とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

09章

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第九章 生まれたばかりのこの気持ちは her_voice_like_my_dream

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 目に食い込むような洗面台の強い光。夜特有の洗濯機や冷蔵庫のブーン……と鬱陶しい音。強すぎる光はまだ光に慣れていない上条には痛いほど眩しく、目の前の光景は恐ろしいほど白い。

 ―――――それはキスだった。

 思うは謎の衝動と抱擁感。そして驚愕。
 美琴の唇から伝わる熱は人肌の温度だがそれだけで上条は焼き焦がれそうになる。体は石化したように硬くなり、何をしていいのかが分からなくなる。
 親が子供にする、挨拶のような唇と唇が触れるだけのキスなのに美琴から流れてくる何かが上条の体を優しく包み込んだ。
 御坂?と口にしようとするが声にならず嬉しいのか悲しいのか、美琴のことが好きなのか嫌いなのかの判断さえ曖昧になる。
 混乱。
 そんな風に上条が何も出来ずにいると美琴が彼の首に回している腕を、今度はゆっくりと彼の胸を引き寄せるように背中に回す。
 やがて、美琴は唇を離した。
 そして美琴はさっと上条の胸に顔を埋める。恥ずかしさからか、顔を見られたくないらしい。
 上条の体を包んでいた何かの源である美琴の唇が離れると口が、喉元が、そして最後に美琴の顔が埋めっている胸が螺旋するようにドクンドクンと鼓動し、激情を通り越して単なる頭痛が彼を襲う。
 魂を抜かれたようにポカーンとしている上条は震える声で、
「……お前……今何した?」
 その問いに美琴は彼の胸に顔を埋めたまま、
「……キス」
とだけ言った。
 その美琴の声は、胸にドンと響くような声に聞こえた。頭の中が真っ白な上条は驚いて首だけ美琴から少し後ずさりする。
 やがて、美琴はやはり顔を埋めたまま何気なしに語り始める。
「私さ、アンタに好きって言ってもらった……と言うか言わせただけど……まぁ言われた時にね、私この人じゃないとダメだーって思ったのよ。だから私、」
 言うね、と少しの間を空けて美琴は言った。
 そして上条の胸に顔を埋めていた美琴は彼の顔を決心したような表情で見据える。
「この胸の中の気持ちはアンタの力になりたい、ううん、もっと単純な、アンタの支えになりたいって気持ちなんだと思う」
 ―――思えば美琴は散々あれ言えこれ言えと言ってきたが彼女自身はこちらに何も言っていない。
 だから聞いてみたくなった。その先の言葉を。
 御坂美琴が上条当麻をどう思っているのかを。
 ―――お前は俺が好きなのか?
 きっと、そんな事を美琴に言ったらまた彼女をひどく傷つける事になるだろう。
 それにもう、上条にはだいたい分かっていた。
 美琴の目。仕草。態度。あの時の涙。そしてこの唇。
 導き出される答えは一つ。
 上条が目の前の美琴との帰り道が心地よかったように。
 いつしか美琴も、上条との時間が温かいものになっていたのだろう。
 そうして、彼女は言う。

「私はアンタが好き」

 耳からではなく胸から心に直接響くような、夢のような音色。
 迷いのないその言葉は上条に自分と彼女の境界線を曖昧にし、混乱を感動に変え、『心地が良い』を『はっきりとした感情』にした。
 美琴は上条の心臓の音を聞くように右耳を彼の胸に押し付ける。
 そして微笑む。まるで彼の生を感じられるだけで幸せとでも言いたげに。
「私はアンタの隣を歩いていきたい」

