とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

Part13

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風の辿り着く場所


 美琴は病室のドアの前で深呼吸を一つ、咳払いを一つ。
 ここは上条がよく利用するいつもの病院の個室で、上条は入院すると例外なくこの個室に収容される。美琴も何度かここへ足を運んだことはあるが、彼女として訪れるのは今日が初めてだ。
 面会時間終了まであと三〇分。
 美琴は不吉な予感を振り払うように首を横に振って、笑顔を作って、病室のドアをノックすると『お邪魔します』と言って室内に足を踏み入れる。
 予想通り、ベッドの上にはツンツン頭の少年が静かに横たわっていた。
 上条はわずかに空けられた窓の方を向いて、夜の風に揺れるカーテンを黙って見つめていたが、美琴の入室に振り向くとわずかに眉をしかめて

「あのう、もしもし? 失礼ですけど、君、部屋を間違えてませんか?」

 丁寧で、慎重で、何かを探るような、聞き覚えのない誰かの声だった。
 上条当麻『だった』少年は、ベッドの上から体を起こして
「それとも君は、俺の知り合い……なのか? 見たところ俺より年下みたいだけど」
 キョトンとした表情で美琴を見ている。
「どうしたの? 君、何かつらそうだ」
「う、嘘……アンタ、まさか、記憶、が……」
 フランスにいる上条からかかってきた電話で、美琴は偶然上条が記憶喪失であることを知ってしまった。上条の身に何が起こって記憶を失ったのかまでは知らないが、上条が常に寿命を削って美琴の知らない影で戦い続けた事を知った。
 あの時と同じ冷や汗が全身から吹き出していくのが分かる。
 体の震えが全身を包んでいく。
 美琴を襲った不吉な予感は目の前で現実に変わった。
 美琴の平和な日常はこの日終わりを告げた。

 命を削って、拳を握って、誰かのために戦って、自分の折れない芯のために立ち向かって。
 上条当麻は御坂美琴の前から姿を消した。

 あのう? 大丈夫ですか? という不安そうな、美琴を気遣う少年の声が聞こえる。
「……、」
 唇を動かしても声が出ない。顔から血の気が引いていくのが分かる。
「―――君は、誰?」
 少年の問いかけに、美琴は不気味に掠れた声をようやく絞り出して
「……アンタ、覚えてないの? 私の名前は御坂美琴。常盤台中学の二年生よ」
「―――中学? じゃあもしかして俺も中学生、なのか?」
「……アンタ、覚えてないの? 私の能力はレベル5の電撃使いで通り名は『超電磁砲』。学園都市に七人しかいない超能力者の第三位よ」
「―――『超電磁砲』? れーるがんって……何? レール……電車が好きなのか?」
 美琴の通り名を聞かされてもピンと来ないのか、少年は『不思議なあだ名だね』と苦笑している。
 上条当麻だった少年は、御坂美琴のことを覚えていなかった。
 何一つ。
 何も。

 おめでとうと言って笑ってあげたかった。
 よくやったねと言ってほめてあげたかった。
 何にもできなかった。何にもしてやれなかった。
 今の美琴にできるのは、帰ってきた『かつては上条当麻だった』少年に過去を語ることだけ。

「……アンタ、覚えてないの? アンタの名前は上条当麻って言うのよ」
「―――かみじょうとうま……? それって誰? それが俺の名前なのか?」
「……アンタ、覚えてないの? アンタはその右手で私の電撃も何もかも打ち消すのよ」
「―――でんげき? うちけす? 俺って手品でもやってたのか?」
「……アンタ、覚えてないの?」
 美琴は震える己を叱咤する。上条の中から美琴に関する全ての記憶が失われても、これだけは言っておかなければならなかった。
 たった一つのわがままを。
「アンタは私の彼氏で、私はアンタの彼女で、私はアンタを世界で一番……一番愛してんのよ! アンタは……こんな大事な事も忘れちゃったの?」
 美琴は押し殺すように叫ぶ。
 嘘だろう? と少年は言った。
「―――かれし? かのじょ? ……君みたいに綺麗な人が俺の?」
 美琴は少年の言葉にこぼれそうな涙を必死に堪えて、いつもの元気を振り絞って、無理矢理に笑顔を作る。
 きっと完璧にはほど遠い、ボロボロでぐしゃぐしゃの笑顔にしかならないけれど。

