スケッチブックを持ったまま
「うだー……面倒臭え……」
「何よ、お互い終業式が終わったから珍しく待ち合わせたってのに。いきなりご挨拶じゃない?」
肩を落としどんよりする『彼氏』上条当麻に向かって『彼女』御坂美琴は隣で頬を膨らませる。
騙し騙されのバレンタインデーとホワイトデーを過ぎて、本日は三学期の終業式。
北風は過ぎ去り、街のあちらこちらに植えられた桜の木に花が咲く。ある者は出会い、ある者は別れを迎えるこの季節に、上条と美琴は肩を並べ手をつないで歩いていた。
今日はお互い時間があるから遊ぼうかなどと話していたが、上条は提出期限が迫った課題を抱えていた。
「いや、お前のせいじゃねーって。これだよこれ」
上条は学生鞄と一緒に小脇に抱えたとある物体を振り回す。
表紙はグリーンで、学生鞄より一回り大きく、厚口の画用紙を螺旋状の針金で閉じられて、風に煽られて開かぬよう白いリボンで止められた物体の名はスケッチブック。
「……アンタ芸術にでも目覚めたの?」
「違う違う。課題だよ。しかも二学期の補習分っつーか、芸術鑑賞週間で提出しそびれた奴」
「はぁ? 二学期? アンタ何でそんな昔のもんを今になって持って来てんのよ?」
「美術と音楽の授業は、実技科目だから他と違ってさすがに補習じゃ何とかなんねーんだよ。それでも他の授業より手を取られる分、課題の提出は春休み中で良いって今まで見逃してもらってたんだ。だからって春休みの宿題がなくなった訳じゃねえんだけどな」
同じ実技でも体育なら補習も追試も必要なかったのに。
上条は不幸だ、と嘆息する。
「宿題のない常盤台がうらやましいよ、俺は」
「美術に音楽ねぇ。教養としては大切だけどさ、そう言うもんを勉強して点数つけるってどういうことなのかしらね?」
「常盤台には美術の授業も音楽の授業もねえのかよ?」
「あるわよー。絵も描けばバイオリンだって弾くし。でもそれは、あくまでも教養の一環よ。アンタの学校みたいに点数でどうのこうのって事はないわね」
学園都市の学生の優劣は『学力』と『能力』で決まってくる。その基準点の一つである通信簿を、美琴はスーパーのチラシか何かのようにいとも簡単に切り捨てた。
常盤台中学でも通信簿は存在するし美術も音楽も評価の対象に加えられているが、どうやら凡百の学校とは評価の方法が異なるらしい。
「……さすがお嬢様学校の生徒は言うことが違うな」
「さすがだとか言ってないで。……んで、それぞれどんな課題が出てんのよ?」
「美術はデッサンの提出か絵画展の見学&感想文。音楽は芸術鑑賞って事でクラシックのコンサート行って感想文提出すんだとさ」
「……何よそれ。感想文だなんて現代文の授業と何にも変わんないじゃない。そんなことするくらいだったら楽器の扱い方やソルフェージュでも学んだ方がよっぽどましってもんよ。アンタの学校の指導要領には常々疑問を覚えるわね」
「そ、そるふぇ……?」
ソルフェージュとは、簡単に言うと楽譜を読む訓練の事だ。読んだ楽譜の内容を自分の中で音に変換し、実際に楽器で再現するために必要となる。これは教養と言うよりも、演奏を専門課程として扱う分野での必須事項で、卒業後即第一線に立つことを目指す常盤台中学の教育方針ならいざ知らず、平凡な高校の授業で扱うようなシロモノではない。
「いつも通りっちゃいつも通りだけど、手伝ってあげるから何をどうするか決めましょ。急ぎで残ってる課題は二つよね?」
「美術は絵なんか見てもわかんねーから、デッサンにしようと思うんだ。デッサンは授業と同じ人物画って指定が出てるんで、暇ならお前モデルやってくんねーか?」
「モデルって……絵のモデル?」
「そうだけど。何か違うもんに聞こえたか?」
美琴はたじろぎ、上条から手を離すと両手を使って薄っぺらなカバンを胸の前で抱えてガードする。
「まさかアンタ……私に脱げって言ってないわよね?」
「は? 人物デッサンで何でお前が脱……って、バカ! 美術部じゃあるまいし誰がヌードモデルやれって言ったよ!? 変な勘違いすんじゃねえ! 飛躍しすぎだ!!」
「あ、ああ。……それならやってあげてもいいけど。で、そう言うアンタは何でそんなに顔が赤い訳? もしかして美琴さんの珠のお肌を想像した? ほほう、良い度胸してるわねアンタ?」
「……そ、それは……その……」
本当の事なんて言える訳がない。
言葉を濁す上条に、美琴は小さく舌を出して
「冗談よ馬鹿。そんな簡単に見せるわけないでしょ?」
う…………ッ、と上条は短くうめいて
「お、おいおい御坂さん勘違いしてもらっちゃ困るな中学生の凸凹がない体見たって俺は何とも思わねーぜ常盤台中学のお嬢様なんて肩書きなんざ所詮記号だろ記号」
「とか言ってアンタ、今めちゃめちゃ頭ん中で美琴さんのあんなのとかこんなのとか妄想してたでしょ? ……このエロ野郎、全部顔に出てるわよ?」
美琴に即座に看破されて、上条はぐうの音も出ない。
「…………ま、マイリマシター……」
美琴は上条の頬を軽くつねり、あははと笑った。
「何よ、お互い終業式が終わったから珍しく待ち合わせたってのに。いきなりご挨拶じゃない?」
肩を落としどんよりする『彼氏』上条当麻に向かって『彼女』御坂美琴は隣で頬を膨らませる。
騙し騙されのバレンタインデーとホワイトデーを過ぎて、本日は三学期の終業式。
北風は過ぎ去り、街のあちらこちらに植えられた桜の木に花が咲く。ある者は出会い、ある者は別れを迎えるこの季節に、上条と美琴は肩を並べ手をつないで歩いていた。
今日はお互い時間があるから遊ぼうかなどと話していたが、上条は提出期限が迫った課題を抱えていた。
「いや、お前のせいじゃねーって。これだよこれ」