 ――――でもね。

 そんな言葉を美琴は呟いた。

「……アンタが私のことを本当はどう思っているか、だいたい分かってる。アンタはまだ戸惑ってる。私のこと、本当は好きじゃない。……そうでしょ?」
 クスクスと苦しげに美琴は笑う。
 違う、と上条は思う。
 でも本当は。好き、とははっきり言えないのかもしてない。
 あの時言った言葉は身も蓋もなく言えば限りなく嘘に近い。美琴を泣き止ませるためとりあえず言った、上条はその事がバレてギクッと体を跳ねさせる。
 彼女は「ほら、やっぱり嘘だ」と分かりきっていたような、でもほんの少し期待していたような声で笑う。
 上条は違うと言いたかった。だけど何故か言えなかった。
 声が出ない彼は思う。コイツに伝わってくれと願いながら。
 確かにあの時は嘘だったかもしれない。中途半端な気持ちだったのかもしれない。
 ―――けれど今は違う。離れたくない。キスから始まる恋だってある。
 上条の気持ちとは裏腹にまるで遠ざかって行くように美琴が独白を続ける。
 やっと声が出そうになった彼の言葉を遮るように美琴は続けて、
「あーあ、どうしていつもこうなるかな私って。このまま黙ってれば、アンタを難なく捕まえられたのに」
 けど、と。
「私はこんな形でアンタと結ばれたくない。決められた道をそのまま歩いていく恋なんて本当の恋じゃない……と思うし、何よりアンタの意思を曲げてアンタを手に入れたくない」
 上条の背中に回している腕が後悔するような動きで緩んでいく。
 美琴は苦く笑う。
「だから私たち、最初からやり直してみない?美栄が帰ったら全部元通り」
 彼女は吹っ切れたような顔で上条の背中から腕を完全に離す。結局、上条は美琴を抱きしめる事は出来ない。
 美琴は右手の人差し指で彼の唇を、汚れを拭く母親のように優しく撫でた。
「私はいつか、アンタに『幸せ』って言われるような、そんな人になりたい」
 ねぇ?教えて、と彼女は甘く呟いた。美琴の手は上条の両頬を擦り、また唇を重ねる。
 すぐにその唇は離れ、
「アンタはどんな女の子が好みなの?優しい子?料理がうまい子?胸が大きい子?強い子?可愛い子?」
どんな人が好きなの?と美琴は言う。
「……、」
 その言葉に『元通り』と言われて軽く傷心だった上条にちょっと意地悪な考えが浮かんだ。
 思わず、上条は笑う。
 『その先』を想像して彼は笑う。
 そう言ったらコイツはなんて思うだろうか。
 そう聞いた後どんな風に笑ってくれるだろうか。
 それを知った後でもそんな事が、果たして言えるだろうか。
 夜が明け、朝が来て、それが何回も続いて、いつか美栄が帰って。その後、それでも元通りなんて言えるだろうか。
 きっと言えないだろうな、と上条は口を歪め鼻で笑う。
 上条当麻は口を開く。嘘なんてもういらない。
 ―――生まれたばかりのこの確かな感情を携えて。
「……うーん。どんな女の子ねー、そうだな。胸のことは置いといて、料理がうまくて、可愛くて、強い奴。近くで見ると……目が大きくて、鼻も眉毛も唇も整ってて、今まで見てきたどの女の子よりも可愛い。髪は茶色で少し自分勝手な女の子」
 それを聞いた美琴は一瞬ピクッとなり、震える小さな声で、
「…………………他には……?」
 上条は笑う。
「本当は涙もろいくせに強がって攻撃的。けど、優しいところも俺は知ってる」
「…………他には?」
「お嬢様なのにギャーギャーうるさくて、でも一緒にいてて全然飽きない。困った時はいつでも助けてくれて、今まで何度も助けてくれた」
「…………………………他、には?」
 上条は、祈るように彼の言葉に耳を傾けている美琴にゆっくり近づき、出来る限り最大限に優しく笑って

「お前だよ」

 シンプルにそう一言。

 上条は離れていこうとする美琴を抱き寄せ、少し荒っぽく唇を重ねた。




 それは昨日の記憶。
 昨夜、上条は超電磁砲こと御坂美琴とかなり『いい感じ』になった。未来から自分たちの娘、美栄(みえ)が来てから、上条は美琴に好きとか何とか言った(言わされたが正確。)が、正直なところどう彼女を意識していいか分からなくなっており、それはつまり混乱であってこの感情は『好き』という感情に当てはまるものなのか甚だ疑問だった。

 そう、『だった』。

 ―――噛み砕いた話、上条当麻は御坂美琴のことが好きになってしまった。

 高慢無礼。
 それが普段の美琴の性格であり、彼女を表す最も簡潔な言葉だろう。
 実際は優しいところや責任感が強いところなども上条は知っているのだがとりあえずそれは置いておいて、ぶっちゃけると。
 ―――昨日の美琴は超可愛かった。
 それはギャップと容姿の話。
 普段ツンツンしている美琴があれほど潮らしくなると逆に恐ろしくなるというか死の前兆さえ感じる上条だが、蓋を開けてみれば何て事のない、ただの可愛い女の子だった。
 着ていた服はピンクのヒラヒラが施されている、肩の部分が大きく開いた、真っ白な砂漠のようにどこまでも白いワンピースで。
 上条当麻は小さな声で言う。
 一人、ベッドの中で静かに呟く。
「……………美琴」
 もう起きている、ベッドにはいない彼女の名に焦がれる。
 例えるならそれは花火。
 キスという炎をきっかけに導火線についてしまった火は勢いよく縄を燃やしていき、やがて空に花を咲かす。撃ち上がり弾けたそれは一瞬で消えてなくなるはずなのだが、消えることなく咲き続け、上条の心を殺風景から色鮮やかな絶景に変える。

