それは殺人鬼たちが池袋に集結する、およそ一年前のこと。
その日、悪の怪人・キリキリ切腹丸はオフの日だった。
サンダルに着流しといったラフな格好をした大男は、カフェのオープンテラス席でスマホを弄りながら無精ひげを撫でている。
そんな彼のもとに、注文していたストロベリージャンボパフェが運ばれてきた。
彼はニュースサイトで世間の動向を学びながら、パフェに手を伸ばそうとする。
しかし、その指先は空を切った。
「……ん」
顔を上げる。
テーブルの対面。
そこには銀髪のポニーテールをした少女が座っていた。
日本人離れしたその端正な顔立ちに見覚えはない。
少女はパクパクと切腹丸に運ばれてきたはずのパフェを口に運んでいる。
――キチガイだ。
初対面の相手に断りもなく相手の食事に手を付けているなんて、それがマナー違反どころの騒ぎではないということは切腹丸にだってわかる。
つい少女の首と胴体を切り離してやろうかと懐に手を入れるも、すんでのところで留まった。
忍者軍団ハットリサスケ組は、悪の秘密結社である。
秘密結社なので表立った騒ぎは積極的には起こさない。
少なくとも頭目であるプロフェッサー・イガグリゴウラはそう考えており、下っ端構成員である切腹丸はその意思に従わなくてはいけなかった。
舌打ち一つ、切腹丸は穏便に済ませるためその場を立とうとする。
だが少女の言葉にその動きは止められた。
「まあ座れ。……キリキリ切腹丸」
「――!」
切腹丸は驚きに声を失う。
彼は怪人としての活動中は常に装束スーツに身を包み、顔を隠していた。
よって彼のプライベートの姿を知る者は少ない。
だから彼の名前を呼ぶような人物に、心当たりがなかった。
……その少女の声を聞くまでは。
切腹丸は苦虫を噛み潰したような顔をして、吐き捨てるように言い放つ。
「その声……サムライセイバーか!」
声と背格好が合致し、その覆面ヒーローの名を口にした。
今までに二度も辛酸を嘗めさせられた相手を前に、切腹丸から殺気が溢れる。
一方の少女は小さく「けぷ」と息を吐いたあと、口の周りにクリームをつけたまま笑った。
「早まるな。私がここにいるのは、お前の正体をリークした相手がいるからだぞ。それが誰か確認しなくていいのか?」
「関係ねぇ。お前を切り刻んだ後で、そいつも殺せばいいだけの話だ……!」
「それがお前の上司だとしてもか?」
「……!」
切腹丸は射殺すような視線を目の前の少女に送った。
「それは……俺が切り捨てられた……って言いてぇのか」
「違う」
少女はテーブル上の紙ナプキンを一枚取り、口元を拭く。
「最近岩原組や大山組といった魔人ヤクザ同士の抗争が激化している。そこでサムライツメショとハットリサスケ組では一時休戦しようという話になったらしい。……魔人を潰し合わせたい民自党の圧力だとか、どうもいろいろ政治が絡んでいるようだがな」
「知らねーよボケ。てめぇと手を組むなんざまっぴらごめんだ」
「ほう。上の意向を無視するなんて、お前は思ったよりも気概があるな。気に入ったぞ」
「てめーなんぞに気に入られても嬉しくねぇよ……!」
額に青筋を浮かべる切腹丸に向かって、少女は手に持ったスプーンの先を向けた。
「今日は挨拶に来ただけだ。敵を倒したらまた敵同士……とはいえ、私の邪魔をされては困るからな」
「誰が邪魔だ。俺の邪魔をしてくんのはてめぇの方だろうが」
「ではこうしよう。どちらが多くのヤクザを蹴散らすか、勝負ということで」
「はぁ!? 俺がそんな安い挑発に乗るとでも思ってんのか!?」
「……まあお前に自信がないと言うなら、べつに逃げても構わないが……」
「誰が臆病者だ! やってやろうじゃねぇかこの野郎!!」
周りから奇異の目を向けられつつ激昂する切腹丸に、対する少女はクスクスと笑った。
「ではよろしく頼む。私はあまりお前の相手をしたくないんだ。……私の能力は、お前と相性が悪いからな」
「……はぁ? 二回も勝っといてよく言うな……」
「おや? あれはこちらの勝ちとしてカウントしてくれていたのか? なかなか謙虚なヤツだな」
「……は、はぁ!? 負けてねぇが!?」
「なら引き分けとしておくか」
切腹丸は彼女の言葉にため息をつく。
――なんなんだこのガキは。
戦場で会った時よりも、何倍も厄介に感じられた。
そんな切腹丸に、少女はどこか含みのある微笑みを向ける。
「ああ、そういえば自己紹介がまだだったな。お前だけがこちらにいろいろと知られているのは、不公平だろう」
「いらねぇ。興味ねぇ。知りたくねぇ。気に食わねぇ」
「私は私立鏖高校3年、有栖愛九愛……」
そして、その深海を思わせる蒼い瞳でウィンクした。
「またの名を、サムライセイバー……正義のヒーローをやらせてもらっている」
君は完璧で究極のアイドル
「……案外広いな」
くたびれたスーツの男……振入尖々は博物館へとやってきていた。
池袋の歴史は古い。資料では500年以上前からそう呼ばれていた記録が残っている。
当然、その歴史が展示された博物館もいくつもあった。
彼が今いる場所はそんな博物館の中でも、トップクラスの敷地面積を持つ博物館だった。
「ここで探すのか……骨が折れそうだな」
彼が探しているのは殺人鬼である。
現在池袋では『NOVA』によって集められた殺人鬼たちによる殺し合いが行われている。
その参加者の一人……『ミッシングギガント』・累絵空の目撃情報があり、彼はこの場へと駆けつけたのだった。
「目立つ姿だとは思うんだが……」
尖々はスマホを開く。
そこには一枚の美少女の写真が載っていた。
『NOVA』は会員制の裏サイトで、本来戦いの映像や情報などは、大金を積んだ金持ちにしか見ることはできない。
だが今回の戦いには、さまざま陣営の思惑が絡んでいた。
その為、当然情報をリークする者も少なからずいる。
ネット上には、まことしやかに殺人鬼たちの情報が囁かれていた。
そんな有象無象の情報の中でも、彼……殺人鬼名、『スパイダーマン』が目をつけた情報は、とあるリーク者の書き込みによるものだった。
そのリーク者はある殺人鬼の顔写真をネットにあげていた。
それは『プレイヤー』……川神勇馬の写真だ。
その顔に振入尖々は見覚えがあった。
先の『普見者』との戦闘中に殺した、モブ顔の男。
そいつの正体が『プレイヤー』であるとは、振入尖々自身も気付いていなかった。
だからこそ、それを言い当てているリーク者の書き込みには信憑性があった。
そしてその信用できるリーク者の流した情報の中に、累絵空の顔写真があったのである。
その正体や能力まではわからないが、その姿は”美少女”と形容していいものだろう。
目立つ服装も相まって、遠目からでもわかりやすい見た目をしている。
あとは適当にSNSなどでいろんな情報と合わせてバラまけば、居場所を特定するのは簡単だった。
――この子、博物館で見た。
――こんな子が万引きしてたってマジ?
