──愚かな、女の話をしよう。
無意味な殺人を延々続け
愛息の蘇生のために
母を想う子を
子を想う母を
恋に焦がれる男女を
おおよそ善なる老若男女何もかもを
殺し、殺し、殺し続けた
──愚かな、女の話をしよう。
■🎬🎥🎬🎥🎬🎥🎬🎥■
チキチキチキ──古びた映写機の音が響く。
薄暗い小さな劇場に、大柄の女がいた。
女は安物の椅子に腰をかけ、スクリーンに目を向けた。
銀幕の中では少女が一人、草原を駆けていた。たわいもない、平凡な、ピクニックの記憶だ。
優しい両親に十分愛されて育ったことの分かる、健康的な笑みを少女は輝かせていた。
その少女は同年代の中では大柄で、運動神経があったようだ。
時にデカ女と揶揄されながらも、良き家族と良き友人に囲まれて楽しい毎日を送っていた。
銀幕の中の少女はどんどんと成長していく。
少女は中学では柔道に勤しんでいた。
少女には才能があった。鍛錬を続けることができる精神性もあった。
しかし、闘争心だけが足りなかった。彼女は無関係な相手を打ち倒すということが今ひとつ理解できなかった。そこに意味を見出せなかったのだ。その結果、大会で良いところまでは進むが勝ち切ることはできなかった。
そしてそんな自分に対して何か思うところもなかったので、中学最後の大会も、決勝まで進むも判定負けで終わった。15歳の夏だった。
大会の帰り道、夕暮れの橋の下で少年が不良に絡まれていた。
今時クラシカルな典型的なカツアゲであった。
少女は、少年が話したことのない同級生と気が付くと、助けに駆けだした。
別に特段の理由はない。
体が勝手に動いただけだ。
少女は不良をあっさり投げ飛ばして退散させると、尻もちをついて怯える少年に手を差し出した。
少年は、その手を夢中で握ると、顔を真っ赤にして叫んだ。
『えと…えっと!一目惚れしました!!!いきなり馬鹿なと思うかもしれないですが!お付き合いお願いします!!』
デカ女などと揶揄されたことはあっても、告白などされたことのない少女は、少年と同じくらい顔を真っ赤に染めた。夕陽がやさしく、オレンジに少年少女の全身を照らしていた。
────そんな微笑ましい一幕を、大柄の女は見つめ続けていた。
身長約180㎝の大柄な体格。
分厚いトレンチコート、黒の皮手袋、編み上げブーツと威圧的な佇まい。
巨大なボストンバッグ。黒髪ショートのウルフカット。
言わずと知れた殺人鬼ランキング一位の女である。
「…懐かしいね。私にもこんな時代があったんだよ?」
女は煙草を一つ吸うと、ゆっくりと煙を吐いた。
その姿はどこまでも妖艶だった。
左から見ても、
右から見ても。
彼女の顔には傷が無かった。
恐ろしい義手はなく、生まれたままのナチュラルな右腕が存在した。
「…コレは、殺した相手の精神か魂の残滓を劇場に括り付け、ともに走馬燈を見る能力…とやらでいいのかな?オムニボアさん?」
女は薄笑いを浮かべながら隣の席に座る雑食の殺人鬼に声をかけた。
「今更能力が割れていることに驚いたりはしないよね?貴方も私も色々見せすぎたからねぇ…」
疲れたように女は息を吐く。
「もし貴方が相手を爆殺したら肉塊が召喚される?目を潰したら走馬燈を見られない魂が呼ばれる?そんなことないよね?この能力は最期の走馬燈を相手とともに鑑賞する能力だ。ある程度の負傷の復元がなされる…いや、精神に基づいた体が用意される?」
傷から解放されたことで狂気が薄まったのか、女はペラペラとよどみなく考察を並べた。
そこにはもう柘榴女はいなかった。ただ、柘榴女の元となった大柄な女がいるだけだった。
「なんにせよ、傷が無いってのは久々だ。感謝するよ…私を殺した相手に言うのもおかしな話だけどさぁ」
■■■
愚か者の走馬燈
■■■
柘榴女の隠れ家にて、苦悶のうめき声が響く。
「フゥ~…フゥ~…」
潰れた義手が肉体に食い込み、血が流れ出る。
口腔はズタズタに傷がつき歯も何本か折れている。
肋骨にひびが入り内臓もいくつか損傷している。
その痛みを、ドーピングで無理やりごまかす。
“鬼子”曇華院麗華
“鬼ころし”呑宮ホッピー
今回の殺し合いに参戦した殺人鬼の中でもトップクラスの戦闘力を誇る武侠との連戦は、殺人鬼ランキング一位、柘榴女の肉体を大きく損傷させていた。
「柘榴女さん、動かないで…あと、頼むから私を殺すのはやめてくださいね本当…」
二日目に柘榴女をサポートした『NOVA』の面々が恐怖におびえながら必死に治療をする。
新しい義手を取り付け終わったところで、そのうちの一人の男がおそるおそるといった感じで切り出した。
「柘榴女さん…申し訳ありませんが、この治療と、二日目の映像を提供することで我々のサポートは最後とさせていただきます…」
治療の痛みに息を荒げながら、「何故?」という目をする柘榴女に男は続けた。
「我々は“ドクター”のパトロンの一味だったのですが…殺人鬼オムニボアも同じく“ドクター”勢力の残党のバックアップを受けていることが分かりまして…同じパトロン同士で争うことは出来ないのです…」
もっともな話だ。
パトロンたちは身内を傷つけてまで殺人鬼同士の争いをサポートする道理などない。
『NOVA』の面々は逃げるように消えていった。
隠れ家には柘榴女の呻き声と、強い雨の音だけが響いた。
しかし柘榴女にはどうでもよかった。
今までずっと一人で殺し続けてきた。
ただその時に戻っただけなのだから。
オムニボアの隠れ家にも、彼をバックアップしていた面々が顔を出していた。
柘榴女に告げられた内容と同じことが告げられる。
オムニボアには、一日目にビル街での戦いの下準備を手伝ってくれたVIP連中もいたが彼らも支援を取りやめると告げてきた。
「…もう少し、理由をお聞きしてもいいでしょうか?」
彼らは、このくらいならばいいだろうと語った。
二日目を終え、残った殺人鬼は四名。
柘榴女
オムニボア
キリキリ切腹丸
羅刹女
それぞれに推しが付き…莫大な金額も賭けられることとなった。