 ―――気付いてしまったこの感情はたった一夜で、もう止められないところまで進んでいた。 

 まるで『美琴のことが好き』という感情が『上条当麻』を完成させる最後のピースであったかのように。
 それは間違えなく自分を支えている。
 しかし同時に、自分はこの恋に振り回されているという矛盾。恋は体が宙に浮くような奇妙なもの。男も女もそれに変わりはない。
 上条は胸の部分の服をキュッと右手で握り締める。当然この気持ちに変わりは、ない。それどころか刻一刻と強くなっている。
それにしても、と口で言い、美琴もひどい事を言うものだ、と心の中で思う。好きと言った後にじゃあいつかまた会いましょバイバイ、なんていくらなんでも無理がある。それほど上条はうまく出来ていないし、恋愛に関して達観もしていない。
「……、」
 結果として振り出し案は消えてなくなった。上条が美琴を繋ぎ止めるという形で。
 補足しておくと上条からのキスの後、美琴は『嫉妬深い、私以外もう見ないで、ビリビリ、大好き』などのキーワードを使った告白を改めてした。要約すると『私嫉妬深いよ?アンタが他の女と話してたら多分ビリビリするし……だからもう私以外見ないでね……と、当麻、だ、だだ大好きふにゃー』ってな感じである。もちろんこれはあくまで補足であり、かなりハイになっていた上条には断片的なところしか思い出せない。
 そして、上条当麻はベッドで悶々していた。
(……………………、何だかなぁ)
なぜなら今、彼は超恥ずかしいのだ。
(……き、キスしたのか、俺は、あ、アイツと……)
 上条は自分の唇をそっとなぞった。さらに舌でそれを舐めると胸が押しつぶされそうな切ない気持ちになり、何考えてんですか僕ぅーっ!?と枕に顔を押し付ける。

 ―――もう一度

(はわーっ!俺は変態か!?あんなもんぶちゅぶちゅ何度もするもんじゃねぇだろーが!忘れろ忘れろ!上条さんは硬派こうはコーハ!)
 と上条は自分に言い聞かせるが気付けば昨日の事ばかり考えており、ベッドの中で急に無表情になったり逆に赤くなってそわそわしたりしてかれこれ一時間悶々悶々。初心&乙女チックなその仕草は友人に見られたら間違えなく黒歴史決定だ。
 一方の美琴はもう起きておりどうやら台所で朝食を作っているようだ。美栄もついさっきベッドを出て、そろそろ自分も起きるべきころなのだが、
(うぅ……もう起きないといけないのですか……。はぁー、あんな事した後だと妙に……)
 顔を合わせづらいな、と上条は頭を悩ませた。
 本来なら朝ごはんを作っているだろう美琴を手伝ってやるのが真に彼女を想う表現の一つだろうが残念な事にそんな高性能な機能は上条には搭載されていなかった。そもそもそれ以前に、『おはよう』の一言が言えるかどうか、この口は何を口走ってしまうかどうかが分からない。

 ―――もう一度キスしてみたい

 しかしそれは怖いことだ。
 気を紛らわせるため別のことを考えようとすると10秒後にはまたキスのことが頭の中を埋め尽くす。大雨の日にブクブクと水が溢れているマンホールを無理やり押さえつけている行為に近い。つまり無駄。
 だー!キリがねーっ!と優にこのループを100回近く繰り返した上条は勢いよくベッドを出た。
 そこにはさっきまで聞こえなかったキュン、キュンと鳥の鳴き声。二月にしては温かい空気は爽やかで温かい朝。窓からの朝日がまぶしい。まるで何かを祝福するようなそれは上条に羞恥を与え、