上条は学生鞄と一緒に小脇に抱えたとある物体を振り回す。
表紙はグリーンで、学生鞄より一回り大きく、厚口の画用紙を螺旋状の針金で閉じられて、風に煽られて開かぬよう白いリボンで止められた物体の名はスケッチブック。
「……アンタ芸術にでも目覚めたの?」
「違う違う。課題だよ。しかも二学期の補習分っつーか、芸術鑑賞週間で提出しそびれた奴」
「はぁ? 二学期? アンタ何でそんな昔のもんを今になって持って来てんのよ?」
「美術と音楽の授業は、実技科目だから他と違ってさすがに補習じゃ何とかなんねーんだよ。それでも他の授業より手を取られる分、課題の提出は春休み中で良いって今まで見逃してもらってたんだ。だからって春休みの宿題がなくなった訳じゃねえんだけどな」
同じ実技でも体育なら補習も追試も必要なかったのに。
上条は不幸だ、と嘆息する。
「宿題のない常盤台がうらやましいよ、俺は」
「美術に音楽ねぇ。教養としては大切だけどさ、そう言うもんを勉強して点数つけるってどういうことなのかしらね?」
「常盤台には美術の授業も音楽の授業もねえのかよ?」
「あるわよー。絵も描けばバイオリンだって弾くし。でもそれは、あくまでも教養の一環よ。アンタの学校みたいに点数でどうのこうのって事はないわね」
学園都市の学生の優劣は『学力』と『能力』で決まってくる。その基準点の一つである通信簿を、美琴はスーパーのチラシか何かのようにいとも簡単に切り捨てた。
常盤台中学でも通信簿は存在するし美術も音楽も評価の対象に加えられているが、どうやら凡百の学校とは評価の方法が異なるらしい。
「……さすがお嬢様学校の生徒は言うことが違うな」
「さすがだとか言ってないで。……んで、それぞれどんな課題が出てんのよ?」
「美術はデッサンの提出か絵画展の見学&感想文。音楽は芸術鑑賞って事でクラシックのコンサート行って感想文提出すんだとさ」
「……何よそれ。感想文だなんて現代文の授業と何にも変わんないじゃない。そんなことするくらいだったら楽器の扱い方やソルフェージュでも学んだ方がよっぽどましってもんよ。アンタの学校の指導要領には常々疑問を覚えるわね」
「そ、そるふぇ……?」
ソルフェージュとは、簡単に言うと楽譜を読む訓練の事だ。読んだ楽譜の内容を自分の中で音に変換し、実際に楽器で再現するために必要となる。これは教養と言うよりも、演奏を専門課程として扱う分野での必須事項で、卒業後即第一線に立つことを目指す常盤台中学の教育方針ならいざ知らず、平凡な高校の授業で扱うようなシロモノではない。
「いつも通りっちゃいつも通りだけど、手伝ってあげるから何をどうするか決めましょ。急ぎで残ってる課題は二つよね?」
「美術は絵なんか見てもわかんねーから、デッサンにしようと思うんだ。デッサンは授業と同じ人物画って指定が出てるんで、暇ならお前モデルやってくんねーか?」
「モデルって……絵のモデル?」
「そうだけど。何か違うもんに聞こえたか?」
美琴はたじろぎ、上条から手を離すと両手を使って薄っぺらなカバンを胸の前で抱えてガードする。
「まさかアンタ……私に脱げって言ってないわよね?」
「は? 人物デッサンで何でお前が脱……って、バカ! 美術部じゃあるまいし誰がヌードモデルやれって言ったよ!? 変な勘違いすんじゃねえ! 飛躍しすぎだ!!」
「あ、ああ。……それならやってあげてもいいけど。で、そう言うアンタは何でそんなに顔が赤い訳? もしかして美琴さんの珠のお肌を想像した? ほほう、良い度胸してるわねアンタ?」
「……そ、それは……その……」
本当の事なんて言える訳がない。
言葉を濁す上条に、美琴は小さく舌を出して
「冗談よ馬鹿。そんな簡単に見せるわけないでしょ?」
う…………ッ、と上条は短くうめいて
「お、おいおい御坂さん勘違いしてもらっちゃ困るな中学生の凸凹がない体見たって俺は何とも思わねーぜ常盤台中学のお嬢様なんて肩書きなんざ所詮記号だろ記号」
「とか言ってアンタ、今めちゃめちゃ頭ん中で美琴さんのあんなのとかこんなのとか妄想してたでしょ? ……このエロ野郎、全部顔に出てるわよ?」
美琴に即座に看破されて、上条はぐうの音も出ない。
「…………ま、マイリマシター……」
美琴は上条の頬を軽くつねり、あははと笑った。
立ち話も何だし、ということで場所を上条の寮に移すことにした。
美琴は上条の手からスケッチブックを奪うと、どれどれと左右に広げて
「んで、アンタどんな感じで描いてんの? ちょっと見せて…………って、えーっと……アンタって抽象派?」
上条のスケッチブックに描かれていたのは、人物らしき物体とかろうじてリンゴに見えなくもない丸い何か、そして何を書いているのか読み取ることさえできない謎のオブジェだった。
さすがの美琴もフォローに困るのか、スケッチブックを持ったまま顔が不自然に引きつっている。
「……俺は抽象派でもなけりゃ急進派でも改革派でもねーよ。悪かったな下手くそで」
「ま、まーまー。とりあえずさ、何でも良いから描いてみなさいよ。時間はたっぷりあるから、ゆっくり描けば少しは何か掴めるかもしんないでしょ? ほらそんなに落ちこまないで」
美琴はベランダを背に、フローリングの床にぺたりと座り込んだ。
「この辺で良い? んで、アンタは反対側に座って」
ベランダに差す午後の陽射しを背中に浴びて、美琴がふわりと柔らかく微笑む。
「あ、ああ。んなもんで良いかな」
上条は美琴と一メートルほど距離を空けて対面に胡座をかいて座り、右手に鉛筆を握りしめスケッチブックを構えると
「んー……」
どこから手をつければいいのか迷う。
やっぱり頭か? それとも大まかに肩の辺りから形を作れば良いのか?
