上カミコト琴ガタリ語 みことニャンコ
ふんふふ~ん♪、と鼻歌を歌いながら第7学区の並木通りをかっ歩する少女が一人。
言わずと知れた常盤台の超電磁砲、御坂美琴だ。
彼女は今、庶民とは縁の無い高級デパートに向かって歩いている。
『たまたま』上条が「今月は赤字かも知れない」と愚痴っていたという情報を入手した美琴は、
これから『たまたま』デパートで食材を買い、
その足で『たまたま』上条の住む学生寮へ行って『たまたま』食事の用意をする予定だ。
「全くもう~! 本当にめんどくさいんだから♪」
とてもそうは見えない。
と、その時だ。どこかでチリンと鈴の鳴った音がする。
何だろうと思い、美琴は音がした方に振り向いた。
すると一本の木の根元の土がこんもりと盛り上がっており、
「ミーコ」と書かれたアイスの棒が突き刺さっている。
タンポポのお供えと、形見と思われる首輪もそっと置かれながら。
「…鳴ったのは首輪【これ】…かぁ……」
首輪には鈴がついており、さっきは風か何かでそれが鳴ったのだろう。
名前が自分と似ているという事もあり、美琴はその場でしゃがんで合掌をする。
すると再び
鈴がチリンと鳴った。
◈ ◘ ◈ ◘ ◈ ◘ ◈ ◘ ◈ ◘
「……とうま? これは何なのかな?」
「焼いたちくわですが何か?」
「『何か?』じゃないんだよ! 今日の夕ご飯がちくわとお米だけってどういう事なのかな!?」
「しゃあねーだろ! 我慢しなさい!」
上条家の食卓がいつにもまして悲しい状況なのには二つ理由がある
一つは、先程説明したように金欠だからだ。
元々ギリギリでカツカツな生活だったが、今月は更に治療費【よけいなけいひ】も出費されているので、
非常事態となっていた訳である。
では何故、治療費を支払わなければならないか。それはもう一つの理由とも直結している。
上条は今、右手を骨折していた。
実は先日、車にひかれそうな少女を助けた(ついでに新たなフラグも建てた)のだが、
その時運悪く、ゴキリとやっちまった訳だ。
まぁ、彼の体が頑丈なのか医者の腕がいいからなのか、全治3日で済んだのだが。
ともあれ、ギプスと包帯で利き手【みぎて】が封印されている今の彼には、複雑な料理はできない。
かと言って外食しようにもお金が無い。
よって、白飯と魚の練り物のみという、竹輪定食【わびしいゆうしょく】が出来上がったのである。
泣くのは心の中だけで、せめて顔では笑ってやってほしい。
インデックスは納得していないようだが、どうしようもないのも事実なので、
しぶしぶ「いただきます」をする。
上条がスプーンでご飯をすくって食べようとした(左手だと箸が持ちにくい為)時、
玄関のドアをゴンゴンと叩く音がした。
チャイムがあるのにわざわざノックをするという事に若干の違和感を感じながらも、
上条はドアを開けて客人を迎え入れる。
「はいはい、どちら様でせうか?……って何だ。美琴か」
上条の目の前には、美琴が立っている。
しかしどこか、雰囲気がいつもと違うような気がしてならない。
「どうしたんだ? こんな時間に―――」
「うにゃっ!!!」
上条が言いかける前に、美琴がガバッと飛びついた。
そしてそのまま上条と一緒に転倒する形で勢い良く押し倒すと、
「にゃう~ん♪」
と首をゴロゴロさせながら、上条の胸に顔をスリスリと擦ってきた。
あまりの唐突かつ訳の分からない、そしてありえない現象に、
上条はいくつもの疑問符を空中に浮かび上がらせた。
「とうま!? どうしたのかな!?」
誰かが倒れる音を聞き、何事かと心配してインデックスが駆けつけた。
だが心配してきてみれば、そこにはとうまと短髪が組んず解れつな状態が繰り広げられている。
なので彼女は再び同じ質問をする。
「…とうま? どうしたのかな…?」
ただし、ギラリと歯を光らせながら。
「いや! 俺にも何が何だか!!」
インデックスは、上条の膝の上で丸くなっている美琴をまじまじと(そしてイライラしながら)見つめ、
ある結論を出した。
「これは猫神なんだよ」
「猫神?」
頭に歯型がくっきりとついている上条は、禁書目録【このてのせんもんか】の意見に耳を傾ける。
「犬神や狐憑きと同じ『憑き物』の一種で、
死して生者に憑依する猫の霊魂…つまりは思念体の事を言うんだよ。
ただし必ずしも人に害するという訳でもなくて、例えば猫神を祀っている神社には―――」