「――――――――――――――――――なんつってな。引ーっかかったぁ!」
「…………………………………………はい?」
 美琴の目の前で少年の不安そうな表情が消えていく。人格がぐるんと入れ替わるように美琴に向かって意地悪く笑うと
「あっはっはーのはーっ!! なに目に大粒の涙溜めて今にも泣きそうな顔してんだよ? なに一人で乙女チックに感極まっちゃってんだよ? いやー面白い、今の顔は実にすげー面白かったぞ。写真メール撮っとけば良かったぜ。ひーおかしい、お前最高! あははははっ、わははははっ! どうだ、これが魔術師をも欺く俺のステキ演技力!! バレンタインデーの敵は討ったぜ御坂!!」
 上条当麻は美琴を指差して、包帯をぐるぐるに巻いた腹を抱えてベッドの上でゲラゲラと笑う。
 いつものように、いつもの顔で、上条当麻が御坂美琴の前で笑っている。
 美琴はキョトンとした顔で
「バレンタインデーの……………………敵?」
「そうだよ。お前、俺のこと騙して唐辛子入りチョコレート食わせただろが。あん時のお返しだ」
 美琴は首を傾げて
「バレンタインデーの……………………お返し?」
「そうだよ。今日は三月一四日、ホワイトデーだろが。入院させられた時はどうしようかと思ったけど、お前が来たならこんなチャンスはないと思ってな。俺は今日までこの機会を手ぐすね引いて待って……待って、待て御坂!? バッチンバッチン言わせんな! 病院の中は電撃使用禁止だったはずでは? ほら機械類が壊れちゃうから今すぐ引っ込めろ!」
 ああそうか、と美琴はビリビリを引っ込めた。それからにっこり笑って
「アンタね……いくらホワイトデーは三倍返しだからって……」
「……はい? 御坂さん、今何かおっしゃいましたか?」
「ひ・と・の、生き死にに関わるネタで私をおちょくんじゃないわよっ!! いっぺんくたばれ馬鹿彼氏!!」
 バッチィィィン!! と、上条の左頬と美琴の右手の間で心臓に悪い打撃音が炸裂する。

 上条は頬に真新しい特大の手形をつけてベッドに横たわり、見舞い客用のパイプ椅子に腰掛けた美琴を眺める。
「ところでよ、俺がここに入れられてからお前が来るまでそんなに時間が経ってねえと思うんだが、お前どうやって俺が入院したの知ったんだ?」
「……そんなの、病院から連絡が来たに決まってんじゃない」
「何でお前のところに連絡が行くの?」
「アンタしょっちゅうここに入院するでしょ? だから、こないだここに来た時に学園都市内でのアンタの緊急連絡先として、アンタの入院カードに私の電話番号を登録してもらったのよ。アンタのご両親がここに来るよりその方が早いじゃない?」
「おいおい!? 普通そう言うのは親兄弟とか、百歩譲って先生とか学校とか公的なのが登録されんだろ。お前何て言って通したんだよ?」
「『彼女です』って言ったら、看護師さんがにっこにこしながらやってくれたけど?」
 上条はあきれたとでも言いたげな顔で
「ぁ、そですか……」
 あきれたように呟く。
「で? 前回と良い今回と良い、アンタは私に連絡もなしに一体どこに行ってたの?」
「……、」
「彼女の私にも言えない?」
「……」
 こうなった上条はてこでも口を割らない。電撃を使おうが超電磁砲で撃ち抜こうが絶対にしゃべらない。あの夏の日に鉄橋の上で『お前とは戦わない』と叫んで一歩も引かなかった強固な意志と共に、上条は口を閉ざす。
 あの日『外』から帰ってきた上条は、『彼女への説明責任がある』と言いながら、行方不明の核心については何一つ触れなかった。上条が帰ってきた嬉しさと殴ってしまった後ろめたさであの時は追求をあきらめたけれど、美琴としてはどんな話でも良いから聞いておきたかった。
 ―――アンタはどこに行ってたの?
 ―――私はアンタの力にはなれないの?
「御坂」
 天井を見つめて、上条は口を開く。
「……何?」
「俺、明後日退院すっけど、お前その日空いてるか?」
「空いてるわよ。アンタを迎えに行こうと思ってたところだし」
「んじゃ、学校が終わったら待ち合わせすっか。ちっと付き合って欲しいとこがある」
「……どこに行くの?」
 明日の遠足が楽しみな子供ではなく、
 未来(あした)が不安な子供のように、美琴は尋ねる。
「それは行ってのお楽しみだ。あんまり楽しいところじゃねーけどな」
 上条はそこまで言い切ると、疲れたと言って静かに両目を閉じる。
 ずるい、と心の中で呟いた。
 美琴の気持ちを察することもなく、美琴の問いかけに答えることもなく、上条は勝手に話を打ち切ってしまう。
 ほんの何日か前に常盤台中学の寮までやってきた、あの姿は何だったのだろう。
 それが上条の不器用な優しさと美琴が気づく頃、上条は寝息を立てていた。
 美琴は眠る上条の頬に口付けると、また来るからねとささやいてパイプ椅子から立ち上がった。