現在断トツの一番オッズは開幕時から人気一位を堅守し、武侠二大巨頭を落として見せた柘榴女。
逆に人気が低迷し断トツの最下位を走るのは華のない戦いを繰り返し、外部の狙撃手の手を借りて勝利を得たオムニボア。
オッズの差が極端になったからこそ、バックアップするVIPたちの干渉は最小限にしようという話になってしまった。現在この宴には莫大な金が賭けられている。二日目のように、人気薄のオムニボアが外部協力を決め手に勝利を収めた場合暴動が起きかねない状況になってしまったのだ。
「…話は分かりました。今までありがとうございました。最後に二日目の映像だけお願いいたします。」
オムニバスは穏やかな笑顔を絶やさなかった。
バックアップしていた面々が去った後、獲物の分析を始める。
まず共闘について考える。
が、早々にその線は消した。
どいつもこいつも自分と組むことは出来なそうな面子であったし、自分以外の者たちが協力する図も全く浮かばなかった。それほどに残った連中の“個”は強靭であり互いに相容れるものではなかった。
では、残る三名の中で与しやすい相手は誰か。
殺人鬼ランキング一位:柘榴女
おそらくは物体から感覚を抜き去る能力。
彼女の恐ろしいところは高い身体能力を持ちながらも、手段を選ばず“鬼子”、“鬼ころし”といった強者を喰らってきた点にある。
まぎれもない強者でありながら悪辣、執拗な手段をとることを全く躊躇しない化け物である。
殺人鬼ランキング二位:キリキリ切腹丸
おそらくは切断できると認識したものを切断する能力。
能力解釈の幅が広く、想定の範囲に収まらない動きをしてくる。
半ば無敵と思われていたミッシングギガントを切り捨て、電車忍者を相手の土俵で葬るなど出力は今回参加者の中で随一と言える。
殺人鬼ランキング四位(生存者内):羅刹女
能力は今一つ不明瞭ではあるが、線を超えた相手に死を与える?能力と思われる。
身体能力の高さという点で柘榴女を抑え群を抜いている。
残虐さ、不条理さも恐ろしいものがあり行動が読みにくい。
こうして見ると、随分と自分は格落ちしているなとオムニボアは自嘲した。
単純な戦闘力という点ではオムニボアは頭一つも二つも低い位置にいると言える。
だが、その差を埋めてきたのがオムニボアだ。
今更この程度の戦力差で臆することなどない。
「どれを相手にしても厳しい戦いにはなるけれど…敢えて相手取るなら柘榴女かな。激しい負傷をしている。傷が癒えないうちに落としておきたい化け物だから。」
自らの実力が一段劣ることなどオムニボアは理解している。
それでも彼はこの狂った殺人鬼どもの宴に参加し続ける。
オムニボアは、【転校生になる権利】を諦めることが出来ないからだ。
何故なら、転校生になりさえすればもっともっと多くの物語に触れることが出来るのだ。
オムニボアは命の価値を解せず、人の物語を蒐集する最低の異常者であるが
輪をかけて最悪なことにビブリオマニアでもあった。
ビブリオマニア。読書狂などと称される異常者。
彼らは、物語を収集し消化することを第一義とする。
そして、自分の知らないところで物語が生まれ、消えていくことを恐怖する。
自分の死後、数多の物語が生まれては消えていくことが耐えられないのだ。
故に、人を殺す。
他者の人生に『物語』を求めながら、その『物語』を自らの手で強制的に終わらせるという矛盾。
故に、人を殺す。
自分の知らないところで素晴らしい物語など紡がせないという傲慢。
にもかかわらず、人を選ぶ。
そんな所業に手を染めながら、
「君の物語は、これから面白くなる。だから、まだ、殺さないよ」などと嘯く救いようのない外道。
故に、能力名は『ソーマの幻灯』。
ソーマとは、インド神話に登場する無限の力と長寿を与える奇跡の飲み物。
ソーマ草という謎の植物から精製されるという。
ソーマ草は変わらぬ信仰を持ったまま死んでは生まれ変わるを六度繰り返した人間が最後の七度目に生まれ変わる姿とされる。
オムニボアの情念は、死んだとて変わらないだろう。
左腕を失い顔の一部が焼き爛れても。
ビル街を、劇場を丸ごと破壊したとしても。
もっともっと、物語が読みたくて仕方ないという情念が消えていないのだから。
「…さて、どうやって柘榴女を呼び出しましょうか。」
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チキチキチキ──古びた映写機の音が響く。
薄暗い小さな劇場に、大柄の女がいた。
女は安物の椅子に腰をかけ、スクリーンに目を向けた。
銀幕の中の少女は、少年の告白を受け付き合うことになった。
半ば勢いに流されて付き合う形になったわけだが、少女にとって少年といる時間は心地よいものだった。
少年は少女と違い小柄でひ弱ではあったけど、どこまでも優しかった。
あるデートの日、道端で女の子が泣いていた。
大切なキーホルダーをドブ川に落としてしまったと叫んでいた。
少年は少し困ったような顔をしたまま、
デート用の一張羅が汚れるのも構わずドブ川をあさり女の子にキーホルダーを手渡した。
『ごめんね…せっかくのデートなのに、こんなことになっちゃって…』
『…ううん、いいの。そういうところがいいんだから』
少女の言葉に嘘はなかった。
こういう少年だから不良に絡まれたり悪意ある人物にカモにされそうになることは多々あった。
そんな少年を守るとき、少女はいつも以上に力を出せた。
少女に見知らぬ相手を打ち倒す闘争心はなかったが、何かを守ろうとする意志は人一倍あったのだ。
「…うん。そうだ。そうだった。彼のおかげで、私は自分の道を定めたんだった。誰かを守る。そんな仕事をしたいと思ったんだ…」
誰にともなく女が呟く。
女の呟きとは関係なく走馬燈は続いていく。
少年と少女は緩やかに、だけど確実に愛を深めていった。
付き合って一年後にキスをした。
触れ合うだけの優しいキスだった。
付き合って一年半後に舌を入れるキスをした。