――地下アイドルにしては顔が良い。
そんな誰とも知らない無責任な一般人の書き込みが複数ヒット。
中には隠し撮りも含まれていた。
振入尖々はそんな善良たる市民に感謝しつつ、博物館へと足を運んだのだが。
「いねぇ。逃がしたか……?」
見学ルートに沿ってほとんどの展示物を見終え、普通に博物館を楽しみ終わった振入尖々は首を傾げる。
メインの展示が終わり、抱き合わせ特別展示の古代ミイラ展に目を向けたその時。
棺に展示されてるミイラの模型と、目が合った。
思わず振入尖々は目を逸らす。
そして恐る恐る、もう一度目を向けた。
その棺は少し高い位置の台に角度をつけて設置しており、ちょうど全身が見えるように展示されている。
改めて見れば、それはそもそもミイラですらなかった。
忍び装束に身を包んでおり、そして頭にはなぜか野球帽を被っている。
そしてそこにはデカデカと油性マジックで『地獄』と書かれていた。
その特徴に、彼は思い当たる。
――電車忍者。
リーク情報によれば、彼は『地獄』と書かれた野球帽を被っていたはずだ。
そして忍者なのだから、忍び装束に身を包んでいてもおかしくはない。
――しまった。
振入尖々は、まさか敵が堂々と展示物に扮しているなどとは思ってもみなかった。
人混みに紛れて初撃を狙い、周りの人間を盾にしつつ戦いを有利に進める予定だったが計画を修正する。
彼は忍者に背を向けて、その場を離れるべく慌てて駆け出した。
しかし、相手もそれを見逃さなかった。
「……キールキルキル! 間抜けは見つかったようだなぁ! この格好を見て逃げだすなんて、さてはてめぇ同類だな!?」
ミイラの振りをしていた忍者が起き上がり、一般の観客たちが悲鳴を上げる。
辺りは騒然となった。
「くそ! ありかァそんなん! 誰がどう見たって不審者だろうがよォ!」
そう言いながら、振入尖々は物陰に隠れ、カバンから豹柄のレインコートを取り出して身につける。
それは彼を彼たらしめる、殺人の礼装。
尖々からスパイダーマンに変身した彼は、追いかけてくる殺人鬼に向かって振り返る。
「ハーッハッハ! ……ちくしょう、見つかっちまったらしょうがねぇなァ! 予定とは違ったが、お前を俺の踏み台にしてやるよ!」
「キールキルキル! この電車忍者様が、お得意の電車殺法を見せてやるぜ~!!」
そしてスパイダーマンは、悪の忍者と対峙した。
* * *
静かな地下収蔵庫に、足音が響く。
累絵空……彼女は本来一般人が入れない、博物館地下の暗い通路を歩いていた。
彼女が耳元に当てたスマホの先から、声が届く。
『クウ、気をつけろ』
「あら? どうして? クウは何があっても大丈夫よ」
『何度も言ってるだろ。お前は大丈夫でも、巻き込まれる私がたまったもんじゃない』
「でもそれで死んじゃうのはクウじゃないわ?」
『そうだな。けれど、私がいなくなったら困るのはお前だぞ』
「どうかしら? 案外、一人で上手くやれるかもしれないもの」
『……ストロベリージャンボパフェというものがある』
「なあにそれ?」
『苺とクリーム、チョコにアイスにシリアルと、何層にも分かれた究極の甘味だ』
「それは……とっても素敵! 食べてみたいわ!」
『そうだろう? けれど私がいなければ食べられない。それどころか、今教えなければお前は存在すら知らなかったわけだ。……私の有用さがわかったかい?』
「たしかにそうね! アリスのこと、少しだけ大事にするわ! ショートケーキに乗った苺ぐらいに!」
『……できればもう少し大事にしてくれると嬉しいんだが』
軽口を交わしつつ、少女は一人奥へ行く。
そうして歩いていくと、収蔵庫の最奥に布が被せられた展示物を見つけた。
「ああ、これだわ」
布を取ると、年季の入った石版が顔を出す。
少女はそこに書かれたアラビア語に、指を這わせた。
「これは――■■・■■■」
『……なんだって?』
「写本よ。すごいわ、本物ね。さすが歴史ある博物館だわ。ここに来て良かった」
『…………』
電話の先の声が黙る。
しばらくしたのち、再び声を発した。
『……よかったら、私にも何と書かれているか教えてくれないか。何か役に立てることがあるかもしれない』
「ええ、いいわよ。今出してあげる」
そう言って、少女はポシェットを開く。
そして優しく入れたその手には、一人の小人……有栖英二が乗っていた。
少女の手のひらの上から、アリスは石版の文字を解読する。
「……そんな」
その目から、涙が溢れた。
「これじゃあ……私がしてきたことは……何も……!」
アリスの奥歯が震える。
そして内容を理解する度に、その心の中に狂気が広がっていく。
無意識に自身の腕を掻きむしり自傷してしまうが、その傷はすぐに治っていた。
アリスの能力、『アリス・イン・ワンダーランド』。
不滅で完璧な美少女となる能力。
美少女であり続ける限り、傷を負うことも死ぬこともない力――。
そんな狂気の能力を宿すアリスもまた、その身にもたらされる狂気からは逃れられない。
気が付けば、石版を読むその目から流れた涙が血涙となっていた。
それは禁忌の知識に触れた代償か。
「そうだ……この世界は既に終わっていたのだ。それは何者にも庇護されない、私達の運命……」
アリスは理解する。
理解してしまった。
この世には希望などなく、絶望がただそこに口を開けて待っているだけだということに。
そんなアリスの言葉に、累絵空は微笑む。
「大丈夫よアリス。クウは全部思い出したの。それに、あなたのことも好きよ? だから……連れて行ってあげる。クウと共に生きましょう?」
魔性の瞳。
そのルビーのように赤く燃える瞳が、アリスを見つめる。
「何も恐れることはないわ。ここに書かれてあるようにすれば、あなたも救われる。だから――」
その声が、アリスの全てを侵食していく。
「――血を捧げましょう。たくさんの血を」
彼女は優しくアリスを撫でる。
――星辰の揃いし時は近い。
- - - - キリトリ - - - -
「キ~ルキルキル! 必殺電車斬り! 電車斬り! 電車斬り!」
「ハッハァ! ……おいふざけんなエセ忍者!! 何が電車だこのやろー!!!」
切る、斬る、キル、KILL。
自称電車忍者ことキリキリ切腹丸は、片っ端から展示物を切っていた。
悲鳴を上げて逃げ惑う人々をかき分けて、逃げる振入尖々を追う偽忍者。
一方の振入尖々も負けじと鉤縄を飛ばし、天井を介してアクロバティックな逃走劇を見せる。
だがそれを見逃す切腹丸ではない。
「キールキルキル! 忍法電車スラッシュ!!」
振入尖々の投げる縄は、切腹丸にとって紙くずよりも脆い。
なぜなら縄は切れるもので、彼の能力は切れるものを切断する能力だからだ。
何本かの縄が切り払われ、振入尖々は焦りの声をあげる。
「ハーハッハァ! ……クソが、戦い方の相性が悪すぎる……!」
片や切断。
片やロープの固定。
何かの仕掛けを仕込もうにも、その前に縄は切られてしまう。
自然、防戦一方になってしまう振入尖々。
「なら……!」
再び鉤縄を投げる。
それは切腹丸の頭上にある、宙吊りとなった展示物に引っかかった。
しかし――。
「Die・Set・Done!!」
素早くその縄を切り裂く切腹丸。
だがそれを見て、振入尖々は笑った。
「――ハッハッハー! 残念、それは囮だ!」
同時に手元からの投擲。
とっさに切腹丸は撃ち出されたそれを弾き落とす。
「……あん?」
見れば、足元に転がったそれはお土産コーナーにあった池袋キーホルダーのようだった。
切腹丸が顔を上げる。
「こんなもんじゃ俺は――ぎょへっ!?」
頭上。
さきほど振入尖々が投げ放った鉤縄は、しっかりと展示物に食い込んでいた。
しかし能力の解除によって、先端の鉤爪が落下し、切腹丸の後頭部を襲ったのだった。
「ハッハー! 囮と見せかけたそっちが本命だ! 騙されたなァ!?」
「……てめぇぇ~~!」
頭を押さえつつ、その顔に怒りの形相を浮かべる切腹丸。
「キールキルキル! ぶっ殺~~~す!!」
「ハッハァー! ……どうしようこの後」
クリーンヒットではあったものの、自重で落ちただけの威力では致命傷にはほど遠い。
振入尖々は切腹丸に背を向け、走り出す。
「どうするどうする……! どうやったらアイツに勝てる……!」
「キール切る斬るKI~~~LL!!」
焦りながら考えを巡らせる振入尖々。
……だからこそ。
正面から近づく、それに気づかなかった。
「――あなた、殺人鬼ね?」
「……は?」
振入尖々は少女にぶつかる。
そして絶句。
そこにいる少女の姿に、彼は見覚えがあった。
――『ミッシングギガント』、累絵空。
「……ヤバ」
驚く彼に少女は抱きつき、そしてその頬に手を当てる。
そして振入尖々が動きを止められたその瞬間と、時を同じくして。
切腹丸は、別の少女とすれ違っていた。
彼が気にも留めなかった少女は、振り向きざまに小さくつぶやく。
「……『アリス・イン・ワンダーランド』」
「……あ?」
四つの運命が交錯した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「はあっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
全力疾走。
こんなピンチはいつ以来だ。
走る、走る、走る……!
前方にベビーカー。
その大きさは俺の10倍ほど。
『ロープガン・ジョー』発動。
ベビーカーの底面に引っ掛けて、鉤縄を使ったターザンのような振り子運動。
大きく跳ぶ。
空中を飛んでいる一瞬の間に呼吸を整え状況を理解しようとする。
走り続けた足を休ませ、少しでも疲労を回復しておく。
……だが、すぐ後ろにそれは迫ってくる。
「ね ぇ」
なんだか音の聞こえ方が違う気がする。
すこしくぐもったような、スロー再生のような恐ろしい声。
それは俺の錯覚か、それとも――。
「待 っ て 、 蜘 蛛 さ ぁ ん」
――俺の体のサイズが、小さくなっちまったせいなのか!!
