「おや、NG集も見ずに帰るんですか?」
オムニボアは驚愕した。
声のほうへと、思わず振り返る。
『ソーマの幻灯』が発動したということは、相手は死んだはずだ。
覗いた記憶はまぎれもなく、水崎紅人本人のもの。身代わりではない。
ならば、なぜ。
縊り殺したはずの水崎紅人が、立ち上がっているのか。
「……貴方の能力が、殺した相手の記憶を読み取る能力だとわかっていましたからね。
お望み通り、一度死んで差し上げたんですよ――
貴方が首を絞めたと同時に、自ら心臓を止めて」
「……!」
オムニボアが戦慄する。
オムニボアが紅人の首を絞め上げ、その結果心臓が止まった。そう思った。
オムニボアが紅人を『殺した』と認識したから、走馬灯は上映された。
その後で、紅人は自らの『凶行裁血』で再度心臓を動かしたのだろう。
ならばこの復活劇もありえない話ではない……だが。
「――バカな。 そんなの分の悪い賭けじゃあないか……!
僕が首を絞めるなんて、わかるはずがない」
「いえ、見当はつきますよ。
貴方が私を殺すなら、絞殺……あるいは扼殺を選ぶ、とね」
冷静さを失いつつあるオムニボアに対し、黄泉帰りの医師が淡々と告げる。
「貴方の昨日の殺しぶりを見るに、貴方は私の情報を十全に得てくるだろうと考えました。
だから、私を迂闊に出血させるような殺し方は絶対にしない。
この時点で斬殺も刺殺も銃殺も、慎重になるなら撲殺も避けるでしょう」
前日のショッピングモールではアンバードによる撲殺狙いの戦術が取られたが――
当たり所次第では外傷がつき、出血する可能性を考えれば百点満点とは言い難かった。
ただし、アンバードの場合は数の暴力という要素もあり、凶器に血液が付着した程度では
状況をひっくり返し切るのは困難だったということもあって、有効な戦略たりえた。
だが、一対一の戦いでは凶器の制御を失うのは致命的な隙になる。
そのことはオムニボアも把握していたからこそ、使い切りの武器を中心とした戦術を組み立てていた。
「私に外傷を与えない前提なら、毒殺が次に浮かびます……が、その場合も
殺傷性ガスのような無差別に複数人を巻き込む兵器は使わない、と踏んでいました」
紅人の続く言葉に、オムニバスの額に冷や汗がにじむ。
「貴方の能力ですが、おそらく『一人ずつ』殺さないと、読み取る記憶が混線するんじゃあないですか?
貴方の殺しの記録を漁りましたが、少なくとも爆殺や毒殺などで複数名を同時に殺す場面は
一つもありませんでした。もちろん、披露していないだけかもしれませんが……
雑食と謳われた貴方の殺しに、複数同時の殺戮が一度もないのは、あまりにも偏り過ぎている。
偏食もいいところだ」
「ぐ……っ!」
オムニボアが言葉に詰まる。
己の二つ名を否定されるような皮肉もそうだが、紅人は己の能力の欠点まで言い当てている。
昨日の騒動で一母偶数によって明かされて、わずか数時間のうちに
能力をここまで暴ききられるなど、流石に想定外である。
「複数名を巻き込めない以上、建物ごと爆破だとか、崩落させて全滅というのも却下でしょう。
あとは先程、身代わりにやってみせたような焼殺――しかし、これも『血液』という
緊急の消火手段を持つ相手には選びづらいでしょうし、そもそも火事になれば
先の通り同時殺戮になってしまう。そうなれば残る手段は絞殺、扼殺くらいしかありません。
賭けに出たとすれば、首をそのまま力任せに折って殺す可能性があったくらいですかね」
「……あ、っ……!」
オムニボアがさらに狼狽する。
そうだ、首をへし折ることはたやすくできたはずだ。実際にそのチャンスはあった――
水崎紅人が無防備にも首を晒し、それをがしりと掴んだのだから。
そして実際にそうしようとした、にもかかわらず。
そうしなかった理由は、ただ一つ――
「だから、あの映像……ネタバレ……」
「……ええ。首をへし折られて死ぬ、というオチまで同じ『物語』を
貴方は絶対に忌避するだろうと考えたので、ね」
上映されていたファスト映画の狙いは、二つあった。
一つは、オムニボアの目的を台無しにするため。
