0 インタビュー『サムライツメショ東京支部統括侍長 セブンスサムライ』
『彼……彼女……とにかく、アレについて語れと。難しいな。
正直に言えばまだ、整理がついていないんだ。
アレは、オレたちの敵で、オレたちの大切な同胞の命を啜って生き延びた殺人鬼だ。
個人的には、あの娘の仇だとすら思っている。
……けれど、同胞が命を救ってまで、想いを託した相手だった』
――初めて彼に会ったとき、どんな印象を受けましたか?
『最初はただの、粗暴で雑な三下悪党、やられ役の怪人だと思ったよ。
イガグリゴウラ翁も耄碌した、また妙なものをこしらえたなあとね』
――「最初は」と。つまり、その印象は、後に変わっていった?
『そうだね。あいつは、うちのエース……サムライセイバーに負け続けた。
それは、異常なことなんだ。わかるかい?
負け続けるということは、負けて、生き延びて、深手を負わず、心挫けず、再戦し続けるということなんだ。
星の守り手、有栖一族の最高傑作と言われた、この星の特記戦力を相手にだ」
――それだけの力量があった。それを認めざるを得なかった?
『……力量、それもある。あるんだが……。
アレは、有栖 愛九愛……サムライセイバーと戦う度に、変わっていった。
ハットリサスケ組の悪の怪人っていうのは、基本的に完成してから戦場に投入される。だから、戦い方の「型」というのが固まっている。一怪人、一つの戦術、というのがスタンダードだ。だから、それさえ見破れば勝てる。
だが、アイツは、違った。戦う度に、相手の技を取り入れ、応用し、噛み砕き……
そう。――サムライセイバーに負けるたびに、
アイツは、サムライセイバーに近づいていった。強さが、じゃない。
そう……なんていうか。あいつが、サムライセイバーの、影法師になっていくような気がして、いつか、オレはあいつのことが、薄気味悪くなっていた』
――サムライセイバーにそのことは伝えたのですか?
『ああ、伝えたよ。そうしたら、彼女は笑ってね。
「アレも、サムライですから」と言ったのさ。
……そのときは、何のことかわからなかったし、愛九愛が死んだ後は、見る目がないと嘆いたものだけど。
なんてことはない。結局、彼女は正しかったんだろうな』
1 いいものがたり
池袋駅。
一日平均利用者数約264万人。
新宿駅、渋谷駅に次いで、世界第三位の、巨大駅である。
北は埼玉県などのベッドタウンへと線路を伸ばし、南東は都心各所へと交通網を広げる。
無数の生命を、人生を運び、物語を創り出す起点。
地下の百貨店接続スペースのベンチで、男と少女が腰かけていた。
「驚いたな。
この状況、駅ビルで店を開けてるところがあるなんて」
サングラスの男は、閑散とした周囲を見回す。
カウンターの奥でジェラートを盛り付ける中年の女性以外、店員とおぼしき人間の出入りはない。
「悪ぃな、お姉さん。無理言って」
「いえいえ、常連さんの頼みですから。
……というか、常連さん……でいいんですよね?
ずいぶんかわいらしくなっちゃって」
「うるせえ。好きでなったんじゃねえよ」
『Venchi』という店名であるらしいジェラート屋の中年女性店員は、穏やかに笑った。
店員は、目の前にいる二人が、ここ数日の池袋の騒動の渦中にいることを知っている。
「んじゃ、レゴラーレ、グルメコーン。マスカルポーネ&キャラメライズド・フィグと、ジャンドゥイオットエクストラダーク、フィオールディラテ」
「……彼女と同じものを」
「チーズクリームとイチジクとカラメルとチョコにプレーンなミルクだ。
食えねえの入ってないか?」
「ありがとう。どれも好物だよ」
「OK。んじゃ、頼むわ」
微笑ましい会話を繰り広げるサングラスの男と、ギザ歯の少女。
これが、平時の池袋であれば、初々しい恋人同士にも見えたのかもしれない。
「君は、『物語』を、何だと思う?」
「娯楽だな。名作もある。駄作もある。感動でも呆れでも、げらげら笑えるのがいい」
しかし、店員はそのどちらもが、その気になれば、自分を殺せる危険な存在であることを理解している。
それでいて、彼女は、普段通りに、ジェラートを盛り付けた。
「ぼくは、『物語』とは、「つなげるもの」だと思っている。
君の今のあり方と同じだよ、キリキリ切腹丸。
サムライセイバーの、能力。
電車忍者の、野球帽。
スパイダーマンの、ヒョウ柄のレインコート。
ミッシングギガントによる、美少女の姿。
羅刹女と同じ色で、髪に一房入れた、灰色のメッシュ。
本来繋がらない、途切れてしまうはずの思想や生を、『物語』は他人に繋げる。
今の君は、君が殺してきたものの『物語』そのものだ」
「なるほど、『物語』。そいつがお前さんの殺人鬼としての動機なわけだ」
東武百貨店に、チョコレート専門店である『Venchi』がオープンしたのは4年前だ。
そのときから、店員はここで、多くの相手に、ジェラートを、チョコレートを売ってきた。
甘味を売るということは、笑顔を売ることだ。
涙を止めることだ。苦しみを緩和することだ。
だから、悪の怪人の無理を聞いて店を開き、殺人鬼に対してジェラートを売るという行為は、ただの人間で、ただの店員である彼女にできる意地で、池袋を守る戦いだった。
「君は、器なんだろう。キリキリ切腹丸。
本能か、欲求か、義務か、義理か。
殺したものを、放置できず、手離せず、中に詰め込んできた。
けれど、それは魔人のあり方としては不自然だ。
確固たる己で世界を捻じ曲げることこそ、魔人の認知。
殺したものを全て取りこぼさずに中にとどめおいている今の君は、その純粋性を――魔人能力の起点となる認識を、保ち続けていられているのかな?」
「知ってるぜ、オムニボア。
