────愚かな、女の話をしよう。
皆の期待を裏切り
醜く息絶えた
────愚かな、女の話をしよう。
■■■
「招待状が示したステージは…こちらでして?」
カツカツと、小気味のいい靴音が響く。
靴音の主は、自信が服を着て歩いているような女であった。
黒髪翠眼の麗しい顔つきで、髪型は縦ロールじみたツインテール。
体格はそこまで大きい方ではない。
しかし、自信に溢れた真っすぐな立ち姿が実際の身長以上に“デカい”印象を与える。
その女の名は、殺人鬼ランキング四位。
“鬼ころし” 呑宮 ホッピー。
大混戦となった水族館にて
新進気鋭の殺人鬼 “俳人575号” リチャード・ローマン
驚異の予知ファイター “迦具夜の銀燭” 岳深 家族計画
そして、殺人鬼ランキング二位 “異世界案内人” 防鼠 ウトラク
これら悍ましき殺人鬼どもを、結果として傷らしい傷一つ負わずに打破せしめた女傑である。
先の混戦は彼女に充実を与えたか、はた目から見てもわかる上機嫌さであった。
彼女の魔人能力『酔剣』は、自分に酔えば酔うほど使う武器の性能が向上する。
よって、今の彼女はコンディション最高。全身に力が満ち溢れていた。
そんな彼女は、とあるビルの地下フロアに来ていた。
人の気配は少ないながらも豪奢な作りのフロア。
水族館での一戦の後、ホッピーに対して届いた招待状に従ってここに来たのだ。
フロアには黒服の一団が待っていた。
あからさまに堅気ではない空気を醸す集団にホッピーが言葉を投げる。
「何か私に御用かしら?あいにく今の私は絶好調ですの。生半可な真似をするのでしたら瞬時に噛み砕いてしまいますわよ?」
ぶわっと殺気を放つホッピーに黒服の一人は答える。
「いやいや!待ってくれ!やりあう気はねえ!俺たちはあんたに協力してえだけだ!」
黒服は慌てて事情を説明した。
自分たちはとある暴力団の構成員であること。
組長は『NOVA』のVIP会員であり殺人鬼の宴を熱心に見ていたこと。
組長は“俳人575号”を推してサポートしていたこと を矢継ぎ早に述べた。
「…それで…?パトロンとして敵討ちに来たのでしたら理解は出来ますけど、協力とはどういう神経してますの?」
いぶかしむホッピーに黒服は笑って告げた。
「あんた風に答えるなら…うちの親父は酔わされちまったんだよ。あんたの腕に。まぁ、信用できねえのも無理はない。とりあえずこの贈り物だけでも受け取ってくれや。そうでないと俺が親父にドヤされちまう」
そういうと黒服は、フロアのモニターに映像を流した。
それは、『NOVA』のごく一部の超VIPしか保持することのできない殺人鬼の宴の映像。
水族館以外の戦場での殺し合いの記録が映されたのだ。
この黒服の男たちを信じるか信じないかは情報を受け取ってからでもよい、そう判断し黙って映像を見ていたホッピーであったが、その表情はみるみると喜色に染まっていった。
いったい何をどうやって相手を喰らったのだ?
“ミッシングギガント” 累絵 空!
一家の五姉妹を単独撃破!?
“オムニボア” 樫尾 猿馬!
「あの」“雨隠れの人喰い鬼”のいた戦場を余裕の帰還!?
“羅刹女” 三豆 かろん!
次から次へと、魅力的な殺人鬼がホッピーの目の前で踊る。
ホッピーが一番重視しているのは楽しく戦えるかどうか。
あまりにも愉快なダンスパートナーたちを前に、ホッピーは笑いをこらえられなかった。
そして、最後。
「──思いもしませんでしたわ!まさか、“鬼子”曇華院麗華が参加していたとは!そうして、その“鬼子”を喰らうほどの怪異がこの池袋に跋扈しているとも!楽しい、楽しいですわ!!まだまだ、私を酔わせることのできる方がいる!!」
輝くほどの笑顔でホッピーは黒服たちに告げた。
「サポート、お受けしますわ!早速ですけど、準備してほしいものがありますの!!」
■■■
池袋某所。
薄暗い廃屋の奥に、一人の大柄な女が在った。
名はもうない。
敢えてその名を呼ばれるならば“柘榴女”。
殺人鬼ランキング一位をひた走る池袋の怪異である。
ここは池袋に数ある柘榴女の隠れ家の一つ。
柘榴女は手鏡で自身の身だしなみを整えている。
「…あと…捧げる魂は6つ…もう少しだからね…マー君…もう少しだからねぇ!」
柘榴女の足元には眼球の詰まった瓶が転がっている。
“鬼子”曇華院麗華との死闘後、更に凶行を重ねたのだろう。
柘榴女の中では愛息の復活までカウントダウンの体勢に入っていた。
「私はマー君の自慢のお母さんだからね。みっともないカッコなんてできないよね。ちゃんとビシッときめておかないと…」
授業参観に向けて気合を入れる母親のごとく、柘榴女は自身に化粧を施す。
やや濃いめの化粧であったが、眉毛はピンと張りがあり、朱に染まる唇は掛け値なしに美しかった。
ただそれも左顔面だけの話である。
右顔面は名の通り柘榴を割ったかのようにグロテスクに蠢いていた。
そうして、柘榴女はその傷が目に入っていないかのように自らを彩っていた。
その異様さを咎める者がいない空間で柘榴女は化粧を続けていた。
しかし、突如化粧をやめて手鏡を懐にしまったかと思うと、即座に特殊警棒を握った。
隠れ家に何者かが踏み入った気配を感知したのだ。
一瞬で戦闘モード。
殺気を振りまく柘榴女に、侵入者は慌てて弁解をした。
「…お待ちくだサイ。私は貴方の敵ではありませン。むしろ味方。手助けに来たのでス」
その侵入者はフードをかぶりながら妙なイントネーションで柘榴女に話しかけてきた。
