殺人鬼ランキング17位『羅刹女』――三豆かろんは、自分より順位が一つだけ上の16位『普通の女子高生』――人彩メルと学校の廊下で対峙していた。
お昼時である。楽しげな声がそこらじゅうで飛び交う喧騒の中、人彩メルは一人だけで弁当を食べていた。
唐突に学校に乗り込んできた不審者――かろんだが、同年代の女子ということもあってそこまで騒ぎにはなっていない。どちらかというと、生徒からはメルの方が明らかに避けられている。
廊下の中央、ピクニックのようにシートを広げてお弁当をつまむメルに近付こうという者はいない。誰もが、彼女のことを恐れているためである。
見た目からして、全く脅威には感じない風体。
かろんからは、メルが明らかに“狩られる側”の人間であるように見えた。
事前の『スポンサー』からの情報――耳たぶがXの形になっている赤毛――と比較しても間違いない。
念のため、かろんはスマホの表示を相手に見せ、確認を取る。
「ランキング16位、『普通の女子高生』――で、間違いない?」
「……!はい、そうです!」
メルが答えるや否や、かろんは動き出す。
かろんは地面を蹴り、2メートルほどあった間合いを一瞬で詰める。と同時に袖口からロープを引き出し、メルの体に巻きつけるように展開する。
唐突な非日常に廊下から悲鳴が上がり、伝播する。ガキどもの甲高い悲鳴が頭に響いて、脳を駆け回る。
油断はしない。特に魔人同士の戦闘において、見た目など大した情報にはならない。あの細腕に、どんな膂力が詰まっていてもおかしくない。
「登録名は『普通の女子高生』! 鏖高校、殺芸部一年、人彩メルといいます!」
メルはその場から一歩も動くことなく、『脳・マ↑↑』
『灰色の脳細胞』状態を展開――頭蓋が弾けて中から脳細胞がまろび出て、八股に分かれた細胞がナイフのような形を取り、ロープを細切れにする。
戦い慣れた動きだ。
「あなたのお名前は?」
『灰色の脳細胞』はその切先をかろんへ向け、頭を狙って刃を叩きつける。
――殺し慣れてもいる。
かろんの頭に叩き込まれた刃は、ガイィィィィン!と音を立て、弾かれる。
「あー……そうだね、わたしはランキング17位、三豆かろん……」
ダメージはないものの、衝撃でかろんは何歩か後ろに下がる。そして、ナイフのような形だった『灰色の脳細胞』が追随して形を変え、かろんの体にまとわりつく。
抵抗する間もなく、かろんの体はメルの脳細胞に包まれた。
かろんは蜘蛛の巣に囚われたバッタのように、ぶらぶらと宙ぶらりんになった。
あたりには、生徒は一人もいなくなっていた。
ただ、『NOVA』のドローンカメラだけがこの戦いを記録する。
出会ってから2分とかからなかった死闘は、一時停止。
「さて、どうしましょうね」
メルが圧倒的に有利な状況に見えるが、実際はそうでもない。
ぎゅ、と『灰色の脳細胞』に力を入れるも、かろんの体はなんともない。
『灰色の脳細胞』は硬いには硬いのだが、それを操るメルの力はそれほど強くはないのだ。
そして、ナイフ程度の刃でかろんを傷つけられないことは、先ほどの攻撃が証明している。
かろんも力を込めて『灰色の脳細胞』から脱出を試みるが、硬くしなやかな脳細胞はかろんを離さない。
メルが『脳・マ↑↑』を解除しようものなら、即座に八つ裂きにされるだろう。
「餓死やら窒息で決着……なんてのは恥ずかしいし……どう思います?」
かろんは全身に力を入れ――そして、脱力した。
「わたしなら、殺せる時は殺しとくけどね」
『普通の女子高生』――人彩メルは、少なくとも現在かろんを殺す気はないらしい。
「なにか要求とかがある感じ?協力とか、取引とか」