巨大な少女。
まるでゴジラかウルトラマンか、そんなバカデカい少女が俺を追いかけてきていた。
いや、あの子が大きいわけじゃない。
あの子のサイズは普通だ。
普通のサイズの少女が……いや、むしろ小柄なぐらいの女の子が。
――アクションフィギュアみたいに小さくなっちまった俺を捕まえようと、手を伸ばしてくる!
捕まったら、死ぬ!
握りつぶされて殺される!
そんな光景が簡単に想像できる!
死んだ後は、縮小化能力が解除されるのだろう。
そうしてできた死体は、まるで巨人が小人を踏み潰したような光景で……!!
「待 っ て ぇ」
――故に、消失した巨人!
俺のミスはなんだった!?
博物館に来た事か!?
こんな子どもなら簡単に殺せると高をくくったことか!?
それともそもそも……こんなクソみてーなデスゲームに参加したことか!?
そんなことはどうでもいい!
とにかく、とにかく逃げるんだ!
どこかに身を隠せる場所は……ない!
隠れられる場所がない!
死ぬほど部屋が広い!
いや、普通の人間なら広くはない。普通の展示場だ。
だが今の俺には、縄が届く場所がない!
小人にとって、この博物館は広すぎる!!
「つ ー か ま ー え た ー」
少女の手が迫る。
……嫌だ。
死にたくない。
こんな所で死にたくない。
俺はこんな死ぬ方をする為に、殺し続けてきたわけじゃ……!
――瞬間。
視界が白に閉ざされた。
「きゃあっ」
少女の悲鳴。
視界が何かに覆われている。
これは消火器か?
いや匂いがない。
これは……霧!?
「……キーリキリ霧! スチーム・エクスプロージョンだ~!」
声と共に、俺の体が巨大な手に包まれる。
一瞬そのまま握り潰されるのかと思ったが、そんなことはなくその手の中で俺は丁重に運ばれていた。
――助かった!
なんのつもりかは知らないが、あの野郎は俺を助けてくれたのだ!
一応、礼を言っておくべきか。
殺人鬼同士とは言え、俺にだって礼儀はある。
「えっと……ありがとな」
あらためて言うのは少し気恥ずかしい。
だが感謝の気持ちを込めて、その名前を呼んだ。
「電車忍者……!」
「俺は電車忍者じゃねぇ!!」
理不尽につっこまれた。
いやお前がそう名乗ったんだろうが。
俺は悪くねぇ!
次第に辺りの霧がゆっくりと晴れていき、その顔が見えてくる。
それは改めて、手の中にいる俺に向かって名乗りをあげた。
「俺は! 俺様の名前は! Killing忍者、キリキリ切腹丸様だー!! しっかり覚えとけ~!」
甲高い声が辺りに響く。
そこにいたのは、薄手のくノ一ファッションに身を包んだ、黒髪ポニーテールの美少女だった。
「……どちらさま……?」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「つまり『ミッシングギガント』は、二人で一組の殺人鬼だったってことかァ……!? ちくしょう、やられたぜ……!」
「キールキルキル! 『相手を小さくする能力』と『姿を変える能力』を使うヤツがいるって事だな~! 面白ぇぜぇ~!」
黒髪の少女と共に、展示物の棚へと隠れる。
俺はフィギュアのような手のひらサイズに。
そして切腹丸は美少女になって背丈が縮んでいるので、隠れやすくなっていた。
不幸中の幸いだ。
「……いや幸いも何もあるか! なんだよこの状況!」
「突然どうした? 叫んだところで解決はしねーぜ」
美少女丸がまともなツッコミを入れてくる。
こいつやけに落ち着いてやがるな。
「お前状況を受け入れるのが早すぎるだろ……。性別もなんもかんも変わってんだぞ」
「キールキルキル! 慌てたところでどうにかなるもんでもねーしな~」
「そりゃそうだが……。自分の変化を受け入れるのも、あんな状況で俺を助けるのも、どれもこれも判断が早いっつーか……」
「殺しの最中に悠長に考えてる暇はね〜だろー? それともお前はあの状況で、見捨てられてた方が嬉しかったか?」
「それは……いや、たしかに助かったけどよ。……そもそも俺とお前は敵同士だぞ?」
切腹丸が殺人鬼ランキングに載っているのは知っている。
ならば俺たちは戦い、殺し合うのみ。
そんな俺の言葉に美少女丸は笑った。
「俺は一時休戦は得意なんだ。あいつらぶち殺したら、また殺し合いしようぜ」
「……まあ、それしか選択肢はねぇか。異議はねぇよ」
美少女になった殺人鬼と、手のひらサイズの殺人鬼。
万全の姿であろうミッシングギガントの二人に比べて、俺も切腹丸も弱体化されている。
正面から戦って勝てる状態ではないだろう。
なら、こっちも手を組むしかない。
美少女化したこいつと協力して……。
「……ていうか美少女化ってなんだよ! なんで美少女にした!?」
「キールキルキル! さっきからツッコミがうるせぇな! お前はお笑い芸人か?」
「うるせぇ! 俺は真人間なんだよ!」
俺の言葉に美少女丸は笑いつつも、自分の腕を伸ばしてまじまじと見つめた。
「なら状況の分析でもしてみようぜ。ほらこのちっさくなった体を見ろ。間違いなくリーチは短くなっちまってる。それにこの細腕じゃあ……切れるもんも切れねぇぜ」
鈴を転がしたような可愛い声で美少女丸は笑う。
……笑う度にギザ歯に見えるのは、ややマニアックな癖を刺激する少女にされた為か。
ギザ歯丸は俺の様子に構わず分析を続ける。
「魔人能力ってのは願望みたいなとこもあるからな。単純な変身能力じゃなく『美少女にする能力』って考えたら、わかりやすいかもしれねぇぜ」
「……なるほどな。それならあんな状況でお前を美少女に変化させるのもわかる。美少女にしたかったわけじゃなくて、『美少女にするしかなかった』ってことだな? ……もしかして、お前案外鋭いのか?」
「キールキルキル! 武器も思考も、常に研いどかなきゃ殺人鬼としてやっていけね~ぜ?」
美少女丸は黒いポニーテールを揺らし、親指を立ててウィンクした。
イラッとする。
ちょっと可愛い仕草をするな。
元の大柄な男の姿を想像してため息をつきつつ、俺は考えを巡らせる。
「となると、敵の2人のうち先に叩くのは――」
「――おっと。考えてる暇はねーみてーだぜ~」
美少女丸はそう言うと、俺を腕に乗せたまま展示物の棚を飛び出す。
「お、おい! せっかく隠れてたのに……!」
「あいつら、こっちの位置を正確に把握してやがるぜ。そういう能力なのかもしれねぇ」
――探知機能付きの能力……!
切腹丸が示した方向を見ると、そこにはヤツが言った通り、俺達をまっすぐに見つめる双子のような金髪の美少女たちがいた。
どっちの能力によるものなのかはわからないが、たしかに切腹丸の言う通り隠れる意味はないようだった。
その観察眼は、さすがに忍者を名乗っているだけのことはある。
あらためて、そこに立つ二人の姿を見る。
その風貌は似通っているが、顕著に違うところは片方の口元がマスクで覆われ、隠れている所だろうか。
その理由はわからないが、見分けがつくのはありがたい。
切腹丸に向けて忠告する。
「わかってんのは……触られたらアウトってことだな」
さきほど、少女に触れられて小さくなったときのことを思い出す。
協力関係にあるこの美少女丸まで小さくされたら、俺たちの勝ち目はより一層少なくなる。
一方、勝算は今のところなし!
