『NOVA』限定公開3日目。
殺人鬼の街と化した池袋を出歩く人影は少なく、雨の動物園にも人の気配はない。
と、その静寂をどたばたと打ち破る者あり。
「うおおおお待て待て待て待て、KILLING YOU~!」
どたばたと走る黒髪ポニーテールのくノ一美少女は、悪の怪人キリキリ切腹丸。
切腹丸は悪の怪人跳躍力を駆使し、追いかけまわしていた人影についにタックルを食らわせ押し倒した。
押し倒されたのは、ゴスロリ姿の美少女。
切腹丸を美少女に変えた張本人、有栖英二である。
「やっと捕まえたぞこのアマ!今すぐ俺の体を元に戻せ!殺すぞ!」
鎖鎌で縛りあげた有栖に対して怒鳴り散らす切腹丸。目的は当然、自分にかけられた能力の解除である。
切腹丸を美少女に変えた後いつの間にやら博物館から姿を消していた有栖であったが、切腹丸もさすがは忍者、一晩のうちに行方を突き止めこうして捕縛と相成ったのである。が。
それで切腹丸の目的が遂げられるかは別の話である。
「ひいい、ゆるし、ゆるして、む、むんぐるい、ふるぐうなふ、るがうぎゃっ!」
「ごちゃごちゃうるせーっ!とっとと俺を元に戻せ!」
有栖は邪神クトゥルフに精神汚染を受け、発狂している。精神汚染の本体である邪神クトゥルフが池袋から消えたとしても、壊れた精神が元に戻ることは無かった。
つまり、脅してもいまいち反応がよろしくない。
殺してしまえ、という考えも頭をよぎる切腹丸だったが、それで能力が解けなかったら一生美少女だ。博打に過ぎる。
つまるところ、めんどくさいことになっていた。
「拷問か?やっぱり拷問か?指先から寸刻みKILLINNGか?」
「あばばばばば…」
切腹丸が鎌を振り上げ―
唸りを上げて振り回された縄が、あっさりと切断されて吹き飛ぶ。
「キールキルキル!二日連続で縄が相手かあ~?珍しいこともあるもんだなあ~!」
「私は三日連続刃物が相手だよ?」
「カテゴリのデカさがちげーだろ!鎖鎌とは言わねーからせめて鎌か鎖武器でカウントしろ!」
容赦なく急襲したのは、無論『羅刹女』三豆かろん。
ちなみに切腹丸は知る由が無かったが、かろんは『普通の女子高生』の脳(堅くて鋭い!)まで刃物扱いしていた。実にアバウトである。
「じゃあ、三日連続…なんだろう?」
「俺が三日連続キルで大勝利!だアッ!」
切腹丸の放った鎖に対して、かろんの迎撃の縄はほぼ同時、いや、僅かに縄が早い。
並ぶもの無き超反応。あらゆる思考をすっ飛ばした脊髄反射での殺人速度において『羅刹女』を凌駕する殺人鬼はもはやいない。
が。
「ありゃ?」
「キールキルキル!相性バッチリだなぁ!同情するぜえ~!」
縄が泥のように切断され、鎖は一切勢いを緩めることなく襲いかかる。『羅刹女』は後ろに下がって鎖を回避しなければならなかった。
『スーパーカット大切断(Die・Set・Done)』。
切れそうと思った物であれば強度を無視して切断する切腹丸の代名詞たる必殺技。縄といういかにも切れそうな代物が相手であれば材質など全く問題にならない。
『羅刹女』の縄は魔人戦闘にも耐えうるそれなりに良い武器ではあったが、『スーパーカット大切断(Die・Set・Done)』の前には豆腐同然である。
「これは―」
一瞬のうちに『羅刹女』の手が路面に固定されたベンチを怪力で毟り取り、投擲、真っ二つに切断される。
「―困っちゃうな」
相性差は歴然。戦況は早くも傾きつつあった。
「キールキルキルキル…!」
切腹丸が姿勢を低く構え―
「KILLING…YOU!一気に決めさせてもらうぜ!」
刹那の溜めから、突進!至近距離での大上段、切り上げ、袈裟切り、回転切り、凄絶な連続斬撃!