意外かもしれないが、かろんは意外と人の言うことを聞く方である。そうでなければ、スポンサーの言うままにプロ殺人鬼などしていられない。
殺しにも戦いにもプライドなどない。それが三豆かろんである。
メルは、「話が早い」というように表情を明るくした。
「私と……付き合ってもらえませんか?」
「はぇ?」
メルがかろんに近付く。
唐突に、メルから妖艶な色気が立ち込める。
『脳・マ↑↑』、『催眠』状態。植物状態よりはずっと軽く……かろんの脳が侵されていく。
メルは、かろんの耳を軽く噛み、小声で囁く。
「私、貴女みたいな……かろんさんみたいな人、タイプなんです」
息が吹きかかるたび、かろんの全身が痙攣したように跳ねる。
脳触手がかろんのパーカーの袖口から侵入し、脇腹を、へそを、そして恥骨を撫で回す。会ったばかりの人物に撫で回されているにも関わらず、かろんの頬は上気し、皮膚と瞳は潤みを帯び始めていた。
かろんは純情な女であった。
男はもちろん、女に抱かれたことも無い。殺すことばかりにかまけて、恋愛など以ての外。しかも殺しに興奮を覚えるタイプではない。
こういうヤツほど、堕ちる。
「あ……あ……しゅきぃ……もっとぉ……」
「メル、ですよ。名前を呼んでください?」
かろんは、激しく失禁した。
そのまま脱力して、自らの水たまりに膝をつく。
「メル……しゃま……♡」
「じゃあ、かろんちゃん!まずは貴女のこと……たくさん、教えて?」
○・○・○・○・○・○・○・○
――数時間後。
厚い雲に覆われて、雨がざあざあ降りしきる。
二人の男女が、鏖高校の正門に立っていた。
二人は傘も刺さずにずぶ濡れで、女の方はむわりとした色気を、男の方は薄い髪が頭皮にへばりついて不潔感を醸し出す。
「ここね」
女――『雨隠れの人喰い鬼』吉祥十羅は、濡れた髪をかきあげながら、隣の男に話しかける。
しかし、男――間宮祥三は何も言わない。
十羅はチッ、と大きな舌打ちを一つしたが、地面に打ちつける雨の音に紛れ、消えていく。
「アンタさぁ……分かってんの?私の可愛い息子の仇を取ろうってんのよ」
「あぁ……分かってる」
○・○・○・○・○・○・○・○
十羅の三男――煉の、最後の足取りが分かったのは二日前のことだ。
ある廃ビル。『NOVA』のドローンによる中継で、ある殺人鬼――『羅刹女』による殺人が放送された。
十羅は知り合い(パパの一人)によるツテで、その放送を見せてもらった。
顔が秘匿処理されていたものの、親が息子のことを見違えるはずがない。
あのナイフ、あの身のこなし、あの歩きかた。全てが――まあ、放置していた子なので見覚えは無かったが。多分そうだ。
煉は、『羅刹女』に殺された。
戦闘の地は、学校の廊下に見える――そしておあつらえ向きに、キラキラダンゲロス2の会場である池袋に、学校は一つしか存在しない。
――鏖高校。
また、それと同時、十羅は『NOVA』の『おすすめ殺人一覧』に、見覚えのある名があることに気付いた。
『指名手配犯、マミヤショーゾー53歳 横領殺人容疑』
○・○・○・○・○・○・○・○
「久々に見たと思ったら指名手配犯たぁね……」
十羅の記憶では、間宮はただのパッとしないおっさんであった。
給料もパッとしなかったが、趣味もないために金だけはそれなりにある。性欲が強いわけでもないが、求めれば応える。そして、渋ることもなく金も払う。
よくいる「パパ」の一人だ。
その感想は、今見てもそう変わらない。くたびれたスーツと、無精髭。
うっすらと黄ばんだワイシャツの――赤黒い、血のシミ以外は、ただのおっさんだ。
二人で、夜の校門をよじ登る。
人の身長ほどの大して高くもない門で、特に問題なく降りようとした、その時。
二人がライトに照らされる。
「おい、誰だお前ら……ッ」
