例えアンタが私の事を全て忘れてしまったとしても
「記憶…喪失…?」
カエル顔の医者からその言葉を聴いた瞬間、美琴の背筋がゾッと凍りついた。
ここはいつもの第七学区の病院。
体の調整をしている妹達は勿論、白井や佐天もお世話になった場所である。
そして今、美琴が立っている病室には、この病院の常連客とも言える上条が入院している。
どうやら上条がいつもの様にいつもの調子で、どこかの誰かを救う為に戦ったらしいのだが、
その際に敵からの一撃で頭を殴打され、記憶を失ってしまったのだと言う。
美琴は風紀委員から、事件の事と上条が入院しているという事実を聞き、
こうして見舞いにやってきた訳だが、彼の担当医の診断結果を耳にして戦慄したのだ。
上条はそれまでにも一度(食蜂の事もカウントすれば二度ではあるが)記憶をなくしており、
美琴はその事を知っている数少ない人物である。
再び彼が全てを忘れてしまったという事が、とても恐ろしく感じたのだ。
自分とのこれまでの思い出も、全て消えてしまったかと思うと―――
しかしそんな美琴の心情を察したのか、カエル顔の医者は上条を診察しながら、
美琴だけでなく『この場にいる全員』にも聞こえるように安心材料を伝える。
この病室には今、美琴の他にも3人の見舞い客が居るのだ。
「とは言っても『今回』の症状は殴打された事による物理的なショックが原因だからね?
そんなに心配しなくても、しばらくすれば回復するんだね?」
「ホ、ホントですか!?」
「当然だね? 僕を誰だと思っている?」
ホッとする美琴。続いて初春が質問する。
「あの……しばらくって、時間的にはどれくらいなのでしょうか…?」
「そうだね…少なくとも今日中には治るだろうね?
ただ脳に刺激を与えれば、早く回復する可能性もあるんだね?」
それを聞いた佐天が、どこからともなく鉄バットを取り出した。
「あ、あの! じゃあこれは役に立ちますか!?」
「ん~…確かにショック療法というやり方もあるにはあるけれど、
出来れば物理的な刺激ではなく、精神的な刺激がいいんだね?
それと病院内でそんな物騒な物を持ち歩かないでくれるかな?」
言いながら、医者は佐天からバットをやんわりと没収する。
そのやり取りを聞いていたインデックスが、ぽそっと呟いた。
「今日中って事は、晩ごはんまでには間に合うのかな?」
「それは保障できかねるけれど、どっち道、退院するのは明日以降なんだね?」
「むぅ…それは残念かも…」
「…アンタ、随分と暢気ね。コイツの事が心配じゃないの?」
上条の体よりも夕食の心配をするインデックスに食って掛かる美琴だが、
インデックスもムッとして反論した。
「私だってとうまの事は心配したもん!
でも短髪より早く病室【ここ】に居たから、とっくに診断結果も聞いてたんだよ!
だから記憶喪失も大した事じゃないって知ってたんだもん!
遅れてお見舞いに来た短髪とは違うんだよ!」
「は、はあぁっ!!? わ、私だってもっと早く知ってれば、すぐに来てたわよっ!」
言い争う美琴とインデックスを見た初春と佐天は、すぐさま二人の関係を見抜いた。
(ここここれってつまり修羅場って奴ですか佐天さんっ!!?)←小声
(そうみたいだね。う~ん、三角関係か…御坂さんも大変だね、こりゃ)←小声
初春と佐天は小声で話している為、美琴とインデックスには声が届かず、
二人の言い争いはそのまま継続中である。
「それでも短髪は遅すぎるんだよ! 本当にとうまの事を大切に思っているのかな!?」
「たっ、たたた、大切って何よ大切って!