お前は、これまで一言たりとも無駄な会話をしていない。
時間稼ぎ。挑発。あるいは揺さぶり。
ほぼ全ての会話を殺すための武器としてきた。
当然だよな。お前は殺した後で相手のことを知ることができるんだから、相互理解のための会話を必要としないんだ。社会的動物としての前提が、違ってる」
この場所を、人を、全て破壊し尽くすことのできる相手に、人の生み出すものの到達点を叩きつける。
それで、これから起きることを止めることはできないだろう。
だが、その深層に、このジェラートの味を刻めたならば。
世界の敵が、またこの甘さを味わいたいと思うようなことがあれば。
それは、人の、この街の、ささやかで確実な抵抗に他ならない。
「君は、相手が「斬れるもの」であると認知するために、会話を必要とする。
会話をすれば、理解できる。理解できるものは、わかるもの。分かるものは、分かてるものだから」
「お前は、相手を知るためでなく、相手を揺さぶるために言葉を使う。
魔人とは認知で戦うもの。認知の揺らぎは、生死を分かつと知っているから」
「レゴラーレ、グルメコーン。マスカルポーネ&キャラメライズド・フィグと、ジャンドゥイオットエクストラダーク、フィオールディラテ、お二つできあがりました」
オムニボアとキリキリ切腹丸の会話を遮ったのは、店員の差し出した三層のジェラートだった。
男と少女は、それを受け取ると、どちらともなくおもむろに口をつけた。
食事途中の感想はない。ただ、表情は何よりも雄弁だった。
オムニボアと呼ばれた男は、カラメル風味のイチジクが、常連のキリキリ切腹丸は、特製のチョコレートがお気に召した様子だった。
そして、二人は年相応の食欲で、ぺろりとジェラートをたいらげた。
見ていて心地の良い、飾り気のない食べっぷりだった。
「ごちそうさまでした。おいしかったよ、店員さん」
「ああ、うまかった。無理言って悪かったな」
女性店員は、一礼をすると、必要なものを迅速にまとめ、店を出た。
ここから先、この場所は、死地になる。
そして、彼女ができる戦いは、終わったのだ。
「店員さん。できるだけこの場所から離れるんだ。
できるだけ。本当に、できる限りね。
君の物語は、きっと、いい物語であるはずだから」
「キヒヒッ。今更、善人ぶってイイモノ騙りかよ」
殺人鬼たちの競演、『NOVA』池袋殺人鬼中継4日目。
降り続いていた涙雨が、降りやもうとしている。
2 インタビュー『ハットリサスケ組幹部 プロフェッサー・イガグリゴウラ』
――貴方がキリキリ切腹丸を生み出した、その設計思想はなんだったのでしょう?
『キリキリ切腹丸の設計思想……それは、『陰のサムライ』じゃよ。
血の積み重ねを受け、信念という芯鉄を内包する、成長する魂。
それを、ハットリサスケの技術であるホムンクルス・ミュータントで再現する。
そのために、最適な遺伝子を素材として用意した。
アレを生み出してからもふさわしい戦場を与えたのじゃ』
――彼はサムライではなく「忍者」と名乗っていたはずですが。
『そう。アレは、陰としてすらサムライと名乗ることをしなかった。
儂が、ハットリサスケ組が、忍を名に冠することに義理立てていたのじゃろ。
当人に聞いても、否定するじゃろうがな』
――つまり、キリキリ切腹丸は、「サムライ」であるように作られた?
『そのように産んだのは確かじゃ。
そもそも、切腹丸という名もそういう願いを込めてつけたものじゃからな。
切腹なんぞ無駄なパフォーマンスを忍者はよしとせぬ。
己を生かし敵を殺すため全ての思考を費やし、死に方にこだわることなどないのが忍びの本懐。死に方こだわるなんていうのは、サムライの専売特許じゃろ?
服部忍軍佐助衆、伊賀繰 強羅はそういった悪の忍びとして生きた。
しかし、別の生き方をする子がいてもいいと思った。
所詮は、そんな気まぐれじゃよ。
だが、儂はアレの製造者で、ボスであっても、絶対の支配者ではない。
アレが忍者を名乗るのもよし。サムライを敵とみなし続けるもよし。
生まれ持ったものをどう活かしどう殺すか。
それは、アレの物語じゃからな。
なあ、作家さん。
おまえさんもまた――親に、そう思われていたのじゃと、老いぼれはそう思うよ』
3 宵、喪の語り
『Venchi』の店員が駅から離れて29分後。
池袋駅中央通路で、二人の殺人鬼は向き合った。
一人は少女。
当初殺人鬼ランキング14位、Killing忍者キリキリ切腹丸。
『地獄』と描かれた野球帽にヒョウ柄のレインコート、髪の一房は灰色のメッシュ。
獰猛な肉食獣めいた笑顔を浮かべた、ギザギザ歯の美少女。
一人は男。
当初殺人鬼ランキング22位、オムニボア。
季節外れのコートと、スポーツバッグ。整った童顔は一部、火傷で爛れている。
サングラスで目元を隠し、口元には張り付けたような笑み。
これが、殺人中継サイト『NOVA』が仕掛けた『池袋殺人鬼中継』の生き残りだった。
この戦いの果て、投票で決められる殺人鬼ランキングで1位になったものには、5億円の賞金と、『転校生』となる権利が与えられる。
「キールキルキル! 甘ぇなあ」
「甘いものは好きなんだ。君もだろう?」
ジェラートを食べ終えてから、30分経過。
キリキリ切腹丸の胸の端末がタイマーを鳴らす。
オムニボアがバックから手投弾を取り出すのと、キリキリ切腹丸が裾から幾条もの縄を展開するのが同時。
視界が白に染まる。
聴覚が轟音に塗りつぶされる。
閃光手榴弾。
ハットリサスケ組の改造人間はその多くが、人間よりも高い強化された身体能力を持つ。
その強化能力には、当然に五感も含まれる。
「キールキルキル! よく調べてるじゃねぇか!!