鏖高校の守衛が二人、『運悪く』見回りに来ており、二人の『不法侵入』を目撃してしまった。
「見られ――」
たよ、と言う前に、カシャン、と懐中電灯が地面に落ちる音が、2度響く。
「て、ません」
こともなげに、落ちていた石を手で弄びながら祥三がぼそっと呟く。
へぇ、と十羅は感心した。
ひさしぶりに会った男は、意外とやるようになっていた。
ただのつまらない無口な振る舞いも、こうしてみると寡黙でクールな男に見える。
「罠がありますね」
祥三は足元を注意深く探り、ロープを発見した。軽く持ち上げてみるが、端は見えない。
「くくり罠……」
本来、くくり罠と言えば、獲物が通った時に足をくくり、逃げられなくするためのものである。しかし、このくくり罠は、普通の数百倍ほどの長さがある。
よほど引っ張る力に自信がある馬鹿しかこんな罠は作らないだろう。
祥三は念のため、罠の中に入らないようにしながらロープを切断する。
「いますね、そこに」
暗闇の中、十羅には何も見えない方を見ながら、祥三は言う。
十羅には気配も感じられなかったが、祥三が言うならきっといるのであろう――そして、気配を完璧に消しているということは、『殺人鬼』に違いない。
祥三がいくつか投石を行うが、当たった音はおろか、地面にぶつかった音もしなかった。
「目ぇいいね〜おっちゃん」
『羅刹女』――目深にフードを被った女が、暗闇の中から歩みを進める。
「生きてたんだ、『羅刹女』」
『雨隠れの人喰い鬼』として、十羅がかろんに立ち塞がる。
十羅が配信で見たのは、『普通の女子高生』に『羅刹女』が捕縛された後、そのまま解放されたところまでだ。あれだけでは、どちらが勝利したのかは判断できなかった。
『羅刹女』が『普通の女子高生』に負けたのであれば、仇の仇、つまり『普通の女子高生』を殺せばいいか――と思っていたが、本人が生きているならそれでいい。
本当のところ、十羅にとって、仇討ちなどどうでもいい。
十羅の目的は『殺人鬼ランキング』で一位を取って、賞金五億円を手に入れることだ。
そこには、『ドラマ』があった方がいい。
(全員殺して一位――なんて、非効率的なことする必要はない。結局のところ、最終日に一位だったらいいんでしょ?)
子供達に久々に会いに行ったのもそのためだ。
ランキング上位の殺人鬼を引き連れた、悲しき復讐の女殺人鬼――人気が出るに決まっている!
適当に何人か殺した後、最終日に祥三を裏切って背中でも刺せば、金持ちどもは狂喜乱舞して十羅に票を入れるだろう。
音声も映像も加工されるとはいえ、金持ちは『裏』まで調べたがる輩は多い。そして、それを可能とする経済力がある下衆ばかりだ。
「『雨隠れの人喰い鬼』――今から、あんたを殺すよ」
「メル様もそうやって名乗りをあげてたなぁ……うん。『羅刹女』、三豆かろん。返り討ちにするよ」
十羅の周りの雨粒が、止まる。
時間が止まったように、十羅の周囲数十センチの雨粒が、空中に『固定』された。
「『鬼神大帝波平行安』」
人喰い鬼が、雨に隠れた。
その瞬間――動いたのは、祥三である。
常人離れした脚力で地面を蹴り、十羅の『上』に飛び乗る。即ち、『固定』された雨の上に。
そこからさらに飛び上がって、空へ。
かろんは咄嗟に上を見たが、あまりの暗さに影を捉えられない。
「ハ、だが来る方向が分かってりゃ――」
「ばぁか」
かろんは、戦いのセンスではなく、その力だけで殺しを行ってきた。だから、驚くほど『小細工』に引っかかる――戦闘中の敵は二人いるのに、かろんは上を見ている。
ボディがガラ空きだ。
かろんに十羅が突っ込む。『固定』された雨粒を利用した単純なタックル。かろんは直前で近付いてくる十羅に気付き、体に力を込め――