向かいに座っているのが美琴だと思うと妙に緊張する。クラスの友達の顔を適当に描いていくのとは訳が違う。それに、スケッチブック越しの美琴の視線が気になって仕方がない。
「こら、手が止まってるわよ?」
「い、いちいちチェックすんな」
「こっちもじっとしてんのかったるいんだからね?」
「分かってるってそんなの」
画用紙に線を一本追加する。曲がったので消しゴムで消す。消しゴムのカスが床に落ちそうなので丸めて一つの固まりにしてみる。固まりをムミューッと指の間でつぶして
「……遊んでんじゃないの」
美琴に頭をペチッと叩かれた。
どうにもデッサンに集中できない。気持ちがそわそわする。
上条は美琴から少し距離を空けようと、体一つ分後ろに下がった。
「…………」
上条は鉛筆を斜めに持って、デッサンの中の前髪の部分に線をサッ、サッと書き足していくが、正面の美琴と画用紙の上を見比べると、どうも違和感を覚える。何かが違う。デッサンなのだからそこまでそっくりに書かなくても良いのだが。
目の前に鎮座ましますお嬢様の視線が痛い。
というより、こちらが見つめられてるようで何だか照れくさい。
上条は美琴の視線を避けるように、さらに体一つ分後ろに下がる。
……どうしてデッサン一つでこんなに緊張しなくちゃならないんだろう?
上条はさらに後ろへ。
「…………人物デッサンすんのに、何でアンタは私からそんなに遠ざかってる訳?」
「……えっと……何でだろうな……ははは」
下がって、下がって、後ずさりして。
「……アンタ、そんなところで何やってんのよ?」
気がつけばベランダ際に座る美琴と部屋の入り口ぎりぎりまで下がった上条の間には、野次馬が遠巻きに火事を眺めるような距離が開いていた。
「……あのね」
美琴はやれやれと言った調子で立ち上がると、上条の元までつかつかと歩み寄り
「はい、ここに座って」
上条の手を引いて立ち上がらせると、床の一点を指で指し示す。上条がしぶしぶそこへ腰を下ろすと、美琴もその向かいにペタンと女の子座りする。
「……さっきより近くねーか、これ?」
「ちゃんとモデル見ないで、どうやってデッサンするつもりなのよ?」
動いてはいけないはずのモデルの方からそこを動くなと要求された。
「私だってアンタにじっと見つめられたら……その、落ち着かないからさっさと描いちゃいなさいよ」
美琴から照れ隠しのようにペチッと頭を叩かれた。
上条はもう一度スケッチブックで美琴の視線を遮ると、鉛筆を握って白い画用紙に向き直った。
早く描き上げてしまおう。何だか落ち着かないから。
美琴は上条の手からスケッチブックを奪うと、どれどれと左右に広げて
「んで、アンタどんな感じで描いてんの? ちょっと見せて…………って、えーっと……アンタって抽象派?」
上条のスケッチブックに描かれていたのは、人物らしき物体とかろうじてリンゴに見えなくもない丸い何か、そして何を書いているのか読み取ることさえできない謎のオブジェだった。
さすがの美琴もフォローに困るのか、スケッチブックを持ったまま顔が不自然に引きつっている。
「……俺は抽象派でもなけりゃ急進派でも改革派でもねーよ。悪かったな下手くそで」
「ま、まーまー。とりあえずさ、何でも良いから描いてみなさいよ。時間はたっぷりあるから、ゆっくり描けば少しは何か掴めるかもしんないでしょ? ほらそんなに落ちこまないで」
美琴はベランダを背に、フローリングの床にぺたりと座り込んだ。
「この辺で良い? んで、アンタは反対側に座って」
ベランダに差す午後の陽射しを背中に浴びて、美琴がふわりと柔らかく微笑む。
「あ、ああ。んなもんで良いかな」
上条は美琴と一メートルほど距離を空けて対面に胡座をかいて座り、右手に鉛筆を握りしめスケッチブックを構えると
「んー……」
どこから手をつければいいのか迷う。
やっぱり頭か? それとも大まかに肩の辺りから形を作れば良いのか?
向かいに座っているのが美琴だと思うと妙に緊張する。クラスの友達の顔を適当に描いていくのとは訳が違う。それに、スケッチブック越しの美琴の視線が気になって仕方がない。
「こら、手が止まってるわよ?」
「い、いちいちチェックすんな」
「こっちもじっとしてんのかったるいんだからね?」
「分かってるってそんなの」
画用紙に線を一本追加する。曲がったので消しゴムで消す。消しゴムのカスが床に落ちそうなので丸めて一つの固まりにしてみる。固まりをムミューッと指の間でつぶして
「……遊んでんじゃないの」
美琴に頭をペチッと叩かれた。
どうにもデッサンに集中できない。気持ちがそわそわする。
上条は美琴から少し距離を空けようと、体一つ分後ろに下がった。
「…………」
上条は鉛筆を斜めに持って、デッサンの中の前髪の部分に線をサッ、サッと書き足していくが、正面の美琴と画用紙の上を見比べると、どうも違和感を覚える。何かが違う。デッサンなのだからそこまでそっくりに書かなくても良いのだが。
目の前に鎮座ましますお嬢様の視線が痛い。
というより、こちらが見つめられてるようで何だか照れくさい。
上条は美琴の視線を避けるように、さらに体一つ分後ろに下がる。
……どうしてデッサン一つでこんなに緊張しなくちゃならないんだろう?