予習はバッチリってか、真面目かよ!」
だが、潰された感覚に足を止めるような『普通』でないからこその、殺人鬼。
キリキリ切腹丸は直前に脇の改札口に投げつけ、ひっかけていた鎌を起点にして、柄から生えたワイヤーに身を任せて宙を舞っていたのだ。
「『ロープガン・ジョー!』」
プロフェッサー・イガグリゴウラの発明である『立体機動鎖鎌』により、いつか刃を交えた殺人鬼のように弧を描き、反響音と輪郭だけが理解できるぼやけた視界で、キリキリ切腹丸は池袋駅構内を疾駆する。
強化されたキラキラ切腹丸の皮膚感覚が、周囲を掠めるなんらかの飛来物を知覚した。
オムニボアの追撃。
しかし、敵が直接キリキリ切腹丸へと肉薄してくることはない。
当然だ。
そうできないように、布石は打っていた。
今、池袋駅の中央通路は、蜘蛛の巣のように無数のワイヤーが張り巡らされている。
ジェラートを食べるからという理由で、オムニボアを切腹丸が駅に呼んだ理由。
それは戦場を指定するアドバンテージを得るためであり、この駅の構内、駅ビルの各所にはこうしたワイヤーを張り巡らせた『巣』が用意されている。
ジェラートを食べてからの30分も、単に店員を逃がすためではなく、ワイヤーの配置や強度を確認する意図もあったのだ。
ワイヤーの中には、触れたら切れるタイプのもの、粘着するもの、切断されることでトラップを誘発するものが混在している。簡単に解除してこちらを追跡することは不可能。
「捕縛忍法『冥河渡し』。
そいつがテメェの死の川だ。渡れるもんならやってみな!」
視界が少しずつ鮮明さを取り戻していく。
ワイヤーの蜘蛛の巣をかいくぐるように銃弾がキリキリ切腹丸を襲う。
「キル!!」
だが、銃弾程度斬れずして何が悪の怪人か。
悪の怪人に対峙するのが警官でなくヒーローなのは、鉛玉程度では制圧しきれないからなのだから。
張り巡らされた『巣』の安全な通路を、仕掛けた本人は把握している。
五感へのダメージが癒えたことを確認すると、キリキリ切腹丸は一息で距離を詰めなおす。
手には鎖鎌と怨霊刀。
オムニボアの手には、大口径の拳銃。
対魔人用の特殊弾丸を装填されたものだとプロフェッサーから聞いている。
しかし、銃弾は『斬れる』。
故に、ダメージソースとしての危険性はない。
一足一刀の間合い。
視線が合う。
死線が交わる。
オムニボアの銃口の方向を見極め、キリキリ切腹丸は死角から鎌を振るう。
浅い手ごたえ。だが、確かに切り裂いた。
刃を赤い液体が伝う。
オムニボアは距離を取れない。
半径2m程度の空間から抜け出そうと思えば、触れてはならぬワイヤーと、切ってはいけない紐と、触れてはいけない粘着糸からなる『巣』を攻略する必要がある。
であれば、当然彼は手にした拳銃で反撃を――
しなかった。
――オムニボアは銃口を、迫る切腹丸ではなく、天井へと向け、撃った。
瞬間、雨が降った。
いや、そんなはずはない。
火災用のスプリンクラー? 銃弾一つでこんな勢いで降り注ぐ?
口元に入ったその雫は――塩辛い。
オムニボアはいつの間にか、右手で傘をさしたまま、にやりと笑い、
左手で、特殊警棒を起動した。
ばちり、と。
電撃が塩水を通じて『巣』全体を走る。
全身の筋肉が収縮し、動きが硬直する。
その瞬間、オムニボアの放った銃弾がキリキリ切腹丸の腹を抉った。
しかし、その傷は巻き戻るように癒えて消える。
殺人鬼ミッシングギガントの片割れ、アリスの魔人能力『アリス・イン・ワンダーランド』の効果だった。
かの能力は、対象を『完全な美少女』にする。
その完全性を担保するため、傷は「なかったことになる」。
元の筋肉質の大男からギザ歯の美少女となることと引き換えに、キリキリ切腹丸は今や、疑似的な不死性を手にしていた。
だが。
一射。二射。三射。
身を穿つ銃撃の傷は次々に癒えていくが、着弾箇所は徐々に、キリキリ切腹丸の頭部へと近づいていく。
脳を、狙われている。
キラキラ切腹丸は距離を取りながら、ギザギザの歯をぎり、と鳴らす。
そう。『アリス・イン・ワンダーランド』による不死性は、あくまで疑似的なもの。
自らが美少女となっているという認識の起点、脳が破壊されれば、能力は解除されて不死性は消える。それを、オムニボアは明確に意識して攻撃していた。
塩水のスプリンクラーは止まったが、状況は好転していない。
電撃は厄介だ。電撃で灼けた細胞はすぐに回復するが、動きが止まれば、敵が脳を狙った攻撃を繰り出してくる。
攻撃ではなく、妨害として有効な搦め手だった。
オムニボアを縛るために張り巡らせたワイヤーが、いまはむしろ、キリキリ切腹丸が電撃の攻撃圏から退避することに対する枷となっている。
このスプリンクラーの暴発と通電性を上げるための消火槽への塩分混入、間違いない。
オムニボアもまた、この場所が戦場となることを予測し、仕込みを済ませていたのだ。
コートの下には、概ね帯電性能のある服を着こんでいるのだろう。
今の攻防で、キリキリ切腹丸はオムニボアとの技量差を分析する。
技の冴えはキリキリ切腹丸。
身体能力もまたキリキリ切腹丸が上。
しかし、先読みめいた危機回避能力によって、オムニボアは致命傷を避け続ける。
初戦に戦っていれば、苦戦をする相手ではなかった。
それが、キリキリ切腹丸の出した結論だった。
「キリキリ切腹丸の魔人能力、『スーパーカット大切断』。
あくのこころにて、斬れると思ったものを斬る。
それは刃筋や武器の強度、対象の頑強さに限らない問答無用の切断だ。
だから、一度でも掠り傷を負わせた相手ならば、必ず殺せる。
二撃必殺――そう言っても構わないだろう。
けれど。だとしたら、君はどうして、距離を取ったのかな?
たとえ体が痺れていても。斬れるものだと認識した相手が射程圏内にいたならば、そこで勝負はついていたはずだ」
十分な距離を取ってなお、キリキリ切腹丸の鋭敏な聴覚は、オムニボアの言葉を確かに聞き取った。
「君は、一度死にかけ、サムライセイバーと名乗る魔人の『正義のサムライパワー』を継承して生き延びた。そして、ここ数日の戦いで、何度も、その『正義の力』を使っている。
一日目は電車忍者の奥義を止めるため。
二日目は、サムライセイバーという力に宿った想いの残滓に肉体の主導権を委ね。
三日目は、羅刹女の視界を奪うため。
一方、君本来の『あくのこころ』に起因する『スーパーカット大切断』は、力を失っていった。
一日目は、電車忍者の肉体をやすやすと切り裂いた。
二日目は、縄や触手、操られた美少女を切り裂いただけ。
三日目に至っては――羅刹女の拳を、斬ることもできなかった。
キリキリ切腹丸。
――君は『正義に浸食されている』んじゃないかな?」
オムニボアの推理に、キリキリ切腹丸は笑った。
「キールキルキル! 演技派だなあオムニボア!