雨粒が、かろんの体にぴしゃりとかかった。
「ばぁか二回目。捕まえたよ」
『鬼神大帝波平行安』解除。そして、即座に再展開。
「あんたの体は、雨粒ごと『固定』された」
かろんの周囲には、小さな雨粒一つ一つが作り上げた、堅牢な牢獄が出来上がっていた。
体を少しでも動かすと、その瞬間どこかしらの雨粒がかろんの体に食い込み、穴が開くだろう。
魔人能力とは、つまるところ認識の上書きである。
十羅が、『雨粒が固定される』能力を持っている以上、それを力技でなんとかすることはできない。
かろんでは、雨粒一つ動かすことはできない。
「確保……っと。祥三、あとはこいつを拷問して殺すだけよ……って、祥三? 祥三〜?」
間宮祥三は、高くジャンプした後、帰ってこなかった。
○・○・○・○・○・○・○・○
鏖高校、校舎屋上。
間宮祥三と人彩メルが、雨に打たれて向かい合っていた。
「二対一は、ちょっとズルいです。殺人鬼なら、一対一で勝負しましょう」
ぎりぎりと、メルの『脳・マ↑↑』『灰色の脳細胞』が祥三の体を締め付ける。
空中に飛び上がり、最高到達点まで来た瞬間――唐突に床が出現し、祥三を飲み込んでここまで運んだのである。
「ああ……話には聞いてましたが、それが『羅刹女』も捉えたっていう触手ですか」
「なっ……触手じゃありません!私の可愛い脳細胞ですよ!」
メルが地団駄を踏み、ぱちゃぱちゃと水が跳ねる。
こんな状況でなければ愛らしい動きに見えるかもしれないが、メルの頭蓋は半分穴が空いており、中から体液なのか雨なのかわからない液体がだぱだぱと溢れている。異常な光景だ。
その時屋上のドアが開き、不幸な守衛が顔を覗かせた。
「異常なーし……ひッ!?」
鋭く一閃、『灰色の脳細胞』が守衛の頭を貫く。
「異常なしですよー。普通の女子高生と普通のおじさんしかいません」
メルは『灰色の脳細胞』をピッ、と払い、血を落とす。
そして、祥三を捉えた方は振り返る。……しかし、そこには誰もいなかった。
「あれれ?」
そんなメルの背後に、祥三が音も立てず回り込み、ナイフを突き立てた。
「……両手両足、ギチギチに縛ってた筈なんですけど!?」
間一髪で防御したメルは、悲鳴のような声を上げる。かろんでさえ捕縛した『灰色の脳細胞』を、目の前の冴えないおじさんが抜けられるとは思えない。
「なにかトリックが!?」
「ありませんよ、別に」
メルの意識が他に行った瞬間を狙って、まずは全身に力を入れる。触手は相手に合わせて形を変えるため、筋肉を肥大化させてから力を抜くことで、わずかな隙間ができる。
そして、肩の関節を外し、肩を触手から解放する。そのまま隙間を押し広げるようにしつつ雨で濡らし、滑りを良くして体を跳ね上げ、脱出。
常人では真似できないほどの荒技だが、祥三にとってはトリックでも何でもない。
祥三は肩の関節を戻し、二撃、三撃と、狙いを変えながらメルにナイフで切りかかる。メルは二撃目を防いだが、三撃目で腹の服を裂かれ、皮膚まで浅く傷を負う。
「うおおおっ!しかも、それ私のナイフ!」
メルの後ろに回り込んだタイミングで、懐から盗んだのであろう。
これも、祥三の殺人の才能が為せる技である。
メルは飛び降り防止用の柵に『灰色の脳細胞』で掴まり、体を空中に固定する。しかし祥三はその瞬間を見逃さず、メルのナイフを、メルめがけて投擲する。
「ぎゃっ」
祥三の投げたナイフはメルの頭部にあやまたず直撃し、左目がどろり、と眼窩から零れる。
メルはその目を掬い上げようとしたが雨で手が滑り、遠くへ落としてしまった。
「い……痛い……」
メルは深く突き刺さったナイフを抜き、あまりの痛みに目を抑えて縮こまる。