「貴方は…殺人鬼ランキング一位、柘榴女様に相違ないですね…?私は貴方の…」
フードの侵入者がしゃべり切る前に、柘榴女は急接近し侵入者の頭を鷲掴みにした。
ミシリ、という嫌な音が隠れ家に響く。
「イヒェ!…私を知りながら単独で私の隠れ家にぃ…?素晴らしい…!貴方は“強い魂”に決まって…」
一気にまくし立てようとして、柘榴女は急に語気を弱めた。
先ほどまでの興奮は一気に消え失せ、つまらないものを見る顔をした。
「…貴方…人間じゃないのねぇ?…」
そうして、鷲掴みにした侵入者を無造作に放した。
柘榴女の言うとおり、侵入者は人間ではなくロボットであった。
それもかなり質の低い、遠隔操作でメッセージを伝えるタイプのロボット。
柘榴女の行動原理は愛息の復活のために魂を捧げること。
魂のない機械人形を相手にしても何の意味もない。
「───やれやれ、話を聞いていただけル状態になりましたカ?」
初めからこうなることを見越していたのか、トーンダウンした柘榴女に対してロボットが機械音声を垂れ流す。
「ワレワレは『NOVA』の会員でして…楽しい祭りももう終盤。どうセなら“推し”に勝っていただきたいと動いた次第デス。おそらく柘榴女様以外のランカーにも、それぞれファンが支援を始めているはずデス」
柘榴女は興味なさげな様子で一つあくびをした。
「まずはお近づきの証にこれを…」
機動音とともに、ロボットのカメラアイがプロジェクターとなり隠れ家の壁に映像を映した。
それは、殺人鬼ランキングにいまだ残っている猛者たちの映像。
ロボットをよこした主はVIPの深い位置にいる人物のようだ。
映像は鮮明で、ハッキリと映っている。
各々の戦場の勝者は、まぎれもない“強い魂”、“美しい魂”の持ち主だ。
柘榴女は一つ涎を垂らした。
そうして、何かを考えるそぶりを見せた後、ロボットの手を握った。
ロボットは捧げる魂の対象ではないためか、柘榴女の狂気は幾分和らぎ冷静な顔をしていた。
「これはありがたい映像だねぇ…で、貴方たちの目的は?」
柘榴女は行動原理こそ狂っているが、そこに向かう筋道は冷静。
勿論「狂気が収まっているときであれば」という前提付きではあるが。
「ワレワレの支援する殺人鬼が脱落をしてしまいまして…ワレワレは血が見たい!もっともっと柘榴女様が魂を捧げる姿を見たいのでス!そのためなら協力は惜しみませン!」
色々と裏がありそうなロボットの言葉に、しばし柘榴女は考え込んだ。
数分の沈黙のうち、剥き出しの眼球をギョロリと動かしながら答える。
「イヒッ!ウェヒヒヒ!いいよぉ!サポート、受けてあげよぉ~じゃないか!」
狂気を滲ませながらガクガクと体を揺り動かし柘榴女は告げた。
「早速だけど色々用意してほしいものがあるんだよねぇ!」
■■■
「どうせなら一番上を潰したいですわ。戦場の準備は可能でして?」
ホッピーの問いに、黒服は答えた。
「それならば、立体駐車場でいかがでしょうか」 と。
「ウェヒッ!どれもとても強い魂…一筋縄ではいかないねぇ~!いろいろと準備しておびき寄せたいんだけど可能かい!?」
柘榴女の問いに、ロボットは答えた。
「それならば、立体駐車場でいかがでしょうカ」 と。
■■■
ホッピーの支援者と、柘榴女の支援者はともにVIPの会員。
支援対象同士が最高の状態でぶつかり合えるように連携しあい準備が整えられていく。
民自党事務所にて、副幹事長の嘉藤は忌々し気な表情で事の成り行きを見守った。
柘榴女の支援に走ったのは“ドクター”山中教授のパトロンたちであった。
「害獣である魔人の力を借りるなど忌々しいが…」
「あの宴に参加している魔人には早急に死んでもらわねば!特にDr.Carnage!」
「ならば、現状一番強い殺人鬼をバックアップするのが良策だろう」
「Dr.Carnageのやつ、運営側が用意した調整者のようだ。柘榴女との衝突を避けおって…」
「構わん!柘榴女が勝ち進めばいずれ対峙することになるのだ!」
ベテラン議員たちのやり取りを見た若い秘書が、不安そうに嘉藤に問うた。
「あの…先生…柘榴女の支援は正しいと思いますが…すべてが終わった後に柘榴女を始末するのも難題では…」
あまりに若い問いに、嘉藤は鼻を一つフンとならし雑に答えた。
「…なに、そこは別に問題ではあるまい。柘榴女…どう考えても長生きするタイプではないだろう?排除できないなら放っておけばよいのだ。」
■■■
殺人鬼ランキング一位“柘榴女”
VS
殺人鬼ランキング四位“鬼ころし” 呑宮 ホッピー
両者、バックアップは完璧。
数多の策謀が渦巻く立体駐車場に、これより血の華が咲く…!
■■■
「鬼ころし、皆の期待を裏切って醜く死んだってさ。」
■■■
雨の路上。
ホッピーは優雅に傘を構えながら颯爽と歩く。
雨で鬱蒼と曇るはずの道も、彼女が歩けばそこはランウェイ。
栄光に向かい進むための輝く一本道。
彼女の向かう先は池袋端の自走式立体駐車場。こじんまりとしながらも頑強な作り。
支援者の黒服たちから、「柘榴女はここにいる」との情報を受けてやってきたのだ。
(…まぁ、向こうも私が来ることは掴んでいるでしょうね)
映像で柘榴女の能力をすべて解明できたわけではないが、
「物体の透明化」という一番厄介な初見殺しを把握できているのは大きい。
(…透明化の他は嗅覚の無効化?物体から特定の感覚を奪う能力…といったところですわね?)