目の前にバチバチと光が走った。
付き合って二年後にセックスをした。
これが早いか遅いかは二人にはよく分からなかった。
ただ、どうしようもなく幸せであることは確かだった。
気が付いたら少女は魔人能力に目覚めていた。
誰かを何かから守りたい。そんな思いが結実したのであろう。
人を守りたいという思いはどんどんと強くなり、目についた不良を倒し、犯罪もどんどんと防いでいった。
その才能は、魔人警察から卒業後のオファーが来るほどであった。
そんな青春を過ごしながらやってきた、付き合ってから三年後の夏。
『…僕は、貴方を守れるほど強くないかもしれませんが、貴方が落ち着くことのできる場所を作ることは出来ると思います。…僕と、結婚してくれませんか?』
夕暮れ。河川敷。
出会い、告白をした場所で少年は指輪を差し出した。
少年は既に卒業後の就職先が決まっていた。
少女も魔人警察としての道が内定していた。
大柄な少女は、この時ばかりはずいぶんと小さくなって、静かにこくりと頷くと指輪を受け取った。
どこまでも、いつまでも、幸せが続くような感覚の中に少年少女は在った。
「…どうして、壊れると分かっている幸せは、振り返るとこんなにも美しいのだろうね?」
女は、達観した様子で煙を吐いた。
走馬燈は淡々と続く。
続いてしまう。
────全ての幸せが砕け散るあの日まで。
■■■
ウーウーウー…
夕方に童謡の音楽が流すスピーカーが警報を流した。
警報は池袋全体に響き渡った。当然、柘榴女の隠れ家にも。
その警報は非常に簡素で、一般人には理解できない内容であった。
ザクロ へ ツゲル チカテツ へ コラレヨ
防災行政通信網。
“パンク・キャノン”たちが利用した手をオムニボアは応用した。
短期決戦は望むところ。
柘榴女は地下鉄池袋駅へと向かった。
地下鉄池袋。
丸ノ内線と副都心線と有楽町線が複雑に絡み合う迷宮駅。
新宿、渋谷、池袋の三駅をもって都内三迷宮とされている。
普段であれば人でごった返す複雑怪奇な駅は、まばらな人影しかなかった。
「そりゃあもみ消しは完璧ですけどね? でも、人の漠然とした『恐怖』までは消せない。自然災害の前に鳥の群れが飛び立つみたいなもんです。こういうとき、人って動物なんだなって思いますよ。」
とは、Dr.Carnageをサポートしていた黒いフードの女の言葉であったが、まさにその通り。
最上級の恐怖の前触れを感じて人々は池袋から逃げ出していた。
互いに互いのこれまでの映像を見ている。
当然顔は割れている。
まばらな人影の中、オムニボアの姿を追いながら柘榴女は地下へ地下へと降りて行った。
そうして辿り着いた地下鉄池袋の最奥、有楽町線のホームにて二人の殺人鬼は邂逅した。
互いに三日続けて最善の戦いを出来るわけもなく。ともに準備も装備も最小限。
しかして気力は充実。血生臭い殺気を猛烈にぶつけ合う。
その殺気にあてられ、まばらだった人影がさらに少なくなる。
皆涙と、場合によっては尿を零しながら恐怖に震えて最悪の殺人鬼どもから逃げていった。
余りの恐怖に腰が抜けて立てない人々もいた。
小柄な少年と大柄な中年という漫才コンビのような二人は、歯をガタガタと震わせ、その場で失禁をしながら床に崩れ落ちていた。
品のある高齢女性も、恐怖のあまりブランドバックに嘔吐した後気を失った。
柘榴女はそんな弱い魂は獲物ではないという風に、
最初から目に入っていないかとでもいうように、惨状を気に掛けなかった。
二人は殺し合いの前の会話を交わす。
「あらためて初めまして。オムニボアといいます。…もう、名前は知っているかな?」
「ああ…まぁさすがに残った面子の名前くらいは知っているよねえ…私も名乗る必要あるかい?」
「それは結構ですよ。まずは誘いに乗っていただいたことを感謝…。貴方を、『物語』として読ませていただく」
オムニボアの理屈は柘榴女には全く理解できなかった。
早速狂気が顔を出し、オムニボアに宣戦布告をした。
「シ、し、知らな~い!!そんなことより!貴方の魂!マー君に捧げゲゲゲなくっちゃねぇ!!」
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チキチキチキ──古びた映写機の音が響く。
薄暗い小さな劇場に、大柄の女がいた。
女は安物の椅子に腰をかけ、スクリーンに目を向けた。
銀幕の中の少年少女は若くして結婚をした。
少女にオファーを出していた魔人警察は、少女に子供を作ることを勧めた。
今のご時世であればそれはセクハラ扱いされたかもしれないが、魔人警察は真剣に少女のことを考えて勧めたのだ。まだまだ女性の比率の少ない魔人警察。上を目指すのであれば、就職前に子供を作ったほうが有利だ。
そして何より、明日の命が保障されない仕事である以上、早めに子供を作っておいた方が良かった。
その勧めに従い、少年少女は子供を作った。
少女にとって、大切なのは夫である少年であり特に子供に興味はなかった。
だから、ある意味打算で子供を産んだと言える。
しかし、いい意味で予想外に、生まれた子供は彼女に衝撃を与えた。
余りにも愛らしく、可愛い、小さな命。
その柔らかな手を握るだけで無限に力が湧いてきた。
この小さな命を守るためならば、何でもできると本気で思った。
思ったのだ。
劇場の大柄の女が、ボロボロと涙を流す。
「ああ…ああ!マー君!私の宝物…!」
それ以上は言葉にならなかった。
女はただひたすらに涙を零した。
ひとしきり泣いた後、少し落ち着いたのか、ゆっくりと語り始めた。
「子供というのがさ、あんなに力をくれる存在だなんて私は想像もできなかったんだ。
信じられるかい?あの儚さ!今にも崩れそうな柔らかな手が、
ゆっくりと私の指先を握った時の幸せが!
夫と結婚した時、世界はこんなにも輝くんだって感動した。
これ以上の幸せはないだろうって、本気でそう思った。
それがさぁ!あっさり更新されてしまうのだから驚きだよ!