つーかそれなら、私が来るまでに他にお見舞いに来た人が居るって言うの!?」
「いっぱい来たんだよ! 私に、オティヌスに、ひょうかに、あいさに、まいかに、こもえに、
せいりに、あいほに、せりあに、まりあに、みさきに、クールビューティーが13人。
それからでんわーで連絡があったんだけど、イギリスからこっちに向かって来てるのが、
かおりと、いつわと、オルソラと、アニェー…」
「ストップストップ。うん…もういいわ」
インデックスは完全記憶能力者であり、見舞いに来た客
(それまで面識の無かった者も何人かいたが、病室で軽く挨拶しただけでも、
インデックスが顔と名前を記憶するには充分である)
の名前を順番通りに言ってみせるインデックスではあるのだが、
言っているインデックスも聞かされる美琴も、双方げんなりしていた。
上条【このやろう】、どんだけだよと。
しかもサラリと『みさき』の名前がある事が余計に腹立たしい。
その二人の様子を見た初春と佐天は、顔を真っ赤にする。
(ぬふぇ~~~っ!!! かかか、上条さんどれだけモテモテなんですかっ!!?)←小声
(さ、三角関係どころじゃないね! しかも海外【イギリス】からもアプローチって!)←小声
そんな中、今まで成り行きを黙って見ていた入院患者【かみじょう】が、
おずおずと会話に割って入ってきた。
「あ、あの~? それで皆さんは、俺とどういうご関係なのでせうか…?
インデックスさんとは、どうやら同居しているらしいんですが…」
「「どどどど同居っ!!!?」」
事情を知らない初春と佐天は、驚きのあまり大声で聞き返す。
病院内ではお静かに、という常識も吹っ飛んでしまう程に。
これはマズイ。非常にマズイ。
上条の普段の鈍感一直線な態度から察すると、上条が同居人【インデックス】と、
アレやコレやしていないのは明らかではあるが、
しかしそれでも美琴にとって、とんでもない壁【ライバル】である事は間違いない。
その上、上条が予想以上に女性にモテるという問題も発生した。
だが肝心の美琴はツンデレ全開で全く素直になれず、
上条も鈍感な為に美琴の気持ちに全く気付いていない。
今はまだ他のライバル達と膠着状態にあるようだが、美琴がこのままグズグズしていては、
いつ上条がNTRれてしまうか分からない事態なのだ。
と、初春と佐天は、この時初めて知ったのである。
が、次の瞬間、佐天は自分の脳裏に悪巧み【いいアイデア】を思い浮かばせる。
このピンチをチャンスに変える一手を。
「…上条さん。あたし達とどういう関係か、と仰いましたよね…?」
「え、ええ、まぁ…」
「えっとですね。こちらにいる方、名前を御坂美琴さんと言うのですが」
「はぁ、御坂さんですか」
「御坂さん」と他人行儀に呼ばれて、胸がズキッと傷む美琴。
しかし、すぐにそんな余裕も無くなる事となる。佐天からの、
「実は上条さん! この御坂さんとお付き合いしてたんですよ!」
「「「な、なんだってー!?」」」
「しかもお二人のご両親も公認してて、婚約も済んでて、
キスは勿論のこと一線も越えてると、この界隈ではもっぱらの噂です!」
「「「な、なんだってー!?」」」
爆弾発言によって。
ちなみに「なんだってー」と大声を出したのは、上条、インデックス、そして美琴である。
記憶の無い上条と、当人ではないインデックスは分かるとして、
付き合っていたなら何故、美琴まで驚愕しているのだろうか。
「ちょっ、何、言っ、佐て、いや、わた、待っ、あの、ど、どういう事っ!!!?」
「ですから、上条さんに『本当の事』を教えてあげようかと思いまして。
それに脳への刺激は早く回復するのにいいんですよね!?」
「確かにそう言ったね? …ふむ、恋人との会話か。良いアイデアかも知れないよ?」
医者も佐天の茶番に乗っかったようだ。
彼は患者を助ける為ならば治療の手段を選ばない医者【おとこ】である。
そして今の彼が最も優先する事は上条の記憶の早期回復なので、
佐天の提案した、上条の「脳への刺激」が最も期待される方法に同調したのだ。
故に、『本当に上条と美琴が付き合っているかどうか』など、知ったこっちゃないのである。
が、そこに納得できない者が一人。
「ちょっと待ってほしいんだよ! とうまと短髪は別に付き合モゴッ!?」
と間違った情報を訂正しようとしたインデックス。
しかし背後から初春に羽交い絞めされた挙句、口を塞がれた事で未遂に終わる。
初春が行ったのは、大覇星祭のフォークダンス事件の際、白井にやった事と同じだ。
この場に白井がいない事で余裕ができ、標的をインデックス一人に絞れたのである。
ちなみに件の白井はと言えば、上条とイザコザを起こした犯人達の事情聴取中だ。
初春は非番なので見舞い【こちらがわ】だが、もしここに白井がいたら、
佐天の作戦もご破算になっていた事だろう。危ない危ない。
「と、言う訳で…邪魔者【あたしたち】は出ますんで、お二人で仲良くイチャラブってください♪」
「そ、そそそれでは失礼します!」
「もごもご、もごーっ!!!」
「次の回診は3時間後だからね? それまでごゆっくりと?」
勝手な事を言いながら、4人は病室を後にした。
インデックスは初春に引きずられながら、強引に、ではあるが。
そして病室に残された患者とそのガールフレンド(仮)は、
顔を真っ赤にしたまま口をパクパクとさせたのだった。
◇
病室に取り残された二人は、お互いに顔を俯かせていた。
「…あ、あの、御坂…さん。その…お、お友達が言っていた事は本当なのでしょうか…?
