────愚かな、女の話をしよう。

惨めで
ちっぽけで
誰にも理解されず
一人ぼっちで死んでいった

────愚かな、女の話をしよう。



■■■



池袋に雨が降る。
冷たく、重たい雨が降る。

雨のせいかどこか陰鬱な空気の漂う街中を、傘も差さずに歩く女がいた。
無造作な黒髪と、極端に吊り上がった眼光。
鍛え上げられた肉体に硝子のごとき鋭い殺気。
その女の名は、“鬼子”曇華院麗華といった。

曇華院は普段であれば所在無さげな殺気とともに怒気を周囲にばら撒くのが常であったが、ここ最近はどこか上機嫌であった。
その様はバイト先のステーキハウスの後輩に

「ドンさん、なんかいいことあったんスか?」

と直接聞かれるほどだ。

その理由はシンプル。
彼女は現在、厄介な欲求を解消できているからだ。

曇華院は、常に乾いた心を持つ女であり、

もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと――――『殺したい』

という殺戮欲求を満たすべくもがいていた。
だが、今はそんな殺戮欲求をいい感じに解消できている。

かつては高名な武芸者や格闘家を襲撃することで殺戮欲求を解消していたのだが、
ここ最近は殺人鬼が向こうから(・ ・ ・ ・ ・)襲い掛かってくれているのだ。

(殺人鬼を殺すという発想はなかったが…やってみりゃあなかなかどうして面白い)

帰宅途中を、出勤途中を、ジムへ向かう道を、殺人鬼どもは襲ってきた。
殺人鬼の質はピンキリであったが、中にはかつて殺めた綾目流の師匠並みの実力者もいた。
殺人欲求と強者との戦いに飢える曇華院にとって襲撃者との日々は充実した毎日であった。

しかし、それでも流石に急に襲撃されるようになった理由が分からないままというのも気持ちが悪い。

そこで数日前、曇華院は襲ってきた殺人鬼を半殺しにして襲撃の理由を聞きだした。
最初は言い渋っていた襲撃者も丁寧にお話(・ ・)したところ快く理由を教えてくれた。


「───殺人鬼ランキングだぁ?」


半殺しにした殺人鬼が言うには、悪趣味な金持ちどもが賞金を出して殺人鬼の殺し合いを煽っているらしい。

「で、オレがそのランキングに名を連ねたと…」

「ガ…ボ…その…通りだ…ランキング上位を食えば…自分が上にいけるから…お前を襲ったのだ…」

血を吐きながら死にかけの殺人鬼は答えた。

「へぇ…オレは別段見世物の女芸者になったつもりはねぇんだがな。なんで急にランキングとやらに入ったんだ?」

「殺人の舞台は…池袋と決まっている…お前は、最近池袋で放火魔を殺したはずだ。あいつはランキング40位の猛者だった。それを苦も無く下したことで調査が入り、一気にランキング入りしたのだ…」

曇華院が絞めている殺人鬼は、それなりの金を用意して大会の情報を得ていたようで、かなり事情に詳しかった。
しかし、実際の殺し合いの映像を得るほどの資金を用意することはできず、「一戦のみでランキング上位に入ったルーキーはカモだろう」という誤った認識で曇華院に挑み今に至る。

「ふぅん…で、俺は今何位なんだ?」

興味津々といった感じで曇華院の瞳がぎらつく。
肉食獣を思わせるその瞳に襲撃者はぶるりと震えた。

「…六位。今、お前は殺人鬼ランキング六位だ!!」

六位。つまり、曇華院よりも上だと、華があると判断された殺人鬼が池袋にはまだ五人存在するということだ。

「面白ぇじゃねえか。師匠ぶっ殺して以来、殺す目標ってやつを無くしちまったが…殺人鬼ランキング一位?猿山のトップをぶち殺して笑うのも愉快そうだ。」

ゴキャリ、ゴキャリと襲撃者の顔面を殴りつけて曇華院は情報を引き出す。

■殺人鬼ランキング一位:柘榴女
宗教団体を壊滅させてから定期的に街に出没して人を殺している。
善良な者か強者を殺す傾向にあるのでエンタメ性が高く金持ちどもの支持が厚い。
右顔面が柘榴のように割れている。

