『直接診ないことにはきちんとしたことは言えないけど、俗に言う青風邪という
やつだね? 季節の変わり目だし、湯冷めして身体を冷やしたんだろう。頭を
打っているのも気になるから、落ち着いたら一度病院に連れてくると良い。市販
の薬でも効かないことはないけど、こちらできちんと処方した方が治りも早い
からね?』
やつだね? 季節の変わり目だし、湯冷めして身体を冷やしたんだろう。頭を
打っているのも気になるから、落ち着いたら一度病院に連れてくると良い。市販
の薬でも効かないことはないけど、こちらできちんと処方した方が治りも早い
からね?』
第7学区の病院に勤務するカエル顔の医者は、電話口の向こうでそう言った。
「あの子――インデックスが、『薬草を探してくるんだよ!』とか言って飛び出
して行ってしまったんですけど」
『……彼女のことだからたぶん東洋医学的な手法で治そうとしているんだろう
けどね? 確かに理に適った処置はするだろうけど、あくまでそれは素人判断
だからね? 下手なことはせずに僕に診せることをお勧めするよ』
「ですよね」
して行ってしまったんですけど」
『……彼女のことだからたぶん東洋医学的な手法で治そうとしているんだろう
けどね? 確かに理に適った処置はするだろうけど、あくまでそれは素人判断
だからね? 下手なことはせずに僕に診せることをお勧めするよ』
「ですよね」
呆れ交じりに話す声に、美琴は苦笑する。
『ただ、東洋医学や民間療法が悪いわけでもない。君も知っているだろうけど、
漢方治療や食事療法なんかはどこの病院でも行われていることだからね?
つまり今の君にもできることはあるということだ。引き始めの症状からして
身体を温めてやることが重要だから、冷えないように汗を拭いたり、生姜や
ニラなんかを使ったものを食べさせてやると良い。ネットで検索するとすぐ
出てくるだろう。あとはぬるま湯に入れて上げたりとか、そんなところだね?
風呂に入れるくらいならまずは病院に連れてきて欲しいところだけど』
漢方治療や食事療法なんかはどこの病院でも行われていることだからね?
つまり今の君にもできることはあるということだ。引き始めの症状からして
身体を温めてやることが重要だから、冷えないように汗を拭いたり、生姜や
ニラなんかを使ったものを食べさせてやると良い。ネットで検索するとすぐ
出てくるだろう。あとはぬるま湯に入れて上げたりとか、そんなところだね?
風呂に入れるくらいならまずは病院に連れてきて欲しいところだけど』
生き埋めの洞窟に光が射したようだった。迷惑をかけたと自分を責めたまま、
震えて動かなかった背中を押された。ただそれだけのことだったが、なんだか
美琴は救われた気分になる。
震えて動かなかった背中を押された。ただそれだけのことだったが、なんだか
美琴は救われた気分になる。
「あの、今朝、中華風のスープを作ったんです! ニラだったらそれに入れて
るし、生姜をおろしてご飯を入れて、お粥っぽくしたら……!」
るし、生姜をおろしてご飯を入れて、お粥っぽくしたら……!」
しおれていたはずの美琴の声が、今は水を得たみたいに高い。希望に触れた
ようなその声音に、カエル顔の医者はいっそう穏やかな調子になって、言う。
ようなその声音に、カエル顔の医者はいっそう穏やかな調子になって、言う。
『良いんじゃないかな。とにかく体力を戻してやることが大切だからね?
