しいでしょ」
 美琴はぎゅっと上条の腕を抱く。
「…………」
 顔を朱くした上条は黙ってうなずいた。

「というわけでもうブツブツ文句言うのは止めなさい、男は諦めが肝心よ。さあ、もうお昼だしお弁当でも食べて」
「う、うん……」
 上条は美琴に差し出された弁当箱を開け、一口食べた。
「……あ、このオムレツ美味しい」
「でしょ、今日の自信作よ」
 上条の感想に会心の笑みを浮かべる美琴。
「…………」
 一方、黙々と美琴の作った弁当を食べ続ける上条。この時点で徐々に上条の頭から美琴の行動への文句は消えつつあった。

 御坂美琴14歳。
 彼女がこの若さで既に将来の伴侶である上条当麻を上手く操縦し始めているという事実に、幸か不幸か当事者である上条自身は気づいていない。
 いや、おそらく永遠に気づくことはないのだろう。



 弁当を食べ終わった上条はお腹をさすりながらゆっくりとうなずいていた。
「いやー食べました、食べました。さすが美琴さん、大変美味しゅうございました。上条さんは非常に満足でございますよ」
「お粗末様」
「ところで、どうして急に里帰りなんて考えたんだ?」
 上条は美琴に手渡されたペットボトルのお茶を飲みながら、美琴の方へ顔を向けた。
 美琴は手をパタパタと振った。
「え? えっとその、た、大した理由なんてないのよ、うん。たまには母さんに会いたいな、なんて思っただけで」
「たまにはって、大覇星祭の時に会ってるんだし、そんな久しぶりってわけでもないだろう」
「でも大覇星祭って秋だもん、やっぱり結構経つじゃない。そうよ、なんの問題もないの!」
 ムキになって反論する美琴を見ながら上条は首を傾げた。
「なんか隠してるのか?」
「え」
「どう考えても怪しいだろう、様子がおかしすぎる。それに大した理由もなく手間のかかる外出申請を出すわけないだろう。……ハッキングの準備までして」
「そ、そんな、別に……」
 そう言いながらも徐々に小さくなっていく美琴の声。
 上条は、はぁっと盛大なため息をついた。
「ここまで来たんだから引き返すなんて言わないし、よっぽどのことでもない限りお前のやることに反対なんかしないから、ほら、言ってみろよ」
 美琴は上目遣いで上条を見上げる。
「……怒らない?」
「怒らない」
「本当?」
「本当だ」
「本当に本当?」
「本当に本当だ」
「本当の本当に本当?」
「本当の本当に本当だ」
「私のこと愛してる?」
「もちろん世界中の誰よりも愛してるって、ちょっと待て!」
「何?」
 美琴はニヤリとした笑みを浮かべていた。その手にはなぜか録音モードの携帯電話が。
 上条は美琴をにらみつけ、低い声を出した。
「……録音、したのか、今の?」
「さあ、なんのことかしら」
 美琴はそしらぬ顔で、羽織っていたミリタリージャケットの胸ポケットにすっと携帯をしまった。ちなみに学園都市の外に出るため、さすがの美琴も今日は私服姿だ。
 上条は再度声を出した。
「携帯を貸せ。それが嫌ならせめて今録音したデータを消せ」
「嫌。どうしてもって言うなら取ってみなさいよ、ほら」
 美琴は胸を突き出すように上条に迫っていく。
 一瞬、美琴の胸に手を伸ばしかけた上条だったが、小さく舌打ちをしてその手を引っ込め、すっと美琴から目をそらせた。
「……卑怯、者め」
「当麻がヘタレだからいけないんでしょ。自分の彼女の胸も触れないの?」
「……うるせえ、俺はジェントルマンなんだ。中学生にそんなこと……できるもんか。……それよりもさっさと本当の理由言えよ。なんで里帰りなんだ」
 ふうと息を吐くと、表情を憮然とした物に切り替えて上条が呟く。
 美琴はポケットのボタンを留めながら、つまらなさそうに口を尖らせた。
「本当に怒らないでよね。その、向こうから言ってきたのよ、私達に会いたいって」
「向こうって、母さんがか?」
「そう。言い出しっぺはうちの母親みたいなんだけど」
「どうしてまた」