「ハーハッハー! でもやるしかねぇよなー!」
「キールキルキル! 先に切り刻んじまえばいいんだろう~!?」
それを見た相手の二人も反応する。
「二人とも、遊んでくれるのね! やったあ!」
「…………」
四者の視線が交差する。
そうして戦いの火蓋は切って落とされた
- - - - キリトリ - - - -
切腹丸は目の前の二人の少女を睨めつけ、目を細める。
肩に乗った小人が警告した。
「あいつに触れるなよ! さっき頬を触られたら小さくなった! おそらく接触がトリガーだ!」
「任せな~!」
切腹丸は単分子ワイヤーが繋がる鎖鎌を取り出す。
「キリングユー!」
そして投擲。
遠距離から襲い来る刃が、マスクをしていない方の少女に迫る。
そして少女は……それを避けなかった。
「あら? 痛いわ」
驚いた少女の心臓に、あっさりと鎌が突き刺さる。
貫かれた胸からは血が吹き出し、辺り一面に血しぶきを撒き散らす。
……しかし、それだけだった。
「なぁにこれ?」
何事もなかったかのように、少女は胸に刺さった鎌を抜いて手に取る。
「……えいっ!」
そして投げ返した。
鎌はあさっての方向に飛んでいき、切腹丸はそれを引き寄せる。
「キールキルキル! 鎌の扱いには慣れてねぇみてぇだなぁ!」
「ああ、あれがブーメランなのね! 前にアリスに教えてもらったわ!」
まったく傷を負っていないどころか傷を負っても楽しげな彼女の姿を見た振入尖々は、驚きの声をあげた。
「ハーハッハー! ……なんだありゃ、化け物か!?」
「キールキルキル! 何度も切り放題なんて夢が広がるぜー!」
「んなこと言ってる場合かァ!? 殺しても死なないんじゃどうしようもねぇぞ!?」
「もう一人の能力か~? 殺されても死なねぇ美少女に変化する能力なんて、イカすじゃねぇか〜!」
驚く二人の様子に構わず、累絵空はずんずんと二人に近付く。
その様子を見て、二人は直前の盛り上がりとはうってかわってスンと声を潜めた。
二人は殺人鬼の表情に切り替わる。
切腹丸は短く状況を報告した。
「前衛と後衛に分かれたな」
「ああ。おそらくこっちに向かってくる方が、俺を小さくしたミッシングギガントだ。後ろの方が、不死の美少女製造機……ってとこか」
「なら、そっちは任せるぜ」
「……は?」
切腹丸は小さな仲間の体を握り、そして大きく振りかぶった。
「おいバカ何する気だ!?」
「お前は一度受けてるから、ミッシングギガントの攻撃はもう一回受けても平気なんじゃねーかー?」
「ふざけんな! もし二回受けたら即死だったらどうする!?」
「その時はその時だろ」
「あ、ちょ、やめっ……!」
「電車忍法、空蝉の術~!」
「――ふざけんなー!!」
小さな振入尖々の体が累絵空に向けて投げつけられる。
一方投げつけられた累絵空の方は、両手を広げてそれを迎え入れた。
「いらっしゃ〜い♪」
「……『ロープガン・ジョー』!」
少女の胸に飛び込む前に、振入尖々は鉤縄を飛ばす。
それは天井からぶら下がる照明に引っ掛かり、円弧を描くように彼を運んだ。
万全の受け入れ体制をスルーされて、少女は不満げな表情を浮かべる。
「もう、逃げちゃダメよ。大人しくしないと……殺しちゃうよ?」
「ハッハッハー!…… 大人しくしてても殺されると思うんだがァ!?」
美少女と、オモチャサイズの成人男性の追跡劇が始まった。
一方、それを見届けた切腹丸はマスクの少女を狙って駆け出す。
それに気付いた少女は一瞬怯えた表情をしたかと思うと、きびすを返して走り出した。
だが殺人鬼は瞬時にマスクの少女へ迫る。
「待ちなぁ!」
「……!」
その声に振り返る少女の目には、恐怖の色。
切腹丸は鎖鎌を取り出すと、それを振り上げた。
「キールキルキル!」
一閃。
少女の顔に傷ができ、頬から血が流れる。
マスクが切られ、その口元があらわになった。
……そしてそこに見えたのは、口を覆うガムテープ。
切られた少女は自らそれに指をかけ、勢いよくテープを剥がした。
「……やめて! 殺さないで! お願い助けて」
「KILL」
切腹丸はそれに取り合わず少女の腹を切る。
辺りに血を撒き散らしながら、少女は倒れた。
「いやぁ! 痛いぃ! 私はあいつらに脅されてついてきただけで……!」
少女の傷はみるみるうちに治っていく。
切腹丸は痛みにのたうち回る少女を見下ろしながら、その向こうにある別の展示スペースに通ずる扉へと目を向けた。
開け放たれた扉の向こうが見える。
「キールキルキル……なるほど、空蝉の術は忍者の専売特許じゃねーんだな」
そこには十数人を越える、同じ顔の少女たちの姿があった。
それぞれが怯え、困惑し、恐怖している。
切腹丸はそれを見て口の端をつり上げる。
「逃げ遅れた一般人に能力を使った囮……実に合理的だ。それに悪趣味だなぁ! 嫌いじゃねぇ邪悪さだぜぇ? けどよぉ……」
鎖鎌の刃を一文字に構えた。
「……俺が誰だか忘れてねぇかあ!? 悪の怪人相手に――人質なんて通じるかぁ〜!!」
殺戮が始まった。
* * *
振入尖々は空を駆ける。
それは蜘蛛というよりはまるで羽虫。
それを追いかけ、累絵空が手を伸ばす。
「待て待て~!」
楽しげに走り回る無邪気な少女。
すでに彼女は半ば目的を忘れ、鬼ごっこに夢中になっていた。
彼女の手の届く範囲でブラブラと逃げ回る、10センチほどの振入尖々。
それは命を賭けた鬼ごっこ。
――こうして引き付けていれば、いつかあいつが倒してくれるはず……!
振入尖々はそう考える。
まずは少女から不死性を奪わなければ、倒せない。
ならば最初に行うのは、不死化の術者を殺すこと。
そう考えた役割分担。
少女を引き付ける囮役。
……しかし。
「……えーい!」
少女振入尖々の逃げる方へ向けて、何かを投げつけた。
それは一口サイズのキャラメル程度の大きさの物体。
今の振入尖々にとってみれば頭ほどの大きさはあるが、素人の少女が適当に投げたものに当たるほど、運動神経は鈍くない。
だがその形を認識し、振入尖々は背筋を凍らせた。
「……『ロープガン・ジョー』!」
慌ててロープを前方の展示物へと引っ掛けて、その場を離れる。
――間に合え!
「……夢におかえり」
少女がそう言うと、投げつけられた物体が巨大化していった。
それは縮小化を解除された展示物の棺。
巨大な棺桶が振入尖々の頭上に出現し、彼を弔う墓標になるべく迫りくる。
「――うおおおぉぉ!」
雄叫びと共に間一髪、圧死を免れる。
――何度もやられると避けきれねぇ!
振入尖々がそう思ったのも束の間。
「うーん……そろそろ本気で捕まえちゃおっかな」
無邪気な少女の声が辺りに響く。
「『小さな小さな空の歌』……夢は終わらない」
少女の声が反響する。
それと同時に、振入尖々の体に変化が起こった。
「……おいおいおい! 嘘だろ」
その体がさらに縮む。
少女はルンルンとご機嫌に微笑んだ。
「一度クウに触れられたら、もう逃げられないんだよ?」
手のひらサイズだった彼の大きさは、今や指先ほどの大きさになっていた。
山のように巨大な美少女が振入尖々を見下ろす。
「見失っちゃうからこれ以上小さくはしないけど……これでもう遠くには行けないね♡」
彼はそれを見上げて、乾いた声を漏らした。
「……ハハ、新しい性癖に目覚めそうだぜ……」
少女は無慈悲に屈んで、まるで這いずる子蜘蛛をプチリと潰そうとするかのようにその手を伸ばした――。
- - - - キリトリ - - - -
「キールキルキル! こいつは……面白ぇなぁ!」
切腹丸は何人もの美少女たちに囲まれていた。
美少女たちはまるで猛獣のように唸り、歯を剥き出しにして切腹丸を取り囲んでいる。
とても理性があるとは思えない姿だった。
何人かの少女が地面を蹴り、切腹丸へと飛びかかった。
切腹丸はそれを鎖鎌で迎え撃つ。
「Die・Set・Done!!」
飛びかかってきた少女たちを切り刻む。