もう一つは、殺害方法を誘導して生還するため。
「貴方が真に雑食であれば、殺せていたんですよ。
貴方にとって殺しは手段でしかなかったのですから、選ぶべきではなかった」
紅人の言葉に、オムニボア――樫尾猿馬は膝をつき、崩れ落ちた。
「う、う―― ……う、ふふ」
暫しの嗚咽の後、猿馬は――おかしそうに、清々しそうに笑った。
その豹変ぶりを、紅人は表情を変えずに見つめる。
「…… ありがとう。君には心から感謝しよう」
猿馬の瞳は、爛々と輝いている――いくばくかの狂気を秘めて。
「僕は『物語』を読むために殺してきた――だからわからなかったんだ。『殺意』というものが。
でもやっと理解できた。 ……今、こんなにも君を殺したいと思ってる」
猿馬は立ち上がると、右腕に力を込める。
痛々しい傷跡の残る顔を引きつらせるように歪めて、笑う。
「もう君の『物語』は観終わった――だからここからは」
唯一の目的をめちゃくちゃにした相手への憎悪を、まるごと殺意に変えて
全身を手負いの獣の如くに躍動させ、紅人に迫る。
「僕が! 僕の意思で! 君を殺すッ! 殺してやる、Dr.Carnage!!」
それは、樫尾猿馬が本当の意味で『殺人鬼』になった瞬間だった。
――惜しむらくは。それが、遅すぎたということだ。
「……え?」
猿馬の足の筋肉が、突然痙攣を始め――思い切り前へとつんのめり、倒れる。
「……『殺意』を自覚できたのは、何よりです。
ですが、僭越ながら申し上げるなら…… いちいち宣言するようではまだまだです」
紅人がしゃがみこみ、倒れ込んだ猿馬に目線を合わせる。
猿馬は起き上がり、飛びかかろうとするが――身体が言うことを聞かない。
猿馬が身体をひねり、足元を見ると――
――血と水が混じった液体が、猿馬の足首の傷に逆流していた。
「え?」
『凶行裁血』。
紅人の血液が付着、混入したものは全て紅人の意のままに操られる――
「私の血液が混じった以上、スプリンクラーの水も対象です。
当然その水自体も血液が混じっていますから、貴方の血管に侵入すれば……
ああ、説明の必要はないですよね? さっき私の記憶を読んだのですから」
「ま、待て! そもそもおかしいだろ、こんな薄まった、微量の血液で――」
「“樽いっぱいのワインにスプーン一杯の汚水を注げば、それは樽いっぱいの汚水になる”――
なら、私の血液が少しでも混入したなら、それはすなわち私の血液も同然でしょう?
少なくとも、私はそう認識しています」
「……認識……ッ!」
魔人能力の基本は『認識』すること――その『認識』を押し付けること。
奇しくも昨日、猿馬は六人の姉妹の『物語』から、それを学んでいたはずだった。
「き、昨日の戦いでは、スプリンクラーで――」
「ああ、アレですか? ……配信されるとわかっている殺し合いで、初戦から切札全部を切る殺人鬼はいませんよ。
それにあのときは『ストックホルム』が警備室に迫ってましたから、やむなく操作を中断したまでです」
紅人は猿馬の質疑に一つ一つ、犯人を追い詰める探偵のように、丁寧に応答していく。
「……そもそも、私のお喋りを黙って聞いていた時点で『殺人鬼』としては甘すぎますよ。
貴方が本当に『殺意』を理解したのなら、遅くとも私が起き上がった時点で殺すべきです。
それか、トドメを執拗なほどに刺す、とかね」
「ぐ、ぐ――」
紅人の言葉に、猿馬は悔しそうに唇を噛む。言い返せない。
猿馬にとって、殺人は物語を読むための手段であり、他人は物語を抱えた宝箱でしかない。
……だから、考えもしなかった。死体を念入りに殺すということを。
「――さて、魔人能力について理解を深めたところで問題です。
今から貴方が、自身の胸をメスで切り裂いた場合――
それは『自殺』ということになるのでしょうか?」
紅人は懐から真紅のメスを一本取り出して、猿馬の右手に握り込ませた。
猿馬の顔が青ざめ、引きつる。
――水崎紅人は、樫尾猿馬を自らの手で殺させるつもりだと気付いたからだ。
「詭弁だ……! お前が殺すんじゃないか、『Dr.Carnage』!