この子のためなら私は無敵のヒーローになれる。そう思ったものさ!」
女の言葉を証明するかのように、銀幕の中の母は目覚ましい活躍を見せた。
組織の最前線で、一切臆さず犯罪者に立ち向かっていった。
圧巻だったのは麻薬密売のルートを壊滅させたことだ。
大量の雑魚戦闘員たちは無臭にした催眠ガスで抵抗する間もなく昏倒させた。
用心棒として雇われた魔人たちを透明化した戦術ドローンで無力化した。
最終的には透明化した特殊アーマーで散弾銃を受け流し、電磁警棒で主犯格を気絶させた。
それだけに飽き足らず、児童の臓器売買も防いだ。
息子と同じくらいの年ごろの子供たちの命を守るため、我が身を顧みず悪党どもの巣窟に飛び込み組織の人間数十人を捕獲、戦闘魔人数人を撃破、密輸船ごと海の藻屑としてみせた。
まさに八面六臂、勇猛邁進、愛息のヒーローにふさわしい活躍であった。
────終わりの見えている活躍は、どうしてこうも輝いて見えるのだろうか。
■■■
「ウヒ!ケヒャヒャヒャー!!」
柘榴女が猛然と仕掛ける。
透明化した警棒、透明化したボーラ、小型火炎放射器と手札を切り続ける。
その猛攻を、オムニボアは必死に躱す。
単純なスペック、攻撃力という点では明らかに柘榴女に分がある。
よって、オムニボアは事前に情報を集めるだけ集めて防御に徹することにした。
VIPたちによるバックアップを受けられなくても、事前に仕掛けが出来なくても、
Dr.Carnage…否、水崎 紅人のカルガネによる猛攻を防いだ本人の防御能力は健在である。
仕掛けの割れている攻撃であれば躱し、受けることが出来る。
「ヒヒヒィ!やるねえ!ただ、逃げるだけで精一杯かい?それじゃあ~勝負は見えてるねぇ!!」
柘榴女の言葉は正しい。
逃げ、受け続けるだけでは柘榴女を倒すことは出来ない。
体力を消耗し、いつかは仕留められてしまう。
オムニボアがやっているのは延命処置に過ぎない。
オムニボアに勝ち目はない。
一人で戦う限りは。
オムニボアは、一日目、二日目の映像だけでなく
柘榴女がランキングに入るまでの全ての映像に目を通していた。
その映像の中には、とある飲み屋で女将が惨殺される映像もあった。
その中で柘榴女は確かに叫んでいたのだ。
「私に勝てるわけもないのに!息子の仇と勝負を挑む!!アヒ!良い!良いよ!“美しい魂”になってくれてありがとうねぇぇぇ???」
と。
【私に勝てるわけもないのに】
それは、柘榴女が持つ僅かな傷。
非魔人である一般人なんぞに殺されるわけがないという傲慢。自信。
魔人であっても脳を撃ち抜かれれば容易く死ぬ、と“博しき狂愛”に語ったDr.Carnageとはまるで違う認識の甘さ。
その甘さを、オムニボアは突いた。
「う、うわぁぁああああああ!!!」
自身を鼓舞するような絶叫とともに、細身の少年が柘榴女に向かって走り、ぶちかましをした。
失禁し、腰を抜かしていたと思われ、放置されていた少年である。
少年の名は鈴木冬人。神社で柘榴女に惨殺された巫女、鈴木夏樹の弟である。
「畜生!!死ね!!死ね化け物!!」
続けざまに、大柄な中年が柘榴女に体当たりをした。
同じく放置されていた中年。
中年の名は大倉浩二。神社で柘榴女に嬲り殺された警備員、大倉陽介の父である。
Dr.Carnageを打破するのに“ドクター”と関係のある警視庁特殊部隊所属の男に狙撃を頼んだ時と同じように、オムニボアは柘榴女に恨みを持つ一般人を集めていた。
『ソーマの幻灯』を用いれば、そういった情報を集めるのは朝飯前であった。
完全に虚を突かれた柘榴女は、二人のタックルに体勢を大きく崩し、後ろに倒れこんだ。
そこに、無慈悲なる鉄の塊が突っ込んできた。
時間を完璧に計算した一撃。これが来るまでオムニボアは防御に徹していたのだ。
地下鉄池袋、有楽町線和光市行きが、倒れた柘榴女の左顔面を削り飛ばした。
頭蓋と脳漿の一部が駅の構内に飛び散った。
強大な質量の一撃を前に柘榴女は無様に吹き飛ばされ、ピクリとも動かなくなった。
オムニボアは、勝利を確信した。
殺人鬼ランキング一位、驚異の柘榴女は確かに死んだのだと。
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チキチキチキ──古びた映写機の音が響く。
薄暗い小さな劇場に、大柄の女がいた。
女は安物の椅子に腰をかけ、スクリーンに目を向けた。
遂に、あの日がやってくる。
女の幸せも何もかもすり潰されたあの日が。
銀幕の中の女は、幸せいっぱいの顔で誕生ケーキを運んでいた。
自身の宝。愛息のマー君の4歳の誕生日のために近所のケーキ屋に頼んでいたケーキ。
マー君が好きなキャラクターを書いてもらった特注のケーキ。
女の気が緩んでいたのか。
襲撃者の実力が上だったのか。
それはもはや語る必要のない話だ。
ただいま、と家の扉を開けた瞬間に飛び込んできたのはスレッジハンマー。
凶悪な打ち下ろしが、女の右顔面を額の上から顎の下までかち割った。
女は一撃で意識を失った。
『うしっ!不意打ち一発大成功!コイツ、強いからなぁ。面倒にならなくてよかったぜ』
襲撃者のチンピラは三人。
女を襲った、筋肉質なスレッジハンマーのチンピラ。
薬でもやっているのか、目がうつろなナイフを構えたチンピラ。
リーダー格であるのか、指示を的確に出す片目のチンピラ。
三人のチンピラは気絶した女を拘束すると、リビングまで運んだ。
女は、愛する夫の悲鳴で意識を取り戻した。
『お?目覚めたぁ?遅かったからさぁ~、だいぶ進んじまったよ!』
女の目に、夫の変わり果てた姿が飛び込んできた。
皮を剥がれ、目を抉られ、歯を折られ、歪なクリスマスツリーのように様々な物体を体中に埋め込まれている無残な姿が眼前に横たわっていたのだ。