腕を切り飛ばし、首を刈り取り、心臓を円の形に抉り出す。
17つの肉片に分解してようやく、少女たちは動きを止めた。
少女たちの姿がぐずぐずに溶け出して、縮小していく。
そしてそれらはそれぞれ昆虫の残骸となった。
「こいつは虻か? それとも蜂か? まあ俺は昆虫博士じゃねぇし、どっちでもいいか」
気づけば周りの少女の数はどんどん増えていた。
切腹丸は周囲を警戒しながら辺りを見回す。
「……てめぇの能力は『生物の不死化・少女化』……ってとこだな? 愉快な能力だな、ええ? このロリコン野郎」
切腹丸は挑発する。
しかしそれに反応する少女はいない。
おそらく元人外の、本能のままに戦う少女たち。
おそらく元人間の、怯える少女たち。
その数はすでに数十を越えていた。
「ビームセイバーが使えりゃ、こんな人数ぐらいは簡単に切り刻めるんだが……」
切腹丸は懐にしまったそれを思い浮かべる。
切腹丸は先の電車忍者との戦いで、サムライセイバーから受け継いだヒーローパワーを使用していた。
だが悪の怪人たる切腹丸とは、本来反発しあう力である。
ヒーローパワーを使うだけでその体には負担がかかる。
その上、今朝目覚めると光の力への拒否反応のせいか、ビームセイバーは起動しなくなっていた。
「まあないものを言ってもしょうがねぇが……けど、マズいぜ」
さらに今の切腹丸は少女の体になった為か、人体を切り刻むことも上手くいかない。
腕ぐらいなら切り飛ばせるが、胴や背骨を両断しようとしても、切断できない事も多かった。
「キールキルキル……! こいつはもしかしてピンチってやつか?」
視界の中で大勢の少女が蠢く。
――一人見たら、百人いる。
まるで獲物に群がるハイエナのように集まるそれを見て、切腹丸は舌なめずりをした。
「……まあ、全員殺しちまえば関係ねぇか」
少女たちが一斉に切腹丸へと襲いかかる。
そして真っ赤な血が、博物館の壁を染めた。
* * *
「……ちっちゃくし過ぎちゃったかなぁ。あんまり小さくすると、上手に遊べなくてつまんない」
累絵空は振入尖々の左腕の先をつまみ、ぶらりと吊り下げた。
「ねぇねぇ。まだ生きてる?」
「……クソが」
男は少女を睨みつける。
少女はまるで大好きなオモチャを見つけたような、無邪気な笑みを浮かべた。
「そんなに頑張らなくてもいいのに。どうせ死んじゃうんだから」
「それはこっちのセリフだ……。あと少し時間を稼ぎゃ、あいつがお前の相棒を殺す。そうすりゃお前は――」
「そんなことにはならないよ」
「あ?」
累絵空はクスクスと笑う。
「だってアリスは……とっても弱っちいけど、とっても賢いの。なんでも知ってるし、なんだってやってみせる」
そこにあるのは絶対的な信頼。
「アリスは勝てないかもしれない。でも、アリスは負けもしないのよ」
「……そうかい。それだけ信じられるなんて、素敵な友達だな」
「ええ。だからあなたもクウの友達になって欲しいの」
「……友達?」
「うん!」
累絵空はその赤い瞳を輝かせた。
「儀式には殺人鬼が必要なの! 多くの魂を従えた虐殺者の魂……それを捧げることで、空への道が繋がるわ!」
「……ハッハァー、こいつはとんだサイコちゃんだな。言ってることが何一つわかんねぇ」
「もう、本当のことなのに」
むぅ、と頬を膨らませる累絵空。
彼女は目を細めると、ため息をついた。
「協力してくれないなら、ちょっと面倒くさくなっちゃうけど、あなたの魂を無理矢理使うだけ。あなたは逃げられないし、あなたのお友達もアリスを殺すことなんてできない……」
「……それは、その通りかもな」
彼女につられるようにして、振入尖々も笑う。
「ついさっき会った相手に仲間意識なんて……俺もどうかしてた。だからよォ――」
そして少女の指をすり抜け、空中へと踊りだす。
「――一人で勝手に助かることにするわ!」
空中から鉤縄を投げる。
その先にあるのは……少女の瞼!
ザクリと瞼に刺さった鉤爪に、少女は不満げな声をあげる。
「いた~い」
「痛みがあるならそりゃ結構! 『ロープガン・ジョー』!」
男の体重に引かれて少女の瞼が伸びる。
その隙間からギョロリと赤い目玉が覗いて、彼の姿を追いかける。
だが彼はひるまない。
「ハーハッハー! 一か八かの一寸法師だァー!!」
そのまま飛び込む。
目指すは彼女の口の中。
慌てて少女は口を閉じようとするも、勢いよく滑り込んだ異物の排除には間に合わず侵入を許す。
勢い余ってゴクン、と飲み込む。
だが胃の中にそれが落ちてくることはなかった。
「『ロープガン・ジョー』!」
何本もの鉤縄が喉に張り巡らされる。
ズブリと喉に突き刺さった鉤縄は、その能力の効果で決して外れない。
そして咽喉内の肉は伸びはすれど、ちぎれることもない。
「……がっ、かはっ……!」
累絵空は喉を押さえる。
そこに何かがいる。
いるが……触れない!
自身の肉体という壁に阻まれ、異物を排除できない。
「……あ……お……」
少女は自らの首を絞めつけるようにしながら、能力を発動する。
『小さな小さな空の歌』。
一度触れた相手を小さくする能力。
喉に引っかかった異物をさらに小さくする。
ノミよりも、ミジンコよりも、細菌よりも。
しかしそれは、少しだけ遅かった。
「……スパイダーネット」
彼は小さくなる寸前に、ロープを組み合わせて網を作っていた。
そしてそこに被せられ、再度能力を使って固定されたのは豹柄のレインコート。
レインコートは雨を弾き、液体を弾き、そして空気を通さない。
「……ぎゃひっ! ぐひっ! ぶひゅー……!!」
喉に何かが引っかかり、少女への酸素の供給が阻害される。
だが彼女はそれに触れられない。
実際には鉤縄やロープに喉の粘膜が接触してはいるのだが、少女はそれを『触っている』とは認識できない。
なぜなら彼女にとってそれは、喉がイガイガして、息が詰まっているだけなのだから。
少女はびくびくと体を震わせながら倒れる。
体の反射行動によって、涙が流れ出した。
だが余分なよだれも鼻水も出ることはない。
なぜなら、彼女は完璧な美少女だから。
本来異物を排除する為に作動する人体に必要な防衛機構は、まともに機能しない。
くしゃみや嘔吐のように、微生物を排除するような仕組みも存在しない。
なぜなら彼女は完璧な美少女だから!
「がっ……! ぐっ……!?」
少女は喉を掻き毟る。
その内側には、絶対に外れることのない蜘蛛の巣。
だがいくら爪を突き立てても、喉に付けられた傷はすぐに治ってしまう。
直接喉を切り開くことすらも彼女には不可能だった。
……なぜなら彼女は、完璧な美少女だから!
次第に少女の抵抗は少なくなり、体の動きは少なくなっていく。
それはまるで、真綿でじわじわと首を絞められるかのような殺害。
累絵空は、窒息で意識を手放した。
* * *
「26……27! キールキルキル! 次はどいつだ!? かかってきやがれ~!」
美少女の血に塗れて、全身が真っ赤に染まった切腹丸が声を上げる。
理性を持たない虫や小動物が変身した少女たちはあらかた片付け終えた。
残るは意識を持つ、元人間の少女たち……。
「……ひぃぃ!」
怯えていた少女の一人が立ち上がって逃げ出す。
「そこかぁー!」
鎖鎌を投げる。
後頭部に命中。倒れる。
ビクビクと痙攣しながら、倒れた少女の肉体がぐずぐずと崩れていって、中年男性の死体へと変わった。
「キールキルキル! すまねぇ人違いだったな! だがいい死に様だったぜぇ」
切腹丸なりの礼儀なのか、死体を褒めつつ、近づいて検分する。
「死んだ直後は女のままだが、しばらく経ったら元に戻る。あの虫たちも一緒だった。『生きてなきゃあ少女じゃない』……そんなところか? 変態的な能力だぜ」
切腹丸は周囲を見回す。
基本的に金髪赤眼で似たりよったりな美少女ばかり作られているが、その中にも多少の個体差があるようだった。