上条はさらに後ろへ。
「…………人物デッサンすんのに、何でアンタは私からそんなに遠ざかってる訳?」
「……えっと……何でだろうな……ははは」
下がって、下がって、後ずさりして。
「……アンタ、そんなところで何やってんのよ?」
気がつけばベランダ際に座る美琴と部屋の入り口ぎりぎりまで下がった上条の間には、野次馬が遠巻きに火事を眺めるような距離が開いていた。
「……あのね」
美琴はやれやれと言った調子で立ち上がると、上条の元までつかつかと歩み寄り
「はい、ここに座って」
上条の手を引いて立ち上がらせると、床の一点を指で指し示す。上条がしぶしぶそこへ腰を下ろすと、美琴もその向かいにペタンと女の子座りする。
「……さっきより近くねーか、これ?」
「ちゃんとモデル見ないで、どうやってデッサンするつもりなのよ?」
動いてはいけないはずのモデルの方からそこを動くなと要求された。
「私だってアンタにじっと見つめられたら……その、落ち着かないからさっさと描いちゃいなさいよ」
美琴から照れ隠しのようにペチッと頭を叩かれた。
上条はもう一度スケッチブックで美琴の視線を遮ると、鉛筆を握って白い画用紙に向き直った。
早く描き上げてしまおう。何だか落ち着かないから。
「えーっと……教えて欲しいんだけど、これ……誰?」
デッサンも一区切りついたので、上条はスケッチブックを美琴に渡した。
スケッチブックを渡したら美琴に怪訝な顔をされて、こんな事を言われた。
「……一応お前を描いたつもりなんだけど」
「…………」
スケッチブックをのぞき込んだ美琴からの言葉はない。
美琴の場合、白井の下着の趣味が壮絶だろうが上条の不幸の度合いが猛烈だろうがだいたいのことは許容する。けれど、目の前のデッサンについては付けるコメントが見つからなかったのだろう。
「ちょっとスケッチブックと鉛筆貸して」
美琴は上条の手から鉛筆を奪うと、時折上条の方をチラチラ見ながら新しい画用紙をめくって何かをスラスラと描きこんでいく。
「……んー、こんなもんかな」
「どれどれ……っておいおい、何であんな短時間でこんなに線が少ないのに俺って分かる絵になってんだ?」
ツンツン頭に眠そうなまなざし。への字に曲げられた口元ととがり気味の顎。
構成パーツこそ少ないものの、そこには一目で『これって上条くんだよね』と分かるラフスケッチが描かれていた。
「……、なあ御坂、何で描けるんだ?」
「何でアンタは描けないのよ?」
二人は顔を見合わせ、同時にため息をつく。
「……だって私はアンタのことずっと見てたもん。これくらいだったらたぶん目をつぶっても描けると思う」
さすがに目をつぶって描くのは無理だと思うが
「……あー、そですか。どうせ俺は目の前の現実さえまともに見えちゃいませんよ……」
上条はちょっと拗ねたくなった。部屋の隅で膝を抱えたくなるくらい。
「う、うわー。ねぇちょっと、デッサンごときで何もそこまで落ちこむことはないでしょ? んーっと、アンタの場合は入力(インプット)と出力(アウトプット)が一致してないだけなんだから、訓練次第でどうとでもなるわよ」
「……入力と、出力?」
何だ何だデッサンの話なのにいきなり横文字が出てきたぞと上条が身構えていると
「そうよー。入力ってのは、ようは目で見たり耳で聞いたりして脳に情報として取り込む事ね。試しに私の顔を見て、それから目を閉じて頭の中で思い出してみて。それくらいならできんでしょ?」
上条は美琴に言われた通り目を閉じて
「……ああ、できる。髪は茶色、眼はぱっちりしてて鼻筋は通ってる。……大体こんな感じか」
美琴の姿を頭の中で描いてみる。たった今目の前で見たものをそのまま写し取るだけなので、これなら簡単だ。
「でも、出力……脳から絵を描くために腕を動かす信号がうまく伝わってないの。つまり、描くことに慣れてないから自分の体を思う通り動かせないってだけ。習うより慣れろ、何回も描いてりゃそのうちちゃんと描けるようになるって訳よ」
「ふうん、そういうもんか。……じゃあ御坂はどっかでお絵描きを習ったのか?」
「習ってないわよそんなの。これって能力で使う演算と同じだもの」
自分だけの現実の忠実な再現をスケッチに応用しているだけと美琴から聞かされて、無能力者(レベル0)の上条はへこんだ。かつてないほどに。
「とはいえ、いくら時間があるとは言ってもそう何度も描いてると春休み終わっちゃうし、どっから説明したらわかりやすいかなぁ」
美琴は自分のこめかみに人差し指の先をつけてうーんと唸ると
「入力に対し出力が追いつかないなら、出力する情報を最低限に絞ればいいって事なんだけど。……たとえば」
美琴はスケッチブックの隅っこに、鉛筆で何かをちょこちょこと描き始めた。顔立ちは丸いが髪は黒くツンツンしており、一.五頭身くらいの胴体に二本の腕と二本の足が生えているマンガのキャラクターっぽい絵は
「あれ……これ、俺だよな? 小っさいけど」
絵柄は小さくとも、そこには確かに上条当麻という人物が描かれていた。
「そ。これはアンタの絵。アンタと言う人間の外見を構成する最小限の記号を詰め込んだものね。相当デフォルメしてあるけど、アンタが見ても自分が描かれてるって分かるでしょ? つまり、これと同じようにアンタの目から見た私という人間の最低限のパーツが描かれていれば、誰かの中で『絵』は立派に成立すんのよ。これをもっと大きくして線を増やせばデッサン、そこからいらない線を外して、絵の具で塗れば立派な絵画のできあがりね」
「……俺はイガグリやウニだったのか」
「そう言う訳じゃないけど、アンタって言う人物の特徴を説明するにはそこから入るとわかりやすいってだけよ」
美琴は上条をなだめるように苦笑する。
「このデフォルメ絵みたいにここまで情報を削っちゃうと人物デッサンにならなくて先生に突っ返されちゃうけど……何て言えば良いんだろ。たとえば私の髪の生え際をよく見て」
上条は美琴が指差すその先をじっと見つめた。美琴のおでこから横へ流されるようにサラサラの茶色い髪が生えている。髪から香るトリートメントの甘く淡い匂いに上条がドキドキしている事に気づかない美琴は
