二日目【nullum】
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『今日ここで、君への想いを空に描いてみせる』
『梅雨の曇天にか?』
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二日目【0】
『NOVA』のVIPルームにて羅刹女の『飼い主』はソファに座り、時を待つ。
使用人の退出した薄暗い部屋には、彼と同じく出番を待つ3人の男女がいた。
窓際に立つ黒いフードの女とスーツ姿の男。
そして彼らの手前で『飼い主』と向かいように座る真っ白なスーツを着た可愛らしく小柄な少女。
最後の一人が、両手で同時に指を鳴らす。
「ライトアップ!」
光が部屋を照らす。続けて豪奢なソファにふんぞり返る白スーツの女が拍手を一つ。
「アクション!」
奈落の底から響くアイドルソングのようなサイコでポップなBGM。
部屋中のカメラが作動する。
二日目ランキングの発表も兼ねた『NOVA』運営主導による動画撮影が始まった。
「ごきげんよう。VIPの皆様。殺人鬼ランキング中間報告だ。
司会進行はこの私、ニックネーム『ファン』がお送りしよう」
白スーツの女――『ファン』の挨拶を、『飼い主』はにこやかに嗤う。
「異名掲げる殺人鬼にあやかったところで君の名前は皆知っているヨ。『NOVA』の首領さん」
「大切なのは演者だ。少々の賑やかしに本名など不要。あなたも『飼い主』らしく殺人鬼を自慢すればいい。私はペット自慢話も好きだ。殺人鬼に限れば、だけどね」
「ううーん。この殺人鬼大好きオーラ。チョット引くかもしれない」
『飼い主』は嗜虐的に哂う『ファン』へ苦笑いで返す。
特別招待枠だからと勧められるままに彼女の向かい側に座っただけなのだが、こうしてみるとよくわかる。
『NOVA』とは、この異常な愛を持つ女そのものなのだ。
その『ファン』が腕を振ると、スポットライトが『飼い主』を照らす。
「この老紳士はニックネーム『飼い主』。複数の殺人鬼を飼い、ランキングにも積極的に参加しているVIPだ。今回は特別に招待させていただいた。実はランキング上位にも彼のペットがいるんだぞ?」
「いえーい。どうもドウモ! リアルタイムの情報共有くらいしかしていないフェアさでやってマース!」
「その程度なら許すとも」
スポットライトが移動。
『ファン』の後ろで、まるで執事のように礼儀正しく控えるスーツの男。
主のように女は告げる。
「ニックネーム『スポンサー』。一位の賞品である『転校生になる権利』を用意してくれた方だ。ほら、挨拶を」
「承知いたしました。『スポンサー』と申します。お見知りおきはいりません。
どうせ未来永劫、あなた方に会うことはありませんから」
慇懃無礼な迫力を放つ『スポンサー』を半ば使用人のように扱う『ファン』に、『飼い主』は心の中で呟く。
(いやぁ、謎めいた転校生にこの扱い! 間近で見てもワケわかんないネ!!)
さらにスポットライトが移動。腹を手で押さえる黒いフードの女。
「ニックネーム『調整者』。健やかな運営のために裏方で頑張っているスタッフだ。このまま無事に終われたらボーナスとかあげようかなって思ってる」
「よろしくでーす。その……穏便に進むよう頑張ります。ううっ」
非人道的な『飼い主』は珍しく『調整者』を憐れむ。
(可哀そう)
運営側が殺人鬼側に”調整者”を紛れ込ませ、そのサポートスタッフがあの黒フードの女であることを『飼い主』は知っている。
具体的に”調整者”の殺人鬼が誰だかわからないが。他のVIPも似たような把握度だろう。
テレポーテーション能力者である黒フードの女を追跡するのは容易なことではないからだ。
それはそれとして。
そのバレてはいけない裏方に『調整者』とそのまま名乗らせて放送に登場させる奴がいた。
というか、『NOVA』のボスだった。
そもそも、優勝商品を惜しんでいるが故に運営側の殺人鬼を参加させているというカバーストーリーは嘘だと『飼い主』は確信している。
『ファン』はそんな普通の奴ではないし、『飼い主』含めたVIP達もまたそんな普通の奴の催しに参加するほどマトモではない。
さて。
4人の紹介を終えて、『ファン』へスポットライトが戻り、ついに本題。
「そろそろ血と悲鳴だけでなく、もっと根本的なエンターテインメントの時間だ。ランキング上位陣は、少なくともその領域に入っている。つまり[殺人鬼とは何なのか]。これからの惨劇を楽しむために、その解説も挟ませていただこう」
一位。『ファン』が語る。
「柘榴女。"最悪の1日で狂ったから殺人鬼"。人生が変わるほどの悲劇を以て人を殺す。バットマンのキリングジョークの例を引くまでもなく、それは普遍的で、悲劇的で、もっとも運命の悪趣味さを感じさせる。あは、キラークイーンなのにジョーカーとはこれいかに」
二位。『スポンサー』が語る。
「オムニボア。"人を解体するから殺人鬼"。一方的に解体し一方的に楽しんで一方的に消費する。人も命もバラバラにする様はある種の転校生のようであり、それを鬼と呼ぶのなら彼は紛れもなく殺人鬼でしょう。血が少なくともこの上ない残酷さが、面白いのかもしれませんね?」
三位。『調整者』が語る。
「悪の怪人・キリキリ切腹丸。"悪の怪人だから殺人鬼"。 まるでアニメの悪役のように、残虐で悪辣で卑劣で、そして強敵。さらに人を殺すときましたら、《殺人鬼》と鉤括弧つきで呼ぶしかないですね。そういうキャラクターなんですから!」
四位。『飼い主』が語る。
この時のために老紳士は頑張って口上を考えて暗記してきたのだ!
「鬼ころし。"楽しく酔うて美しく倒すから殺人鬼"。人が人らしく人を殺すから殺人鬼なのではなく、鬼が鬼らしく人を殺すから殺人鬼。言葉遊びだけどサ、人の道理で測れぬ享楽の美ってそんなもんなのかもしれないネ!」
五位。『ファン』が語る。
「ミッシングギガント。"無邪気に命を潰すから殺人鬼"。悪意や殺意を以て殺すことのなんと平凡なことか。蟻を捻りつぶすように死を積んで、その死骸の山の上で無邪気に微笑む少女こそ、キラーアイコンだ」
六位。『スポンサー』が語る。
「スパイダーマン。"有名な人殺しだから殺人鬼"。卵が先か鶏が先か。理屈をこねるようですが、有名でない人殺しは殺人鬼と呼ばれることがありません。ジャック・ザ・リッパーは正体こそ知られませんでしたが、その存在は不朽の紋章と言えるほどに有名です。他の数々のシリアルキラーたちも有名だから殺人鬼と称されるようになったのです。親愛なるミームとしてね」
七位。『調整者』が語る。
「Dr.Carnage。"狂気を制御して研ぎ澄ますから殺人鬼"。嵐は人を殺せまーす。銃でも毒でもなんででも人は死にます。でもそういうのって殺人鬼じゃないですよね? 一過性ではない、確かな狂気を秘めて殺す姿に私達は殺人鬼をみるのです。そしてその姿が虐殺者であればなお良しですよー!」
八位。『飼い主』が我慢できずに熱狂的に語る。
「よっしゃ来た来た大本命!末広がりで縁起がいいヨ!!