■殺人鬼ランキング二位:異世界案内人
意思があると思われる殺人トラック。とにかく派手に死体がばら撒かれるので楽しい。

■殺人鬼ランキング三位:アンバード
詳細不明。ただ票は多く入っている。アンバードという名前で。

■殺人鬼ランキング四位:鬼ころし
正義の殺人鬼とでもいうべき女子高生。
黒髪翠眼の麗しい顔つきで、髪型は縦ロールじみたツインテール。

■殺人鬼ランキング五位:スパイダーマン
某有名ヒーローを思わせる戦い方をする。
とある暴力団を丸ごと潰したことで評価が急上昇。

「なるほど…参考になったわ。アバヨ」

自分より上位の存在の情報を聞き出すと曇華院は襲撃者をあっさりと殺害した。

「どいつも面白そうだなぁ…池袋うろついていりゃあ会えるだろ。血を好むご同類だ。隠れるなんてできねえよ」


こうして、曇華院は池袋を上機嫌に歩くに至る。


(池袋、あちこちに殺気が満ちてるな…とりあえず上位陣を狙うことにしたが、七位~十位辺りも面白い奴が揃ってそうだよな)

(柘榴女…こいつは見た目ですぐ分かりそうだな。見つけたら即挑むとするか)

(異世界案内人…トラック?おいおいどういうことだよ色々理解できねぇぞ?)

(アンバード…有名な野球選手だっけ?名前を聞いたことはあるんだがな)

曇華院は思考を殺人鬼ランキングに集中させる。
様々な考えが超速で駆け巡る。


「……はっ」


気付けば、曇華院は都会の喧騒からは少し外れた地域にいた。
どうやらぼうっとしすぎていたらしい。
時々曇華院にはこういうこと……並々ならぬ集中によって、我を忘れてしまうことがあった。
無心、無我。
ある種の境地ではあるものの日常生活でそれを使える瞬間というのはなかなかないものである。

しかし、その日に限っては無我の境地がプラスに働いたようだ。

「こいつは…いやがるな?」

猛烈な血の匂いと死の気配。そして何より固体を思わせるような濃密な殺気。
特上の殺人鬼がそばにいると曇華院は肌で理解した。


■■■


殺気が誘う方向に足を向けると、そこにはこぎれいな神社があった。
その神社は、とある武神を崇敬してきた神社である。
普段であれば荘厳で神聖な空間であるはずだが、今はその面影もない。
剣呑な空気と血生臭さが境内に満ちていた。

曇華院はより血の匂いのする方、より殺気の濃い方へと向かっていく。

(…コイツはご機嫌なことになってそうだな)

常人であれば足がすくんで動けないような殺気の中を、曇華院は鼻歌交じりに進んだ。

そうして向かった先。鳥居を抜けた社務所付近。
長身の女が待っていた。

分厚いトレンチコート、黒の皮手袋、編み上げブーツ。
雨の中傘もささずに立ちすくんでいる。
濡れた生地がべっとりと体を覆い、顔以外の地肌は全く見えない。

何かを憂うような表情。
頬に落ちる濡れ髪。
青白い唇と、そこからのぞく真っ赤な舌。

そこだけみれば長身も相まって妖艶な映画スターか何かのように見えなくもなかった。

しかし、周りの凄惨な光景がそれを否定する。
長身の女の周りには死体が散乱していた。
受付の巫女も、宮司も、参拝客も、みんなみんな死んでいた。

そして何より、女の右顔面。
柘榴のような傷跡は雨に濡れて赤みを増し、よりグロテスクさを増していた。
左半分のまともさが右半分の異常さを際立たせ、右半分の醜さが左半分の美しさを誇張している。

正気と狂気の共同体。殺人鬼ランキング一位、“柘榴女”である。

普通であれば恐怖の対象である柘榴女の傷跡。
それを、曇華院は喜色とともに受け止めた。

「オイお前。柘榴女…であってるか?というか間違いなくそうだろ?」

曇華院の呼びかけで、初めてそこに人がいると気づいたかのように、柘榴女はぐるりと体を向けた。
雨と血に濡れた柘榴女は、眼球だけをぎょろりと動かし答えた。

「…そう名乗った覚えはないけど…どうやらそう呼ばれているらしいね。それで何か用かいお嬢さん?」

幸いにも柘榴女は現在狂気が落ち着いているようだ。
ある程度以上まともな会話ができる。

「殺人鬼ランキング一位なんだってな。オレは殺人鬼ランキング六位。曇華院麗華。殺しあおうぜ」

「…ランキング一位…そうらしいねぇ。最近は狙ってくる奴も多いからこっちも準備はいつでも出来ているよ。殺し合い上等だ。貴方は素敵な…捧げるに相応しい魂の持ち主のようだしねぇ」