あの、小さな幸せを愛し、どこまでも優しかった夫は、理不尽な暴力の前にボロクズと成り果てていた。
『あ…ああああぁぁ!!何を!!お前ら何をおおおお!!!』
叫ぶ女を無視し、チンピラたちは夫を更に嬲った。
銀幕の中の夫はまだ叫び続けている。
骨を砕かれ、皮を剥がれ、おもちゃのように、それでいて執拗に遊ばれている。
遂に心が折れた夫は、必死に命乞いをした。
『どうして…どうしてこんなことににぃぃい??』
『嫌だ…痛い痛い!死にたくない!お前!お前のせいでこんなことに!』
『僕だけは助けて…僕は何も、何もしてない!』
『目、目がぁあ!!?ハ、歯、歯ぁ?ギャブ!!あぎやぁぁ!』
『ごぼ、おげぇ…妻はどうなってもいいから…僕だけは…ボ!』
妻はどうなってもいい。そうハッキリ口にしたところでチンピラたちは女に振るったスレッジハンマーと同じものを夫の頭蓋に叩きつけた。メコッというどこか間抜けな音とともに脳漿がフローリングの床に撒き散らかされた。
その惨劇を、劇場の女は何かに耐えるような顔でじっと見ていた。
「…やっぱり、辛いなぁ。うん。辛い…」
どこか達観したような、それでいてどこまでも悲しみに染まる瞳で女は零した。
「ほとんどの人間は痛みに勝てない。…というよりも、痛みに勝てる人間のほうが異常なんだ。骨を砕かれ、皮を剥がれれば大抵の人間は意志と裏腹な言葉だって平気で口にする…」
涙が一つ、静かに女の頬を伝った。
「夫は確かに私を愛してくれていた。死に際に拷問されて零した罵倒は、あの愛情の日々を曇らせるものではない。そう分かってはいるけど、やっぱり辛いんだ。あの人が最期に口にした言葉がアレというのは…」
想像を超える惨劇に冷や汗をかくオムニボアの肩を、女は抱き寄せた。
「でもそれも、この後の地獄に比べればおままごとかな。どうしたオムニボア?頼むから席は立つなよ?これは貴様が始めた物語だ。貴様が始めて、貴様が私に見せつける物語だ。───席を立つことは許されない」
古びた映写機が、無慈悲に映像を流し続ける。
流れるのは、数え切れないほどの走馬燈を覗き見してきたオムニボアですら絶句する鬼畜の所業であった。
女の、4歳になったばかりの愛息、マー君は声を必死に殺し押入れの奥に隠れていたが、あっけなく見つかると髪を鷲掴みにされて女の前に引きずり出された。
痛みにマー君が泣き叫ぶ。
まだ4歳だ。これまで泣かずに隠れていられただけ賞賛すべきであろう。
その賞賛は誰の心も慰めはしないが。
泣き叫ぶマー君は、『ママ!ママ!』といつも自分を守ってくれるヒーローの名を叫んだ。
その期待の声に応えることが出来ないことが、女にはただただ辛かった。
『全~然、大きな声出していいからなぁ?俺の能力の効果で、誰にも声は届かねえからよぉ…』
そういうとうつろな目をしたチンピラは鈍く光るナイフを取り出し、マー君の頬に押し付けた。
『ママ~?お前のせいだぜ?お前が余計なことをしたから旦那もガキも死ぬんだ。ほら!しっかり見ろ!脳髄にお前の所業を刻みつけながら死ね!!死ね!』
女の記憶に刻み込もうとするかのように、ナイフのチンピラは割れたばかりの傷を指で無造作にぐちゅぐちゅといじった。
『や…やめて!!それだけは!!お願い!私は何でもする!死ねというなら今すぐ死ぬから!!一生嬲られ続けたっていい!犯してくれて構わない!警察の資料も情報も、何もかも差し出す!だから!!だから!!』
傷の痛みも気にならないというように半狂乱で謝罪を繰り返す女の脇腹を、チンピラたちは容赦なく蹴り上げた。ぐぶりという鈍い音が響き、女は血反吐を吐いた。
『ナマ言ってんじゃねえぞクソアマぁ!てめえが潰したヤクのルート!臓器販売のビジネス!うちのボスがいくら損したと思ってんだゴラ!バカメスが一生尽くしても埋められる穴じゃねえんだよ!!』
片目のチンピラが興奮気味にまくしたてる。
『てめえに潰された臓器売買!うちの兄貴は責任のために山にバラされた!俺は目玉を持ってかれた!組織としても、個人としても、てめえには苦しみ尽くして死んでもらわなきゃいけねえんだよ!!これは面子の問題だ!』
女は自分でも、もう最悪の悲劇は避けられないと理解していた。
しかしそれでも、刹那の先の僅かな希望であっても、女は縋らずにはいられなかった。
『待って…お願い…それだけは…頼むから殺してください!私を何回でも殺してください!』
懇願する女の前で、マー君の白くやわらかなお腹に銀色の刃が走った。
ナイフのチンピラは手慣れた様子で薄皮一枚分切り裂くと、カエルでも解剖するかのように、べろりと幼子の皮を剥ぎ広げた。
『アアアアァァアァァ!!!助けて!!ママ!!ママああ!!』
愛息の絶叫が響き渡る。
『やめ!!やめてぇえええ!!お願い!!お願いだから!本当に何でもする!!頼むから!』
女と幼子の絶叫を、外道どもは鼻歌交じりに笑って聞いた。
『お~う。良~い声で鳴くねえ。俺のぽっかり空いた眼窩に染み渡るぜぇ~』
『ヒャハハハ!俺は女とガキを殺すのが好きでこの仕事やってるんだよ!その調子で鳴きな!』
『でもちょいと暴れすぎで鬱陶しいな…と!!』
スレッジハンマーのチンピラが、マー君の両手足に杭を打ち込み壁に貼り付けにした。
丸々とした手足が無慈悲に壁と一体化した。
『やめ!やめ!ふぐぅぅぅ…!』
女は死に物狂いで暴れたがどうにもならない。
両の目からは涙がとめどなく零れるが意味はない。
血が溢れるほどに強く噛み締められた歯も役に立たない。
『まだ暴れんのかよコイツ。面倒だから大人しくさせんぞ~』
片目のチンピラが鉈を取り出し、暴れ狂う女の右腕を落とした。
ゴリっという骨を断つ音とともに女の右腕は床に転がった。
『あぎぃぃぃ!!』
痛みと怒りと絶望で血の泡を吹き悶絶する女。
それを笑いながら鬼畜どもは宴を続けた。