彼女の脳細胞は外に露出しているため、頭への攻撃は致命傷にならない。
しかし、明らかに『灰色の脳細胞』の量が減少し、かろうじて体重を支えられる程度に変化した。
(まずい、まずいな……)
この状況――メルは、もはや近距離戦で祥三に敵わない。
『灰色の脳細胞』は非常に強力であるが、その使い手であるメルの力量が劣っている。
(心臓を狙うべきでした)
祥三は、顔色を変えずに、自分の行動を分析していた。
普通の相手なら頭に刺した時点で勝っていた――が、相手は普通の人間ではない、ということを失念していたのである。
「傷が残ったらどうしてくれるんですか!『普通の女子高生』の顔に、傷をつけるなんて!」
メルが激憤して声を上げる。祥三は、ぷっ、と吹き出してしまった。
「何ですか」
「いや……『普通』『普通』と言ってますが、あなた、どう見ても普通ではないでしょう」
「何をぅ……?」
「普通、ってのはね、もっとつまらないものなんですよ」
祥三は吐き捨てるように、言葉を続ける。
「他と比べて特筆すべき点がない。周りの人の話題にすら上がらない。愛する物も、者もない。……そして、何かを変えようという気概もない。それが、『普通』です」
思うところあったのか、いつになく饒舌な祥三が、屋上の飛び降り防止柵を捻じ取る。
「私は、ごめんです。私の人生のような……モノクロの『普通』なんて」
祥三が握る柵は魔人による破壊を防ぐため、タングステン合金で作られていた。
ふすま一枚程度の大きさを片手で軽々と持ち上げているが、その重さは100キロをゆうに超えている。
今の、ダメージを受けた『灰色の脳細胞』では、受け切れない。
(まに、あわない……!)
メルの『脳・マ↑↑』は、自分以外にも発動できる。祥三を『植物状態』にできてしまえば、メルの勝利は揺るがないだろう。
しかし、他者の脳を操る場合、わずかにラグが発生する。
間に合わない、と、考えてしまった。
あるいは、即座に反応すれば間に合うタイミングだったかもしれない――しかし判断が遅れたせいで、実際に間に合わなくなる。
メルの、戦闘慣れしていないところが仇となった。
「さようなら。『異常なガキ』」
無表情に、祥三が柵を投げ――
「離せッ!!クソガキ……!離せッ!やめて、やめ……ッ!」
ようとして、一瞬だけ、固まった。
グラウンドの方から微かに聞こえた叫び声は、『雨隠れの人喰い鬼』――吉祥十羅のものだった。
何にも執着しないつもりでいた間宮祥三だが、十羅の叫び声に、思わず反応してしまった。
それが、敗因。
『脳・マ↑↑』。
『植物状態』――
「ああ、俺にも大切なものはあったんだな」
手がじわじわと木質化し、動かなくなっていく。
持っていた柵は、廃墟のフェンスのように、祥三自身の植物化した手により絡め取られ、離せなくなる。
同時に足から根が張り、その場から動くことすら出来なくなる――。
祥三の体は、大きな一本の木になりかけていた。
「気付くのが遅かったですね」
メルは『灰色の脳細胞』を引き寄せ、屋上に立つ。
「最後に気付けて、良かった」
祥三の体は、もはや頭を除いて、ほぼ全身が木質化していた。だが、その表情は穏やかであった。
メルは、首筋――頸動脈に、ナイフを突き立てる。
祥三の血は、温かかった。
「私の勝ち、です」
○・○・○・○・○・○・○・○
メルと祥三の決着が付く、数分前。
「確保……っと。祥三、あとはこいつを拷問して殺すだけよ……って、祥三? 祥三〜?」
十羅は唐突に消えた祥三を探すも、返事はない。
「……?お前の能力?いや……」
『羅刹女』の能力は映像で見た。
煉との戦いでは準備動作があり、戦闘中にポンポン発動出来る類のものではないと予測していたが――?