羅刹女。彼女はズバリ「ああ、ストップ。八位以下はいいや」
エエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!?」
『ファン』に話を打ち切られ、『飼い主』は悲痛に叫ぶ。
「殺生な! ノバちゃんの推しは九位だろウ!?あとちょっとだよネ? なんで止めるんだい? 羅刹女だけ飛ばすなんて許されないヨ!」
「ノバちゃん言うなお客様とて容赦はせぬぞ。そうじゃなくてだな、八位以下ほぼ全部話す必要がなくなったんだよ」
『ファン』はVIPルームにて許されたリアルタイム中継映像を顎で示す。
乙女ロードに映っていたのはーーー。
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Tips『黄色い縄』
羅刹女の所持武器の一つ。
黄色とは言うものの、元々の素材の色を黄色と言い張ることで黄色ということになっている。
つまるところ、市販されているただの縄。
役には立つが、それ以上のことはない。
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二日目【1】
”ピンポンパンポーン”
『殺人鬼たちへ朗報だ。始末できたら投票数爆上りの命を持ったラブリーな殺人鬼が乙女ロードへ移動中』
背景を説明しよう。
まず、池袋に上記のアナウンスが流された。
このため有象無象の数百人の殺人鬼たちが乙女ロードに集結。
次に、私立鏖高校でサーモバリック怨霊爆弾が数千人規模の怨霊を触媒として起爆し、爆発的に増大した負の感情によって物理的干渉が可能な数千体の大怨霊が発生した。
それらは私立鏖高校の唯一の生き残りにして怨霊爆弾を起爆した殺人鬼の一人を追って、乙女ロードへ来訪。
最後にアンバード十万人の死亡により恨み辛みをもった怨霊が大量発生し、大怨霊に付き従う形で暴徒化しつつ乙女ロードへ殺到。
『急げ。先に買い占めろ。乙女の命ラッシュセールだ!』
『殺し着るわよ~~~~!!』
『霊がパーカーの女の子を追っている!ああ、家の窓に、霊が!霊が!』
『殺人鬼死ね』
かくして2日目にして、8位以下の殺人鬼大多数と池袋の犠牲者大多数が乙女ロードに大集合。
十万と数千と数百による【池袋在庫処分一掃セール・キラキラオンオンダンゲロスーズ(命名・某NOVA運営者)】の開催が決定したのである。
「……だぁるる」
アナウンスを聞いて羅刹女は当初、高得点の命を狙ってやって来るだろうランキング上位の奴を殺すために乙女ロードに訪れた。
だが、7位以上の殺人鬼がやってくる気配は微塵もないし、訳の分からない化け物や幽霊が主に自分を襲ってくる。
思いっきりアテが外れたことでやる気半減する8位の殺人鬼。
それでもパーカーを着た少女は蟲毒をかわし、脱出は物量に阻まれたものの比較的敵の少ない建物に避難する。
勢い任せで8階まで階段を駆け上がり。
店の中へ転がり込み。
力任せにシャッターを締め。
黄色い縄でシャッターを縛り付けて、ようやっと羅刹女は一息ついた。
「……めんでぃー」
本当にだるくて面倒なときは、だるい、めんどい、ときちんと口にも出せないのだと、羅刹女はこのとき初めて知った。
彼女がいる建物は、乙女ロード北西部の33階建て高層ビル、ハレメイトタワーである。
映画館、アニメマンガゲームの専門店、コスプレショップ、コンセプトカフェ、アーティストや声優のためのスタジオまで揃った複合(オタク及びオトメ的な意味で)施設だ。
営業時間外の早朝で客や従業員がいないためハレメイトタワーは寂しい雰囲気だ。
外では怒号と絶叫が響いているので差し引き騒がしい寄りではあるけれど。
彼女が見る限り、8階はコスプレショップのようだ。
ぼんやりと眺める視線の先には、安っぽい布、高級そうな布、派手な衣装、壁の奇妙な落書き、驚いた顔をした赤みがかった髪の少女、スマートフォンを見ながら壁に落書きを続ける緑の下地に黒い縦線が入った執事服の男の背中………。
「……なんで執事服?」
「いや、スラックスを下半身ごと置いてきてしまってね。上も汚れてたから着替えた」
着替えた理由じゃなくてコスプレしている理由の方を聞いたのだが。
そこまで興味はなかったので羅刹女はスルーした。
ついでに黄色い縄を執事服の男へ投げる。
男は振り向かず、背後へ鉤爪を回してその縄をバラバラに切り裂いた。
「スマホのカメラか」
羅刹女は男のスマホがいつの間にか自撮りモード(インカメラ)に切り替わっていたことに気づく。あれで背後の自分を確認していたのだろう。
と、ここまで考えて、別に口に出さなくてもいいセリフを言ってしまったことに気づく。
疲れていると、必要のないことを言い、言うべきことを忘れてしまう。
疲れるなんて生き物のすることじゃないな。さっさと休もう。
そのためには、殺さないと。
男は振り向き、穏やかで昏い翡翠の瞳が彼女を見て微笑んだ。
「人を殺す以外は健康な君。私の自己紹介はいるかね?」
「……いらない」
「では君を紹介しよう。はじめまして羅刹女。君が出会ったのは、人医師、ドクター・アペイロンだ」
スマホを確認しながら羅刹女の異名を呼ぶ男。
どこかで手に入れた殺人鬼のデータが、スマホにダウンロードしてあるのだろうか。
「喋り方うざ……」
数秒の沈黙。
「……ああ、言い過ぎました。人医師」
意外、でもないかもしれないが羅刹女、年上には敬語を使うタイプである。
鉤爪と目の色からかろうじて思い出した人医師の情報を思い出すに、彼女より彼は年上だった。
(『飼い主』がかなり頑張って覚えさせた殺人鬼たちのデータが役立った瞬間である。この場面を視聴している『飼い主』は、ちょっと感動していた)
人医師は首を振った。
「いやいや、気にしてなどいないとも」
「そう」
「ところで君、なぜ今日も始まったばかりなのに、そんなに疲れてボロボロなんだい。アンニュイで煽情的な美少女になってしまっているじゃないか」
「……?ああ、いや」
一瞬、美少女とはあの中学生っぽい娘のことかと思ったが、この場でボロボロなのは自分だけだったので、自分のことかと遅れて理解した。美少女とは、不愛想でモテたためしのない羅刹女には不慣れな形容である。