“捧げるに相応しい魂” 相手を選別するかのような物言いに引っかかり、曇華院は疑問をそのまま投げた。

「“捧げるに相応しい魂”、だぁ?その周りの死体はなんだよ。ランキング一位様にとって腹に入れば何でも一緒、手当たり次第に喰らってるようにしか見えねぇぞ?」

曇華院の軽口を、柘榴女はきょとんとした顔で受け止めた。

「手当たり次第?…それは違うねぇ…」

言いながら、足元に転がる巫女の頭を鷲掴みして持ち上げる。

「この娘の名前は鈴木夏樹。巫女はバイト。彼女はねぇ、病弱な弟がいて、その治療費のために様々なバイトを掛け持ちしているんだ。毎日毎日働いて…その上で、夢である看護師になるための勉強も欠かさないとてもとても素敵な娘なんだよ!」

うっとりした表情で、素敵な娘の(・ ・ ・ ・ ・)目玉を抉り、例の瓶に詰め込んだ。

「マー君に捧げるにふさわしい、“美しい魂”の持ち主だ…」

続けて宮司の頭を持ち上げた。

「彼の名前は大倉陽介。学生時代は柔道に励み一時はオリンピックの代表候補になったそうだ。腰を痛めて現役を退いたけどね。彼はこの(・ ・)夏樹ちゃんに恋心を抱いていてねぇ。私に突然の襲撃をされたにもかかわらず、懸命に立ち向かったんだよ!尊敬に値する勇気の持ち主だ!」

興奮に頬を赤く染めながら、尊敬に値する(・ ・ ・ ・ ・ ・)男の目玉を抉り、先ほどの巫女の目玉の隣に詰めた。目玉で瓶はいっぱいになった。

「マー君に捧げるにふさわしい、“強い魂”の持ち主だ…これで!捧げる数は89ぅ!」

柘榴女の狂気。
それを前にしても曇華院は冷静であった。
殺人鬼なんてそんなもんだ(・ ・ ・ ・ ・ ・)と思っていたので特に何も思わなかった。

「お前なりに拘りはある、と。じゃあそこの壁でダルマになってる奴はどうだったんだ?」

事務所の壁には大柄な女性が四肢をもぎ取られた状態で埋め込まれていた。
顔面には目も鼻も既に存在せず、苛烈な暴力に晒されたことが見て取れた。

「…ああ、彼女は偶然ここに居合わせた方だよ。“美しい魂”かもしれないから、今までしてきた美しい点を語らせてみたけど…どうにも今一つでね。思い出せないだけかもしれないから色々(・ ・)手伝ってあげたけど特にな~~んにも!なかったねぇ…」

柘榴女の右目がぎょろりと動く。
ガクガクと全身を震わせる。
狂気が、柘榴女の身体から滲み出る。

「それでも、イヒィ!“強い魂”かもしれないからぁ?ウェフフ!立ち向かうべき逆境を沢山た~くさん与えてあげたけどねぇ!泣き叫ぶば~っかりでェ!抵抗の一つもできないよわよわな魂だったよ。マー君に捧げるには相応しくナイな~~~い!!」

そう叫ぶと柘榴女は大柄な女性の遺体をばら撒き、境内の砂利を血に染め上げた。
砂利が雨と血しぶきで赤黒く染まっていく。


「ハ!完全にイカれてんなお前」


狂気に染まりきった柘榴女を前にし、曇華院は構えをとった。
鍛錬のほどが一瞬で分かる、流麗で荘厳な構えであった。

その達人の構えを前に柘榴女は笑う。

「貴方はさぁ!とても素敵だ!とびきりに!強くて美しい!一目で分かる!貴方だったらぁ…オケッ!一人で一瓶分になりそうだよぉヒェ!イヒヒィ!私と!マー君のために死んでねぇええええ!!」

