「殺芸ゴーレムコア、殺人鬼化注射銃、サーモバリック怨霊刀……どれも使いにくいガラクタだなぁ……」
悪の怪人・キリキリ切腹丸(美少女)は、段ボールで送られてきた支給品を前にため息をついた。
前日の戦いをこなしたあと、切腹丸は所属する組織のボスであるプロフェッサー・イガグリゴウラへと連絡を取った。
それは美少女化を治療する為だ。
恥を忍んで久々に連絡をした切腹丸だったが、結果はひとしきり笑われて終わっただけだった。
しかしその翌日。
朝早くから忍犬・ゴエモンインパクトが切腹丸のセーフハウスに届けたのは、プロフェッサーからの支給品だった。
プロフェッサー・イガグリゴウラは悪の天才発明家である。
支給品の段ボール箱の中には、そんなプロフェッサーによる発明品の数々に加え、とある殺人鬼の資料の他、食料や消耗品などがみっちりと詰め込まれていた。
「……過保護すぎるだろ」
利用できるものは利用するのが信条の切腹丸ではあったが、まさかここまで手厚い支援を受けられるとは思っていなかった。
――どうやらイガグリゴウラもこの戦いに並々ならぬ情熱を注いでいるらしい。
「……いや、もしくは」
入っていた資料に目を通す。
羅刹女、三豆かろん。
両親を殺した、天涯孤独の少女。
「親ってのは……そういうもんなのかね」
プロフェッサー・イガグリゴウラと切腹丸の間に血のつながりはない。
切腹丸は人造人間で突然変異体だ。
遺伝子改造をされ、人工魔人として生み出された悪の組織に所属する怪人――。
父も母もいなければ肉親と呼べる者もいない。
しかし、誰が生みの親なのかと問われれば、それはイガグリゴウラだといえるだろう。
「……まあ、邪魔されねーならそれでいいか」
切腹丸はそう思いながら箱の中身を見ていく。
奥に入っていた紙袋を開け、その中のビニールの外装に書かれた文字が目に入った。
『ふっくら御赤飯ギフトセット』
『多い日も安心! コットン100%』
「……よーしブッ殺~~~す!」
切腹丸の絶対殺すリストにイガグリゴウラの名前が加わったのは、これで通算12回目のことだった。
……………
しとしとと雨が降る早朝の街を、一人の少女が傘を差して歩いていた。
雨の匂いが充満した池袋の空気が、軽快な涼しさと陰鬱とした湿気を同時に届ける。
彼女の足取りはどこか軽やかで、新しい長靴を買ってもらった子どものように楽しげだった。
ふいに、ポケットに入れたスマホから電子音が鳴る。
そんな少女は雲間から差す光に目を細めながら電話に出た。
「……もしもし?」
『オッハヨー羅刹女! ご機嫌いかが?』
「はい、元気ですよ。ちょっとお腹が空きましたけど」
『へェ! それはまた珍しいネ! じゃあたくさん食べテたくさん殺さなきゃネ! そんな君のために支援物資を用意しておいたヨ!』
「わっ! 本当ですか! 嬉しい~!」
『気が利くでショ〜? 送った場所は『池袋自然サファリ動物園』だヨ! わかるように配達しておくから受け取ってネ!』
「動物園かぁ……。私、学校の方に戻ってみようかと思ってたんですけど」
『そっちに行っても誰もいないヨ! ……実は動物園には次の標的が向かってるんだよネ。一石二鳥ってこと』
「……ターゲット」
『そ! とある情報筋からネ~。ほらほら、せっかく君にもファンがついてきたんだから、のんびりしてたらVIPのみなさんが飽きちゃうよ! 目指せ人気ダントツナンバーワン!』
「はぁ……」
『おっ! 興味なさそうだネ〜! ま、殺人鬼たちの情報は後で送っとくから! 確認しといてネ~!』
「……あ、はい」
『頼むヨ〜! 我々も都合良く使える手駒が減って困ってるからサ! 期待してるよ……今日からは正義の獄卒、羅刹女ってキャラでいこう! ……ネッ!』
一方的にそう言って電話口の相手は通話を切った。
そしてすぐに少女宛に添付資料付きのメッセージが届く。