その彼女は閉め切られたカーテンの向こう側、窓を指差す。
パーカーの袖口から太い赤い縄がちらりと垂れるが、攻撃はまだしない。
「やはり特別な理由があるのか。君が数百人の殺人鬼程度でそうなるとは思えないしな」
羅刹女の視線の先で人医師はカーテンを少し開け、地上の乙女ロードの様子を見た。
(窓の反射で私を見てるな……)
彼の後ろから、赤みがかった髪の少女も窓を覗き込む。
(人医師がさりげなく肩に鉤爪のついた手を回して守っているな……)
殺し方にこだわりがなく力押しも上等な羅刹女は、困る。
人医師には隙がなさすぎる。戦士としての純度はむしろ低いくらいなのに、無策で襲い掛かって殺せる気がしない。
良くて相討ちになる予感がする。
さらに言えば……。
(たぶんアナウンスの”殺せば高得点の命”ってのがあの子なんだろうけど)
思ったよりめちゃくちゃ普通で、逆にやりづらい。
殺しても得にならない自分よりも下位の殺人鬼。
高位の殺人鬼を全滅させることで一位を目指す自分のスタンスとは合わない、殺す必要のない少女。
―――ビジョンが走る。首を抉り取った人医師と、頭を潰した少女。
(……まぁどっちも殺せるから、殺せるときに殺せばいいか)
理屈抜きで殺意を自動的に研ぐ羅刹女へ、人医師は問うた。
「あれらはなんだ?」
「たぶん、怨霊」
「……なにをすればそんなに怨まれるのかね」
殺人鬼数になってた千人の怨霊を燃料に『サーモバリック怨霊爆弾』 を起爆しました。
と、説明することもめんどくさかったし知っちゃこっちゃなーいってな気分だったので羅刹女は無言を貫いた。
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Tips『落書きの痕跡』
乙女ロードの一角、ハレメイトタワー8階コスプレショップの壁へ走り書きされた落書きの数々。
判別不能のラテン語の詩の下にNullum Remediumという文章が走り書きされ、なんとか組み合わせて俳句にしようとした跡が見て取れる。
最終的には【夏草や 蛙跳び込む 蝉の声】というクソパクリ劣化俳句に花丸がつけられていた。
意味のわからぬ話である。
まさか、俳句で戦う戦場が、あるわけでもあるまいに。
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二日目【2】
「しかし霊魂。夢のような話だ。で、あるのか? 人でなしの娘」
人医師は窓の外に軽く手を振った後、カーテンを閉め、緑色のカバーをつけたスマートフォンを操作して隣の少女に画面を見せた。
「……。死んでたときに幽霊になった覚えはないわね」
「そうか。肉体がなくなっても滅ばぬ精神があれば、なんと幸いなることかと思ったが。やはり、怨霊は違うな。感情が物理的な現象になっただけだ。感情は心でもなければ命でもない。『ああ、怨霊になったけど明日の朝食どうしよう』とか、考える脳もなさそうだ」
「お医者さん。貴方、本当、そういうところよ??」
脳だけになったこともある人でなしの娘だからこそ理解できるのだと、人医師は思ったのだが。
少女は溜め息を吐き、少し躊躇った後、人医師から離れて羅刹女へと近寄る。
彼は特に止めることもなくそれを後ろから見守った。
「……」
「あの、羅刹女? さん? 私は」
「………………Zzz」
「……寝てるわね」
人でなしの娘はゆっくりと羅刹女の肩へと手を伸ばす。
流石にまずいので人医師は少女へ呼び掛けて制止した。
「ああ、触らないことだ。反射行動で殺されるぞ――まぁ、致命傷程度であれば私がサービスで治しはするがね」
「……ご忠告ありがとう」
人でなしの娘は人医師の物言いに若干呆れながらも手を引っ込める。
「こうして見ると可愛いお姉さんにしか見えないのよね……。ねぇっ!羅刹女さんっ!!」
「……んんっ……おはよう」
「はい、おはよう。もうそろそろ朝よ。朝ごはんはもう食べた?」
「……まだ」
「じゃあこれあげる」
人でなしの娘はコンビニでよく売っているような携帯食品を羅刹女へ渡した。
「……?なんで?」
「……。そうね。お姉さんの本当の名前が知りたいからじゃ駄目かしら。私は肉丘可苗衣っていうの」
「かろん」
「え、普通に教えてくれるんだ。じゃなくて、えーと。うん、可愛い名前ね」
「そう。……どうでもいい」
羅刹女の袖口から赤い縄が顔を出してゆらゆらと揺れているが、可苗衣は気づいているのかいないのか会話を続ける。
「私はどうでもよくないわ。その身体の傷、お医者さんなら治せると思うの。治さなくて、大丈夫?」
羅刹女は面倒くさそうに窓側に立つ人医師を見やる。
彼女の灰色の目と、彼の翡翠色の目が合う。
先に口を開いたのは人医師だった。
「助け合おうではないか。殺人鬼に追われる私と、怨霊に追われる君。ここは一時的にでも組んだ方が良いだろう。君は人を殺す性向以外は花丸健康体なわけだし、協力が終わった後に人間病を治療する際はあまり負担をかけないと約束する。ゆえにだ、身体の治療をするので半日ほど我々を殺すのを待ってくれないか? あまりにも障害が多すぎ――」
「わかった」
「……本当にかね?」
「うん(そもそも長台詞の半分も聞いていない)」
人医師の心理的観察眼によれば、羅刹女は顔面の作画が異様に簡略化されてるかと思うほどに適当な生返事をしていた。
可苗衣もそれがわかったのか、人医師へ指摘する。
「ねぇ、お医者さん。治療を提案した私が言うのもなんだけど。貴方とお姉さん、とんでもないくらい相性が悪そうよ」
「そうかね。私には、彼女とは私も君も死んでしまいそうなほど相性が良く見えるよ」
「死ぬほど相性が良いってなによ。死んでたまるもんですか」
「そうだね(聞いていない)」
人医師と可苗衣の会話に羅刹女は音を発する。
生返事世界大会があったらぶっちぎりで一位が取れそうなほどの生返事だった。
「お姉さんは少しくらい会話しようとしなさいよ、ぶっ殺すわよ」
「「言い過ぎ」だね」
辛辣な可苗衣の一言に同時に突っ込みを入れる殺人鬼二人。
人でなしの娘は呆れて言った。
「あなたたちの倫理観のライン全然わからないわ」
(さて。そろそろか。3、2、1)
人医師は心の中でカウントを取り。