柘榴女の能力は「待ち」の状況下でこそ優位に働く。
それを把握しながら、笑顔とともにホッピーは立体駐車場の扉を開いた。
傘を優しく閉じ、扉のわきに置く。これは帰るときに必要と言わんばかりに。
彼女が求めるのは勝利ではない。何故なら彼女にとって勝利は大前提。
一番重視しているのは楽しく戦えるかどうかであるので、相手の有利な状況であろうと問題はなかった。
立体駐車場に足を踏み入れた瞬間、濃厚な殺気がホッピーを包む。
相手に自らの居場所を晒す愚を顧みず、“鬼ころし” 呑宮 ホッピーは叫んだ。
「私の名は!呑宮流第25代後継者、呑宮ホッピー!殺人鬼ランキング一位の首をいただきに参りましたわ!私の求めるものは強者との邂逅!自らを高め輝き麗しく光るための好敵手!もしも、命を惜しむのならば尻尾を巻いて逃げてもよろしくってよ!その程度の相手であるのなら、私が相手にする意味はありませんわ!」
どこまでも傲慢に、自信満々に、自身に酔いながらホッピーは告げる。
命を獲りに来たと。もしも逃げるのなら見逃してやると。
その挑発に、柘榴女の狂った大音声が答える。
「ウェヒヒヒ!!良い!素晴らしい魂だよぉ!私も?貴方の魂の吟味をしたい!」
声は二階から響いた。
位置を察したホッピーは透明化された罠を警戒しながら階段を上った。
(映像を見る限り、あの方の行動原理は魂の選別とやらのようですから、いきなりの不意打ちはないと思いますが…警戒を怠るのも愚者のふるまいですわ)
そうして辿り着いた2階。暗闇の奥から大柄な女がのそりと現れた。
“柘榴女”。超一級の武術家“鬼子”曇華院麗華を屠った池袋に住まう怪異である。
柘榴女は何も言わずに500ミリペットボトルほどの大きさの金属ボンベを取り出した。
金属ボンベにはチューブとノズルが付いている。
液体燃料を用いた、簡易の火炎放射器である。
「ヒヒヒィ!燃えろ燃えろぉ!!」
挨拶もなしに柘榴女は炎をぶちまけた。
しかし、その炎はホッピーの目前であっさりと消え失せた。
「呑宮流鞭術!爽!!」
猛烈な風がホッピーを包み、火炎放射の強襲を容易く防いで見せたのだ。
ホッピーが今回選んだ武器は“ウルミン”。
インド武術“カラリパヤット”に伝わる鞭である。
柔らかく撓る細長い金属製の鞭が何本も束ねられている。
通常であればウルミンの長さは1メートルほどであるが、ホッピーが用いるウルミンは特注品。
5メートルほどの長さの鞭を5本束ねている。
通常の使い手であれば振るうのも難しい逸品であるが、『酔剣』の使い手であるホッピーには問題ない。
一本一本の金属鞭が、まるで意思を持っているかのように動き回る。
ホッピーの周りを縦横無尽に駆け回る金属鞭が起こす風と斬撃はまるで結界のよう。
生半可な炎では届きもしない。
「オーホッホッホッホ!この程度の炎で私を仕留められるとでも!甘く見ましたわね!…とは、言いませんわ。炎の攻撃は広範囲。これを避けさせることで私を思う方に誘導させたかったのでしょう?」
言うが早いか、ホッピーは空中に粉末インクの瓶を投げた。
「ここに誘うために!」
風切り音が響くと、粉末インクの瓶はウルミンにより空中でズタズタにされた。
そうしてそのまま、ウルミンが巻き起こす風で立体駐車場全体に散っていく。
一面が粉末インクの赤色に染まった。
その赤は、様々なものを浮き彫りにした。
透明化されていた虎バサミ。
透明化されていたワイヤートラップ。
透明化されていた自動発車式のボウガン…
悪辣な罠の数々が色づいていく。
赤は柘榴女も染め上げる。
透明化していたボストンバッグも色づいた。
透明化した特殊アーマーを装着していることも露になった。
「さて、これで手の内は見えてしまいましたわよ?お次はどうするのかしら?」
ホッピーの挑発に舌打ちを一つ打つと、火炎放射器を腰のホルスターにしまった。
柘榴女はボストンバッグから透明化したボーラを取り出し、投げつけた。通常であれば絶大な効力を発揮したであろう初見殺しも、粉末インクが漂う空間では丸見え。
ホッピーの操るウルミンによって空中で迎撃される。
設置した罠の数々は露呈し、ボストンバッグに仕込んだ武器の数々も粉末インクとウルミンの結界を超えられない。柘榴女の初見殺しに特化した能力は実に殺人鬼的であり、能力を知られた相手と対峙することを基本的に想定していない。種が割れた状態で一流の武人であるホッピーを相手取るのは難しい。
ならば、と柘榴女は瞬時に方針を変えた。
懐から不気味な緑色の液体が入った注射器を取り出すと、躊躇いもせずに柘榴の傷口に注入した。
不気味な緑色の液体が、ゆっくりと柘榴女の全身を駆け巡る。
ガクガクと体を震わせたかと思うと、柘榴女の両の目が血の赤に染まった。
傷口はさらに不気味に蠢く。全身の血管が太く脈動している。
歯をガチガチと鳴らすと、狂犬病の犬のように舌と涎をだらりと垂らした。
肉体も一回り以上膨らんだようだ。