「はいはーい、ストップストップ」
魔術的な話をさせると長くなる上に、上条にはチンプンカンプンなので、強制的に終了させる。
上条が知りたいのは、この状況を打破する為の解決方法だけなのだ。
「で、どうすりゃ元に戻るんだ?」
「う~ん……呪い…みたいな物だから、以前みたいにとうまが右手で触れば治ると思うけど…」
「骨折【これ】じゃあなぁ……」
上条の幻想殺しは直接触れなければ発動しない。
つまり、ギプスと包帯で阻まれている今の状態では、いつもの様に幻想を殺せないという訳だ。
「他に方法はないのか? まぁ、いざとなったらギプス外すけどさ」
「多分、この世で何かやり残した事があると思うんだよ。未練がなくなれば自然と成仏するかも」
「未練ねぇ……」
膝の上で幸せそうにゴロゴロしているにゃん琴の様子を見るに、とてもそんな風には思えない。
「美琴自身はこのままの状態で危険はないのか?」
「それは問題ないかも。あまり悪い霊でもなさそうだし」
それを聞いてとりあえずホッとする上条である。
「じゃあとりあえず今日はウチに置いておくか。幸い明日は休日だし、何とかするのは明日にしようぜ」
暢気にそんな提案をする上条に、インデックスはガタッと立ち上がった。
上条的には大した問題ではないが、インデックス的には大問題である。
「ちょ、ちょっと待って欲しいんだよ!! そそ、それって短髪をウチに泊めるって事なのかな!?」
「いやだって、こんな状態で美琴を帰す訳にはいかないだろ?
確かに常盤台って門限とかに厳しいみたいだけど、その辺は白井がフォローしてくれるだろうし」
「私が言いたいのはそこじゃなくて!!!」
「じゃあ何だよ?」
本気でキョトンとする上条に、インデックスは怒る気力も失っていく。
「……もう、いいんだよ………好きにすればいいかも……」
「? お、おう」
上条はインデックスのついた大きなため息の理由が分からず、
とりあえずじゃれてきたにゃん琴の頭を撫でた。
「ほれほれ、こっちだぞ~」
「にゃう! みゃう! …にゃっ!!!」
上条は今、ねこじゃらしを武器ににゃん琴と戦っている。
幸いこの部屋には「スフィンクス」という同居人…もとい同居猫がいる為、
装備品【ネコのあそびどうぐ】には事欠かない。
だがそのスフィックスさん本人は言うと、
「に゛ゃーっ!!!」
断末魔を上げている。
それもそのはずだ。彼は今インデックスに抱かれている状態なのだが、
その抱き締める力が尋常ではない。
どちらかといえば、×抱き締める → ○締め上げる である。
分かっているのだ。上条は猫の霊を成仏させる為に頑張っているのだと。
本格的な調査は明日だし、何が未練かまでは分からないが、
もし遊んであげる事で猫が満足してくれるならその方が断然早い。
それは分かっている。分かっているのだが、やはり気に食わない。
だって見た目的には、ただひたすら上条と美琴がじゃれあっているようにしか見えないから。
(我慢…我慢なんだよ……)
そう心の中で自分を言い聞かせながら、ますます両手には力が入る。
「に゛ぎゃーっ!!!」
というスフィンクスがギブアップする声も耳に入らないほどに。
「よーし、じゃあ次はボールな。ほいっ!」
上条がピンク色のカラーボールをひょいっと投げると、
「みゃっ!!!」
とにゃん琴が両手で掴んだ。
「おー! すげーすげー。いい子だなぁ~」
なので上条は、にゃん琴の首を撫でて褒めてあげる。にゃん琴も、
「うみゅ~……」
と気持ちよさそうな声で鳴く。
もう一度言う。見た目的には、ただひたすら上条と美琴がじゃれあっているようにしか見えない。
「やっぱり何か嫌なんだよっ!!!」
インデックスも我慢の限界を迎え、
上条の頭皮目掛けて、本日二回目となる噛み付きダイブを決行した。
小さな命【スフィンクス】が救えたのなら、犠牲になった上条の頭も浮かばれる事だろう。
夜も更け、明日に備えて早めの消灯をする。
にゃん琴を床に寝かせる訳にもいかず、インデックスと一緒にベッドで寝かせる事になった。
上条は勿論、いつものように浴槽だ。
にゃん琴は上条に懐いているが、さすがに一緒に寝る訳にはいかない。
なのだが……
電気を消して30分ほど経ったころだろうか。
浴室のドアをガリガリと引っ掻く音がする。まるで猫が爪を研ぐかのように、だ。
おそらく、にゃん琴が眠れずに遊び始めたのだろう。と、上条はそう考えていた。