美味しいものや滋養があるものを少しでも食べさせてやると良い。幸い、君は
料理が上手なようだからね? あの子たちにも何か作ってあげて欲しいぐらいだ。
病院食ばかりでは舌も退屈だろうし、お菓子なんて作ったら喜ぶだろうね?』
美味しいものや滋養があるものを少しでも食べさせてやると良い。幸い、君は
料理が上手なようだからね? あの子たちにも何か作ってあげて欲しいぐらいだ。
病院食ばかりでは舌も退屈だろうし、お菓子なんて作ったら喜ぶだろうね?』
『あの子たち』と言われて、美琴は自分とまったく同じ姿の、妹達(シスターズ)
について思いを巡らせる。そういえば「お姉様」とは呼ばれているのに、姉らしい
ことなどほとんどしたことがないと、美琴は気が付いた。
しかし、とにかく今は上条のこと、である。
について思いを巡らせる。そういえば「お姉様」とは呼ばれているのに、姉らしい
ことなどほとんどしたことがないと、美琴は気が付いた。
しかし、とにかく今は上条のこと、である。
「ありがとうございます、先生。起きて、病院に行く時、またお電話します」
『正しい判断だ。だけどもう一つ、言っておきたいことがあるね?』
『正しい判断だ。だけどもう一つ、言っておきたいことがあるね?』
そこで一拍を置いて、カエル顔の医者は言う。
『未成年飲酒というのは、あまり関心ができないね? 興味のある年頃だろうし、
僕にも経験はあるからわかるけれど、医師として放っておくことはできない。
急性アルコール中毒を発症すれば死に至ることもあるし、君たちの場合は依存
症のリスクも高い。今回彼が風邪を引いたのだって無関係ではないんだよ?
ビールやサワーは身体を冷やすからね?』
「……ごめんなさい」
僕にも経験はあるからわかるけれど、医師として放っておくことはできない。
急性アルコール中毒を発症すれば死に至ることもあるし、君たちの場合は依存
症のリスクも高い。今回彼が風邪を引いたのだって無関係ではないんだよ?
ビールやサワーは身体を冷やすからね?』
「……ごめんなさい」
叱咤の声は、先ほどまで聞いていたものよりずっと厳しい音をしていて、美琴は
しゅんとしてしまう。気持ちの後ろめたかった部分をまっすぐに指されて、反省する
以外に仕様がなかった。
それを慰めるように、美琴を許すように、電話の声は元に戻る。
しゅんとしてしまう。気持ちの後ろめたかった部分をまっすぐに指されて、反省する
以外に仕様がなかった。
それを慰めるように、美琴を許すように、電話の声は元に戻る。
『君という人間は正直で、素直なんだね? そういう姿勢はなくさない方が
良い。男はそういう女の子を好きになるものだからね?』
良い。男はそういう女の子を好きになるものだからね?』
それはちょっと偏った話ではないかと、美琴は曖昧に笑う。携帯電話を握る
右手が妙に落ち着かなくて、左手で抑えた。
右手が妙に落ち着かなくて、左手で抑えた。
「私は別に……まだ、そんなのは良いです」
『とぼけるなよ。ならどうして君は今彼の部屋にいるんだい――と、こんなことを
言うのは医師の仕事から外れているかな。そろそろ失礼するよ? お大事にね?』
「は、はあ。ありがとうございました」
『とぼけるなよ。ならどうして君は今彼の部屋にいるんだい――と、こんなことを
言うのは医師の仕事から外れているかな。そろそろ失礼するよ? お大事にね?』
「は、はあ。ありがとうございました」
来たる美琴の反論から逃れるように、電話は切られてしまう。ツーツー、と
通話の終了を知らせる電子音を聞きながら、美琴は瞳を泳がせる。むろんその
漂着先は少年の寝顔の上で、心臓が一度鐘を打った。思わずさっきの言葉を
反芻する。どうして君は今彼の部屋にいるんだい。どうして。その答えを一つ
一つ取り上げるみたいに、美琴の視線が上条に落ちる。ツンツンしている頭、
ガーゼを貼った額、意外に長いまつげ、意思を示すように伸びる鼻先、そして、
その下の――
パンッ、と静かな部屋に軽い音が鳴る。両頬がじんと痛んで、それから熱を
持つ。叩いた頬の感触で雑念を埋めると、美琴は深い息をついた。
通話の終了を知らせる電子音を聞きながら、美琴は瞳を泳がせる。むろんその