「やばー!」
防御不能の斬撃に対して『羅刹女』はバックステップ回避、後転回避、バック転回避、ブリッジ姿勢回避―しきれず切腹丸の斬撃がパーカーの胸元を掠める!
「うわ!変態!」
パーカーの胸元がバッサリ切り裂かれるが下には縄が鎖帷子のようにギッチギチに巻き付いており、色気ゼロ!残念!
「テメエが避けっからだろうがっ!」
更なる追撃をかける切腹丸に対し、『羅刹女』はすさまじい身軽さで連続バック転で距離を取り、そして後ろ手にコインを投げて石畳の境界線上に展開した『河』に飛び込んだ。
『羅刹女』以外は何人も超えること能わぬ致死の線。引きずり込めば必殺の牙になるそれは、潜り込めば一切の接近を封殺する無上の盾でもある―
が。
「―獲ったッ!!!スーパーカット…」
その刃は、悪の心でなんでも切れる。
「大・切・断ッッッ!!!!」
冥河は、一刀のもとに断ち切られた。
驚愕する『羅刹女』の白い首筋に迫る刃は、縄では決して受け止められない―!
そいつは言った。
「なぜ私が切れないのか、分からないか?ならば教えよう!」
光の刃を掲げ、俺に向かって朗々と言い放つ。
「私が、正義のヒーローだからさ!」
ついぞ、正義のヒーローを斬ることは叶わなかった。
「な―」
なぜ、切れない。
なぜ、奴のことを思い出した。
『羅刹女』が両手に握りピンと張ったひも状の物体が、切腹丸の刃を完全に止めていた。
「どりゃ!」
何が起こったか理解する間もなく飛んできた力任せの大ぶりな蹴りを避けて、切腹丸は後ろに跳んだ。
攻守交替。
『羅刹女』が投じたそれを切腹丸は切り払―えない。
『スーパーカット大切断(Die・Set・Done)』で切れない物体など、ほとんどない。少なくとも物理的強度で受けることはあり得ない。ひも状の物体であればなおさらだ。
それはぐるぐると切腹丸の右腕に絡みつき―
ざくり、と肉を食い破る痛み。鉤縄か?
いや、違う。
「なん、だ、こりゃあっ!?」
切腹丸の右肩に食い込んでいるのは、『スパイダーマン』の用いていたようなフックではない。
ひも状の物体の先端には何かを挟み込むようになっている部位があり、そこが切腹丸の腕をくわえこんでいる。
いや。
そもそも、この物体はなんだ。
それは、生ぬるい熱を感じる。
それは、僅かに蠢いている。
それの表面からは、まばらに毛が生えていた。
その表面は、ぐしゃぐしゃに引き延ばされた人皮ではないか?
切腹丸の肩に噛みついているのは、もしかすると「口」と呼ばれていた部位では?
切腹丸の眼前でぐりぐりと動く僅かに濃緑色が散っているゲル質の物体は、眼球の成れの果てではないか?
それは―
「本日お披露目、新兵器―」
羅刹は、自慢げに笑う。
「『紐医師』」
それは、全ての人間を病から救わんとした男だったもの。
正義のヒーローの残骸である。
「……………オイオイオイオイ!!!バカかテメェ!?ハットリサスケ組でもここまで非人道的な所業は見たことねえぞ!?」
「ん!なんかいい感じになったから!持って来た!」
『スーパーカット大切断(Die・Set・Done)』は、切腹丸が切れないと思った者は切れない。例えば、かつて切れなかった正義のヒーローであるとか。
『人医師』ドクター・アぺイロンは死んだ。生前の彼がどんなに高潔かつ英雄的な人物であったとしても、もはや死んだ人間だ。
ここにあるのは、今際の際まで現世にしがみついた彼が残した魔人能力の残滓がこびりついた肉塊に過ぎない。もはや正義のヒーローではないはずだ。
死者が遺した、魔人能力の残滓―
サムライセイバーのように。
(ダメだ…すぐには認識を改められねえ!)