「…違法薬物による身体能力の強化…!いえ、狂化といったほうが正しくって?どうみても命を削るやり口のようですけど、貴方、命が惜しくないのかしら?」
ホッピーは言ってから自らの問いの馬鹿馬鹿しさに首を振った。
目前の化け物、柘榴女が未来をなげうっていることなど明白ではないか。
「ヴァァァアアアアアアア!!!」
獣の咆哮が立体駐車場を揺らした。
■■■■
「うおお!柘榴女のやつ、まだ手を残していた!」
身なりの良い若者が叫ぶ。
おそらく彼はどこぞの大企業の新進の社長といったところだろう。
しかし、ここでは浅ましさを隠そうともせず血に酔い叫び続けている。
「グフフフフ!グフ!グフ!殺せ!殺せ!儂はああいう若い女の臓物が見たい!」
豚のように肥えた男が笑う。
おそらく彼はどこぞの大地主といったところだろう。
その巨体を震わせ、悪趣味な性癖を零す。
「ヒヒヒ…“鬼ころし”には水族館のようにまた脱いでほしいのう。あのときは儂の枯れた逸物も久方ぶりに熱くなったわい」
枯れ木のような老人が興奮で頬を朱に染める。
おそらく彼はどこぞの隠居老人だろう。
普段は人々の尊敬を集めているだろう落ち着いた風貌から邪悪そのものの言葉が吐かれる。
ここは『NOVA』の超VIPルーム。
この空間には同好の士しかいない。皆社会で被っている仮面を脱ぎ捨て、鬼畜そのものの姿を晒す。
そこにはホッピーを支援する暴力団組長の姿もあった。
「“鬼ころし”よぉ…期待しているぜぇ…?また水族館の時のように俺を酔わせてくれよな!」
そして勿論、民自党副幹事長の嘉藤も秘書とともにここにいた。
「先生…あれは…」
「“ドクター”が万が一の際に用意しておいた筋力強化剤だ。勿論中身は違法薬物のオンパレード。臨床実験もしていない。寿命も著しく失われるが…あの化け物にはぴったりだと思わんかね?」
嘉藤は冷静でいようと心掛けつつも口角が上がるのを抑えられない。
害獣たる魔人が潰しあうのが面白いのか、それとも単純に血に酔っているのか、嘉藤自身にも分らなかった。
「いけー!!柘榴女!ぶちのめせ!!」
「グフフフフ!グフフフフ!死ね!死ね!殺せ!殺せ!」
「ヒヒヒヒ…いい女どもの殺し合いは酒の肴に最適じゃ!」
「全くその通り!酒が美味い!特に血の色をした赤ワインが格別だぁ!」
鬼畜どもの宴は、今最高潮に盛り上がっていた。
■■■
「ヴァァァアアアアアアア!!!」
柘榴女が真っすぐにホッピーへ駆けていく。
その衝撃で立体駐車場は僅かに軋むような音を上げた。
「薬の力に頼るような方に、これが防げまして!!?」
ウルミンが風切り音を上げて柘榴女に襲い掛かる。
ホッピーの卓越した技量により5つの刃が全方から柘榴女を刻みにかかる。
しかし、柘榴女は眼球をギョロリとカメレオンのように動き回らせるとその刃を見切った。
「フシィィィ!」
「…!躱すとは!面白くってよ!」
絨毯爆撃のように襲い来るホッピーのウルミンによる斬撃。
それを躱しながら、柘榴女は駐車場に停められた軽自動車のもとにたどり着いた。
剛力一閃。柘榴女は軽自動車を持ち上げると豪快にホッピーに投げつけた。
「ウルミンを破るために、質量で勝負というわけですわね!?その判断力!豪快さ!素晴らしくってよ!貴方はまるで獣!獣なれど知性のある獣!私が手ずから狩るに相応しい相手ですわ!!」
ホッピーは自分に酔っていく。
酔えば酔うほど武器の能力が向上する『酔剣』によりウルミンがこの上なく強化されていく。
「軽自動車程度で!私のウルミンを止められるなど、思い上がりですわ~~!!」
『酔剣』は、ただの紙製のパンフレットを骨を断つ切れ味の刃に変えるほどの強化能力である。
絶好調の『酔剣』が付与された特注のウルミンの切断力と破壊力は想像を絶する。
「呑宮流鞭術!刻!!」
空中で軽自動車が、勢いを殺されたうえでズタズタに切り裂かれた。
ボトボトと細切れになった車体が転がる。
しかし、柘榴女はこの結果に動揺をしない。
間髪入れずにホッピーに接近をし、特殊警棒を振るう。
「くっ…この!」
流石のホッピーといえど、空中の軽自動車を仕留めた直後ではウルミンの速度が落ちる。
ウルミンの5つの金属鞭を最大限に生かすには速度を乗せて全ての鞭を多角的に動かすことが肝要。
しかし速度が落ちた結果金属鞭は一まとまりになってしまった。
その瞬間を狙い振るわれた警棒は、ウルミンの5つの鞭全てを巻きとった。
「ウヒィ!ウェヒャハハハハ!」
薬剤で強化された豪腕でウルミンを奪おうと力を込める柘榴女。
それに対抗し同じく力を込めるホッピー。
カチリ。
柘榴女は特殊警棒のスイッチを押した。
ウルミンを伝って電流がホッピーに走る。
“鬼子”曇華院麗華を仕留めるのに用いた無感触の電流である。
だが、ホッピーは柘榴女がスイッチを押した瞬間にはウルミンから手を放していた。
(貴方の戦い方は映像で見ていましてよ!警棒を受けた“鬼子”が昏倒する…どう考えても電流!それが読めれば、あとは何か警棒にアクションする瞬間を見極めるだけ。他の誰に無理でも、この私ならば見抜くことが出来ますわ!)