 高さは五メートル、幅は三メートルの外壁が、アスファルトで舗装された道路の先で何人もの行く手を阻むように街を囲み、聳える。
 ここは学園都市と外界をつなぐ出入り口―――門(ゲート)。学園都市という名の『国』と外の世界とを分ける国境線。
 ゲートは許可証を持った人間と、特定の業者が使用する車両しか通行を許されない場所だ。
 その許可証にしても三枚の申請書類と身元保証人を用意し、発信機(ナノデバイス)を体内に入れることを是としなければ発行されない。美琴に至っては別口に身元の申告書類が必要になる上に、場合によっては本人に秘密裏に監視もつく。学校行事の一環である広域社会見学でも書類提出時はちょっとした大騒ぎだというのに、帰省ともなればさらに面倒な手続きをしなければならない。そして上条はこれまでに幾度も、その面倒な手続きを全て飛ばして『外』に出ている。学園都市の規則(ルール)に慣れた美琴としては、上条の行動は非常識かつ無謀に思えた。
 今回は怪我もあったけれど、上条は五体満足に帰ってきた。記憶もあった。
 でも、その次は? その次の次は?
 いつか無謀のツケが上条を見舞うのではないか。
 自らの行く末を案ずるべきは上条その人なのに、美琴は我が事のように不安に駆られる。
 もうコイツと離れられない、離れるなんてできないんだと美琴は心の中でだけ呟く。
 それは美琴だけが思い描く、美琴のわがままと知っていても止めることはできなかった。