漂着先は少年の寝顔の上で、心臓が一度鐘を打った。思わずさっきの言葉を
反芻する。どうして君は今彼の部屋にいるんだい。どうして。その答えを一つ
一つ取り上げるみたいに、美琴の視線が上条に落ちる。ツンツンしている頭、
ガーゼを貼った額、意外に長いまつげ、意思を示すように伸びる鼻先、そして、
その下の――
パンッ、と静かな部屋に軽い音が鳴る。両頬がじんと痛んで、それから熱を
持つ。叩いた頬の感触で雑念を埋めると、美琴は深い息をついた。
今は何より、上条当麻なのだ。彼の身体が第一なのだ。美琴は台所に掛けた
エプロンを取って、背中のひもを結ぶ。
できることからやっていこう。それが全てで、それが始まりだ。
エプロンを取って、背中のひもを結ぶ。
できることからやっていこう。それが全てで、それが始まりだ。
ふいに触れた外気の冷たさに、上条当麻は覚醒する。ただ、いまだ目はつぶっ
たままで、まずは違和感のようなものがあった。どこか温かい場所にいたはずで、
そこから引きずり出されたような感覚。そう、これは朝、布団をはぎとられる
感じに似ている。けれどもどういうわけか右手だけには温もりがあって……。
射してくる眩しさにこらえながら、上条はまぶたを開く。
たままで、まずは違和感のようなものがあった。どこか温かい場所にいたはずで、
そこから引きずり出されたような感覚。そう、これは朝、布団をはぎとられる
感じに似ている。けれどもどういうわけか右手だけには温もりがあって……。
射してくる眩しさにこらえながら、上条はまぶたを開く。
「……」
そして、美琴と目があった。ほとんど真正面に瞳を据えて、美琴は面食らった
ように目を見開いている。おぼろげな記憶を参照するなら上条は自分のベッド
まで運ばれたはずで(実にそれは数カ月ぶりのことだ)、仰向けに寝ているらしい
この状態で美琴とまっすぐ向き合う体勢というと、それはかなり限られたものに
なるだろう。
ように目を見開いている。おぼろげな記憶を参照するなら上条は自分のベッド
まで運ばれたはずで(実にそれは数カ月ぶりのことだ)、仰向けに寝ているらしい
この状態で美琴とまっすぐ向き合う体勢というと、それはかなり限られたものに
なるだろう。
「……」
さて、上条の着ているワイシャツは上から三つめまでボタンが外されており、
胸板が半分ほど露出している。美琴が上条の上で四つん這いになっているので、
おそらく彼女が外したのだろう。思わず暴れかけて、何気に右手が拘束されて
いることを知る。いや、拘束というよりはぎゅっと握り込まれており、どうも
それは美琴の左手と繋がれているようだ。
ここまで状況を確認して、ようやく上条はわかった。美琴は自分の服を脱が
そうとしている。片手でボタンをはずし、もう一方の手はなぜか上条の手を握って
いる。嬉し恥ずかしの事態であるのは間違いなかったが、どうにも上条は理解
できずに戸惑う。
胸板が半分ほど露出している。美琴が上条の上で四つん這いになっているので、
おそらく彼女が外したのだろう。思わず暴れかけて、何気に右手が拘束されて
いることを知る。いや、拘束というよりはぎゅっと握り込まれており、どうも
それは美琴の左手と繋がれているようだ。
ここまで状況を確認して、ようやく上条はわかった。美琴は自分の服を脱が
そうとしている。片手でボタンをはずし、もう一方の手はなぜか上条の手を握って
いる。嬉し恥ずかしの事態であるのは間違いなかったが、どうにも上条は理解
できずに戸惑う。
「良かった、起きたんだ」
だからそう言って美琴が微笑んだことも、上条にしてみれば掴めないことだった。
「ごめんちょっとじっとしてて。身体の汗、拭くところだから」
「え、うええぇぇ!?」
「な、なによ。変な声出して。その、身体を冷やしちゃダメってことだし、
仕方なく私は……」
「え、うええぇぇ!?」
「な、なによ。変な声出して。その、身体を冷やしちゃダメってことだし、
仕方なく私は……」
美琴がぶつぶつ言っているのは置いておいて、大体の事情を把握する。見ると、
ちゃぶ台には絞ったタオルが置かれている。おそらく電子レンジで温めたのだろう、
白い皿の上で湯気を立てていた。
美琴の指が四つ目のボタンに伸びて、上条はその動きを止めた。図らずも