『スーパーカット大切断(Die・Set・Done)』は、この冒涜的な物体に対して有効打たりえない。
ならばと能力を使わずに鎌を喰い込ませるが、つけた傷は瞬く間に消えてしまった。屍肉にこびりついた『痛し癒し愛し』の残滓はなおもそれに不死(とっくに死んでいるが)に近い再生力を与えている。
右腕拘束、解除不可!
ぐん!と凄まじい力で拘束が引かれる。転倒させんとする圧力。『羅刹女』の人外的膂力に対抗は無意味。ならばと切腹丸は引かれるよりも速く前方に突進する。左腕一本でも、切り捨ててくれる!
その瞬間、切腹丸の視界を血煙が覆った。
「どぅおわ!?」
切腹丸には咄嗟に理解できなかったが、それは『紐医師』の顔面(だった部位)の各パーツから噴き出した血であった。
惨たらしい変形を遂げた『紐医師』の心臓(だった部位)は、『羅刹女』の掌中にあった。それを強く握ったことで高まった内圧が、血煙による煙幕として噴き出したのである。
視界を塞がれた切腹丸の斬撃は空を切り―
羅刹の鉄拳が叩き込まれ。一撃で心臓破裂。
「ごぶッー!」
凄まじい力を受けた切腹丸が吹き飛び―
びいん、と空中で引き戻される。さながらチェーンデスマッチ!
強打!吹き飛び!引き戻し!再強打!吹き飛び!引き戻し!再強打!吹き飛び!引き戻し!再強打!吹き飛び!引き戻し!再強打!吹き飛び!引き戻し!再強打!吹き飛び!引き戻し!再強打!
並の魔人なら挽肉となっているラッシュだったが―
「あれ?三日連続不死身が相手?」
「キル、キル、キル…悪の怪人はしぶといんだよ、覚えとけ…」
建物の壁にめり込んだ切腹丸は死なず。『アリス・イン・ワンダーランド』で美少女に変えられた切腹丸は自己認識を司る脳が破壊されなければ死なぬ。破壊的な暴力の中、切腹丸は脳髄だけはガードしていた。無論、『羅刹女』が『アリス・イン・ワンダーランド』を知っていればこうはいかなかっただろうが。
ちなみに『羅刹女』は植物人間になった『普通の女子高生』も不死身扱いしていた。アバウトである。
「んー…まあいっか、死ぬまで殴れば死ぬでしょ」
「いいや、てめえのターンはここで終わりだあ~!」
切腹丸は諸共に建物の壁にめり込んでいた物体を引き抜くと、『紐医師』に叩きつけた!
その瞬間―
「あーーーーっ!?なにこれ!?」
『羅刹女』の手中には、もう『紐医師』は無かった。
「私の『紐医師』が!美少女に!」
「キ~ルキルキルキル!賭けに勝たせてもらったぜえ~!」
切腹丸が叩きつけたのは、吹っ飛ばされた拍子に偶然にも巻き込んでいた有栖英二である。精神崩壊を起こした彼が接触した拍子に咄嗟に能力を使ってくれるか、ほとんど死体の『紐医師』が能力の対象になるかは未知数だったが、切腹丸は賭けに勝った。
「このー!戻れ!」
手元の美少女をぐいぐいと引っ張って再加工を試みる『羅刹女』だったが、どんなに変形させてもすぐに元に戻ってしまう。『アリス・イン・ワンダーランド』は単なる再生能力を与えるものではなく、「完璧な美少女であり続ける」能力だ。変形させることはできない。
『紐医師』の美少女化に伴い拘束が外れた切腹丸は、有栖を投げ捨てるとこの機を逃さず吶喊、鎌を振りかぶる。
『羅刹女』は切腹丸の一撃に対し、手元の美少女を盾にする。
「その体が切れることは、分かってんだよッ!!」
認識に依拠する、絶対切断。
『スーパーカット大切断(Die・Set・Done)』!