「ある程度似せて作る事も可能だが、多少は出来栄えが変わるみてぇだな。素材の差か?」
そう言いながら、死体から鎌を引き抜く。
その先端から血が滴り落ちた。
「一つわかったことは『殺せば死ぬ』って事だ。いろいろ殺し方を試したが、おそらくは脳の損傷が直接的な死因か。となれば攻撃を受けた本人と術者の認識、両方に左右される能力……つまり、『認識を阻害すれば、命を刈り取れる』」
切腹丸はぶつぶつとつぶやきながら、頭の中で世界最速の美少女殺人計画を組み立てる。
「――『全員死ぬまで殺せば死ぬ』……キールキルキル! 簡単なルールだなぁ!?」
切腹丸の出した結論に、周りの少女たちが恐怖の表情を浮かべた。
……そうして切腹丸が動き出そうとした時――。
「……がひぃっ!」
――累絵空が倒れたのは、その瞬間だった。
「あん?」
切腹丸が目を向ける。
そこでは、累絵空が自らの喉をかきむしりながら酸素を求めて苦しんでいた。
「……キールキルキル! どうやら囮の方が獲物を喰っちまったみてぇだな」
少女はじたばたと暴れた後、しばらくして動かなくなる。
一部始終を眺めていた切腹丸は笑った。
「やるじゃねぇか蜘蛛野郎。狩りレースは俺の負けかぁ?」
「……ダメ、だ」
切腹丸は後ろからの声に振り返る。
そこには青ざめた少女がいた。
最初にマスクをしていた少女だ。
「アイツを……クウを殺してはいけない……! その前に儀式をしなければ……!」
「ああん? さてはお前がアレの相方か? 殺される為にノコノコ出てくるとはいい度胸じゃねぇか。それに免じて苦しまないよう殺して――」
「――アイツを目覚めさせるな! ヤツは私の能力で封印していたんだぞ!?」
「…………キル?」
瞬間。
累絵空の頭部が弾け飛んだ。
そしてそこには、元のサイズに戻った振入尖々が現れる。
「ハッハァー! なんとか戻れたみたいだなァ! さすがに死んだかと思ったぜ!」
一緒に大きくなった豹柄のレインコートを羽織って、彼は立ち上がる。
足元には首なしの死体。
それは間違いなく死んでいた。
それまで切腹丸にすがりついていたマスクの少女は、恐怖の表情をその顔に張り付かせたまま言葉を捲し立てる。
「私の能力は、対象自らが美少女であることを諦めたら死ぬ……よって、認識を司る脳に酸素が送られなければ死ぬ! 死んだら美少女ではない! なぜなら美少女は死なないからだ!」
「何言ってんだコイツ?」
「美少女でなくなってしまっては……クウは元の姿に戻ってしまう! そうなれば、そうなれば……」
少女は頭を抱えた。
「この世界は滅んでしまう! その前に儀式をして、ヤツの眷属にならなければいけなかったのだ! そうでなければ、人類に助かる道などない……うわあぁぁ!!」
半狂乱となる少女。
切腹丸はうるさい少女に一発蹴りを入れつつ、警戒しながら累絵空の死体へと近づく。
それは少女である事を、既に辞め始めていた。
ボコリと腹部の肉が膨れ上がり、深海の底に沈んだ水死体のような色となる。
地獄からやってきた死者が救いを求めるかのように、胸を突き破って腕が生え、そして再びその体に消えていく。
「うわっ!? なんだこりゃァ!?」
振入尖々が異様な様子に気付きその場から離れた。
まるで沸騰した泡のように触手が生える。
一本、二本、四本、八本。
幾本もの軟体状の触手は蠢めき、獲物を探し求めるように辺りを這いずり回る。
質量保存の法則を無視して、ミチミチと音をたてながら膨れ上がっていく少女の死体。
振入尖々は切腹丸と肩を並べつつ、後ずさった。
「何が起こってんだ!?」
「キールキルキル! 知るかよ! ただアイツの話が正しければ……」
後ろでうずくまる、累絵空の仲間を親指で指さしながらそう言った。
「……これがアイツの本性みてぇだな!」
切腹丸は見上げる。
すでにそれは3mの高さを越え天井に近づいていた。
仄暗い色の触手が捻り寄って歪な四肢を構成し、そうしてまた腹から、背中から、無限本の触手が伸び広がる。
動物なのか植物なのかすら判別できない、化け物と形容するしかない名状し難き存在がそこに顕現し始めていた。
「キールキルキル……! なんかヤベぇもんが出てきそうだな! けど、それを待ってやる義理はねーけどなー!」
切腹丸はシュンシュンと鎖鎌を振り回す。
「スーパーカット……Die・Set・Done!!」
蠢く触手を切り裂く、鎖鎌の円弧軌道。
それによってスパスパと触手の先端が切り落とされていく。
だが切られた触手は地面に落ちると、また地面を這いずって元の肉体へと戻っていき、さらにその大きさを増していく。
切られたことに反応したのか、何本もの触手が切腹丸の方を向き、狙いをつけるような動きを見せた。
「……手応えがねぇ」
切腹丸がつぶやく。
その声にいつもの余裕はなかった。
切られた触手は何本もの仲間の触手と共に、切腹丸へと向かって動き出す。
人の胴ほどもある太さの触手の群れが切腹丸を襲った。
「キールキルキルキル!」
一本を切り、二本をいなし、そして三本目が切腹丸を薙ぎ払う。
「ぐへえっ……!」
人ならざる力に叩きつけられ、華奢な少女となっていた切腹丸の背骨が折れる。
即死。
そのまま二度三度と地面に叩きつけられて、切腹丸は動かなくなった。
胴体が捻り折れている。
「……は?」
振入尖々は事態が理解できず、間抜けな声をあげた。
一撃。
魔人の耐久力にも差があるとはいえ、切腹丸はその攻撃に一発も耐えられなかった。
振入尖々はあらためて、眼前の敵の姿に目を向ける。
それから生える触手たちは動かなくなった切腹丸に興味を失ったのか、悲鳴をあげて逃げ惑う複製少女たちに向かってその肉の蔦を伸ばしていった。
少女を捕らえ、引きちぎり、撒き散らし、そして自らの肉体へと吸収していく。
暴虐の限りを尽くす、人知を超えた捕食行為。
振入尖々は、今や天井をも破る大きさとなったそれを見上げる。
そして唐突に理解した。
それはこの世ならざる者。
この世界に存在してはいけない者。
異界の理を持つ、名状し難き神話時代の生物。
後ろに伏せたまま恐怖に震えていた少女が、涙まじりに声を漏らす。
「終わり……終わりだ……せめて私だけでも……助けて……お助けを……」
まるで祈りを捧げるようなその姿勢で。
狂乱しながら、言葉を紡ぐ。
それは地下の石版に書かれていた、異界の存在を称える術式の呪文。
「ふんぐるい……むぐるうなふ……るるいえ、うが、なぐる……いあ、いあ! くとぅるふ、ふたぐん……!」
その呼びかけに応えるかのように、それは咆哮した。
「――■■■■■■■!!」
まるで洞窟から漏れ出る暴風の反響音のような轟音が、あたりの壁をビリビリと揺らす。
振入尖々はその場にへたり込む。
彼はその瞬間、見て、聞いて、そして理解した。
この世界に終焉が訪れたことを。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「……は、はは……はははは……!」
振入尖々の口から笑い声が漏れる。
――勝てるわけがない。
いや、戦うなんてことすらおこがましい。
目の前にいる化け物は、そのような次元の存在ではなかった。
それは見れば誰もが信じ崇めざるをえない、まさに最強で無敵の偶像。
弱点なんて見当たらない、はるか彼方の星の力を宿す、絶対的恐怖の邪神。
震える振入尖々の体に向かって、その巨大な存在の腕がゆっくりと伸ばされる。
――それはまるで彼に救済を与えるかのように。
――それはまるで赤子が乱暴にオモチャを掴もうとするかのように。
彼の体を、その手で包むべく近づいた。
瞬間。
光が満ちる。
「――奇妙な星のめぐり合わせだ」
それは凛とした少女の声。
聞こえたのは……彼のすぐ近く。
光が収まる。
同時に、巨大な邪神の指がゴトリと落ちた。
振入尖々は何が起きたのかわからず、呆然として顔を上げる。