両手を握った状態で、二人は静止する。
ちゃぶ台には絞ったタオルが置かれている。おそらく電子レンジで温めたのだろう、
白い皿の上で湯気を立てていた。
美琴の指が四つ目のボタンに伸びて、上条はその動きを止めた。図らずも
両手を握った状態で、二人は静止する。
「どうしたの? は、早く済ませないと逆に身体が冷えちゃうわよ?」
「い、いや。身体を拭くぐらいなら自分できるかなあ、と。ていうかなんで
右手握ってんの?」
「これは、なんていうかその……ろうでんたいさく」
「え?」
「だああぁ、もう! とにかく大人しくしてなさいよ。自分でできるたって
背中に手ぇ届かないでしょうが。私だって恥ずかしいんだしさっさと済ませるわよ!」
「い、いや。身体を拭くぐらいなら自分できるかなあ、と。ていうかなんで
右手握ってんの?」
「これは、なんていうかその……ろうでんたいさく」
「え?」
「だああぁ、もう! とにかく大人しくしてなさいよ。自分でできるたって
背中に手ぇ届かないでしょうが。私だって恥ずかしいんだしさっさと済ませるわよ!」
剣幕に押されて、仕方なく上条は従うことにする。ただし背中だけだとあら
かじめ念を押して、服は起き上がって自分で脱いだ。その間に、慌てたように
美琴はベッドを降り、いそいそとおしぼりの準備をする。
かじめ念を押して、服は起き上がって自分で脱いだ。その間に、慌てたように
美琴はベッドを降り、いそいそとおしぼりの準備をする。
「タオル熱すぎない? 大丈夫?」
「うん、や、大丈夫だ。気持ち良くて天にも昇る気持ちですよーっと」
「き、気持ち良いってアンタ……」
「うん、や、大丈夫だ。気持ち良くて天にも昇る気持ちですよーっと」
「き、気持ち良いってアンタ……」
背中で動いていた美琴の手が止まって、上条は怪訝に思う。どうしたのかと
訊ねようとすると、パンッ、と背後で軽い音が鳴って遮られた。何事もなかった
ように汗拭きの作業は再開される。
訊ねようとすると、パンッ、と背後で軽い音が鳴って遮られた。何事もなかった
ように汗拭きの作業は再開される。
「どうかしたのか?」
「な、なんでもないっ」
「な、なんでもないっ」
実際にはそんなことは全然なく、美琴の口の中では、「平常心、平常心」と
上条にも聞こえないぐらいの声音の呪文が唱えられていたわけだが、もちろん
聞こえないので上条は気が付かない。なぜかまた焦り始めた美琴に首を傾げる
ばかりである。
上条にも聞こえないぐらいの声音の呪文が唱えられていたわけだが、もちろん
聞こえないので上条は気が付かない。なぜかまた焦り始めた美琴に首を傾げる
ばかりである。
背中を拭き終わり、美琴はタオルをこちらに渡すと台所の奥へ消える。
「食欲ある? つか、なくてもちょっとは食べておいて欲しいところなんだけど」
「ぶっちゃけ腹は減ってるんだけど、なんというか、かったるいかな」
「中華スープにご飯ぶち込んでお粥にしたけど、食べられる?」
「うーん。実際目にしてみないことには何とも……」
「そっか。それにしても予想より元気そうねアンタ。倒れた時はどうなること
かと思ったけど、安心したわ」
「いや、実際けっこう辛いんだけど、なんというか」
「?」
「ぶっちゃけ腹は減ってるんだけど、なんというか、かったるいかな」
「中華スープにご飯ぶち込んでお粥にしたけど、食べられる?」
「うーん。実際目にしてみないことには何とも……」
「そっか。それにしても予想より元気そうねアンタ。倒れた時はどうなること
かと思ったけど、安心したわ」
「いや、実際けっこう辛いんだけど、なんというか」
「?」
きょとんとした顔つきをして、美琴はオープンキッチンのカウンターから
こちらを覗いてくる。対して上条はあくまで首を捻った。
こちらを覗いてくる。対して上条はあくまで首を捻った。
「うーん、辛いはずなんだけどな。でも気分が楽というか、何なんだろう?」
「いや、訊かれても。知るわけないでしょアンタの身体のことなんだし。
……まあ何にせよ余裕はあるみたいだし、それで十分ね」
「いや、訊かれても。知るわけないでしょアンタの身体のことなんだし。
……まあ何にせよ余裕はあるみたいだし、それで十分ね」