 臭い。

「ん?何か臭いな……」
 匂いではなく、臭い。臭いという限りはそれ相応に臭いわけがあり上条の鼻をキツイ臭いが襲う。
(なんだこの臭い?屁かなんかか?)
 そう推測すると何だか変に悲しくなってきた。今、上条宅にいるのは上条を除けば美琴と美栄だけであり、この臭いは上条のしてしまったわけではないため自動的に彼女らのどちらかがしてしまったと推測できたりする。美琴は過去に『女の子に対して夢見んなよー』と言ったがもしこの推測が正しければ、そんな生々しい現実は超シビアすぎると上条は心から叫ぶ。というかよく嗅いでみると、オナラとか生易しいものではない。これは目に染みるタイプの、例えれば玉ねぎのアレをこうしてあーしてピーチクパーチクエヴォリューションさせたような臭いだ。美琴が何かを焦がしたのだろうと上条は推測しなおす。というか願う。
彼は犬のようにクンクンと鼻を利かせ、臭いの発生源であろう台所に足を運ぶ。途中、テーブルの角に足の小指をぶつけ涙目になるが彼は気にしない。
 そして上条が見た風景。
 ――暗黒。
 まず清潔さをイメージさせるため白をベースとして作られた台所は半端なく黒かった。
「な、なんじゃこりゃ?」
 思わず、声になる。
 そこにはエプロン姿の美琴、カエルのパジャマを身に纏う美栄がいた。
「……あ」
 美琴はそう声を洩らし、
「パパおはよー」
 その娘美栄は母親の腰辺りをキューッと可愛らしく抱きしめている。
「あ、あぁ、お、おはよ」
 だから当然ここは我が家の台所であり、それ故家の主たる上条の隠されたステータス『綺麗好き』を証明するために必要な大事な場所であり。
 そこはもう台所でなかった。
 なぜなら台所はプチ文化祭状態だからだ。更に言えば非常に遺憾な事に、それはお化け屋敷にカテゴライズされる。壁や床は何かが飛び散ったような、黒い液体の跡があり、皿やら何やらからデローンとだらしなく細い血管のような物が垂れ下がっている。 蛇口からポツンポツンと舞い落ちる水滴は何故か黒く、飲めば間違えなく体に毒だ。美琴が能力を暴走させたのだろうと上条は推測する。
 肉が食べたいと思っていた上条だがその黒い、生々しいその風景は肉を急激に食べたくなくならせる。臭いの原因はここだったようだ。彼は心の隅の冷静な部分で内心ホッと安堵する。
 そしてあわわわと慌てている美琴が『人一人分くらいはある黄色いゴミ袋(所々赤い)』をさっと隠して、
 ――何となく、上条はそれに激しく嫌な予感がした。
 キーワードが列を成す。
 私嫉妬深い。不自然に大きいゴミ袋。知ってしまったお互いの気持ち。
 ――そして同棲をしているインデックス。
 今の美琴が彼女を見れば間違いなくいい気はしないだろう。
 最後に目の前のブチ文化祭。よく見れば壁や床に付着しているのは固まり始めている血のようにも見える。
 かつて、上条は『御坂美琴』が死体となって路上に倒れていたのを見た事がある。正確にいうと彼女のDNAを元に作られたクローンの事だが、それは彼が助けられなかった命の一つ、もう少し早くあの異常事態に気付いていれば助かっていた命。美琴のクローン、シスターズは血液を逆流させられたように体をズタズタにされていた。目の前の光景は彼にそんな険悪なヴィジョンを思い出させ、
 そして無能力者は凍結した。
(これはつまりあれですか御坂さんの言う嫉妬深いとは某ヤンデレ的なものであってわたくしが万が一浮気とかしちゃったら浮気相手をクスクス笑いながら包丁でブスブス穴ぼこだらけにするどころかザクザク愉快に解体して血塗れの顔でコレねぇ当麻を誘惑した雌豚だよでもこんなにバラバラじゃもう誰かわからないよねでも悪いのはこいつだよ当麻を守るのは私だけの仕事なんだからずっと私が当麻を守ってあげるね大好きだよ私だけのと・う・まとか何とか物騒なこと言っちゃたりしてそれはそれで嬉しいような悲しいようなーっ!?)
 ガガーンとピアノの一番低い音が鳴るように、ヤンデレといえば『中に誰もいませんよ』的なものしか知らない上条は衝撃を受け、頭を抱える。
 彼は震える手でゴミ袋に入っている何かを指差す。
「みみみ御坂さん!?何そのゴミ袋!?ままま、まさかインデックスが入っているわけじゃねーよなぱぴぷぺぺぺ!?」
さっきまで見られたくないものを見つけられてしまった子供のように固まっていた美琴は、
「……はい?」
 何言ってんのアンタ、と上条を不審者を見るような目で見つめる。
 その反応に上条は少し冷静に考える。
――普通に。美琴が人を殺すわけがない。
 上条の中には、少々美琴に対して図々しい考えだが『美琴がする行動』=『どこかしらで上条に関係あること』という式が無意識のうちに出来上がっていたりする。
 要するに彼的には『そうあって欲しい』という声に出さない小さな願望なのだが、美琴の昨日の告白がそれをさらに拍車させ、そういう思考回路になっているわけである。
 何を舞い上がっているんだ俺は、と上条は己の早とちりを悔い、こめかみを軽く掻いた。
「……え?あ、そうですよね御坂さんがそんなミスフォーチュンな事するわけありませんよねええ信じてましたよわたくし上条当麻は。あーびっくりした。でもそしたらそのゴミ袋は何なのでしょうか?」
 あはは、と上条はやや無理やり自己完結する。ちなみにミスフォーチュンは不幸という意味であり、さらに言っておくと上条はhappinessのスペルをhappilessと思っている。別に彼の覚えが悪いわけではなく、たまたま上条に渡った教科書だけ印刷ミスをし、たまたま友人や教師がそれを見逃し指摘できず、たまたま今に至るのである。
 あたふた慌てている美琴は人差し指をどこに向けるわけでもなくクルクル回し、目を右下に向け、
「あ、え、が、えと、き、昨日あれ、りょ、料理がうまい女の子がどうのこうのってあった、じゃない?」
 その、ものすごく途切れが悪い言葉、さらに限定すると『昨日』という単語に上条はポッと頬を染め、あの時の唇の感触を思い出した。