(0)
先程、窓から手を振る人医師を目視し、大急ぎで上がってきた怨霊と殺人鬼の集団が、轟音を鳴らし封印されていたシャッターを吹き飛ばす。
同時に人医師は疾走し、羅刹女と向かい合っていた可苗衣を後ろから抱える形で回収。
『川』などなくともこの世とあの世境目揺らがし、百鬼夜行with殺人鬼団がコスプレショップ内へ一挙に流れ込んだ。
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Tips『アンバードの灰』
オリジナルのアンバードの死亡によって灰と化した十万人の一部。
人一人の質量を50kgとした場合、5000tの灰塵が池袋を中心に日本中へまき散らされたことになる。
生きていても死んでいても迷惑とは、どこまでも人間らしくて、人がましい。
アンバードのうち、オリジン含め数人が満足して死んだが、残る九万と九千と九百と少しは、元の名前に戻りながら呪詛を吐いて死んでいった。
ゆえにその灰は怨霊を呼び寄せる触媒となり、大怨霊と接触すれば、百鬼夜行を為すだろう。
見当違いであろうとも、殺人鬼に復讐しなくては、収まらぬと。
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二日目【3】
シャッターが降りていた溝へ羅刹女がコインを投げて『川』にするよりもコンマ数秒早く、人医師と可苗衣は彼女のすぐ傍を通り抜け、コスプレショップから逃走した。
速いというよりも迅い。ここにあったすべての認識の隙間を縫う、見事な逃走劇だった。
「あ~~……だる、くない?」
そして羅刹女は力任せに大怨霊を吹き飛ばし、殺人鬼の頭を潰しながら気づいた。
全快とはいかないものの、半分以上体力も傷跡も回復していた。
明らかに人医師の魔人能力、【痛し癒し愛し】の効果だった。
(触られた? いや、感触がある。すれ違ったときに手を握られた。なんで殺らなかった? 私も、彼も)
触れたということは、切れたということだ。
人医師は、そのような武装をしている。
戸惑う羅刹女へ魔の手が迫る。
二日目殺人鬼ランキング72位、サイレンスバリスタの魔人能力『無音静』により、コスプレショップ内の音が消える。
バーテン服の殺人鬼サイレンスバリスタは、乱戦に乗じてこの場でもっとも順位が高く混乱した様子の羅刹女に背後からサイレントキルを行おうとして――。
秒殺された。
羅刹女は、脊髄反射で、直線的に、どんな相手でも殺せる殺人鬼である。
例え奇襲する側ではなく、奇襲される側になったとしても、だ。
羅刹女はサイレンスバリスタの首に黒い縄をかけると、背負い投げの要領で前方に叩きつけた。
ばきばきばき、と無音で砕けるサイレンスバリスタの首の骨。
即死である。音が戻る。
(よくわからないけど、身体も充分動くようになったし)
ずるずるとサイレンスバリスタを引きずって、羅刹女はコスプレショップの外へと脱出。
ついでに『川』の反対側へと移動した。
『冥河渡し』は原則生きている動物のみを消すという設定なのだが、羅刹女本人がアバウト気質なので「さっきまで生きてたしいいでしょ」くらいの認識でまだ新しい死体とかも消すことができる。
魔人能力の根幹とは、認識なのだから、そういうこともあるのだ。
つまり、サイレンスバリスタの死体もまた『川』を渡って消える。
……たいていは死体の消失を以て羅刹女の殺る気スイッチはOFFになるのだが、今回はその逆だった。
(追いかけて、二人とも殺そう)
標的を必ず殺すプロの殺人鬼。
三豆かろんは、躊躇わない。
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Tips『黒い縄』
羅刹女の所持武器の一つ。細く、しなやかで、滑らか。
主に絞殺や切断に使われる。
切迫した医療現場において、黒い縄は手遅れと判断された患者の手首へ巻かれる。
救える命の優先順位をつけるために。
ゆえにこれは破壊ではなく、ただ死を結ぶための縄である。
資格なき者が、総ての死に正しくこれを結ぶことなど、できるはずもないのだけれど。
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二日目【4】
『NOVA』のVIPルーム。
モニターには、少女を抱えて全力で階段を昇り、逃走する人医師の映像が流れている。
観戦している『調整者』は不思議そうに呟く。
「逃げてますねー?」
「ま、そりゃそうだヨ。人医師が掲げる健康とは”人でなしさ”。そして、うちの羅刹女は根っからの完全な人でなし! そもそも最初からなす術なんかないんダヨ! すれ違った時も殺さなかったんじゃない。殺せなかったんだ。刃を向けたらあのサイレンスなんたらみたいに秒殺されてたんじゃないかな」
彼女は殺意に反射するから、と『飼い主』はお気に入りのペットを自慢する。
「おっと! 反射や執念深さごときで羅刹女を測って貰っちゃ困るネ!
あの子は――”理由がないから殺人鬼”なのサ。死なないこと、殺すことに理屈がない!
理由もなしに皆殺しで、理由もなしに生き残る。
故に、彼女こそがもっとも正統な殺人鬼だと言えるダロウ!!」
「やー、すっごい楽しそうですね」
「そりゃそーさ。殺人鬼を複数飼うようなヤツが殺人鬼を好いていないわけないだろ? あはは」
『調整者』の感想に『ファン』は答えつつ、笑いながら『飼い主』へ問う。
「それで、羅刹女の『飼い主』は人医師をどう思う?」
「君には悪いけど凡百の殺人鬼だネ。女の子1人を男3人で拷問する場面は面白かったケド。人医師個人はヘンテコで弱々しい理由の権化だよ。殺すことに理屈がある。死なないことに理屈がある。
活人鬼であることを除けば、どこにでもいる理論武装した人殺しだ。君がいくら贔屓しても、ここでジ・エンド」
「あは。贔屓か。贔屓ね……そう見えたか? 護るべき患者を作らせた上に、その居場所をアナウンスすることが」
ぴたり、と『飼い主』は動きを止める。代わりに高速回転する思考。
(運営側から流れた詳細データリストを見た殺人鬼が人医師の攻撃を安直に食らう。これが『ファン』が当初描いていた図のはず。ではその結果は?