盾代わりになった美少女が、正中線で両断される。当然脳髄も破壊されている。
(―さよならだ、名も知らぬヒーロー)
切腹丸が、一瞬だけそう思った次の瞬間。
瞬く間に断面がくっついて、盾代わりの少女が元に戻る。
「あれぇ!?」
『痛し癒し愛し』!
『アリス・イン・ワンダーランド』は、対象を不滅の美少女に変えるが、それが持っていた能力が損なわれるわけではない。かつては『人医師』だったそれがもっていた自身の意識に依らない人でなしめいた自己再生能力は健在だった。
今『羅刹女』が掲げているもはや変わり果てて何と呼ぶべきかわからない美少女は、『痛し癒し愛し』と『アリス・イン・ワンダーランド』により、二重に不死身だ。
武器としては使いにくいが、盾としては突破は至難!
「んだこりゃぁ!うっぜええええなぁぁぁ~~~!!」
「なんの!このやろー!」
切腹丸の連続斬撃!飛び散る少女の肉片!切り身!刺身!瞬時再生!突破できず!
かろんも負けじと盾代わりの少女でシールドバッシュ、もとい力任せに殴りかかる!飛び散る少女の血飛沫!脳漿!内容物諸々!瞬時再生!盾健在!
しかし耐久性に優れても武器としては扱いにくい形状ゆえに、切腹丸への有効打にはならず!
凄絶な殴り合いは互いに有効打を欠き、間に挟まった盾代わりの少女をズタズタにしながら続く。
「キルキルキルキルKILLING!YOU~!!!いい加減にくたばりやがれ~っ!!」
「やなこったー!そっちこそぴょんぴょんしないでおとなしくしろーっ!!」
有効打を欠く殺し合いが―1時間経過。
「死ねーっ!」
「ぬぎー!」
3時間経過。
「肋骨投げ!肋骨投げ!もう一本肋骨投げ!」
「何本投げる気だお前!」
「投げやすいから!つい!」
6時間経過。
「うわー!いきなり地面が!?」
「かかったなァ~ッ!路面をちょっとずつ切ってたんだよ!下水で溺れてくたばりやがれェ~ッ!」
「下水道無かった!ただのくぼみだこれ!」
「チクショーッ!座標ミスったああああ!」
12時間経過。
「ぜー…ぜー…」
「キ…ル…キル…殺す…殺す…」
真夜中である。それでも一目でわかる屍山血河。降り続く雨でも流しきれない血と肉片と内臓と骨とその他諸々の人体パーツが戦場となった動物園全体をぐっちゃぐちゃのべっちゃべちゃのぐっちょんぐっちょんに汚していた。
それでも、互いに有効打無し。実力伯仲の戦いであった。
あるいは、泥試合か。泥というか血みどろである。
周囲を汚す諸々は、当然『人医師』だった存在の流したものであった。『痛し癒し愛し』と『アリス・イン・ワンダーランド』による多重不死が無ければとうの昔に原形を残していなかったであろうそれは今もなお『羅刹女』の手の中で美少女の形を保っていた。もっとも、血と肉片とその他諸々でドロドロに汚れて美少女が台無しであったが。
「キル…キル…」
切腹丸も流石に疲労困憊していた。血みどろのグチャグチャで美少女が台無しである。
「ぜひー…、ぜひー…」
かろんも流石に青色吐息であった。血みどろのベチャベチャで美少女が台無しである。
二人はしばらくぜえぜえと荒い息をついていた。こんなふうに仕切り直しをするのも、既に3回目だ。
空は曇天、灯りはない。凄絶な殺し合いに周囲の動物は虫の一匹にいたるまで遁走し、動物園だった場所にしとしとと降る雨と殺人鬼の荒い吐息だけが響いている。飼育されていた動物はすべて脱走した。