羅刹女は情報に軽く目を通しつつも、その視線は池袋の街並みへと向かう。
「……新しいお洋服、欲しかったんだけどな」
少し寂しげな表情を浮かべた彼女の瞳は、今や崩れ廃墟と化したショッピングモールへと向いていた。
スイート・スイート・マーダーレッスン
雨は少し小ぶりになり、テラス席のパラソルがそれを弾いていく。
池袋の敷地面積の6割を有する、自然公園内に併設された食事もできるカフェ。
普段は人気だが今は今は人気のないオープンテラス席に、一人の少女の姿があった。
その灰色の髪をした少女……羅刹女はスマホを操作し、スポンサーに送ってもらった残りの殺人鬼の情報を確認する。
柘榴女、オムニボア、そして――。
「お待たせしました」
羅刹女が顔をあげる。
そこには黒髪のウェイトレスがいた。
「ご注文のパンケーキセットとストロベリージャンボパフェです」
――パフェなんて頼んでない。
羅刹女がそう口にする前に、テーブルの対面から声がした。
「パフェはこっち」
羅刹女が声に目を向けると、そこにはギザ歯の美少女が座っていた。
少女は黒いタイツのような肌着の上に豹柄のレインコートを羽織り、野球帽を後ろ向きにかぶっている。
羅刹女はそんな異様な姿の少女の姿を見て目を細めつつも、パンケーキセットを受け取った。
甘いバターの香りが鼻腔をくすぐり、自然と口の中に唾液があふれる。
お腹が鳴ってしまう前に、とフォークを手にとってそれに突き刺した。
ふんわりとしたパンケーキは簡単に切り分けられ、大きめの一口をその口へと運ぶ。
――美味しい。
小麦の香ばしさとバターの甘さが口の中でとろけて混ざり合う。
噛む度にふわふわの食感が脳の本能を刺激し、じゅわりと染み込んだバターは麻薬のような快感を彼女の舌に叩きつけた。
たまらず二口目へとフォークを伸ばす。
「無視かよ」
対面の少女の声に羅刹女はふと我に返り、顔をあげる。
黒髪ギザ歯の少女は呆れた表情をしながら、ストロベリーパフェを口に運んでいた。
それはイチゴと生クリームの織りなす芸術品のような一品。
対面の少女が食べる品を見て、思わず羅刹女はその感想を口に出す。
「……美味しそう」
「さてはこいつ会話できないタイプの殺人鬼だな」
羅刹女はハッと再び自分を取り戻す。
そう、彼女が池袋にいるのは優勝賞金である5億円の為。
そしてカフェにいるのはパンケーキを食べる為。
ならばそれに向き合わなければ。
そう思った羅刹女は、とりあえず5億円を横に置いといてパンケーキに立ち向かうことにした。
もう一口、むしゃりと音をたてるかのように小麦でできたケーキにかじりつく。
その幸福感に頬を緩ませ「ほわ……」と感嘆の声をあげながら、食事を続けた。
対する黒髪の殺人鬼は、呆れたように目の前の少女を見つめる。
どこか憐れみまじりの視線を向けたかと思うと、二、三口食べただけの自身のストロベリーパフェを差し出した。
「……こっちも食うか?」
「いいんですか!?」
羅刹女は目を輝かせたかと思うと、スプーンごとパフェを自分の元へと運ぶ。
パクパクと交互に食べ、時にはホットケーキに苺と生クリームをトッピングして口へと運ぶ。その度に彼女はこの世界に生まれてきたことを感謝するかのような、満面の笑みを浮かべた。
対面の美少女は、頬杖をついてそれを見つめる。
「欠食児童かよ。……まあガキはいっぱい食いな」
言われるまでもなく、羅刹女はパンケーキとパフェを食べていく。
羅刹女の口の中にイチゴの香りと酸味が広がり、滑らかな生クリームの感触と甘さが舌の上でとろけた。
それは芸術の域にも達した至高の甘味。
羅刹女は指についた生クリームを舐め取りつつ、口の中で咀嚼した幸せを飲み込んだ。
「……ねえ。お嬢さんは殺人鬼なんですか?」
「お嬢さんって……まあこの姿じゃあしょうがねぇか。そうだよ、殺人鬼だ」
彼女の言葉に羅刹女は目を閉じる。
舌なめずりして唇についた生クリームを舐め取りつつ、頭の中を検索した。