「上等だオラ!楽しませてくれよランキング一位殿!」


■■■

殺人鬼ランキング一位:“柘榴女”
VS
殺人鬼ランキング六位:“鬼子”曇華院麗華

■■■


叫ぶが早いか、柘榴女は曇華院に猛然と駆けより、体重を乗せた前蹴りを放った。
プロレスで言うところのヤクザキックである。

路上の戦闘において、硬質なブーツを履いたうえでのヤクザキックはシンプルながら十二分の破壊力を持つ。
ましてや柘榴女は近接戦闘型の魔人。その膂力は強大。
一般人であれば一瞬で上半身が消し飛びそうな一撃であった。

だが、あいにく曇華院は一般人とは程遠い達人である。
各地の著名な武芸者や格闘家を殺してきた曇華院にとって、半素人のヤクザキックなど脅威でも何でもない。
軽やかでありながら緻密な外受けでヤクザキックを逸らすと、柘榴女に一気に接近。
曇華院は早々に勝負を決めるつもりで筋引き包丁による一撃を見舞おうとした。

しかし、その動きは柘榴女の想定内。
接近してきた曇華院目掛けて握り拳をカウンター気味に振り下ろす。
ガギン、と生身の肉体ではありえない金属音が響き渡る。

目を丸くするのは柘榴女。
透明にしておいた(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)警棒による初見殺しの一撃が完全に防がれたからだ。

透明の警棒を筋引き包丁で抑えた曇華院は、挑発的に笑った。

「どうした?目玉が飛び出そうに丸くなってるぞ。オレを甘く見すぎじゃないか?明らかに何かを握っている拳の軌道、そして何より雨に濡れたせいで水滴が宙に浮いている。気づかないわけねえだろ」

曇華院は簡単に言うが、これは達人の妙技。
激突は一瞬。
その一瞬で、雨中の水滴の違和感に気が付くことが出来るものなどこの世に何人いるだろうか。

「遺言は聞かねえぞ!」

思惑の外れた柘榴女のどてっぱらに筋引き包丁が吸い込まれる。

「鬼哭啾啾!」

これまで曇華院が殺めた者たちの残留思念たるもや(・ ・)が強烈な振動を伴って叩きつけられる。生身であれば戦闘型魔人であっても胴体が爆散しかねない破壊力の一撃。

巨大な破壊音が響き、柘榴女の巨体が吹き飛ばされる。
その戦果にも曇華院は喜びを欠片も見せず、それどころか不機嫌そうにボヤいた。

「…チッ。手応えが妙だ。間合いも見誤った。お前、何か着込んでやがったな?」

曇華院の指摘を受けながら柘榴女はのそりと起き上がった。
胸元から透明の何かがガラガラと崩れ落ちる音が聞こえた。

「…魔人警察が暴徒鎮圧用に着込む特殊アーマーを透明にして装備していたんだけどねぇ…まさか一撃で壊されるとは思わなかった…とんでもない強さだ。貴方に近づくのは危険なようだ」

痛み故か、雨の冷たさ故か、はたまた何かの周期のせいか。
比較的冷静な状態に戻ってきた柘榴女は曇華院と一旦距離をとる。

透明の警棒を捨てると、中空にある何かを掴む素振りをした。

(バッグ?か何かに得物を詰めたうえで透明化してんのか?色々してきそうだなオイ)

「シィィ!」

破裂音のような掛け声とともに柘榴女は透明な何かを曇華院に投げつけた。

(何を投げた?この距離で爆発物はさすがにねえから、結局はぶつけるためのモンだ。見えなくても軌道くらい読める。問題ねえな)

曇華院の読みは的確。
柘榴女は鉄球を透明にして思い切りぶん投げていた。
曇華院は筋引き包丁で鉄球を受け止めると、即座に間合いを詰めようとした。


ヒュッ


風切り音が曇華院の耳に飛び込む。

(!!!やべえ!!!)