「まあ、いいや」
どちらにせよ、相手はもう動けない。
近距離で発動した『鬼神大帝波平行安』は、理論上、どんな方法であれ抜け出すことはできない。
「動くと、アンタの体は穴ボコのチーズみたいになるよ――動かないほうが賢明だと思うね」
かろんは指を少しだけ動かし、雨粒を触る。指で精一杯押しても、びくともしない。
「面倒だなぁ」
「こっからもっと面倒だよ――雨は、降り続けてるからね」
かろんの頭に、衝撃が走る。
十羅は、雨粒がかろんに当たる瞬間に『固定』することで、雨粒を鈍器として使っているのだ。
「がっ……!ぐっ……!」
かろんの脳が揺れる。手足に打ち付ける雨も、一つ一つが鈍い衝撃を伴ってぶつかり、『固定』されることで拘束も強まっていく。
「ステーキってさ、焼く前に肉を叩いて柔らかくするだろ? それと同じだよ! アンタの肉も、ジューシーなA 5ランクになるのさ!」
かろんは目だけを動かして、逃げ道がないか探る。雨粒は360度満遍なく降り注いでおり、どちらに逃げてもダメージは同じに見える。
「逃げ場……!」
かろんは、右足に力を入れ、上に上げる――当然何百もの雨粒が阻むが、さらに力を強めて押し切る。かろんの足に雨粒がめり込み、血が吹き出る。
しかし、地面に強く振り下ろすように、力を溜める。
「はは、おかしくなった?上に跳んだら、まずアンタの脳みそがぐちゃぐちゃになるよ!」
かろんは、右足だけをそのまま地面に振り下ろした。膝のバネを使うわけでなく――衝撃を、下へ。
すると、バギン!!!!という大きな音とともに、周囲の地面がぱっくりと割れ、大穴が開いた。
二人は、周囲の土と共に下へ3メートル落下していく。
「上から降ってくるなら、下に避ければいいんだ!わたしってかしこい?」
雨粒の『固定』から逃れたかろんはすぐに穴から飛び上がり、『鬼神大帝波平行安』の範囲外へ下がる。
「んな……馬鹿な……」
当然だが、地面を強く蹴っても普通穴は開かない。
この穴は、最初からあったものだ。
数日前――鏖高校のグラウンドからゾンビが湧き出た事件は記憶に新しい。地下から湧いた数百の死体は殺芸部が片付けたもの、死体が埋まっていた空間が丸ごと大きな穴になってしまったのである。
学校から「何とかしろ」と無茶振りをされた殺芸部は、ひとまずの対応策として大きな鉄板――ミツキが魔法で作り出したもの――で蓋をし、上から土を被せた。
人が何十人乗ったところでたわむような代物ではないが、かろんの蹴りに耐えられるような耐久性はなかった。
「くそ……落とし穴?味な真似を……」
落下の衝撃で体勢を崩した十羅は、再び『鬼神大帝波平行安』を発動し、雨粒を登って地上に出る。地面の高さまで来たところで、防御用に体の周囲の雨粒を『固定』する。
かろんの目が怪しく光る。
(そもそも、こいつ、何で『鬼神大帝波平行安』の雨粒を何発も頭に喰らって、生き生きとしてんだ?)
十羅が行った『肉叩き』は、以前に路地裏の名もなき殺人鬼を殺した時と同じ攻撃だ。少しずつ、少しずつ風穴を開けていき、最終的に肉片を残してミンチになる――頭に数発受けて、本来なら無事でいられるはずはない。
(頑丈、で済まされる話じゃないわよ)
○・○・○・○・○・○・○・○
時は少し遡って――昼過ぎ。メルはかろんの生い立ち、能力、体質などについて全て聞き終えたところ。
メルは冷や汗をかいていた。
(あ――危なかった――。この子、私じゃほんとに殺せないじゃん)
曰く――三豆かろんは正真正銘、『鬼』であるらしい。言い換えれば、人間ではない。
「もちろん、粉々になったら死にますけど……人間よりはずっと丈夫です。頭に穴が空いたくらいじゃ死にませんし、そもそも穴もほぼ空きません!」
かろんは、冥界の河――日本で言うところの三途の川――の渡し守、に近い存在らしい。
「厳密には違う存在で、本体よりはずっと弱いです……まあ、人間界を楽しむための……コピーみたいなー?」
妙に固かったことに納得がいく――と共に、何故催眠などがここまで効くのか、と考えてから、自己解決した。
冥界の渡し守カローンといえば、渡し賃を払えば舟で向こう岸まで渡してくれる存在だ。しかし、ギリシャ神話にいくつか逸話がある。
例えば、ヘラクレスに力負けして、無理やり出航させられたり。
例えば、オルフェウスの竪琴と歌声に魅了され、言われるがままに舟を出したり。
(あ〜そうか、魅了は“効く”んだ〜!!)