けど、悔しさ溢れる恨み節にしか聞こえないぜ! あのとき、二撃目の必殺を繰り出そうもんなら、その時点で、キリキリ切腹丸をぶち殺せたのに、ってよ」
そして、キリキリ切腹丸は鎌を放り捨てると、懐から、ビームサーベルの柄を取り出し、起動した。
光の刀身が燃え上がる。
それは、これまで、電車忍者やスパイダーマンと戦ったときのサイズではなかった。
美少女化したキリキリ切腹丸の身長の数倍。
そう。いつか、『ク・リトル・リトル』と呼ばれたエイリアン・パラサイトと相対したときと同様の、能力の迸りであった。
――『邪悪絶対殺すマン』とは、エネルギーの生成能力だ。
――発動条件は『邪悪』に対峙すること。
――相手が邪悪であればあるほど、そのエネルギー生成量は強まっていく
それが意味することはただ一つ。
今、キリキリ切腹丸が相対しているモノこそ、『ク・リトル・リトル』に匹敵する敵。
この星の浸食者、エイリアン・パラサイトという、脅威であるということ。
「相手の内情を理解する。そいつは、忍者の十八番だぜ。
なあ、『ベールを剥ぎ取るもの』さんよお」
キリキリ切腹丸が口にした名に、オムニボアから表情が消える。
「そうか。そうだね。
君の中にある力が、『絶対正義殺すマン』なら、当然、わかってしまうわけだね。
『カルガネ』が何なのかも」
オムニボアは、無造作に右手の指を弾いた。
「なら、不意打ちは諦めるとしよう」
瞬間、左手が、柘榴のように、爆ぜた。
一回戦で、一 端数によって爆破されたはずの左手。
なぜか、この戦いで再生し、特殊警棒を振るった、左手。
その輪郭が爆ぜ、乱れ、金属の光沢を取り戻し、変形する。
球体と柱体とが、複雑な軸によって結ばれる、分子モデルのような形象。
絶えずうごめき、その空隙から何かが覗き込んでいるような現象。
遠目には、金属製の隻翼のようにも見える。
無機でありながら生物。
有機でありながら金属。
地球のカテゴリの境界を踏み越えて嘲笑う異質。
オムニボアの腕から、そして、背から生えているのは、そういうモノだった。
4 インタビュー『有栖家当主 有栖 阿僧祇』
――有栖家とは、いったい、どういった一族なのでしょうか。
『星の防衛機構。そのように表現するのが、最もシンプルでしょう。
ガイア理論を御存知ですか? この地球を、自己調整能力を持つ一つの生命とみなす仮説です』
――ジェームス・ラヴロック博士が1960年代に提唱したものですね。
『話が早くて助かります。小説のネタとしても定番ですから、作家の先生が御存知なのも当然かもしれませんね。
人体に、外から調和を乱すウィルスや寄生物を迎撃する免疫機構があるのと同様に、この星にもまた、外部からの侵略者や寄生生物といった脅威を討つための機構が存在する。
端的に言えば、有栖家とは、そうしたものの一つです』
――人類の守り手、世界を庇護するヒーローということでしょうか。
『そうわかりやすいものではないのですよ。
確かに、有栖の血は、エイリアン・パラサイトに対する切り札である。
けれど、それは、「星を守る力」であって、人類を守る力とは限らない。
たとえば、エイリアン・パラサイトを「ただの殺人鬼」の形に封じ込めることで、星のあり方を守る有栖がいるかもしれない。
それは、人類にとっては、有害です。けれど、星の守り手には違いない。
今代最強と言われた有栖……『サムライセイバー』有栖愛九愛のように、有栖の力をわかりやすい人類の正義のために使う有栖は、決して多くないのです』
――サムライセイバーといえば、彼女の「ヤギュウスタイル」は有栖の力なのですか?
『厳密に言えば、星守りの力を効率よく振るうための術理を、今の有栖の多くは柳生の技、新陰流に依拠している、というのが正しいでしょう。
江戸期から、有栖一族は、幕府に仕えるようになりました。
星の外敵に関する情報が集まる機関が、朝廷の陰陽寮から、寺社奉行の天文方になったからです。この国の対外星戦力は、暦の編纂機関にカモフラージュされていましたから。
あなたも、宣明暦から貞享暦の切り替えについては御存知でしょう?
ともあれ、それに伴い、有栖一族が星守りの力を体系立てて振るうための術理基盤も、陰陽術から、当時の幕府の権能の象徴の一つ、柳生の新陰流へと変わりました。
有栖は、陰陽師から、侍になったのです』
――ヤギュウスタイル……本物の新陰流と関係あったのですね。
『驚きましたか。まあ、嘘臭いですよね。
ヤギュウスタイルなんてハイカラな呼び方で、しかもやっていることは、星守りのエネルギーの解放だ。日本かぶれのカートゥーンヒーローが、術理も知らず、響きだけ借りているように思われてもしかたありません。
けれど――サムライセイバー、有栖 愛九愛が振るったのは紛れもなく新陰流です。
心の位でもって、相手の心を制し、いかなるものをも斬る。
その術理を有栖の力と融合させた結果、愛九愛は、『己が心の刃にて、人の心を斬る』という形に昇華した。
新陰流の『心の位』という術理の精華と言えるでしょう。
その力と技を、彼女は、キリキリ切腹丸と名乗るホムンクルスに継承した』
――有栖の星守りの力は、他者に引き継げるものなのですか?