その……お…俺と御坂さんが、つ…付き合ってて、しかも…えっと……
い…一線を超えてしまっているというのはっ!!?」
「わひゃっ!!? え、えええええと、そそ、それは何と言いますかそのっ!!!」
俯いたまま、とりあえず今現在で一番の疑問をぶつけてくる上条。
美琴もどう返して良いのか分からず、ただただテンパる。
違うなら違うとハッキリ言えば良いだけなのに、そうしないのは何故なのか。
「も、もしも本当だったら…俺、ちゃんと御坂さんに責任取りますから……」
「……ちょ、ちょっと待って」
上条が何かとんでもない事を口走っている気がするが、ここは置いておこう。
それよりも美琴には、気に入らない事がある。
「さっきからアンタ、私に対して他人行儀すぎない?
そりゃ今のアンタからしたら、私は初対面の人なんだろうけど、
私からしたらアンタはいつものアンタなのよね。
だからその…さん付けとか敬語とかやめてくれないかしら?」
「っ! そ、そうで…いや、そうだよな。恋人に敬語ってのは違う…よな」
「あっ!!? い、いいいやだからこっ、こここ、恋人とかそういうんじゃなくてねっ!?」
「けど俺、いつも何て呼んでたのかも分からないから…」
「はぇっ!? あ、ああ、うん。名前で呼んでくれればいいわよ。美琴って―――」
言いかけてハッとした。ちょっとした欲が出たのだ。
せっかくだから、いつもと違う呼び方をされちゃってもいいんじゃないかと。
「み、みみみ美琴…ちゃん! って、普段は呼んでるわね! 私の事!」
「そ、そっか。…じゃあ、美琴ちゃん」
「~~~っ!!!」
自分から「ちゃん付け」で呼ばせたクセに、激しく身悶える美琴。思わずゾクゾクしてしまう。
何だろう。この嬉しいような恥ずかしいようなイケナイ事しているような、そんな複雑な気持ちは。
「美琴ちゃん? どうかしたのか?」
「にゃにゃにゃにゃんでもにゃいからっ!!! き、きき、気にしないでっ!!!」
明らかににゃんでもにゃさそうな様子ではあるが、
普段の美琴を知らない上条は、これが美琴の普段の姿なのだろうと勝手に解釈する。
それは当たっていないが、当たっている。
上条が記憶をなくす以前から、美琴は上条と対面すると『大体こんな感じ』だったのだから。
そんな美琴を見つめ、上条はふとある事を思う。
「なぁ、美琴ちゃん。俺が記憶なくす前、どんな風に付き合ってたのか教えてくれないか?」
「ふわっ!!?」
「美琴ちゃん」呼びにまだ慣れない様子の美琴。
もう一度言うが、この呼び方は自分から呼ばせたモノである。
「いや……あの医者の先生が言うには、今日中には記憶が戻るらしいけど…
でもやっぱり知りたいんだ。俺と美琴ちゃんが、今までどんな事をしてきたのか」
「あ、え、えっと…そ、そう、ね―――」
そこから美琴は上条との思い出を語った。
最初の出会いは最悪だった事、自分が何度も勝負を挑んだ事、恋人のフリをした事、
自分とその周りの世界を守ると誓ってくれた事、大覇星祭で賭けをした事、
競技中に上条が乱入してきて自分を押し倒した事、一緒にフォークダンスを踊った事、
ハンディアンテナサービスのペア契約をした事、その際ツーショットを撮った事、
上条を探しにロシアまで追いかけた事、今度は一緒に戦える為にハワイへ同行した事、
一端覧祭の準備期間中に胸を触られた事、列車の上で初めて上条が自分を頼ってくれた事、
デンマークで上条を抱き締めた事、アクロバイクで二人乗りした事、
そして何度も自分を助けてくれた事―――