……人医師の不利にしか働かない。
治療した《患者》は死なず、生きたままだ。必ず池袋において人医師の重荷になる。
そうだ、最初から『ファン』は、人医師を苦悩させることしかしていない)
池袋を戦場に選んだこと。
《患者》ができるようにお膳立てすること。
《患者》を連れた人医師の居場所を池袋中にアナウンスすること。
「お前は鬱コミックの幸せな学パロを延々見ているだけで満足できるかもしれないが……私は、バットマンには苦しんでほしいんだよ。死ぬならよし、死なぬならさらに良し。推しは無敵であってほしい? 理由もなしに天衣無縫であってほしい? 馬鹿が。
推しは地獄に落としてこそだろうが!」
『飼い主』は愕然とする。
こう言うとはつまり、裏を返せば。
「あるのかイ? 人医師の勝ち筋が? いや、今でもなお、君は彼が勝つと思えているト?」
「ああ、思えているとも。羅刹女へ情報共有しても構わんぞ。私は止めない」
できるわけがない。
『飼い主』自身が、羅刹女がどう負けるのかさっぱり予測ができていないのだから。
『ファン』はサディスティックに笑う。
「さぁ! 護るべき奇跡の証と、池袋に溢れる死と、治療するべき心なき殺人鬼に、お前はどうする人医師―――苦悩しているぜ、ドクター・アペイロン!」
その『ファン』の狂気を『スポンサー』は複雑な表情で見ていた。
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Tips『ロスト・パンク・ピストル』
かつて池袋に存在した『パンク・ピストルズ』という集団の一人が作り出した玩具のような銃。
一発だけ装填された弾丸は、着弾と同時にまるで花火のように爆発する。
それはかつて、幸福だった時を偲ぶように。
あるいは、愛の成就を祝うように。
もはやパンクと名のついた事象の痕跡は、ある観客とこの銃を除き池袋には残っていない。
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二日目【5】
「嘘吐き! 嘘吐き!」
階段を二段飛ばしで駆けあがる人医師に肩で担がれつつ可苗衣は叫ぶ。
彼女の視線の先で、羅刹女は猛然と二人に追いつかんとしていた。
「普通に殺しにくるじゃない!」
「…………」
無言の追跡者の、温度のない灰色の瞳こそが恐ろしい。
彼女の髪の隙間から見える角も合わせて、鬼のようだった。
そしてこれは実際、鬼ごっこだった。
人医師と可苗衣を、羅刹女が追い。
羅刹女が、百鬼夜行と殺人鬼団に追われる。
「いまさらに君はい行かじ春雨の心を人の知らずあらなくに……梅雨に歌われても知らんよ。私は人でなしなのだから。人は気からだぞ。渡し守」
平常運転に熱っぽく意味不明な科白を口走る人医師に可苗衣は不安一色になる。
(ああ、私死んじゃうかもね。ごめんなさい、パパ。できれば五百年くらい生き延びてあげたかった……)
10階に到達。死体に取り憑いた怨霊によるゾンビ軍団がフロアから階段の踊り場へ突入してくる。
「きゃー!」
「命に非ず(訳:いや命じゃねぇだろこれ)」
人医師はゾンビ軍団を見て即座に蘇生不可能だと判断。
人差しと親指だけを折りたたみ、鉤爪だけを尖らせた状態でゾンビたちを斬り倒し、上階へ。
羅刹女は力任せに10階を通り過ぎ、遅れてきた百鬼夜行と殺人鬼団はゾンビ軍団と乱戦になり一部が食われて脱落、足止め。
17階に到着。ド派手に刃物が縫い付けられたドレスを着た女性の殺人鬼が階段の踊り場で壁となって可苗衣たちを待ち受けていた。
「キャー!」
「シャー! 殺し着るお時間でございますですことよー!!処刑着を着なさ、グエエエエエ」
「どいてくれたまえ。ありがとう」
人医師はジャンプすると、二日目殺人鬼ランキング10位、服飾生成能力者の殺人鬼『刃ドレス刃』の顔面を踏んで乗り越えて、上階へ。
羅刹女は力任せに『刃ドレス刃』を吹き飛ばし(グギャァァァ)17階を通り過ぎ、遅れてきた百鬼夜行と殺人鬼団は実は割と強かったりする『刃ドレス刃』に一部が殺されて脱落、足止め。
23階に到達。エレベーターが止まっていた。
「ああ、人でなしの娘。君はこれに乗りたまえ」
「え!?」
そう言って人医師はボタンを押して扉を開くと、ほぼ放り投げるように可苗衣をエレベーターに入れる。
茫然とする可苗衣の前で、執事服の男はどこからか投げられた赤い縄を避けて、鉤爪を刺すことで壁に張り付く。
「最上階で待っている」
「ちょ、ちょっと待」
人医師は蜘蛛のようにザクザクザクと壁に刃を突き刺して天井まで移動すると、排気口に入って姿を消してしまった。
「本当に、そういうところよ!」
可苗衣は『閉』ボタンを連打し、エレベーターが……閉じない。
「嘘」
バキンと鈍い金属音を立ててエレベーターが開き、中へ羅刹女が滑り込んできた。
可苗衣の隣に、殺人鬼が立っている。
「……」
「……ん」
羅刹女は33階のボタンを押すと、入ってきたときと同じようにエレベーターの扉を力任せに閉める。
エレベーターが上昇する。
(どうしよう!どうしよう!!)
可苗衣はポケットに入っている銃へ手を伸ばすか迷う。
乙女ロードに来るまでに拾った、唯一の武器。
(死にたくない! 生きないと!)
使うか。使わないか。
どうし――。
「……だるっ」
ぶちっ。
「それッ!!」
「……ッ!?」
可苗衣は殺人鬼の理不尽さにブチ切れた。
もっとも身近にいる殺人鬼、羅刹女へ怒りをぶつける。
「カッコイイと思ってるの!?」
「は……?」
「知ってる、かしら?!だるそうにしてカッコつけるのは男も女も同じなのよ!!