「……『美琴ちゃんの彼氏としての上条くんに会いたいな』って、そう言って」
 美琴は上条から視線をそらし、ポソッと呟いた。
「お、お前、俺達のこと美鈴さんに言ったのか!? なんで!」
「いいでしょ別に! やましいことなんて何もないんだし、売り言葉に買い言葉って奴よ! 母さんがあんまり私と当麻のことをからかうもんだから、つい言っちゃったのよ!」
 顔を真っ赤にして怒鳴る美琴を見ながら、上条は嫌な予感がひたすら脳裏をよぎるのを感じていた。
「な、なんて?」
「わた、私達は、その、ケ、コケケ、結婚、前提で付き合ってるんだから余計な心配するなって、言ってやったのよ!」
「あああ……」
 上条は額に手を当てた。
「そ、そそそうしたら母さん、私の母親として是非当麻に会いたいなって。で、どうせならその、詩菜さんもいっしょに会いましょうって。で、私も、だったら彼氏自慢してやるから覚悟しておけって、言っちゃって……」
 所々詰まりながらも美琴は事の顛末を話し終えた。
 上条はかぶりを振りながらがっくりと肩を落とした。もうどうにでもなれ、全身でそう語っていた。
 美琴は上条に不安そうに声をかけた。
「ね、ねえ。やっぱり怒った? 引き返す?」
「……いや、いい。遅かれ早かれバレることだし、別に構わない。けど、確認しておきたいんだが今回の話には父親達は絡んでるのか?」
「え、絡んでないと思うけど、なんで?」
「俺は、お前の親父さんには会ったことがない。向こうに行きました、御坂パパが待ちかまえてました、じゃさすがの俺もちょっと困る。上条さんだって少しはデリケートな心を持ってるんですよ」
 ほんの少しだが不安そうな表情を浮かべた上条を見て、美琴はニコッと笑みを浮かべた。
「確かにそうね。でも本当大丈夫よそれは。うちの父親、よくわからないコンサルタント業とやらで世界中飛び回ってるから基本的に日本にいないから。ただ、私が里帰りするって連絡はしてるはずだから、万が一だけどもしかしたらってこともあるかも。だからね、もしそうなったら」
「ああ、そうなったらそうなったで見苦しいまねはしないさ。男らしく腹括って、ちゃんと挨拶する。お前の彼氏として恥ずかしくないようにな」
「うん」
 美琴はぎゅっと上条の腕を抱きしめた。
「そういえば美琴、今回はいくらかかったんだ?」
 上条の言葉に美琴はきょとんとした表情になった。
「今回の旅行? 何心配してるの、今回はちゃんと私の分は私の、当麻の分は当麻の口座からお金引き落としてるわよ。さすがにこんな事まで私がお金出したら、アンタ本気で申し訳なさから逃げ出しかねないし」
「いやいやそれはちゃんと確認したからわかってるんだけどな、そうじゃなくてインデックスの食費のことだよ。小萌先生にいくらか渡してるんだろ?」
「うん、それは渡してるわよ、礼儀として。単純計算で私達が里帰りしてる五日間分の上条家の生活費全部に御礼を少々」
「……ま、妥当な線だな」
 上条は勉強漬けの日々からずっとインデックスを預かり続けてくれている小萌先生に、心から感謝した。
「それにしても、よくあの子が付いてくるって言わなかったわね」
「ああ、そのことか。なんつーか、やっぱり食事に負けたってことだな」
「食事?」
「ああ。ほら、今って春休みだろ。基本的に宿題とかはない。けど、新学期になったら小萌先生のクラスから離れる奴だって出るわけだろ。そういう奴らが日替わりで小萌先生を囲んでバーベキューやらなんやらをやるらしいんだ、小萌先生との別れを惜しんで」
「ふーん」
「一部には毎日参加する奴もいるけどな……」
「なるほど、そういう食べ物関係のお祭り騒ぎにアンタとの旅行は負けたってわけね」
「そういうことだ」
「……でも、あの子なりに私達に気を遣ってくれたのかもしれないわよ。お土産くらい、ちゃんと買って帰らないとね」
「そうだな……」
 上条は胸の中でざわつく妙な感情を流し込むように、ペットボトルのお茶を飲み干した。