「……ミッシングギガント?」
「惜しい。そいつの仲間にこんな姿にされたんだ」
「じゃあスパイダーマンだ」
「そうなるかぁ……。やっぱ外見でのキャラ立てってのは必要なんだな」
自身が身につけた豹柄のコートを撫でつつ、黒髪ギザ歯の美少女は笑った。
「俺様は悪の怪人・キリキリ切腹丸だ」
「お~」
羅刹女はパチパチと手を叩く。
切腹丸はそれに構わず説明を続けた。
「俺の能力は『大切断』……切れるもんを切る、それだけの能力だ」
「ふぁんふぇふぉんほほ?」
「食いながら喋るな」
言われて羅刹女は口の中のパンケーキを飲みこむ。
そして残ったパフェを引き寄せて、そちらに専念しだした。
「あ、喋るよりも食べる方優先するタイプ?」
「ふぁえ?」
「……いや、俺が悪かった。まず食ってくれ」
「ん!」
「……警戒もせずよく食えるな」
「わたひ毒とか効きまふぇんし」
「喋らず食うのに集中してくれ。行儀が悪いだろ」
そう言われてしばらく羅刹女はパフェを食べ至福の時を過ごし、切腹丸は生暖かい目でそんな様子を見つめていた。
「……ごちそうさまでした。おいしかったです……」
「そりゃよかったな」
切腹丸が苦笑すると、羅刹女はおずおずと話を切り出す。
「それで……どうして能力なんて教えてくれたんですか?」
さきほどの切腹丸の言葉について、羅刹女は質問する。
魔人能力は魔人同士の戦闘において切り札と言っていいものだ。
羅刹女には、切腹丸がわざわざそれを伝えてくれた理由がわからなかった。
切腹丸は少女の素直な質問に、笑って答える。
「そりゃあ、そっちの方がカッコいいからだよ」
「……カッコいい?」
「いや正確に言うなら……『言わないとカッコがつかない』だな。俺はお前の情報を知っている。一方的に知ってるのはフェアじゃねーだろ」
「……なるほど。人気とか気にするタイプなんです?」
「そういうわけじゃねーけどな。でもお前を越えねーと勝ったことにはならねぇんだ」
「そうですかね」
「そうなんだよ、俺の中ではな」
切腹丸はそう言うと、その場に立ち上がった。
「……じゃ、やるか」
殺人鬼同士が出会ったなら、やることは一つ。
それは決して、カフェでお茶をする事でもスイーツを食べる事でもない。
向かいの羅刹女もまた、イスを引いて立ち上がる。
「……いいですけど」
羅刹女はパーカーの両手の裾から、シュルリと縄を覗かせた。
「私、手加減しませんよ」
切腹丸は両方の手に鎌を握って、笑って返す。
「おう、奇遇だな。俺もだ」
そうして二人はぶつかりあって、店のウェイトレスが悲鳴をあげて逃げ出した。
……………
羅刹女が腕を振り下ろすと同時に、その手首から縄が伸びる。
だが切腹丸の四肢を拘束する前にそれらのロープは切り落とされる。
しかしそれは羅刹女にとっても想定済みの牽制の一手。
羅刹女は瞬時に地面を駆け抜け、切腹丸に肉薄した。
瞬間、羅刹女の腕が二倍ほどの太さに膨れ上がる。
膨張した筋肉が強力な破壊の力となって切腹丸を襲う。
「……キル!」
切腹丸が羅刹女の拳に合わせて手を上げると、何もない空間でその拳は止まった。
羅刹女が驚き目を細める。
すると、その空間に集合した細長い糸が見えた。
切腹丸は笑う。
「ワイヤーネットだ」
そう言われた羅刹女があらためて見ると、そこには鎌の後ろから出たワイヤーが格子状に編まれ網となって彼女の拳を止めていた。
「あやとりみたいです」
「キルキルキル! 童心に帰って遊ぶか? 鬼さんこちら!」
そう言うと、切腹丸は左手に持った鎌をあさっての方へと投げた。
鎌は動物園のアーケードの天井へと引っかかる。
「ロープガン・ジョー!」
鎌の後ろから出たワイヤーがシュルシュルと巻き取られていった。
それは切腹丸がイガグリゴウラから受け取った発明品の一つ、『立体機動鎖鎌』だった。当然、魔人能力は関係ない。
