夏休みの終わりには
今日も元気な日差しが、学園都市に照りつける。
残暑というには少し早いが、それでも夏真っ盛りからは幾分マシにはなっていた。
―――8月31日
一般的に、夏休み最後の日という位置づけの今日。
人口の大半が学生であるこの街は、特にその色が強い。
課題に追われているのか、今日くらいは家でゆっくりしているのか、昼間だというのに人通りはまばらだ。
「んー、今日で夏休みも終わりかー」
「明日からは新学期。いきなり試験があるとか………不幸だ」
木陰に設けられたテラス席のような場所で、上条と美琴は優雅なティータイムを過ごしていた。
カフェオレのストローに口をつけ、美琴は椅子の背もたれに身体を預ける。
「まぁ、でもアンタも少しは出来るようになったんだし……なんとかなるでしょ? 課題に追われてるわけでもなし、成長著しいわね」
「誉められてんのか貶されてんのか……ま、今日みたいな日に、こうやってのんびり出来てる、ってのは良い事だな」
「感謝しなさいよね」
「まったくもって、美琴センセーのお陰です」
ははー、と首を垂れる上条に、美琴は満足そうに微笑む。
さらさらと流れた心地よい微風が、彼女の髪を撫でていった。
「そうだよなぁ……去年はここで古典とかやってたもんな」
「そうそう、私がせっかく声かけてんのに宿題とかなんとかで、全然話聞かないし……ったく、こっちの身にもなれっつーの」
「すっげぇ懐かしい気がするなー。確か、お前が、『恋人のふりしてくれ』なんて言い―――」
「だあああああああ!! 忘れろ、忘れろぉぉおおおおおおお!!」
「うおあっ!?」
ビリビリバッチン! と、美琴が放った雷撃の槍を右手で受け止める。
「あぶねぇだろ!!」
「アンタがいらない事言うからでしょ! なんでまだ覚えてんのよ!」
「いや、普通覚えてんだろ。『街中でいきなり可愛い女の子に抱きつかれて押し倒されましたー』なんてイベント覚えてないわけがねぇって」
カラカラと笑う上条に、美琴は不満の視線を向ける。
むっすー、と膨れっ面になった彼女は、ツンツンとした雰囲気を消そうともしない。
「で、いきなり走らされて、『今日一日恋人ごっこしなさい』だもんな」
「うっさいうっさい! あの時はちょっと気が動転してたのよ」
「で、ここに来てホットドッグ食べたんだったか」
「アンタ……結構覚えてんのね」
上条がちらりと視線を向けた先には、現代風屋台があった。
キャンピングカーを改造して作ったようなそれは、一年前と変わらずに営業を続けている。
どんな人間が2000円もするホットドッグを買って、さらには経営が成り立っているのかは未だに分からないが。
「また食べる?」
「お前が鼻にマスタードつけて涙目になるところまで再現してくれんなら」
「っ!?」
美琴は顔を真っ赤にしながら席を立つと、真っ直ぐにホットドッグ屋へと向かっていく。
正直、同じ2000円ならもっと良いものを、なんて事も思わなくもない。
ただ、赤面しながらもどこか嬉しそうな彼女に、そんな空気の読めない言葉を投げかけるほど上条も馬鹿ではなかった。
(アイツも変わったよなぁ)
店員さんからホットドッグを受け取る美琴を見ながら、上条はほっと一息をつく。
顔を合わせてはバチバチとしてきた時からは考えられない姿だ。
(一年か……色々あったよな)
好戦的でビリビリバチバチした姿も見た。
年上に対しても物怖じしない生意気な姿も見た。
悲しみに打ちひしがれ、絶望のそこにいる姿も見た。
普段の強気とは違う、弱く儚い姿も見た。
満面の笑顔も見た。
照れてふにゃふにゃになった姿も見た。
自分の危機に、身を呈して手を差し伸べる姿も見た。
(ほんっと……色んな顔見たよな)
支払いを終えた美琴が、こちらに振り返り鼻歌を歌いながら帰ってくる。
幸せそうな顔だった。
切り取って額に収めたくなるような、そんな風景に上条は頬を緩める。
コロコロとすぐに表情が代わって、百面相できそうな彼女ではあるが、上条はこの表情が一番好きだった。
「? なによ、ニヤニヤして」
「いや、なんでもねぇよ」
美琴からホットドッグを受け取り、上条は慌てたように表情を取り繕う。
急ごしらえのマジメな顔は一秒ほどしか保てず、内心から溢れ出てくるニヤニヤを隠しきれない。
「その顔でなんでもねぇ事はないでしょ……」
「擬人化美琴たん萌えー!」