マジでだりぃ~とか言いながら全力出したり! 疲れた~って言いながら必死に掃除したりお弁当作ったり! 誰にカッコつけてるのよあなた!」
「いや、あの」
「でも知ってる? そのカッコつけ方本当はダッサイのよ!! 頑張るときは頑張る。休むときは休む。切り替えなさいよ! 厨二病!」
「……」
「厨二病! 厨二病! 厨二病!! どうせモテない厨二病!!」
中学生頃の女の子に厨二病を連呼される16歳の女の子がいた。
というか、羅刹女だった。
「……そ、そこまで言わなくてよくない……?」
と図星をつかれた普通の女の子のような反応に可苗衣は、はっ、と冷静になる。
ここまで暴言を吐いても、可苗衣は殺されていない。
人医師の診断は正しかった。
「かろんお姉さん。お医者さん……ドクター・アペイロンは貴女の命の見方を変えようとしているの」
唐突な可苗衣の発言に、目を見開く羅刹女。
「……え?」
「あなたが寝ていたとき、お医者さんがスマホで書いた文章を私に見せることで、私に教えてくれていたのよ。羅刹女の殺し方、を」
「……」
【結論:羅刹女と友達になれ。そうすれば君は絶対に殺されない】
【理由:治療でなしに人を殺す性向というものは、重症化した人間病の症状である。
だから羅刹女も人間病だ。私は病状説明を韜晦したりはしない。
羅刹女は、人間とその社会が好きでありながら、殺人以外の理由を知らないから惰性で殺しているのだ。
だからまぁ、動物か植物に人間以上の価値を認めるか。
友達や恋人を作れば、すぐにとはいかないものの人を殺す性向は落ち着くだろう。
病気に恋をしている不健全な在り方から、命に恋をする健全な在り方に変える。
自分探しは、私の治療というよりごく一般的なカウンセリングの範疇だよ】
その文章を見せられたから、可苗衣は恐怖を押し殺して羅刹女と友達になろうとした。
(でも、でも、まさか。こんなに効果があるなんて。短い時間で、名前を聞いて、食べ物をあげた、だけなのに。
かろんお姉さん自身も気づかないうちに、こんな―――)
「……なんで? なんで教えてくれるの?」
それは羅刹女にバレたら効果が激減する殺し方なのに。
教えても、人医師の不利にしか、羅刹女の有利にしかならないのに。
彼女の問いに、可苗衣は微笑んだ。
「……なんでかしらね。友達だから、とか?」
「―――……」
33階に到着。エレベーターの扉を羅刹女は力任せに開ける。
そして。
「ん」
「……ありがと」
羅刹女にエスコートされて、可苗衣はエレベーターを降りた。
「わたしが人医師を殺せるって思う?」
「思わないわ……あなたが殺すとは、もう思えない」
「そっか……でも殺すよ―――。ごめんね」
羅刹女と可苗衣は手を繋いで、最上階の屋上へと足を踏み入れた。
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Tips『赤い縄』
羅刹女の所持武器の一つ。太く、強靭で、硬い。
硬い結び目での殴打など、破壊を目的として使用される。
だが、古い時代において首へ赤い縄を巻くとはどういう意味だったのか、覚えている者はもはやいない。
今はただ、小指の先から伸びる細く頼りないそれを見る者がごく稀にいるばかりである。
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二日目【6】
屋上で一人待ち構えていた執事服の殺人鬼、人医師。
彼へ、可苗衣と手を離した羅刹女は問うた。
「愛は――」
「うむ」
「愛は人特有のものじゃないの?」
羅刹女は、思う。
認めよう。人医師。もはや己は可苗衣を殺せない。
だが人医師を殺すかどうかは別だ。
可苗衣を道具として利用して、己を侵食した邪悪で非道な人でなしを許すかどうかは、別だ。
人医師が羅刹女の殺し方を知っているというのなら。
羅刹女も人の医者の殺し方を知っている。
カウンセラーは患者の切実な問いを誤魔化したりしない。
誠実に答える。
「違うさ。忠犬ハチ公、人間の子供を拾い育てる狼の話、仔が死に悲しみに暮れるゾウ……愛と友情を持つことと、人であることに一切なんのかかわりもないよ。むしろ人でなしこそが――」
話を聞きながら羅刹女は人医師へ近づく。
そうだ、逃げない。あなたは逃げない。
患者の本物の心の苦しみからは、絶対に逃げない。
私はあなたの理由の価値を認める。
そういう理由があるがゆえに、攻略できる。
だから人医師は死ぬ。
「――恋と友情には嘘を吐けないのが、健康の証だろう?」
その彼の言葉を聞きながら。
羅刹女は彼の首に真っ赤な縄をかけて、ぼきりと音を鳴らした。
羅刹女を治し、治すがゆえに容赦なく心を攻め立てた人医師は倒れ込む。
微動だにしない彼の姿はまるで眠るようだったけれど、呼吸が止まり、脈拍が止まり、首が捩じれた容態はどうしようもなく見慣れたもので。
「……ひゅっ」
羅刹女は自分が為した結果に息を呑んで、目の前の情景――人医師、ドクター・アペイロンの死を認識した。
なんか死んだとは、言えなかった。
やっと殺したとは、口が裂けても言えなかった。
「だる……」
鉛のように重い縄で人医師の身体を縛る。
パーカーで顔を隠して、羅刹女は彼を引っ張る。
そして渡した縄で作った死の『川』を、二人で渡る。
……人医師は、消えなかった。
「だるいだるいだるいだるいだるいいいいいっ……」
『冥河渡し』は”さっきまで生きてたしいいでしょ”くらいの認識でまだ新しい死体をこの世から消すことができる。
裏を返せば、”もう完全に死んでいる”という認識を持ってしまっているのなら、新しい死体でも消せない。
羅刹女の能力は、自身の認識に左右される極めてアバウトなものなのだ。
そのアバウトさゆえに羅刹女の認識と想いが人医師が消えないという結果によって、強く表れてしまっていた。
だって初めてだったのだ。
美少女なんて呼ばれたことも。男の人と手を繋いだことも、癒されたことも――理解されたことも。
人でなしが故の作為だったとしても、初めてだったのだ。
素でぶつかってもきてくれた可苗衣だけが特別なんて嘘だ。
彼もそうだった。
でも死んだ。
でも死んだ。
でも死んだ。
完全に死んでる。
生きてない。
「………」
物言わぬ女の耳に少女の声が聞こえる。
「できるよ――お医者さんなら」
物言わぬ女の耳に音のない声が囁かれた気がした。
『できるさ――人医師なら』
「……? なにが……?」
そうして人医師、ドクター・アペイロンは。
三途の川の向こう側、完全なる自己存在の喪失の地、三豆かろんのパーソナルスペース内にて。
むくりと起き上がると鉤爪を振るって羅刹女の赤い縄と片腕と両脚を断ち切った。
「うっそぉ……」
完全に無視される能力設定。
崩れ去る摂理と法則。
馬鹿が、不可能を、笑う。
人医師は、叶ってしまった妄言を口走る。
「私の宇宙では―――病は治り命は蘇るのだ!」
男は死地にて、生還したのである。
片腕一本頭一つに胴体一個の羅刹女は床へ落ちる刹那の間で理解する。
羅刹女がボキリと折ったのは彼が首元に仕込んだペンだ。
人医師は、壁の落書きに使っていたペンを襟元に差し込んでいたのである。
それが影響して、首の骨を完全に折り切れなかった。
不死に理屈がある。
殺人に理由がある。
窮屈までに定まっている。
だがそれゆえに、この殺人鬼は理屈を積み重ねることで不可能を可能にする奇跡を起こす。
ーー人間業とは、思えぬほどに。
起こった出来事はひどく単純だ。