明日は美琴を元に戻すべく、何かしらの事件に巻き込まれるであろう事を覚悟していた上条は、
せめて前日はゆっくり休みたいと思っていたが、このままの状態ではうるさくて寝るに寝られない。
仕方なく上条は浴室のドアを開けた。にゃん琴が遊び疲れて眠るまで遊び相手になってやろうとして。
なのだが……
浴室に足を踏み入れたにゃん琴は、何と言うか、妙な雰囲気だった。
荒い息使い、トロンとした目、上気した頬、乱れた服装【パジャマ】……
艶かしいというか艶っぽいというか色っぽいというか。
つまりこれは、
「もっ! もしかして発情していらっしゃるうううううぅぅぅぅぅ!!!?」
という事らしい。
猫には定期的な発情期がなく、それには個体差がある。
そして美琴に取り憑いたこの猫は、それが正に『今』らしい。
今思えば、妙に人懐っこかったのは発情前後に行う、「擦り付け」の行動だったのではないだろうか。
にゃん琴は上条に覆いかぶさり、強引に上条の服を破くと、
耳から首筋、首筋から胸へ、チロチロと舐め回していく。
これからナニするために、自分の匂い【フェロモン】を付けまくっている…のかも知れない。
「にゃう~ん……」
と甘えた鳴き声で擦り寄ってくるにゃん琴に、紳士を自称する上条さんでも理性を保つのは困難である。
「お、おおお落ち着け美こt…じゃなくて……えっと…ってそういやこの猫の名前知らねーよ!!!
いや、今はそれ所じゃない!! とにかく落ち着いてくれえええぇぇぇぇ!!!」
「みゅ~……」
猫に人間の言葉が解る訳もなく、にゃん琴は容赦なく上条の体を舐めまくる。
しかし何故急に?と疑問を持つのと同時に、上条はその答えかも知れないものを導き出す。
「ま…まさか……繁殖行動【これ】がお前の『やり残した事』…?」
インデックスは言った。未練がなくなれば自然と成仏すると。
しかしながら、もし上条の推理が間違っていたら……
いや、たとえ間違っていなくても、『それ』をする訳にはいかない。
仮に問題が解決したとしても、美琴本人に大きな『傷』ができる。
それはもう、一生をかけても償いきれない傷になること請け合いだ。
というか、色々な意味で新たな問題を引き起こすだろう。
だが一考できる余裕はなさそうだ。
にゃん琴の舌は、徐々に上条さんの下半身へと向かっている。
先程上条は「いざとなったらギプスを外す」と言ったが、今がその『いざ』である。
上条は包帯とギプスを無理やり剥ぎ取る。
右手にズキリと鈍い痛みが走るが、気にしている暇もない。
そして骨折した右手でにゃん琴の頭に触れながら、
「悪霊退さーん!」
とベタな掛け声で叫ぶ。霊能力などないくせに。
するとにゃん琴が、
「ぎにゃっ!!?」
と一言鳴き、体をビクンと仰け反らせる。
そのままヘナヘナと力が抜けた様子で、上条にもたれかかった。
「あ…れ…? ここ…は?」
「よ…よう、美琴」
無事にゃん琴から美琴に戻ったらしく、彼女は頭をふらつかせながら周りを見渡す。
やれやれだ。
右手の痛みがぶり返してきた。完治が少し延びてしまったかも知れない。
だがまぁ、これで何より……
という訳にはいかない。
美琴は取り憑かれてから今までの記憶はないらしい。
つまり、目が覚めたら『今の状況』だったのだ。
さてここで問題だ。
状況1、真っ暗な部屋。
状況2、下に敷かれた布団。
状況3、服装が乱れて半裸状態の男女。
状況4、上条に寄りかかる自分。
状況5、自分の頭に優しく触れている右手。
状況6、上条の体中をてらてらと光らせる唾液の跡。
以上の事から、何も知らない少女は『何が起こった』と想像するだろうか。
「は…えっ……な………ふ………」
美琴の顔が目に見えて赤く染まっていく。
上条は慌てて片手を上げて制する。
「ちょ、ちょっと待て美琴! 今から何があったのか一から全部説明すっから!!」
だがこの一言がとどめとなった。
『一から全部説明する』というのは、美琴からしたらつまり―――
この直後、美琴は人生最大級の「ふにゃー」をした。
後に残されたものは、全壊した浴槽とその弁償代。
全治10日まで延びた上条の体(右手の骨折に加え全身の感電)。
この騒ぎで起きて駆けつけたインデックスの噛み付き100連発。
膨大な時間をかけて解かなければならない誤解。
そして最後に、解いてもなお取らなければならない、上条の『責任』…であった。