台所に引っ込んで、美琴はまた食事の準備にかかる。上条が身体を拭き終わ
ってワイシャツのボタンを止めた頃に、美琴は温め直したらしいお粥を盆に
載せてリビングまで運んできた。ほくほくと白い湯気をたたえており、胃袋が
きゅっと縮まるのを上条は感じる。
ってワイシャツのボタンを止めた頃に、美琴は温め直したらしいお粥を盆に
載せてリビングまで運んできた。ほくほくと白い湯気をたたえており、胃袋が
きゅっと縮まるのを上条は感じる。
「なんだか俄然食欲が増してきた上条さんですよ」
「あはは。かわいいもんね。でも、セーター出したからまずはこれを着なさい」
「あはは。かわいいもんね。でも、セーター出したからまずはこれを着なさい」
美琴はちゃぶ台に盆を置いて、上条がおしぼりを返すのと引き換えにセーター
を渡してくる。袖を通し、頭にかぶって襟口から顔を出すと、見えたのは粥を
スプーンに一すくいしている美琴だった。強張った頬を膨らませてその一すくい
に息を吹きかけており、まだ上条にはその意図を掴めない。というよりは、
掴みたくなかった。
を渡してくる。袖を通し、頭にかぶって襟口から顔を出すと、見えたのは粥を
スプーンに一すくいしている美琴だった。強張った頬を膨らませてその一すくい
に息を吹きかけており、まだ上条にはその意図を掴めない。というよりは、
掴みたくなかった。
「は、はい! あーん!」
「やっぱりかい!! しかもなんだか気合の入った声だし! あーんとかする
時の声じゃねえし!」
「な、なによ。確かに気恥ずかしいのもそりゃそうだろうけどウチで風邪ひいた
時はいつもしてもらってたし、普通じゃないのよ!?」
「そりゃお前がまだ幼稚園児とかそういう時代の話だろうが! 重病人じゃ
あるめえし高校生にもなってそんなことしねえよむしろご褒美じゃねえかそれ!!」
「やっぱりかい!! しかもなんだか気合の入った声だし! あーんとかする
時の声じゃねえし!」
「な、なによ。確かに気恥ずかしいのもそりゃそうだろうけどウチで風邪ひいた
時はいつもしてもらってたし、普通じゃないのよ!?」
「そりゃお前がまだ幼稚園児とかそういう時代の話だろうが! 重病人じゃ
あるめえし高校生にもなってそんなことしねえよむしろご褒美じゃねえかそれ!!」
錯乱し過ぎてうっかり本音を漏らしている上条である。幸いその部分に深い
言及はなされず、美琴はしばらく無言で俯いて、やがてぱくりと行き場をなく
したスプーンを口に入れた。
言及はなされず、美琴はしばらく無言で俯いて、やがてぱくりと行き場をなく
したスプーンを口に入れた。
「言われてみれば、アンタの言う通りかもしれない。……ちょっと気合を入れ
過ぎてたのかな、私」
過ぎてたのかな、私」
もそもそと声を漏らす美琴だったが、上条はといえば彼女の行いにびっくり
して声の内容など全く聞き入れてはいなかった。
して声の内容など全く聞き入れてはいなかった。
「お、おま。かゆ、食べて」
「え? だって味見するのまだだったし、アンタが食べたら私これに口付け
られないし……って、うん?」
「え? だって味見するのまだだったし、アンタが食べたら私これに口付け
られないし……って、うん?」
やっと何かに思い至ったらしい美琴は手のスプーンを見下ろし、それから
上条を見て(具体的にはもっとピンポイントに「どこか」を見ていたような
気がするが、考えないことにする)、またスプーンに視線を戻す。体温計の
ごとく、みるみる赤くなっていく美琴の顔があって、
上条を見て(具体的にはもっとピンポイントに「どこか」を見ていたような
気がするが、考えないことにする)、またスプーンに視線を戻す。体温計の
ごとく、みるみる赤くなっていく美琴の顔があって、
「な、なななぁああ!?」
それは叫び声になって爆発した。起床してから見てなかった紫電が、ばちばちと
スプーンの銀を巡る。
スプーンの銀を巡る。
「い・い・いやいや何言ってんのよアンタ馬鹿じゃないのこの年になって
カ、か・間接キスなんて意識してんじゃないわよ! ほら何も気にすること
なんてないんだからこれさっさと食べるのよ食べなさい食べろってのよ!」
「明らか帯電してるスプーンを押しつけんのはやめろ殺す気かテメエ!?