高度な読みを炸裂させたホッピー。
だが、その読みの先に柘榴女はあった。
電流のスイッチを押した瞬間に、柘榴女は警棒を手放し駆けだしていたのだ。
柘榴女もホッピーの戦いの映像は見ている。
俳人575号を真正面からねじ伏せた彼女ならば、こうするだろうと読んでいた。
叫びとともに丸腰のホッピーに襲い掛かる。
タイミングは完璧。薬剤によるブーストでスピードも最高潮。
読みも全て上をいきホッピーの虚を突いた。
「貴方の技量!策略!誉めて!!差し上げますわ~~!!!!」
それらすべての積み重ねを、“鬼ころし” 呑宮 ホッピーの暴力が塗りつぶした。
『酔剣』は自らに酔うほど力を増す能力。
殺人鬼ランキング一位との極上の逢瀬はホッピーを最高に酔わせていた。
自身が最高に頼りにする武器、すなわち肉体が強化されていく。
「呑宮流格闘術!崩!!」
掌底が、柘榴女の鳩尾に突き刺さった。
透明化していた特殊アーマーがバキバキと壊れる音が響く。
“鬼子”曇華院麗華が武器をもって可能であったアーマー破壊を、ホッピーは己の拳一つで成し遂げて見せたのだ。さらに、衝撃はアーマーの破壊のみにとどまらなかった。
猛烈な勢いで柘榴女の巨体が吹き飛んでいく。
ぐしゃりと、嫌な音を響かせて柘榴女はコンクリートの壁に叩きつけられた。
■■■
「手応えあり、ですわ…」
流石に少し疲弊したか、肩で息をしながらホッピーはウルミンを拾い上げる。
そうして、吹き飛ばした柘榴女にとどめを刺そうと歩みを進める。
「ウェヒィ!オケッ!」
バネをはじくように柘榴女が立ち上がった。
違法薬剤の効果だろうか、口からは夥しい血を吐いているにも関わらずまだ動けるようだ。
そうして跳ね起きた柘榴女は、背を向けて脱兎の如く逃げ出した。
逃げる先は上階。階段を必死に駆け上っていく。
(追う?それとも罠!?)
ホッピーの頭脳が激しく回転していく。
(3階に多数の罠を用意している可能性は…薄いですわ!それならもっと早く、インクで2階の罠を台無しにされた時点で3階に逃げたはず…!)
しかし、ホッピーの脳裏に“鬼子”の最期が浮かぶ。
彼女は勝利を確信し、逃げた柘榴女を負った先で不覚を負った。
その事実が、数刻の間ではあるが「本当にこのまま追ってよいのか」と疑念を生む。
パン!と一つ頬をはたきホッピーは気合を入れた。
「何を弱気になっていますの私!あの方は極上の獣!獣は一気に狩るのが定石!準備の時間を与えず攻め切るのみ!!時間を与えずすぐに追えば、用意できる小細工は一つ…多くても二つ!」
ウルミンと粉末インクを手に階段を駆け、柘榴女の後を追う。
立体駐車場3階。
警棒もなく丸腰、全身を疲弊させ口から血を流す柘榴女がそこにはいた。
即座に追ってきたことが想定外であったのか、柘榴女は驚愕に顔を歪めた。
足を小鹿のようにぶるぶると振るわせ、後ずさりをする。
「あ…あ…やめて…来ないで…お願い…死にたくないのぉ…痛いのはやめてよぉ…」
惨めに。みっともなく。
巨体が小さく縮んだと錯覚させるほどの覇気のなさで柘榴女は詫びた。
「嫌…嫌だよぉ~…わとぁ、私が何をしたっていうのよぉ…ヒッ!ヒッ!あと少しだから…!殺さないで…」
余りにも情けなく自分本位な命乞い。
それをホッピーは酷く冷淡な瞳で見つめる。
「その手法、“鬼子”にも使った手口ですわね?私がその程度で油断するとでも思って?」
ホッピーは粉末インクを投げると、空中で切り裂きばら撒いた。
ウルミンにより風を巻き起こし、周辺を赤一色に染めていく。
しかし、何も染まらなかった。
柘榴女の周辺にも、ホッピーの周辺にも、透明化された物体はなかった。
(透明化した物体がない?他に策として考えられるのはガス?ガソリン?この状況でそんな手を打っても、自分も巻き込まれるだけ…)
ホッピーは追い詰められた獣の最期のひと噛みを警戒し周辺をウルミンで薙ぐが罠も何もない。
「嫌…やめて…こないでぇぇぇえええ。エグっ!ヒグ!うえぇええええん…」
遂に柘榴女は泣き出した。
粉末インクにより赤く染まった涙がボタボタと地上に落ちる。
「本当に…もう何もないですの?」
ここまで自身を高めてくれた極上の相手が酷く残念な姿になったことに、ホッピーは失望した。
(もういい。さっさと殺してしまおう。)
溜息を一つつくと、心底つまらなそうにウルミンを柘榴女に向けた。
「興が、醒めましたわ」
その言葉を発した瞬間、柘榴女の両目が赤く爛々と輝いた。
先ほどまでの怯えはなんだったのかと思うほどの勢いでホッピーに駆けていく。
「今更やる気を出したところで…!」
ホッピーはウルミンを柘榴女に見舞う。
5つの斬撃を、柘榴女は義手で受けた。
軽自動車ですら空中切断が可能なはずのウルミンを、義手で受けたのだ。
「…え?」
────ウルミンの強化は、明らかに低下していた。
『興が、醒めましたわ』
それは、呑宮 ホッピーが決して口にしてはならない言葉。
「酔い」を力に変える呑宮 ホッピーが、「醒めた」など!!
これが呑宮 ホッピー唯一の弱点。
酔いを常に維持し続けるなど、誰にも出来はしない。
小蠅を潰すときに自分に酔うものがいるだろうか。
羽虫を追い払うときに自分に酔うものがいるだろうか。
つまらない相手を前にしたとき、ホッピーの能力は著しく低下してしまう。
柘榴女は水族館の戦闘映像からホッピーの能力原理を見抜いていたのだ。
ホッピーが神社の戦闘映像から柘榴女の能力原理を読んで準備したように。
(しまった…!私は何を…!)