その宴に対して、女は必死で何かを続けた。
時には挑発し、時には懇願し、時には暴れ、愛息に向かう暴力が少しでも自分に向かうよう努めた。
しかし、結果としてそれら全ては徒労に終わった。
愛息への拷問は小一時間ほど続いた。
涙も枯れ果て、芋虫のように地を這うばかりの女の前に、小汚いボールのようなものが投げられた。
この薄汚れた物体が、ほんの数時間前まで生誕を祝福されていた幼子の頭部だと誰が理解できるだろう。
『じゃあなバカメス。お前は見せしめだ。そのままゆっくり死んできな!』
チンピラたちは笑いながら女の家を出ていった。
べちゃりと地に落とされたマー君の頭。
物言わぬ物体となってしまった愛息に女は這って近づく。
『ごめ…ごめんね…お母さんが弱かったから…お母さんが…お母さんなのに…お母さんが…』
連絡がないことを不審に思った警察の仲間が救助に来るまで、
女はひたすらに謝罪の言葉を虚空に投げていた。
■🎬🎥🎬🎥🎬🎥🎬🎥■
チキチキチキ──古びた映写機の音が響く。
薄暗い小さな劇場に、大柄の女がいた。
女は安物の椅子に腰をかけ、スクリーンに目を向けていた。
空気が震える。
絶望的な、狂おしいほどの怒りが劇場に渦巻いていた。
ギョロリと音を立て、女はオムニボアを睨みつけた。
憤怒、としか言いようのない表情。
顔中の血管が浮かび上がり、歪み切ってぐしゃぐしゃになっていた。
「よくも…よくも見せてくれたな…この私に!これを!!!二度までも!!!!」
全身を怒りと悲しみで小刻みに振るわせている。
先ほどまでのどこか達観したような、冷静な女はどこにもいなかった。
そこには、オムニボアの行為によって“二度目の精神的殺人”を受け再び狂った女が在った。
「許せない…貴様の所業はどんな鬼畜にも劣る犬畜生の振舞いだ…!私に!これを!これをおおおお…」
女が髪を乱暴にかきむしる。
美しい黒髪が血とともに何本も抜け落ちた。
女は絶望的な怒りと悲しみ、涙に顔面を染めながらオムニボアを指さして叫んだ。
「もっとも許せないのは!この怒りを!絶望を!悲しみを!貴様がつまみ食いしたことだ…覗き見したことだ!!どうして…どうして…せめて、“私だけの苦しみ”にしてくれなかったの…どうして…どうして…」
女の慟哭にも、オムニボアは何も答えない。
「どうした…オムニボア…言ってみせろよ。『──うん、いい物語だった』ってさぁ!!!囀ってみせろよ!!!『これが見たかったのだ』とさぁ!!言った瞬間に殺してやるから!!!」
オムニボアはまだ沈黙を続ける。
「それともあれかい?『体調を崩すほどに・・・面白く、ないっ!!』とでも言うかい?嘯いてみせろよ!!『私には趣味の合わない物語でした』と!!私の人生を駄作扱いしてみろぉ!オムニボア!その瞬間に首を捩じ切ってやるから!!」
オムニボアは、何も言葉を返さなかった。
「柘榴女は、最悪の一日ですべてが狂気に染まった被害者だ。
狂気に染まってはいるものの、行動原理は一貫していて分かりやすい。
すなわち、愛息の蘇生。
そのために無実の人々を殺し続けるという在り方は歪んでいるが…
愛があるのは事実なのだろう。
貴方のその愛は、自分より強大な武芸の達人二人を打破するほどだった。
母の切々たる愛を否定できるものなどいるだろうか。
柘榴女は確かに悍ましく救いようのない怪異ではあったけど、
根底にあったのは確かな愛の物語だったのだと、ぼくは思うよ」
────そんな言葉を、飲み込んだのだ。
女はオムニボアを他人の人生をつまみ食いする外道と評したが、言い訳の余地はない。
彼は女のこの悲劇を見てすらも、「いい物語だ」と思い消化していた。
どこまでも雑食な人でなしの生き方。
ただ、そう思ったことをわざわざ死にゆく哀れな女に告げる必要はないだろうと、優しさ未満の配慮で言葉を飲み込んだだけだ。勝者が敗者に…死者に対してこれ以上何もする必要はないだろうと。
酷く傲慢な優しさ。
【だからぼくは、人であっても人間ではないのだろう】
【人外にもなりきれない、人間にもなれない、半端ものだ】
とはオムニボア自身がDr.Carnageに送った言葉であるが、まさに半端な人でなしの思いやり。
────その傲慢を、女はぶち壊した。
「許せないから…仇は柘榴女に取ってもらうことにするよ!!」
■■■
「────は?」
オムニボアの間の抜けた声が劇場に響く。
銀幕では、既にスタッフロールが流れ始めていた。
仇は柘榴女に取ってもらうことにする?意味を理解できず困惑するオムニボアに、女が告げた。
「柘榴女は、正気と狂気の間を揺蕩っているとでも思ったかい?違うねぇ!正気と狂気は別人格!互いに互いを尊重しながら一つの肉体を共有する仲間だったんだよ!」
解離性障害。
浅い症状を含めれば実は100人に1人が発症しているとの研究データもあるポピュラーな事例だ。
その中でも解離性同一障害、いわゆる多重人格は、極度のストレスや強度の外傷で発症すると言われる、いまだ謎の多い症例である。
「多重人格の条件!極度のストレスや!強度の外傷!ハハハハハ!!私に発症しない方がおかしいと思わないかい!?」
女の言葉にオムニボアが青ざめる。『ソーマの幻灯』で引き込んだのは一つの人格?
ということは、まだ殺し合いは終わっていないということである。
まだ柘榴女は生きているということである。
「お前が殺した!!お前がこっちの私を殺したんだ!よく思い出せ!電車をどちらにぶつけた?なぁ…どっちにぶつけたぁ???」
オムニボアは必死に思い出す。
地下鉄の一撃は、オムニボアのどこを抉ったのか?
「ここで豆知識だ!右脳左脳がそれぞれ何を司っているかご存じかい!?左脳は!言語!計算!論理的思考!私はこっちにいた!」
ここでようやくオムニボアは思い出した。
自分が柘榴女の左顔面を吹き飛ばしてしまったことを!