その瞬間、曇華院は即座に地に伏し、同時に首周りをガードした。
その判断の速さは驚嘆としか言いようがなかった。

柘榴女が投げたのはただの鉄球ではない。
二つの鉄球を特殊ワイヤーでつないだアメリカンクラッカー状の武器、【ボーラ】であった。

鉄球を一つ抑えても遠心力でもう一つの鉄球が襲い掛かる。
その鉄球を躱したところで特殊ワイヤーが切断しにかかる。

多重構造の武器は不可視になることによって悪辣さを増す。
柘榴女が強者を狩る際に定番として用いる道具であった。

その数多の強者を狩ってきた一撃を、曇華院は風切り音一つで正体を看破し防御姿勢を取った。
地に伏せた曇華院の頭上をボーラが虚しく飛んでいく。

必殺の一撃を躱されたにもかかわらず、柘榴女はゲラゲラと笑った。

「イッヒイ!良い!良いねえ!これを初見で見切る達人なんて初めてだよ!全力でやらなきゃだねえ~!ウヒャハァ!」

自身が不利な状況になっても、技を見抜かれても、柘榴女は笑う。
愛息に捧げる魂が輝くことにこそ喜びを見出すからだ。
敵は強ければ強いほど良い。

柘榴女。
かつての冷静さが顔を出すことはあるものの、根底にあるのは狂気であった。

柘榴女の狂気に、曇華院も笑い返す。

「透明化が能力か?面倒くせえ能力だが…生物には使えねぇんだろ?それが出来るならとっくに自身を透明化するはずだよな?」

曇華院麗華。
殺戮欲求に苛まれながらも、芯は酷く冷静であった。


真逆の二人の殺し合いは、加速していく。

■■■


二人が戦いを始めて数十分。
殺人鬼ランキング一位と六位の殺し合いは、互いの技術と経験が交差しあう至極のものであった。

近接戦に分があるのは曇華院。
間合いを詰めて一気に仕留めようとするところを、柘榴女が透明化した武器で翻弄する。
透明化した武器の詳細がつかめない以上曇華院は見に徹するため距離をとる。
そしてことごとく初見殺しを回避する。

そんな二人の拮抗した殺し合いの余波は神社全体を破壊した。
神木は刻まれ、社務所の壁は崩れた。
子供用の遊具は破壊され、斬撃の余波で境内に置いてあったペットボトルの山はバラバラになった。
ゴミは散乱し賽銭箱が砕け散った。

両者心身ともに消耗し肩で大きく息をする。

(…たかが人殺しと甘く見ていたが…面白い!強いなコイツは!)

興奮する曇華院に対して、急に柘榴女は接近戦を仕掛けてきた。
先ほどまで透明であったはずの警棒はいつの間にやら能力を解かれている。
その警棒を力任せに上から叩き付けた。

(ここにきて急に普通の攻撃?よく分からねえが受けるか)

その警棒の一撃は奇妙な一撃だった。
直前でふわりと寸止めでもしたか、受けた「触覚」がまるでなかったのだ。

(寸止め?感触がねぇ?よく分からないが…攻撃として機能していないならばこちらから攻めるまで!近づいてきたのなら幸い!)

気持ちを切り替え攻めようとする曇華院。
しかし、気が付いたらすでに全身から力が抜けていた。

「え?」

ガクリと曇華院は膝をついた。
雨に濡れた境内の砂利に、ぐちゃりと伏せる。
いつの間に雨は強くなっていたのか、足元はかなり深く濡れていた。

実は、柘榴女が用いている警棒は電流を流すこともできる特殊なものであったのだ。
筋引き包丁越しに浴びせた電流。
通常であれば曇華院は、電流を少しでも感じた瞬間に柘榴女から離れるか筋引き包丁を手放すかできたであろう。
しかし、その警棒からは「触覚」が封じられていた。
感覚のないまま電流が曇華院を蝕んでいたのだ。

痺れて地に伏せる曇華院を見下ろした柘榴女は、何故か曇華院から距離を取った。
絶好の追撃の機会にも関わらず距離を取り、勝ち誇った笑顔で年代物のライターを取り出した。

その奇妙な行動に、曇華院麗華の頭脳が激しく回転する。
ここまでの戦いを超速で振り返る。
そうして、戦いの中に違和感が潜んでいることに今更ながら気が付いた。

【斬撃の余波で境内に置いてあったペットボトルの山はバラバラになった】
【境内に置いてあったペットボトルの山】


(…あれは、いつから置かれていた!?オレがここに来た時にはなかったはず…透明化していた?何故解除した?何のために置かれていた?)


降りしきる雨。
足元にびちゃりと広がる液体。
柘榴女の勝ち誇った笑顔。
取り出される年代物のライター。

導き出される答えは簡単だ。
曇華院の頭に【ガソリン】という単語が強烈に浮かび上がる。

ガソリンには色が付けられ、水と見分けがつくようになっている。
しかし、境内の砂利は柘榴女が遺体をばら撒いたことにより赤黒く染まり、水とガソリンの識別が付かない状態になっていた。戦いの最中にひそかに破壊されたペットボトルからこぼれ出たガソリンは曇華院の周囲を満たしていたのだ。

(いやおかしいだろ!)