急いで自身に酔おうとしても、もう遅い。
柘榴女は義手で受けたウルミンを力任せに巻き取り、ホッピーを丸腰にした。
「ウェヒアアアア!!」
能力の効きを取り戻す前にと、柘榴女はベアハッグでもするかのようにホッピーを抱き潰しにかかった。
「くっ!!」
間一髪。
ホッピーは左右からの押し潰しを両手で受けることに成功した。
ギリリと肉と骨の軋む音が響く。
柘榴女の腕力と、『酔剣』の効きが弱い状態のホッピーの腕力は拮抗していた。
(間に合い!ましたわ!相手もこちらも丸腰。互いに両の手が封じられた状態!このままでは千日手に見えますが…私は『酔剣』を再度高めればいいだけのこと!確かに少し醒めてしまいましたが…フフ!こんな手を考えるなんて本当に面白い方!気持ちが盛り上がってきましてよ!このまま一気に出力を上げて殴り飛ばして差し上げますわ!丸腰の相手など恐れるに足らず!)
徒手空拳同士であればホッピーに軍配が上がる。
柘榴女が丸腰であること、透明化した武器を持っていないことは粉末インクで確認済み。
ホッピーは勝利を確信した。
────しかし、その確信を打ち砕く光景が目に飛び込んできた。
目前の柘榴女の顎が、ゴキリと嫌な音を立てて大きく開いた。
そうして、喉の奥から、ゆっくりと、チューブとノズルが顔を出したのだ。
(…!!!???最初に使った火炎放射器のノズル??!)
【ホッピーの挑発に舌打ちを一つ打つと、火炎放射器を腰のホルスターにしまった】
【警棒もなく丸腰、全身を疲弊させ口から血を流す柘榴女がそこにはいた】
【警棒もなく丸腰】
【丸腰】
(何故!?そういえば何故丸腰でしたの!?腰に在ったはずの火炎放射器はどこに??!)
その答えはもうホッピーの目の前に提示されていた。
柘榴女は、小型の火炎放射器を胃の腑に収めていたのだ。
(ありえないですわ!いくら小型とはいえ500ミリペットボトル大の金属ボンベを飲み込むなど!そんなことしたら…痛みで気絶してしまいますわ!!)
そう。柘榴女は小型の火炎放射器を無感触状態にしていたのだ。
痛みを感じないのをいいことに、喉の肉を削り落としながら火炎放射器を胃の腑に収めていたのだ。
混乱と絶望に染まるホッピーに、灼熱の炎が降り注がれる。
両の腕がふさがれたホッピーにそれを防ぐ術はなく、真正面から炎を浴びることになった。
■■■
────愚かな、女の話をしよう。
皆の期待を裏切り
醜く息絶えた
────愚かな、女の話をしよう。
■■■
痛さは、ない。
無感触状態の火炎放射器の炎は、ホッピーに熱さも何も感じさせなかった。
それがホッピーは恐ろしかった。
熱さは感じない、感じないにもかかわらず人肉の焦げる匂いはする。
痛みは感じない、感じないにもかかわらず体が思うように動かなくなっていく。
「まだ奥の手を残している!大した方ですわ!我が全霊で戦うに相応しい!」
『酔剣』を発動したホッピーは柘榴女のどてっぱらに足刀蹴りを見舞った。
まだ強化が十分ではなかったが、火炎放射を止めること、距離をとることには成功した。
距離をとったホッピーを、柘榴女は休ませようとしない。
無感触の火炎放射にまだ混乱しているところを、柘榴女の次なる手が襲う。
柘榴女は、胃の腑から火炎放射器を取り出したのだ。
ゾリゾリと肉をこそげ落とす音が聞こえる。
赤黒い血とピンク色の肉片とともに、ゴボリと、火炎放射器が口から引きずり出された。
その瞬間、柘榴女は能力を解除した。
「「ッッッ~~~!!!!アアアア!!!」」
二人分の絶叫が立体駐車場に響く。
無感触状態が解除されたことにより柘榴女には口腔、食道、内臓へのダメージが。
ホッピーには火炎放射のダメージが感知できるようになったのだ。
両者満身創痍。
全身を深い痛みが走りまわる。
「やって!くれましたわね!それでこそ殺人鬼ランキング一位ですわ!」
何たる胆力か!ホッピーはそれでも自身の自信をいち早く取り戻し能力を発動。
(今!攻め切るしかない!!)
ウルミンを拾い上げる時間すら惜しいとばかりに、
あらん限りの力を振り絞って真っすぐに柘榴女に接近した。
最後の一撃を放たんとする刹那。
柘榴女の最悪の策がホッピーを襲った。
柘榴女は、懐にしまっていた化粧用の手鏡をホッピーに見せつけたのだ。
「…え?」
ホッピーが固まる。
“鬼ころし” 呑宮 ホッピー。
黒髪翠眼の麗しい顔つきで、髪型は縦ロールじみたツインテール。
強く、気高く、美しい才女。
───その姿は、もう鏡の中にはいなかった。
火炎放射を真正面から浴びたことでホッピーの全身は醜く焼き爛れていた。
自慢の黒髪はチリチリに焼けて丸まり、ところどころ灰色になっていた。
美しかった翠眼は白く濁り面影もない。
麗しく真っすぐした鼻筋は炭化し崩れ落ちていた。
愛用の給仕ドレスは焼け落ち、片乳がみっともなく見えている。
端的に言って、今のホッピーは酷く醜かった。