「右脳は!感情!ひらめき!そして、五感!“柘榴女”はそっちにいた!精神も魔人能力もいまだ未知の世界なれど、私たちの世界はそうだった!何度でも言うぞ!お前が殺したんだ!こっちの私を!お前が残したんだ!“柘榴女”の方を!!」
オムニボアの必殺の一撃は、目の前で怒り狂う『論理的思考』を司る、正気の女の方を殺した。
つまり、残るのは狂気に満ちた純然たる柘榴女だけだ。
オムニボアへの殺意に燃える化け物だけだ。
間もなく劇場が消えうせる。
その瞬間、純然たる柘榴女がオムニボアに襲い掛かるのだろう。
「咲き乱れろ!“柘榴女”!私を置いて駆けていけ!無残に!残酷に!その覗き魔をぶち殺せ!」
柘榴女に全てを明け渡し、もう名前も何もなくなった女は大笑いしながら劇場とともに消えていった。
■■■
劇場から戻った瞬間。
オムニボアは脱兎の如く逃げ出した。
まずはアレから距離をとること。
その判断は正しかったと言える。
沈黙したと思われた柘榴女は全身をガクガクと振るわせると、奇声とともに跳ね起きた。
そうして、ついでと言わんばかりに自分を押し出した鈴木冬人と大倉浩二を無造作に殴り殺した。
男性二人を一瞬で床の染みに変えた柘榴女は、眼球をギョロリと動かしてオムニボアを目で追うと、胸元に入れていたドーピング剤を全て首筋に打ち込んだ。
「ウェヒ!オケ!ウェヒヒッヒ!お前だけは!ぶち殺す!!」
猛然と迫りくる重戦車のような女から逃げるため、オムニボアは有楽町線の階段を駆け上がり副都心線へと向かった。幸いすぐに来ていた電車があったのでそこに飛び乗ることで距離をとることに成功した。
ほっと安心したのもつかの間。
乗った電車の屋根からべコリと音がする。
柘榴女はギリギリで追いつき、高速移動する列車の天井に張り付いたのだ。
(化け物め!)
追い詰められながらもオムニボアは考える。
高速移動する列車の天井に張り付くというだけで柘榴女は多大な体力を消耗するだろう。
無理やり侵入したとて自分以外の乗客も山ほどいる車内を進むのは困難。
かといって窓などからこちらの位置を探るのも難しい。
次の雑司ヶ谷駅まで数分という状況であれば、隠れきることが出来るのではないか?
次の雑司ヶ谷駅で乗り降りする乗客に紛れて逃げ切ることは出来るのではないか?
そう考えたオムニボアを更なる絶望が襲う。
列車の天井部分が透明化し始めたのだ。
柘榴女の『目むしり仔撃ち』は、部分的能力行使が出来ないというわけではない。
効率よく、必要な部分のみを透明化してオムニボアを探す柘榴女。
完全に狂気に包まれた柘榴女と、オムニボアの目が合った。
右顔面だけでなく、左顔面の頭蓋と肉も抉れ散った怪物。
正気の人格は消え去りあの日の惨劇で生まれた狂気のみが肉体という器に満ちた化け物。
ただ愛息のためだけに殺戮を行う機構のような存在。
自らの策でそうしておきながら、オムニボアは彼女を哀れんだ。
自らの手で、ここで殺さねばならぬ存在であると確信をした。
目が合った柘榴女に対し、オムニボアはハンドサインで次の駅で降りることを伝えた。
────最後の一騎打ちが始まる。
列車の天井からずるりと降りてきた柘榴女は、もはや人の姿を成していなかった。
過剰なドーピングにより全身の傷口は異様に膨れ上がり、眼球が異様な速さで踊る。
立っているのも億劫と言わんばかりに、手を地につけ、四足歩行の獣のような姿勢をとった。
剥き出しの歯茎からは血の泡がゴボゴボと零れ落ち駅の構内を穢した。
全身の血管が太く、青く脈うち肌をメロンのように覆った。
「ウェヒ!ウェヒヒヒィ!!殺人鬼がぁ!賢しら顔で他人様の人生悟った風な顔で語ってんじゃないよぉ~!殺人鬼!殺人鬼!地獄行きのご同輩!同じ穴のムジナちゃんがぁ~~~!!」
がはぁ、と一つ柘榴女は息を吐いた。
それは蒸気機関車のスチームを思わせた。
殺気と怒りと狂気を混ぜ込んだ警笛が柘榴女の口から洩れる。
「ポォーーーーー!!!」
真っすぐに、我武者羅に。
ただオムニボアを殺すための殺人列車が進行を始めた。
地響きを上げ猛然と迫りくる柘榴女。
戦力の差は歴然としていた。
山育ちである程度の武の嗜みがあるとはいえ、オムニボアでは“鬼子”、“鬼ころし”を下した化け物に勝つ術はない。あまりにも無謀な挑戦と言える。
ならば何故挑んでしまったのか。
柘榴女のことなど放っておいて、全力で逃げればそれで済む話ではなかったのか。
自問するオムニボアの脳裏に、Dr.Carnageの言葉が浮かび上がる。
「一日目。『パンク・キャノン』は、あのままであれば、一斉起爆によって、池袋の広範囲を崩壊させかねなかった。
二日目。『Dr.Carnage』は、死の直前に、周囲を全て薙ぎ払う災害になりかけた。
もしそうなっていたら、殺人鬼と呼ばれるレベルではない。
その範囲はもはや、災害だ。人としてではなく、現象として記録されていたでしょう。
けれど、そのどちらもが、その直前に、オムニボアに殺された。
人の『物語』に落とし込まれた。
言い換えれば。貴方は、『物語』のために、命を賭けた。
それが、貴方の『弱点』だ。
正義の英雄が義に殉じて死ぬように。
オムニボアという存在は、『物語』の美しさに殉じて、遠からず死ぬでしょう」
またやってしまったな、とオムニボアは自身を笑った。
Dr.Carnageの診断の通り、自分は『物語』のためなら命を賭けてしまう。
このままでは柘榴女は正真正銘の怪異となり、個人ではなく現象となってしまう。
それをオムニボアは認めることが出来ない。そうなってはあの狂おしいほどに残酷な愛の物語が無かったことになってしまうのだから。
余りにも分の悪い賭けに身を投じながら、オムニボアは軽く笑った。
無謀ではあれど、勝算がないわけではない。
柘榴女の攻撃には欠点がある。
オムニボアは一日目、二日目の映像でそれに気が付いていた。
オムニボアが『物語』を重視するように、
柘榴女は“美しい魂”、“強い魂”を重視する。
そして、その魂を捧げるためには眼球…もしくは頭部を必要とするようだ。
だから、柘榴女は頭部を派手に破壊する攻撃を仕掛けはしない。
故に、オムニボアはあえて顔面から柘榴女に向かい、最短距離を突っ切った。
柘榴女は顔面への攻撃をわずかに逸らすだろう。
その一瞬の隙を突き、Dr.Carnageにしたように急所にナイフを振り下ろす!そう想定してオムニボアは全身全霊を込めて柘榴女に向けて駆けた。
「あれぇ?」
オムニボアは間抜けな声を零した。
柘榴女の義手による剛腕が、顔面目掛けて真っすぐ向かってきていたのだ。
顔面直撃コース。
このままでは脳髄も眼球もはじけ飛び、魂を捧げることが出来なくなってしまうのでは?