これは自殺なんかじゃあ――」
「そう『認識』して、私にむざむざ殺される哀れな獣で終わるのですか?
それとも、『殺人鬼』オムニボアとして死んで己の『物語』を締め括るのか。
……すべては貴方の『認識』次第ですよ、雑食さん?」
「……!!」
紅人が猿馬に微笑みを向けた瞬間、猿馬の右腕が胸元に向かい――
~~~
そして、映写機は回り出した。
~~~
男は、心というものがわからなかった。
幼いころから、周りとうまく関われず、トラブルばかりだった。
男は心がわかるようになりたいと願いながらも、それでもうまく他者と関われなかった。
両親は男の将来を憂い、さまざまな手を尽くしたが、いずれも男には響かなかった。
何人目かのカウンセラーの勧めで、映画を見ることになった。
共感性を養うとかどうとか言っていたが、興味はなかった。
結果として、彼は映画に魅了された。
多くの人間の生き様が影響しあい織りなされる『物語』に強く惹かれた。
人の心が生む様々な善と悪に、興味をそそられた。
それでも、人の心はよくわからなかった。
そしてもう一つ、困ったことがあった。
一度見た物語に、彼は魅力を感じなかった。
最初に見た時に気に入ったはずの作品を、もう一度見返すと――
とたんに、つまらなく色褪せて見えた。
細かい所の粗を目が追いかける。既にわかっている展開に飽きてしまう。
男は、次から次へと新たな物語を求めた。
もっと個性的で、新鮮な物語が見たい。
作り手の生命が、心が感じられるような、最上の物語を――!
その想いが、彼を魔人へと押し上げた。
それに気付いたのは、たまたま飛んできた羽虫をはたき殺したときだった。
――『ソーマの幻灯』と呼ばれるようになるその能力は、彼に新たな興奮を与えてくれた。
陳腐な動物ドキュメンタリーでは味わえない、生き物の誕生から死までの生々しさ。
男は、この時初めて、心の底から感動できたような気がした。
より濃密な物語を見るために、
より良質な物語を見るために、
より新鮮な物語を見るために――
やがて対象は虫からウサギになり、ウサギから野犬に、野犬から猪に――
人間に辿り着くまでに、時間はそうかからなかった。
最初に見た『人間の物語』は、男の両親だった。
父親が自分を疎み始めていたことも、母親が最後まで男の将来を憂いていたことも
みんな物語が教えてくれた。
それでも、心はわからなかった。
わからないなりに、模倣することはできた。
物語を何本も、何十本も観ていくうちに――それらしい言動と知識だけは身についていった。
繰り返すうちに、男は他人を人間として見なくなった。
彼にとって人間は消費財であり、消耗品であり、消え物だった。
見ればなくなる、殺せばなくなる、けれども巷に溢れて尽きることはない宝物――
やがて、男は他者からこう呼ばれ始めた。
『雑食』――殺しに美学を持たない、華のない殺人鬼。
男は、侮蔑を込めたその呼び名を、喜んで受け入れた。
他人に自分が認知されたことで、人と関われたような気がしたからだ。
だから男は、オムニボアの名を掲げてさらに『物語』を見続けた。
男は気づけなかった。
どんなに『物語』を見ても、それを自分の中に蓄積し、咀嚼できなければ……
本当の意味で己を豊かにしてくれることはないのだ、と。
怒りの物語。孤独の物語。喜びの物語。愛の物語。
どんな物語を見ても、それは一過性でしかなかった。
未知の物語であることにしか価値を見出さなかったが故に。
男は、あれほど知りたがっていた『心』からどんどん離れていった。
名もなき羽虫の生涯に感じたものが『心』などではないと気付けなかった。
どこまでもそれらしく、しかし本物ではない『心』を抱えたまま――
こうして、人を『物語』として消費し続けた愚かな男――樫尾猿馬は。
己の人生を豊かにすることなく、死んだ。
エンドロールまで見終えた猿馬は、静かに目を閉じた。
自分以外誰もいない、自分だけの聖なる領域で――
感想を語り合う者は誰もいない。
故に、彼は無言で己の物語を味わい――
「――うん、いい物語だった」
誰にも聞こえない声で、そう呟いた。
~~~
「……え?」
猿馬が目を開けると、そこはまだ劇場の中だった。
違うことといえば、周囲に薄いテントらしきものが張られていることと、
自分で切開したはずの胸が丁寧に縫われていたことだ。
「ああ、目が覚めましたか?」
傍らで、水崎紅人が手術着に装いを変えて微笑んでいた。
周りを見回すと、血の付いたガーゼやら手術道具が転がっている――
どうやら、心停止に至った自分を、手術して蘇生させたと見て間違いない。
だが、猿馬にはわからない。なぜ生き返らせた?