自分に酔うことで力を発揮する『酔剣』。
それは自分自身に自信を持つことが根幹となる。
強く麗しい自分が、もう存在しなくなってしまったら、果たして『酔剣』はどうなってしまうのか。
答えは誰にでも分かるだろう。
「グフ!グフフフフ!」
VIPルームに、肥えた豚のような男の品のない笑い声が響き渡る。
「死ね!死ね!惨めに、狼狽えて死ね!!!」
身なりのいい男が半狂乱で喚きたてる。
「ヒヒヒヒィ~!!見せろ!見せるのじゃ!自らの美しさが消え、絶望に染まる顔を!!」
枯れ木のような老人が目だけを煌々と輝かせて叫ぶ。
鬼畜どもは、美しき花が枯れ落ち雨の路上に踏み躙られる様を想像し熱狂した。
VIPルームは鬼畜どもの期待と狂乱で渦巻いていた。
そんな、鬼畜どものドス黒い期待を。
「────これが、どうかしまして?」
“鬼ころし” 呑宮 ホッピーは鮮やかに裏切った。
朗々と、高々と、自身への自信を一切曇らせずホッピーは歌った。
「────私は!強く!美しい!しかして美とは!外見に頼るのみにあらずですわ!天に才を与えられながらも弛まぬ鍛錬を積み、繰り返し磨き上げた私の生きざまが!道こそが万人の尊ぶべき道!それこそが麗しさ!嗚呼!!炎に傷つきながらも私は美しい!!」
『酔剣』は酔えば酔うほど、使う武器の性能が向上する能力。
“鬼ころし” 呑宮 ホッピーは、今まさに自らの在り方に酔いしれていた。
「燃え、傷つき果てたとしても!私は私を肯定しますわ!そう思える自分をこそ誇りに思いますわ!!」
自身が一番頼みとする最高の武器、それは己の肉体自身。
みるみると身体能力が向上していく。
「ウ…ウァヒィィィヒヒヒィィィィ!!」
能力が作用しきる前にと、柘榴女が殴り掛かる。
特性の薬剤によるドーピングで得た筋力で金属製の義手を豪快に叩き付ける。
豪と風を切る音を響かせて向かってくる拳を、ホッピーは真正面から潰しにかかった。
火炎放射による負傷も何も感じさせない一撃だった。
「呑宮流格闘術奥義!呑舟!!」
それは、あまりにも馬鹿正直な正拳突き。
鍛え上げた肉体、磨き上げた技術に魔人能力による強化を施す単純な一撃。
しかしてその一撃はあまりにも美しくたなびく深夜の流星。
一筋の美しい光が、柘榴女の義手をグシャリという鈍い音とともに完全に叩き潰した。
「ウギャアアアアアア!!」
ぐちゃぐちゃに潰れた義手は肉体に食い込み血が噴き出た。
脂汗を顔面に浮かべて柘榴女が叫ぶ。
「ウヒ!ウヒイイ!なんてしつこい…!いい加減死ねよぉぉぉ!」
「それは!こっちのセリフですわ!!貴方をぶち殺して!他のランカーも喰らって!5億で美容整形して元通りになって見せますわよ私はぁ~!!」
柘榴女。
右腕義手完全破損。
特殊アーマー破損。
口腔、食道、内臓に著しい損傷。
全身に打撲、骨折。
武装:燃料残り僅かな火炎放射器。
呑宮 ホッピー。
火炎放射により全身重度の火傷。
右目失明。
外鼻全損。
武装:無し。
■■■
長かった殺し合いも最終局面。
互いがボロボロになりながら、それでも諦めずに拳を振るう。
もはや意地だけで二人の殺人鬼は対峙していた。
信念と鍛錬を乗せたホッピーの拳と、薬剤と狂気を混ぜ込んだ柘榴女の拳はどちらが強いか。
────分からない。
『酔剣』により増幅されたホッピーの身体と、殺戮の十年を乗り越えた柘榴女の身体はどちらがタフか。
────分からない。
明日に向かい自分のために駆けるホッピーの足と、過去を見て愛息のために在る柘榴女の足はどちらが速いか。
────分からない。
互いの在り方、信念、道はあまりにも違いすぎる。
その出力の結果がぶつかったとして、どちらが上であるかは誰にも分からないだろう。
むしろ、どちらが上かなど、余人が断じるべきではないのだ。
────故に。決着は。両者に横たわる明確な差が原因となる。
最後の気力を振り絞り、口から血の泡を吹き出しながら柘榴女が拳を力任せに振るった。
上背のある柘榴女による天から降り注ぐ決死の一撃。それを、ホッピーは笑顔で受けた。
「この期に及んで!まだ!それだけ戦えますのね!こんな女傑が池袋に!楽しいですわ、楽しいですわ!!貴方の強さが輝くほど、それをぶち殺すことのできる私は強く麗しく気高い!私のために、乗り越えるべき壁とおなりなさいな!殺人鬼ランキング一位!!」
即死必至の一撃を、ゆらりと揺蕩うような動きでホッピーは逸らした。
「呑宮流格闘術、滑!」
そうして出来た柘榴女の隙だらけの身体に、最終奥義が叩き込まれる。
今、ホッピーの酩酊は最高潮。自身の肌を刺す痛みすら心地よいスパイス。
気力、体力、技量、全てを注ぎ込んだ渾身の双掌打が放たれる。
「これで!とどめぇ!!呑宮流格闘術最終奥義、邯鄲之夢!!」
自身最高のタイミングで両の掌底が柘榴女に襲い掛かる。
(勝ちましてよ!!!御免あそばせ!)