「この髪を一本一本描いてたら大変でしょ? そもそもデッサンなんだからそこまで描きこまなくても良いのよ。情報としてカットできる分は落としちゃって、髪型はこんな感じです、目鼻はこんな感じですって描ければそれでオッケーって事。分かる?」
懇切丁寧に人物像の捉え方について説明する。
美琴の言わんとしていることは分からないでもないが、実際にそれをどう反映させればよいか掴めず上条が黙り込んでいると
「口で言うだけじゃ不親切よね。実際にどう手を動かすか教えてあげる。そこのテレビのリモコン、それを試しに描いて見よっか」
美琴は上条に鉛筆とスケッチブックを持たせると、自分は上条の背後から左手を上条の左肩に添えて重心を固定し、右手を伸ばして上条の右手を掴んだ。顔は上条の右肩の上からのぞき込むように出して、自分より肩幅の広い上条に密着する形で上条の手を引っ張って動かす。
「鉛筆はそんなに力を入れて握らないの。もっと手首全体でなぞるように……四角い物体だったらアンタも輪郭を掴みやすいでしょ?」
美琴の息が上条の耳に吹きかかるような形でレクチャーが始まる。コイツは中学生です俺は意識しません気にしませんと心で念じてみても、学ランの背中越しに美琴の薄いが柔らかい質感がぶつかり、美琴が右腕を伸ばす度に上条の心臓がバコーン! と跳ねる。
デッサンも一区切りついたので、上条はスケッチブックを美琴に渡した。
スケッチブックを渡したら美琴に怪訝な顔をされて、こんな事を言われた。
「……一応お前を描いたつもりなんだけど」
「…………」
スケッチブックをのぞき込んだ美琴からの言葉はない。
美琴の場合、白井の下着の趣味が壮絶だろうが上条の不幸の度合いが猛烈だろうがだいたいのことは許容する。けれど、目の前のデッサンについては付けるコメントが見つからなかったのだろう。
「ちょっとスケッチブックと鉛筆貸して」
美琴は上条の手から鉛筆を奪うと、時折上条の方をチラチラ見ながら新しい画用紙をめくって何かをスラスラと描きこんでいく。
「……んー、こんなもんかな」
「どれどれ……っておいおい、何であんな短時間でこんなに線が少ないのに俺って分かる絵になってんだ?」
ツンツン頭に眠そうなまなざし。への字に曲げられた口元ととがり気味の顎。
構成パーツこそ少ないものの、そこには一目で『これって上条くんだよね』と分かるラフスケッチが描かれていた。
「……、なあ御坂、何で描けるんだ?」
「何でアンタは描けないのよ?」
二人は顔を見合わせ、同時にため息をつく。
「……だって私はアンタのことずっと見てたもん。これくらいだったらたぶん目をつぶっても描けると思う」
さすがに目をつぶって描くのは無理だと思うが
「……あー、そですか。どうせ俺は目の前の現実さえまともに見えちゃいませんよ……」
上条はちょっと拗ねたくなった。部屋の隅で膝を抱えたくなるくらい。
「う、うわー。ねぇちょっと、デッサンごときで何もそこまで落ちこむことはないでしょ? んーっと、アンタの場合は入力(インプット)と出力(アウトプット)が一致してないだけなんだから、訓練次第でどうとでもなるわよ」
「……入力と、出力?」
何だ何だデッサンの話なのにいきなり横文字が出てきたぞと上条が身構えていると
「そうよー。入力ってのは、ようは目で見たり耳で聞いたりして脳に情報として取り込む事ね。試しに私の顔を見て、それから目を閉じて頭の中で思い出してみて。それくらいならできんでしょ?」
上条は美琴に言われた通り目を閉じて
「……ああ、できる。髪は茶色、眼はぱっちりしてて鼻筋は通ってる。……大体こんな感じか」
美琴の姿を頭の中で描いてみる。たった今目の前で見たものをそのまま写し取るだけなので、これなら簡単だ。
「でも、出力……脳から絵を描くために腕を動かす信号がうまく伝わってないの。つまり、描くことに慣れてないから自分の体を思う通り動かせないってだけ。習うより慣れろ、何回も描いてりゃそのうちちゃんと描けるようになるって訳よ」
「ふうん、そういうもんか。……じゃあ御坂はどっかでお絵描きを習ったのか?」
「習ってないわよそんなの。これって能力で使う演算と同じだもの」
自分だけの現実の忠実な再現をスケッチに応用しているだけと美琴から聞かされて、無能力者(レベル0)の上条はへこんだ。かつてないほどに。
「とはいえ、いくら時間があるとは言ってもそう何度も描いてると春休み終わっちゃうし、どっから説明したらわかりやすいかなぁ」
美琴は自分のこめかみに人差し指の先をつけてうーんと唸ると
「入力に対し出力が追いつかないなら、出力する情報を最低限に絞ればいいって事なんだけど。……たとえば」
美琴はスケッチブックの隅っこに、鉛筆で何かをちょこちょこと描き始めた。顔立ちは丸いが髪は黒くツンツンしており、一.五頭身くらいの胴体に二本の腕と二本の足が生えているマンガのキャラクターっぽい絵は
「あれ……これ、俺だよな? 小っさいけど」
絵柄は小さくとも、そこには確かに上条当麻という人物が描かれていた。
「そ。これはアンタの絵。アンタと言う人間の外見を構成する最小限の記号を詰め込んだものね。相当デフォルメしてあるけど、アンタが見ても自分が描かれてるって分かるでしょ? つまり、これと同じようにアンタの目から見た私という人間の最低限のパーツが描かれていれば、誰かの中で『絵』は立派に成立すんのよ。これをもっと大きくして線を増やせばデッサン、そこからいらない線を外して、絵の具で塗れば立派な絵画のできあがりね」
「……俺はイガグリやウニだったのか」
「そう言う訳じゃないけど、アンタって言う人物の特徴を説明するにはそこから入るとわかりやすいってだけよ」
美琴は上条をなだめるように苦笑する。
「このデフォルメ絵みたいにここまで情報を削っちゃうと人物デッサンにならなくて先生に突っ返されちゃうけど……何て言えば良いんだろ。たとえば私の髪の生え際をよく見て」
上条は美琴が指差すその先をじっと見つめた。美琴のおでこから横へ流されるようにサラサラの茶色い髪が生えている。髪から香るトリートメントの甘く淡い匂いに上条がドキドキしている事に気づかない美琴は
「この髪を一本一本描いてたら大変でしょ? そもそもデッサンなんだからそこまで描きこまなくても良いのよ。情報としてカットできる分は落としちゃって、髪型はこんな感じです、目鼻はこんな感じですって描ければそれでオッケーって事。分かる?」