つーかちょっとは気にしやがれ中学生!」
「ちゅ、ちゅ中学生なのは別に関係ないじゃない! だいたい最初に気にしな
かったのはアンタでしょうが!」
「何の話だよいったい!?」
カ、か・間接キスなんて意識してんじゃないわよ! ほら何も気にすること
なんてないんだからこれさっさと食べるのよ食べなさい食べろってのよ!」
「明らか帯電してるスプーンを押しつけんのはやめろ殺す気かテメエ!?
つーかちょっとは気にしやがれ中学生!」
「ちゅ、ちゅ中学生なのは別に関係ないじゃない! だいたい最初に気にしな
かったのはアンタでしょうが!」
「何の話だよいったい!?」
渾身の叫びを訊き返されてしまって、「うっ」と美琴は詰まる。まあ、ホット
ドックの一件を気にしていたのは美琴だけだったのだし、無理のないことでは
あった。
で、そんなふうに微妙に認識を異にしている上条だから、美琴が言葉を持て
余して唇をぱくぱくと開閉したり、瞳をそわそわさせて俯いたりするのを不可解
にしか感じない。一悶着はあったものの上条の右手にスプーンを握らせ、でも
それから背を向けてしまって、やがてぽつりと言う。
ドックの一件を気にしていたのは美琴だけだったのだし、無理のないことでは
あった。
で、そんなふうに微妙に認識を異にしている上条だから、美琴が言葉を持て
余して唇をぱくぱくと開閉したり、瞳をそわそわさせて俯いたりするのを不可解
にしか感じない。一悶着はあったものの上条の右手にスプーンを握らせ、でも
それから背を向けてしまって、やがてぽつりと言う。
「……めしあがれ」
「ん? ああ、いただきます」
「ん? ああ、いただきます」
ぎゃあぎゃあ騒いだり水を打ったように静かになったり、目まぐるしい場の
テンションの移り変わりにいい加減に慣れてしまっている上条なので、美琴の
態度の変容を素直に受け入れて中華お粥に取り掛かることにする。
湯気立つ粥にスプーンを差して、空虚な胃に流し込まれていくその味は、
なんだかとろけるようだった。
テンションの移り変わりにいい加減に慣れてしまっている上条なので、美琴の
態度の変容を素直に受け入れて中華お粥に取り掛かることにする。
湯気立つ粥にスプーンを差して、空虚な胃に流し込まれていくその味は、
なんだかとろけるようだった。
「どう? 食べられそう?」
背を向けながらもちらちらと横目に上条を観察して、美琴は言った。
「いやあ、むしろおかわりしたいぐらいです」
「そ、そっか。そっか」
「そ、そっか。そっか」
なぜだか美琴の方が噛みしめるような調子でそう言って、落ち着かないふう
にゆらゆら背中を前後に揺らした。あぐらをかいているせいで身体の全体像が
丸く、どことなく倒れても起き上がるダルマ人形を思わせた。
にゆらゆら背中を前後に揺らした。あぐらをかいているせいで身体の全体像が
丸く、どことなく倒れても起き上がるダルマ人形を思わせた。
「ごめん、インデックスがほとんど食べちゃって。今あんたが食べてる分で
終わりなのよ」
「まあ、いつものことか。つーかインデックスはいずこに?」
「薬草採ってくるとかで飛び出したっきりだけど」
「へー。へー……そうなのかあ」
終わりなのよ」
「まあ、いつものことか。つーかインデックスはいずこに?」
「薬草採ってくるとかで飛び出したっきりだけど」
「へー。へー……そうなのかあ」
いつかの記憶が呼び覚まされる。まあその種の災厄はもう一度パンドラの箱
に詰め込むことにして、上条は目下の粥に意識を集中することにする。不幸と
いう言葉は呑み込んで、今は目の前の幸せを享受しよう。
しかし上条当麻とは人が知るより厄介な性格の持ち主で、不幸体質の自分が
わけなく幸福を拾うとどこか悪い気がしてくるのである。大金を拾うと何とな
く交番に届けたくなるのと同じで、だが幸せを届け出る場所などどこにも存在