 行く先の見えない二人の小旅行は第七学区のバス停からスタートし、ほぼ無人の終点でバスを降り、ガードレール沿いを歩いてここに着いた。場所が場所だけに人通りは少なく、コンクリートとアスファルト、監視カメラと警備ロボット、そして無表情な警備隊風の男達ばかりが立ち並んだ無機質な景色が広がる。
 こんなところ、デートスポットにもならない。草も木も生えていない。
 最先端の科学技術に囲まれているというのに、ここはまるで荒野だと美琴は思う。
 乗客の少ないバスの中で、上条はシートに腰掛け美琴の肩を抱き寄せると、黙って窓の外を見つめていた。隣で見る上条の横顔はどこか遠く、そんな上条を見るのが切なく思えて、バスに乗っている間美琴はずっと上条の肩に頭を埋めていた。
 バスを降りて上条に手を引かれながら、上条は何を思ってこんなところに連れてきたのだろうと考えつつ、美琴は自分より広いその背中に問いかける。
「ねぇ、こんなとこに私を連れてきて……アンタまさか『外に出たい』とか言うんじゃないわよね?」
 美琴はポケットに忍ばせたゲームセンターのコインを心の中で数える。
 もしも上条が外に出たいと言ったなら、自分はこのコインを使って何をどうするつもりなのか。上条が願うままにゲートを破壊するのか、それとも上条を止めるために構えるのか。
「いや。こんな話をするには、単にここが良いかと思ってな」
 上条は美琴の手を離すとポケットに両手を突っ込み、外壁の向こうに見える世界を美琴から隠すように立って
「御坂。……俺がどこに行って何をしてたか、今は言えない」
 たったそれだけを美琴に告げる。
 ホワイトデーのお返しはひどくあっさりしていた。
 結局何も教えるつもりはないんだ、と美琴が心の中でのみ落胆したその時
「けど、何もかも全部終わって、その時まだ俺達が一緒にいたら……御坂、俺が見てきたものをお前に見せてやる。俺が行った場所へお前を連れて行って、全部話す。……聞いても楽しい話じゃねーかもしれないし、行っても楽しいところじゃねーかもしれないけどな」
 不器用な優しさで、上条は口を開く。
 それから、まるで明日も晴れるかなと話すようなそぶりで
「言っとくけどこれは約束じゃねえ。ただそういう話があったってことだ」
 上条は淡く笑った。
 どこかとらえどころのない笑顔だった。
 美琴には上条の背後に聳える外壁が、上条が密かに背負い続ける何かに見えた。
 外壁に遮られ巻き上がった一陣の春風がゴゥ! と美琴に向かって吹き荒れ、美琴の茶色の髪をかき乱す。
 その瞬間、美琴は悟る。
(ああ、そっか。コイツは……風なんだ)
 世界を構築する四大元素、火、土、水、風のうち、風だけは形を変えても失われることなく世界に在り続ける。風は一つところに止まることを知らず、果てしなく世界を回る。
 上条は『助けて』という声なき叫びに応えて吹く風だ。風は叫びに請われるままに駆け、後を振り返ることなく次の場所を目指して吹き抜ける。そんな上条がいつまでも美琴のそばにいるはずもなく、美琴が引き留めることもかなわない。
 最初から美琴と風の間に永遠は存在しないのだから、一生片思いで良いなんて気負う必要はどこにもない。
 美琴の片思いは、あらかじめ失われた運命のようなもの。
(風が相手じゃ、わがままな思いが本当に届く事なんてないんだ。この手をどれだけ伸ばしても掴めるわけないんだ)
 愛を願っても叫んでも、風はただ美琴の両腕をすり抜けていく。
 美琴は茶色の瞳の中で、上条を切なく見つめて閉じ込める。
(私、なんて奴に恋しちゃったんだろう)
 上条の言葉に嘘はない。美琴に好きだと言ったことも、今は何も言えないと語ったことも。
 上条は美琴を愛してくれるだろう。美琴が望めば寄り添ってくれるだろう。それでも呼ぶ声があれば上条は必ず応え、美琴を置き去りに、右拳を固く握りしめて振り向かずに走り出す。
 ついこの間騙し騙されで笑いあった時間がまるで夢のように、上条は美琴の思いを気にも止めずに駆けていく。
 ほんのひとときの幸せも、上条の足止めにはならない。
(私にはコイツをそばに留めておく力なんて、最初からなかったんだ)
 美琴は笑う。
 わがままだけど物わかりの良い恋人を演じるために。
 上条の言い分は理解できても納得はできない。けれど、上条の望む何かのために美琴は笑う。
 美琴はこみ上げる切なさを喉元で押さえ込んで笑顔を作ると、明日もまた会えるよねと嘯くように
「分かった。アンタがどこに行ったのか、何をしてたのか、今は聞かない」
 無駄な事と知りながら、美琴は上条に自らの願い(わがまま)を差し出す。
「そのかわり、……アンタに一つ、約束して欲しいことがあんのよ。アンタはどこに行っても必ず私のところに真っ直ぐ帰ってきて、一番最初に『ただいま』って言う事。私の帰る場所がアンタの腕の中であるように、アンタが最後に帰る場所は私の腕の中って約束して。アンタの帰る場所に、私はなりたい。……それくらいの権利はあるでしょ? 私はアンタの彼女なんだから」
 風は絶え間なく休むこともなく吹き続け、世界の縁まで駆け巡る。そしていつか風が元いた地を目指す時、美琴は風の辿り着く場所となる。
 とある世界の果てで両手を広げ、美琴は風が再び巡り来るのを待っている。
 それが片思いの正体。
「わかった。お前がそれで良いって言うなら、俺はそうする」
 上条は仕方ねえなと言うように笑って
「……ただいま」
「違うわよ」
 美琴は即座に否定する。
「違う? だってたった今お前『ただいま』って言えって」
「そうじゃなくて、そんな遠いところで『ただいま』なんて言わないで。もっと私のそばに来て」
「遠いところって……十分近いだろうが」
 手を伸ばせば届く距離に立つ上条に向かって、美琴は首を横に振った。
「ちゃんと私を抱きしめて『ただいま』って言って。たった今言ったでしょ、アンタの帰る場所は私の腕の中だって……ほら」
 美琴は上条に両腕を差し伸べる。
 上条はその腕の中に入るように一歩近づくと、ゆっくりと美琴を抱きしめた。
「ただいま、御坂」
「もっと強く抱きしめて。自分がどこにいるかちゃんと実感しなさい」
 美琴の背中に回された上条の腕の力が強くなる。
「ただいま。……、これくらいでいいか?」
「お帰り。……もっともっと強く、私が壊れるくらい抱きしめて」
 風は人を誘い、人は風を追い駆ける。
 美琴は上条をその手に抱きしめながら、心に誓う。
(アンタが私を連れて行くより、私がアンタに追い着く方がきっと早いわよ。賭けたっていい。今の私に力はないけど、いつか必ずアンタに追い着いてやる。そこが地獄の底でもね)
 こうして、御坂美琴は自らの無力を知った。
 そうして、自分の手が届かぬ世界があることも知った。
 美琴は風の背中を追い駆ける。
 目の前に聳える壁の高さを、現実というハードルの高さを前に進む力に変えて。
「もうすぐ春休みだから、一回くらいはデートに誘ってよ。……この春休みは一緒にいてよね? ご飯作ってあげるから、アンタはリクエスト出しなさい」
「ああ。一緒に過ごそうぜ、御坂」
 御坂美琴は上条当麻という風の辿り着く場所。
 そして風が飛び立つ場所になると心に誓う。
(アンタがどこかへ行くのは止められないから、せめて私のそばにいる間はわがまま聞いてよね、彼氏?)
 学園都市にひときわ強く春の風が吹き、美琴と上条の背中を大きく揺さぶる。
 二人を包む風は今もなお世界を巡り続けていた。


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