『できません。
有栖の力は血に宿る。血に起因する認識に宿る。
いくら有栖 愛九愛の能力が卓越していても。
いや、だからこそ、有栖以外に、その力を引き継げるものなどいないのです』
――だとすると、キリキリ切腹丸というホムンクルスのベースとなった遺伝子は、
『ええ。どこからその素材を調達したのかはわかりませんが。
間違いなく、キリキリ切腹丸は、有栖の血を引いていたのでしょうね』
5 善人騙り
エイリアン・パラサイト。
星の外から降り来りて、この星の理を侵略する外つ神。
あるいは、この星の理に寄生するもの。
それは、有史以前から地球を襲い、人の歴史を歪め、その度に多大な犠牲の下に撃退されてきた。
歴史の影に隠されたその存在は、星の守り手たる狩人たちと、ごく一部の「知るもの」によってのみ、語り継がれてきた。
『ベールを剥ぎ取るもの』は、そうした、人類が撃退した外つ神のうち一柱だった。
性質は『知識欲に基づく侵略・寄生』。
不定形の金属の形象を取り、自らに従うものに『智慧』の天啓を与える外つ神。
多くの人間がその『智慧』を求め、『ベールを剥ぎ取るもの』に血肉を捧げた。
そして引き換えに――『智慧』を得た。
その『智慧』は、人類にはまぶしすぎた。
人が、人であるために認知を閉ざしていた『ベール』までも、その『智慧』は剥ぎ取り、剥き出しになった膨大な情報量によって、彼らは発狂した。
それでも『智慧』は与えられるのだ。
真理の一端に、触れられるのだ。
多くの宗教が、多くの哲学が、多くの学問が幾代を重ねて目指してきたものに、一代で、触れることができる。たとえその直後に、破滅が待っていたとしても。
知りたい。
正解が欲しい。
謎を解体したい。
本当の事が知りたい。
混沌に目鼻を描いて殺したい。
曖昧なものに明確な輪郭を引きたい。
説明ができなかったものに、整合性のある理屈を与えてほしい。
その誘惑に耐えられない人間は、多かった。
『ベールを剥ぎ取るもの』は、暴力で侵略しなかった。
ただ、「曖昧なものをそのままにし続けられない」という、人の性に、その権能が噛み合ってしまい、結果として、最悪の侵略寄生体となっただけのモノだった。
多くの犠牲を出しながら、エイリアンハンターたちによって、『ベールを剥ぎ取るもの』は討伐された。
その顕現体の遺骸は分割され、改造され、『人の意志に応える』という性質を利用して、エイリアンハンターたちの武装となった。
それが、不定形形状記憶金属『カルガネ』。
外つ神である「本体」との接続を断たれたそれは、便利で強力な武装に過ぎない。
そのはずだった。
『物語』を求める最新のエイリアン・パラサイト、『オムニボア』と、共鳴してしまうまでは。
……………
オムニボアの腕と背から、名状しがたき形状の金属体が溢れていく。
球体と柱体とが、複雑な軸によって結ばれる、分子モデルのような形象。
絶えず脈動するようにうごめくもの。
ぱちん。ぱちん。ぱちん。
オムニボアが指を弾く。
そのたびに、柘榴の実が弾けるように、金属の球体が爆ぜ、柱体が広がる。
池袋駅の天井を、壁を、柱を飲み込み、拡張していく。膨張していく。
ぱちん。ぱちん。ぱちん。
オムニボアが指を弾く。
金属の翼が羽搏く。
1903年から蓄積された池袋駅という『物語』を、飲み下し、咀嚼していく。
「――うん。いい物語だ」
オムニボアは、小さく頷いた。
「ヒハッ」
キリキリ切腹丸は、思わず笑った。
自らを悪の怪人と規定し、奮い立たせるための笑いではない。
それは、心の奥から無意識に漏れだした感情だった。
今、オムニボアは池袋駅を「殺した」のだ。
はじまりの戦いを思い出す。
サムライセイバーとの戦いの最中に割り込んだ肉の塊。
正義だとか悪だとかいう、人間の戦いとは無関係に蹂躙する、『外つ神』。
この戦いは、殺人鬼と殺人鬼の、悪と悪との殺し合いではなかったのか?
なのに、どうして、こうなった?
目の前の男は、正義も悪も俯瞰し、『物語』として消費する、バケモノになった。
それは、殺人鬼という領分を踏み越えている。
「ガイア理論を知っているかな?」
オムニボアは唐突にキリキリ切腹丸へと問いかけた。
切腹丸は、もはや柱ほどの大きさになったビームサーベルを構え、その質問の意図を思考する。
言葉の意味くらいは知っている。
地球をひとつの生命に例えた、どこかの科学者の仮説で――
――生命。
であれば、殺せると。
そう、オムニボアは言っているのか。
「――ぼくの魔人能力は『ソーマの幻灯』。
殺したものが最後に見る、『走馬燈』。
それを、ひとつの映画として観賞する、悪趣味な異能だ」
そして、殺せるということは、その『走馬燈』が見られると。
この星の物語を、紐解き、観賞できるのだと。
そういうことを、口にしているのか。
地球という星が秘めた物語を、ただ観てみたいという理由で、殺すのだと。
「それは、どんな『物語』なんだろうね?」
改めて、キリキリ切腹丸は、オムニボアの『翼』を直視した。
その空隙からは、何かが覗き込んでいるような視線。
異形である、金属製の隻翼。
それは正しく翼なのだろう。
翼とは、飛翔のためにあるものだ。
人には本来許されない、空からの俯瞰を許すものだ。
人が、人の領分を踏み外すための器官という意味で、それは翼にほかならない。
知識欲を理由に、とりあえず星を殺してみようという、そんな結論に至るものは、もはや、人ではない。殺人鬼ですらない。
『こいつらをこの星から駆逐せねば……この星は、破滅する!!』
いつか、サムライセイバーから託された言葉は、大げさでもなんでもなかった。
これは、呼吸をするように、世界を壊すモノだ。
だが、どうする?