思い出を楽しそうに語る美琴を見つめながら、上条は聞き入っていた。
何一つ思い出せないが、彼女がこれだけ嬉しそうに語るのならば、やはり自分と美琴は…
(やっぱり俺と美琴ちゃんは恋人だったんだな…早く思い出してあげたいな)
上条はふっと薄く笑った。
しかし何かいい話風に話が進んでいるので、ここらでツッコんでおくが、
そもそも、元々付き合っていないからねこの二人は。
だが記憶の無い上条には、そんな事が分かる訳もなく、
いい感じに打ち解けてきたこのタイミングで、最初の最大の疑問を再びぶつける。
「―――それでね! その時アンタが学舎の園に潜り込んで」
「美琴ちゃん」
「たから私が……へっ!? あっ、な、何?」
「もう一度聞くけど…その……お、俺たちって一線を越えちゃってる訳…だよな?」
「……えっ!!? ぇあ……そ、れは…あの! ……………はぅ…」
その話題を持ち出されると、縮こまってしまい言葉を発する事も困難となり、
「それは違うよ!」と論破する事もできなくなってしまう。
本当は一線を越えるどころか、まだ付き合ってすらいないのに。
だが恋人だと思っている上条(美琴が否定しないのも原因)は、
ここでとんでもない提案をしてくる。
「じゃあ、さ。その…キ…キスとかしてみない…か…?」
「…………………………へ?」
美琴の時が止まった。
「あー…だから、そこまで進んでるならキスくらい何度もしてるだろうし、
美琴ちゃんとキスすれば、脳への刺激にもなるんじゃないかと…思いまして…」
恥ずかしそうに頬をポリポリとかきながら、しかし中々に大胆な事を言ってくる上条。
美琴は見る見るうちに顔を完熟トマトのように赤くさせる。
「え……ええええええええええええっっっ!!!!?
ちょちょちょちょままままま待って!!?」
顔を超高速で左右に振りながら、美琴は両手を前に出して距離を取る。
いくら何でも、ここは拒否する必要があるだろう。
「いいいいやほらまだっ!!! こ、こここ、心の準備ができてないからっ!!!」
しかし微妙に拒否しきれていない気がする。心の準備ができたらキスしても良いのだろうか。
が、次の瞬間、運良く(悪く?)この事は有耶無耶になる事となる。
「と~~~う~~~ま~~~っ!!!!!」
「あ痛ぁーっ!!?」
ガラリと病室のドアが開いたと思ったら、瞬きする間にインデックスが病室に突入し、
疾風怒濤の勢いで上条の頭にかじりついたのだ。
どうやら初春の拘束を解いて急いで駆けつけたようだが、
むしろここまでインデックスの動きを封じていた初春に称賛を送りたいものである。
頭をかじられた事で(物理的な)刺激が与えられた上条。
この瞬間、上条の脳内が一気に冴え渡る。
「思い…出した!」
そう、上条は全てを思い出した(当然7月28日以前の記憶は依然として戻らないが)のだ。
思い出したが故に、上条は三度目となるこの疑問を口に出した。
「……あれ? でもだったら、俺と美琴『ちゃん』が付き合ってて一線も越えてるって、
どういう事なのでせう?」
瞬間、美琴はついに顔を爆発させたまま気絶し、インデックスの歯は益々上条の頭に食い込み、
初春は赤面して「ぬふぇ~」と呟き、佐天は面白い物を見たと言わんばかりにニヤニヤしていた。
どうやら初春と佐天は、病室を出た後もドアを少し開けて、中の様子を覗いていたようだ。
カエル顔の医者が回診しに来るまで残り2時間弱。
ここにいる5人がこっぴどく怒られるまでの時間も、残り2時間弱である。