懇切丁寧に人物像の捉え方について説明する。
美琴の言わんとしていることは分からないでもないが、実際にそれをどう反映させればよいか掴めず上条が黙り込んでいると
「口で言うだけじゃ不親切よね。実際にどう手を動かすか教えてあげる。そこのテレビのリモコン、それを試しに描いて見よっか」
美琴は上条に鉛筆とスケッチブックを持たせると、自分は上条の背後から左手を上条の左肩に添えて重心を固定し、右手を伸ばして上条の右手を掴んだ。顔は上条の右肩の上からのぞき込むように出して、自分より肩幅の広い上条に密着する形で上条の手を引っ張って動かす。
「鉛筆はそんなに力を入れて握らないの。もっと手首全体でなぞるように……四角い物体だったらアンタも輪郭を掴みやすいでしょ?」
美琴の息が上条の耳に吹きかかるような形でレクチャーが始まる。コイツは中学生です俺は意識しません気にしませんと心で念じてみても、学ランの背中越しに美琴の薄いが柔らかい質感がぶつかり、美琴が右腕を伸ばす度に上条の心臓がバコーン! と跳ねる。
「みっ……御坂? そんなにしなくても何となく分かったからその……」
「でもアンタ、たかがデッサンなのに肩に妙に力入りすぎてるじゃない。鉛筆はそんなに強く握りしめると後で指が痛くなるわよ?」
「……お願いです御坂さん離れて! せめてもう少し距離を、距離を取ってください! バカよせ止めろ! お前くっつきすぎだって!」
「ああん? 何言ってんのよ、それじゃ教えられな」
言いかけて、美琴はちょっと黙った。
「……さっき人に向かって『凸凹がない』とか言ったのはどこの誰だっけ?」
美琴は意地悪く笑うと上条の耳元にわざとらしく息を吹きかける。
「…………すいません御坂さん、実を言うとワタクシ上条当麻は不覚にも先ほどのスキンシップであなた様にトキメイてしまいました!」
「ほほう? 中学生とか言って人のことを馬鹿にしてたわよねアンタ?」
「ごめんなさいごめんなさいそれについては海より深く反省してますから! ……こら、ホントにデッサンにならなくなるから止めろって!」
上条は美琴を振り払うと
「つかお前な、一応女の子だろ? 日頃から俺に抱きついたり抱きしめたりしてくるけど、それについて何とも思わねえのかよ?」
「……思うわよ」
「思うわよ、ってあのな……」
分かっててやってるなら性質悪いなと上条が見た目ムカムカ、内心ドキドキしていると
「でも、何て言うのかな……ドキドキするけど安心すんのよね。『アンタが私のそばにいる。アンタはどこにも行かない。ここは私の居場所なんだ』って。……っつーかいちいち意識させんなこんなの。言葉に出されると恥ずかしいんだからさ。それに、抱きしめあっちゃえばお互いの姿はお互いが隠してくれるでしょ?」
「それってどこのマンガの受け売りだよ。んな事言って、それこそ恥ずかしくねーのか?」
それに、と上条は前置きして
「……あれこれ人前で要求すんなよ。こっちが恥ずかしいだろうが」
美琴は頬を赤く染めつつも、
「こら、しっかりしろ彼氏。私だって恥ずかしいんだからお互い様よ。それに、これは彼氏の特権でしょ? 私を抱きしめて良いのは世界でただ一人、アンタだけなんだから。常盤台中学のお嬢様を公然とぎゅーっとして、せいぜいそこら中に見せびらかして喜びなさい」
上条の目をのぞき込んで反論する。
「……たしか昔お前に言った覚えがあるんだが、自覚あるお嬢って最悪だな」
上条は美琴のあんまりな物言いに盛大なため息をついた。
「でもアンタも悪い気はしないんじゃない?」
美琴がほら、と上条に両手を伸ばす。
「ああ、ホントにな」
上条はスケッチブックを持ったまま美琴を受け止めて
「悪い気なんかするかよ」
今日のデッサンも、告白の時も、ぶつぶつ言いながら宿題を手伝ってくれた時も、美琴は粘り強く付き合ってくれた。
保護欲や世話焼きスキルなどと言う単語は知らないが、きっとこれはケンカ友達時代には気づくことのなかった彼女の美点だ。
友達の頃には知る由もなかったものを、恋人になった今、知る事ができる。失うものは大きかったが、手に入れたものは大事にしたい。この抱擁だって、上条に『そばにいる』ことを教えてくれたのだ。悪い気など起こるわけがない。
「お前、先生とか保母さんとか向いてんじゃねーの?」
上条当麻専属家庭教師は腕の中で
「は? アンタ突然何言ってんの?」
無言でパチパチと瞬きした後に、目を丸くした。
「でもアンタ、たかがデッサンなのに肩に妙に力入りすぎてるじゃない。鉛筆はそんなに強く握りしめると後で指が痛くなるわよ?」
「……お願いです御坂さん離れて! せめてもう少し距離を、距離を取ってください! バカよせ止めろ! お前くっつきすぎだって!」
「ああん? 何言ってんのよ、それじゃ教えられな」
言いかけて、美琴はちょっと黙った。
「……さっき人に向かって『凸凹がない』とか言ったのはどこの誰だっけ?」
美琴は意地悪く笑うと上条の耳元にわざとらしく息を吹きかける。
「…………すいません御坂さん、実を言うとワタクシ上条当麻は不覚にも先ほどのスキンシップであなた様にトキメイてしまいました!」
「ほほう? 中学生とか言って人のことを馬鹿にしてたわよねアンタ?」
「ごめんなさいごめんなさいそれについては海より深く反省してますから! ……こら、ホントにデッサンにならなくなるから止めろって!」
上条は美琴を振り払うと
「つかお前な、一応女の子だろ? 日頃から俺に抱きついたり抱きしめたりしてくるけど、それについて何とも思わねえのかよ?」
「……思うわよ」
「思うわよ、ってあのな……」
分かっててやってるなら性質悪いなと上条が見た目ムカムカ、内心ドキドキしていると
「でも、何て言うのかな……ドキドキするけど安心すんのよね。『アンタが私のそばにいる。アンタはどこにも行かない。ここは私の居場所なんだ』って。……っつーかいちいち意識させんなこんなの。言葉に出されると恥ずかしいんだからさ。それに、抱きしめあっちゃえばお互いの姿はお互いが隠してくれるでしょ?」
「それってどこのマンガの受け売りだよ。んな事言って、それこそ恥ずかしくねーのか?」