そんな困惑をよそに、紅人は機嫌のよさそうな声で話しかける。
「ご自分の『物語』を確認できたようですね。何よりです。
……ところで話は変わりますが『記憶転移』という言葉をご存じでしょうか?」
記憶転移? 聞きなれない言葉に、猿馬は首をかしげる。
「心臓移植を受けた人物の趣味や嗜好が、心臓の持ち主に影響されるという説ですが……
大量輸血を行った場合にも、稀に起こるとされています。
まあ、医学的根拠はいまだありませんが……」
……何かがまずい。猿馬の本能が警告を鳴らす。これ以上こいつの話を聞くな。
紅人の言わんとすることを理解せぬよう、猿馬は術後間もない身体に鞭打って
上体を起こし切り、身体を捻って手にしていたメスを紅人へ――
「……人が話しているときに、刃物なんて振り回さないでくださいよ」
向けられたメスは、再び猿馬の胸に吸い込まれるように突き刺さった。
~~~
男は、心がわからなかった。
幼いころから、周りとうまく関われず、トラブルばかりだった。
男は心がわかるようになりたいと願いながらも、それでもうまく他者と関われなかった。
もう見た。
結果として、彼は映画に魅了された。
多くの人間の生き様が影響しあい織りなされる『物語』に強く惹かれた。
人の心が生む様々な善と悪に、興味をそそられた。
それでも、人の心はよくわからなかった。
……もう見た。つまらない。飽きた。
人の内臓が見たい。
やがて対象は虫からウサギになり、ウサギから野犬に、野犬から猪に――
人間に辿り着くまでに、時間はそうかからなかった。
哀れな被害者の内臓を眺め、撫で、愛でた。
その一方で、医師であることを捨てきれなかった。
傷付いた患者の身体を切り、癒し、治した。
男は気づけなかった。
どんなに『物語』を見ても、それを自分の中に蓄積できなければ
本当の意味で、己を豊かにしてくれることはないのだ、と。
……もう見た、はずだ。何かが、おかしい。
こうして、人を『物語』として消費し続けた愚かな男――樫尾猿馬は。
己の人生を豊かにすることなく、死んだ。
~~~
「……!? ハァーッ…… 」
猿馬の意識が覚醒する。
自分の物語が再度上映された……否、一部がなぜか不鮮明になっている。
まるで何かに上書きされたように――
「どこまで話しましたかね……そうそう、血液です。
先程申しましたように、私の血が一滴でも混じればそれは全て私の血液です」
紅人の口調は、徐々に喜色を帯びてきたように聞こえる。
猿馬は混濁した意識を揺り起こしながら、必死に抵抗をしようとする。
やめろ。それ以上無駄口を叩くな。聞かせるな。
「だから今、貴方の体の中の血液は全て私の血液ということになりますね。
手術中に輸血した分も私の血液ですので……ああご安心を、血液型の不一致は気にしないでください。
血液型くらい操作できますから、拒絶反応は出ませんよ」
やめろ、もういい、喋らないでくれ。
お前の話を『認識』したら、マズいことが起こることだけはわかる――!