曇華院の目に、柘榴女がライターに着火しようとする姿がスローモーションで映る。
当然の疑問が曇華院の脳裏を暴れつくす。

(これがガソリン?ガソリンのわけねえだろ…!?匂いがしねぇ(・ ・ ・ ・ ・ ・)じゃねえかよ!)

ガソリン最大の特徴である独特の匂いがしなかったことが、歴戦の猛者である曇華院の判断を狂わせた。

曇華院に向かい着火したライターが放り投げられた。
それと同時に柘榴女は何か透明なものを抱えて後ろに跳んだ。
防御盾のようなものを用意していたのだろう。

気化したガソリンに火が付き大爆発を起こす刹那。
凛とした声が響いた。

「舐めるなよ化け物!!鬼哭啾啾ぅう!!」

曇華院は、猛烈な火力と光を生む爆発を、真正面からねじ伏せにかかった。
能力全開。ここが勝負どころとばかりに全力を振り絞る。
放火魔、一文字厚を打倒した時のように火力をもやで巻き取っていく。
それと同時に振動を増幅させ衝撃に変換する。
自らの体を弾丸のように射出し、後方へ跳んで逃げた柘榴女に一気に接近する。

光や熱波を完全に防ぐことはできず視力は塞がれていたが問題ない。
音が柘榴女の位置を教える。

ガソリン爆破を真正面から攻略する猛者がいるとは想像していなかった柘榴女は、驚愕に顔を歪めたが、視力を塞がれた曇華院はその驚愕の顔を直接見ることは出来なかった。

深く踏み込んで鬼哭啾啾による一撃を見舞う。
防御盾の砕ける音が響き、ワンテンポ遅れてドサリと何かが落ちる嫌な音と

「いぎゃああああぁぁぁぁああああああああ!!!」

という柘榴女の悲鳴が境内を震わせた。

(クソ!視力を塞がれたせいで完璧に仕留めることは出来なかったか!?)

悲鳴にも油断せず耳を澄ませる曇華院。
ずりりと何か弱弱しく遠ざかる音が聞こえる。

(逃げている?いや、判断はしきれない。とりあえず襲撃に備えつつ視力の回復を待つが定石!)

罠を考慮して曇華院は冷静に立ち回った。
数分後、視力が回復した曇華院の目前に転がっていたのは、
黒手袋と分厚いコートに包まれた、【柘榴女の右腕】であった。

「命を狩るには至らなかったが…届いていたみたいだなオイ?」

決着は間もなくである。

■■■

池袋に雨が降る。
冷たく、重たい雨が降る。

その雨でも流しきれない血の跡が境内から外へと続いている。
柘榴女が重傷を負いながら逃げて行ったのは明確であった。

「無駄な足掻きをするんじゃねえぞ」

血の跡を追いかけようとして、曇華院は何かに躓いた。
透明な何かが境内に放置されており、それに引っかかったのだ。

「これは…透明なボストンバッグか何かか?」

その透明な物体を手探りで撫でまわし正体を推察する。
柘榴女は逃げるために装備を全て捨て去り少しでも身軽になろうとしたのだろう。
よく見ると雨に濡れた何かが境内のあちこちに散らばっている。