ワイヤーに引っ張られ、切腹丸の体が宙へ浮く。
距離を離された羅刹女は頬を膨らませて、不満をあらわにした。
「正々堂々戦ってくれるんじゃなかったんですか」
「フェアにやるとは言ったが、正々堂々戦ってやるとは言ってねぇなぁ!」
切腹丸は木々が生い茂る自然公園の入口の方へと向かい、今度は背の高い木へと鎌を投げつける。
しかし羅刹女もそれに反応した。
「……逃がさないです」
瞬間、地面に大きな足跡がついたかと思うとその体が宙へと飛び上がる。
強大な脚力による一足飛びの縮地。
立体機動のワイヤー巻取りよりも早く木へと近づくと、そのまま木を殴りつけた。
幹の中央に風穴が空き、そこを起点として木が折れ始める。
「キールキルキル! やるじゃねぇか! さすがの怪力だなぁ!」
切腹丸はそれに巻き込まれないよう素早く木から鎌を外すと、軌道を修正して地面に降り立つ。
そうして二人は再び向かい合った。
切腹丸は薄く笑う。
「……なあ。お前、考えことあるか?」
「……?」
「殺人鬼・羅刹女のその人並み外れた怪力だよ。それに毒物耐性、額の角、凶悪な魔人能力……それらがいったい何に由来するのか……」
羅刹女の動きが止まる。
切腹丸は一瞬彼女の眉が動いたのを見逃さない。
「これはな、お前に対する義理立てだ。俺と……そしてプロフェッサー・イガグリゴウラには事実を伝える責任がある」
羅刹女に向かって、切腹丸は言葉を続ける。
「プロフェッサーが三豆博士夫妻と共に作り出した、第一の人造人間で突然変異体の人工魔人……三豆かろん。それがお前だ」
そして武器を構えて、対峙する。
「つまり俺とお前は、同類なんだよ。……力比べといこうぜ、お姉ちゃん」
……………
――そんなことは、何も関係ない。
羅刹女は生まれながらの殺人鬼だ。
両親がなんであろうが、自分がなんであろうが、何も関係ない。
自分の境遇がわかったところで、たとえ墓から両親が這い出てきたとしても、それは彼女の殺人と何も関係もない事だった。
誰であろうと彼女は殺す。
それはそれとして、殺すのだ。
ただただ、目の前の相手を殺すのみ――。
「――ぐっ」
心を殺し冷静に歩みを進めていた羅刹女が足を止める。
耳、頬、太もも。三箇所に裂傷。
血が流れていた。
「ワイヤートラップ……」
目を凝らす。
薄暗い森の中、そこかしこにワイヤーが張り巡らされていた。
切腹丸は笑う。
「おい、羅刹女。血を出しすぎだぜ。……お前、慢心してんじゃねーか?」
「……してないです」
「本当か? たしかにお前は強い。身体能力なら池袋にいる殺人鬼の中でも最強かもしれねぇ。その能力も相手を確実に殺す、恐ろしい能力だ。……けどよ」
切腹丸は鎌を投げつけた。
羅刹女はまっすぐ投げつけられたそれを掴む。
……同時に、爆発した。
「あぐっ……!?」
「キールキルキル! お前、ちょっと素直過ぎるぜ。強いからこそ、自分には小細工が通じねぇ……そう思い込んでやがる。罠も正面から踏み潰せばなんとでもなると思ってるだろ? ……けどよ、ダメなんだよそれじゃあ」
「何が……ですか」
火傷した左手を押さえつつ、羅刹女は切腹丸を睨みつける。
切腹丸は鎖鎌の切っ先を羅刹女へと向けた。
「俺を倒した後、順当にいけばお前は柘榴女やオムニボアと戦う事になる。……けどな。これまでの戦いを見るに、あいつらはどんな小細工だろうが十二分に活用してくる。俺なんて比べ物にならねぇほどにな。今のお前じゃあ返り討ちにあうのが関の山だ」
「……それがどうしたって言うんですか?」
「わかんねーのか? ……新しい武器を作れって言ってんだよ! 俺との実戦を通してな!」
切腹丸は新たに出した鎖鎌を十字になるように投擲する。
「……こんな姿の俺にすら勝てねーようなら、大人しくここで死んどけ!」
投げつけられた鎖鎌が、ブーメランのように羅刹女へと迫った。
羅刹女は対応に迷う。
――引く? 進む? いや……!