「さて、あなたが今見た記憶――
もしかして私の記憶が混ざっていませんでしたか?」
ぞくり。
猿馬の血の気が引く――
そして、三度目のリバイバル上映が始まった。
~~~
男は、心がわからなかった。
幼いころから、周りとうまく関われず、トラブルばかりだった。
男は心がわかるようになりたいと願いながらも、それでもうまく他者と関われなかった。
もう見た。
……だが、家族は助からなかった。遅かった。
自分一人だけ生き残った少年は、自分を責めた。
もう少しだけ力をうまく使えていれば、救えたかもしれない。
もっと自分に知識と技術があれば、蘇生できたかもしれない。
もうその『物語』は観終わったんだ。
空しい筋書きだ、と私は思った。
これは、空回りの物語だ。
人間でないものが人間になろうとして、なりそこねた話だ。
自分が人間たりえないと理解したのなら、動物として命を繋ぐだけならば。
人里から離れて狩猟なり採取なりをすればよかったのだ。
ハンマーで砕き、粉末にする。
それに、わたしたちは、自分たちの指の骨を混ぜた。
アイと一緒になるために、アイを世界に刻むために、それが一番自然だと思ったのだ。
わたしって誰だ? この『物語』は、ちがう、なぜだ
男は、侮蔑を込めたその呼び名を、喜んで受け入れた。
他人に自分が認知されたことで、人と関われたような気がしたからだ。
だから男は、オムニボアの名を掲げてさらに『物語』を見続けた。
そうか。そうだ。走馬灯だ。
今まで見た物語が、走馬灯として――
のし上がれると夢を見た。
ランキング最下位なら殺せると思った。間違いだった。
俺の身体が倒れるのを俺が見てて、ああ首を斬られたってわかっちまった。
初任給で、湯呑を買った。
オヤジみたいな、渋くて武骨で、飾り気のない湯呑だ。
この間、長年使ってた湯呑を割ってしまって大分へこんでたからなあ。
代わりにならないかもしれないけど、せめてもの親孝行だ。
それでも、心はわからなかった。
わからないなりに、模倣することはできた。
孫の顔を見ようと、病院までの道を急いだ。
近道に、人気のない路地に入ると、そこには妙な男がいた。
お母さんにお花をあげるのアイツに今日告白するんだ母が死んで悲しくなった俺はロックバンドを組んで10年寿司がおいしい雨模様の中私も憂鬱ういーんがしゃんと息子がロボットで相棒を自らの手で殺すしかなかったんだいつか優勝するんだと誓ってネタを部長に殴られて耳からコーヒーの本場で修行をした大きくなったら先生のお嫁さんにワンワンワン
娘が結婚相手を連れてきてコピーお願いしますニャー円のお預かりになりますありがとうございまし
~~~
「……ア」
自傷を繰り返し、死に臨んでは、治される。
その度に、自分の『物語』を――否、水崎紅人の『物語』を?
いや、この『物語』は――誰のものだ?
わからない。わからない。わからない。
「やめ、 く れ こ ろし ……」
これは物語?それとも現実?
わからない。わからない。わからない。
「嫌ですねえ、医師に向かって『殺して』だなんて。
第一、私は殺していませんよ。貴方が、貴方自身を、殺しているんです。
それを、私はただ救っているだけです。医師として、ね」
「…… ……」
オムニボアは、ようやく――
目の前の男が『Dr.Carnage』たる所以を知った。思い知った。
そして、樫尾猿馬は。
『オムニボア』であることを、やめた。
「……手は尽くしたんですけどね。残念です」
患者の死を悼むようでいて、心のこもらないセリフを呟いて――
『Dr.Carnage』は簡易手術室の片づけを黙々と始めた。
~~~
数時間後、水崎医院。
『NOVA』のVIPの少女が、黒いフードの下から白い目で紅人を見ている。
「……私が何を言いたいか、わかりますか?」
「わかるわけないじゃあないですか、私は預言者でもサイコメトラーでもメンタリストでもないんですから」
「思い切りオムニボアの心を壊しにいっておいてどの口が抜かすんですか。
……そうじゃなくて!
私たちがオムニボアの抹殺を依頼した理由を忘れたんですか、ってことですよ!!」
ばんばん、と事務机を叩いて不満を示す少女に対して、
紅人はダメージの治療を行う手を休めることなく淡々と答える。
「覚えてますよ、そりゃあ。
他人の記憶を読む魔人なんて生かしておいたら、NOVAの深部まで知られる――
社会的立場のある方々にとってマズいことこの上ないですが……それ以上に」
紅人は痛めた首に湿布を張りながら、少女の不服申し立てに答え続ける。
「安全圏から殺し合いを眺めている筈の自分たちが危険に晒される――
オムニボアの動機を考えたら、雲の上の世界の人間たるVIPの方々の記憶は垂涎の的でしょう。
万に一つ優勝でもされたら賞金と副賞の授与で、どうしても接触が必要になるでしょうから
そこで襲われない保証は何もない――どころか向こうから細い糸を手繰ってくる危険すらある」
「そこまでわかっているくせに、どうして命を賭けるようなマネしたんですか!