それに、と上条は前置きして
「……あれこれ人前で要求すんなよ。こっちが恥ずかしいだろうが」
美琴は頬を赤く染めつつも、
「こら、しっかりしろ彼氏。私だって恥ずかしいんだからお互い様よ。それに、これは彼氏の特権でしょ? 私を抱きしめて良いのは世界でただ一人、アンタだけなんだから。常盤台中学のお嬢様を公然とぎゅーっとして、せいぜいそこら中に見せびらかして喜びなさい」
上条の目をのぞき込んで反論する。
「……たしか昔お前に言った覚えがあるんだが、自覚あるお嬢って最悪だな」
上条は美琴のあんまりな物言いに盛大なため息をついた。
「でもアンタも悪い気はしないんじゃない?」
美琴がほら、と上条に両手を伸ばす。
「ああ、ホントにな」
上条はスケッチブックを持ったまま美琴を受け止めて
「悪い気なんかするかよ」
今日のデッサンも、告白の時も、ぶつぶつ言いながら宿題を手伝ってくれた時も、美琴は粘り強く付き合ってくれた。
保護欲や世話焼きスキルなどと言う単語は知らないが、きっとこれはケンカ友達時代には気づくことのなかった彼女の美点だ。
友達の頃には知る由もなかったものを、恋人になった今、知る事ができる。失うものは大きかったが、手に入れたものは大事にしたい。この抱擁だって、上条に『そばにいる』ことを教えてくれたのだ。悪い気など起こるわけがない。
「お前、先生とか保母さんとか向いてんじゃねーの?」
上条当麻専属家庭教師は腕の中で
「は? アンタ突然何言ってんの?」
無言でパチパチと瞬きした後に、目を丸くした。
「……うん、まぁまぁかな。人間らしく描けてるだけ良しって事で」
「何だよそれ。すげー投げやりだな」
美琴の指導により約四時間後、ようやくお墨付きをもらって美術教師に提出しても問題ないレベルのデッサンを描き上げた上条は、天井に向かってうへぇと息を吐き出した。
自分だってじっとしていたり上条へのアドバイスで何だかんだ言ってへとへとのはずなのに、美琴は上条に『お疲れ様』と言って笑いながら上条の頭をよしよしと撫でる。
「最初の『あれ』からはずいぶん上達してんじゃない? 欲張ったらきりがないもの。それに、提出しなきゃなんない課題がもう一個残ってんでしょ? こっちばかりに時間割いてらんないわよ」
「あー……音楽の課題な。でもそっちはどっかのコンサートに行って適当に曲聞いてパンフレット見ながら感想書くから、別にお前付き合わなくっても良いぞ? どうせ疲れるだけだろが」
「あのさ……何でアンタはこれを口実に私をデートに誘わない訳?」
とたんに美琴は口を尖らせ、両の拳を腰に当てて上条を不満げに睨む。
「バレンタインデーのは流れちゃったし、ホワイトデーのはアンタの話聞いて終わっちゃった。……これって立派にアンタが私を誘うチャンスでしょうが」
「デート? ……デート!? これ学校の課題だから仕方なく行くんだぞ? 何でそれがデートになるんだよ?」
「課題だって何だって、ふっ、ふっ……二人で一緒に出かけることには変わりないでしょうが! ずっと待ってんだからこの機会に自分から誘いなさいよ……」
美琴は体の前で組んだ両手の中で親指をもじもじと動かし、上条を上目遣いで見つめる。
「えーっと? ……あー、じゃあ明日? 課題だけどコンサート、一緒に行くか?」
「……何で全部疑問系なのよ? しかも棒読みで」
「だってケンカ友達の頃からお前はずっと俺のそばにいるし、呼ばなくたって俺のところに来るじゃねえか。だから何というかその、今さらという感じがすんだよ。そんな改まって誘うとか……」
「今さらでも何でも、これって初デートなんだから」
上条は小首を傾げて
「……そうだっけ?」
「そうだっつってんでしょ!!」
「いや、何かこう、前に似たようなことがあっただろ?……ああそうだ、罰ゲームだ。思い起こせばあれが俺達の」
「あれをカウントに入れんな! だいたい、アンタあん時は嫌々私に付き合ってたじゃないのよ!」
美琴としては御坂妹やもっと小っこいの(打ち止め)の乱入、さらには黒ずくめの男達との戦闘でせっかくの罰ゲームがさんざんだったこともあって、あれはなかったことにしたいらしい。
「いやー、あの時の御坂はオトコマエだったよなー。最初は人のことを引きずり回して何されんのかと内心ビビッてたけど、啖呵切って最後に『必ず友達助けて帰ってくる事!』なんて、普通なかなか言えないぜ?」
その合間に雷撃の槍を落とされたことや白井からドロップキックされたことは忘れておくことにした。
「……それ、ほめてんの?」
「ほめてるほめてる。うん、すげーほめてますよ?」
上条のわざとらしい言葉に美琴はポリポリと自分のほっぺたをかいて
「何かうまくごまかされた気がするんだけど……まぁいいわ。それじゃ、どこで何時に待ち合わせするか後でメールちょうだい。遅くならないうちにね」
「あれ? 今ここで何時集合って決めたらダメなのか?」
「……デートなんだからもうちょっと雰囲気ってもんを考えなさいよ」
美琴は何やら両手で頭を抱えている。一体何がお気に召さないのだろうか。
「御坂? 別に無理して行くことはないんだぞ? どうせ課題なんだし。だいたいお前、海の見えるレストランがどうとか言ってなかったか?」
「……あ、あれはもっと後で良いわよ。……プロポーズの時にでも」
「……後で?」
後でって何だと上条は考える。それ以前にプロポーズとか不穏な単語が混じってた気がしないでもないが、たぶん何かと聞き間違えたのだろうと流すことにした。
「何だよそれ。すげー投げやりだな」
美琴の指導により約四時間後、ようやくお墨付きをもらって美術教師に提出しても問題ないレベルのデッサンを描き上げた上条は、天井に向かってうへぇと息を吐き出した。
自分だってじっとしていたり上条へのアドバイスで何だかんだ言ってへとへとのはずなのに、美琴は上条に『お疲れ様』と言って笑いながら上条の頭をよしよしと撫でる。
「最初の『あれ』からはずいぶん上達してんじゃない? 欲張ったらきりがないもの。それに、提出しなきゃなんない課題がもう一個残ってんでしょ? こっちばかりに時間割いてらんないわよ」
「あー……音楽の課題な。でもそっちはどっかのコンサートに行って適当に曲聞いてパンフレット見ながら感想書くから、別にお前付き合わなくっても良いぞ? どうせ疲れるだけだろが」