 上条はそれなしげに美琴の唇を見る。

 ―――もう一度―――

(バッッキャロォォォォオオオおおおおおッ!!俺のバカヤロおおォォォおおォォォォおおおおォォォォッッ!!耐えろォォォオオ耐えるんだァァァァァああああああァァァッッッ!!!)
 何だか自分のキャラに残念なものを本能的に感じとった彼は内心ドキドキ見た目そんなこともあったなーと興味なさげなポーカーフェイス。
「ぱッ…………あ、あぁ、それが?」
「う、うん、それでね、頑張って作ってたらこんなことに……」
 指を人差し指同士でくねくねさせ、俯く美琴。柔らかそうな頬は朱色に染まっている。
 ―――そして、許しを請うような上目遣い。とどめに唇を舌でペロリと一舐め。明らかに『何か』を思い出している仕草だった。
 瞬間、その仕草に耐え切れなくなった上条の心の中の『花火』はバババババッバババババッッッ!!と物凄い数と勢いで撃ち上がった。花火が上がっていく時のヒューという音がまるで祝福の歓声のように彼の心の中で反響する。
(ギャああああああァァァァあああああッッッッッッ!!!みいいィィさあああカァァァあァァァあああああッッ!!お前それ無自覚なのかァァああァァああああッッッ!?!?俺はァァァァァあァァァああァアお前はああァァァァあァあああァッッッ!?!?!?)
 理性が壊れた上条は『ちょちょちょっと待っででぇぇぇえ!』と『気持ちの整理』のためトイレに向かう。
 ……この時、彼、上条当麻は元気いっぱいの男子高校生。
 3分後、何やら汗まみれな彼(ちなみに汗ばんで色っぽいオーラを醸し出している彼に美琴はキュン……となるが上条の知るところではない)は、
「どんだけ張り切ってたんだよ!」
 ベベン!と何もなかったように会話を続行する。
 美琴は美琴で3分間そこから一歩も動かなかったようでさっきと位置が変わっておらず、
「ご、ごめんなさい……」
 などとらしくない、らしくなさ過ぎる言葉を口にしつつ目に涙を浮かばせ謝る。上条は一瞬信じられないものを見るような目で美琴を見つめた。
「え、ご、ごめんなさい?はは、冗談きついぜ美琴さん。お前はそんな従属系奉仕型メイド族とは一番遠いところで戦国武将のように高笑いしてでもそんな所が結構可愛くて何故そんな顔を赤くし唇を押さえてクネクネするのですかお前らしくねー!!……………………て、てか、えぇと、あれだよ。そ、そう!こ、こんなに台所汚しやがってー、でも美琴たんが一生懸命作ってくれた料理かー、た、楽しみだなー(棒)」
 しかし彼の気の利かせたその言葉に美琴はうっ!と一歩下がる。
 上条としては流石にコレだけ食材を使用したのだから一つくらい食べられる物があると踏んでそう聞いたのだが、

 直後、チーンとトースターが鳴る音。

 トースターはもちろんトースターだ。『Q何をする機械ですか?』という質問には『Aパンです。パン焼きます』という答えが返ってくるように。
 それはパンを焼く機械。決して豪華な物ではない。
 そして、御坂美琴は昨日、観覧車でのキスが失敗してその腹いせから来る衝動買いをしている(実際は上条に見放されたくないという美琴の防衛本能が働いた買い物だった)。
 その額、食材だけで9万円。
 上条が知るところではないが、美琴は今日の朝ごはん、メチャクチャ張り切っていたのだ。
 しかし、彼女が10万近い金額と台所を犠牲にして召喚した料理の名は、パン。
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………、」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………、」
 流石に、上条は黙り込んでしまった。
 やがて彼は言う。
「…………え、えーとつまり?御坂美琴さん14歳。あなたは昨日料理をうまくなる的なこと言って、今日2月3日午前7時、ろくな睡眠もとらず、料理を作るためさっそく張り切って朝早く起きました。しかしながら気恥ずかしさから集中できず、ことごとく料理は失敗、現在10時05分の今でも何一つ成果を出せず、もう時間もないから昼で挽回案を計画、あーその前にこの台所どうしよう、と?」
 淡々と上条は言う。彼は7時にはまだ起きておらず美琴がいつ起きたか知らないため適当に言ったのだが、黙っている辺りどうやら正解らしい。
 ぐす、と鼻を啜る音。美琴は半べそだった。