何もかもが、この泥試合に呆れて帰ったようですらあった。『NOVA』のVIPも大体付き合いきれずに寝ていた。
その煮詰まりきった血みどろの膠着状況の中、『羅刹女』が零す。
「うん、うん、よし…」
こんな言葉を口に出すのは、初めてだったかもしれない。
「たのしくなってきた」
「頭おかしいのかテメエ?どう考えてもクソだりい状況だろうが」
「おかしくありませんよ。昨日カウンセラーの先生に治してもらったばっかりです」
べちべちと元はカウンセラーの先生だったものを血溜まりに叩きつけながらぷんぷりと頬を膨らませるかろん。
いきなり年相応の少女のような振る舞いだった。血みどろだったが。
それを見た切腹丸が目をしょぼしょぼさせながらぼやく。
「なんだぁ?いきなり目の前の殺人鬼が一般人みたいな言動してやがる。殺し合いのやりすぎで幻覚が見えてんのか…?」
「殺し合いをやりすぎたら死ぬんじゃないです?」
「じゃあ幻覚じゃないか…」
「でも死んだら走馬灯とか見えるって言いますし幻覚かもですよ?」
「じゃあやっぱり幻覚か…」
「やったー相手が死んだことを認めたー」
「やっぱり幻覚じゃねえわ」
殺し合いのやりすぎでアホになりつつある二人がアホな会話を交わしているが、これは異常事態である。
なんといっても二人そろって殺人鬼。それも見敵必殺なタイプの殺人鬼である。煽り・罵倒・怒声・猿叫以外の言葉を相手に投げかけているのは異常だ。
「というかよォ…おまえ…アレだろ…アレだ…アレ過ぎるだろ~」
「アレ…アレですか…?アレな感じ…?」
「アレだよ…あー、アレだ、キャラだ、キャラが変わりすぎだろおめ~。なんかこう、なんかもっと、無慈悲無感情黙ってただ殺す系だっただろおめ~。な~にわーぎゃー騒ぐ感じになってるんだよ~。いいのかそういうの~?なんかこう、なんかあるんじゃないのか~?」
「あーそれはですねー、なんか昨日ドクターに首を刺されてうわーってなってうにゃーってなって起きたらすっきりしたんですよー」
「なにいってんのかわかんねーよ、やっぱり頭おかしいんじゃねえのか?」
かろんのアバウト極まる説明は、昨日の『人医師』による『治療』の一件である。
その『治療』はかろんの根本的な殺人性質には影響を及ぼさなかったが、幼少期からの虐待により形作られた精神的外傷と抑鬱的性向をさっぱりと取り去っていた。
その結果として、アバウトで、純朴で、朗らかな殺人鬼が誕生していた。もちろん危険度や戦闘力は据え置きである。
そんな相手をまじまじと見つめて、切腹丸は考えていた。
「なーんだかなー…」
「?」
(なんも見えてこねえんだよなー…)
12時間も殺し合いをしておいて、目の前の相手が何者なのか、ろくに感じ取れない。
切腹丸にとって、人斬りは存在意義そのもの。殺し合いは己の全霊をぶつけ合う全力の運動である。である以上、殺し合いをしてみれば互いが何者であるのかはおのずとわかる。
『電車忍者』鮪雲鉄輪はトラウマに追われ、生きるために殺していた。
『スパイダーマン』振入尖々の根底には憧れがあり、それに近づくために殺していた。
『ミッシングギガント』累絵空は異形の存在として、己の本能ゆえに殺していた。
『サムライセイバー』有栖愛九愛は、ただ一人の最高のヒーローだった。
目の前の相手は?