こういうものに相対するべきは、正義のヒーローであるべきだ。
博物館で、エイリアン・パラサイト『ク・リトル・リトル』を前に、サムライセイバーの力の残滓がこの体を操ったように。
けれど、もう、あのときのように、彼女が表に出てくることはない。
ここにいるのは、サムライセイバーではない。
悪の怪人、キリキリ切腹丸だ。
いや、そうですらない。
『キリキリ切腹丸。
――君は『正義に浸食されている』んじゃないかな?』
オムニボアの分析は正しい。
サムライセイバーから、『正義の力』を引き継ぎ、その力を振るうようになってから。
悪としてのキリキリ切腹丸の刃は、鈍り続けてきた。
電車忍者を殺したとき、敵の油断をついて殺した悪の喜びはなかった。
ミッシングギガントを斬ったのは、サムライセイバーの力だった。
羅刹女に対しては、悪の怪人ではなく、肉親として、相対してしまった。
正義の力を振るう資格はない。
悪に振り切ることもできない。
なんでそんな半端な状態で、世界の敵が、目の前に現れてしまうのか。
こんなものの前に対峙するなんて、それはまるで――
――世界を守る、ヒーローのようではないか。
思考とは別に、キリキリ切腹丸の体は、襲い来る金属の触手をことごとくビームサーベルで切り裂いていた。
自分は、正義でも悪でもない半端ものであると。
そうわかっていながら、溢れてくる力に身を委ねるように、キリキリ切腹丸は走った。
まるで、最も無駄のない、正解の太刀筋を理解しているような、思想や葛藤、流儀とは切り離されたような、そんな、どこか無色で自動的な動きだった。
体が動く。
それは、忍者としての技ではない。
キリキリ切腹丸の知る限り、ビームサーベルを最も美しく運用したヒーローの動き。
すなわち、新陰流。
キリキリ切腹丸の動きが、変わった。
ビームサーベルを刃としてではなく、エネルギーとして運用する。
柄で振るうのではなく、意志で操作する。
刃の形を前提とするのではなく、融通無碍と心得る。
その左の瞳に、真のサムライの象徴たる星の輝きが宿る。
「ヤギュウスタイル――スチーム・エクスプロージョン!」
それは、エネルギー形象変換のイメージの精華。
刀身のエネルギーそのものの輪郭イメージを、個体から液体、液体から気体へと転換し、爆発させる、有栖愛九愛が編み出した能力解放の術理。
それは星の守り手の力。
この星が、現在の理を維持せんと祈った、その想いの具象。
輝きの粒子で構成された蒸気が金属の触手を抉り、削り、分解していく。
だが――
「『邪悪絶対殺すマン』。
それは、星の守り手の力。星の外にある魂に必殺の力を持つ。
だったら――この星のもの、物理的なもので、防げばいいだけの話だ」
オムニボアは、無事だった。
金属の隻翼は大きく削られたが、その金属翼が運んで盾にした、池袋駅の自動改札、看板、柱、天井といった資材で作り上げたバリケードによって、その本体は、傷一つついていなかった。
いつか、サムライセイバーはキリキリ切腹丸に言った。
私の能力は、お前と相性が悪い、と。
それには、二つの意味があった。
一つは、対象属性による能力出力制限。
キリキリ切腹丸が、「星の理」に対する邪悪足りえなかったということ。
そして、もう一つは、『斬れると思ったものを斬る』キリキリ切腹丸の能力に対して、『心にて対象の心を斬る』サムライセイバーの能力は、防ぐ手段が多いこと。
もしも今のキリキリ切腹丸が十全に『スーパーカット大切断』を使えるならば、物理的なバリケードを両断し、オムニボアに『サムライセイバー』を叩き込めただろう。
だが――今の、『サムライセイバー』の力の残滓に身を委ねた戦い方では、それはできない。『正義の力』に従って、『あくのこころ』に基づく魔人能力は使えない。
「クハハ――ッ」
腹の内に溜まっているモノを吐き出すように、キリキリ切腹丸は笑う。
そして、
「キールキルキルKILL!!!」
己を鼓舞するように、キャラ付けのための、作り笑いめいたわざとらしい声をあげた。
「やっぱりなあ! 違うよなあ!
この戦いは、『エイリアンvsヒーロー』じゃねえ!
ただの『殺人鬼vs殺人鬼』の殺し合いだよなあ!!!!」
溢れ出して体を突き動かす『正義の力』に手綱をかける。
反射を捨てる。
無意識を捨てる。
流されることを捨てる。
自らの意志を。スタイルを、取り戻す。
どれだけ強い力でも、借り物だ。たとえそれが、いつか憧れたものであっても。
立体機動鎌での三次元起動。
Killing忍者として磨いてきた技で、キリキリ切腹丸はオムニボアの金属触手を避け続ける。
『何人も殺した殺人鬼が、今更ヒーローだぁ……? そんなこと、許されるわけねーだろ! キールキルキルキル! 地獄に落ちるんだよ! お前も! 俺もな!』
ああ、スパイダーマン。
お前は、あのとき、こんな気分だったのか?
『お前はもう、そんなくだらねー幻覚に苦しむ必要はねーんだよ。……だから自分を裏切るんじゃねぇ、ボケ。そんなバカは、俺ぐらいで十分だ』
ああ、そうだったな、電車忍者。
一度、俺は俺を裏切った。だから、二度はない。
『……だからよ、楽しむんだ。殺人鬼はどこまでいっても孤独な存在だ。お前を認めてくれるのは、お前自身しかいねぇ』
まったく偉そうなこと言いやがって。何様のつもりだよ。
ったく、クソ兄貴で悪かったな、羅刹女。
これまで、敵に対して口にしてきた言葉が全て己へと返ってくる。
名は体を現す。
キリキリ切腹丸が放ってきた言の刃は、悉く己が腹を裂くものだったのだから。
自分はヒーローではない。
自分は自分をもう裏切らない。
自分を認めてくれるのは、自分しかいない。
ここで戦っているのは、サムライセイバーではない。
ここで戦っているのは、ヒーローではない。
『誰かが……守らねばならないのだ……! この星を……!
そこには……善も悪もない……!』
そうだったな、サムライセイバー。
善も悪もない。そいつが最終回答だった。
ってか、テメェが最初に、ネタバレしてたんじゃねえか。許せねえ。
『お前が……サムライになってこの星を救うのだ!! 切腹丸!!』
だが断る!
俺は、サムライセイバーの代わりなんかじゃねえ。
殺人鬼。
悪の怪人。
Killing忍者。
「俺は! ――キリキリ切腹丸だ――ッ!」
テメェの名声も痕跡も全て塗り替えて、Killしてやる――
その瞬間。
キリキリ切腹丸の右の瞳に、陰の忍者たる闇が揺らめく。
その左の瞳に、真のサムライの象徴たる星の輝きが宿る。
そして、その双眸でオムニボアを睨むのは――
美少女ではなく、大柄な男の姿。
不変の美ではなく。泥臭く変わり続けた、いつかヒーローが力を託した怪人の姿。
キリキリ切腹丸の、本来の肉体。
「ヤギュウスタイル・シンカゲミックス――」
正義の力にて心を斬る。
あくのこころにて、斬れると確信したものを斬る。
正義と悪。相反するエネルギーを元にした能力は相克しないのか?