そこにあったのは、一人の少女の背中だった。
血の赤に染まった忍者装束に、束ねられた髪の毛。
その髪の色は色素が抜け落ちたかのように、白銀にたなびいている。
キラキラと輝くように立っている、誰もが目を奪われていくような完璧な美少女。
思わず彼の口から言葉が漏れる。
「誰……だ……?」
「私か?」
彼女は振り向かずに答えた。
「私はただの魔人能力の残滓。この人格も搾り滓のようなものだが……そうだな、あえて名乗るとするならば――」
彼女はその瞳に希望という名の星の光を宿し、邪悪の前に立ち向かう。
その名は。
「――正義のヒーロー、サムライセイバーだ」
- - - - キリトリ - - - -
「サムライ……セイバー……?」
振入尖々のつぶやきに、彼女は頷く。
「その通り。私の能力名は、『邪悪絶対殺すマン』。キリキリ切腹丸に継承した能力そのものだ。こんな表出の仕方をしたのも、女の体になったり、ヤツが一度死んだりとおかしな事態が立て続けに起こって奇妙な条件が重なったせいだろうが……」
サムライセイバーはその手に光り輝くビームセイバーを構え、敵を見据える。
「そんなことよりも、今はこの未曾有の危機に対処しなくてはな。お前は敵が何者なのかわかっているか?」
「……し、知らねェ」
「……まあそれも無理はないか。彼らについての研究はミスカトニック大学でも極秘事項だからな」
やれやれ、とでも言うように肩をすくめつつ、サムライセイバーは説明を続けた。
「ヤツらは太古にやってきてこの星へと寄生した、異星からの侵略者……その中でもこいつは比較的大物の存在だ」
彼女の蒼い瞳に、エイリアンの姿が映る。
「海底神殿ルルイエの主。ク・リトル・リトル。またの名を――邪神クトゥルフ。……まあここにいるのはその神性の一部を抽出した分霊のようなものだろうが……」
再び、邪神が咆哮する。
振入尖々は奥歯をガチガチと震わせながら、首を振った。
「そんなん……勝てるわけねぇ! サイズ感も世界観も違い過ぎるだろ! こんなのに歯向かうなんてどうかしてるぜ!」
サムライセイバーは振り返る。
そして冷たい目を向けた。
振入尖々は言葉に詰まる。
「……な、なんだよ……」
彼の言葉に答えず、サムライセイバーはツカツカと歩いて近づく。
そして、平手打ち。
バチィンと彼の頬に衝撃が伝わる。
一瞬の間を置いて、彼は怒りの声を上げる。
「……何しやがるこの――!」
「――お前は何のためにその名を名乗っている」
サムライセイバーの突然の問いかけに、振入尖々は困惑する。
「……は? いったいなんの話を――」
「――答えろ。なぜそのような名を名乗っている」
「……それは」
脈絡のない質問に彼は言い淀みつつも、渋々答える。
「……気に食わなかったからだ。誰も彼もが、まるで俺のことを見ようともしなかった。だから俺が真のスパイダーマンになって知らしめてやろうと――」
「いいや違うな」
「……なんだと?」
「では問おう」
サムライセイバーはまっすぐに、振入尖々を見つめる。
「なぜお前は『怪人蜘蛛男』でも『ブンブン忍者ツチグモくん』でもなく……『スパイダーマン』と名乗った?」
「…………いやそれは……そんな名前、クソダさくて名乗りたくないけど……」
サムライセイバーは少し恥ずかしげに頬を赤らめ「こほん」と咳払いをする。
「そういう話ではない。お前はなぜ既存のヒーローの名前を名乗ったのか、と聞いている。訂正する機会などいくらでもあったろう。だがお前はスパイダーマンという名にこだわった。コスプレの真似事まで続けて、物語の中のヒーローに自分を重ね合わせた。……それはなぜだ?」
「……それは」
振入尖々は考える。
わざわざこの格好で殺しを重ねる必要なんてなかった。
それでも続けた理由、それは――。
「俺はただ……スパイダーマンがズルいと思った。やってることは俺と大して変わんねぇのに。なのになんでピーター・パーカーは尊敬されて、俺はただの殺人鬼なんだ? ……そんなの、フェアじゃねぇ! これは……嫉妬か? ……でも仕方ねぇだろ、俺はただの矮小な殺人鬼で――」
「違う」
サムライセイバーは彼に背中を向ける。
そして、再び迫りくる触手の群れに対峙した。
「それは嫉妬ではない……憧れだ」
サムライセイバーは触手の群れを切り裂く。
それをどこかぼんやり見つつ、振入尖々は尋ねた。
「あこが……れ……?」
サムライセイバーは微笑む。
束ねた銀髪が揺れた。
「お前はなりたかったのだ。……スパイダーマンに」
「……俺が、ヒーローに……? ……そんなわけ」
サムライセイバーは光の刀身と切った触手を見比べる。
「……ふむ。こいつの能力、案外扱いやすいな。なかなか私の特性とも相性がいい。上手く使ってやるか」
そんな独り言を言うサムライセイバーに、彼は後ろから話しかける。
「……なあ」
「ん?」
サムライセイバーは首だけ動かしチラリと後ろに目を向ける。
振入尖々は彼女に縋るように、その背中を見上げた。
「俺でも……なれると思うか? ……ヒーローに」
「さあな。そんなことは知らん。だが……」
あらためて、サムライセイバーは振入尖々に向き直る。
「ヒーローとは、目指すものではない。なっているものだ」
「……俺、は……」
振入尖々の目から涙がこぼれる。
「もう何人も殺した。極悪人もいたが罪のない子どもだって殺してきた。でも……そんな俺でも……あの日映画館で見た……悪を倒すヒーローに……」
彼は顔を上げる。
「俺も……なっていいのか?」
サムライセイバーは、彼の頬へと手を伸ばす。
「……そうだな」
そして、平手打ちした。
「ぶえー!?」
「話が長い!」
涙を撒き散らしつつ転がる振入尖々に、サムライセイバーは呆れた表情で語りかける。
「悪く思うな。ヤツらは人を効率良く操り寄生する為、微弱な精神感応能力を持っている。つまり、近づいたり見たりしただけでメンタルにダメージを受けてしまうのだ。だからそうして錯乱してしまった相手には、こうして殴ったり語りかけたりして目を覚ましてやる必要がある」
「目ぇ覚めてたって! たった今覚めたからァ!」
振入尖々はそう言って、ぶたれた頬を押さえながら立ち上がる。
そして、目の前にそびえ立つ邪神を見上げた。
「……へへ。あらためて見てみると、たしかに邪悪さは感じるがそこまででもねぇなァ。イカ・タコの親戚って感じだ。焼いて食えば美味いかもしれねェな」
「よし、それでいい。……ヤツを倒すにはお前の力が必要だ。協力してくれるな?」
「その為に喝を入れられたってわけか? ……まあ感謝しとくよ。あのままじゃあ殺されてたわけだし」
「ああ、頼んだぞ相棒」
そうして彼らは邪神を睨みつける。
二人のヒーローが肩を並べてそこにいた。
「……ハーッハッハー! 俺の名はスパイダーマン! 邪神だかなんだか知らねぇが、お前は俺の名前を世間に知らしめる為の踏み台にしてやるぜ!」
「この身は正義の体現の為……サムライセイバー、推して参る!」
キリキリ切腹丸ではなく、それに宿った魔人能力『邪悪絶対殺すマン』。
殺人鬼・振入尖々ではなく、正義のヒーロー『スパイダーマン』。
世界を守る為、神殺しの戦が始まる。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
激しい破砕音と共に、博物館の屋根が崩れ落ちる。
そうして連々と屋上を突き破って、邪神はその姿を世間に顕現させた。
空には漆黒の雨雲。
豪雨と暴風が吹き荒れ、この世界に終焉の時が訪れたことを告げる。
そんな嵐を切り裂く、一筋の光。
「『ロープガン・ジョー』!」
巨大な邪神の腕に鉤爪が食い込む。
取り付いた鉤縄は、その能力によってどんなに邪神が暴れようと、何があっても外れない。
そしてその縄を辿り、まるでロッククライマーのように垂直に巨人の体を登り続ける男。
その名は、スパイダーマン!