「その往生際の悪さは嫌いじゃねえが…装備を捨てた以上、見つけたら“詰み”だぜ王将(おうさま)?」

曇華院は逃げる柘榴女にあっさりと追いついた。
それほど、右腕を失った柘榴女の歩みは遅いものだった。

いや、それはもはや歩みではない。
立つこともできずに体をよじりながら芋虫のように遅々とした前進を続ける。


「嫌…だ…死にたくないぃぃ…死にたくないよぉ…まだ、まだマー君に捧げられていないのに…痛い痛いよぉ!やだよぉ!助けてぇ!誰か!ウヘヘヒィ!」


幼子のように地べたを這いながら、右腕を失った柘榴女が惨めに逃げていく。
身勝手な救援要請を発信しながら、ずるずると逃げていく。

当然そんな緩慢な動きで曇華院から逃げきれるはずもない。

「嫌だ…いやだぁぁあああ…死にたくない!死にたくない!まだ、まだまだまだやることが…私にはまだぁぁああああぁあ」

曇華院は柘榴女の進行方向に回り込み、蹴り上げて無理やりに立ち上がらせた。
柘榴女は衝撃で血反吐を吐く。

「最後だ。生き汚い戦い方、新鮮で楽しかったぜ。何か言い残すことはあるかよ?」

10年以上無辜の民を妄言とともに殺してきた怪異に断罪の時が迫る。
柘榴女は、全てを諦めたような眼をして、力なく呟いた。


「…私、ちゃんとお母さんやれていたのかしら?マー君はあの世でよくやったって許してくれるのかしら?」


剥き出しの眼球から液体が零れ落ちるが、それが涙か雨かは曇華院には判別がつかなかった。
ハッキリ言って、曇華院はその辺りに全く興味がなかった。
ただ、我武者羅に、何を犠牲にしても、情けなくても、自身のエゴを貫き通そうとする殺人鬼の生き方は

「案外面白いな」 とだけは思った。

「さぁな。よく分からねえけど、お前はよくやったんじゃねえか。六文は渡してやるからあの世でガキに聞いてこい」

敗者を更にいたぶる趣味のない曇華院は、適当に答えた。
そうして、とどめを刺すべく乱暴に筋引き包丁を振るった。

柘榴女の首は、椿を落とすようにあっさりと地に落ちる。
真っ赤な血を吹き出し柘榴女という怪異は稀代の武闘家に調伏される。

────そんな未来は、訪れなかった。

筋引き包丁が柘榴女の首をはねるより早く、曇華院の腹部を何かが貫き大穴を開けていた。

「…え?」

事態を理解できずに、曇華院は神社の池の鯉のように口をパクパクと開く。
その口からは赤黒い血がドバドバとあふれ出た。
完全なる致命傷であることは誰の目から見ても明確であった。

「本当にぃ?本当に私を許してくれるぅ?こんな、こんな卑怯な()を使うのにぃいい??!」

柘榴女の透明な腕(・ ・ ・ ・)が、曇華院麗華を貫いていたのだ。

「ガ…!?てめ…え?肉体を…透明化はできないはずじゃ…?」

曇華院はそう叫んでから、自らの肉体を貫く腕の冷たさに汗をかいた。

「ウヒヒィ!そうだよ!!義手だよぉ!!顔面の傷をつけられたときにねぇ…右腕も持ってかれちゃったのさぁ!」

地肌を見せないように着込まれた手袋とコート。
四肢をもがれていた大柄な女性。

点と点が結ばれていき、曇華院の中で答えが生まれる。

(この野郎…隠し玉を用意してやがった…!境内に残された腕は被害者のものかよ!オレがここに来てから被害者の腕に細工をする余裕なんてなかったはずだから、アレは事前に準備されていた…?オレと出会う前から!?ということは…律儀に死体の腕を持ち歩くようにしてるのか?新鮮な替え玉の腕を常に?)

「ハハハ」

乾いた笑いが曇華院の口から零れた。
あまりにも悪辣な常在戦場の精神。
過去のどんな武芸家よりも日常的に“死”の傍らにある思想。

到底理解できない在り方ではあるが、それこそが達人、曇華院麗華を討ったのだ。

(面白い…勉強になった。次は(・ ・)参考にするとしよう…)

どこか達観したような表情で佇む曇華院に、柘榴女はゆっくりと手を伸ばした。
とどめを刺し、眼球を抉りだすつもりなのだろう。

曇華院は最後の力を振り絞り柘榴女の手をはじくと、雨中に吠えた。

「ハ!お前の手にかかる気はねえよ!」

すると、曇華院は腹に大穴が開いているにもかかわらず仁王立ちし、能力を全開にした。

「鬼哭啾啾!!俺を喰らえ!!」

もやが曇華院の全身を覆い蝕んでいく。

『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお』
『殺してやるうううううううううううううううううううううううううううううう』
『あああああああああああああああああああああああああああああ』
『出来損ないの外道弟子があああ!死ね!死ね!』
『人でなし!沈め!沈め!!!』
『アハハハハハ!やっと!やっとこっちにくるんだな鬼子ぉ!』