かろんがいうところの『本体』に効くかは定かではないが、少なくともヘラクレス級のパワー……よりは、魅了の方がわかりやすい弱点と言える。
(この子……ただの戦闘なら、勝つかはともかく――ほとんど、負けないんじゃないの?)
なお、メルは普通の女子高生であるため、ギリシャ神話の基礎的な知識は持ち合わせている。
「まあ、良かったか……じゃあ、とにかく一緒に、次の殺人鬼が来るのを待とー!」
「はーい!」
○・○・○・○・○・○・○・○
「うう、面倒だなぁ、どうしようかなぁ」
かろんは頭を抱え、うんうん唸っている。
十羅も頭を抱えたい気分だ。『鬼神大帝波平行安』は、相手から近づいてくる分には無敵だが、逃げる相手に勝つ術はない。
(このまま取り逃したら……ランキングはダダ落ちだわ)
祥三が消えたのも気にかかる――が、今はそれどころではない。所詮あんな男、十羅にとっては都合の良い道具でしかない。
「メル様と……メル様と戦うなら、もっと頑張れるのになぁ」
メル、と言う名前。十羅は、か細い勝利の線を見つけたような気がした。
「さっきも言ってたね――もしかして、ここでアンタと戦った『普通の女子高生』? そいつが祥三を攫ったの?」
「そうだよ。なんか、殺しの美学?みたいな――基本は一対一だよ、ってさ」
「ああ、それはおあいにく様。祥三とサシで戦って勝てる奴なんて、いやしないよ」
無表情であったかろんの眉が吊り上がる。
「そんなことないよ、メル様、強いから」
「祥三は――戦闘力で言えば、もの凄く強いわけじゃない。でも、とにかく判断が早い。『殺す』ための場面で、判断を間違えることなんて絶対にないのさ」
実際には十羅と祥三は昨日、久しぶりに再会したばかりで、殺しの力量など大して知らない。だが、守衛を殺す手際などを見るに、そう的外れだとも思わなかった。少し、誇張はしたが。
「アンタとの戦闘、配信で見たよ。『普通の女子高生』――メルって言ったっけ?あいつ、いつも判断が一拍遅れてるね。祥三には――」
その時、かろんの頬に、何かがぺちゃり、と当たり、地面に落ちた。
「?」
かろんが視線を遣ると――それは、眼球であった。
紺碧の瞳――メルが祥三との戦闘で取り落とした眼球が、何の因果かかろんに直撃したのである。
あるいは、タイミングが少しでも違ったら冷静に、メルのことを探しに行ったかもしれない。
しかし、今は――
「その、メルとかいうやつ――もう死んでるよ」
怒り、怒り、怒り。
そんなわけない、ありえない、どうして、なぜ、助けなきゃ、殺さなきゃ――。
ぐちゃぐちゃの感情がかろんを支配し、弾けるように十羅の方へ駆け出した。
(あはっ! 効いてる効いてる! こいつ、怒りに任せて突進してくる! 『固定』された雨に、突っ込む!)
十羅は思い通りになり、天にも昇るような気持ちだった。ただ勝つのではない。相手が突進してきて、そのまま弾けるなんて――こんな派手な勝ち方、『雨隠れの人喰い鬼』、人気もうなぎ登りだ!