………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。

 何だか、美琴が急に女の子らしくなったような気がする。
 それはきっと、途方もなくいいことなのだろうが上条としてはそんな風に何かに焦るような、ビクビクしながら行動する美琴は見たくない。いつも通り元気に明るく笑っていて欲しい。
 極端すぎるんだよお前は、と心の中でひそかに思い、ため息交じり、
「……お前な、そんな律儀にならなくたっていいんだよ。俺はお前の作るモンなら何だっていいからさ。ほら、台所掃除するぞ」
ポンポン……と優しく彼女の頭を撫でた。
「……ふぇぇ、ひっく、あ、ありがとぉぉ……」
 はぁーやれやれ、と洗面台から雑巾を何枚か持ってきて床を拭き始める。真剣な表情になった美琴と何か納得している美栄も後に続き、掃除は2時間ほどで終わった。


 掃除の時間は意外と楽しいものだった。
 自然な流れで『友達がさー』とか『そういえばあの時はさー』とか話すことが出来る。美栄の未来話もちょくちょく挿み、かなり有意義な時間だったと上条は思う。次第に美琴もいつもの活発さを取り戻したようで彼としても満足の一言だ。『きっとこういうのが幸せなんだなうんうん』と目にほんのり涙を浮かばせながら彼は今を噛み締める。
 結果として10万近い金額と2時間のただ働き、そして掃除中、よく分からない液体を頭からブッ零されるという悲惨な出費になったが安いもんだと少し苦しく思う。
 今は掃除に疲れて三人とも半お昼寝タイム。グテーとだらしなく寝そべっていた。美栄は美琴の太ももの上ですやすやと猫のように眠っている。
 そして上条は笑い、いつもの活発で自分勝手な美琴を期待して皮肉をこめて、
「んで?今日はどうしますかね。昨日お前が言ってたように動物園にでも行きますか?パン工場も悪くねーな」
「……そういえばさっきアンタがお風呂に入っている時にアンタの携帯ちょろーと調べたんだけど変なファイルが山のようにあったわね。金髪巨乳ツインテールスク水碧眼ナースお花屋さんケーキ屋さん。この辺までは10の一億乗歩譲っていいとして、美栄と同じくらいの子のがあったのには流石に引いたわ……しかも二次元だったし。あと何あれ?丼ぶり?」
 やっぱりアンタ、私たちをそういう目で見てたの?と美琴。
「お、おめぇ!あれ見たのか!?つか、勝手に人の携帯見んじゃねーよ!!……あ、あれはあれだよ!ダチから貰った物で決して上条さんの物ではありません!」
 見事上条の『美琴元気出せよー誰だって失敗くらいするってー』計画は成功したのだが、それだと今度はこちらの格好がつかない。彼が想像していた(つまり一番おいしい)展開は、
『パン工場も悪くねーな』
『…………いじわる』
『あっはっは、しかし慈悲深い上条さんは御坂さんに行きたい場所を選ばせてあげましょう!感謝するがいい!さぁどこに行きたいっ!』
『…………………………………………じゃ、じゃあ、あ、アンタの胸の中……行ってみたい、かな……』
『……え、み、美琴さん?それは、えぇと……つまり……』
『……バカ///』
『///』
 ってな感じだったので、
「どうだか。このドスケベ!」
 理想とあまりに離れすぎた現実に一瞬ガチで泣きたくなった。
 美琴がいつもの美琴であることはまぁ嬉しい事なのだがもう少し謙虚で可愛い女の子でいて欲しい。……できれば昨日のような。とは言いつつも美琴が大人しくなったらなったで今度は元気で騒がしい美琴でいて欲しいと願うだろう上条は自分自身の未来を漠然と予測し、騒がしくても謙虚な美琴たんは何処かなりやーと心の中で唱える。
 しばらくして、目を細めまるで刑務所の面会室にある自由と拘束を隔てているガラスの壁のような障壁を展開している美琴に気付いた上条は思わず、うっ!となる。
 事実、携帯のフォルダに入っているそれは紛れもなく自分でそういうサイトに赴き、自分であれこれやって入手した物だった。昨日あんなに格好つけた告白をしておいて、その翌日携帯には5歳児の○×△□写真。
 これは格好悪い。
 上条は、
「し、仕方ねーだろーが!俺だって高校生です!そらちょっとエッチな画像くらい(←ここ強調)持ってらぁあ!!」
 逆ギレ。そもそもこの手の話は誰が悪いとか正しいとかの概念ではないし、大人になれば自然と受け入れられていくのだが上条には記憶と経験が大きく欠落している。となれば、彼の思考回路は少し大人びた小学生のそれに近い。
 しかし、善悪はないのだがやはり昨日の今日という言葉がある。美栄を隠すようにして美琴は少し意地悪そうな顔で、
「料理がうまくて、可愛くて、強い奴」
「うっ!」
「目が大きくて、鼻も眉毛も唇も整ってて、今まで見てきたどの女の子よりも可愛い」
「うぐっ!」
「お嬢様なのにギャーギャーうるさくて、でも一緒にいてて全然飽きない」
「ううぅぅぅぅぅっ!!」
「お前だよ」
「うぅぅぅううううううううううううぅぅぅぅ!!分かりましたよ消せばいいんでしょ消せばはいコレ携帯ピピピピ!!ピピピピピピ!!!はい消しましたよ鬼!!」
 素早い動きで上条は本当にデータを削除する。実は画像とは別に、動くタイプのエロ画像(それを俗にAVと言うが彼は認めない)もあったのだがそれも律儀にきちんと消す。電源を切らないでください、と無表情な言葉に上条は本気でがっかりする。
(確かに俺が悪いんだけど、悪いんだけどさぁ……その辺察してくれよ)