「ところで美琴の方も白井は何も言わなかったのか? 男連れで里帰りなんてアイツが許すとは思えないんだが」
「あの子は風紀委員の活動があるからね。それに私が申請出してることもギリギリまで隠してたし」
「つまり白井が都合付けようにもそんな暇を与えなかったわけか」
「けどあの娘って妙なところで勘がいいからね、たぶん気づいてたと思う」
「じゃあその上で見逃してくれたっていうのか?」
「うん、たぶんね」
「そっか……。じゃあ白井にも何か土産買って帰らないとな」
「ええ」

 二人が今この場にいない友人達に思いを馳せていると、車内放送から鉄道唱歌が流れてきた。「汽笛一声新橋を……」で始まる懐かしの歌である。
「へー、なんかすげーレトロな歌だな。今時こんな歌、流れることなんてあるんだ」
 上条が車内放送に鉄道唱歌を選んだ担当者のセンスに感心している横で、美琴はいそいそと下車準備を始めていた。
「ほら、もうすぐ駅に着くわよ。アンタも降りる準備して」
「あ、あの歌ってそういう意味だったのか」
「そうよ、ローカルな単線の電車なんかで駅に着く時に流れたりするのよ。私も初めて聞いたけどね。たぶん電車の担当者が好きで、こういう設定にしたんでしょ」
「ふーん。さすがお嬢様、よくこんなこと知ってたな」
「お嬢様は関係ないでしょ」
 やがて電車は上条達の目的の駅に着いた。



 ホームに降り立った二人は、長い間座っていたためにこり固まった体を癒すかのように、大きく深呼吸をした。
「やれやれ、やっと着いたな。さ、行こうぜ」
 自分の分と美琴の分、二人分の荷物を持つとバス停に向かって上条は歩きだそうとする。ここから目的地まで、徒歩ではまだ時間がかかるためバスに乗らなければいけないのだ。
 だが、
「ん? どうした?」
 袖が引っ張られるのを感じた上条は立ち止まり、後ろを向いた。
 見るとうつむいた美琴がぎゅっと自分の袖を掴んでいる。
「どうしたんだよ、行かないのか?」
「…………」
 美琴は上条に返事をすることもなくずっとうつむいていたが、やがてぼそぼそと小さな声を出し始めた。
「あ、あのね、前からずっと考えてたんだけど」
「うん」
「今から母さん達に会うわけじゃない」
「そりゃそうだ」
「それで、アンタ私のことを『彼女』だって紹介するのよね」
「そのつもりだけど」
「じゃあもしね、学園都市の中で友達に私を紹介する時って、アンタ私のことをなんて紹介してくれるつもりなの?」
「そりゃ、『彼女』だって紹介するぞ。絶対『友達』なんて紹介はしないから。うん、ちょっと恥ずかしいが頑張って紹介する、任せとけ」
 上条はドンと胸を叩いて自慢げに言った。
 美琴はそんな上条をじっと見つめた。
「その、思ったんだけど、止めてくれる? 私のこと『彼女』って紹介するの」
「へ? 嫌、なのか? もしかしてお前の方が恥ずかしいとか? まあお前が嫌だってんなら、言わないけど。じゃあなんて紹介すればいいんだ? やっぱり『友達』か?」
「えへへ」
 美琴はここで軽く咳払いをし、にっこりと微笑んだ。一点の曇りもない、怖いくらいに完璧な微笑みだ。
「私ってさ」
「うん」
「私って、上条当麻の、アンタの『フィアンセ』でしょ。だから、私のことはそう紹介して」
「……は、はい?」
「フィアンセ」
「えと、いや、でもさすがにそれはちょっと……」
「フィ、ア、ン、セ」
「だから……」
「フィ、ア、ン、セ」
 美琴はその微笑みを少しも崩すことなく言い続けた。
 上条は美琴の笑みを見ながら、やがて絞り出すように声を出した。
「ふ、フィアンセ……」
「うん、よろしい」
「…………」
 このとき、上条は思った。
 自分がこの女性に勝てる日は果たしてくるのだろうか、と。


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