それが、“鬼ころし” 呑宮 ホッピーが最後に思ったことであった。
────プツン。
ホッピーの意識は電源を落とすかのように切れた。
『すぐに追えば、用意できる小細工は一つ…多くても二つ!』
ホッピーの読みは実に的確であった。
上階に逃げた柘榴女が用意出来た策は二つ。
一つは火炎放射器を胃の腑に仕込むこと。
そしてもう一つは、乱立する車の下部に目立たないように仕込んでおいた、硫化水素ボンベを開くことであった。
硫化水素。
温泉地を含む火山地帯、天然ガスや石油の採取場、労働現場などで多くの事故を引き起こしてきた毒ガス。無色だが、卵が腐ったかのような匂いを特徴とする。
高濃度の硫化水素を吸えば一瞬で呼吸停止により死に至る。
静かに、一瞬で、意識を刈り取るこの毒ガスにはもう一つ大きな特徴がある。
空気よりも重たいのだ。
緩やかに漏れ出た硫化水素は静かに立体駐車場を下から蝕んでいった。
当然の帰結として、柘榴女より背が小さく、警戒もしていないホッピーは無臭の硫化水素を思いっきり吸い込み即死をした。
両者に横たわる明確な差…。身長差が勝負の天秤を柘榴女に傾けた。
「間ぁに合ったぁぁあ!ウヒィ!」
即死をしたホッピーの右眼球を抉り取ると、柘榴女は上階に駆け、硫化水素から逃げた。
そうしてそのまま窓を飛び出て雨の路上へと消えていった。
立体駐車場。
硫化水素渦巻く鉄の要塞にホッピーの遺体は横たわる。
右眼球を抉られ、全身を醜い火傷に覆われた遺体。
しかし、その表情だけは勝利を確信した晴れ晴れとしたものであった。
VIPルームの鬼畜どもは、期待外れの気高い死に様に苦虫を潰したような顔で酒を流し込んだという。
■■■
大雨の路上。
硫化水素から脱した柘榴女が全身を疲弊させながら歩く。
全身についた粉末インクの赤は雨によって染み込み柘榴女をより赤く染めた。
まるで血に包まれているようなその姿も気にせず柘榴女は胸元から瓶を取り出した。
そうして、“鬼ころし” 呑宮 ホッピーから抉り取った眼球をその瓶に詰めて頬ずりをした。
「ああ!イヒィッ!本当に!本当にぃ!格別に“強い魂”で!“美しい魂”だった!マー君に捧げるにゲルゲルに相応しい~!これなら一つで一瓶分…!捧げる魂はぁ!あと5つ!」
自身の宿願が遂に手が届く距離に在ることに、柘榴女は愉悦の涎とともにゲラゲラ笑った。
大雨の路上に、哄笑が響き渡る。
柘榴女の狂った瞳には、既に愛息の姿が映っている。
まだ全身が構築されたわけではないが、あの日失ったはずの宝物が確かに瞳に映っている。
「あとちょっと!あとちょっとだからぁ!待ってってねぇ!……待っていてね。マー君。」
一瞬、狂気の波が凪いだ柘榴女はゆっくりと左手の手袋を外した。
そうして、柘榴女の目にしか映らぬ愛息の幻影の頬を優しく撫でた。
「──雨で濡れて冷たいよね。もう少しだからね。お母さん頑張るから。絶対誰にも負けないしなんだってするから。あと少しだから…」
幻影の愛息は柘榴女以外の人々の目には映らぬ。
しかしそれでも、今の柘榴女を見た人々は“母”という言葉が脳裏に浮かぶだろう。
虚空の愛息を優しく包む左手。慈愛に満ちた瞳。
この世に憂いなど何もないとでもいうかのような安らいだ表情。
…しかしそれは、柘榴女を左から見た場合に限る。
右顔面の柘榴をかち割ったかのような傷はドーピングの影響でいよいよ生々しく蠢いた。
眼球はどこを向いているやら落ち着かずにギョロギョロと動き回る。
ぐちゃぐちゃに潰れた義手は肉体に食い込み、血とともに現代アートを思わせる形状となっていた。
その振る舞い、生き方はあまりに奇妙で、滑稽で、もの悲しさが漂っていた。
VIPルームの鬼畜どもは、聖母と化け物のマリアージュを肴にし、酒を美味そうに流し込んだ。
「…柘榴女は期待通りに動いてくれているな。害獣駆除には適任だ。オイ。替えの義手をすぐに手配しろ。あいつには最後まで殺しきってもらわないとな…」
民自党副幹事長の嘉藤は、汚く笑った。
■■■
少しだけ、未来の話。
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魔人警察の薄暗い資料室。
軽薄な若者が膨大な量のリストに挑んでいる。
若者の名は刈口といった。
名は体を表すとはよく言ったもので、刈口は重みの感じられない口調で文句を垂れ流していた。
「ったくよぉ~、ジャスティス先輩、あんなマジに怒らなくてもいいじゃんよぉ」
同じく名前そのもののような実直さをもつ、陰鬱な大男の先輩の説教を思い出しながら愚痴る。
そうでもしないと膨大な資料の処理はやっていられなかった。
彼が挑んでいる資料は【池袋『NOVA』大量殺傷事件:死亡者リスト】であった。
そのリストには池袋の事件で死亡した者の名前、写真、殺害者などが記載されていた。
「いやさぁ、確かにこういうの整理することで魔人犯罪抑制の糸口になるかもしれないよ?未解決事件の犯人の手口がこの中に眠ってるかもしれないよ?でもさぁ~量が多すぎるんだよ!アンバードだけで何冊あるんだよ…」
刈口はアンバードの資料を乱暴に処理していく。
「ええと、こっちのリストは被害者兼殺害者??」
刈口はひときわ頑強な作りのリストを開いた。
そこには池袋の殺戮の夜を彩った殺人鬼たちが所狭しと踊っていた。
名前:外宙躯助(雨中 刃)
殺害者:ドクター(山中 伸彦)と目されている
名前:電車忍者(鮪雲鉄輪)
殺害者:キリキリ切腹丸?
それらは発見時の遺体の写真も記載されておりなかなかにグロテスクだ。
うぇ~、と舌を出しながら刈口はリストをめくった。
そうして彼は、“鬼子”曇華院麗華と“鬼ころし” 呑宮 ホッピーのページにたどり着いた。
首のない白骨死体と、片目を抉られ全身を火傷に包まれた遺体の写真が記載されている。
そこにはハッキリとこう刻まれていた。
名前:鬼子(曇華院麗華)
殺害者:不明
名前:鬼ころし(呑宮 ホッピー)
殺害者:不明
殺害者の欄が不明となっていることに刈口は小首をかしげる。
池袋の事件では大量の人間模様が絡み合っていたので、殺害者が不明なケースは散見された。
しかし、被害者兼殺害者でありながら誰に殺されたか不明というのは少し珍しかった。
ほんの少しだけ何かを考えたが、軽薄な若者はすぐに飽きた。
「まぁ、どうでもいいか。そういうこともあるっしょ。」
作業に戻る刈口。
彼が持つリストの最後のページにはこう記載されていた。
名前:柘榴女
殺害者:不明
■■■
────果たして、殺人鬼ランキング一位、柘榴女を殺したのは、誰なのか?
幕