柘榴女としてそれは避けたい事態のはずではないか??
困惑するオムニボアの耳に、大笑いが飛び込む。
「お前の魂なんて、いらな~~~~い!!美しく!ないねぇ!」
自身は“強い魂”、“美しい魂”と認定されると思い込んでいたことを恥じる間もなく、最悪の覗き魔、オムニボアの頭蓋は柘榴のように砕け散った。
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チキチキチキ──古びた映写機の音が響く。
薄暗い小さな劇場に、中肉中背で丸顔の、穏やかな笑顔の青年がいた。
青年は安物の椅子に腰をかけ、スクリーンに目を向けた。
青年は、驚きに目を丸くする。
「…これは、ぼくの走馬燈か…」
その魔人能力故か、あまりにも明確な走馬燈がオムニボアの前に流れた。
他人の人生を演劇ととらえ『物語』として消化してきた人でなしの前に、遂に自分自身の演目が踊る。
命の価値を理解できなかった幼少時代。
能力を得てから偶然殺してしまった山の獣。そこに流れていた『物語』への感動。
命の価値を理解できずとも『物語』を読むために殺して殺した最悪の青春。
自分の命も顧みず、必死で『物語』を追い続け紡ぎ続けた、青年自身の『物語』。
濃厚な体験を振り返り、オムニボアは最後のレビューを始めた。
「青年は、自らの生き方に意味が見いだせず、命の価値も理解できなかった異常者だ。
殺したいから殺す、のではなく『物語』のために殺人をするさまは殺人鬼としても異質だろう。
そういった意味では最低の殺人鬼と評されてもおかしくはない。
しかし、他人からどう見えていたとて、彼にも大切なものはあった。熱意もあった。
それはすなわち『物語』の尊重。人間になれない人でなしなれど…
『物語』としてならば彼らを尊重することが出来た。関わることが出来たんだ。
他者から理解されぬ情念ではあるけれど、『物語』から最後まで離れることが出来なかった彼は
…それでも、人間を愛したかったのだと思う。
愛せないと分かっていても、愛したかったのだと思う。
それは蛾が燃え尽きると分かっていながら火に飛び込んでしまうかのような…
どうしようもない愚かさに満ちていたかもしれないけれど
根底にあったのは確かな愛の物語だったのだと、ぼくは思うよ」
一息に自分の『物語』を振り返り、オムニボアは一筋の涙を流して呟いた。
「────いい物語じゃないか。」
何かを肯定するかのように、大声で叫んだ。
「────いい!物語じゃないか!美しい物語じゃないか!」
自分を殺した柘榴女に抗議をするかのように叫ぶ。
「貴方が!勝手に人の魂の美しさなど決めるな!これは、ぼくの物語だ!」
いつもどこか冷静であった、他人事のような顔をしていたオムニボアは大声で叫んだ。
「物語の価値は!自分自身が決めるんだ!他人が口出しするな!」
劇場を静寂が包む。
「…あ。」
自身の発した言葉の意味、自身のこれまでの行いをオムニボアは振り返る。
「ハハハ…」
小さな笑いがオムニボアの口から零れたが、あっという間にそれは大きな笑い声へと変わった。
「アーーーハハハハ!!ハッハッハ!イーヒッヒ!遅い遅い!気付くのが遅すぎる!!」
笑って笑って、涙すら零れた。
一生分の笑い…という表現は適さないかもしれないがそれほどオムニボアは笑い転げた。
「ああ…一番愚かだったのはぼくだなぁ…」
走馬燈の終わりに向けて、オムニボアはしみじみと呟いた。
これでもう物語が見られないことが嫌で嫌でしょうがなかった。
元々の懸念の通り、物語を求める情念は死んでも全く薄らぐことが無かった。
最後、展開を見誤って即死をした自身にオムニボアは叫んだ。
「酷いオチだ!」
ポップコーンとコーラがあれば、こんなオチも笑い飛ばせたのだろうか。
自嘲しながらオムニボアの意識はスタッフロールに溶けていった。
■■■
少しだけ、未来の話。
■■■
────愚かな、女の話をしよう。
魔人警察の薄暗い資料室。
陰鬱な大男と軽薄な若者が分厚いリストをあさっていた。
軽薄な若者、刈口は陰鬱な大男に言葉を投げた。
「ジャスティス先輩?例の池袋の事件のファイル、殺害者が【不明】になってるケースが結構あるんすけど、なんか知ってます??」
後輩の軽口にも嫌な顔をせず、先輩と呼ばれた男は黙って一つのファイルをよこした。
「何スかコレ?って、殺害者不明のものを集めたリスト?こんなに殺害者不明いるんスか?それに…あれ、この殺害日…」
「気が付いたか。殺害者不明の多くは、『NOVA』とやらが運営する狂った宴の、最終日に殺されていたんだ。最終日に、何かがあった…」
陰鬱な男は、眉根の皺を深くし零した。
「だが、その何かが分からんのだ!最終日に何があったのか。何故大量の人間が死んだのか、誰が殺したのか、さっぱり分からんのだ」
刈口は真剣に驚いた。
「…先輩で分からないなら、もう無理じゃないすか!?先輩、データの管理と分析が鬼得意じゃないすか。あの10万人失踪事件の原因が“アンバード”だって見抜けたの先輩だけなんすよ!?」
刈口の言うとおり、男はデータの分析を得意としており、それ故に今の業務と地位を得ていた。その彼でも分からないと零す謎。
────殺人鬼の宴の最終日に、何があったのか。
■■■
──愚かな、女の話をしよう。
無意味な殺人を延々続け
愛息の蘇生のために
母を想う子を
子を想う母を
恋に焦がれる男女を
おおよそ善なる老若男女何もかもを
殺し、殺し、殺し続けた最悪の殺人鬼の話をしよう。
──柘榴女の話をしよう。
──愚かな、愚かな、嗚呼…どこまでも愚かな…
私の、母の話をしよう。
幕