己の中のサムライセイバーの記憶による情報では、『NOVA』のVIPに飼われた殺人鬼。悪趣味な金持ちに飼われた獣。見世物小屋の殺人自動機械。そんな印象を受けた。
殺し合ってみると、そうではなかった。
こいつには、誰の首輪もついてはいない。飼い犬の闘い方ではなかった。おそらくは彼女のスポンサーもその手綱を握れているわけではなく、ほとんど好き勝手に暴れさせているのだろう。
誰かの意向で殺しているのではなければ、彼女のバックボーンには何があるのか。
殺しで生計を立てている、プロ意識?違う。殺し方が雑過ぎる。
血肉が飛び散るのを楽しむ、加虐性向?違う。殺しが淡々とし過ぎている。
生まれながらの強者としての、誇り?違う。殺し方に拘りが無さ過ぎる。
そういう生き物としての、本能?違う。殺しに貪欲さがない。
破綻した、狂気?違う。彼女は健康だ。
何も無い。何も見えてこない。
ということは。
「おまえ―」
「殺しそのものには何も思わないのか?」
切腹丸は、そう結論した。
「最初っから殺しが前提なやつが、たまたま生き物の形してるだけだ。そういう面では、俺と似たようなもんか…?」
キリキリ切腹丸は人斬りを存在意義として製造された戦闘用ホムンクルスである。
三豆かろんはそういう意図を持って製造された存在ではないが、如何なる偶然か「そういうもの」として生を享けた。
両者の違いは、養殖か天然か、といったところか。
切腹丸は自分が殺人をするべき存在であることに意識的だが、かろんはそれに無意識的で、疑問を持つことも無いのだろう。
殺し合っても何も見えないわけだ。殺し合いなど、彼女にとっては息をするように当たり前で、些事なのだろう。
普通の人間が人間であることをいちいち意識しないように、殺人鬼である彼女は殺人鬼であることにいちいちかかずらったりしないのだ。
ならば。
「殺人以外の何がおまえにある?」
人間がただ人間であることにアイデンティティの軸足を置かないように、彼女にも殺人鬼である以外の何かがあるのではないか。
「キルキルキル…にわかに興味が湧いてきたぞ」
キリキリ切腹丸は、人斬りにして悪の怪人であることを自身の中心的なアイデンティティとして置いている。それは自身の生まれつきの在り方に意識的にアイデンティティとした在り方だ。
そうした生まれつきの在り方は、三豆かろんも似たようなものだが、彼女は切腹丸が何よりも意識しているそれを重視してはいない。では、何が彼女のアイデンティティを規定するのか。
「俺の『生』とは違う在り方だ。おまえには何がある?見せてみろ…!」
「すぴー…」
「寝るなボケーッ!!」
切腹丸の思索に構うことなく立ったまま鼻提灯をぷかぷかと出していたかろんだったが、切腹丸の振るった鎖による斬撃をぴょいと飛び退いて躱した。まこと凄まじい反射神経である。
「ん…まだ夜だ、二度寝」
「起きろボケーッ!殺し合いの最中に気を抜きすぎだろうがーッ!!いや最初っから気が入ってねえのか!」
切腹丸が苛立ち混じりに振り回した鎖がそこらに積みあがった屍肉の山をズタズタに切り裂き、血を撒き散らす。
それは八つ当たりに過ぎなかったが―
ずばり。
「あぎゃっ…!」
「キル?」
「すぷー(二度寝)」
なんか切れた。屍肉の山の中になんか隠れていた。
切り裂かれた屍肉の山からまろび出て来たのは…
脳天から唐竹割に真っ二つにされた金髪碧眼の美少女―
有栖英二の死体だった。
「…あれ?もしかして一生戻れなくなっちまったかこれ~?」
果たして『アリス・イン・ワンダーランド』は能力者が死ぬと解けるのか、それとも解けないのか。
その答えは。
「元に戻ったァ!チクショーッとっとと殺しておけばよかった!」
「あーーーーーっ!!」
いきなりの大声に切腹丸が振り返ると、『羅刹女』の手中の非人道的武器は元の形状に戻っていた。敵手攻撃力復活。しかし切腹丸も身体が元に戻ったことで不死性を失った代わりに攻撃力が増している。互いに攻撃力が元に戻った。泥試合も打開されるだろう。待ち望んだ決着の気配に切腹丸が舌なめずりした時。
「サムライセイバーに敗けてた人だ!!!」
「敗けとらんわーーーーーーーっっっっ!!!!!!!!」
切腹丸、本日一番の大音声。
Killing忍者キリキリ切腹丸、その名前を出されては絶対に一歩も引けない男である。