「あのさ……何でアンタはこれを口実に私をデートに誘わない訳?」
とたんに美琴は口を尖らせ、両の拳を腰に当てて上条を不満げに睨む。
「バレンタインデーのは流れちゃったし、ホワイトデーのはアンタの話聞いて終わっちゃった。……これって立派にアンタが私を誘うチャンスでしょうが」
「デート? ……デート!? これ学校の課題だから仕方なく行くんだぞ? 何でそれがデートになるんだよ?」
「課題だって何だって、ふっ、ふっ……二人で一緒に出かけることには変わりないでしょうが! ずっと待ってんだからこの機会に自分から誘いなさいよ……」
美琴は体の前で組んだ両手の中で親指をもじもじと動かし、上条を上目遣いで見つめる。
「えーっと? ……あー、じゃあ明日? 課題だけどコンサート、一緒に行くか?」
「……何で全部疑問系なのよ? しかも棒読みで」
「だってケンカ友達の頃からお前はずっと俺のそばにいるし、呼ばなくたって俺のところに来るじゃねえか。だから何というかその、今さらという感じがすんだよ。そんな改まって誘うとか……」
「今さらでも何でも、これって初デートなんだから」
上条は小首を傾げて
「……そうだっけ?」
「そうだっつってんでしょ!!」
「いや、何かこう、前に似たようなことがあっただろ?……ああそうだ、罰ゲームだ。思い起こせばあれが俺達の」
「あれをカウントに入れんな! だいたい、アンタあん時は嫌々私に付き合ってたじゃないのよ!」
美琴としては御坂妹やもっと小っこいの(打ち止め)の乱入、さらには黒ずくめの男達との戦闘でせっかくの罰ゲームがさんざんだったこともあって、あれはなかったことにしたいらしい。
「いやー、あの時の御坂はオトコマエだったよなー。最初は人のことを引きずり回して何されんのかと内心ビビッてたけど、啖呵切って最後に『必ず友達助けて帰ってくる事!』なんて、普通なかなか言えないぜ?」
その合間に雷撃の槍を落とされたことや白井からドロップキックされたことは忘れておくことにした。
「……それ、ほめてんの?」
「ほめてるほめてる。うん、すげーほめてますよ?」
上条のわざとらしい言葉に美琴はポリポリと自分のほっぺたをかいて
「何かうまくごまかされた気がするんだけど……まぁいいわ。それじゃ、どこで何時に待ち合わせするか後でメールちょうだい。遅くならないうちにね」
「あれ? 今ここで何時集合って決めたらダメなのか?」
「……デートなんだからもうちょっと雰囲気ってもんを考えなさいよ」
美琴は何やら両手で頭を抱えている。一体何がお気に召さないのだろうか。
「御坂? 別に無理して行くことはないんだぞ? どうせ課題なんだし。だいたいお前、海の見えるレストランがどうとか言ってなかったか?」
「……あ、あれはもっと後で良いわよ。……プロポーズの時にでも」
「……後で?」
後でって何だと上条は考える。それ以前にプロポーズとか不穏な単語が混じってた気がしないでもないが、たぶん何かと聞き間違えたのだろうと流すことにした。
「……はぁ……デート、ね」
美琴を寮まで送り届けた後の自室で、上条は頭をガリガリとかいてぼそっと呟く。
本当に今さらだ。
上条は二人で一緒に出かければいいだろうと考えていたが、美琴は場所を決めて待ち合わせしなければダメだと言って譲らなかった。罰ゲームの時とはいえ美琴と待ち合わせて三〇分の遅刻をした上条にとって、『待ち合わせ』は鬼門だった。
つか、面倒臭い。
明日二人が『課題のために』行くコンサートは、学園都市内のとある大学による定期演奏会だ。開演時間は午後二時と決まっているので、それに間に合うようコンサートホールに行かなければならないのは当然のことだが、美琴は時間に余裕を持って待ち合わせて欲しい、と注文を付けてきた。
「別に開場五分前だって良いじゃねえか。間に合えばさー」
と美琴に言ったらものすごい勢いで怒られた。
何でアイツはああも形式だの何だのにこだわるのだろう。良いじゃねえか、そんなもの。
ふとポケットの中の携帯電話がぶるぶると震えた。
見ると美琴からメールが届いている。
内容を確かめるために液晶画面を見た上条は首をひねった。
『お昼は一人で食べてね』と書かれている。
「何だこりゃ。これもデートの一環なのか? ……訳分かんねーぞ御坂?」
さしあたっては明日の昼食の心配という懸案事項を一つ追加して、
「……一応デートって事になってっから、それっぽくマニュアルか何か見といた方が良いのか……?」
上条は窓の外に向かって独りごちる。
課題という名のデートを明日に控え、上条は携帯電話のアプリとにらめっこを始めた。
美琴を寮まで送り届けた後の自室で、上条は頭をガリガリとかいてぼそっと呟く。
本当に今さらだ。
上条は二人で一緒に出かければいいだろうと考えていたが、美琴は場所を決めて待ち合わせしなければダメだと言って譲らなかった。罰ゲームの時とはいえ美琴と待ち合わせて三〇分の遅刻をした上条にとって、『待ち合わせ』は鬼門だった。
つか、面倒臭い。
明日二人が『課題のために』行くコンサートは、学園都市内のとある大学による定期演奏会だ。開演時間は午後二時と決まっているので、それに間に合うようコンサートホールに行かなければならないのは当然のことだが、美琴は時間に余裕を持って待ち合わせて欲しい、と注文を付けてきた。
「別に開場五分前だって良いじゃねえか。間に合えばさー」
と美琴に言ったらものすごい勢いで怒られた。
何でアイツはああも形式だの何だのにこだわるのだろう。良いじゃねえか、そんなもの。
ふとポケットの中の携帯電話がぶるぶると震えた。
見ると美琴からメールが届いている。
内容を確かめるために液晶画面を見た上条は首をひねった。
『お昼は一人で食べてね』と書かれている。
「何だこりゃ。これもデートの一環なのか? ……訳分かんねーぞ御坂?」
さしあたっては明日の昼食の心配という懸案事項を一つ追加して、
「……一応デートって事になってっから、それっぽくマニュアルか何か見といた方が良いのか……?」
上条は窓の外に向かって独りごちる。
課題という名のデートを明日に控え、上条は携帯電話のアプリとにらめっこを始めた。