羅刹女は木に向かって縄を投げると、思いっきり引っ張る。
木がしなって反動で縄が引っ張られ、羅刹女は切腹丸がさきほどしたようにその身を宙に躍らせた。
羅刹女のいた場所を鎖鎌が通り過ぎる。
「キールキルキル! 合格だ! いつもみたく前に出てたら死んでたかもなぁ!」
「上から目線で……なんなんですかあなた」
羅刹女は不満げな顔で地面へと降り立つ。
切腹丸は笑った。
「なんなんだと聞かれたら、お兄ちゃんだよ! お前の!」
「私がお姉ちゃんだったんじゃないんですか?」
「キルキルキル! 精神年齢と元の外見は俺の方が上だと思うんだよな。培養槽に入ってたし」
「歳と順番は変えようがないと思うんですけど」
「細けぇことはいいんだよ!」
――どうしてだろう。
羅刹女は考える。
相手の素性なんて殺しには関係ない。
自分の感情なんて殺しには関係ない。
ずっとそう思ってきた。
……なのに。
「……ふふ」
自然とこぼれていたのは、笑み。
「……いい顔になってきたじゃねぇか。そろそろ本気でやる気になったか?」
――どうしてこんなに、楽しいんだろう。
「わかりました……やりましょう。すぐに死んじゃっても知らないですからね? お兄ちゃん」
「いいぞその意気だ! 全力でぶつかってきやがれクソ妹が!」
今この瞬間、おそらく世界で一番物騒な姉妹喧嘩が始まった。
……………
羅刹女は一瞬で切腹丸との距離を詰める。
これまでの鎖鎌の投擲も、ワイヤーによるトラップも、全ては羅刹女の重い一撃を想定しての牽制攻撃。
ならば、そうやって距離を取りたい相手が一番嫌がるのは近接戦に持ち込むこと。
羅刹女は切腹丸の腕を捕まえるべく手を伸ばす。
即死効果の魔人能力を持つ羅刹女が狙うのは、相手の身体の拘束。
……だが、だからこそ読まれやすい。
「キルキルキル! そうはいかねーぜ!」
切腹丸が鎌を振るう。
羅刹女は遺伝子操作された動体視力でそれを見切って、その体を捻り横に跳んだ。
無理な体勢となって転がるも、鎌は回避する。
そして転がりながらも左手から縄を放つと同時に、右手で何かを弾いた。
切腹丸は縄を避けきれず、それを鎌で受ける。
その瞬間、鎌に縄がからまって二人の間を繋いだ。
同時に羅刹女が弾いていたコインがピンと張った縄に落ちてくる。
「……『冥河渡し』」
「うおっ!?」
二人の間に、大きなうねりを伴った次元の歪みが現れた。
まるで暑い夏の日の陽炎のように、もやもやと景色が揺らぐ。
それは決して渡ってはいけない『川』。
渡れば即死の一撃必殺。
そして能力の性質上、それを見た瞬間誰もがそれを察知する。
――あれはヤバい、と。
それによって切腹丸の判断が揺らぐ。
目の前には手元から伸びる不可視の川。
渡らなければ死にはしない。
だが、そこには間違いなく即死の川が今もそこにたゆたっている。
本能と理性、感情と論理が衝突して、それが一瞬の停止を生む。
羅刹女はそれを見逃さない。
片足で地面を蹴り、おおよそ人がするとは思えないような不自然な体勢で切腹丸へと殴りかかる。
まるで電車に跳ね飛ばされた死体のように、体を独楽のように回転させながら切腹丸の胸を殴り飛ばした。
胸椎が破壊され心臓が破裂し背骨が折れ、切腹丸は即死しながら吹き飛ばされる。
何度か地面をバウンドしつつ、その背中を大木へと叩きつけられた。
「ぎっ……!」
潰れた肺から空気が絞り出され、オモチャのように音が鳴る。
しかし完璧な不死身の美少女となっている切腹丸の体は、それらの傷を即座に修復する。
切腹丸は立ち上がり、羅刹女を見据える。
「……い〜い一撃だったな。おかげで一回死んじまった。……即死能力を囮に使うとはな」
「でしょ」
「ああ、褒めてやる。だが、ちょっとばかし減点だ。周りをもうちょい見るこった」
「……これぐらい、傷の内にも入らないです」
そう言う羅刹女の服は、ボロボロになっていた。
幾重にも張り巡らされたワイヤーが、そのパーカーやスカートごと彼女の内側の肉を切り裂いていた。
多くの血が流れ、傷つく少女。
だがその表情に悲痛な色はない。
むしろ笑っていた。
「でも……次からは気にしておきますね、先生」
「素直でいい返事だ。お前は伸びるぜ。ここで死ぬのがもったいねぇな」
一つ一つ、羅刹女は成長する。
一方的な殺害から双方向の殺し合いへと、『戦い』に対する彼女の解像度が上がっていく。
選ぶ戦略の幅が広がる。
それは人医師の残した後遺症なのかもしれなかった。
心的外傷の外科手術による精神治療。
羅刹女は殺人鬼であると同時に――年相応の健全な少女へと治っていた。