「誤魔化すな! 一人でニヤニヤしてないで説明しろー!」
ぷんすこ、と地団太踏む美琴をスルーし、上条はホットドッグを頬張る。
相変わらず、憎らしいほどに美味しく、そして、それ以上に違いが分からない。
「ったく……そうやって、一人で楽しむのやめてよね」
「楽しい事も哀しい事も分けあいたい、って事ですか?」
「そっ……そんな事言ってな………まぁ、間違ってはないんだけど、さ」
「まぁ、あれだ。美琴は笑顔が似合うよな、って事ですよ」
「………誤魔化そうとしてない?」
してねぇよ、と言って、上条は再びホットドッグにかぶりつく。
そう言えば、一年前は、入れ替わり未遂があったんだっけかー、なんて思い返す。
「なんだよ?」
じーっとこちらを見てくる美琴に、上条は怪訝な顔で首を傾げる。
なんでもない、とかぶりを振るも、耳まで真っ赤になっているところを見ると、どうも『なんでもなく』はないらしい。
「折角だから、交換するか?」
「は?」
「いや、一年前は結局どうだったか分かんねぇけど……今年は交換して食べてみるか?」
上条の言葉に、美琴は手元にあるホットドッグと上条の持つそれを交互に見る。
上条がにまーっと表情を崩したのを視界にとらえた瞬間、美琴は酷くまじめな顔をしている自分を嫌悪した。
「っ!? なななな、なに言ってんのよ!」
「冗談だって。去年は入れ替わってたのかね?」
「その話はもう良いわよ! アンタは人の気も知らずに普通に食べちゃうし。まさか分かっててやってたんじゃないでしょうね?」
「間接キスねぇ……全然気づかなかった、わりぃ」
「わりぃ、で済む話じゃないわよ」
はぁー、っと大きく溜息をつく美琴に、上条は少しだけ空を見上げる。
夏らしい大きな雲がぷかぷかと浮いており、平和すぎるほど平和だ。
「謝罪も込めて直接キスしてやろうか?」
「んなっ!?」
ボンッ!! と音を立てそうなくらいの勢いで、美琴の顔が分かりやすく染まる。
いい加減になれて欲しい部分もあるが、からいかい甲斐あるという意味では凄く楽しい。
「一年前とは違う俺を見せればいいんだろ?」
上条は椅子から少しだけ腰を浮かせ、美琴の方へと身体を寄せる。
目を白黒させている彼女は、身体を仰け反らせた。
「馬鹿! ふざけんな! もっとこっちの気持ちも考えろ!」
「ニヤついた顔で言われてもな」
すとん、と上条は椅子に腰を下ろす。
一瞬だけ残念そうな顔をした美琴に気づいてはいたが、今はスルー。
部屋に帰ってから不意打ちしてやるか、なんていう悪戯を考えていたりはするが。
「ったく……人の気持ちを考えない、ってのは全ッ然変わってないわよ」
「そんな事言われてもなぁ……」
上条は頭を掻く。
自覚している部分ではあるのだが、それを含め、上条当麻という人間だ。
今更、性格の矯正なんてできないし、自分らしさであるとは思っていた。
「海原とは仲良くなろうとするし」
「アイツ良い奴だぜ?」
「勝手にどっか行っちゃうし」
「ちょっと色々あってな」
「変な約束はするし」
「あれは本心だったからな―――って、お前、なんでその事知ってんの?」
「えっ!?」
しまった、という表情で美琴が固まる。
海原の姿をしたアステカの魔術師との『約束』は、上条とその魔術師しか知らないはずだった。
当の本人である、美琴の意志も気持ちも無視したあの約束に関しては、彼女は一切聞いていないはずだった。
「お前………もしかして、聞いてた?」
「………………………………うん」
少し俯き加減で、美琴は首を縦に振る。
上条は一瞬だけ、考えこむような顔をした後、ふぅと息を吐いた。
「なんて勝手な奴だろう、って思った」
「そっか」
「あと、無自覚でそんな事言うな、馬鹿、ってのも思った」
「そっか」
「でも………アンタを気にしだしたのは、アレがきっかけだったのかも」
「……そっか」
そこまで来て、上条は表情を柔らかく崩す。
当時を思い出しているのか、恥ずかしそうな彼女の頭の上にポンと手を置く。
「それなら、あの『恋人ごっこ』にも感謝しなきゃな」
上条はそう言って、くしゃくしゃと美琴の頭を撫でる。
心地よい風が吹き抜け、楽しげな子供の声が遠くから聞えてきた。
「こうやって、今は『ごっこ』じゃなくなったんだし」
にっと、美琴に微笑みかける。
彼女は上条の視線から逃れるように目を伏せる。
「………うっさい、ばか当麻」
ゆっくりと、彼女の口元が緩んだ。