相生の効を得ることができるのか?
できる。できるのだ。
元よりできないはずがない。
太極の理。陰中の陽。陽中の陰。
そのどちらをも内包することこそ、人の心であるのだから。
「スーパーカット大切断(Die・Set・Done)!!!」
ビームサーベルの光の刀身が闇をまとい、鎌の形へと変容した。
オムニボアの金属の翼もまた、形を変える。
池袋駅のビルはもはや、大半が『カルガネ』に飲み込まれていた。
コンクリートと鉄骨とガラスの破片と。
オムニボアを核として、無数の建材で構成されうねるそれは、長さ数10mの内臓のようにも、多頭の蛇のようにも見えた。
魂を刈り取る、死神の刃。
それを喰らわんとする、貪欲なる多頭の蛇。
殺したものの『物語』を引き継いできた殺人鬼と。
殺したものの『物語』を消費し続けてきた殺人鬼。
その刃と牙とがぶつかり合い――
オムニボアは、目の前で倒れ伏す男を見下ろした。
金属の隻翼がキリキリ切腹丸の腹を裂くのと同時に、光闇の鎌がオムニボアを斬った。
その斬撃によって、『カルガネ』とオムニボアとの共鳴は断たれたのだ。
カルガネによって塞いでいた傷口が開き、オムニボアの背と左腕からは血がしぶいている。しかし、致命傷ではない。
対して、キリキリ切腹丸の命は、今まさに終わろうとしている。
キリキリ切腹丸は、不死性を失った肉体で、『カルガネ』の攻撃を真正面から受け止めた上で、鎌を振り下ろしたのだ。
即死していないのは、改造人間のタフネスのせいだろう。
それでも、致命傷には違いない。
「……キルキル……ヒヒ……うまくいったな」
だが、キリキリ切腹丸は、満足げだった。
「なあ。お前、北斗の拳って読んだことあるか?
いや、お前が生まれる前の古ぃ漫画だ。まあいい、そういうのがあんだよ。
で、その決め台詞ってのが振るってて、一度は使いたかったんだが、条件が厳しくてな。
相手が会話できる状態で、なおかつ『死んで』なきゃいけねえ。
そんなのどうやるんだって、ずっと思ってたんだが――」
キリキリ切腹丸が何を言っているのか、オムニボアには理解できなかった。
北斗の拳というタイトルは聞いたことがある。概要も知っている。
それが、この状況にどう関係するのか。
残り少ない生で口にするのに値するものなのか。
だが、オムニボアはすぐに、思考を止めた。
答えはすぐに『劇場』で明らかになるのだから。
「――『おまえはもう、死んでいる』」
それが、キリキリ切腹丸の、最後の言葉だった。
それは即ち、オムニボアの『ソーマの幻灯』の発動条件が満たされたことを意味する。
「なるほど」
しばし瞳を閉じ、オムニボアは、大きく息を吐き出した。
「これは、予想していなかった」
――魔人能力『ソーマの幻灯』は、発動しなかった。
[キリキリ切腹丸:死亡]
6 インタビュー『闇サイトNOVA VIP会員 匿名希望』
『は? よりによって、貴方が我々に話聞きに来ます?
面の皮強化カーボンでできてます?
ちょっと正気を疑うんですが。だって貴方、先生の『物語』を読んだんでしょ?
私が、先生とどういう関係だったか知ってるんですよね?
……ああ、先生が私のことどう思ってたとかネタバレしたら、どんな手段を取ってでも貴方を殺しますから。
まあ、そんなことをしなくても、隙があれば殺しますけど。
それでよければ質問どうぞ。
あの戦いの後のキリキリ切腹丸の評判について?
ああ、そのあたりは『NOVA』はノータッチですよ。
情報のもみ消しは平等に、どちらにも有利にならないように。
そこは徹底しています。私情もはさみません。
だから、他の組織が色々と、彼と彼女の意を汲んで、喪の騙りを紡いだんでしょうね。
命を賭けて想いを継いだ少女と。
その想いを抱えて、抗って、結局、自分の一部だと割り切って戦った男と。
その結果、サムライセイバーの名声を塗り替える、「新しいヒーロー」が生まれた。
殺人鬼同士の戦いではなく、それは、世界の敵とヒーローのラストバトルだった。
池袋の混乱は、そういうことになった。
そういう『物語』が望まれた。
たぶんこれは、そういう話だったんですよ。
だってほら。殺人鬼なんて、少ないに越したことはないじゃないですか。
殺人鬼の蠱毒。日常を壊すものを間引くための儀式。
先生と、私の目的は、達成できたんです。
負け惜しみだと思ってくれても構いませんがね。
ええ、これは皮肉ですよ。
転校生にもならず。魔人能力も失い。
エイリアン・パラサイトとしての生き方も失った、ただの売れない作家さん。
それとも、昔の栄光にすがって、過去の名前で呼ばれる方がお好みですか?