これまで曇華院が殺した対象の怒りや恐怖といった霊魂や残留思念が暴れまわる。
地獄の底に連れて行こうと、亡者どもが叫び続ける。

その怨嗟の渦の中で、曇華院麗華は笑った。
呵々と、爽やかに、雄大に、気持ちよく笑った。

「アッハハハハ!!亡者ども!あの世でもう一戦としゃれこもうじゃねえか!」

あっという間にもやが曇華院の肉体を喰らってく。肉が、血が、もやに咀嚼されていく。
全身が骨に変わっていく中で、“鬼子”は笑顔とともに柘榴女に中指を突き立てて吐き捨てた。

「アバヨ!イカれ女!お前は間違いなく早々にこっち(・ ・ ・)に来る!こいつら交えて第二回戦だ!」

そう叫んだ直後、曇華院麗華は全身を骨としてがちゃりと崩れ落ちた。
何一つ人生に憂うことのない、武人の死に様だった。





池袋に雨が降る。
冷たく、重たい雨が降る。


全身を血と雨に濡らしながら、柘榴女は“鬼子”曇華院麗華の残ったしゃれこうべを拾い上げた。
そうして、ひときわ大きな瓶に詰め込むと嬉しそうに叫んだ。

「本当に!本当に!素晴らしい魂の持ち主だった!これで!90!あと!10つ!」

上機嫌に、雨に歌いながら柘榴女は人が死に絶えた神聖な空間を歩む。
ふと、何かに気が付いたように柘榴女は社務所に売られているフクロウのお守りを血濡れた手で掴んだ。

福が(こも)ると書いて福籠(フクロウ)と表現されるお守りは、池(ぶくろ)の名物である。
柘榴女はお守りを強く握りしめたまま、拝殿の鈴を鳴らし、静かに眼を閉じて祈った。

「マー君が幸せになりますように」
「マー君がいる世界が温かく幸せなものでありますように」

狂気が少し和らいだ柘榴女が血と臓物に濡れながら口にした願いは、世の大部分の母親が口にする真摯で清らかな願いであった。


その悲喜劇を笑うことのできるものは、もうこの空間にはいない。









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少しだけ、未来の話。

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────愚かな、女の話をしよう。



魔人警察の薄暗い資料室。
陰鬱な大男と軽薄な若者が分厚いリストをあさっていた。

大男は淡々とリストをチェックする。
そのリストには【池袋『NOVA』大量殺傷事件:死亡者リスト】と大きく書かれていた。

「先輩~。これ、終わる気がしないんスけど。池袋に壊滅的大打撃を与えた例の事件…災厄級の殺人鬼が大量に関わってるんスから、原因の究明と?今後の対策?なんて無理ゲーですよ」

「…喋っている暇があるなら動け。」

陰鬱な大男が開く【池袋『NOVA』大量殺傷事件:死亡者リスト】には、魔人により殺害されたと推定される被害者たちの写真が記載されていた。

記載されていたのは純粋な被害者たちばかりではない。

“鬼ころし”に殺害された鋸鋸 八的太(のこのこ やってきた)
“俳人575号”に殺害された木屋 昴夫
"切り取りシャルル"に殺害された夜目 利造(よめ きくぞう)

などなど、争いで死亡した殺人鬼も載っていた。

陰鬱な大男は、リストの最後のページに記載された死体を見つめる。
その死体は、凄惨な死に様を見慣れているはずの魔人警察の男ですら眉根をひそめるレベルであった。

その死体の瞳は濁り切り、悲しみに染まっていた。
何をどうすればここまで悲嘆できるのかと誰もが疑念を持たざるを得ない瞳だった。

その死体の顔は、深い深い絶望に沈んでいた。
執行間際の死刑囚ですらここまでの絶望は抱かないと思えるほどの顔だった。

そして、その死体は───顔の、右半分が割れていた(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)

リストの名前欄にはハッキリと、【柘榴女】という文字が刻まれていた。





そこに、希望はなかった。
その女は、目先の安易な偽りの希望にしがみつき、無辜の民を殺戮した故に。

そこに、夢はなかった。
その女は、自らの欲望のために、数多の美しき夢を踏みにじった故に。

そこに、奇跡はなかった。
その女は、強き願いの奇跡を理解しながらも、その価値を顧みず噛み砕いた故に。


そこに、愛は───


…嗚呼。愛は、愛だけは。
歪で、濁って、ひび割れていても…それだけは…


その女に、愛は──



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────愚かな、女の話をしよう。


そう。これは、柘榴女と呼ばれた怪異が死に至るまでの物語である。



最終更新:2024年06月02日 21:49