それはまるでおしゃれにも甘いものにも興味があって、楽しいことがあれば笑って悲しいことがあれば泣く、どこにでもいる普通の女子高生のような――。
「――次は殺しますね、師匠」
「言うじゃねぇかバカ弟子が」
そうして二人は構え、睨み合う。
お互いその顔にワクワクした表情を携えて。
「……行きますっ!」
「動く前に宣言するな、不意を打てバカ」
羅刹女は切腹丸の言葉を無視してパーカーの袖から縄を伸ばし、近くの木へと引っ掛ける。
「ロープは頑丈っ!」
そして力任せに引っ張って、自身の体を飛び跳ねさせた。
体を縮こませて付近に張り巡らされたトラップワイヤーからのダメージを最小限にしつつ、空から切腹丸を狙う。
「空は身動き取れねぇぞ!」
再び鎌を投擲する切腹丸。
しかし羅刹女は慌てずに縄を放った。
「それが、身動き取れちゃうんです」
別の木へくくりつけた縄によって軌道修正。
切腹丸の鎌を避けつつ、その懐に入り込む。
飛来した勢いを殺さないまま、羅刹女はその拳を叩きつけた。
「甘ぇ!」
切腹丸は身を捩ってそれをかわす。
当たれば一撃死だろうと当たらなければ問題ないし、そもそも今の切腹丸は当たっても死なない不死の体だ。
羅刹女の拳は空を切り、そのまま地面に叩きつけられる。
――しかし、そこまでが羅刹女の術中!
「……『川』とは自然の境界線。そして人々は、そこにあの世とこの世を隔てる境目を見た」
地面に亀裂が入る。
羅刹女のパーカーのフードから落ちたコインが、その亀裂に落ちていった。
「……『絶死の断崖』」
地面に入った亀裂の『線』にコインが触れて、不可視の『川』が発生する。
それは当然、切腹丸のすぐ目の前。
羅刹女は地面に突き立てた己の拳を支点にして、ブレイクダンスのように体を回転させて切腹丸の背中へ蹴りを放つ。
――当たれば押し出されて、死ぬ。
「キルッ!」
それを察すると瞬時に、切腹丸は己の胸を切り裂いた。
肩から腰にかけて斜めに引き裂き、羅刹女の足がそこを素通りする。
切腹丸の体は接合して復元するも、バランスを崩してその場に倒れる。
その隙を羅刹女は見逃さない。
デタラメな体勢から力任せに体を弾いて、切腹丸へと覆いかぶさった。
切腹丸は拘束を解こうと腕を上げるも、羅刹女はすぐにその左手を押さえつける。
既に修復しかけている切腹丸の胴体を馬乗りになって押さえつけ、完全なマウントポジション。
羅刹女はそのまま相手の首に右手を押し付けた。
「ぐっ……!」
切腹丸がうめき声をあげる。
単純に、首を絞めただけ。
だが単純にして基本的な攻撃だからこそ、力の差が大きいこの状況下では効果的だ。
能力よりも、絶対に抜け出せないこの状況を優先する羅刹女の判断。
身動きが封じられた切腹丸は、なすがままに首を絞められる。
「……あ……ぐ……」
首の血管が絞まって、脳へ送られる血液が途絶える。
羅刹女は首の骨を折らないよう、優しく絞めた。
折ってしまえば再生されるし、酸素が入り込んでしまうかもしれない。
指先に相手の体温を感じながら、羅刹女は手の力を調節した。
――このまま絞め落とせば、殺せる。
羅刹女がそう考える中、切腹丸は絞り出すように声をあげた。
「……すま、ねぇ……な」
その瞳に映るのは、少女への憐れみ。
「んな顔、させるつもりじゃ……なかった」
そんな悲しげな声を聞いて、羅刹女は自身のしている表情に気づく。
相手が誰だろうと……自分とどんな関係があろうと関係ない。
相手が家族だろうが、出自を同じくする兄弟のような相手だろうが気にはしない。
羅刹女はただ殺す。
彼女は殺人鬼で、そして彼女にとって殺人とは生きていれば発生するだけのただの自然現象だ。
……だからこそ。
「……なんで、私――」
それはそれとして、悲しい。
「――殺しちゃうのかな……」
両親を殺した。そこになんのためらいもなかった。
それはそれとして、愛してくれた人たちがこの世にいないのは寂しい。
嫌いな親戚や、自分を利用しようとした相手を殺した。べつに必要に迫られたわけではなかった。
それはそれとして、そいつらが死んだときはスカッとしたし今も清々しい。
羅刹女の目から一筋の涙が溢れ落ちる。
彼女は生きている限り、死と向き合い続けなくてはいけない。
自身が機械のように殺人を繰り返す存在だから。
そうなるように作られた、人工的な存在だから。
人医師が治してしまった、彼女という存在が生まれながらに抱える『殺人鬼としての性質』と『人の心』のズレが生む歪み。
それは生まれながらに起こってしまった心の不和。
即ちそれは、先天性疾患。