『冥河渡し』は羅刹女が”生きている”と認識したものと共に『川』を渡ったとき、その”生物”を消失させる能力だ。
しかし羅刹女は、人医師を完全に死んでいると認識していた。
だから『冥河渡し』は認識上死体だった人医師を消せなかった。
それだけの話だ、そう、それだけのーーーふざけるなよ、そんなことありえてたまるか。
一歩間違えたら死ぬんだぞ。
『冥河渡し』が厳格な論理能力だったら人医師は消えていた。
羅刹女が人医師をさっきまで生きてたんだしいいだろと、いつものように処理していたら、人医師は終わっていた。
もっと力を込めて赤い縄を締めあげていたら、完全に首の骨が折れて偽装死どころではなかった。
だが厳然たる状況が宣告する。
『冥河渡し』はその狂気の沙汰によって攻略された。
”どうでもよいからどうとでもできる”という強みを、”どうでもよくないものになる”ことによって弱みにひっくり返されたのだ。
もっと言えば羅刹女の認識は今もなおハッキングされたままだ。
強烈で不可逆な、認識の変化。
すなわち、ドクター・アペイロンへの執着と後悔を植え付けられた状態から逃れられていない。
身体は半壊、心は侵され、女は絶体絶命のピンチである。
「うん」
そして最終盤面にてようやく、彼女の人間性が露呈する。
羅刹女は世界がひっくり返るほどの逆転劇を、己の死生観の崩壊を。
そういうこともあるか、と一瞬にして冷静さのごとき惰性の殺意で飲み込んだ。
「はあく」
そうか、わかった。
じゃあもう能力には頼らない。
羅刹女は切り飛ばされた赤い縄に噛みつくと、腕の力だけで地面から跳躍し、ハレメイトタワーから投身した。
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Tips『切り取りシャルルの容器』
偉大なる医療者にして愛に狂った殺人鬼、切り取りシャルルの遺品。
培養液に満ちたこの容器は、奇妙なことに、神域の手術の腕を持つ者が一分以内に施術を終わらせるという条件に限り、死者の脳を死なせることなく保存できる。
奇跡のような巡りあわせが一度だけあり、脳だけになった少女は蘇った。
しかしもはや、その巡り合わせは起こらない。
死は死でしかなく、これに保存された脳は観賞用の物品に成り下がるだろう。
新たな奇跡でも、起こらぬ限りは。
───────────
二日目【7】
「ッ―――?!」
人医師は咄嗟に首の骨が折れないよう赤い縄を両手で抑える。
だが、それが仇となった。
羅刹女に引っ張られ、彼はハレメイトタワーから遠く離れた上空に投げ出される。
(まずッ――落下死は、私はなんとかなるが――)
乙女ロードは元より、大怨霊と怨霊と殺人鬼で満ちている。
そこに落ちたら回復する間もなく八つ裂きにされてしまうだろう。
何より、羅刹女が助からない。
治療を行った以上、彼女もまた《患者》だ。
今度こそ見殺しにはしたくない。
(しかし打つ手が――)
「お医者さん!!」
可苗衣が銃を――『ロスト・パンク・ピストル』の弾丸を放つ。
それは人医師の腹部に刺さると、爆発した。
どーん。
赤黄緑。
三色に彩られた大きな火花が早朝の乙女ロードの空で輝き、人医師は衝撃で回転しながらハレメイトタワー向かい側の高層ビルへ突き刺さった。
「カハッ……」
息が苦しいが、苦しくない。
ボロボロの身体を見下ろしてみれば、空中で回転したせいか赤い縄が胸に巻きついていた。
人医師は、己の胸腔を潰さんばかりに赤い縄でぶら下がる羅刹女を見る。
彼女は、今は歯ではなく唯一残った腕で縄を掴んでいた。
さらにその下、約160m先の地上を見る。
羅刹女を付け狙う数千の大怨霊。
それに付随して蠢く十万の怨霊。
生き残っている数百人の殺人鬼。
そのすべてが、空から落ちてくるであろう生者を待ち望んでいた。
雨の下、十万と数千と数百は負の感情が重く込められた声ならぬ科白を口走る。
死ね。ただ死ね、と。
「こっ……」
このままだと地獄の池に二人で落ちるだろうよ。袋小路だ。
……なんて羅刹女に話そうとして、思い止まる。
(いや、喋るとまずい。もう息を吸えない以上、言う科白は吟味して選ばねば。
吐けて一言だな)
胸が針金か何かに見まごうほど絞られている。
爆発の衝撃も合わせ、体中の穴という穴から血や内臓や汚物が垂れ流されてさえいる。
死にながら生きている状態で、呼吸などできようはずもない。
恒常的に圧殺されているようなものだから、【痛し癒し愛し】の全身回復もうまく働かない。
「……」
羅刹女は赤い縄を引っ張る――あと十数秒もすれば人医師の身体は千切れ、彼女と共に落下するだろう。
回復能力があるとはいえ、引きちぎられるのはどうしようもないからだ。
さらにまずい話として、可苗衣である。
ハレメイトタワーで追いかけっこしていた百鬼夜行と殺人鬼団がいつ屋上に現れてもおかしくない状態だ。
彼女は、高得点の命である。距離もかなり離れた。
急いで向かわねばならない。
人医師は可苗衣と友情を育んだ羅刹女を見る。
事ここに至り、羅刹女の殺しの姿勢は真っすぐで、躊躇いがなく―――。
容赦のない、理由のない殺人鬼の――人間性に振り回されて苦しむ《患者》の―――。
惰性の殺意に振り回される少女の。
泣く寸前の、ぐしゃぐしゃな顔。
人医師はその顔を見て決断した。
身体が引きちぎれるまで残り数秒。
彼女の心理構造を鑑みて、どうすればいいかはわかった。ふざけるなよと自分に思った。
だが飲み込もう。
羅刹女とは違い、自らの意志と決意を以て、この因果を飲み込もう。
人医師は羅刹女を見つめる。両目からは血が流れ、その血が女の顔にかかる。
女は赤い縄を引っ張り、男を今度こそ完全に殺そうとして。
「かろん」
人医師の慈しむような微笑み。
羅刹女の……三豆かろんの、コンマ数秒の躊躇い。
「おやすみ。また明日」
目に見えてかろんの縄を引っ張る力が緩むのが人医師にはわかった。
この刹那にあって、どうしようもない程の隙である。
「ああ、うん」
死ぬのは嫌だけど、しばらく眠るぐらいならいいか。
閃く一線。
かろんは、アペイロンへ笑みを浮かべた。
「おやすみなさい、アペイロン。日が昇った頃に、起こして」
ドクター・アペイロンの鉤爪によって赤い縄が断ち切られ……彼女の頭と胴体が離れる。
胴体は地面へと真っすぐに落ちていった。
同時に、乙女ロードに集結していた大怨霊が透明になって消えていく。
大怨霊が狙っていたのは、そもそもサーモバリック怨霊爆弾の起爆者だった羅刹女だけだったからだ。
さらに続いて、十万のアンバードを素材として発生した怨霊たちも消えていく。
元々大怨霊がいなければ暴徒化どころか形すら持たない、ただの灰骸が、それらの正体だったから。
羅刹女の胴体が道路へ墜落。
人医師は断ち切ったと同時に人差し指と親指で器用に掴んだ三豆かろんの頭へ、自分の額を合わせた。
笑みと笑みが、突き合わされる。
ではまた。
また今度、おはよう。
―――すまない。
なんて、科白を言える余白もなく。
かくして誤魔化しようもなく人医師は羅刹女を封殺し、怨霊を封殺し、これからすぐに乙女ロードに溢れた殺人鬼全員を封殺すことで。
蟲毒の中の蟲毒、乙女ロードの激戦こと【池袋在庫処分一掃セール・キラキラオンオンダンゲロスーズ】を、人医師は制したのである。
───────────
Tips【痛し癒し愛し】
人医師、ドクター・アペイロンの魔人能力。痛みを回復に変える。
ルビのスペルはNullum Remedium.