「まだ俺とサムライセイバーの決着はついていねえええええんだよォーーッ!!!サムライセイバーがこの世に存在した痕跡全てを切り刻みィ~~~ッ!!!歴史に刻まれる絶対のヒーローの座を打ち砕き!俺の生を世界に刻み込んだ時ィ!ようやく俺は勝利し!その存在証明を完遂するんだあ~~~~~~っ!!!!だからっ!俺はサムライセイバーに敗けちゃいねえ~~~~ッ!!!!!」
「何言ってんだこの人?」
「うるせ~~~~~~っ!!!そもそもお前がサムライセイバーの何を知ってやがるんだァ~~~~っ!!!!!」
「サムライセイバーは悪の忍者軍団ハットリサスケ組と戦うサムライツメショのスーパーヒーローでしょ?かっこいいよね~」
「な~んだおめえ…サムライセイバーがかっこいいだぁ~?」
「うん!かっこいい!」
「キールキルキル…そんなよお~…」
切腹丸は、にやりと笑った。
「今更あったりまえのことを堂々と言うんじゃねえよ~!ガキっぽいだろ~!」
「えー!サムライセイバーかっこいいじゃーん!」
わはははは、と血塗れの殺人鬼二人は深夜に笑い合った。殺し合いのやりすぎで完璧にアホになっていた。
それは、本来ありえない殺人鬼同士の交歓だった。『サムライセイバーはかっこいい』という一点で、二人は同意した。それはヒーローの輝きが導いた、ほんの一時の奇跡だったのだろう。
二人はひとしきり笑い合うと、構え直した。
「じゃ、だいたいお前のこともわかったし、死のうかぁ~?」
「え、貴方自殺するんです?」
「死ぬのはおめ~だよ、ガキンチョ!」
「餓鬼じゃないですー羅刹ですー」
「い~やお前はガキだね、生まれつきの殺人鬼である以外まだ何者でもないガキだ」
それが、切腹丸の至った結論だった。
『羅刹女』三豆かろんは、生まれながらの殺人鬼だ。生まれ持った肉体強度と、本能以前の殺戮技巧。天性の羅刹。
そして、それ以外はまだ何者でもない。生まれたばかりの赤ん坊のような物だ。『人医師』の治療は、長期に渡る歪んだ発達を取り払い、彼女をまっさらな人格へと変えていた。
殺人鬼であることは、絶対に変わらない。しかしどんな殺人鬼になるのかは、これからなのだろう。
切腹丸には、自分と同じ生まれながらの殺人鬼である彼女がどう育つのか、興味がないと言えば嘘になる。だがそれを見る気はない。
今日、ここで殺すからだ。
切腹丸の手には、チャラチャラデスサイスカスタムセカンドもとい普通の鎌と単分子ワイヤーの鎖。
かろんの手には、元はヒーローだったものの成れの果て、非人道屍体兵器『紐医師』。
獰猛な笑みを浮かべて、殺人鬼二人は相対した。雨も心なしか強まり、立ち込める血の匂いを僅かに鎮めていた。
決着に、これ以上の時間はかかるまい。
先に動いたのは―『羅刹女』!
『紐医師』ではなく、袖から飛び出す普通の縄。切腹丸に向かわずに、複数本が撒き散らされて切腹丸の周囲を囲った。それと同時に投じられていたコインが、冥界への扉を開く。
切腹丸の四方は、瞬く間に冥河で囲まれた。蜃気楼めいた揺らぎの怒涛が切腹丸の視界を奪う。引きずり込む目的ではなく、目くらましだ。
複数本の河の揺らぎの向こうで、『羅刹女』の姿が滲む。動きが見えぬ。だが、切腹丸は動じない。
『スーパーカット大切断(Die・Set・Done)』で冥河を切り裂き、目くらましを破ることは容易い。だが、おそらくそれは罠だ。『スーパーカット大切断(Die・Set・Done)』を撃たせた後、刃を振り抜いた隙に破壊不可能の『紐医師』で拘束する狙いか。
「だがな、今の俺にそれが切れねえと思ったら大間違いだぞ」
先程までの、美少女になり弱体化した切腹丸は正義のヒーローを、サムライセイバーを切れないと思っていたから『紐医師』も切れなかった。
だが、今の切腹丸はそうとは思わない。
「最強のヒーローはな、この世にたった一人で……そしてそいつは、永久欠番なんだよ」
今の彼ならば、サムライセイバーの他の正義のヒーローが現れようが、一刀両断できる。
さあ、かかってこい。未だ何者でもない、未来ある殺人鬼よ。その未来を、断ち切ろう。
切腹丸の耳が、ごきごき、という音を冥河の向こうに捉えた。
何の音だ。人体を力任せに破壊する音―
―いや、加工する音か!