「ハーハッハー! これがホントの蜘蛛の糸ってなー! 芥川龍之介、見ってる~?」
「バカなこと言ってないで避けろ! 来るぞ!」
「うおっ!?」
背中に担いだ少女から声をかけられ、スパイダーマンは邪神の体を蹴りあげる。
無数の触手が迫りくるが、既に新たな縄が別の邪神の触手に引っかかっていた。
次々と縄を射出し触手を乗り換え、まるで空を散歩するかのように駆け上っていく。
邪神の触手が頑強で、そして無数にあるからこそできる空中の直通回廊。
「ハッハッハー! 見たか! お前が触手を出せば出すほど、俺の道が増えてくぜ!」
「ヤツの触手は自動反射の防衛機構、人間で言う免疫機能のようなものだ。こちらがヤツに取り付いている限り、ヤツはそれを抑えることができない」
「そりゃいい! 気を抜いたら死ぬことさえ除けば最高だなァ!」
邪神の手がスパイダーマンを払おうと迫る。
一撃で即死するレベルの圧倒的な力。
だが触手に比べて、腕の動きは遅い。
「『ロープガン・ジョー』……捕縛奇術!」
スパイダーマンはロープの中央を持ち、その両端をそれぞれ別方向に投げた。
両端に付けられた鉤爪が、別々に動く触手と腕に同時に刺さる。
……双方に固定されたロープが引っ張られたとき、どうなるか。
いかなる力がかかろうと、両端の鉤爪が外れることはない。
つまり。
「ハッハッハー! そんな巨体で手錠を付けられた気分はどうだァ? ねぇねぇ今どんな気持ちィ? ねぇねぇ~!!」
拘束に気付いたのか一瞬力が弱まり、ロープがたわむ。
しかし邪神は力任せにそれを引きちぎろうと腕を振り下ろした。
ブチブチと触手が断裂する音が辺りに響きつつ、ロープがピンと張る。
……そしてそれが、スパイダーマンの二つ目の狙い。
「来たぞ! 振り落とされんなよ!」
張力がバネのような力となって、ロープを手に取ったスパイダーマンの体を空へと押し上げる。
邪神の力で動く、即席のトランポリン。
勢いよく飛んだ二人は、ちょうど邪神の頭の前まで飛ばされ、その巨体を見下ろした。
「あれは――!」
スパイダーマンがつぶやく。
邪神の頭。
人間であればおでこにあたるであろう場所から、裸の少女の上半身が生えていた。
累絵空。
表情のない顔で、その赤い眼はギョロリと二人を見上げる。
スパイダーマンの背中で、サムライセイバーは声を上げる。
「あそこだ!」
「……それじゃ、あとは任せたぜ!」
スパイダーマンはサムライセイバーを思いっきり投げ捨てた。
瞬間、その場所に周囲から無数の触手が押し寄せる。
「――悪り、先に脱落だ」
暴虐の触手が彼を飲み込む。
だがサムライセイバーは振り返らない。
その手に持ったビームセイバーに力を宿し、空中で剣を構える。
「……『邪悪絶対殺すマン』とは、エネルギーの生成能力だ。殺人鬼の中には異界から体内に未知の物質を召喚するような能力を持つ者もいるが、原理としてはそれに近い。発動条件は『邪悪』に対峙すること。……相手が邪悪であればあるほど、そのエネルギー生成量は強まっていく」
ビームセイバーの光の刀身が燃え上がる。
自分の体よりも数倍は大きな刀身を構えて、サムライセイバーは宙に浮いていた。
「我が名はサムライセイバー。この星が、寄生虫たる異星人に対抗する為に生み出した防衛機構・有栖一族の末席が一人」
そして、その剣を振り上げた。上段の構え。
「異星人の共通点として、弱点となる核が存在する。『輝くトラペゾヘドロン』とも呼ばれるそれは発熱量が大きい為、上位存在になればなるほどコアは体外に露出される傾向にある――」
邪神の頭に生えた少女……累絵空の胸には巨大なひし形の宝石が輝いていた。
一辺30センチを越えるその宝石に、サムライセイバーは狙いを定める。
同時に、累絵空は虚ろな笑みをサムライセイバーに向けた。
まるで「もっと遊ぼう」と呼びかけるようなその笑みに、サムライセイバーはその瞳に星型の光の力を宿して睨み返す。
「よし……切れる」
事実の解説。
それは認識の補強。
勝てる相手に向けて斬りつける斬撃ならば。
……それは、切れぬことなどありえない。
「――ヤギュウスタイル・零式。邪悪滅殺大切断!!!」
光の剣が振り下ろされる。
それはこの地に巣食う異星間侵略者への専用として用意された星の切り札。
光の刃は累絵空を切り裂き、核を切り裂き、邪神の肉体を両断した。
光はそのままクトゥルフの肉片を焼き焦がし、全てを包みこんで消失させる。
まるで邪神など最初から存在しなかったかのように、そこには崩れた博物館跡だけが残された。
「……さらばだ、邪神クトゥルフ。ルルイエに帰れ」
そうして力を放出しきったサムライセイバーは、空中で意識を失う。
彼女はそのまま地面に向かって落ちていった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「……ハ」
息を吹き返す。
「……ハハ」
死んでいなかった。
「ハハ……ハーハッハッハー!」
起き上がる。
スパイダーマンは生きていた。
触手に呑み込まれ死を覚悟するも――それに圧殺される前に、邪神は滅んだ。
「俺は……生きた! 生きたんだ! 生きて帰ってきた!」
この世界を救い、ヒーローとなったスパイダーマン。
彼は生きる喜びを噛み締める。
……そして。
「……キールキルキル!」
宿命の敵と、再び出会った。
スパイダーマンはその声に振り返る。
そこには、少女の姿の怪人が立っていた。
さきほどまでの銀髪は黒髪に戻っており、その顔には悪役のような笑みを浮かべている。
スパイダーマンはそれを見て笑う。
「生きてたか」
「ああ。この体は頑丈ではねーけど、死にはしねえんだ」
「おいおい、嘘つくなよ。ちゃんと聞いてたぜ。脳の損傷には弱いんだろォ!?」
「キルキルキル! 耳がいいなぁ! 女の子の会話を盗み聞きするなんて嫌われるぜぇ~!?」
二人の殺人鬼は対峙する。
切腹丸は鎖鎌を抜いた。
「約束したよなぁ! アイツを倒したら、お前を切り刻んでやるって!」
「そんな約束だったかァ!? お前を返り討ちにしてやるって話だった気がするなァ!」
「キールキルキル! ちょいとその役はお前に荷が重すぎるぜ~! 冗談は休み休み言いなぁ!」
「ハッハッハー! そいつはどうかな。俺はスパイダーマン! 最強の正義のヒーローなんだ。誰を相手にしたって負けるわけにはいかねぇ!」
「最強のヒーローだと? ふざけんじゃねぇ。……最強のヒーローはな、この世にたった一人で……そしてそいつは、永久欠番なんだよ!」
お互いにその胸に秘めるは、たった一人の完璧で究極のアイドルへの信仰。
厄介強火オタクの二人が、相まみえる。
両者、獲物を持って対峙する。
殺人鬼同士のデスマッチ。
賭けるはプライドと命のみ。
世界の平和も金も名誉も関係なく。
ただ目の前の相手と殺し合う、それだけを目的とした殺人の為の殺人勝負!
互いに勝負は一瞬で決まると確信していた。
元より双方、満身創痍。
邪神を倒した二人に余力など残されていない。
同時に地面を蹴る。
そして同時に攻撃に転じた。
「スーパーカットDie・Set・Done!」
「ロープガン・ジョー!」
遠隔の刃が双方を襲う。
スパイダーマンの鉤縄が切腹丸の右腕に刺さる。
これで切腹丸は後退できなくなる。
だが引かない。
元より引くつもりなどない。
切腹丸は踏み込む。
肉を切らせて、骨を断つ。
切腹丸の鎌が振るわれた。
それはスパイダーマンの肘に食い込み、その腕を切り飛ばす。
だがそれでも。
スパイダーマンも止まらない。
「――故郷帰り!」
射出されたロープが、切り飛ばされた腕に刺さる。
ロープは巧みに操られ、残骸として残った博物館の柱に引っかかって円弧を描く。
分銅となった腕は辺りを一周して、切腹丸の後頭部に突き刺さってその脳漿を撒き散らす。
そして脳という認知機能を失った切腹丸の不死は解除され、死に至る。
――そう、なるはずだった。
- - - - クビキリ - - - -
スパン、と。
切腹丸の首が切られた。
鎖鎌に繋がれた単分子ワイヤーにて、少女の細首が切り離される。
そうして、ロープに繋がれたスパイダーマンの腕は空を切った。
「キルキル……KILL!」
胴体から切断された切腹丸の首はまっすぐにスパイダーマンの首筋へと狙って飛んでいく。
彼が反応する間もなく。
切腹丸はその首に歯を突きたて、喉笛を掻っ切った。
ゆっくりと、スパイダーマンはその場に倒れる。
切腹丸の体は、切り離された首を捕まえて元通りに戻す。
そこには最初から傷などなかったかのように、完璧な美少女が存在した。
「……あ゛、あ゛あー……げほっ」
切腹丸は喉に溜まった血反吐を吐き捨てる。
「キルキルキル……さっきこの体は、たくさん切り刻ませてもらったからなぁ……。どこまでやれば死ぬのかは、全部人体実験済みだ。まあ、自分で試すのは初めてだったけどな!」
「……ごふっ……! ……ヒュー、ヒュー……」
喉元を噛み切られ、致命傷を負ったスパイダーマンは虫の息でその場に転がっていた。
切腹丸はそれを笑って見下ろす。
「何人も殺した殺人鬼が、今更ヒーローだぁ……? そんなこと、許されるわけねーだろ! キールキルキルキル! 地獄に落ちるんだよ! お前も! 俺もな!」
「…………かはっ」
血が流れる。
もう彼の命は長くない。
切腹丸はスパイダーマンに背を向けた。
「……先に行ってな。俺もすぐ行くからよ」
そして空を見上げる。
しとしとと雨が降っていた。
スパイダーマンは最後の力を振り絞って、右腕を上げる。
それに気づいて、切腹丸は首だけ動かし目を向けた。
スパイダーマンは、笑う。
その右手は、親指を立っていた。
切腹丸も、笑う。
そしてスパイダーマンは笑ったまま目を閉じて。
力を失った腕が、地面に落ちた。
リザルト
【スパイダーマン】
振入尖々
死亡
【ミッシングギガント】
累絵空
肉体消失
魂は海底神殿ルルイエに帰還
再び永い眠りにつく
「……あ」
切腹丸はそこで足を止め、周囲を見回す。
しかしそこには誰もいない。
誰一人として、残っていなかった。
「おい……おいおい! 嘘だろ!? アイツ……どこ行きやがった!?」
切腹丸は焦りの声をあげる。
「ふざけんなお前……!」
そこには珍しく、恐怖の感情が含まれていた。
「俺様の体、元に戻してけーーー!!」
少女の叫び声が、池袋の空に響き渡った。
【アリス】
有栖英二
長らくの精神汚染により使命を忘れ発狂
行方不明
【悪の怪人】
キリキリ切腹丸
生存
注記:美少女