「……健全じゃ……ねぇ……」
切腹丸は押さえつけられていない、右手を伸ばす。
羅刹女の頬に手を当てて、涙を拭った。
「俺が……治療……してやるよ」
「……余計なお世話です」
羅刹女は瞼を震わせながらも、一層その手に力を込める。
そうして切腹丸は――笑った。
「……油断するなって言ったろ」
切腹丸は羅刹女の後ろに視線を向けていた。
羅刹女はハッとして後ろを振り向く。
そして自分の行動を後悔。
こんなタイミングで、仲間が駆けつけるような都合の良いことが起こるはずがない。
つまり今の言葉は虚言。
一瞬でそこまで考えた羅刹女だが、視界に入った光景に自身の考えを否定した。
――顎。
羅刹女の眼前に、口を大きく開けた美少女の姿があった。
数は全部で4。
金髪の美少女たちは次々と羅刹女へと飛びかかり、噛みついた。
……………
「ガハッ……! ゲホッ……!」
羅刹女が美少女たちに襲われている間に、切腹丸は拘束を脱け出して距離を取る。
一瞬の隙だが、拘束を解くには十分な隙だった。
「……俺が動物園に来た理由、言ってなかったな。俺はある美少女を探しに来たんだ。そいつはちょっとした変態でよぉ……生き物を美少女に変えるのが趣味なんだわ。どうやら逃げる為に、囮として何匹か猛獣を自分そっくりの美少女に変えていったらしいな」
羅刹女が金髪の美少女の頭を打ち砕く。
粉砕された首から下の肉体は、ライオンの物へと変わった。
「そいつら、血の匂いに誘われてやってきたみてーだな。……忠告したろ? 『血を出しすぎだ』って」
「……うるさいですね」
羅刹女は苛立ちを隠さずに、二匹目、三匹目の美少女を吹き飛ばす。
「なんなんですかあなたは……私にどうしろって言うんですか! 私に殺すなって……殺人鬼をやめろとでも言いたいんですか!?」
「んなこた一言も言ってねーよ。俺達に殺人衝動を抑えられるわけがねーだろ」
切腹丸はヘラヘラとした笑みを浮かべる。
それは余裕のない羅刹女とは対照的だった。
「……けどよ。んな辛い顔してこの先どうすんだよ。一生そうやって殺し続けるのか? 少しでも愛着が湧いたヤツを殺す度に『辛いよ悲しいよ誰か助けて〜』……ってさ。誰もお前を助けてくれるやつなんていねーのに」
「……それは」
「……だからよ、楽しむんだ。殺人鬼はどこまでいっても孤独な存在だ。お前を認めてくれるのは、お前自身しかいねぇ」
切腹丸は舌を出して笑う。
「他人を殺し、それによって生を享受する。それが俺たち殺人鬼だ。もしそれができねぇってなら……」
切腹丸は被っていた帽子のツバを前にする。
その野球帽には、『地獄』の二文字が書かれていた。
「お前は殺人鬼に向いてねぇ。ここで引導、渡してやるよ」
羅刹女はそんな切腹丸の様子を見て、悲しげに笑った。
「……なにそれ、変なの」
羅刹女は襲いかかってきた四匹目の美少女を、後ろ手に一撃。
一瞥もせずにその顔を粉砕する。
血に濡れたその手を見ながら、強く握りしめた。
「でも……そうですね。せっかく治ったんです。スッキリしましたし……私は、今を受け入れます」
羅刹女は切腹丸を見つめる。
その瞳には決意の光が灯っていた。
対する切腹丸も、穏やかに笑う。
「……ああ、それでいい。これで教えることは、なんもねーな」
全てを伝え、生まれながらの殺人鬼たちは対峙する。
……………
先に動いたのは、羅刹女だった。
彼女はその腕を頭の上で一度クロスさせると、左右に向かって振り下ろす。
それと同時に、あたりに何本もの縄と小銭が散らばった。
「『三途渡しの六百貫文』」
バラ撒かれたコインが縄に、そして切腹丸の設置したワイヤーに触れて無数の『川』を生成する。
森の中のいたるところに次元のブレが発生し、歪んだ景色はまるで銀河のような幻想的な雰囲気を醸し出す。
四方八方に死の『川』が広がったまま、羅刹女は姿勢を低くして切腹丸の方へと飛び込んだ。
それはレスリング競技で行われるタックルに近い動き。
もしそれに捕まれば、その瞬間どこかしらの『川』に飛び込まれて即死することだろう。
一方の切腹丸は引かずにそれを迎え撃つ。
「Die・Set・Done!!」
羅刹女の動きに合わせ、レインコートの内側から取り出したサーモバリック怨霊刀を振り下ろす。
それは怨霊の力を爆発力に変える呪いの刀。
数匹の獣を殺した今の羅刹女になら、その効果は十分に見込める。
……しかし。
「……はああっ!」
羅刹女はその刀に向かって正面から拳を突き立てた。
筋力によって二倍以上に膨れ上がった剛腕は、その刀を正面から受け止める。
――とても切れそうにない!