見えないほどのスピードでかろんが十羅に近付き――そのまま、十羅は襟を掴まれた。
「あぇ?」
視界は返り血で染まっている。衝撃が強すぎて、首元に手が飛んできたか?――と思うのも束の間、ズルズルと引き摺られる。
かろんは――『羅刹女』は、身体中に穴を開けながら、十羅を引き摺っていた。
「え!?な……なんで!?」
必殺の雨の中、かろんは数メートル歩き、そして校門の近くに落ちていたくくり罠の残骸――ロープに向かって、コインを投げつける。
十羅は、本能的に理解した。連れていかれる。『死』の境界だ。『羅刹女』が死にかけでも、私が無傷の五体満足でも関係ない。このまま引き摺られていけば、死ぬ。
十羅は、煉が消えた映像を思い出していた。これだ。私も、息子と同じように死ぬんだ。いやだ、死なない、死にたくない。
「私は、雨隠れの……『雨隠れの人喰い鬼』だぞ……!負けない、離、離せ、この、ガキ……!」
「『雨隠れの人喰い鬼』……ね。……わたしは、ただの鬼、だよ」
「離せッ!!クソガキ……!離せッ!やめて、やめ……ッ!」
十羅が一際大きい叫びを上げ――ふっ、と消えるように、静かになった。
かろんの体に、ただの雨が打ちつける。
○・○・○・○・○・○・○・○
「メル様、メル様ぁ!」
「う……う、かろん、ちゃん?」
メルが意識を取り戻した時、かろんは血と涙に塗れ、穴の空いた喉を震わせて泣いていた。
メルは、自分の脳の状態を『脳・マ↑↑』で確認する。
脳みそは使い果たして、三分の一程度しか残っていなかった。
「あはは……私、頭、使いすぎちゃった、みたい……。もう、ここでおしまいかも……」
「メル様、死なないで、死なないで!!」
メルがかろんをよく見ると、かろんも満身創痍だ。片手はないし、片足も皮一枚で繋がってるくらい……胸にも、大きな穴が空いていた。
「かろんちゃんは……大丈夫?」
「まだ、まだ死なない、けど……メル様こそ、どうなの!?」
「私は、もう脳がないから……しばらくしたら、死ぬと思う」
メルは、明滅する視界の中、話すので精一杯だ。
メルは、『普通』になりたかった。それだけ。それだけなのに――。
「うまく、いかないなぁ」
「メル様……足りないのは、脳だけ?」
「うん、そう……出血は、大したこと……」
言いかけたところで、メルの砕けた頭蓋骨の中に、何か温かいものが流れ込んでくる感覚があった。
「えっ……かろんちゃん!?」
かろんは、『鬼神大帝波平行安』によって穴が空いていた自分の頭――その脳を、かろんの頭蓋に注ぎ入れていた。
メルの脳の容量が増えるにつれて、メルの意識がはっきりしていく。
「だ……だめだよかろんちゃん!」
「動かないで!わたしが、溢れちゃうでしょ」
かろんの脳が頭を満たしていく中で、温かい気持ち――慈愛の心が、メルの心をも満たしていく。そして。
「けほっ。これで、どうかな……?」
ありったけの脳を注ぎ込んだかろんは倒れ、メルの意識は今まで以上にはっきりと強くなった。
「か、かろんちゃん……!!」
「メル様……ねえ、お願い……メルちゃん、って呼んで、いい……?」
「もちろん、もちろんだよ!」
メルは、かろんを『脳・マ↑↑』で気付しようとする――が、無いものは、操れない。
「良かったぁ……メルちゃんが、無事で、良かったぁ……」
「かろんちゃん……一つ、聞かせて……。」
「……なに……?」
「催眠、私が気絶した時に、解けてたよね……?なんで、私を助けてくれたの……!?」
かろんは、か細く息を吐き出して、笑った。
「メルちゃん……人間なのに、知らないんだ……」
雨とともに、メルの涙がかろんに降る。しかし、かろんは満足げな顔で、優しく微笑んでいた。
「人を好きになるのに、理由なんてないんだよ」
『指名手配犯、マミヤショーゾー53歳 横領殺人容疑』――死亡。
『雨隠れの人喰い鬼』――死亡。
『羅刹女』――死亡。
『普通の女子高生』――生存。