 じゃあお前がそういうことしてくれんのか、とは口が裂けても言えないがそこはやはり男子高校生。ちらりとそういうことを考えてしまう。しかし彼はその反面『コイツを傷つけたくない』という感情(理性ではないと上条自身、何となく思う)があるので、美琴を大切にしよう、と心の中で小さく誓う。
(……はぁー、恋愛って難しいなぁ)
 カエル、つまり美琴の言うところのゲコ太は彼のオンボロ携帯にずっとついていたわけで、上条の血走った瞳を全て知っているのだがそのカエルが『オメーも大変だなおい』みたいな表情で彼を見つめる。
 しばらく(3分くらい。携帯のスペックでは1ギガのデータを消すのには少々時間が掛かる)沈黙になり、ピコンと無事に作業を終えた携帯。それに満足したのか美琴は「ふ、ふん。も、もう、そういうこと、あんまりしないでよね」と言う。
「……あー」
 美琴の忠告に対する返事なのか、今までお世話になった友人たちへの名残惜しさなのか、分からない声で上条は返事をした。
 美琴はそれを名残惜しさだと捕らえたらしい。
「……アンタね、じゃあ逆に聞くけど、私がメチャクチャかっこいいイケメンの画像を待ち受けにしてたらどう思う?それと同じよ。……結構苦しくなるんだからやめてよね、そういうの」
 プイっと彼女は顔を背ける。
 美琴が向いた方向には窓があり、光があった。二月の少し寒い、でもからっとした気温。雲は薄く、天は高い。
 太陽の光が美琴と眠っている美栄を西洋の肖像画のように美しく照らす。
(………………………………………………………………………………………………、平和だなぁ)
 少し、感慨(現実逃避ともいう)に浸る。
 上条当麻が命を懸けて守りたかったものはこういう時間なのかもしれない。
 今日は外に行こうと思う。外に行って、たくさん遊んで、美琴と美栄と笑って過ごしたい。
 上条は美琴を見る。自分は恋愛に関してそんなに口が回る方じゃないし、いきなり気の利いたことを言える人間でもない。ここで恋愛の熟練者は『分かった、もうお前しか見ない』的なことを言うのかもしれないが、「はぁー」と上条はダルそうに、「わーったよもうしない」とだけ、素直に反省した。
 まぁ考えてみればそりゃそーだよな、と彼はぼんやり思う。美琴が言ったとおり、彼女が自分以外の男を思うところなんて見たくない。そんなところを見たら、絶対苦しくなる。
 そしてそれは美琴も同じだと言った。
 そうなると。やはり御坂美琴は上条当麻が好きだからそういう苦しみを享受しているわけであって、それが今まさに立証されたようで。
 幸せ、というよりもっと単純な感情。
 ――そこにふと、素朴な疑問。
(……ん?待てよ。コイツはいつから俺のことがその……、す、好きだったんだ?美栄が来てからか?少なくとも美栄っていう存在がいる時点で俺と美琴はけ、結婚するわけだからどっちかが確実に俺か美琴のことを好きだったって事だろ……考えてみるとシスターズの時白井が、美琴は俺のことをいつも楽しそうにしゃべってたとか何とか言ってたような……まさか)
 ……まさか、そんな前から?と上条は心臓がゾクゾクと高鳴るのを感じた。
(こ、コイツがそんなに前から俺のことを想ってたとして……、そうするといつものビリビリとかやけにちょっかいだしてきたのはじゃあ……)
 彼はプルプル震える口を押さえ推測する。プイッと目を瞑っている美琴を上条は食い入るように見た。
(……ヤバ……なんか変な気持ちになってきた)
 落ち着け俺、と上条は自分に言い聞かせる。
 大前提として、美琴は以前から上条が好きだったとする。少なくとも結婚する愛柄なのだ。シスターズ事件前後でも好きではなかったとしても嫌いではなかったに違いない。
 その時点でかなり嬉しいのだが、彼の推測は止まらない。
 美琴が8月らへんでも上条のことを意識していたとして、となると、彼女が今まで上条にしてきた攻撃的な行動の数々は全て『好きと言えない(もしくは自分の感情がよく分からず、そわそわする)=何だか苦しい=思わず攻撃してしまう=上条が好き』という気持ちの表れであったと判断できる。
 上条は美琴に嫌われているとつい最近まで思っていた。やれ電撃、ビリビリ、タックル、罰ゲーム。他にもたくさん。
 しかし、この証明が正しいとするとそれが全て逆になる。
 今までの、彼女の執拗な嫌がらせと思われていた行動は全て『逆』だったと結論が出せることになる。
(……………………………………………………………………………………………………………………………………………………、)
 と、すると。
 美琴は偽海原の時どんな気持ちで擬似恋人になってくれと言ったのだろうか。
 大覇星祭、押し倒された時どんな気持ちで上条の言葉を待ったのだろうか。
 罰ゲームの時どんな気持ちで待ち合わせの場所にいたのだろうか。
 冬に入ったころからやたら漏電しまくっていたのは何故か。
 いつもの攻撃的な行動には、一体どんな気持ちが込められていたのだろうか。
(……………………………………………………………………………………………………………………………………………………、)
 上条は美琴の顔を見据える。
 そして言う。
「そっち行ってもいい?」
「……………………………………………………………………………………………………………………へ、変なことしたらビリビリだから」
 遠回りに許可を得た上条は低い体勢でのろりと立ち上がり、ゆっくりと美琴の後ろに座った。
 やがて、抱きしめる。