そのまま先生が死んだら、真っ先にこっちに火の粉が飛び火するんですよ!」
「だから殺して差し上げたじゃあないですか、きっちりと。
第一、もし最初から何もさせずに殺そうとすれば――オムニボアは察知していたでしょう。
魔人能力が目的であって、手段でない殺人鬼がここまで生き残っているということは
それだけ生存能力に、殺戮能力に長けている、ということですから」
紅人が傍らのガラス瓶を開け、中の液体をシリンジで少し吸い出し、肌に塗る。
昨日の成果物たる魔人の心臓を漬けた培養液――
本来の所持者の研究成果には遠く及ばないものの、それでも皮膚の擦過傷が少しずつ消えていく程度の効果はあるようだった。
「……理屈ではそうかもしれませんがね。
というか、オムニボアの能力って『他人の記憶を読む』ことくらいしか
わかってなかったのに、なんでこんなモン準備できたんですか」
少女が、『NOVA』で配信された戦闘の音声付きアーカイブを見せつける。
通常であれば残るはずが、残すはずがない映像。
それを閲覧できること自体、彼女がNOVAの中枢にいる証左である。
スマホを支える手の人差し指は、銀幕に映る水崎紅人監督作品に向けられていた。
「『他人の記憶を読む能力』を持つ魔人が殺人鬼となったのなら、目的は記憶の閲覧……
というよりは鑑賞でしょう。どういう形態で観ていたかはわかりませんでしたが、
殺しのペースを考えれば再読・蓄積が困難であることは想像がつきます。
では、彼を揺さぶるためにはどうするか? ――先にこちらが開示してしまえばいいというわけです。
映像と音声を同時に流せる動画なら、受動視聴させられると思ったのですよ。
殺し合いの最中に、目と耳を塞げる殺人鬼はいないでしょうから」
「それで自分の過去をわざわざ晒したんですか? 配信されるのわかってて??
……やっぱり貴方、大概イカれてますねえ」
「彼は目的のために手段を選ばないからこそ、強く恐ろしい殺人鬼たりえたのですよ。
だから、目的を崩す必要があった。そのために私も手段を選ばなかった、ただそれだけです。
……それこそ、貴方がたが私に求める『役割』のはずですが?」
自己手当を終えた紅人が、服を着直して少女に向き合う。
「皮肉が日に日にうまくなってますね、皮肉だけに」
「言語野の活動は活発そうで何よりです。……お小言は以上ですか?」
「……ええ、このへんにしておきますよ。
それじゃ、お疲れ様でした! ……今度はもう少し自愛した試合運びをお願いしますよ」
「善処しますよ。 ……ああ、ところで最後に一つだけ質問です。
おすすめの映画を一つ、教えてください」
「? ……何ですか唐突に。
えー、一番最近見た映画でいいですか?『ヘンダーランドの大冒険』です」
「……個人的には『ブタのヒヅメ大作戦』の方が好きなんですがね」
「人に聞いておいてその反応はないでしょ。ていうか見てたんですか」
「ええ。私にも少年時代はありましたから。
それに――いい映画は、何度見ても良いものでしょう?」
「そうですか……んじゃまた明日」
フードに隠れた頬を膨らせつつ、少女は消えた。
「……まあ、今回は――
同族嫌悪もあったのかもしれませんが、ね」
聞く者がいなくなった診察室で、紅人は独り言ちた。
他人を『物語』としてしか認識しなかったオムニボア。
他人の心を踏み躙るように虐殺を重ねるDr.Carnage。
お互いに他者を顧みない。
お互いに心がわからない。
向こうがどう思ったのかは終ぞ知る術はないが……少なくとも、紅人は写し鏡の中の鏡像としてオムニボアを捉えた。
だからこそ、お互いに相手の醜悪さに過剰に反応してしまったのではないか。
「……結局、私は。
『心』というものを、ちゃんと知りたいだけなのかもしれませんね」
少女が聞けば鼻で笑いそうな自己診断を終え――
紅人は今日の夕餉を机に広げながら、傍らのタブレットで少女に薦められた映画を流し始めた。
~~~
【虐殺(ぎゃくさつ)】
むごたらしい手段で殺すこと。