(『紐医師』を変形させて、未知の武器で仕留めようってんだな!?おもしれえ!)
もともと自分で人間を変形させて縄状の武器に仕立てたならば、再生能力を持つそれを再加工し異なる形状の武器にすることも可能なのは道理。
なにで来る。再生能力をストレートに使って大質量の鎚か。先刻までの成功体験を活かした盾か。長いリーチで鋭く突きこむ槍か。はたまた骨の矢を筋繊維の力で打ち出す弩。大量の血を高圧噴射する放水ポンプ。声帯や横隔膜を過剰再生させて作る音響兵器はあり得るか?はたまた奴が戦ったという学校で目撃証言がある過剰活性脳髄からの熱線―
切腹丸の頭脳が高速回転し、あり得る可能性がリストアップされる。しかしその全ては、たった一つのシンプルな思考に集約されていった。
なにが来ようと。
斬るのみ!
己は人斬り。
悪の怪人、Killing忍者キリキリ切腹丸!
切れぬものなど、地上に無い!
―――――――――――――来た!!
それを知覚した瞬間、切腹丸の知覚は一つの情動に支配された。
(違う)
違うのだ。
何もかも違うのだ。
別人だ。
それもただ動きをまねているだけに過ぎない。
それでも。
それでも切腹丸は、それをそうだと認識してしまったのだ。
体は自動的に動き、斬撃を繰り出す。
その結果はわかりきっているのに。
(ああー)
(思えば、三日連続ガキンチョに苦労させられたなあ)
未だ何者でもない子供は―
ごっこ遊びをするものだ。
「スーパーカットDie・Set・Done!」
「ヤギュウスタイル・スチームエクスプロージョン!!!」
ビームセイバーではなく、屍肉と骨でできたなまくらで。
流麗な技ではなく、力任せのゴリ押しで。
スチームもエクスプロージョンも無かったのだけれど。
その一撃は、悪の怪人の必殺技を破り。
その身体を真っ二つに切り裂いた。
「おい、ガキ…」
「あれ?生きてる?」
「もう死ぬよ。最後に聞かせろ…」
袈裟懸けに両断された切腹丸は、死を悟って問いかけた。
「なんで、最後にあれを選んだんだ…」
「なんでって」
かろんの答えは、とても素直だった。
「悪の怪人を倒すなら、あれしかないでしょ?」
「キルキル、キル…ああ、そうだなあ…本当に、そうだ…」
殺人鬼が、ヒーローになれるはずはない。切腹丸は昨日そう言った。
だが―
「もしかすると、なれたのかもしれねえな…」
未だ何者でもない殺人鬼、三豆かろん。
もしかすると、ヒーローになる可能性も、ほんのちょっぴりはあるのかもしれない。少なくとも、彼女は悪の怪人を斬った。
「あ、あ、俺も…なりたかったなあ…ヒー、ロー…」
「悪の怪人なのに?」
「だから、だよ…」
彼はそれきり目を開くことは無かった。
生まれた時から悪の怪人だった男は死んだ。
生まれながらの殺人鬼で、未だ何者でもない少女は屍山血河を後にする。
『羅刹女』が懐からスマホを取り出すと、メールが届いていた。
文面はごく短い。
『ラストスパート。魅せてくれ』
添えられた添付資料。場所と標的。
時刻は早朝。最後の戦いは、もう今日の内に始まる。
雨が止むのは、近い。