 温かい。

 愛している美琴は確かにここにいて、心臓が動いていて、生きている。たったそれだけのことなのに神経が解れたように体が緩み、満たされる。
 何だかご機嫌になってきた上条は美琴の肩に顎をのせ、『いやーこれ幸せだなー。何かいい匂いするし……ってあれ!?こんな所に幸せがあると思ったら美琴かよ!マジで幸せだと思ったわー!』とバカ面。
 そう言ってみたくなったのだ。昨日、美琴は『幸せと呼ばれたい』と言っていた。だからそう言えば美琴は喜び、側にいてくれると思ったから。御坂美琴の一番近くにいるのは上条当麻で、上条当麻の一番近くにいるのは御坂美琴でいて欲しいから。
 コイツがいつ俺のことを好きになったかなんてどうでもいいな、と上条はさっきまでの考えを打ち消す。
 過去なんてどうでもいい、と彼は色々なものを切り捨てる。死んでいった者、忘れ去られた者、壊された記憶。それを踏み越え、思う。

 ―――もう、一番大切なのは、美琴だった。それが最も大事で、欲しくて、続いて欲しくて、愛しいもの。

 それは婉曲的に彼の信念を歪める考えだったのだが、上条は満たされすぎてそれに気付けない。
 モジモジし始めた美琴は自分自身に言い聞かせるように、
「………あ、アンタ、そんなアホな口説き方じゃ、ぜ、絶対ダメなんだから……わ、私、そ、そんな単純な女じゃ、ないんだから……この変態」
 上条とは目を合わせず、美栄の頭を撫でるのに夢中。しかし、チラチラと上条を見ているのがバレバレ。
(…………………………………………………………………………………………………………………………、こんにゃろーが)
 ―――美琴でよかった。上条はそう思う。
「……なぁ、キスしていい?」
 自分の中の何かが変わり始めている、と上条は実感する。結構積極的な自分の一面に恐らく美琴より驚いている。
 美琴で良かった。漠然と彼はもう一度そう思う。
 きっと上条は尽くしすぎる女だと変に気を遣ってしまい、うまくやっていけなかった。
 逆に自分勝手すぎる女だったら、こんな風に夢中にはなれなかった。
 美琴だからこんなに好きになって、彼女の笑顔ばかり考えてしまう。
 そうして、彼の胸の中にいる少女はゆっくり頷く。
 計画通りだなと、上条は笑い、唇を重ねた。


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