切腹丸の心に刻まれているのは根源的なる力への恐怖!
何度も殺され、そして力強く押さえつけられた、羅刹女の右腕。
切腹丸の今の華奢な腕では、切断できそうにない力の象徴!
切腹丸の顔がそれに歪んだ瞬間、羅刹女は再び地面を蹴る。
――捕らえた!
羅刹女が手を伸ばした瞬間、切腹丸の体が分解される。
「キルキル――フェスティバル!」
自身の体をワイヤーにて切断し、無数のパーツにバラした。
続いて切腹丸の懐から、白い霧が立ち込める。
「スチームエクスプロージョン!」
羅刹女の視界が塞がれた。
羅刹女は焦りの表情を浮かべる。
――迷っている暇はない!
首、心臓、手足……これまでの戦いを思い出す。
金髪のライオン少女は、頭が粉砕された時に不死身を解除されて死んでいた!
よって、狙うは……頭!
羅刹女は狙いを定め、縄を放つ。
少女の首をくくって、それを抱えたまま『川』を越えた。
「――タッチダウン!」
ラインを越えて、地面に首を置く。
そして同時に霧が晴れた。
地面に突き立てたその首の金髪が、ライオンのたてがみに戻りながら虚空に消えていく。
「別人!? もしかして殴り飛ばしたヤツが死んでなかった……!?」
「……キルキル……斬ール!」
それは後ろから。
脇腹より肝臓、次いで背中から腎臓を突き、太ももの大腿動脈を斬りつける。
だがそんな攻撃を受けても、羅刹女はひるまない。
一瞬の後に羅刹女は振り返って切腹丸を捕まえた。
抱きつくようにしてホールドすると同時に、関節を極める。
切腹丸はその華奢な体では身動きもとれない。
そうして羅刹女は切腹丸の体を持ち上げた。
「一緒に……渡りましょう」
そのまま倒れ込むように、『川』を越える。
――気が付けば……それはこの世から消失していた。
「……ああ」
羅刹女は仰向けに寝転がる。
まだ雨は降り続いていて、その頬を濡らした。
「あったかいなぁ」
羅刹女は抱きしめる。
黒髪の美少女を。
天涯孤独の身の彼女にとって、唯一その出自に接点のある可愛らしい少女を。
強く、優しく、抱きしめた。
――彼女が気が付いたとき、すでに『彼女の出した川』はこの世から消失していたのだった。
『川』は一定の時間が過ぎればその力が霧散して、空間は元に戻る。
羅刹女が切腹丸を抱きながら倒れ込んだその時……冥界へと繋がる通路の利用期間はすでに締め切られていた。
……『――迷っている暇はない!』。
彼女が急いでいた理由は、その能力の展開時間によるものだったのだ。
「あとちょっとだけ……間に合わなかったみたいですね」
羅刹女の体温が急速に失われていく。
流れ出る血の量は多い。
切腹丸が後ろから切りつけた部位は人体の急所である。
どれも通常の人間であれば、手当てしなければ数分ともたない致命の一撃を三度。
羅刹女は普通の人間ではないが、急所を突かれて生きていられるほど不死身でもなかった。
切腹丸は手を伸ばす。
これまでの彼女の半生を労うように、ゆっくりと頭を撫でた。
「あとは任せな。お前の分まで殺しといてやる」
「……うん、ありがとう。なんだか……疲れちゃいました」
「そうか。ゆっくり寝とけ」
「はい……お兄ちゃん」
そうして羅刹女は目を閉じた。
切腹丸はしばらくそのままでいた後、彼女の体を丁重に埋葬した。