殺人鬼ランキング1位、『オムニボア』さま』
7 いい物語
池袋での戦い。
キリキリ切腹丸が最後に繰り出した『スーパーカット大切断』は、『カルガネ』を斬ったものではなかった。
かの能力は「斬れる」と確信したものを斬る。
そして、謎の外つ神の遺骸である『カルガネ』は、確実に『斬れる』とは思えないものだったのだろう。
では、キリキリ切腹丸は、何を斬ったのか。
それはおそらく、「人であることへの諦め」だったのだろうと、オムニボアは考える。
『スーパーカット大切断』は確信により物理的なものを強度、サイズ問わず斬る。
『サムライセイバー』は、心のエネルギーにより、魂を斬る。
この二つを融合させることで、キリキリ切腹丸は『斬れると確信した対象の心の要素』を斬ったのだ。
これまで、キリキリ切腹丸は、「そういうもの」を斬ってきた。
電車忍者。
スパイダーマン。
羅刹女。
サムライセイバーが斬ったミッシングギガントは別枠だが、キリキリ切腹丸は、相対した殺人鬼に対して、「人から外れたもの」「人であることを諦めたもの」のはみ出てしまった部分を剪定し、人の枠へと押し戻す殺し方してきた。
本人が意図したものではないだろうが、結果として、そういう戦いが続いた。
そういう実績が、蓄積されていた。
だから。魔人能力の切断対象が精神的なものまで拡張できるのであれば、「人であることへの諦め」という想いは、『外つ神の遺骸』よりも、より確実に「斬れる」。
オムニボアが生き延びるかどうかは、キリキリ切腹丸にとって、どうでもよいことだったのだろう。より確実にこの星の敵を無害化するため、彼は最善の方策を取ったのだ。
それが、彼が自分の意志で選んだ、選択だった。
オムニボアが『カルガネ』と共鳴できたのは、自分が人の外であると確信したからだ。
だから、その「切断」によって、『カルガネ』の操作権を失った。
オムニボアが『ソーマの幻灯』などという能力に目覚めたのは、自分が、人間の描く物語の外にある傍観者だと、諦めていたからだ。
だから、その「切断」によって、魔人能力を失った。
殺人鬼ランキング第一位『オムニボア』。
殺人を嗜好するのではなく。
殺人を手段とする男。
魔人能力を用いて殺人をするのではなく。
魔人能力の行使のために殺人をする殺人鬼。
命の価値を解せず。
人の物語を蒐集し。
そして、星の物語にすら手をかけた最悪。
しかし、その動機は今や、霧散した。
殺そうとも、『物語』は観られない。
殺せば『物語』を断ち切るだけ。
――『おまえはもう死んでいる』
キリキリ切腹丸の最期の言葉は、殺人鬼『オムニボア』に対する、死刑宣告だったのだ。
……………
数年後。
男は、神妙な面持ちで、自分の原稿に目を通す読者を眺めていた。
コップの中で溶けた氷が、からん、と音を立てる。
最後のページがめくられ、読者は小さく首をかしげた。
「……どうかな?」
「うーん。なんか、変な話だった」
その小さな読者は、目の前の作者相手に物怖じせず言い切った。
大の大人、しかも、左腕を失い、顔の一部が火傷で爛れている男に対して、それはずいぶん大胆な反応だが、読者の少年にとってそんな作家の容姿はもう日常の一部となっているようだった。
「んじゃ、おじさん、感想タイムするからアイスちょうだい」
「今日は何がいい?」
「ええと、チョコっぽいやつ!」
「それだと、ジャンドゥイオットエクストラダークがそれっぽいかな。
少し待っていてね」
男は冷蔵庫から『Venchi』と書かれた箱を取り出すと、いくつかのジェラートカップを少年の前に並べた。
「やったー! コンビニのアイスよりずっとおいしいんだよね!」
「グルメだねえ」
少年は慣れた手つきでジェラートをスプーンで何度かかき回すと、一口ほおばって満面の笑顔になった。
そして、少しずつ食べ進めながら、男に読んだばかりの物語の感想を言う。
「にしても「変な話」だったかー」
「だって、「キールキルキル!」だっけ?
切腹丸がこんな三下みたいなキャラ付けのわざとらしい笑い声なはずないじゃん!」
「そんなに変かなあ」
「変だよ! キリキリ切腹丸っていえば、『オムニボア・カルネイジ』を、ヤギュウスタイルで一刀両断したスーパーヒーローだよ? もっとかっこよくって、クールで、オシャレに決まってるじゃん!」
「……なるほど」
作家は、少年の言葉をひとつひとつ、律儀にメモに記していく。
「敵役の『オムニボア・カルネイジ』も、ちょっとなんかぼんやりしてた。
殺した相手の『物語』を知りたいからって……そんなんで、人を殺す? 世界の敵になったりする? って。
全体的になんか地味っていうかわかりにくいっていうか……もっとこう、すぱっと悪役ーって感じの方が、切腹丸とのバトルが盛り上がるんじゃないかなあ」
「ありがとう。参考になったよ」
「どういたしまして。またアイスくれたら読んだげるからね!」
そう言って、少年は男の部屋を後にした。
少年の腕で揺れる赤いスカーフを眺めながら、男……樫尾猿馬は、書き上げたばかりの原稿、『切腹丸キラキラ道中記~僕がサムライにならなかった理由~』に目をやった。
能力で観ることできなかったキリキリ切腹丸の人生を、関係者のインタビューを通して推測し、物語仕立てにしたものだった。
当然、出版の予定はない。
世間にとってキリキリ切腹丸は、池袋をエイリアンから救ったスーパーヒーローであって、そのイメージから離れた姿の物語などニーズがないからだ。
魔人能力『ソーマの幻灯』を失ってから、樫尾猿馬にとって『物語』は、ひどく遠いものになってしまった。
相手がどんな光景を見てきたのか。
相手が何を意図していたのか。
相手が何を思っていたのか。
何もかも、わからない。
できるのは、遺された断片から類推することだけ。
それが今の彼にとっての『物語』。
なんて不完全で、回りくどい手段でしか得られないつぎはぎだらけの筋書きだろうか。
だが、世界にとって。多くの人間にとって。
もとより、『物語』とは、そういうものなのだ。
正解などない。
王道などない。
好みに合うか合わないかはあれど、失敗も成功も厳密には存在しない。
異能『ソーマの幻灯』を失い、なお『物語』の断片を求めるようになって、男は知った。
視界の悪い雨の中を、ずぶ濡れになって、手探りで歩き続けるような寄る辺ない道行。
それを泥臭く繰り返すことでしか、望むものには辿り着けないのだと。
「――『いい物語』ってのは、難しいな」
……………
殺人鬼としての『オムニボア』は、その動機を奪われて死んだ。
殺人鬼としての『キリキリ切腹丸』は、サムライセイバーを過去に忘却させるほどのヒーローとして語り継がれることで死んだ。
2024年、池袋殺人鬼ランキング。
これは、輝きの侭に殺し合い、瞬きとともに消えた、『物語』。
殺人鬼は、誰一人として生き残ることはなかった。
だが、『物語』は残る。
27の欲望が描く、42の衝突が生みだした輝き。
それは、断片的で、一方的で、主観的で、アンバランスで。
だからこそ、キラキラと輝く、不完全な欠片たちの、『物語』は残り続ける。
無数の畏怖と、可能性とを内包し。
また新たな物語の礎となっていく。
願わくは、この燃え尽きた灰を糧として、よりよき『物語』が芽吹きますように。