しないし、結局は持て余すことになる。
もしこれが他人の幸不幸にまで関わってくるとすればたまったものじゃない
なと、上条は神裂火織のことを思い出した。自分も彼女もそうだが、幸運や不運
といった運命的なものを恒常的に考えるのはあまり身体に良いことではないの
かもしれない。自分のどうにもならないところで立場が決定されるというのは、
たいてい悲劇の部類に当てはまりそうなことだった。
てか、やっぱまた不幸だの考えてるんじゃねーか、と気が付く。しみついた
思考法というのはなかなか変えられないものらしい。上条は気を取り直すよう
に首を振って、止まっていたスプーンを動かそうとして、
に詰め込むことにして、上条は目下の粥に意識を集中することにする。不幸と
いう言葉は呑み込んで、今は目の前の幸せを享受しよう。
しかし上条当麻とは人が知るより厄介な性格の持ち主で、不幸体質の自分が
わけなく幸福を拾うとどこか悪い気がしてくるのである。大金を拾うと何とな
く交番に届けたくなるのと同じで、だが幸せを届け出る場所などどこにも存在
しないし、結局は持て余すことになる。
もしこれが他人の幸不幸にまで関わってくるとすればたまったものじゃない
なと、上条は神裂火織のことを思い出した。自分も彼女もそうだが、幸運や不運
といった運命的なものを恒常的に考えるのはあまり身体に良いことではないの
かもしれない。自分のどうにもならないところで立場が決定されるというのは、
たいてい悲劇の部類に当てはまりそうなことだった。
てか、やっぱまた不幸だの考えてるんじゃねーか、と気が付く。しみついた
思考法というのはなかなか変えられないものらしい。上条は気を取り直すよう
に首を振って、止まっていたスプーンを動かそうとして、
「ねえ、大丈夫?」
それで、美琴が問い掛けている。不安げに瞳に影を落として、横から上条を
覗きこんでいる。昨夜と同じパターンで、今度は美琴だった。
覗きこんでいる。昨夜と同じパターンで、今度は美琴だった。
「突然顔を青くしたり、と思ったら俯いて固まってるし、気分が悪いの?
やっぱり食欲ない?」
やっぱり食欲ない?」
訊かれて、上条は戸惑う。同時に首も捻る。何を戸惑うことがあったのかと
思ったのだ。自分は気を遣われているのであり、心配されているのであり、
それは別にうろたえたりすべきものではないはずだった。
答えない上条にますます不安を募らせたようで、美琴は眉根を寄せる。
思ったのだ。自分は気を遣われているのであり、心配されているのであり、
それは別にうろたえたりすべきものではないはずだった。
答えない上条にますます不安を募らせたようで、美琴は眉根を寄せる。
「本当に辛いなら無理しない方が……。お粥なんてすぐに作れるし、無理して
食べる必要なんてないのよ?」
「い、いや」
食べる必要なんてないのよ?」
「い、いや」
そういうわけではないので、上条は首を振る。空腹は感じているし、ちゃんと
食欲もあった。食べたくないということは、まずない。
食欲もあった。食べたくないということは、まずない。
「いや……」
しかし上条は、腑に落ちない。自分の否定が指しているのは本当にそれだけ
だろうか? 食欲とか、そんなうわっつらな身体の調子以上に、もっと先に
否定すべきことがあったのではないか?
美琴を見る。何かに答えあぐねている上条のことを、まぶたにわずかな怪訝
を乗せつつも、彼女はじっと待っている。献身に努めようとするように、じっと。
そうして少年は、心に動きがあるのを自覚する。彼のためにと五感をそばだてて
いる彼女を見つける。自分は今までそういう視線に気が付かなかったのだと、
気が付く。それはたいそう不幸なことだったろうと。
だろうか? 食欲とか、そんなうわっつらな身体の調子以上に、もっと先に
否定すべきことがあったのではないか?