Nullumはラテン語において”無い””ゼロ”を意味し、Remediumは”治療”や”救済策”を意味する。
直訳すると、『救済策なし』。
意訳をすれば、『救いようがない』。
彼がどのような思想で己の魔人能力をこう呼ぶのかは、彼以外誰も知らぬことである。
───────────
二日目【8】
「本当にいいのかしら」
乙女ロードのど真ん中にて、顔が真っ青な数百人の生き残りである元殺人鬼たちを後ろに控えさせながら可苗衣は人医師へ言った。
彼はボロボロの執事服から着替えて、いつもの緑と黒線のスーツ姿へ戻っていた。
服飾生成能力者の殺人鬼『刃ドレス刃』の快い協力の元に、である。
なお当の『刃ドレス刃』は震えていた。
他の元殺人鬼たちも似たり寄ったりで、人医師の一挙手一投足に怯えている。
鬼気迫る人医師に勢い余って一人あたり数千回は虐殺され続けられたのだから無理もない話なのだが。
「ああ。乙女ロードから池袋駅までは徒歩五分でいける。電車はまだ動いている。君たちは、ここから去りたまえ」
「でも……」
「これは内緒なのだがな……。
人間病を克服した健康な元患者を見送るのが、私のひそかな歓びなのだ。
生きたまえ。君には未来がある」
「……この人は?」
少女は自分の脳がかつて入っていた『切り取りシャルルの容器』の、今の中身……三豆かろんの頭部を見せる。
「今の私に、頭だけになった死者を蘇らせる方法はない。
彼女は死んだ。私が殺した」
「それは違うわよ」
「……ほう?」
「かつて出来たことが、いつかの未来にできないなんて嘘よ」
「お父さんが起こした奇跡を貶めてもいいのかね?」
「馬鹿ね。むしろ貶めろって、言われたでしょ。パパと、あの人と、あなたが蘇らせた命が、二番目が出来たからって奇跡じゃなくなると思う? そういう風に、貶められたって感じるのは、人間だけよ」
「これは一本取られたな」
「だから、いつか、あなたがかろんお姉さんを――」
「べろべろばー」
「「「「う、ウワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」 」」」
元殺人鬼たちが逃走する。この言葉と共に恐慌状態を起こす心理的条件付けを施していたからだ。
さらにあらかじめ仕込んだ指示の通りに巨体の元殺人鬼が可苗衣を抱えて、駅へと逃走していく。
手を振り、見送る人医師から遠ざかっていく。
「わ、私は蘇生しないわよ!! あなたがやりなさい!! これは、あなたがやるべき―――!!」
可苗衣の声も元殺人鬼の絶叫も曲がり角を曲がって、聴こえなくなる。
人医師は手を下ろして笑った。
「自分が蘇生するなんて手段を考慮している時点で、語るに落ちているよ。医者の娘」
人医師は駅とは反対方向に振り返ると歩き出した。
さぁ、池袋に居を構えるカウンセラー、人医師、ドクター・アペイロン。
……最後のカウンセリング業務に取り掛かるとしようか。
───────────
Tips『ファン』
ある特定の人物や物品、作品の愛好者。
愛は人特有のものではなく、人でなしこそがもっとも純粋な愛を持ち得ると、ドクター・アペイロンは信じている。
───────────
二日目【9】
VIPルームにて。殺人鬼ランキング中間報告の録画終了後。
「すごい悲しいケド仕方ない。切り替えよう。すぐに羅刹女の頭部を回収して今後のために役立てないト!」
『ファン』が指を鳴らした音を聞いて、『飼い主』は首を傾げた。
「はて? 何を考えていたんだったか」
「ああ、ご協力ありがとう。素晴らしいものを見させてもらった。これを視聴しているVIPの皆様も、あなたを評価するだろう」
「ん? そう? アリガト!」
「次回の参加をお待ちしている。……お帰りはあちらだ」
「そう? じゃあバイバイ! また殺人鬼に関する催しがあったら呼んでね! 楽しみにしてるカラ!」
『飼い主』の退出後、『ファン』は鼻を鳴らす。
「殺人鬼が好きなのは評価するが、愛し方が駄目だな、独りよがりだ」
(あなたが言います? それ)
「……どうした。言いたいことがあったら言っていいのだぞ、」
「はい! なんでもありません! 失礼いたします!」
ワープで消える『調整者』。VIPルームに残るのは『ファン』と『スポンサー』だけである。
「雑談をしてもよろしいでしょうか?」
「あん?……別に構わないが」
『ファン』は『スポンサー』へ雑に反応を返す。
「『二人』というタイトルのプロローグがあったとして、そこに一人だけしか登場せず。
それから続くように別人が一人だけ描かれる新たなプロローグが描かれたとして。
その二人以外に登場人物がいるでしょうか?」
「……? 込み入った話でいまいち想像ができんな。でもまぁ、いないんじゃないか?」
「では……ある特定の人物が死亡したという地の文に、取り消し線が引かれていたとして。
その人物は死亡しているでしょうか。生きているでしょうか」
「――……ふん、皮肉か? 生きているさ。生きているとも。生きていて当然だろうが」
『スポンサー』鏡助へ、『NOVA』の首領である『ファン』は。
可愛らしく小柄な少女、山乃端一人――通称、ノバは。
「私は、生きている」
そんな話は自分には関係ないことだと言わんばかりに、呟いた。