美琴を見る。何かに答えあぐねている上条のことを、まぶたにわずかな怪訝
を乗せつつも、彼女はじっと待っている。献身に努めようとするように、じっと。
そうして少年は、心に動きがあるのを自覚する。彼のためにと五感をそばだてて
いる彼女を見つける。自分は今までそういう視線に気が付かなかったのだと、
気が付く。それはたいそう不幸なことだったろうと。
上条は頭を振り、美琴は首を傾げた。
「たぶん、嬉しかったんだよ。それだけだ」
眼前にはきょとんと口を半開きにした美琴の顔があって、それはみるみる
うちに紅潮していく。だが美琴は今度こそその理路がわからなかったらしく、
混乱した様子で頬に手を包んだ。正体不明な身体の反応に瞳は精いっぱい疑問符
を浮かべていて、口許は「それ」を言語化しようと何度も開きかけるのだが、
言葉にはならない。命名できない感情がそこにあった。
うちに紅潮していく。だが美琴は今度こそその理路がわからなかったらしく、
混乱した様子で頬に手を包んだ。正体不明な身体の反応に瞳は精いっぱい疑問符
を浮かべていて、口許は「それ」を言語化しようと何度も開きかけるのだが、
言葉にはならない。命名できない感情がそこにあった。
「……あ、アンタは」
美琴はやっと声を出して、だがそれは本来言葉にしようとしたものとは違う。
「変なこと言ってないで、ほら、さっさとそれを食べる! 食べたら病院に
行くんだからね。私、電話してくるから」
行くんだからね。私、電話してくるから」
美琴は逃げるように立ち上がると、ついでに身支度も整えるつもりなのか、
自分の衣服を部屋からかき集めて、洗面所へと向かった。
自分の衣服を部屋からかき集めて、洗面所へと向かった。
「なあ、御坂」
洗面所のドアを開いた美琴に向けて、上条は呼びかける。
「あのさ、あんまり無理はしなくていいからな」
「? どういうことよ?」
「いや、さっきもそわそわしていたしさ。もしも寮のことが気になるなら」
「そんなこと!」
「? どういうことよ?」
「いや、さっきもそわそわしていたしさ。もしも寮のことが気になるなら」
「そんなこと!」
美琴は目をむいて叫ぶ。距離が離れているはずなのに、詰め寄るようだった。
その剣幕にちょっと驚きつつも、上条は言う。
その剣幕にちょっと驚きつつも、上条は言う。
「御坂のお粥が美味くてさ、なんだか元気が出てきたんだよ。病院ぐらいなら
一人でも行けそうだし、それにこのまま部屋で大人しくしてるだけで治りそう
な気もするし」
「そ、そんなこと。……そんなの、困る」
「え?」
「う、えあ――。もう、うるさい! 病人は黙って看病されてれば良いのよ! 寝ぼけたこと言ってないでさっさと食え!」
一人でも行けそうだし、それにこのまま部屋で大人しくしてるだけで治りそう
な気もするし」
「そ、そんなこと。……そんなの、困る」
「え?」
「う、えあ――。もう、うるさい! 病人は黙って看病されてれば良いのよ! 寝ぼけたこと言ってないでさっさと食え!」
バタンと強い力でドアが閉じられて、上条はため息をつく。黙って看病され
てれば。全くその通りだと思う。逆の立場ならば彼だって、きっとそう言った
だろうから。
では、どうして美琴にあんなことを言ってしまったのか。上条はがしがしと
頭を掻いて、再びため息をついた。
てれば。全くその通りだと思う。逆の立場ならば彼だって、きっとそう言った
だろうから。
では、どうして美琴にあんなことを言ってしまったのか。上条はがしがしと
頭を掻いて、再びため息をついた。
「ったく、素直じゃねえよなあ。何をガキみたいなことしてるんだか」
今日はじめて気が付いたのだが、自分はけっこう不器用な性格らしい。
扉の向こうにいる美琴を、今どんな顔をしているだろうかと思いを馳せる。
舌の上、彼女の味を転がしながら。一噛みごとに仕草を浮かべて。粥を食べる。
扉の向こうにいる美琴を、今どんな顔をしているだろうかと思いを馳せる。
舌の上、彼女の味を転がしながら。一噛みごとに仕草を浮かべて。粥を食べる。